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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


祟られ姫の初恋

 九条アリッサ、17歳。九条財閥のうら若き跡取り娘。実際は既に財閥を牛耳っているとも言われる才媛でもある彼女から、事もあろうに三下忠雄にラブコールが来た所から物語、いや、事件は始まった。幼い頃より関わる者も皆に不幸(もしくは死)をもたらしてきたと言われる災厄の姫君。『祟られ姫』などと称される彼女の招待を、編集長命令によって半ば強引に受けされられた三下は、虚ろな瞳で部屋の面々を振り向いた。
「誰か…どなたか一緒に行ってくれませんかね…」
 か細い声に皆がそれぞれに反応した。すいと視線を逸らしたりにやにやと笑ったままバイバイ、と手を振ったのは勿論、編集部の面々だ。だが幸運な事に、この時部屋には数人の来客及び臨時アルバイトが居た。

「あの…俺でよければ、行きましょうか?」
 まず手を上げたのは、大和嗣史(やまと・しふみ)。この優しげな面差しの好青年だ。とあるバーの経営者で、散歩ついでに集金に訪れた所だったようだ。おずおずと手を上げた所を見ると、どうやら皆に見捨てられそうな三下を哀れに思ったらしい。性格も見た目通りで、三下にも無条件に親切にしてくれる、数少ない人材だ。当然ながら、学校帰りの海原みあお(うなばら・みあお)も、勢い良く手を上げた。銀色の髪と同じ色の瞳を、可哀想、と言うより興味津々と言った感じで輝かせている。
「みあおも行くよ?三下がお婿入りなんて見逃せないもん!!」
 すると、臨時バイトで校正をしていた村上涼(むらかみ・りょう)もなるほど、と手を上げる。こちらは学生で就職活動真っ只中だ。
「いいよ、行ったげる。三下さんと一緒なら安全だし」
 勿論、語尾には『私は』と言う一言を付け足して聞くべき涼の台詞に苦笑しつつ、水城司(みなしろ・つかさ)が仕方ないなと呟きながら手を上げた。彼の本業は『トラブル・コンサルタント』この中では唯一のプロフェッショナルだ。プロの参加に、三下が少し嬉しそうな声を上げる。そして、最後に悠然と現れたのが、セレスティ・カーニンガム。彼はゆったりと微笑むと、言った。
「良いでしょう。私も参りますよ。三下がそれ以上怪我でもしては、可哀想ですから」
 そう。セレスティの言う通り、三下の右足は既に包帯ぐるぐる巻きだ。初めての慈愛に満ちた発言に、うっと瞳を潤ませた三下だった。

「それにしても、三下さんがもてたなんてねえ。妙だわ」
 と言ってうーん、と首を傾げたのは涼だ。それもその通りだ。
「怪奇雑誌の編集者をわざわざ呼びつけるってのも、何か不自然だしな。何か企んでたりするんじゃないのか?」
 司の意見に、隣で考え込んでいた大和嗣史が頷いた。
「確かに、そう言う可能性も捨て切れませんね…。事故が全て単なる事故なのか、と言う点も含めて、調べておいた方が良さそうですね」
「ええ。全部が、とは思いませんが、仕組まれたものもあるかも知れません」
 セレスティが同意すると、みあおはぴっと手を上げた。
「はーいっ!じゃあみあお、碇にちょっと聞いてくるね!事故の資料とか、きっと持ってると思うよ?」
「あ、俺も。事故にあった人の中で、生きている人が居たら話を聞いてみたいので」
 と、嗣史。
「じゃあ私はDBを当たろうかな。ちょっと気になる事もあるし」
と、涼。仕事が入っていたセレスティと当日の段取りを打ち合わせた後、涼とみあお、そして嗣史、司は碇麗香のデスクに向かった。

「良いわよ。事故についてはこれを見て」
 話を聞いた麗香は一冊のファイルをみあおに渡し、涼にはノートパソコンを渡した。
「ふーん。ホント、事故ばっかりだなー、アリッサんち」
 資料をぱらぱらとめくりつつ、みあおが呟くと、横から覗き込んだ嗣史も頷いた。事故の記録は時系列で表になっており、事故原因、状況、死者や負傷者がきちんと書き込まれている。
「嗣史が知りたいのは、生きてる人の方だよね?うーん。…あ」
 彼女が目を止めたのは、7歳の時に家庭教師が転落した事件だった。ゲストルームから転落した家庭教師、藤家結花(当時22歳)は不幸にして亡くなったものの、この事故には続きとも言うべき一件があった。アリッサの部屋を掃除中に窓から転落したお手伝いが、足を骨折した事件だ。彼女は翌年、無事に退職している。
「これ…」
みあおが顔を上げると、嗣史がうん、と頷いて資料を抜き取った。
「新渡戸さやさん、18歳だったそうですから、今は28歳ですか。じゃ、俺はこれを…」
「いってらっしゃーい」
 暢気に手を振るみあおに同じく手を上げて答えつつ、嗣史が部屋を出て行き、みあおは再び資料に目を落とした。
「死んじゃったのは3才の時の乳母さん、おじいちゃんおばあちゃん、それから家庭教師さん。後は…行方不明…か。葛城昇って…?」
「婚約者。っ言っても勿論、親が決めた相手だけどね」
 答えたのは、DBにアクセスしていた涼だ。
「でも、こいつに限って言えば、行方不明になってくれて正解ね」
 涼がプリントアウトして見せたのは、葛城家のその後だ。葛城財閥は、この昇の祖父、葛城省吾郎が一代で築きあげた新興財閥だったのだが、数年前に没落して今は数個の子会社に名の一部を残すだけだった。涼の話によれば、婚約も父親同士の間で勝手に決められたものなのだと言う。当の葛城昇自身も、あまりまともな人物ではなかったらしく、彼の失踪で婚約が解消されたのは、アリッサにとっては有難かった事だろう。縁が切れて御の字と言う司の言葉に、みあおはふうむ、と考え込んだ。葛城昇の失踪は、あまり関係が無いと考えてよいのかも知れない。家庭教師の事故は、嗣史が聞いてきてくれるだろう。残るは…。
「あとは、気になるのはおじいちゃんとおばあちゃんの事故だけど…」
 と資料を見ながら言うと、司がああ、と頷いた。
「それについては、ちょっと問題があるみたいだな」
「二人にかけられた保険金の額、並みじゃないもの」
 涼の言葉に、みあおも資料を置いて彼女の手元を覗き込んだ。アリッサの祖父母、九条宗太郎とシズの保険金は二人合わせて3億を越えていた。受取人はアリッサの父、九条洋平。アリッサにも高額の保険金がかけられていた。涼と司が顔を見合わせ頷くのを横目に考え込んでいたみあおは、やがて資料のコピーを持って、編集部を出て行った。

「大きなお家」
 資料の住所を頼りに、みあおは九条邸を訪ねていた。入れてもらえなかったらどうしようか、とも思ったが、三下を連れて行く前に、一度アリッサに会っておきたいと思ったのだ。この話には、三下の幸せがかかっている。案の定、先に出たメイドらしき声は、お約束の無い方とは逢えないとつれなく言ったが、しばらく待っていると、屋敷のドアが開き、少女が走り出てきた。長い黒髪にほっそりとした体つきの美少女だ。こんな女性が本当に三下を見初めたのかと思うと、何となく誇らしくも思えた。息子をお婿に出す気持ちと言うのは、こういう感じかも知れない。
「あの…」
「アリッサ、だよね?」
 先方が名乗る前に言うと、少女はにっこりと笑って頷いた。
「海原みあお。三下の友達だよっ!」
 みあおが言うと、アリッサははい、と微笑んで、
「だからお会いしたくて」
「みあおはね、アリッサの事が知りたくて来たの。三下が幸せになれるかどうかの瀬戸際だもん!」
 幸せ、と言う言葉に少し寂しげな顔をしながら、アリッサはみあおを案内してくれた。
「私のお部屋に、参りましょう」
 あっさりと部屋にまで入れてくれたのは、みあおがまだ小さな子供だからだろう。アリッサの部屋は、みあおが予想したよりもずっとシンプルだった。机の上に、小さなアリッサの写った家族写真があった。
「これは祖父母ですの」
 アリッサが言った。
「とても可愛がってくれました。厳しい所もありましたが、私は二人が大好きでした」
「事故、だったんだよね」
「ええ。もう、ご存知なのでしょう?私を愛してくれる人は、皆遠くへ行ってしまう」
 哀しげなアリッサの痛みが、みあおの胸もしめつける。
「だから、心配なさっているんですよね?」
「それは…そうだけど。でも、三下は来るよ?アリッサに会いに」
「ええ。とても、嬉しいです」
「それに、三下なら大丈夫だと思う」
 首を傾げたアリッサに、みあおは確信の笑みを浮かべて見せた。面白い人ですね、とアリッサが笑う。一緒に笑いながら、悪い人ではないようだとみあおは思った。祟られ姫、などと言われているけれど、そんな暗さは見当たらない。事故の話をしたが、結局資料以上の話は出て来なかった。最後に一つ、気になっていた事を聞いた。
「アリッサ、お父さんとお母さんと一緒の写真は、無いの?」
 その時彼女が見せた哀しげな瞳を、みあおは忘れる事が出来ない。彼女が再び九条家を訪れたのはその翌日だった。

 執事が案内してくれた応接室は広かった。20畳はあるのではないだろうか。飾り棚の壷には薔薇が活けてあり、大きめのソファは3人がけどころか5人は座れそうで、その右端から三下、みあお、涼の順に座り、司と嗣史の男性コンビは彼らの両側に置かれた二人掛けに、セレスティだけは車椅子に掛けたままだった。右足の包帯も痛々しい三下は、ここへ来るまでに数個のかすり傷を負っていた。門を入ってすぐに蹴躓き、重厚なドアには挟まれ、壁に激突したお陰だ。どれも大した怪我ではないが、とどめに出された紅茶をひっくり返してソーサーとテーブルをびしょびしょにしてくれた。
「さすが」
 皆の気持ちを代弁した司が、ハンカチでさっと紅茶をふき取ってやる。すぐに代わりを、と言う年配の女中に、三下は力なく首を振った。
「僕はもう、何もしない方が良いみたいですから」
その時、ドアが開き、アリッサが入ってきた。彼女はみあおに一瞬笑みを向けた後、ソファの片隅で小さくなっている三下を見つけて、ぱっと表情を輝かせた。
「三下様っ、三下様ですのね?」
 どうやら三下を気に入っている、と言う話は嘘ではないらしい。はい、三下です、などと気の聞かない返事をしつつ、月間アトラスの最新号を差し出す三下を横目に、涼が首を傾げて呟いた。
「事実は小説より奇なり、って奴?」
「まあいいや、三下がこんなすごいお屋敷にもらってもらえるなら。幸せになってねっ」
 と、心からの祝福を送ったみあおに続き、皆が自己紹介をした後、アリッサが話し出した。
「今日は、碇さんからお話は聞いてます。皆さんは、この家・・・いえ、私にまつわる怪異を解いて下さると」
「まあ、そのつもりでは居るけど」
 と涼が言い、みあおも
「だって三下死んじゃったら可哀想だし?」
 と頷いた。先日アリッサと話せたのは収穫だったが、まだ見ておきたいものもあった。
「祟りってのは、色々とありましてね。現場を調べないとわからない事もあるんですよ」
 司が言い、皆の様子を見渡したセレスティが、にこやかに提案した。
「申し訳ないのですが、アリッサ嬢、私たちに少しお屋敷の中を調べさせていただけませんか?使用人の方々にお話を聞く事も、許していただければと思うのですが」
 アリッサ嬢は少し目を丸くした後、三下をちらりと見て、お願いしますわ、と微笑んだ。

「ほお、色々なモノがあるようですね」
 セレスティ・カーニンガムが微笑む。みあおも確かに、と頷いた。セレスティとみあおは、若い女中に案内されて、九条コレクションとも言うべきラッキーアイテムの陳列室に来ていた。そこは陳列室というよりは倉庫のような場所で、それこそ種々雑多な品々が無造作に並べられている。みあおはセレスティと女中を置いて、さっさと中に入った。アリッサの記憶が確かなら、多分、この中に目指す物があるはずなのだ。
「これ…かな」
 陳列棚の一番はしにちんまりと置かれた、小さな硝子の小瓶。他の仮面だの仏像だのと言う怪しげな品々とは少し違う、可愛らしい品だ。祖母が亡くなる前にくれたのだと、アリッサからは聞いていた。みあおはもしかするとそれが、契約の証かも知れないと考えたのだ。人外のモノと交わす、禁断の契約によって自らの大切な物と引き換えに、誰かの因果律に影響を与える。最初、みあおはアリッサの両親が、そういう契約を交わしたのではないかと思っていたが、哀しい事にアリッサの両親は彼女を愛しては居ない。
「帰国の予定が入ると、母の具合が悪くなったりするのも、本当は嘘なんです。皆私に気を使って、本当の事を教えてはくれませんでしたが」
 みあおが表情を曇らせると、アリッサはありがとう、と笑った。
「でも、いいんです。私は両親の分も、祖父母に愛して貰いましたから。二人はいつも言っていました。私の幸せだけを願っていると」
 彼女がそう言う以上、契約を交わした者があったとすれば、それは祖父母しか居ない。ならば契約の証が、この屋敷のどこかにある筈だ。そう思ったみあおは、祖父母の部屋を見せて貰ったが、結局見つからず、最後にアリッサが小瓶の事を思い出したがその日は時間切れで。結局今日まで持ち越したのだ。女中とセレスティの話を背に聞きながら、小瓶を手に取ったみあおは、ふうむ、とまた首を傾げた。
「違う、ね」
 小瓶には確かに、祖母の愛情が詰まっている。だが、それだけだ。祖母の深い愛情はきっとアリッサを守るだろうから、ここにある何よりも彼女にとっては幸運の品だとは思うけれど。そっと小瓶を元に戻そうとしたみあおは、片隅に妙な物体があるのを見つけて、声を上げた。干物のような物体は、妙な臭いも放っているような気がする。
「ねえ、これは?」
 とセレスティたちに手招きする。
「なんかの干物?豚さん?お猿さん?」
顔を向けたセレスティも首を傾げ、女中がいいえ、と首を振って答える。
「天使のミイラだそうです。アリッサ様が先日オークションで競り落とされたとか。一緒に出ていた人魚のミイラも欲しかったのに、と随分残念がっておられました」
「ほほう…人魚ねぇ…」
 セレスティが穏やかな笑顔で頷いた。
「それで正解ですよ。買ったら呪われますから」
 みあお、セレスティ、女中の三人は、こうして陳列室を後にした。中庭を横切って本館に戻る途中、応接室の窓に嗣史の姿が見えた。ぶんぶん、と手を振ってみせると、嗣史も笑顔で答えてくれる。どうやら何事も無かったらしい。

みあおとセレスティが戻った時には、既に涼、司、アリッサの三人も応接室に帰っていた。
「みあおちゃん、そっちはどうだった?」 
 涼に聞かれたみあおは、元気良く頷き、
「変なコレクションなら、別に問題無いみたいだよ?」
 と、答えた。セレスティもそのようです、と頷く。
「お屋敷の中にも、変なモノは居ない感じ。祟られ姫、なんて言うから、もっとすっごいモノが居るのかと思ったけど」
「ええ。問題は無さそうですね」
 嗣史が同意すると、みあおはぽん、とソファに腰を下ろした。
「それでは、これまでのは全部偶然だったと…?」
 アリッサの言葉に、皆、一瞬困ったように顔を見合わせた。互いの意見を確認するのに、少し時間を貰った。再びアリッサを交えて席に着き、まずは司が話し出した。
「これまでの事故については、…そう、半々と言うのが正解かな」
「半々?」
 アリッサが首を傾げる。
「人の意思によるものと、そうでないもの、と言う事ですよ」
 と、セレスティが補った。途端にアリッサの表情が曇ったのを、あえて無視して彼は話を続けた。
「まず、最初の乳母の事故死、あれは本当に事故だったのでしょう。とても不幸な事ではありましたが…。けれど、それを利用しようとした人間が居たんです。死者が一人ならば事故、でも続けばジンクスにもなる」
「利用って、まさか祖父達の…」
 信じられない、と言った顔で後退るアリッサの手を、みあおがきゅっと握った。答えたのは、司だ。
「その件については、当時の保険調査員も最後まで疑惑を持っていたようです。でも証拠が出てこなかったし、目撃者も居ない。疑惑の域を出ません。けれど」
「次の事件では、そうは行かなかったんです」
 後を引き取った嗣史が言った。
「次って…。まさか、結花さんの…」
「いえ。結花さんは事故です。…無関係ではありませんが。問題はその後の新渡戸さやさんの事故です。ただし、狙われたのは…」
 嗣史の視線が、アリッサに向けられる。彼女の瞳が見開かれ、みあおが握っていた手に力を込めた。
「そう。貴女ですよ、アリッサ嬢。さやさんが落ちたバルコニーの手すりは、錆びていたのではなく、予め切れ目が入っていたんです。さやさんははっきりと覚えていました。ただ、怖くて結局、言い出せなかったのだそうです」
 涼が後を引き取り、続けた。
「そして彼女は以後1度も出勤しないまま翌月には退職。勿論、警察がちゃんと入れば、バルコニーの手すりの細工なんてすぐに見抜かれたでしょう。でも、そうはならなかった。元々ここは錆びていたから、と証言した人が居たからよ。その人はさやさんにも多額の賠償金を支払い、そのまま退職を促したようね」
 涼の視線を皆が辿る。僅かに開いていたドアを開けたのは、先刻、紅茶を持ってきた女中だった。
「そうですね、信楽蔦子さん」
 嗣史が言うと、彼女は強張った表情で目を伏せた。
「私達は最初、貴女が洋平氏の命を受けて、彼女の命を狙っていたのかと考えたの」
 涼の言葉に、蔦子がぴくりと頬を動かす。
「けれど、途中でそれは妙だと気付いたわ。バルコニーの一件は、多分そうだけど、その他は違う。来客の体調不良、外出先でのちょっとした事故。どれも彼女の行動を制限する結果にはなっても、命を脅かす程の事ではなかった」
 それでも答えない蔦子に、嗣史が言った。
「蔦子さん。貴女はもしかして、彼女を守ろうとしたのではありませんか?」
 皆の視線が蔦子に注がれる。彼女の沈黙の意味が、みあおには痛い程分かった。保険金、娘を嫌っているらしい両親。先日のアリッサの表情が、脳裏を過ぎる。黙り込んだままの蔦子に、アリッサの手を握り締めたまま、みあおは言った。
「あのね、おばさん。アリッサ本当は知ってるんだよ。お父さん達が帰ってこられないのは、祟りのせいなんかじゃないって。病気になったって言うのは嘘だったって。病気になったって言うから、心配してドイツの病院にも電話したんだって。だから…」
 みあおの表情は悲しみに歪んでいる。信楽蔦子は信じられない、と言うようにアリッサを見た。
「もう良いんだよ」
 途端に、信楽蔦子はわっと声を上げて泣き崩れた。皆が一様にほっと息を吐く中、三下だけがきょとんと周囲を見回していた。

 女中頭の信楽蔦子は、翌日、九条家を去った。アリッサはひきとめたが、彼女は聞かなかったのだそうだ。元凶はアリッサの父、洋平のつまらぬ嫉妬だった。事業の才を全く受け継がなかった息子を早々に見捨てた父への恨み、まだ幼いが既に才能の片鱗を覗かせていたアリッサへの羨望。自分の受けるべきものが全て娘に注がれた事に、我慢がならなかったのだろう。乳母が死んだ時、お前さえ居なければ、と繰り返し責められた記憶は、その後の彼女に大きな影響を及ぼした。海外に出かけた両親の帰国が延期になったのは、最初は無論偶然だったが、アリッサはそうは思わなかった。婚約者の家が没落したのも自然の成り行きだったが、彼女はそうは思わなかった。一方、父はそんな彼女に多額の保険金をかけ、命を狙うようになっていた。
「不運と悪意と、思い込み、か。祟りの正体って、何だか哀しいもんだったわね」
 涼が言った。週明け、編集部に報告に訪れた5人は、再び応接室でテーブルを囲んでいた。先代夫婦の事故については、蔦子は最後まで違うと言い通した。それで良かったと嗣史も思う。
「事件として成立するものも、無かったな。藤家結花の場合も未遂で、本人は死んでる訳だし」
 と、司。バルコニーの手すりに薬を使って切れ目を入れた犯人は家庭教師の藤家結花だった。結花に誘われて、アリッサはよく、夜中にバルコニーで話をしたのだそうだ。彼女の部屋は、結花の宿泊するゲストルームのすぐ上だった。いつも、結花が下から紙縒りを投げて合図し、上下のバルコニーでそれぞれ星を見ながら話をしたのだとアリッサは言っていた。だが、藤家結花が転落した夜、彼女は熱を出していつもより深く眠っていたのだ。それを知らない結花は苛立ち、いつもより身を乗り出したのだろうと言うのが、皆で出した結論だった。結花はアリッサの母の遠縁で、高学歴は事実だがあまり評判の良い娘ではなかった。ブランド好きで、カードの借金が山のようにあったと言う。検死の結果、彼女の体内からアルコールが検出された事については、罪の意識からか、単なる習慣だったのか議論の分かれる所だったが、真実は闇の中だ。バルコニーの細工に気付いた蔦子は、同時に洋平の企みにも気付いた。彼女は洋平を諌めたが聞いては貰えず、洋平は引き続き娘の命を狙った。自分はヨーロッパに滞在したまま、あらゆる手段で娘を殺そうとしたのだ。蔦子はその都度、それとなく事前に警告し、アリッサを守った。
「嫌よねぇ、粘着質の男って」
 涼がうんざりしたように言うと、セレスティも苦笑して頷いた。
「まあ、粘着質、と言うのは事業家の資質としては悪くないんですけどね」
 アリッサが外部の人間との接触を避けるようになってから、洋平は方針を変えた。今度は屋敷に、自分の息のかかった人間を送り込む事にしたのだ。以前の藤家結花のように。だが、これもすぐに気付いた蔦子が片端から防いだ。彼女が使用人達に厳しかったと言うのはその為だ。来客に関しても同じで、三下がひっくり返した紅茶には、実は下剤が仕込まれていたらしい。
「アリッサ嬢に、全部話してしまえば楽だっただろうに」
 司がぽつりと呟く。
「そうしたら、アリッサが悲しむもの。…でも、良かった」
 と言ったみあおに、皆の視線が向けられる。
「だって。親はちょっと困った人たちだけど、アリッサはちゃんと、愛されてたんだから。だからきっと、これから幸せになれる」
 幸せ。みあおの言葉が、ふと皆の記憶を呼び起こした。そういえば。
「そうね。三下さんもきっと…」
 思い出したように涼が呟く。
「いや、それはどうかな」
 司が目を逸らす。
「うーん」
 嗣史も微妙な表情だ。
「だと良いのですが…」
 セレスティも困り顔だ。
「…みあお、信じてる」
 と、みあお。アリッサが三下に恋心を抱いていたのは、事実だった。が、問題はそのきっかけだ。どうして彼を、と聞いた涼に、アリッサが頬を染めつつ語った所によると…
「先週のことですわ。うちの飼い猫のクロが、車にはねられそうになりましたの。そこに三下様が…。クロをかばって、お怪我をなさいましたの。お陰であの子は傷一つ無く、お礼を、と思いまして、救急車の搬送先をお聞きしたのですけれど。既にお帰りになったと…。きっとお優しくて控えめな方なのだと。落として行かれた封筒から、会社を突き止めましたのよ。どうしてもお会いして、お礼をして、それから…」
 だそうなのだが。これは事実とはかなりかけ離れていた。三下によれば、クロは道を横断しようとした彼の前にひらりと現れ、威嚇したのだ。普段ならばそこで引いてしまうのが三下だったが、何故かその時に限って、負けるもんかと思ったのだと言う。彼は駆け出し、戦おうとした所に、運悪く車が突っ込んできたのだ。三下に驚いてひらりと飛びのいた猫は無事。三下は跳ねられ全治2ヶ月。猫の飼い主がお礼をしたいと来ている、と聞いた三下は、全て見られていたと思い込み、居ないと言ってくれと看護婦に懇願した。騙し通す事が出来れば『逆玉』も夢ではない。が。
「無理、かなあ…」
 みあおの言葉に、皆、激しく頷いたのは言うまでもない。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【4971 / 大和 嗣史(やまと・しふみ) / 男性 / 25歳 / 飲食店オーナー】
【0381 / 村上 涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22歳 / 大学四年】
【1415 / 海原 みあお(うなばら・みあお) / 女性 / 13歳 / 小学生】
【0922 / 水城 司(みなしろ・つかさ) / 男性 / 23歳 / トラブル・コンサルタント】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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海原みあお様
ライターのむささびです。初参加、ありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか?みあお嬢とアリッサの会話は別に書きたいと思った事もあり、彼女には事前に九条家を訪れて貰いました。残念ながら、みあお嬢の予想とは違った展開になりましたが、彼女の進言により青い小瓶は、陳列室から出され、アリッサの自室に飾られる事になったようです。それでは、みあお嬢の幸せとあわせて、またお会い出来る日を願って。
むささび