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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


【ロスト・キングダム】幕間:秘密の花園

 人がいるところには、必ずなにかの秘密が生まれる。
 東京のように、数多くの人々が集まる大都市なら、なおさらである。
 秘密のヴェールの向こう側を垣間見るとき、人はそこに、世界というものが思いのほか複雑で、多面的であることを知るだろう。そして表面的にとらえられている日常が、なんと平板であるかということを。
 東京には、そうした、世界の真実へとつながるポイントが、無数に、だがひそやかに、点在している。薄闇の彼方の出来事を記した記録が並ぶ高峰研究所しかり、あやしい古道具ばかりを商うアンティークショップ・レンしかり、黒服のエージェントたちが出入りする宮内庁・地下300メートルしかり。そして、ひっそりと、しかし相当の土地を、この首都に確保しているリンスター財閥所有の邸宅もまた……。

「ほうほうほう」
 マリオン・バーガンディが、金の瞳をかがやかせて、まじまじと、それを見つめる。
 テーブルの上に乗っているのは、両手でつつめるほどの、小さな壷。
「容れ物は、唐代の様式なのです」
 そして、白手袋を嵌めた手を伸ばすが、
「扱いには気をつけて」
 金髪の庭師――モーリス・ラジアルがぴしゃりと言った言葉に、むう、とマリオンは、気分を害したように唇を尖らせた。
 仲が悪いわけではないが、いつでもそつなく、てきぱきと仕事をこなすモーリスと、のんびりマイペースなマリオンは、歩調が揃わないことがある。
「ご心配なく、なのです」
 マリオンは言った。元・キュレーターで絵画修復をなりわいとするマリオンが、そんなぞんざいな扱いを品物にするわけがないのに。それに、万一のことがあったとしても、《調和者》のモーリスなら即座に、壊れた品を復元することができる。それなのに、わざわざ小言を言うなんていじわるだ、とマリオンは思うのだった。
 そんなかれらの様子をまるでわんぱくな子どもたちを見るような目でやさしく見つめながら、あるじであるセレスティ・カーニンガムはふっ、と笑みを漏らした。ふたりのこんなやりとりも、はじめてのことではない。
 そこは秘密のうちに購入され、東京都内にこれほどの土地を所有しているにもかかわらず所有者が表向きはあいまいにされている、カーニンガム邸の庭園だ。
 モーリスの育てた四季の花が一年を通して咲き、セレスティたちの目を楽しませる。都心にありながら都会の喧騒からはほど遠い、別天地であった。
「拝見」
 マリオンは壷の蓋を開けた。
 うすみどり色の、粉末が中には入っていて、ふんわり、と不思議な香りが立ち上る。
 それこそ、モーリスがせんに関係した事件で、アンティークショップ・レンから買い上げた幻の秘薬――『反魂香』なのであった。
「景徳鎮だと思うのです」
 それがマリオンの見立てらしい。
「中国の磁器ですね」
「はい。中身も中国製なのでしょうか」
「レンさんの話では、もともと『反魂香』とはもともと漢の武帝が亡き愛妃の姿を垣間見るためにもちいたと故事にあるのが謂れとか」
「たしかに景徳鎮では漢代から陶磁器の生産は始まっていたようですが……、やはりこれは造りから見て唐の頃だと思うのです。もっとも景徳鎮が景徳鎮と呼ばれるようになるのは、宋代の景徳年間以降ですけれど。……でも容れ物と中身が同じ頃につくられたとは限らないのです」
「それはもっともですね、マリオン。中身をすこし化学的な分析のほうにも回しましょう。お願いできますね、モーリス」
「かしこまりました」
「……いい香りです。きっと白檀が入っているのです」
 うっとりと、その香を嗅いで、マリオンが言った。
「これを焚くと、煙の中に死んだ人の姿が見える、というのですね。そして言葉も交わせると」
「霊界との通路をつなげる触媒のようなものなのでしょうか。それともこれ自体に強力な招霊の作用があるのか……」
 モーリスは小さなガラスの瓶に細い耳掻きほどのスプーンを使って、ごく少量の香を取り分けた。そして、用が済むときっちりと蓋を閉める。
「すこし、試してみても……?」
「いずれね。まずは内容物をモーリスに調べてもらってからです」
 目を輝かせて問うたマリオンだったが、その提案はやんわりと退けられ、水に濡れた猫のような顔になった。
「では、残りはしっかりと保管しておきますよ」
 モーリスは壷を、それがもと入っていた白木の箱に戻し、そっと手をかざした。
 不可視の力がはたらいて、出現した檻がそれを包み込む。
 このあと、品物はカーニンガム邸の奥深く、他にも特殊な術具や、貴重な美術品が眠る倉庫に預けられる予定だった。
「モーリスの檻に護っていてもらえば、変質も防げますしね。なにせ、他にもこれを狙っている方がいらした中で、手に入れてしまったものですから、ほとぼりがさめるまでそっとしておいたほうがいいでしょう」
 言い聞かせるように、セレスティが言った。だが、モーリスが、
「これなら、いたずらな子猫がいても安全ですからね」
 と、からかうような瞳をマリオンに向けたので、またもや元キュレーターの少年(それは外見だけのことだったけれど)は、ぷう、と頬を膨らませる。
 セレスティはまたも微笑んで、
「さあ。では、お茶でもいれましょう」
 と言うのだった。

 ほどなく、テーブルには温かい紅茶のティーポットと、お茶請けの菓子類が並んだ。
 そろそろお茶の時間だというのを見計らって、厨房ではシェフがアップルパイを焼き上げたところだった。加えて、ケーキや焼き菓子、チョコレートの類、そして新鮮な季節のフルーツ。
 食べ切れない程の量が並ぶが、もとより食べ切るつもりなどなく、気の向いたものをすこしつまんでは、ゆったりとした時間をお茶の香りとともに楽しむ。それがカーニンガム邸のティータイムである。
 この時間は、この世の不思議と神秘にかかわるあるじとその従者たちの、情報交換の場にあることも、しばしばである。ここで交わされた会話が、世界の運命をゆるがす事件につながることさえ、ない話ではない。
「マリオン、週末にどこかに出掛けてきたのですって?」
 セレスティが水を向けた。
「それも、車を出したそうではないですか」
 どこからか、そんな情報をしっかりと耳にしている。マリオンは総帥の地獄耳にちょっと肩をすくめながらも、
「はい。山にドライブに行ったのです」
 と、嬉しそうに話した。
「ドライブですって?」
 モーリスが金の瞳を丸くする。
「マリオンが運転したのですか?」
「もちろんです」
 小皿に取り分けられたアップルパイにナイフを入れながら、マリオンは得意げに言う。
「カーブの多い山道で、スリリングだったのです。あのキュッ、とタイヤがアスファルトに食い込む感覚がぞくぞくするような――」
 顔を見合わせ、苦笑いの主従。
「またどなたかにご迷惑をおかけしたのですね」
 モーリスはため息まじりに言った。
「そんなことはないのです。ああ、あのスリルをお裾分けしたかったです。よかったら今度……」
「遠慮しておきますよ」
 にべもなく遮って、モーリスは、
「それで、調査の首尾は」
「あまりはっきりしたことはわからずじまいなのです。ただ、行方不明になった人たちは、あの山でなにかに会ったんだろう、と。ビデオが見つかりました」
「映像の一部がゴーストネットにアップロードされていましたね。……セレスティ様、ご覧になりましたか」
「ええ」
 頷くセレスティのカップが空いたのを見て、すかさず、モーリスがお茶を注ぐ。ふわり、と、ベルガモットの香りが湯気とともに立ち上った。
「不思議ですね……。ですがかれらはおそらく……わたしが雑司ヶ谷で出会ったひとたちと関係があるはずです」
「産院の事件ですね。子どもを、取り替えていたという」
 セレスティは頷く。美しいおもてにすっと翳りが差した。なにか、深い思索が、その奥で渦を巻いているようだった。
「かれらは山にいる……。そう考えて差し支えないと思います」
「何者なんでしょう?」
 マリオンが好奇心いっぱいの表情で訊ねた。
「人間だ、と仰った方もいます。少なくとも、人外の怪異ではないと。しかし、それにしても……特別な力を持った人たちだとは言えそうですね。……マリオンが行ったのは青梅市でしたね。私が行った産院で、過去に『取り替えられた』らしいお子さんが、家出をしたので、それを連れ戻す依頼が草間さんの所であったそうですが、そのときは奥多摩に行ったそうなのです」
 セレスティは語った。
「地図で見ると、青梅市と奥多摩はなかなか近いのですね。東京の西側の山間部ということで」
「そのあたりが、その何者かの根城だと」
「可能性はありますね。どういった方たちなのでしょう……」
 思いを馳せるように、セレスティの瞳が遠い色を帯びた。水に棲むものの血統であるセレスティとは、いわば対極ともいえる、山に棲むものたちの影が、東京をとりまいている。
「今回の、『反魂香』の一件ともかかわりがあるのか、ないのか……気になります」
 モーリスの言葉に、あるじは頷き返した。
「いずれあきらかになるでしょう。……水が高いところから低いところへ流れるように、運命はしかるべき方向へと動いてゆくのですから」

 おだやかな、午後のことである。
 東京のただなかに、花の咲く庭園があり、人魚の化身である財閥総帥と、かれに仕える長生者たちが、優雅な茶会を開いていると誰が知るだろう。そして東京の闇で起こる神秘な出来事が、まるで天気の話題のようにこともなげに、ケーキ皿の上でとりかわされていようとは。
 人々が知らぬうちに、世界の秘密の一端を担う歯車は、こうしたところで、ゆっくりと動きはじめているのである。

(了)