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<東京怪談ノベル(シングル)>


堕落せし彼の音は


 俺は、暫く奥歯を噛み締めていた。ぎりぎりと、強く、強く。
(くだらない)
 折角いい気分になっていたのに、余計な事まで思い出してしまった。門屋・将太郎(かどや しょうたろう)のシャドウである、この俺が。
 尤も、シャドウである俺という存在は、今やシャドウではないのだが……そんな事はどうでもいい。
 あの時、折角生み出されていくネガティブによって門屋の表に出る事が出来ていたというのに、とんだ邪魔が入ってしまったのだ。それも、一過性ではなく永遠と続くかのような、恐ろしく腹立たしい邪魔が。
(不安定、というものを脱出してしまった)
 ギリギリ、と奥歯を噛み締める。今思い出しても、腹が立って仕方が無いのだ。本当ならば、もっと早くに俺が表の世界に出ることができたのだから。
(邪魔をされた)
 とんだ邪魔だった、と今でも悔しく思えてくる。俺がこうして再び表に出てこられたからよかったものの、あのままの状態がずっと続くようだったならば、俺は二度と出てくることが叶わなかったかもしれない。
 結果だけを見るわけには行かない。結局出てくる事が出来たのだから良いではないか、というわけにも行かない。
 あの時、絶好のチャンスを逃してしまったのは事実なのだから。
(あの所為で、すっかり変わっちまった……!)
 門屋は能力をコントロールできるようになってから、すっかり変わってしまっていた。
 あれだけ一人の世界に行きたいと、誰もいない世界に行きたいと渇望していたというのに、その欠片すら見られなくなってしまっていた。
 孤立化していたはずのクラスでは、今まででは考えられぬ状況が起こった。クラスメートの中に、短期間で溶け込んでしまったのだ。
(すっかり人気者になっちまったよな)
 俺はギリギリ、と奥歯を噛み締めた。


 あれはいつの事だっただろうか。すっかり能力をコントロールできるようになり、クラスメートの中に溶け込んでしまって、大分経っていた頃だ。
 クラスの人気者となったお前は、女から告白されるようにもなっていたな。
「……話って、何?」
 屋上に呼び出されたお前は、そう言って女に用件を尋ねたっけ。別に聞かなくても分かっているくせに。
「うん、あのね……」
 女がそっと口を開く。俺は苛々したね。さっさと用件くらい言えばいいじゃねぇか。伝えたいから、呼び出したんだろう。
 屋上に。
 そうだ、忌々しい事に屋上なんかに呼び出したんだぜ。屋上は俺にとって、大事な聖地のような存在だというのに。表に出る為に必要だった場所だというのに。
 その時は、既にそのような場所ではなかったけどな。
 でもやっぱり、俺の中ではまだ屋上は特別な場所だった。過去にしがみ付きたいって言うんじゃない。ただ、屋上という場所で得てきたものや、門屋が生み出していたネガティブを思い出して仕方が無かっただけだ。それを過去の栄光にしがみ付いているって言うんなら、それはそれで仕方ないけどな。
 ともかく、屋上に呼び出したんだ。ならば、さっさと用件を言ってしまえばいい。
「あのね……ほら、門屋君って本当に優しくて」
(さっさと本題に入れば良いのに)
 俺は女の出した言葉が気に入らないのを、じれったさに置き換える。
「皆に優しいし、私にも優しかったし……」
(煩いな、こいつ)
 繰り返される不愉快な言葉に、俺は苛々さを増した。
「私が職員室から大きな荷物を先生から手渡されて、教室まで行くのに困っていたら……助けてくれたじゃない?さりげなく」
(そんなもん、いちいち覚えていねぇよ)
 俺は悪態をつく。お前がそういう事をさりげなくやっている事を、いちいち覚えていられるほどの量では無い事を知っていた。そういう事を言ってくる女に、やっているお前に、俺は腹立たしさが止まらなかった。
「私、本当に嬉しくて。ああいう風にさりげなく助けて貰ったの、初めてだったし」
「……そっか」
(何が、そっか、だ)
「それでね、私……いつの間にか、門屋君の事を目で追っていて」
(俺なんて、ずっとずっと見ていたんだぜ)
「そういう、小さなさりげない優しさを持っている門屋君をずっと見てきて」
(だからなんだっていうんだよ)
「好きに、なったの。……好きなの」
「……え……?」
 俺の中は不愉快でいっぱいになった。頬を赤く染め、熱い目でじっと門屋を見ている女を、ほんのりと頬を赤く染めて少しだけ困った目で見つめている門屋。だからなんだ、といわれても困る。だがしかし、俺は確かに感じたのだ。
 限りない不愉快を。
「気持ちは……本当に、凄く嬉しい」
 門屋が口を開いた。俺の中で、不愉快な感情がどろりと渦を巻く。
「ホントゴメン。……でも、友達でいようね」
「……うん。有難う」
(……なんだよ、それ)
 門屋は断った。やんわりと、優しく、なるべく傷つけぬように。
(なんなんだよ、それは……!)
 俺の中で、何かが爆発した。
(はっきりと言ってやれば良いじゃねぇか!『お前と付き合う気は無い』ってな!)
 腹立たしさは絶頂にあった。門屋がどうしてそのような事を言うのかが全く理解できなかった。いや、理解出来ないのはそれだけではない。
 あいつが、門屋が、他人に優しく接する事が出来るのかがさっぱり理解できないのだ。
(その所為で、俺は……)
 ぐっと俺は拳を握る。門屋がそのような行動をする所為で、俺の動きは完全に封じ込められた。思念だけはこうして、しっかりと残されているというのに。
(人に優しくする必要など、どこにある?お前が虐げられてきたというのに……!)
 俺は門屋の暗部に向かって叫ぶ。だが、あいつはそれに耳を傾ける事はしない。あいつが告白してきた女にしたように、他人に優しく接していく。
(……お前を、操りたい)
 無駄な足掻きというのは、とうの昔に分かっていた。だがそれでも、俺はお前を操りたくて仕方が無かった。
 それなのに俺がそう思えば思うほど、お前はますます明るくなっていった。そして活動的にもなっていったのだ。
 俺の思いなど、最初から知らなかったかのように。


 俺はぎゅっと拳を握り締める。あれだけ望んでいた事が、今は手に入れる事ができたのに、気持ちは晴れない。
(何故だ……)
 あの時から薄れる事の無い疑問が、俺の中にまだくすぶっていた。まだまだ、消えることは無いのだと言っているかのように。
(何故、お前が簡単に手に入れられたものが、俺は手にする事ができない?)
 握り締めていた拳をゆっくりと開くと、かすかに震えていた。
 こうしている間にも、零れ落ちていくかのようだ。
(……憎い)
 前々から考えていた事なのに、それは今突如出てきたかのような感情だった。どろどろと渦巻いていた感情が、ついに一つの思いへと変化したかのように。
(お前が、憎い……!)
 門屋が手に入れてきた一つ一つが、俺の掌から一つ一つ零れ落ちていくかのような錯覚に襲われた。
 あいつは、簡単に手に入れたというのに。
 俺は、こんなにも手に入れることが出来ないというのに。
(憎い)
 憎しみが渦巻き、俺の中に一斉に広がっていった。
 俺は憎悪によって出来上がり、どろりとした感情だけが支配している。
 闇を好み、光を厭う。
(俺は……お前が)
 俺はふと、頬に手を触れた。その感触に、俺ははっと息を飲む。何故だか分からなかった。いや、分かっているのかもしれないが、認めたくは無かった。
(俺は……)
 俺の頬は、涙で濡れていた。

<耳の奥に泥濁の音が響き・了>