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<東京怪談ノベル(シングル)>


『仔猫狂想曲』


【里親募集、仔猫の飼い主捜しています。】


「どうした、沙樹?」
 小首を傾げる彼女に、目の前の席に座っている従姉妹の倉前沙樹は慌てて微笑んだ。
 そしてその表情を見て、彼女はつい…笑ってしまう。
 沙樹はその従姉妹の表情に、あ、ひどい、という感じで頬を膨らませるが、上手く頬を膨らませられずにすぐに口からくすくすという笑い声と一緒に零してしまう。
「お店の入り口の所に貼られていた紙の事が気になってるんだろう?」
 彼女はにやりと笑いながら沙樹の心を見透かしてみせる。
 学校の帰り道、小腹が空いた彼女らはちょっと寄り道を、という事でこの甘味処にやって来たのだ。
 その甘味処の入り口の所に、沙樹の気を奪う文句が書かれていた紙が貼られていた。


 里親募集、仔猫の飼い主捜しています。


 沙樹はほんのりと頬を赤らめる。
「ごめん。ずっと気になっちゃってて」
「謝る事は無いよ。で、どうする、沙樹? 里親になるのか?」
「う〜ん。もう一匹ぐらい増えても大丈夫だろうし、蓮だって、あの子だけじゃ寂しいだろうから、って想うんだけど………」
 沙樹はうーん、と考え込んでいる。
 彼女はその姿を見ながらくすくすと笑っていた。
 沙樹の家の蓮も沙樹に助けられて倉前家に来た時は仔猫だった。彼女もちょうどそこに居合わせて、そしてそれからの事もずっと見ていたから、だからわかっている。
 沙樹が親猫を失った仔猫にどれだけ優しく接し、最初は怯えきって、猜疑心の塊のようだった蓮がだけど頑なだった態度を氷解させて、沙樹に慣れていく姿を。
「沙樹に飼ってもらえるなら、その子も幸せなんじゃないか? それはチビ(蓮)を見てればわかるし」
 ―――あたしも沙樹に救われている。だからかもしれない。里親を探している仔猫に沙樹と逢わせてあげたい、と想うのは。幸せのおすそわけ。そうやって広げていきたい、優しさ、ぬくもり。
 何よりも………
「うん、決めた。私、店員さんに仔猫ちゃんの事、聞いてくるね」
 とても嬉しそうに微笑んで、席を立って、店のお姉さんに話し掛けている沙樹を見て、彼女も微笑んだ。
 そう、何よりも、あたしは、沙樹の笑顔には弱い。
 肩を竦めながら彼女はくすりと笑った。男勝りな彼女の弱点、なのかもしれない。倉前沙樹は。
 だけど別にそれは嫌じゃないけど。
 そして沙樹は席に戻ってきた。
「どうだった、沙樹?」
「うん、仔猫たち、見せてくれるって」
 嬉しそうに笑う沙樹。
 彼女は頬杖つきながらそれをにこにこと見ていた。
 それは仲の良い友達同士の光景にも見えたし、
 また姉妹のようにも見えた。
「そっか。良かったな、沙樹」
「うん」
 二人でお汁粉を食べながら仔猫はどんな子なのかをお喋りしあった。
 それで沙樹は嬉しそうに仔猫だった時の蓮の事を聞かせてくれる。彼女が知っている事、知らない事、含めてたくさん。
 心地良い沙樹の声を聞きながら彼女は昔の事を思い出していた。意識が心地良い眠りの淵に落ちていくような感じで、自分たちが中学二年生で、そしてあの雨の日に初めて沙樹と蓮が逢った時の事を。



【雨の中の出会い】


 しとしとと降る雨は傘を叩いていて、その音は二重奏。
 仲の良い少女たちは傘を差して並んで歩きながらお喋りをしていた。
 お喋りの議題は、二人が大好きな祖母の今度の誕生日に贈るプレゼントは何にしようか? というモノ。
「今度の休みに一緒に街に見に行こうか、沙樹?」
 と、彼女は言うが、沙樹はそれに答えない。
 それどころか彼女は足をぴたりと止めた。
「沙樹?」
 その沙樹の様子に彼女は心配して傘を傾けて、沙樹の顔を見た。
 ………黒い瞳は大きく見開かれて、顔は真っ青になっていた。薄く形のいい唇は震えている。
 その様子を見て、彼女は沙樹の身に何が起きたのかを悟った。
「また、見えてるのか、沙樹?」
「………うん」
 彼女は下唇を噛んだ。
 彼女の従姉妹には不思議な力があるのだ。それは霊が見えてしまう、というものであった。それでも最近はその霊視能力もコントロールが完成に近づいてきていたのだ。
 だけどその矢先の事だった、これは。
「猫」
「ん?」
「………死んだ猫が、雨に打たれながら、じっと私を見てるの」
「ダメだ、沙樹。情けをかけてしまうと、霊は沙樹に寄って来てしまうぞ」
「………うん、わかってる。わかってるけど………」
 ―――何だかとても哀しそうな目をしているの。
 彼女には沙樹の考えてる事は自然に手に取るようにわかった。
 降る雨の勢いが激しさを増す。まるでバケツを引っくり返したような勢いで雨が降る。
 傘を叩く、乱暴な音。とても不吉に思えた。
 沙樹は彼女にとってとても大切な人だ。だから彼女が守らねばならない。心を鬼にして、言う。
「沙樹」
「うん」
 沙樹もわかっている。心配をかけさせたくない。大切な人だから。
 だから沙樹は見えている猫の霊から目を逸らした。
 その瞬間、びくりと彼女の細い体が震える。
「どうした?」
「生きてる…そう、伝えてきた」
「猫の霊が?」
「うん」
 目を逸らした瞬間に、伝えられた想い。
 それに沙樹は唇をきゅっと引き結んだ。もう黒い瞳は怖がってはいない。いや、もちろんまだ恐怖はあるけど、それでも他の意志の方が勝っていた。
 自然に二人で手を繋ぎ合う。きゅっと硬く。
 お互いの手に感じあう、震えとぬくもり。
 沙樹は彼女を見て、言う。
「ごめんね」
 彼女は苦笑する。
「いいって」
 わかりあえている安心感。胸に広がる温かみ。だから激しい雨が降る中を二人で恐る恐るでも行けた。
 猫の霊が居る場所。
 そこは樹の根元で、灰色の野良猫が横たわっていた。冷たい雨に打たれる猫は、動かない。毛は硬く、体ももう死後硬直しているようだった。
 そこには明確な死があった。
 二人の少女は繋ぎあった互いの手をさらにきゅっと握り締めあった。
「みゃぁー」
 激しい雨の中。それでもかすかに響き渡った力の無い、だけどそれでもどうしようもなく感じる生の、声。
「沙樹」
「うん。生きてる、この子の事だったんだね」
 沙樹は泣き出す寸前の声でそう言って、傘を手放して、制服が汚れるのも構わずにしゃがみこんで、両腕でその小さな命を抱き抱えた。
 仔猫は沙樹の腕の中で震えていたけど、それでもその濡れて、冷めきった体に感じた沙樹の温もりに小さな声をあげた。
「みゃぁー」
 生きている。生きて、いるんだよ。
 沙樹は何度も頷いている。
 彼女は自分の傘をそっと沙樹に差しかけた。
 仔猫から顔を上げる沙樹。そして沙樹は親猫に視線を向ける。正確には親猫の隣。多分そこに沙樹が見ている親猫の霊が居るのだろう。
 そっと囁く。温かい声で、優しく。そして力強く、諭すように。
「もう大丈夫だよ」
 サァーサァー。降る雨が弱くなった。やがてしとしとと、そして止む。
 まるで図ったようにたった今まで激しい雨を降らせていた分厚い雨雲の隙間から零れる日の光。夕方の橙色。柔らかな光の筋は親猫の亡骸をそっと照らした。少女たちの優しさに触れた親猫の魂の救われる様を絵に表現するような光景。
 だからそれもきっと聞き間違えじゃない。
『にゃぁー』
 聞こえた親猫の声。安心しきった響きと感謝の響きが篭った。
 それが沙樹と蓮の出会いだった。



【仔猫の体温】


「うわぁー。かわいいですね」
 小さなバスケットの中には小さな小さな仔猫3匹が居た。
「もしもこの中に欲しい子が居たら、もらってやって」
「はい」
 沙樹は嬉しそうに微笑んで、仔猫を眺めて、悩む。
 百面相。もちろん、沙樹の表情が。
 彼女は甘味処の店主のお姉さんと一緒にそんな沙樹の表情を見ながらくすくすと笑っていた。
 そして沙樹は小さな仔猫を抱き上げた。
「この子をください。大事に育てますね」
「ええ、ありがとう」
 沙樹は腕の中に小さなぬくもりを感じながら、店主のお姉さんににこりと微笑んだ。



 +++


 仔猫を抱きながら二人一緒に帰る。
「蓮と出逢った時の事を思い出すね」
「あの時は二人で走って帰ったんだよな」
「うん」
 そう、二人で一緒に走って帰った。
 沙樹はそれを昨日の事のように覚えている。
 今腕の中にある小さなぬくもり。
 だけどあの時、蓮の小さな震える体はとても冷たかった。



 水溜りが所々にできたアスファルトの道を駆けて、沙樹たちは家に帰った。
「ただいま」
「おじゃまします」
 倉前家の令嬢。二人の躾けはしっかりとしているので、無意識にそれが口から出る。どんなに急いでいても。
 沙樹の部屋に入って、それから箪笥の中にあったありったけのタオルなんかを取り出して、それで仔猫を包んであげた。
 だけど震えが止まらない。
「どうしよう? やっぱり獣医さんの所に連れて行ってあげた方がいいのかな?」
 不安そうな声を出す、沙樹。
 彼女も唇を噛んだ。
 しかしこのままではその獣医の所へ行く前に仔猫が………
「がんばって。がんばってね、仔猫ちゃん」
 丁寧によく乾いた清潔なタオルで仔猫の体を拭いてやる。ドライヤーで乾かしてやるのは、仔猫が耐えられそうにないのでやれない。
 だけど少しも仔猫の震えは止まらなかった。
 小さな小さな小さな仔猫はずっと震えている。
「沙樹、これ」
 沙樹がタオルで仔猫の体を拭いている間にパソコンを起動させて、素早くネット検索していた彼女が、画面を指差した。
 その画面を見て、沙樹は瞳を輝かせる。
「これだったらきっと大丈夫だよね。私、用意してくるね」
 そう言うが早いか沙樹は台所に行って、冷蔵庫の中にあったペットボトルのお茶を他の容器に移して、その傍らで弱火で温めていた薬缶のお湯を、火を止めて、ちゃんと熱さを調べてからペットボトルに入れて、急いで仔猫の所へ持っていった。
 彼女が検索してくれた仔猫の飼い方を紹介しているHPに載っていたのだ。仔猫は体温を保たないといけないから、だから湯たんぽを利用するといい、と。
 その場しのぎの方法として、ペットボトルにお湯を入れて湯たんぽにするのもいいと。
 お湯の入ったペットボトルにタオルを巻いて、そしてそれを仔猫の傍らに置いてやった。すると仔猫はその即席湯たんぽにぴたりとくっついた。気持ち、震えが弱くなった。
「みゃぁー」
 小さな、鳴き声。
 沙樹は彼女と顔を見合わせて、喜び合う。
「よかったな、沙樹」
「うん」
 それからもう一度、タオルで仔猫の体を拭いてやり、台所にあったダンボールを組み立てて、そこにタオルを敷き詰めて、仔猫を寝かせてやる。即席の湯たんぽと一緒に。
 さっきまではあれだけ震えていた仔猫は今はすやすやと眠っている。
 ほっと一息。
「さっきのHPによると仔猫は眠るのが仕事だって」
「それだったら人間の赤ちゃんと一緒だね」
 そう言って沙樹はそっと仔猫を撫でてやる。小さな温もりが確かにそこにあった。
「もう大丈夫」
 呟く。それからくすっと笑って、また彼女と顔を見合わせ合って、微笑む。
 立ち上がる沙樹。
「沙樹?」
「うん。今度は親猫の方。あの子もちゃんと埋めてあげないと」
「そうだな。それで帰りにコンビニかどこかで餌を買ってこよう」
「うん」
 二人で一緒に親猫の所に行く。
 沙樹は冷たい親猫の体をそっと撫でた。
「ごめんね、後回しにしちゃって。だけどあなたの仔猫はもう大丈夫だよ」
 そう呟き、それから沙樹は彼女と一緒に母親の園芸用のスコップで樹の根元に穴を掘って、そこに親猫を横たえて、土をかけてやった。
 盛り土を小さな小山形にして、その頂上に石を積み重ねる。
 丁寧に弔われた親猫。
 沙樹と彼女は二人で親猫のお墓に両手を合わせた。
 そして沙樹と彼女が仔猫を助けてから数時間後の倉前家。
 そこで沙樹と彼女は、沙樹の母親に頭を下げていた。
 仔猫がダンボールの中で「にゃぁー」とか弱い鳴き声をあげていた。



【お母さん】

 
 コンビニで買ってきたドライフードを熱湯で温めて、ふやかすと、それを猫缶と混ぜ合わせて、仔猫の前に置いてやった。
「ほら、お食べ」
 仔猫はつぶらな瞳で沙樹を見上げる。
「美味しいよ。大丈夫だよ」
 そっと小さな体を撫でてやると、仔猫は猫缶に顔を近づけて、それからもう一度沙樹の顔を見上げた。
「大丈夫だよ」
「みゃぁー」
 仔猫は一声鳴いて、食べる。
 それを見て、ほっと一安心の溜息を吐いた沙樹に彼女はペットボトルを渡した。
 仔猫には猫缶を食べさせた後に水をやる必要がある。
 沙樹は手の平に水をほんの少し溜めて、それを仔猫の顔に近づける。仔猫の舌が沙樹の手の平を舐めた。ひどくくすぐったい。
 そんな沙樹を見ながら彼女はくすりと笑った。
 そして仔猫はまたすやっと眠り始めた。
 弱っていた仔猫は確実に回復している。
「それでどうするんだ、沙樹。このチビ」
「うん」
 こくりと頷いて、自分のスカートの上で体をまるめて寝ている仔猫を見る。
「どうしようか?」
 ………と呟いても、もう見捨てる事もできない。
「飼えなかいかな…って想う」
 悩んだ末の結論だった。
「だったらあたしも一緒に叔母様にお願いするのに付き合う。いつも一緒だろう、あたしたちは」
 その彼女の言葉に沙樹はとても嬉しそうに顔を綻ばせた。
 そして二人で沙樹の母親に頭を下げる。
「「お願いします、お母さん(叔母様)」」
 沙樹の母親は頭を下げる二人から、二人と自分の間にあるダンボールの中の仔猫に視線を落として、それから苦笑した。
「このペットボトルはどうしたの?」
「あ、えっと、仔猫が震えていたから、湯たんぽの代わりに。ネットで調べたの」
「沙樹が見つけた時にはもうほとんど弱っていて、だけど沙樹がとても一生懸命に介抱して、このチビはここまで回復したんです。だからお願いします、叔母様。あたしもできる限りの協力をします」
 もう一度頭を下げる二人。
 沙樹の母親は真っ直ぐに自分を見つめてくる二人の少女を見つめながら、問うた。
「仔猫は一度にはたくさん食べられないから、3、4時間置きに餌をあげないとダメなのよ? その他にもまだたくさん仔猫を飼うために気をつけないといけない事があるのだけど、沙樹、できる?」
 その言葉に沙樹は顔を綻ばせて、うんうんと頷いた。
「はい、できます」
 それから沙樹は彼女と一緒にネットで検索した仔猫の飼い方を母親に口にしてみせて、ちゃんと仔猫の面倒を看る事を誓った。
 母親は小さく微笑んで、自分を見る沙樹と彼女にこくりと頷いて、沙樹と彼女は顔を見合わせあって、喜びあった。
 そうして仔猫は、晴れて倉前家の一員となった。



【蓮】


 甘味処からもらってきた仔猫の名前は蘭となった。
 蘭はとてもおっとりとしていて、落ち着いている。ひょっとしたら蘭が三匹の中で一番の年上なのかもしれない。
 沙樹がくすりと笑ったのは大きい蓮の方がちょこちょこと動いて、それから蘭にじゃれていくから。まるでこれでは反対だ。
 沙樹はくすくすと笑う。
 そしてその光景にほっとした。
 蓮と蘭は出逢ったその次の瞬間からもう仲良しだった。



 晴れて倉前家の一員となった仔猫。
 仔猫はダンボールの中で即席の湯たんぽを脇に置いて眠っている。その光景を見ながら彼女は唇を動かした。
「あなたの名前を付けてあげないといけないよね。さてと、どんな名前にしようか?」
 コンポから流れてくる心地良い音楽を聴きながらノートに浮かび上がる名前を書き綴っていく。だけどどれもぴん、とは来ない。
「はふぅー」
 と溜息を吐いて、机に突っ伏した。
 瞼を閉じて、仔猫の名前を考える。
 とてもかわいくって、小さな仔猫の姿を思い浮かべる。その姿に似合う名前。
 浮かんでは、消えていく。
 どれも違う、と想う。
 読んだ本、見た映画、従姉妹の彼女と一緒に夜、眠る前に枕元に座っている祖母に聞かせてもらった物語、そんな語に出てくる登場人物の名前、石の名前とか、
「あとは植物の名前……」
 そう。植物は沙樹にとってはとても大切な存在。
 そしてまるで静かだった水面に波紋が浮かぶように、その映像が思い浮かぶ。
 蓮の花が。
 壮麗な花姿と独特の香りで人々の心を魅了する蓮の花。
「…れん、蓮。あなたの名前は蓮でいい?」
 優しさに満ちた、蓮の花。
 だからそれは仔猫に相応しく思えた。
「みゃぁー」
「うん」



「ほら、蓮、ごはんだよ」
 お気に入りの場所から沙樹を見る蓮。
 だけど蓮は窺うように沙樹を見てるだけ。
 弱っていた頃は生存本能が先に立っていたのだろう。沙樹の与えてくれるご飯を食べていた。
 でも元気になるにつれて、人への、知らない場所への警戒心が表立って出始めた。蓮は仔猫なのだ。
 ここはドコだろう?
 あれはダレだろう?
 オカアサンはどこに行ったの?
 沙樹が居なくなると、タオルが敷かれたバスケットから、温かなペットボトルを踏み台にして、飛び出す。
 それから窓や部屋のドアをかりかりと引掻いた。
 脱出をはかるために。
 でも脱出はできない。無理。
 お腹が空いて、疲れて、寝床のバスケットに戻る。そしたらその頃を見計らったように沙樹が来る。時折、彼女によく似た女の人。沙樹がいつも同じ服を着て、同じ時間に出かけて帰ってくるまではその女の人がくれる。
 それ以外は沙樹。餌をくれて、それからいつも一緒に居てくれる。
「美味しい?」
 かけられる、声。
 いつも彼女はそう言ってくれる。
 優しい声で、だけどほんの少し哀しそうに。
 見上げた場所。そこにある顔。とても優しい眼。
 覚えている。その眼。
 包んでくれるヌクモリ。
 声も聞こえていた。響きも、そこに含まれている優しさも一緒。
 じゃあ、お母さんは?
 蓮は、それを考える度に不安になった。怖くなった。哀しくなった。
 仔猫でも知っている。わかっている。人間の子どもなんかよりもそういう事に関しては鋭い。か弱く、自然の中で生きる命だから。
「蓮、お水だよ」
 そっと顔に近づけられる手。
 その手を、爪を立てて、引掻く。
「っ痛い」
 そのまま駆けて、扉に。
 爪を立てて、引掻いて、扉を開けようと。
 その自分の体にまわされる手。包み込んでくれるぬくもり。
 あの雨の日に、ずっと包み込んでくれていた、ぬくもり。
 ―――もう大丈夫だよ。
 何度も何度も聞いていた声。
 大丈夫。誰が?
 自分が。
 包み込んでくれるぬくもり。
 お母さんのぬくもりは降る雨に流されて、遠くの方へ行ってしまった。
 だけどその雨の冷たさの中で包み込んでくれたぬくもりがあるから、きっともう大丈夫。
 大丈夫。
 ずっと、
 ずっと、
 ずっと、
 大丈夫。
 わかっている。
 大丈夫。
 大丈夫だよ。
 蓮はちろりと沙樹の手の引掻き傷から流れている血を舐めた。
「ありがとう、蓮」
 蓮、それがお母さんと同じぐらいに温かいぬくもりをくれる人の、沙樹が付けてくれた名前。


 れん――――蓮。



【ラスト】


 ちっちゃかった蓮。
 最初は警戒していて、怯えて、多分…お母さんを捜していた。
 だけど私に出来る事はお母さん猫の代わりをやる事だけ。14歳の女の子にできる事はいつも一緒に居てあげて、包んであげる事だけ。
 たった一度だけ、蓮に引掻かれた日、だけどあの日から蓮は少しずつ私に打ち解けてきてくれた。
 少しずつ私に甘えてくれて、私たちは仲良しになった。
 マフラーを編んでたら、毛糸の玉にじゃれついて、マフラー編みの邪魔をした蓮。
 高い木の枝に登って降りられなくなって、弟に助けられた蓮。
 よく私の胸の上で寝ている蓮。
 冬は私の足の上が特等席の蓮。
 私たち家族の中に溶け込んで、倉前家のちゃんとした家族になった蓮。
 私の大好きな仔猫の蓮。
 それから三年経って14歳の私は17歳になって、蓮も大きくなった。
 甘味処で見た張り紙。里親募集、仔猫の飼い主捜しています。
 増えた倉前家の家族の一員。新たな仔猫の蘭。
 蘭はおっとりとした大人しい子で、蓮の方が大きいのに蘭にじゃれついていく。
 逢った瞬間に蓮は蘭の事が気に入ったようで、蘭も少しずつ少しずつ倉前家の一員になっていけたらいいな、って。
 従姉妹の彼女にそう話したら、彼女はとても優しく微笑んで、「そうだな」って言ってくれた。
 本当にそうだと想う。
 そして私は蓮のお母さんのお墓に今日も蓮は蘭と一緒に仲良く遊んで、元気だよ、と伝えた。きっと今も蓮と蘭、倉前家の大切な家族の一員。二匹の猫は家のリビングで楽しそうに毛糸の玉で遊んでいるはずだ。
 お墓の隣に生えている花は嬉しそうに笑っているように私には見えた。


 

 ― fin ―
 

 
 ++ライターより++


 こんにちは、倉前沙樹さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 ご依頼ありがとうございました。
 今回のお話、いかがでしたか?^^
 沙樹さんと飼い猫の蓮との出逢いはこういうお話だったのですね。^^
 沙樹さんにとってとても想い出深い蓮との出逢いのお話を任せていただけて、とても嬉しかったです。本当にこんな素敵なお話を書かせていただけて、ありがとうございました。^^
 蓮と蘭、二匹の猫のじゃれあう光景もとてもかわいくって、微笑ましいのでしょうね。^^
 ご要望してくださっていたお話の雰囲気がちゃんと書けていたらいいと想います。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。