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<東京怪談・PCゲームノベル>


一不可思議の雨

 コンビニエンスストアでビニール傘を買う時、いつも尾神七重は躊躇する。
 今、外は雨が窓を伝い、雨避けになる物を一つも持っていないこの状況ならば、傘を手に入れるのが一番優先される行動だろう。
 けれど画一的な半透明のビニール、細いステンレスの骨子で構成されたそれを手に取ると、これから先愛着を持って使っていけるのか自信がない。
 現に何本ものビニール傘が、その場限りの役目を果たすといつの間にか消えてしまっていた。
 どこか、僕の知らない場所でリサイクルされているのかもしれないな。
 晴れた日に回収された傘は謎のルートで闇に流され、再び雨の日の出番を待つのだ。
 そんな馬鹿馬鹿しい想像をしながら傘を一つ手に取ると、七重はレジへと向かった。


 雨に冷えた銀髪をとりあえず拭いて、七重はやや距離のあるバス停まで歩き出す。
 いい加減乾いた部分の無くなってしまった靴から視線を上げると、ひさしの張り出した店先に、先程までの自分と同じく空を見上げて途方に暮れる少年がいた。
 猫が雨宿りしてる。
 はっきりした理由は無いが、七重はそう思った。
 墨色の袴に麻の着物姿。いつもしている白い前掛けはないものの、得物処・八重垣の店員、八重垣芳人だった。
 品の良い縮緬の風呂敷に包んだ品物を、雨から守るように両手でしっかり抱えている。
 七重の視線に気付いた芳人がかすかに首を傾げる。
「八重垣に何度かいらした方ですよね?」
 得物処・八重垣には何度か立ち寄ったが、まだ実際に商品を買った事はない。
 そんな客まで覚えてるんだ。
「……傘、ないんですか?」
 素直に頷きながら、芳人は苦笑する。
「傘も無いんですけど……実は道にも迷っちゃって。
僕、こっちに越してきたばかりで、この辺りまだ良くわかってないんです」
 八重垣まではそう遠くない距離だ。
しかしタクシーを拾うとなると、路地裏に入るためかえって遠回りになる。
「送って行きましょうか?」
 驚いた芳人は、普段店で見かける表情と違って年相応の少年らしい。
「え、そんな、悪いですよ!」
「バス停まで行くついでですから」
 淡々と無表情で告げる七重の真意を測りかねて、芳人は困惑している。
「このままじゃ濡れますよ……その荷物、大事なものでしょう?」
 七重の暗紅色の瞳はまっすぐ芳人に向けられていて、疑う所は無いように思える。
芳人は自分と手の中の荷物を交互に見、控えめに切り出した。
「それじゃ、お願いできますか?」

 
 七重は以前立ち寄った八重垣の店構えを思い浮かべながら、歩道を歩いている。
 時代を経て歴史を思わせる店構え、整然と並べられた様々な武器。
 それらが脳裏に描かれると、八重垣に到るまでの風景が見えてくる。
 これなら早く八重垣に着けそうだな。
 隣で歩いている芳人の抱えた風呂敷包みを気にかけて、七重はそう思った。
 大粒の雨が傘を打つ音を聞きながら、二人は街を歩いている。
 背の高さでは七重の方が高いのだが、二人並んで傘に入っているとどこか共通した雰囲気がある。
 共通、いや相反だろうか。
 心に抱いた感情がすぐ表れる芳人と、わずかに瞳が揺らぐ程度の七重。
 黒と銀、二人の少年は雨のフレームに収まると対をなす存在のように見えた。
「八重垣の物って……不思議な感じがしますよね」
 言葉を選ぶように七重が切り出す。
 自分から誰かに話しかける事もあまりない七重は、自分でも少し驚いていた。
 誰かと話してみたいと思ったのは久しぶりだった。
「僕はあまり身体が思うように動かないから、武器は見ているだけですけど……。
でも、何ていうのかな。
八重垣の武器は、鋭さの奥に凛とした……美しさがあって、好きです」
 極限まで強さを研ぎ澄ませた武器は、洗練された形に美しさを宿す。
 自分で武器を使う事はなくても、それらを見ているのが七重は好きだった。
 ふと、立ち止まった芳人に気付いて七重は振り返る。
 芳人の頬は赤みが差していて、嬉しそうに口元がほころんでいる。
「……嬉しいです」
 数歩戻って傘を差しかけた七重を、芳人は見上げて言った。
「七重さんは大旦那様と同じ事、おっしゃいますね。
本当に強い武器は綺麗だって。
前に『強いだけでなく、綺麗だって思ってもらえる物を作りたい』って大旦那様も僕に話してくれました」
「そう……」
 七重は八重垣の武器に感じていた感覚に、納得した。
 だから自分はこんなにも八重垣の武器に惹かれていたのか。
ただ力を求める道具としてだけではなく、魂を込めて作り上げた作品として。
 それは武器職人を代々営んできた八重垣家の信念の表れだったのだ。
「七重さんみたいな方がいるって知ったら、大旦那様もきっと喜びます。
……ありがとうございます。
僕も、大旦那様の作った物見るの好きなんです」
 屈託のない芳人の笑顔に、七重は胸の奥が温かく満たされるのを感じた。
「いつか……僕も八重垣の旦那様と話してみたいです」
 ぽつりと七重がもらした言葉に、芳人は明るく返す。
「もちろん会えますよ!
今はなかなかお店に出られないですけど、大旦那様は誰かと話すのが好きな方ですから」
 いつしか七重の目の前の風景は、思い描いていた八重垣の近くの街並みに重なっている。
「ここまで来れば八重垣まですぐですよ」
 どこか名残惜しいような気持ちを感じている七重のそでを引いて、芳人が言った。
「あのっ! 良かったらお店に寄っていきませんか?
バスの時間まで、まだありますよね」
「……そうですね」
 ほんのわずかに瞳を細める表情が、七重なりの微笑みだ。


 熱いお茶と、乾いた柔らかなタオルで身体を温めながら、七重は聞いた。
「ところで、お使いの途中だったんですか?」
「はい。本当は今日でなくとも良かったんですが、どうしても早く大旦那様に見せたくて……」
芳人は風呂敷包みを解いて見せた。
「大旦那様が探してらっしゃった、粉本(ふんぽん)の一部です。
日本画の元になるスケッチやデッサンですね」
 粉本とは、日本画の絵師が制作の参考にするための、古画の模写や見取り図、縮図や写生帳などの総称だ。
 時代を経て黄変した紙の上、無数の鳥が本絵に臨むように入念に描かれている。
「手に入ったって聞いたら、大旦那様に早く見せたくて……傘も持たないで出たら、やっぱり雨に降られてしまって」
 僕、雨って本当は苦手なんです、と芳人は続けた。
 武器を鍛えながらも、こういった美術品も愛する八重垣老に七重は興味を引かれる。
「近いうちに、またここに寄っても良いですか?
僕はきっと、武器を買う事は出来ないけれど……」
 店にとって見ているだけの客は敬遠されがちだ。
 しかし、芳人はそんな七重の不安も消すように答えた。
「ええ、ぜひ来て下さい!
少しでも良いなって思ってもらえるなら、大旦那様も僕も嬉しいですから」
 いつか出会えるだろう八重垣老を思って七重は頷くと、立て掛けられた刀剣の側に歩きだした。

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2557/ 尾神・七重/ 男性 /14歳 /中学生 】

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■         ライター通信          ■
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尾神七重様
ご注文ありがとうございました!
そして納品が遅れてしまい大変申し訳ありません!
感情が表情に表れないタイプとの事でしたが、内面は決して無感動ではないのでは、と思いながら書きました。
八重垣の武器は無骨な物だけではないので、尾神様にもきっと見合う物があるはずです。
ともあれ、少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。