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<東京怪談ノベル(シングル)>


少し優しくて、少しいじわる



 見慣れた道、見慣れた校舎、見慣れた――生徒さんたち。
 場所はいつものメイク室。ここに一人で来れるようになった自分に対して、今更ながら恥ずかしさを覚える。
(何回もここに来た証拠なんだもん)

「急に暑い日が続くようになったわねぇ」
 そう言って、生徒さんがティーカップを出してくれた。
 仄かに柑橘類の匂いがする。飲んでみると甘い味と心地よい冷たさが口に広がった。
(凄く美味しいという訳じゃないけど、落ち着くなぁ――)
 ここに来るときは、いつも緊張しているから。飲み物を飲んだり、話をしたり。何気ないことで、気持ちは和らぐものなのだ。
 ……もっとも、生徒さんと話をしては、より緊張することになる気がするけれど。
 飲み干したカップを受け取って、生徒さんは嬉しそうにしている。
「ブレンドティーなの。ストレスを取り除いて、気分を明るくしてくれるのよ。どう? 明るくなった?」
「明るく、かどうかはわからないですけど……。ホッとする感じがします」
「あら、良かった」
 生徒さんはカップを片付けて、微笑んだ。「その明るい気分のまま、脱いじゃいましょうね」
「!」
 ぎゅ、と絞るように、視線を生徒さんから逸らして――床を凝視する。
(……ああ、やっぱり)
 生徒さんと話をして、緊張が和らぐ筈がないのだ。
「私たちね、考えたの」
 と、生徒さんは穏やかに言った。
「みなもちゃんは、いつも恥ずかしそうにしているでしょう? やっぱりね、私たちもみなもちゃんに楽しんでもらいたいのよ。メイクをすることも、メイクの時間中も――私たちはメイクをされる側のことも配慮しなきゃ、ってね」
「そ、それはそうですけど……」
 反対の言葉が、上手く出てこない。
(うう……)
 確かに、あたしのことを考えてくれていると思うんだけど。何というか、その。
(ずれているような……)
 でも、生徒さんも親切心でやってくれている訳なんだろうし……頭から断るのも悪いだろうか。
(とは言え、さっきの一言は、思いやりから来ているとは思えないし)
 考えが、グルグルと回る。既に生徒さんのペースに乗せられているのだ。
「……そこで私たちの工夫なんだけど。飲み物もそうだけど、メイク中に音楽を流すことも考えているのよ」
「BGMですか? それは良いかも……」
「皆がバラバラに持って来た物だから、みなもちゃんの好みに合うかどうかわからないけどね。この中だったら、みなもちゃんはどれが良いのかしら?」
「えっと……」
 CDの山から、一枚のアルバムを取り出す。朝日を浴びた海の写真が目印になっていて、目を引いたのだ。
「リラクゼーション系ね。じゃあ、流すわね」

 微かに、波の音がし始めた。

(あ、何だか)
 落ち着きそう――……。

 目の前に、海が広がる感じがする。

「良い感じでしょ?」
 フフ、と生徒さんが笑った。「本当は他にも工夫を凝らしているのよ」
「じゃあ、服を脱いで横になってね」
 この雰囲気においては、生徒さんの言葉は検査をするお医者さんみたいだ。
「は、はい……」
(これはもう、仕方ないもんね……)
 勇気をかき集めて、剥ぎ取るように服を脱いだ。
 胸が少し汗ばんでいる。
 そうして言われた通りに仰向けに寝転がった。
 まさかあんな物があるだなんて、知らなかったから。

「きゃあああああ?!」

「ふふ、気が付いた?」
 生徒さんの満たされた声。
「味覚、聴覚、と来たら視覚も……ね。みなもちゃんの好みが判らなかったから、取り合えず私たちが“和む”写真を引き伸ばして天井に飾ってみたの。どうかしら?」
「は、外してください……っ」
 動揺のあまりにもつれた舌で、あたしは叫んだ。
「これ、あたしの写真じゃないですか……!!」
 そう、飾られているのは犬娘だったときのあたしだった。B2サイズで、丁度あたしの眼の前にある。
「もっと大きい方が良かった?」
「そういうことじゃないんです!!!!!!」
「あら、そうなの……」
 生徒さんは残念そうに言った。
「みなもちゃんが気に入ってくれるようなら、カレンダーにしてプレゼントしてあげようと思ったのに」

 いーーーーーりーーーーーまーーーーせーーーーーーーーん!!!!!!
 ――あたしの声が響き渡った。


 今回のメイクは、“岩”だそうだ。
(ここの依頼で、静物になるのは初めてだなぁ)
「縫いぐるみでやるんですか?」
 生徒さんは首を横に振った。
 てっきり前と同じ手法でやるのかと思っていたのだけど、そうではないらしい。
 縫いぐるみは、お金がかかるのよ――と生徒さん。
(そう言われてみれば)
 あれは普通の縫いぐるみとは違うのだから、当たり前と言えば当たり前かな。
「基本に戻るわ。メイクはね、予算が全てではないもの。一番重要なのは、やっぱりコレね」
 生徒さんは腕をまくってみせた。
「確かにそうですよね」
 目が合って、笑みがこぼれる。
(どうやるんだろう)
 羞恥心よりも、好奇心が沸いてきた。
 生徒さんの技も見たいし、自分がどうなるのかにも興味がある。
 ――何でも、石の破片を身体に貼り付けていくことから始めるらしい。
 最初の頃の、猫と同じ感じだろうか。
「でも、それだけじゃないわよ」
(何なのかな)
 生徒さんの指の感触を身体に感じながら。
 ……やっぱり、ドキドキする。
 楽しみなような、恥ずかしいような。

(だけど)
 あの天井は、どうにかならないものか。
 写真があると、恥ずかしくて――必死に目を逸らしている。
(これを狙っているんだとしたら)
 生徒さんってば、あたしをリラックスさせるよりも、からかいたいらしい。
(もう……)

 近すぎる位置に、生徒さんのウエストが視界に入る。
(大人っぽいスタイルだなぁ……)
 今の気持ちと絡まって、ちょっと妬ましい目で眺めてしまう。あたしの身体が子供っぽいということじゃあ、ないんだけど……。

(あ……)
 冷たくて、砂みたいに細かい物が肌をつついてくる。
(石かな)
 接着剤の役目をするクリームを塗りつけた身体に、まずは小さな石を満遍なく付けるらしい。これは言わば、人間で言う“皮膚”作りのようなもの。
 顔を含めて全身に付けるのに、時間がかかる。仰向けの状態で、石が完全に身体に馴染むまで待ち、それからうつ伏せになって、そこも同じようにするからだ。
 さらに立ち上がって、零れ落ちた部分に石を付け直す。
 数人の生徒さんが、しゃがんだり、立ち上がったりしながら動いていく。
「どうせこの上から、もっと大きな石を付けるんだけどね」
「そうなんですか……」
(それじゃあ、ここまでしなくても良いんじゃないかなぁ)
 なんて、あたしは思ってしまうけど。
「でもね、これをちゃんとしないと絶対ロクな結果にならないのよ」
「?」
「上辺では上手く誤魔化せてもね、基礎を作っているのと作っていないとでは、全然違うの。見る人が見れば判るし――それに、気持ちの問題もあるわ。こういう基礎を怠るのって、あってはならないことなのよ」
(――…………)

 一瞬、ギクリとした。
 生徒さんの表情が、厳しそうに見えたから。

「縫いぐるみを使わないのは予算のためって、さっき私が言ったじゃない?」
「え、はい」
「本当はもう一つ、気持ちの問題もあるのよ。ああいうお金をかけたメイクって、緊張するし、良い刺激になるんだけど――それが続くとね、不安になるのよ。お金をかけたメイクに慣れちゃって、低予算でのメイクに対して気持ちの緩みが出るんじゃないかしら、ってね」
「――…………そうなんですか……」

(あれ……)
 何だろう、変な感じがする。

 メイクに対して、生徒さんは真摯だ。あたしが思っているより、ずうっと。
 今自分がしていること、これから自分がしていること――それが特殊メイクなのだと生徒さんは理解していて。
 だから、こんなにまっすぐと、メイクの話が出来るのだろう。
(それが何だか)
 ショックだった。


 石の破片を重ねていく。これも満遍なくだ。
(細かい作業なんだなぁ)
 改めて思う。
 こういうのって、手先の器用さふぁ必要とされるのだろうか。
 生徒さんの指は、細くて長い。リズミカルに動いて、たまに短く切った爪が覗く。
 破片が身体に付いてくると――自分の腕を見る限り、岩とはいかなくても石には見える。
 でも、これで終わりではないらしい。
「樹脂を軽く塗るわね」
 刷毛を手にした生徒さんが、説明してくれた。
「この上からも、まだ石をつけるんだけど――その都度樹脂をつけていくから」
(こだわるんだなぁ……)
 表面に軽く、大きめの石と(と言っても、今付いているのはそれ程でもないのだけど)石の間には、少し膨らみをつけて塗る。樹脂の塊の色は茶色がかった半透明で、蛍光灯の光を浴びて淡く光っている。
(ちょっと綺麗……かも……)
 すぐに乾くようにしてあるので、時間はあまり掛からない。乾ききってから、丁寧に石をつけていく。勿論、さっきよりも大きめの石だ。
 これはさすがに、場所を選んで乗せていく。生徒さん曰く「田舎の空にある星の数くらいに」。
 もっと大きな石は、あたしの胸を覆うように配置していく。
「このままじゃあ、凹凸のない岩になってしまうでしょう? みなもちゃんは女の子なんだから、それを利用して変化を付けていかないとね」
 下が見やすいように、胸の谷間はそのままにしておく。代りに、背中にも石を乗せた――コブを身体につけているみたいだ。
 顔の鼻も利用する。視界に邪魔が入らないように、小さめの石を重ねて、尖った部分を作るのだ。
 肘や膝も。
(他に膨らんでいる箇所と言ったら――)
「お尻はしないんですか?」
「ううん、座れなくなっちゃうと疲れちゃうでしょう?」
 成る程。
「石はこれくらいで良いかしらね」
 その上から樹脂を塗りつける。
 刷毛から滴る程、たっぷりとつけて――何だか、パンに蜂蜜を塗っているみたい。
 肌に直接塗りつけられるのと違って、くすぐったくはない。
 でも、触られているのは判る。変な感じだ。


 これで終わり――と思ったら、まだまだ。
 より岩らしくするために、埃と苔をつけていく。
(いつも思うけど、凄いんだなぁ……)
 生徒さんの筆遣いには、溜息が漏れる。
「職人技です……」
「みなもちゃんったら」
 生徒さんはクスクスと笑って、肩を揺らした。
「近い将来、その言葉に相応しい人になりたいわね」
「やっぱり、生徒さんもプロになるんですか?」
 冷静に考えれば当たり前のことを、あたしは口にした。
「そりゃあ、ココに通っているくらいだもの。石にかじりついてでもなりたいわ」
「何なら今、かじりついちゃおうかしら」
 ぎゅう、っと生徒さんに抱きしめられた。
「プロになるわよぉ!」
 そう宣言して、生徒さんは笑い声を上げている。
「あはは……」
 あたしも、笑い声を出した。
(でも――)
 声とは裏腹に、心の中で虚しさが広がった。


 何だろう、この気持ち。
 凄く嫌なものが、粘っこくひっついているような。

 生徒さんは、あたしに対してはちょっと嘘つきで、捩じれたところがあるのに――メイクに対しては、まっすぐで、目を逸らすことがなくて。
 やりたいことも、決まっていて。
 それは、あたしが体験したことのない“まっすぐさ”。
 生徒さんが思い描く将来は――あたしが持ったことのない、具体性を帯びた夢だ。

(だから――)
 あたしは、ショックを受けて、虚しくなって。
 そして、今は――。


「凄いです。めげることが、なかったんですね……」
 ――あたしは、何でこんなことを言うんだろう。
(嫉妬している?)
 ――嫌な気分がした。
 悲しさと寂しさと悔しさを、かき回して飲み込んだみたいに。
 行き場のない苛立ちも感じていた。
(生徒さんは悪くないのに)
 めげたことがなかったとしても、あたしには関係ないことなのに。
 自分に対しての焦燥感を生徒さんにぶつけるのは、ただの八つ当たりだ。

「――……」
 生徒さんは黙って、あたしを見た。鋭い目だった。
 真剣なまなざしで――心の中を見透かされたと思う程だ。
(あたしの言葉が癪に障ったのかな)
 生徒さんは怒っているのだろうか。
(嫌な言い方だったから――)

 生徒さんの唇の端が、柔らかく緩んだ。優しげに瞬きをする。
「めげそうになったわよ、いーっぱい! なーんにも知らずに、興味だけでこの学校に入ったからね、他の子との差が気になったり、馴染めなかったり。最初の一ヶ月は地獄だったわ。でもそれは、私に限ったことじゃない筈よ」
 生徒さんは、ゆっくりと話してくれた。
“私だけじゃない筈よ”
 口調は優しかったけど、心に突き刺さってくる。
(そうだよね)
 めげそうになったことのない人なんて、いる訳ないのに。
(情けない)
 生徒さんにも嫌な思いをさせて。
(そんなつもりじゃなかったのに)
 俯いた。泣きそうだった。
「すみません……失礼なこと言って……」
「みなもちゃん、前にこの学校を見学したときのことを憶えてる?」
「え……」
「私が他の子に嫉妬じみたことを言ったとき、みなもちゃんが言ったのよ。人と比べるなって。あの言葉が、すっごく嬉しかったの」
「あ……」
 記憶が甦ってきた。

 確かに、あたしはそう言っていた。
 メイクが好きなら、人と比べたら駄目だって。人と比べて苦しんだら、好きという感情を殺すって。

(だけど、あれは)
 生徒さん、違うよ。
(あれは)
 生徒さんが羨ましくて、言ったんだ。
 夢中になれるものがある生徒さんが、羨ましくて――だから感情的になった。
(あのときから、あたしは)
 比べていたんだ。生徒さんと、自分を。

 生徒さんの手があたしの頭を撫でた。
「私はみなもちゃんが羨ましくて、嫉妬しちゃうこともあるわ。私は捻くれた性格だけど、みなもちゃんは素直なんだもの」
「ごめんなさい……」
 ――出てきた涙を、生徒さんはふき取ってくれた。
「どうせなら、御礼を言われる方が嬉しいわ」

「……ありがとうございます」
 グスっと涙を飲み込んで、あたしは笑顔を作った。


 姿見に写っているのは、ちょっと怖い岩女。
「ホラーみたいです」
「意外性があるでしょう?」
 生徒さんと目が合って、吹きだした。
(だって、怖いんだもん)
 この怖いのはあたしなのだと思うと、お腹がよじれてくるのだ。
 ――もっとも、今はお腹も顔もなくて、ただのゴツゴツとした岩だけど。
「感覚はどう? 重い?」
「全然です! 軽いんです、とっても」
 冷たい風を纏っている感じだ。
 でも、違和感が多少あるせいか、動きがロボットみたいだ。石が落ちたらと思うと、なかなか激しい動きは出来ない。そうそう取れることはないだろうと、頭では判っているのに難しい。
「他に気付いたことはある?」
「うーん……。今は少し、息苦しいです。すぐ慣れると思いますけど」
「肌につけちゃってるものね。成る程……そうよねぇ」

「ではそろそろ……」
 他の生徒さんがカメラを持ってきて、アングルを変えながらあたしの写真を数枚撮った。
(あれ?)
 何で写真を撮るんだろう。
(訊いてみようかな)
 目の前にいるカメラを持った生徒さんは、おっとりと微笑んでいる。

「あの、」
「あ、綺麗に写るように撮りましたから、安心してくださいね」
「いえ、そういうことではなくて」
「あ、引き伸ばしに耐えられるように、ちゃんとフィルムカメラにしましたし」
「いえ、あの、何で写真を……」
「あ、十分程で先生がいらっしゃるので、もう少しの辛抱ですよ」
「ええええ!?」
 あたしは凍りついた。
「先生も……ですか……?」
 出来ることなら、先生には来て欲しくない。あの先生は、生徒さんたちよりもずっと恐ろしいからだ。

「あたし、もう帰……」
「あ、ブレンドティー飲みますか?」
「……………………うう」

(何でこうなるの)
 少し前まで優しかった生徒さんなのに。
 今は尻尾の生えた悪魔のようだ。


 生徒さんの朗らかな声が聞こえてくる。

「ねぇみなもちゃん、本当にカレンダーはいらないの?」




終。