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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ひじきの煮付けとプロメテウス

「ほら、最近、金縛りが続いているっていったでしょ。それがもう、あれを枕元に置いてからぴたりとやんで!」
「あらそうなの。効果てきめんねえ」
 おだやかな午後である。
 やわらかい春の陽射しが窓から差し込んできていては、仕事が手に付かなくなるのもわかるというものだ。
「おっ、にぎやかだね」
 魏幇禍が、ダンボールを両手で抱え、黒澤人材派遣のドアを肩で押し開けたとき、事務の女子社員たちは仕事そっちのけで、おしゃべりに花を咲かせているところだった。
「あー、幇禍さん、いらっしゃい」
「邪魔するよ。シャチョウはいる?」
「お部屋ですよ。……あ、幇禍さん。身近に霊に憑かれて悩んでる方とかいらっしゃいません?」
「……? さあな。俺、霊感とかないほうだし」
 顔なじみらしい女子社員の問いに、首を傾げる幇禍。
「もしそういう方がいらっしゃったら、社長のあれを分けてもらうといいですよ。もうすごくよく効くんですから」
 中国系の美青年は、片方を眼帯で隠した金の瞳を、しばたかせた。

「幇禍じゃないの。いいところへ来たわね」
 社長室へ入った幇禍が見たものは、エプロンをひるがえした黒澤早百合であった。胸元にはひよこのイラストに、「I Love Cookin'」の文字。
「……シャチョウ、そりゃまた何のコスプレで」
「まあ、お坐りなさいな」
 零細とはいえ、かりにも一企業の、彼女は社長である。社長室には皮張りの応接セットがあったが、早百合は幇禍をそこへ促す。
「あ、あの、これ、頼まれてた圧力鍋」
「あらあら、ますますグッドタイミングね」
 幇禍が通販で買ったはいいが使わずに余っているというのを聞いて、早百合がそれを譲り受けることにしたのだった。発狂運輸とロゴの入ったダンボール箱を受取りながら、なにやら妙に上機嫌の早百合は、
「ほら、私って、お料理が得意でしょ」
「そうでしたっけ!?」
「そうなのよ。昔はあんまり興味なかったのだけどね。最近、隠れた才能が開花したみたいで。肉じゃがなんて、会社の女の子たちにも評判なのよ。私にも分けてくれって、みんなうるさいの」
「あ……」
(ほら、最近、金縛りが続いているっていったでしょ。それがもう、あれを枕元に置いてからぴたりとやんで!)
(身近に霊に憑かれて悩んでる方とかいらっしゃいません?)
(もしそういう方がいらっしゃったら、社長のあれを分けてもらうといいですよ。もうすごくよく効くんですから)
 それはなにか違う用途で役に立っているのでは、という疑念を呑み込んで、なんとなくあやしい雲行きに幇禍は視線を泳がせた。
「はっきり言って、肉じゃがはもはや極めたと言っても過言ではないわね。男性が女性に『このヒト家庭的でいいな』と思う献立ナンバーワンの肉じゃがをばっちりキメてみせれば、これで彼のハートもイチコロよ。ふふふ」
 得意げに、早百合は笑った。
「……ってゆうか、それも違う意味でイチコロなんじゃ――」
 女社長の表情がすうっと冷えてゆくのを見て、失言に気がついたときにはもう遅かった。そもそも彼のハートも、って「彼」って一体……、などといった諸々な疑問の答も、もはや十万億土の彼方であった。
「あ、いや、なんていうか、その」
 幇禍がいいわけを探し出すよりも先に、早百合の指はどこからともなく取り出したリモコンのスイッチを押していた。
「はうッ」
 がしゃん、と音を立てて、幇禍の坐るソファーから飛び出した手枷・足枷・拘束ベルトが彼の身体を戒める。そして、ウィィィムと音を立てて社長室の壁の一部がスライドし、そこからあらわれたのは――立派なシステムキッチンに他ならなかった。
「な、なんデスカー! コレわ!?」
「さゆりのクッキング・スペースによ・う・こ・そ」
「……ッ!」
「ちょっと改造してみたの。ほら、私って、仕事も忙しいから不規則になるじゃない? お料理しようにも家に帰れるのがいつになるかもわからないし、ここなら、仕事の合間にちょっと思いついたレシピを試してみたりできるでしょ?」
 その結果、例の除霊肉じゃがも誕生したというのか。さながらそれは悪魔の実験室だった。
「圧力鍋もさっそく使わせていただくわ。つきましては、そのお礼にわたしの新レパートリィを試食する権利をあげる」
「畏れ多過ぎますので超謹んでご辞退申し上げたてまつりマッスル!!」
 唯一自由になる部位である首を、ちぎれんばかりに横に振る幇禍であったが、早百合は意に介した様子はない。
「新メニューは家庭の味シリーズ第2弾『ひじきの煮付け』。期待するがいいわ、おほほほ」
 そう言って、システムキッチン(『さゆりのクッキング・スペース』とやら)に備え付けの冷蔵庫から彼女が取り出したものは……。
「ちょっとまて、それ、すでにひじきじゃな――」
「今までの数々のささやかな失敗作は素材の吟味を怠ったからだっていう料理の基本を忘れていたのよ、私としたことが。なので、闇社会のネットワークを駆使して大平洋ポナペ沖の深海から採取されたひじき似の未知の海草を入手しますた」
「ひじき似ってひじきじゃないってことだし! なんか蠢いてるんですけど!!」
「これを適当にブツ切りし、圧力鍋に」
 形容しがたい悲鳴のような声が(ひじきから)あがった。
「だしと、目分量で調味料を加え」
 ガタガタと鍋が揺れるのもかまわず、
「煮る」
 彼女はそれを火にかけた。
 そして――。
「はぁーい、召し上がれ。って、手をつかえないんじゃ食べられないわね、ふふふふふふ」
「……!!」
 鍋から小鉢へとよそわれたものは、ひじきの煮付けどころか、およそ、この世のものではなかった。
「ちょっと待って、そんなもの――」
 食べられるはずがない。さっきの失言は謝るから、と言いかけた幇禍が見たのは、早百合の、期待に充ちた瞳の輝きであった。その言動や、表向きは人材派遣会社の社長、裏では暗殺組織の首領という立場を抜きにしてみれば、年齢こそ崖っぷちとはいえ、充分に美しい黒澤早百合である。
「…………」
 あやしいひじきの謎料理を食べさせられようとしているのが、おしおきであろうと思っていた幇禍だったが、そのとき、彼は、なまじ暗殺組織の首領に折檻されるという状況以上におそろしいことに気づいたのである。

(か……、彼女はマジだ……!!)

 それは悪意があるよりはるかに質が悪い。
「た……っ、たーすーけーてーくーだーさーいーーーーーーー!!」
 抵抗を試みる幇禍の口に容赦なくひじき(?)の煮つけがおしこまれる。
「どぅお?」
 早百合は小首を傾げて訊ねたが、あわれなり、幇禍はすでに――、
 事切れていた。


 深淵だ。
 幇禍は宇宙の果ての、無限の深淵を見た。
 その彼方で、永劫に目的もなく踊り続けるものども。
 単調なフルートの調べ。
 そして……、
 ひじき。


「イ……イア……」
「やっと甦ったわね。遅いわよ!」
 いかなる因果でか、魏幇禍は死ぬことがない。殺し屋という稼業柄、怨みを買って蜂の巣にされたり、東京湾に沈められたりしたときも、そのつど甦ってきた不死の男なのである。
 それが必ずしも幸福ではないことは、幇禍自身よくわかっている。だが今回はまた、ちょっと違った意味で、死ぬことのかなわぬ不遇を、彼は思い知ることになった。
 意識が外宇宙より戻ってきた幇禍の目の前には……、ふたたび、ひじきの煮付けがあったのである。
「ちょっと味付けが刺激的すぎたみたいだから、改良してみたの。さあ、今度はどうかしら……?」
「ちょ、ちょっと待ってください、シャチョ――」
 ……撃沈。

「今度こそ完璧よ! ひじきの煮付け・三式!」

「根本的に味付けを変えてみたわ。ひじきの煮付け・レボリューション!」

「煮る方法にも一工夫、完成も近いわね。ひじきの煮付け・完結編!」

「まだまだいくわよ、ひじきの煮付け・新世紀!」


 ギリシア神話にいわく、神より火を盗んだ巨人族のプロメテウスは、神々の罰を受け、岩山に戒められたという。猛禽がプロメテウスを身体をついばむが、不死身のプロメテウスの傷はすぐに癒え、死ぬこともかなわぬまま、永遠にその刑罰を受け続ける身となったのだ。
 幇禍が我が身の境遇をプロメテウスに重ねたかどうかはさだかではない。
 だが、その日……、社長室から定期的に響き渡る悲鳴を耳にした、黒澤人材派遣の――いや、暗殺組織・黒百合会の女たちは、
「首領……、きっと不死身の幇禍さんを相手に新しい殺人技の研究をしているのだわ!」
「なんて研究熱心な! このあいだの肉じゃがといい、最近、仕事に前向きだわ」
「きっと身の程知らずな結婚願望はもう捨てて仕事に生きる女に方向転換したのよ」
「わたし、感動したわ! とっとと寿退社を考えていたけど、首領の姿を見ていたら……」
「わたしも!」
「私も!」
 口々に、首領への尊敬を表明する。
 そんな美しい誤解を誘ったのだとしたら、幇禍の地獄の体験も、すこしは報われることがあったというべきだろうか。

「これならどうかしら? ひじきの煮付け・version X Tiger!」
「も、もう勘弁……」

(了)