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<東京怪談・PCゲームノベル>


白猿公の廟門

「ああ、もしもし? 今、暇か?」
「暇じゃないわよ」
 水鏡千剣破は携帯電話に出るなりそう言った。
「……だったら携帯に出るなよ」
 草間さんの煙草に枯れた声はカッコ良いけど、内容はいつも厄介なんだもの。
「……どうだ、お前向きの話だろ?」
「あ、ゴメン聞いてなかったわ」
 あたしはその時左人差し指に塗るネイルエナメルに全神経を集中していた。
 聞いてなかったじゃないだろ、と草間武彦が電話の向こうでため息をついている。
「結城って探偵事務所で、誰か手伝ってくれないかって頼まれてるんだ。
元々うちに来た依頼だったんだが、今は調査が詰まっててな……千剣破、頼まれてくれないか?
なあ! もう頼める奴いないんだよ!」
 草間の情けない声が聞こえてくるが、千剣破の意識はそれどころではない。
 薄過ぎず厚過ぎず、ネイルの表面に筋が残らないよう慎重に――。
「お前にまで断られたら、またしばらく和鳥の出す珈琲飲めなくなる……」
「え?」
 和鳥なんて苗字、あんまり聞かないわよね。
 そういえばこの前、傘に入れてあげた猫又君が好きだって言ってた人……探偵事務所で働いてなかったっけ?
「ん? 和鳥と知り合いか?」
「その人ってすっごい猫好きで、泣き黒子のある和鳥さん?」
「あー、確かに犬より猫派だったな。あいつ」
 もう一度会えたら、この前の事ちゃんと謝りたいな……別人かもしれないけど。
「いいわよ、頼まれてあげる」
 千剣破は草間に事務所の連絡先を聞いて、残りのネイルにまた意識を集中させた。


 あくるの日の午前。結城探偵事務所の六角に張り出した応接スペースで千剣破と和鳥は再会していた。
 明治に建てられた洋風建築の事務所に千剣破の高い声が響く。
 殊勝に謝りたいと思っていた気持ちはどこかに都合よく忘れられていた。
「やっぱりこの前にナンパ男!」
 千剣破に指差された部下を、結城は眼鏡の奥から悲しげに見た。
「鷹群。俺はプライベートに口出ししたくないけれど、その……高校生相手は犯罪じゃないのかな」
 青ざめた和鳥が結城と千剣破の間で叫んだ。
「ち、違っ……所長誤解です!」
 結城の足元にいる雪狼は関心なさそうに寝そべっている。
「信じて下さい所長……」
 涙声になった和鳥をよそに、結城は名刺を差し出しながら改まった口調で切り出した。
「結城探偵事務所所長、結城恭一郎です。
今回の依頼について草間くんから内容は聞いてるかい?」
 結城の落ち着いた口調に千剣破も居住いを正した。
 同じ探偵でも、草間さんとは全然違って大人っぽいなぁ。
「水鏡千剣破です。内容は大まかにしかうかがってません」
「これ、草間さんがくれた資料だよ」
 和鳥が閉じられたレポートを千剣破に手渡す。
 ある華僑が密かに祀ってきた神、白猿公が最近実体化したという噂が流れ、時同じく行方不明者がその廟堂の近くで相次いでいるという。
「白猿公って、孫悟空みたいなものですかっ!?」
 目を輝かせ身を乗り出す千剣破に結城は苦笑する。
「まあ、危険な調査なのは確かだよ」
 結城がジャケットの懐から黒い革製の鞭を取り出す。 
「俺が戦闘で使うのは咆哮鞭と言って、狼を実体化させて戦わせるんだ」
 結城の足元から雪狼が真紅の瞳を千剣破に向ける。
「鷹群が使うのは剣精……どんなものかは見てもらうのが早いかな」
 和鳥が壁にかけていた日本刀を手に取り、刀身を鞘から引き出した。
 抜刀――銀色の輝きが年若い女の姿を取る。
「……お初にお目にかかります。我が名は剣精が一騎、紅覇(くれは)。
古の約定により、鷹群様の刃となりて全てを屠る者。以後お見知りおきを」
 和鳥の肩の上に実体化した人工精霊は、清楚な長い黒髪をなびかせて微笑んだ。
 淡い黄色のワンピースは春の花、フリージアのように柔らかく裾を広げ、白い裸足の向こうはうっすらと透けている。
「これも八重垣の武器で、刀に人工精霊を載せているんだ」
 結城の言葉ににこやかに紅覇は微笑むと、和鳥の肩に寄り添う。
「お前、やけにあらたまってるな。普段そんな言葉遣いじゃないだろ」
 肩越しに渋い顔で和鳥は紅覇を睨んだ。
「本来名乗りは抜刀ごとに行うんです。
最近の使い手様方は面倒がる方が多過ぎますよ」
「あー、もう! 紅覇は小言多過ぎんだよ!」
 耳を押さえた和鳥が刀を一閃させ鞘に納めると、紅覇の姿も消えてしまった。
 和鳥の左手の中でカタカタと刀――剣精・紅覇が震えている。
「あたしは水を操れます。こう見えても結構戦えるんですよ?」
 千剣破はテーブルに残された珈琲を掌の上に注いだ。
 驚く二人の目の前で、千剣破は珈琲の形を自在に変えて見せる。
 結城は安心したように組んでいた指を解いた。
「それじゃ俺が後衛に回るから、千剣破さんと鷹群で前衛・中衛を」
 すっかり冷めてしまった珈琲の代わりを和鳥が持って来た。
 草間さん、ずいぶん和鳥さんの珈琲にこだわってたけど……うん、いい香り。
「依頼人の名前は明かせないけれど、廟堂に入る前に会ってくれるそうだ。
彼女はとても責任を感じられていてね……」
 結城が苦い表情を見せたのは、テーブルに置かれた珈琲の味のせいばかりではないらしい。
 とりあえず次回会う日時を打ち合わせて、千剣破は事務所を後にした。


 千剣破と結城、和鳥は白猿公を祀る森の入り口に立っていた。
 呪言が書き付けられた幾つもの杭が、森の中に突き立てられている。
 自分の背よりも高い杭を見上げ、黒々と筆を走らせた呪言を見た千剣破は不穏な空気を感じずにいられなかった。
 千剣破たちの他にもう一人の人物がいる。今回の事件の依頼者だった。
「私たちに伝わる緊縛の法を敷きました。
白猿公はこれで森の外へは出られなくなったはずです。
これ以上私たちの神が、無関係な人間を巻き込むなんて……嫌なんです」
 依頼者はまだ少女の面影が残る若い女で、華僑に連なる者らしいが顔立ちからは全く大陸の血を感じさせない。
 遠い異国の地で、たった一つの神を心の拠り所に支えあって暮らしてきた一族。
 あたしと同じ位の歳なのに、一族の代表なんて大変だな。
「場合によっては白猿公そのものを消してしまうけれど……それでも構わないね?」
 結城の言葉は質問というよりも確認の意味合いが強い。
「お願いします。
白猿公はずっと私たちを見守ってくれた神様だから、止めてあげて欲しいんです。
神様にこんな事言うの、おかしいですか?」
 静かに笑った依頼人に和鳥が答えた。
「おかしくないよ。
そうやって大切に想われてきた神だから、きっと姿を得たんだろう」
 冷やかしではない真摯な口調に千剣破は驚く。
 和鳥さんって結構真面目なんだ。
 依頼者だけをその場に残し、千剣破たちは森へと足を踏み入れていった。


 鬱蒼とした森の中には呪言を書かれた杭が連なるだけで、行方知れずになった人々の手がかりになるような物は無かった。
 そう広くない森のはずだが、重く立ち込める雰囲気に三人の言葉も少なくなっていた。
「ありましたよ、所長」
 先を歩いていた和鳥が引き返してきた。
 足の悪い結城と女性である千剣破を気遣って、和鳥は道を確かめてきたのだ。
 森の奥、広く開けた草原の中心に廟堂はあった。
 決して大きな建物ではなく、元は朱塗りの華やかな柱も幾たびの風雨にさらされて色がくすんでいた。が、そこが人々の信仰を集めた場所なのは間違いなかった。
 屋根の下には青銅製の異形の怪物がずらりと並んで、千剣破たちを見下ろしている。
 むき出しの牙や長く伸びた爪は誇張されているが、根底になる生き物は猿の姿だった。
「千剣破さん、無理はしないで下さいね」
 咆哮鞭を振るい実体化させた雪狼に囲まれた結城が、緊張した面持ちで千剣破に告げる。
「大丈夫ですよっ!」
 森の中を進んで来た疲れを払うように、千剣破は元気に答える。
「何事も過信は人の力の成長を止めてしまいますよ」
 結城は諭すように言葉を続ける。
「そうそう、怪我させたんじゃ草間さんに怒られるしさ」
 結城の言葉を継ぐように和鳥も付け加えた。
 そして紅覇が和鳥へにこやかに言葉の刃を突き付ける。
「鷹群様が女性お一人も守れないようでは、私も次の使い手を見つけなければ」
「お前キツイよ〜」
 廟堂の軋む扉を開けて奥に進むと、窓から入り込む光が細やかな模様を床に散らせていた。
 香の匂いがかすかに漂い、闇との対比で床の光が強く感じられる。
「……我ガ血ヲ分ケタ裔ノ者カ?
否、ソナタラカラハ懐カシイ大陸ノ砂ノ匂イヲ感ジラレヌ」
 その闇の中から、白く巨大な獣の腕が伸びて先頭に立った和鳥をなぎ払った。
 ――白猿公!
 長い爪の第一撃をかわし、両手で剣精を持ち直した和鳥が下段の構えを取る。
 結城の咆哮鞭が空を切る音と共に、千剣破と和鳥の傍に純白の狼が姿を現した。
 腰を落とした低い姿勢の白い猿が千剣破たちを見つめている。
 それは黒い肌の中、金色の瞳が闇に浮かぶ月を思わせる。
 暗闇に浮かぶ、狂気を誘う二つの月。
 千剣破は廟堂の床に持って来たペットボトルから水を撒いた。
 水は床から立ち上り、透明な刃を形作る。
 千剣破は素早く跳躍する白猿公に針状の水を鋭く打ち込むが、威力が足りないのか完全に足止めはできない。
 和鳥の上に実体化した紅覇が使い手の能力を倍加させているが、それ以上に白猿公の動きは予測できなかった。
「あなたはどうして人を襲うの!?」
 くぐもった言葉を発しながら白猿公が少しずつ間合いを詰めてきた。
「何時カラカ我ハ、人々ガ祈ル姿ヲ見テキタ。
我ハチカラ無ク、タダ見テイルダケデアッタ……。
シカシ我ハ気付イタ。
人ノ意識ヲ集メレバ、仮初メトハ言エ身体ヲ得ラレルノダト」
 結城の雪狼が白猿公の腕や足に噛み付いているが、その重量で負けるのか、じりじりと異形の神は千剣破に向かってきている。
 雪狼の冷気を借り、千剣破は氷の剣を掌の上に作った。
「そんなの勝手じゃない!
大切な者のためなら、他人はどうなっても良いの!?」
 千剣破は剣を顔面に打ち込むが、白猿公が唸り声を上げそれを握り潰してしまった。
 効いてないの!?
「お前が想った奴らは、誰かの犠牲なんか望んじゃいない!
もう元の姿に戻る時じゃないのか!?」
 和鳥の言葉に、膝をついた千剣破へ伸ばした白猿公の爪が一瞬止まる。
 その隙を捉え、和鳥が紅覇の刃を上段に構えた。
 剣精の刃の軌跡が真紅の残像を引き、白猿公の胸に刻まれる。
 急速に光を失いつつある瞳を千剣破に向け――いや、大陸にいた時分から見守ってきた一族に向けて白猿公は言った。
「愛シキ者ヨサラバ……。
束ノ間ノ邂逅ヲ胸ニ……我ハ再ビ、人ノ祈リノ器トシテ眠ラン……」
 砂が崩れるように白猿公の姿が消えた後には、青銅製の神面が二つに割れて落ちていた。
 それを拾い上げた結城がようやく笑顔を見せた。
「危なかったね」
 廟堂の奥から人々の声が聞こえてきた。
 きっと白猿公の作り出した空間が消えて、囚われていた人々が解放されたのだろう。
「千剣破様にお怪我が無くて何よりです。
私もまだしばらく次の使い手を捜さずに済みました」
 笑顔を絶やさずそう言う紅覇に、がくりと和鳥は肩を落とす。
 紅覇を鞘に収めた和鳥が、座り込んだ千剣破に手を貸して立たせた。
「助けてくれてありがとう。
あたし、ナンパ男なんて言っちゃってごめんなさい」
「気にしてないさ」
 初めて会った時、可愛いなって思ったのは当たってるし、と和鳥は笑った。
 あれ?
 今ちょっと和鳥さんがカッコ良く見える……。
 千剣破は自分の感情に困惑しながら、重苦しさの晴れた廟堂を後にした。


(終)

■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
【3446/水鏡・千剣破/女性/17歳/女子高生(巫女)】

■ライター通信
水鏡千剣破様
二度目のご依頼ありがとうございます!
なのにまた納品が遅れてしまって申し訳ありません……!
今回は戦闘メインかつ鷹群見直しポイントを盛り込んでみました。
見直され……てますでしょうか?
ともあれ、少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。