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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


廻廊


 ゆらりゆらりと圧し掛かり、ぐるぐると回り巡る。果て無き渇望のように。


 石和・夏菜(いさわ かな)はにっこりと笑った。
「早く帰らないかな、お兄ちゃん」
 夏菜がそう言うと、両親は顔を見合してくすりと笑った。
「心配しなくても、すぐに帰ってくるさ」
「そうよ。何といっても、優勝祝いだものね」
 両親の言葉に、夏菜は誇らしげに微笑んだ。優勝、という言葉は未だに信じられない気持ちと、嬉しさで溢れていた。
「なんだか照れちゃうの」
 夏菜はそう言い、ほんのりと頬を赤らめた。そんな夏菜の頭を、両親はこぞって優しく撫でた。そうされ、また夏菜は「えへへ」と言いながら嬉しそうに笑った。
「他の体操選手も素敵だったけど、やっぱり一番ではなかったもの」
 にこにこと笑いながら、母親が嬉しそうにそう言った。
「そうそう。夏菜よりも上手い人なんて、いなかったしな」
 誇らしそうに微笑みながら、父親はそう言って夏菜の頭をまた撫でた。
「言い過ぎなの」
 夏菜は両親を宥めつつも、そう言ってくれる両親が嬉しくてたまらなかった。自分の快挙を、心から喜んでくれる両親。今必死になって帰っているだろう兄、水城・司(みなしろ つかさ)も同じように喜んでくれるだろう。
 夕食は夏菜の国体優勝祝いで、外食をする事になっていた。それで、外出していた司の帰りを皆で待っているのだ。この一時が長くも短くも感じられる。
「私、幸せなの」
 夏菜はぽつりと呟き、そっと笑った。大好きな両親はいるし、大好きな兄は一生懸命になって帰宅してくれているし、大好きな体操で優勝する事が出来た。幸せといわずして、何と言おう。
「本当に、幸せなのよ……」
「あら、何?」
 夏菜の呟きが聞こえたらしく、母親が夏菜に尋ねてきた。
「え?……あのね」
 ほんの少し照れたように顔を赤らめ、夏菜は小さく「こほん」と咳をしてから口を開きかけた。
 その瞬間だった。
 突如、ガシャン!という硝子の割れる音がリビング中に響き渡った。
「な、何……?」
 夏菜は目を大きく見開きながら、割れた硝子の方を見た。すると、硝子の割れた場所に黒い獣が唸り声を上げながら、攻撃態勢のまま睨んでいた。母親は夏菜をぎゅっと抱き締め、父親は二人の前に両手を広げて立ちはだかった。
 夏菜たちを守ろうとするかのように。
 ぐるるる、と唸り声を上げている狼のような獣の後ろから、今度は女が姿をあらわした。女は獣の頭をそっと撫で、夏菜たちを一瞥した。
 夏菜は直感する。目の前にいる獣は、魔獣なのだと。そして冷たい目をした女が、その魔獣を操っている魔獣使いなのだと。
 女は小さく息を吐くと、ひらりと手を夏菜たちのほうに向かって一閃した。ただ、それだけだった。
 それを合図に、魔獣が夏菜たちに飛び掛ってきたのだ。両親はそれを見て、庇いあいながら逃げようとした。魔獣と戦う術など、持っていなかったから。
 父親は母親と夏菜を守るように立ちはだかったまま、少しずつ自らも逃げるように後ずさった。
 母親はそんな父親に片手を伸ばし、もう片方の手で夏菜を抱き締め、逃げるようにゆっくりと後ろへと下がっていった。
 夏菜はただただ恐怖に怯え、震えていた。大きな目は、じっとその光景から離すことは無く。
 三人は申し合わせたように背を向け、逃げ出した。生き延びる為の手段は、それしかなかったのだ。
 だが、魔獣は吠えた。
 父親も母親も、魔獣の爪に倒れ、押し倒された。辛うじて夏菜だけが、母親が背中を押した為、圧しかかった魔獣の巨体から逃れる事が出来た。
「お父さん、お母さん!」
 夏菜は叫び、二人の元に駆け寄ろうとした。
「駄目だ、逃げなさい!」
 赤く染まった父親が、ごぼ、と血を吐きながら叫ぶ。
「いや……」
「司にも、逃げろと伝えなさい」
 赤く染まった母親が、口の端から血を流しながら微笑む。
「……いやなの……!」
 夏菜は大きく首を振った。両親を見捨てられる筈など、どうしてできようか。
 どちらにしても、逃げ場などないというのに。
 魔獣が再び吠え、夏菜めがけて飛び掛ってきた。夏菜は咄嗟に身を守ろうと体を縮ませた。そこに、魔獣の爪が大きく降りかかってくる。
「……あああ……あああああ!」
 背中が熱かった。ぎりぎりとした痛みが襲い掛かり、夏菜の全身を痛みが突き抜けていった。痛み、というただその言葉だけで表現し様も無い、走り回るような熱。
 夏菜は言葉にはならぬ叫び声を、痛みを振りほどくかのようにあげるのであった。


「……はっ……!」
 がば、と飛び起きた体は、全身が汗ばんでいた。
(夢……なの……?)
 ふらふらとする頭で、夏菜は必死に記憶を辿る。
(夏菜は、今、ベッドにいるの……)
 自分は今、このベッドで眠っていたのだ。
(なら、夢……?でも、でも……)
 いまいち確証のもてぬ頭に、夏菜は苛立ちを覚えながら奥歯を噛み締めた。本当に夢だったのか、それとも現実なのか、それすらもわからなくなってきた。
 本当に、夢なのかどうか。
「……ぐっ……」
 夏菜は手で口元を押さえた。喉の奥に、吐き気が込み上がってきたのだ。そしてそれは涙を誘い、夏菜を苛めた。
 吐き気も、涙も、夏菜は体を折り曲げる事によって耐えた。否、無理に押さえ込んだ。
 背中がじりじりと痛みを帯びているかのようだった。それがまた辛く、哀しく、どうしようもなくて、また夏菜はぐっと堪えた。


「……夏菜……」
 ドアの向こうに、司は立っていた。夏菜の唸り声で、目を覚ましたのだ。
(思い出したのか……?)
 司はぎゅっと拳を握り締めた。夏菜が記憶を辿ったと思った途端、自分も記憶が溢れ出してきたのだ。
(忘れられる筈もない)
 司は考え、奥歯を噛み締めた。
 あの日、帰宅した司が見たのは既に動かなくなった両親と、背中に大きな傷を抱えて倒れている夏菜の姿だった。全身の血が沸騰するかのような感覚を得た後は、あまり詳細には覚えていない。ただ、魔獣使いと黒い魔獣を追い払ったという事だけは、確かなのだが。
 ようやく追い払った後、かけよって夏菜を抱き起こした司に、夏菜は何度も司に言ってきたのだ。
 お兄ちゃん逃げて、と。
 思考が混沌としているだろう夏菜が、何度も何度も繰り返すのを聞いているうちに、司は自然と詫び続けた。何度も、何度も繰り返し。
 司は、それを隠す事にした。どうせ、警察では裁けない。両親の死を土足で踏み荒らされたくも無い。妹にそれも見せたくない……。
 それらの理由から、司はありとあらゆるコネを使い、事件を隠匿したのである。
(それで、良かったんだろうか)
 司は時折、考え込んでしまう。ふう、と大きく溜息をつきながら。
(夏菜は、自分の事を『夏菜』と呼ぶようになった……)
 今は、昔のような明るい笑顔を見せる夏菜。だがしかし、夏菜は自分の事を、自分の名で呼ぶようになってしまった。
(俺のせいかもしれない)
 司は眉間に皺を寄せた。夏菜がそう自分を呼び始めたのは、仇討ちを決意してからだ。そして今となっては、仇討ちの事を口にする時だけ、追い詰められた顔で言うのだ。
 昔のように「私」と。
 それは、自分が事件を隠匿したせいではないか、と司は考えていた。そしてその考えは、ふとした拍子にこうして司の頭から離れなくなるのだ。
 昔とは違う、と夏菜は思っているのだろうか。その事が正しくもあるが、悲しい事でもあるのだと、気付いているのだろうか。
 背中の傷が、夏菜を苛めているのだろうか。
 司はぎゅっと拳を握り締めた。どうしてもっと早く帰ってやらなかったのか、と悔やまれてならない。そしてまた、隠匿しない方が良かったのか、という自問が何度も苛めてくる。
(まるで、メビウスの輪だ)
 司は自嘲を含んだ笑みを浮かべる。どこかで切れる事を願っているのに、いつまで経っても切れる事は無い。何度も何度も、繰り返すだけ。
「……夏菜?」
 司はふと、夏菜の部屋から聞こえていた唸るような、何かから耐えるような声が聞こえなくなったのに気付いた。
(ようやく落ち着いたようだな)
 司はほっと息を吐き、夏菜の部屋をノックし、中に入った。
「夏菜、大丈夫か?」
「……うん。大丈夫なの」
「夢を見たのか?……夢を」
 司はあえて何度も「夢」と繰り返した。そう繰り返す事によって、こちらが現実なのだと判らせるように。
 夏菜はそんな司の言葉に、何度も何度も頷いた。そしてそっと苦笑した。司の思いに、気遣いに、気付いてしまったから。
「大丈夫なの。夏菜は、大丈夫なの」
「……そうか」
 司は頷き、そっと夏菜のベッドに腰掛けた。夏菜は小さく「ふふ」と笑い、それから俯いてそっと口を開いた。
「あのね……夏菜は、許せない気持ちは全部終わるまで変わらないの」
「……ああ」
「でも、一緒に笑っていたい相手がいる限りは、大丈夫なの」
「夏菜……」
 夏菜はそっと顔を上げた。そっと微笑み、じっと司を見ていた。
「だから、お兄ちゃんも笑っててね」
「夏菜が幸せでいればな」
 司はにっこりと笑って言った。夏菜がそれにつられて、満面の笑みをするほどまでに。
「さ、まだ真夜中だ。もう少し、眠るといい」
「うん。お休みなさいなの」
「おやすみ」
 夏菜は目を閉じた。それをじっと、司は見つめた。そっと頭を優しく撫でながら。暫くすると、すうすうという寝息が聞こえ始めた。
 唸り声など無い、幸せそうな寝顔だ。
(いつまでも、その顔でいて欲しい)
 司はそっと微笑み、再び小さな声で「お休み、夏菜」と言ってから、音を出さないように部屋を後にした。
 外はまだ暗く、朝日の出る様子は全く無い。まだ、夜は明けないのだ。
「それでも、また夜は明ける……」
 例えぐるぐると回り続ける羽目になったとしても、まだ夜が明ける事がないにしても。
「明けるんだ……!」
 司はぐっと拳を握り締めた。これからも後悔の念に襲われつづけるのかもしれない。暗闇のままなのかもしれない。
 それでも、いつしか明けるだろう夜明けを待ち望んでしまう。
「……そのためには、幸せでいろよ?夏菜」
 司はそう呟き、そっと笑った。夏菜が幸せでいられるように、自分が笑顔でいられるように。
 いつしか姿をあらわすだろう朝日を待ち望みながら。

<廻廊を抜けた先の光を求め・了>