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<東京怪談ノベル(シングル)>


電子レンジの気持ち







 バイトも学校もオールオフの一日。ある宅急便が届けられた。
「はーい」
 チャイムが鳴って家の中で返事をする。聞こえないのは解っているが、癖という奴だ。青の髪を翻して、同じ色の瞳を真っ直ぐ前に向けている。その色は、普段彼女が身につけている高校のセーラー服に良く似合った。
「お待たせしました」
 バイトで培った営業スマイルで、彼女は扉を開けて顔を出す。そこには一抱えはありそうなダンボールを抱えた男性が立っていた。
「海原さんのお宅ですね? 宅急便です。ここに判子かサインをお願いします」
 生憎判子は持ち合わせていなかったので、彼女はペンを借りて「海原」とサインした。相手はそれを慣れた手つきで確認して一枚千切り、荷物を渡してくれる。両手を伸ばして預かると、これが結構重い。一体なんだろうと思いながら、彼女は「ありがとうございました」と宅急便の人を見送り、よろよろと居間へ向かっていく。
 畳の上にでん、と置いて伝票を覗き込む。宛名は「海原みなも様」それは彼女の名前に相違ない。そして、送り人の名前が父になっているのを見て、何故受け取ってしまったのかと彼女は悲嘆にくれた。
 最初に確認して、受け取り拒否をすればよかったのに。あの男性が大変そうに持っていたから、直ぐに受け取らなくては、と余計な仏心が働いたのが運の尽き。
 一つ嘆息してから、みなもは備考欄に目をやった。ゲームだったら、絶対しない。それだけは心に誓っている。が、そこには想像とは違って『電子レンジ』の文字。差し当たり、ゲームではない事に胸を撫で下ろし、開封に取り掛かる。
 そもそも、父からの贈り物が彼女に幸福を与えた事など、ほぼ皆無。今回もまた、なにやら面倒に巻き込むつもりだ。それを解っていても、みなもは開封した。
 別段大した事もなく、ダンボールを開くと衝撃吸収剤―――通称プチプチ―――がてんこ盛りにされており、空けた途端飛び上がって当たりに散らばったが、今更みなもはそんな事には驚かない。頭に乗っかった衝撃吸収剤をぽい、と横に落として、箱の中を覗き込む。
「電子レンジ?」
 上から見ただけでは確かではなかったが、箱から取り出してみると、それは確かに電子レンジだった。しかもでかい。彼女の家にある一番大きな皿もらくらく入ってしまうようなサイズだ。一体どこに置けというのか。あれば便利だろうが、電気代を半端ではなく食うであろう事は容易に想像できる。
 今回は突発的な罠は一つだけだと判断し、みなもは詳しく探る前に先ほどの衝撃吸収剤を片付ける事にした。踏むたびに「げきょ」と摩訶不思議な音がして、それが足元からするのが非常に微妙な為、みなもは自分の周りから順々順に片付けていく事にした。
 全部回収して、箱に詰め込む。これほどでかい電子レンジを抜いた後だというのに、箱に押し込まなくてはならない量の衝撃吸収剤。しかも、押し込むたびに「げきょ」「げきょ」と音がする。かえるでも潰しているような気分になって、早々にみなもは精神ダメージを受けた。
「開けるんじゃなかったかも知れません」
 が、今更そんな事を言っても遅い。諦め半分興味半分で、彼女は一緒に入っていた説明書に手をかけた。リモコンを横に置いて、表を見やる。
 無地のグレーの表紙をぱら、とめくり、書いてある文字を目で追う。
「呪の電子レンジ」
 が、思わず声が出るほどに、その内容は強烈だった。
「リモコンの運転ボタンを押した人間を”電子レンジ”にしてしまうという、非常に恐ろしい呪が掛かっています。取り扱い注意」
 みなもは微笑を浮かべて、その本を閉じた。
「返品ですね」
 そんな妖しげなものを家に置いて置けるわけがない。あの衝撃吸収剤とどちらが嫌かといわれれば一瞬返答に迷うが、呪の方が嫌に決まっている。
 さっさとダンボールに戻そう、と手を突いたその瞬間。
 彼女は先ほど、そこにリモコンを置いていた。

 ぽち。

 嫌な電子音と、何かのスイッチをしたような肌触り。まさか、と思った時には遅かった。





 ぐるぐると視界が回る。テレビ。隣の部屋のダイニング。扉。窓。壁。ぐるぐるぐるぐる。
 最後に、一瞬あのレンジが目に入った。その扉が、開いていたのは一体何故だったのか。そもそもコンセントも差していないのに、何故稼動するのか。
 うぃぃぃぃぃん、という機械音が聞こえる。電子レンジが回る音。頭の中に響く。
 頭痛のようなものを感じて、みなもは手で頭を押さえようとした。
 が、手は動かない。
「あれ?」
 何の感触もしない。ただ、動かそうと思った手が動かなかった。そして自分の視線が随分と低い事に気がつく。体を起こそうと彼女は力を入れた。
 が、何も起こらない。
 まるで体がなくなってしまったように、切り離された感触。咄嗟にみなもは視線を巡らせた。幸いにも目は動く。それは、本当に幸いだったのか。
 あの電子レンジが開いていた気がしたが、それは見間違いだったようだ。ピカピカとしているその黒いガラスには、何か可笑しなものが映っていた。
 みなもはそれがなんなのかを知りたくて、目を凝らす。
「う、そ?」
 呟いてしまうほど、それは奇妙で現実離れした光景だった。
 自分の顔の下にあるのは、足の裏、だろうか。それから、関節があるはずのないふくらはぎが見えて、今度は太もも。次に、腰、鳩尾、胸元、そして、顔。それらは、そうかもしれないと思ってみればそう見えないこともない、というだけだ。
 まるで、人の体を強引に折りたたんで、小さな箱に詰め込んだような、歪な何か。手を伸ばそうとして、顔の横にあった細長いものが動いたのが解った。もう一度動かす。指を一本ずつ動かしてみて、中指を動かしたつもりのとき、その細長いものは痙攣した。
 そのおかしな箱の後ろには、まるで洩れてしまった様に、青い髪の毛が床を這っている。それらが少しずつ、寄り集まろうとしていた。
 何が起こっているのか。どうしたのか。みなもは必至で考えた。何が起こっているか解らなければ、解決策も探しようがない。
『呪の電子レンジ』
『電源を入れた人間を電子レンジに』
『呪が』
 断片的な言葉が頭に浮かんだ。
 理解が、訪れる。
「い、」
 歯の根がなった。体の一つずつが良く見える。手を握り締め様としたとき、顔の横にあった白く細長いものが痙攣する――――
「やぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁっ!!!」
 角に押し込まれた顔が、醜く口を開いた。眉が寄り、その歪められた青い双眸から涙が溢れ出す。それは、箱の表面を伝って、床にしみこんでいく。
「いやっ! いやっ! いやっ! いやっ! いやぁっ!!!」
 体を捩り身を揉んで叫び散らしたいのに、箱の中の肉が微かに痙攣する程度。それが目に映り、彼女はますます錯乱した。
「なにこれ!? なんなんですか!? 嫌っ! やだっ! 止めてくださいっ!! 怖いっ! 気持ち悪いっ! 嫌嫌嫌嫌嫌嫌っ!!!」
 嫌悪感が募る。その歪で気味の悪い物体が、自分の体だと思うだけで吐き気が沸く。しかし、表面上は何も起こらない。
 捻られた髪の毛が、箱の後ろから無造作に一本のコードになって投げ出された。少しずつ、表面が平らにならされていく。
 わけが解らなかった。
 ただ、全身を何かが這い回るような、どうしようもない嫌悪感。
「いやぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁっ!!!!!」
 上げた悲鳴が、どこかに篭るような声になった。表面がコーティングされ、水色のカバーがかけられる。彼女の目は見えなくなった。彼女の体のどこも、動かせなくなった。
「いや、いや、いや、いや、いや、いや、いゆぁ、ゆあぁぁぁぁ」
 声はかすれ、音になり、やがて電子音が響く。
 うぃぃぃぃぃぃぃん……
 何が回っているのか。
 みなもはゆっくりとそれを確認する。自分の中にあるのは、何か、皿のようなものだった。それが何か解った瞬間、彼女はいっそ笑い出したくなってきた。
 それが何か?
 電子レンジの中で回っている、陶器製の受け皿だ。そこで不意に、彼女は自分が電子レンジになっている事を確認した。
 そう。
 これは電子レンジだ。
 さっきまであれほど必至だったのに、手を動かそうとは思わなかった。なぜなら必要ないからだ。目が見えなくて当たり前だ。だって、電子レンジなのだから。涙を流す事はできない。中の電子機器がショートしてしまったら、彼女は死んでしまうかもしれない。否、死とは一体どんな概念であったか、不意にみなもは思い出せなくなった。そもそも、思い出すとはなんだろう。この考えは、考えとは?
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
 回る。回る。回る。回る。
 それ以外、何が必要か。
 この扉を開き、内部に物をいれ、タイマーを設定し、スイッチを押してくれるその手以外に、一体何が必要なのか。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
 回して。暖めて。その熱が、彼女を熱くして。身を焦がすように、心を焦がすように、彼女はそれを慈しんで、そっと暖める。
 中に入ってきたものは、全て彼女が引き受ける。外からの口出しなんて聞かない。それは彼女の物になる。どうしようと彼女の勝手。だけど、彼女は暖める。
 粒子同士のぶつかり合う音が心地よい。
 モーター音の歌声に酔いしれて。
 やがて時が来て、その熱の高まりに魘されるように高らかに彼女は宣言するのだ。

 チン。

 何か一つの柵が外れた気がして、みなもはその音の虜になった。
 今日、入れてもらえるのはなんだろう。どんなものでも美味しく暖めて見せる。体中から電波を出して、一秒に二十四億五千万回の粒子の衝突で。心の奥から温めるから、きっと安心してもらえるはず。
 でも、ちゃんと載せる器を選んで欲しい。ガラスか陶器が理想的。火事にしたくないなら、金属製は遠慮して。マイクロ波を反射して、火花が散る事もある。

 チン。

 エッジランナウェイがお嫌いならば、今度は上手くアルミホイルを使って欲しい。マイクロ波は細い所にばかり集中しがちで、みなもにはどうしようもない。だからこそ、と彼女はうたうような気持ちで思う。
 海老の尻尾や焼き魚の櫛など、そんな場所に熱が集中しがちな事を、エッジランナウェイと人間は呼ぶ。だから、そこにマイクロ波を反射するアルミホイルを巻いて欲しい。皺をなるべくつけないで、内側の壁にも接触しない様に。
 彼女のうちで熱を反射してしまえば、火花が散る事もざらにある。

 チン。
 
 野菜を茹でたいなら、是非一度試して欲しい。彼女は、野菜を温めたときのビタミンCの残存率が、鍋で茹でるより多い事を知っている。

 チン。

 器は円形がいい。角が合ったらそこに熱が散らばってしまうから。なにより、女性の中に四角いものを入れるなんて、何てこと。

 チン。

 何でも良いといいたいところだけれど、生卵だけは勘弁して。彼女は祈るように、モーター音で沿う奏でる。ゆで卵になる、なんて信じてはいけない。殻と中身が飛び散って、悲惨な思いをするだろう。何かに割って、それからならいいけれど。

 チン。

 今日の食卓を、きっと素敵に彩って見せるから。どうか私を使ってと、みなもは歌う。みなもは祈る。
 自分の存在意義を。自分の存在理由を。ここにいる訳を。必要とされる意味を。
 全てを、たった一つの言葉に込めて。
 そして高らかにこう、宣言するのだ。 





 チン。







 
 誰も居なくなった部屋に、二つの電子レンジが置いてあった。
 その内片方は、コンセントも刺さっていないというのに、何度も勝手にタイマーが入り、終ればまたスイッチが入る、ということを繰り返していた。
 部屋が暗くなり、やがて夜が訪れ、それが、人の形に戻るまで。

『取り扱い注意。ただし、この作品は欠陥品につき数時間で人に戻る可能性高し』

 気がついたみなもが、取扱説明書を最後まで読まなかったのを悔いる暇はなかった。無理矢理あの衝撃吸収剤と電子レンジを詰め込み、最後に衝撃吸収剤でぐるぐる巻きにし、ガムテープで執念さえ感じるほど執拗に止めたリモコンを放り込む。
 今日は非常に珍しい体験をした。
 電子レンジになる体験だ。電子レンジの気持ちが解る、非常に貴重な機会である。人生生きていてあるかどうか。生まれ変わってあるかどうか。
 が。感謝する気にはまっっったく、ならなかった。 
『返品!!!』
 その字が書きなぐってあって、ペンが一本潰れたとしても、みなもは多分、悪くないだろう。




END