コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


コトリと私とささやかな日常


 冷蔵庫の向こう側には不思議の世界が広がっている。
 2度3度とそこを訪れ、今ではすっかり顔なじみも出来てしまった、クマの森の住人達。
 彼らはいつでも最上級のもてなしをしてくれ、そして、時に不思議なお土産を自分たちにくれるのだ――


 シュライン・エマは机に頬杖をつき、指先でこつんこつんと万年筆を転がしながら、部屋の天井付近を見上げた。
 行きつけのカフェで孵った卵の中には、紅葉色のコトリがいて、その子は今、オルゴールのような音色を奏でて優雅に頭上を飛び回っている。
「この子、どうしようかしら」
 以前クマの森からもらった卵からは、夕日色のコクマが生まれた。
 コクマは今、草間興信所でマスコットのフリをしながら、日々花を量産している。
 でも、コトリはまだシュラインの部屋にいる。
 翻訳家のはずの自分は、ほぼ毎日出歩いている。原稿を書いていなければ興信所で事務をし、どちらでもない時は調査に出かけるのだ。そうなると数日は帰ってこられないときもある。
 この部屋で過ごせる時間を考えると、コトリはどこに居るのがいいのかと悩んでしまう。
 四方は棚で囲まれ、そこには資料と称した辞書や研究書、論文、小説などなどがみっしりと詰まっている。
 コトリはそれらがいたく気に入った様子で、興味深そうに本の角に止まっては、色とりどりの背表紙の文字を瞳に映す。
 そうしてまるで文字を読み上げるように、クルル……と変わった音を奏でてみせた。
 試しに出かける時に辞書を開いていくと、いつのまにか何ページもめくられている。そしてやはり鳴き方が少しだけ変化している。
 そうかと思えば、ダイニングキッチンを占領する人間大の真っ青なモンスターのぬいぐるみの頭に止まって、小さく蹲って眠っていたりもした。
 このぬいぐるみは、この部屋で唯一の女性らしい可愛らしさを演出してくれている。
 しかも、それがここにいる理由まで、ある意味とても『女性』らしい。
 防犯用にどうだ。ひとり暮らしってのも物騒だろ?
 そんな台詞と共に、草間武彦がどこからともなく担いできたのだ。
 ちょっとだけ、その好意と真意を測りかねたのは、彼自身がふわんと酒気を帯びていたせいかも知れない。
 やけに上機嫌だったのも気にはなった。
 だがまあ、色々な背景はありつつも、それがコトリのお気に入りの場所になったのなら、この子はここに置いた方がいいのかもしれない。
「ん〜……」
 それに、コクマに比べるとこの子はひとりでいることも平気らしいし、こちらも安心できる。
「よし。アナタの寝る所、見に行きましょっか?」
 いつのまにか目の前に舞い降りて自分を見上げているコトリに、そっと話しかける。
 キュルル……と鳴いて、コトリは小さな頭をシュラインの指先に寄せてきた。
 ほわんと優しい温度が伝わる。
 心地よい存在感。
 少しの間、コトリと机の上で触れ合って、それから決意を固めて立ち上がる。
 最近の興信所は何故か依頼人も絶えず、財政難が少しずつ緩和されると共に忙しさも比例していた。
 働く身としては嬉しいことなのだが、休みを申請したとして、果たしていつ頃取れるのだろう。
 そんなことを考えつつ、一応は電話に手を伸ばす。
 そういえば、まるきりの休暇というのはもしかすると久しぶりかもしれない。


 翌日。
 オルゴールの音色が余韻を残す部屋から、シュラインはコトリを小さなインテリア用の鳥籠に入れて外出。
 移動するにしてもこれでは少々窮屈だと思うのだが、どうせならコトリと一緒にベッドを選びたかった。
 そのまま肩に乗せて歩くには、不安だったのも事実だ。
 街に出て、シュラインは自分の判断が正しかったことを知る。
 イベントもこれといってない平日の昼間でも、やはり中心地は人で溢れ、めまぐるしい。気を抜けば、あっという間にコトリと自分は離れ離れになってしまうだろう。
 コンクリートで固められた街中で、人込みを掻き分けつつ、華奢な鳥籠を抱きかかえてペットショップを目指す。
 だが、なんとか辿り着いたそこには、残念ながら一般的な鳥籠しか置いていなかった。
 犬や猫のペット用品なら、目を見張るほど多彩に取り揃えているのだが、いざ鳥籠を買おうとすると意外に見つからないことに気付かされる。
 どうしようかと悩むシュラインの耳元で、コロロンとコトリが鳴く。
「ん、そうね……もうちょっと違う感じの方があうかも」
 出来れば四角いカタチよりは円形の方がコトリには似合っていると思うし、針金を折り曲げただけの味気ないものでは淋しすぎるような気もする。
 結局3時間以上を費やして、何故かシュラインはペットショップ関係ではなく、たまたま立ち寄ったアンティークショップでようやくイメージ通りの鳥籠を手に入れた。
 スタンドに蔦の絡まる繊細なデザインは、シンプルだけどとても上品なフォルムだ。籠の周囲に施された花のレリーフも真鍮の質感とよくあっている。
 大きさも申し分ないし、何よりコトリがこれをいたく気に入ったらしい。
 白にも惹かれたけれど、結局は紅葉色が映えるブラウンを選び、配送しようかと言ってくれた店員に首を横に振って、シュラインは、イミテーションの小さな鳥籠と、コトリがチョコンと入っている新しい鳥籠のふたつを抱えて店を出た。
 とても足取りが軽い。
 心が弾んでいる。
 いい買い物が出来たと、コトリと一緒に嬉しくなっている自分がいた。
「あ」
 唐突に妙案が浮かぶ。
 うん、いいかもしれない。
 くすくすと嬉しそうに笑みをこぼしながら、自室ではなく第二の帰宅先である草間興信所へ進路変更する。
 見慣れた扉を軽く叩いて押し開けた。
 いち早く気付いたのは、棚で置物のフリをしていた夕日クマだ。
 きゅーきゅーと鳴きながら、トコトコと、小さな花を撒きながらシュラインの足元まで駆け寄ってくる。
 抱っこを要求するコクマを片手で掬い上げると、転寝から目を覚ましたらしい武彦と眼が合った。
「お、どうした? 今日は休むんじゃなかったのか?」
 武彦は不思議そうな顔で自分を見上げた。
「ん、そのつもりだったんだけど、いいコト思いついたから」
「それ、鳥籠か?」
「ええ。あ、武彦さん、ドライバー貸して貰っていいかしら?」
「何に使うんだ?」
「ん?ちょっと」
 珍しくきれいに片付いている応接セットのテーブルに鳥籠を置いて、武彦から借りたドライバーを手に、作業へ取り掛かる。
 コトリも武彦もコクマも、興味深そうに彼女の手元をじっと見つめていた。
 その視線が妙にくすぐったい。
 程なく、カシャンと小さな音を立てて、鳥籠の扉が取り外された。
「何で外すんだ?」
 武彦の質問に、コトリとコクマの鳴き声も重なる。
「必要ないから、かしら?自由に出入りできた方がいいと思って、ね?」
 それから、ペットショップで購入した止まり木をセッティングして、コトリの寝室が完成だ。
「入ってみる?」
 きゅるんと鳴いて、コトリは嬉しそうに新しい寝室へ。
 コクマがその後を追いかけて、狭い入り口からぎゅむっとお邪魔する。
 ちょっとだけおなかがつかえてジタバタしていたが、辛うじて進入成功。
 コトリとコクマは真鍮の鳥籠の中で、仲良く話し始める。
「移動する時だけは扉を付けさせてね?」
 紅葉色のコトリを覗き込むと、きゅるんと頷きが返ってきた。
「ある意味すごいメルヘンな光景だな……」
 ぼそりと呟いた武彦の隣で、シュラインはいそいそと鞄からデジカメを取りだし、可愛らしい交流を始めた小鳥たちを撮影。
「武彦さんも、入って」
「い、いや、俺は」
「近況報告会といきましょ?」
 更に数枚分シャッターを切って。
 プリントアウトを武彦に任せて、今度は手紙をしたためる。
 今回の卵から孵ったのは、紅葉色のコトリだったこと。
 その子は自分の部屋にいてもらうと決めたこと。
 モンスターのぬいぐるみがお気に入りで、辞書などを読むのが楽しそうだということ。
 それから、最近の出来事をいくつか。
 北海道旅行でクマ達とくまー牧場で盛大に騒いでから後の日々をあれこれ。
 便箋5枚という、なかなかの大作を仕上げると、
「シュライン、プリント終わったが、どうするんだ?」
 タイミングよく、武彦が写真の束を抱えてやってきた。
「あ、有難う、武彦さん。こっちにもらうわ」
 彼から写真を受け取って、タンポポのイラストが可愛らしい封筒に手紙と一緒に入れて、ちゃんと封をして。
「よし」
 コツコツと鳥籠を叩いて、夕日色のコクマを呼ぶ。
「郵便、お願いしてもいいかしら?」
 こくんと頷いて、またちょっとだけ苦労しながら鳥籠から這い出ると、コクマは自分と同じくらいの封筒をきゅっと持ち上げて、とっとこ給湯室を目指した。
「待って。ドア、開けてあげるわ」
 そんな一生懸命なコクマを封筒ごと抱き上げて、冷蔵庫の前まで運んで、コクマと一緒にドアを開く。
 頂き物や弁当の残りなどといった食材がみっしり詰まっているはずのそこには、不思議な世界が顔を覗かせていた。
「じゃあ、お願いね?」
「きゅ」
 勇ましく敬礼して、不思議の世界に繋がる冷蔵庫の向こう側へ消えるコクマを見送ると、シュラインは、背後で事の成り行きをじぃっと眺めていた武彦とコトリを振り返った。
「次は、あの子が帰ってくる前におやつの準備かしら?」
 コトリとコクマと武彦と一緒に、ささやかな、けれど幸せな午後のひとときが、ゆっくりゆったり過ぎていく。



END