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<東京怪談ノベル(シングル)>


雨の、向こう

 しとしと、しとしと。
 柔らかに、雨は降る。

 春の雨は穏やかで、優しい。
 孤児院の子供たちは数名、職員と一緒に買出しに出かけている。

 が。
 雨の中出かけられない人物が、一人、ベッドに横たわっている。
 顔色は、何処か冴えなく、眠れないのだろうか薄い隈がうっすらと目の下に張っていた。

「魁兄ちゃん、風邪引いたのー?」

 声に、岑・魁 (シン・カイ)は「ああ……」と相槌を打ち、そして。

「いや、少し体がだるいだけだから心配ない」

 そう答えると、起き上がろうと努力した――しかし、出来ない。
 雨の日は、いつもこうだ。
 鉛を体に流し込まれたように動けなくなり、思考も判然としない。
 女性ならば月のものと言えば納得行くような症状だが、魁は、男性であり、本人でさえ、この症状については説明できないものの一つだった。

 動けない、起き上がれない、思考は曖昧になる。

 今は、春だからまだ症状はマシだけれど。

 梅雨の時期になればどうなることだろう、考えるだけで気が遠くなった。

 起き上がろうとし、出来ない魁を心配するように、が、不思議そうに少年は問い掛ける。

「なんで?」

 素直な問いだ。
 だが本人にさえ解らない事は答えようがない。

「解らないんだ。何故だろうな……」
「うーん……魁兄ちゃんにも解らないのに俺が解るわけないって!! あ、そうだ、兄ちゃん何か食べる?」
「いや、手足を動かすのも面倒くさいから……そうだな、少し、話でもしてくれるか?」
「いいけど……何かあったかなあ……」
「何でも良いよ。学校で楽しかったこととか…雨の話でもいい」
「そ? じゃあねえ……兄ちゃん、雨にも柔らかさがあるのって知ってる?」
「いや、知らない」
 知らない、と言う言葉に子供は嬉しくなったのか、更に話を続ける。
「あのね、冬の雨は凄く冷たくて痛いんだ。あんまり濡れたくないなあ…って思うくらい。あ、先生たちにはわざと濡れてるのは内緒な?」
 兄ちゃんにだから言うんだからね!
 強く念を押し、頷く魁を見ると嬉しそうに少年は話を続ける。
「秋の雨は春の雨に少し似てる。何となく優しくて、けど、長いこと濡れたら風邪引くって解るんだ」
「うん…それで、春と夏は?」
「夏は…兄ちゃんも知ってると思うけど梅雨があるだろ? 何処かじめじめしてて、柔らかさはあまりないんだ。冬みたいではないけど、べとつく感じがする」
 ああ、と魁は声を出す。
 確かに梅雨の時期は、何処か身体がべとつくことが多い。
 湿気の所為もあるのだろうが、不快で出来うるのなら梅雨の時期などない方がいい…と考えてしまう。
「じゃあ、さぞかし春は気持ちが良いんだろうな……」
「うん!! 季節の中で一番柔らかい……あったかくて、春の雨なら何時でも降っていいな…って思うよ」
「そうか」
「兄ちゃん、眠い?」
「いや……大丈夫。他には? 雨の日でも良いこととかあるのか……?」
「え? うーん……お使いに一緒に行ったときの事だけど雨の向こうにあるのが何か知ってる?って先生たちから言われたことがあるけど」
「…何があったんだ?」
「あのね」
「うん?」
「虹だよ。兄ちゃん見たことないかもだけど……七色の橋が空にかかるんだ」
「橋? あの写真で見た南極のオーロラみたいな?」
「そうそう!! だからさ、もし、雨が止んで兄ちゃんの体調もよくなったら」
「ああ、そうだな」
 一緒に虹を見に行こう。
 だるい身体を動かし、魁は指を差し出す。
 約束の、指切りをする為に。

 気付いた少年も指を絡めると「約束だからね」と笑顔を見せた。
 魁も微笑を見せ、何度も頷く。

 しとしと、しとしと。
 柔らかく、降る雨。

 二人の話が終わるのを待っていたように、職員と子供たちが帰って来、孤児院は、賑やかな空気に包まれていった。

 じきに、雨も止むだろう。


―終―