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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


猫、貸し出し中

 捨ててきなさい!玄関先で母親の怒号が飛ぶ。少女は両腕に痩せ細った子猫を抱き、無言で泣き濡れた瞳を母親に向け、必死の抵抗を示していた。腕の中の子猫は雨にでも降られたか、濡れそぼって寒そうに震え、力なくミャーと泣くだけで……
 と言うのはありがちな風景であるが、この店でそのような展開になる筈も無い。何故なら、何かを拾って持ち帰ってきたのは朱束・勾音、そして勾音が拾ってきたのは子猫ではなく、れっきとした人間だからである。

 借りてきた猫、と言う表現があるが、それはまさにこの事を言うのだろう。と、玲璽は、カウンター席の一番端っこに座る、華奢な姿を横目で眺めた。染めた事など一度も無いのだろう艶やかな黒髪と細い身体のラインが、如何にもこの場に相応しくない。かと言って、周囲の空気を清浄化させるような雰囲気を漂わせている訳ではなく、どちらかと言うと、全くの無味無臭のようなその少女は、本来なら全く縁が無い筈のこの店の、飾られた造花の一本のようにひっそりと佇んでいた。
 玲璽は、また彼女を横目で見る。少女は何をするでもなく何を見るでもなく、ただ前に視線を据えてじっとしていた。暗いと言ってしまえばそれまでだが、その様子はまるで良く出来た人形のようにも見えるが、時折思い出したように瞬きをするから、れっきとした生きた人間である事が知れた。
 「…ひふみ、…だっけ。あんた」
 不意に玲璽から声を掛けられ、少女が、まずは視線を向け、その動きに釣られるようにして顔ごと玲璽の方を向いた。
 「…はい」
 こくりと頷く。白く滑らかな頬に、黒い髪の影が掠める。十五歳と言う年齢もあるが、それ以前にこの少女には、生きている人間の生々しさと言うものが余り感じられない。無垢と言えば聞こえはいいが、どちらかと言うと厭世的に浮世離れしている、と言った方が近いような気がした。
 「あんた、何でまた、あんなババアの世話になろうとしたんだ?」
 カウンターの内側から両肘を突いて上体を屈め、玲璽が顔をひふみの方に寄せる。ひふみは一瞬は上体を仰け反らせて玲璽との距離を保とうとしたが、すぐに元に戻って真っ直ぐに背筋を伸ばした。ババアとは誰の事か、分からない様子で首を傾げる。ああ、と一人納得した玲璽が、口許で笑って言葉を続けた。
 「あの、あんたをここに連れてきたババアの事だよ」
 「あの…父に言われて……」
 「ババアの世話んなれ、って?」
 玲璽が繰り返すと、ひふみは浅くこくりと頷く。
 「あんたの親父さんとババアは知り合いか」
 「詳しい事は私にも…ただ、朱束と言う女性を頼れと、それだけを言われて…」
 ひふみがその名を口にした途端、店内に一種独得な緊張が走る。それをひふみも感じ、何か言ってはならない事を口にしたのかと、おろおろして玲璽の顔を見た。玲璽は苦笑いをし、大丈夫だと言うように大きく頷く。
 「ああ、あのババアの名前を口に出して言うのは、半ばご法度になってんだよ、ここでは。まぁ、この店ん中ならどうってことはねえが、他の場所じゃ気をつけた方がいいかもな」
 玲璽がそう言うと、ひふみは分かりましたと頷く。その様子は、素直だと言うよりは、ただ流されているだけのようにも思えた。
 「そのコかい?お前さんの新しいコレってのは」
 常連客の一人が、にやにや笑いを浮かべながら右手の小指を立ててそう言う。瞬時に玲璽が片眉だけを上げて凄んだ。
 「ぁあ!?」
 「何、怖い顔してんだよ。…あ、分かった。本当のコレに睨まれるからだな?」
 常連客がもう一度小指を立て、不器用に片目を瞑って見せる。玲璽は、ばん!と両手でカウンターを叩き、身を乗り出して半目で眇めた。
 「だっかっらっ。誰が誰のコレで誰が本当のコレなんだっつーの。訳わかんねえ事、勝手に抜かしてんじゃねえよ。このコはな、ババアの連れだって」
 「…御前の?」
 その言葉を聞いた途端、常連客は何だぁと言うような顔で息を零す。溜息混じりに言った。
 「御前が連れて来たんじゃ、玲璽も手出しできないわな」
 「…そうじゃなくても手は出さねえって。まだ十五歳だぞ?」
 そうだ。この娘はまだ十五歳なのだ。自分で言っておいて、改めて玲璽は、ひっそりとスツールに座ったままのひふみの横顔を見詰めた。

 それはついさっきの事。玲璽が欠伸交じりに店へと出ると、勾音が来ていたのだ。珍しい事もあるもんだと揶揄い混じりに声を掛けつつ玲璽がその横を通り過ぎようとした時。勾音の傍らに、余りにそぐわない姿が寄り添うようにして立っているのを見、玲璽は目を瞬かせた。
 「………あんたの子か?」
 「誰のどの口がそんな事を言ってるんだろうねぇ」
 にっこりと微笑んで勾音が玲璽の頬をぎゅーっと抓る。イテテテ!と大袈裟なほどの悲鳴を上げるが、勾音が力任せに抓り上げたのだ、相当痛かったのだろう。解放され、赤く腫れた頬を手の平で擦りながら玲璽は涙目を瞬いた。
 「…ったく、手加減っつう言葉の意味を知らねえだろ、あんた」
 「手加減?それはどこの国の言葉だったかねぇ。…まぁ、そんな事はどうでもいいんだ。玲璽。この子はひふみ。苗字は…まぁ、神枷、とでもしとこうかね」
 「しとこうかね、って何だそりゃ。本当の苗字じゃないのか?」
 玲璽が緩く首を傾げ、ひふみだと紹介された少女の方を見る。少女は玲璽と目が合うと、おどおどと落ち着きなく視線を揺らし、何かをじっと堪えるように、上着の裾を両手で弄り始めた。
 「ま、いろいろ事情があってね。ともかく、この子をここで預かる事にしたから。玲璽、宜しく面倒見てやっておくれよ」
 「はぁ?」
 今度は目を剥いた玲璽が、ちょっとゴメンとひふみに断って、勾音を店の隅に連れて行った。
 「ちょっと待てババア。言いたい事はいろいろとあるが、そりゃないだろ、幾らなんでも」
 「何が駄目なのか良く分からないが、順番に言ってごらん。答えられる事なら答えてやるさね。あの子の面倒を見るに必要だろうからね」
 「…面倒を見るかどうかはまだ保留だっつうの。大体、あの子、幾つだ。高校生ぐらいだろ?と言うか、女の世話なんぞ、男の俺がどう見ろって言うんだ」
 玲璽が顎で少女を示す。少女は、さっきと同じ場所で、ただ呆然と立ち尽くしている。勾音と玲璽の遣り取りも気にはならないようだ。
 「お前、何も私は、手ずからあの娘を風呂に入れてやれ、とか言ってる訳じゃないんだよ?多少は一般からずれているかもしれないが、自分の事は自分で出来るさ。お前は、ああしろこうしろと言うだけでいいんだよ。…ああ、確か十五歳って言ってたね。だが、高校には通ってないって聞…」
 「それにしたって、十五の娘が、こんないかがわし…いや、とにかく飲み屋なんぞで世話になるなんて、どう考えても良くねえだろ」
 勾音の言葉を途中で遮って玲璽が言う。勾音は、片眉だけを高々と上げると、わざとらしく驚いた表情を作った。
 「何を言うかと思えば、お前らしくもない。構わないじゃないか、何事も経験さね」
 あっさりと言い放つ勾音に、玲璽は口をへの字にする。
 「おや、何か言いたげだね?」
 「…別にー」
 経験だと言うのは簡単だが、同じ火の渦でも、自ら望んで飛び込んでいくのと、己の意思とは関係なく投げ込まれるのとでは雲泥の差だ。そうは思ったが、あえて玲璽は何も言わなかった。
 「それにだな、十五歳といえども相手は女だ、俺が手を出さないとも限らねえだろ?」。
 「お前が、ねぇ…女に手を出す、ねぇ……?」
 意味深に勾音は笑みを浮かべ、玲璽の顔を見る。緩やかに唇の端が吊り上った。
 「そんな男前の玲璽なら、それはそれは是非ともお目に掛かりたいものさ、ねぇ?」
 「……ご丁寧な厭味でゴザイマス事…」
 ケッ、と吐き出し、玲璽が視線を逸らして呟く。勾音は、軽く声に立てて笑った。
 「玲璽、何をどう言ったって、お前がこの子の面倒を見る事はもう決定なんだよ。お前だって分かっているだろう?他に、誰がこの子の面倒を見られるって言うんだい?」
 「………」
 思わず黙り込んだのは、勾音の言う事が尤もだと納得したからだ。頭に浮かぶ顔と言う顔、そのどれもが、少女の世話をひとつとしてまともに見られそうもない連中ばかりだ。自分が殊更、常識人だとは毛頭思ってもいないが、それを差し引いても、勾音の周囲に居る人間達は、どいつもこいつも、いろんな意味で【人間離れ】していたのだ。
 赤く染まった爪の手が、ぽんと玲璽の肩に乗せられる。それを、玲璽は他人事のように見詰めてから、その手の主へと視線を移した。
 「じゃ、頼んだよ」
 嫣然と微笑んで、勾音が玲璽の横を通り過ぎ、店の奥へと消えていく。開店前の店内には玲璽とその少女だけが取り残される。オレンジ色の陽光が斜めに差し込み、どこか遠くで、豆腐屋のラッパが鳴り響いたような気がした。


 自室に戻り、勾音は愛用の椅子に腰を下ろして深く身を沈める。細く、溜息にも似た吐息を吐き出し、斜め上空をその赤い瞳で見据えると、その唇には薄らと笑みが浮かんだ。
 「…何て言ったかねぇ、あの男…いや、元より、聞いた事がなかったかね、あの狗神遣いの本姓など…」
 狗の精魂を操り、人の命を奪う暗殺者。それが、ひふみの父親だった。仕事は確実、だが何故か、幼い娘を常に伴わせている変わり者だと言う事でも有名な男だった。
 なかなか便利な男だったのだがね。そう呟くと勾音は上体を椅子の背凭れから起こす。傍らにあるサイドボード、その上に、アンティークな切子細工のカラフェが置いてある。それを引き寄せ、揃いのカットグラスに中の酒を注ぎ込むと、その酒よりも赤い唇を寄せ、一気に喉へと流し込んだ。
 ただ人を殺すだけの殺し屋なら、掃いて捨てるほど居る。勿論、腕の良し悪しはあるが、それでも、ただ命を奪うだけなら、そこらの捨て駒を使えば済む話だ。それでも、金を出してわざわざ狗神遣いに敢えて仕事を任せるその意味は、常識だけでは計り知れない不可思議な現実に直面させ、根本からの畏怖と驚愕を相手に与える為でもある。
 「…あの男も、普通の人間だったと言う事さね……」
 男が何故死んだか、どう死んだかは勾音には分からない。ひふみも詳しい事は知らなかった。娘は、父親の最期を確認する事なく、ここへやってきたのだから。だがきっと、あの男が流す血は赤く暖かく、そして命の火が消えるとそれは、瞬く間に凝固して粘り気を見せたのだろう。それは、勾音が今まで飽きるほどに見てきた場面であり、また、自分自身では決して体験できない事なのであった。
 勾音の腕が伸び、またカラフェから酒をグラスに注ぎ込むと、今度はそれを全部飲む事無く、半分だけ残す。そのグラスを目許まで持ち上げ、勾音は何にと言う訳ではなく、乾杯をした。
 「…しかし、あの娘…良くもまぁ、ここに辿り着けたものさねぇ……」
 恐らく彼女は、道行く人に己の名を口に出して尋ねたのだろう。知らないとただ首を横に振る人間が殆どだろうが、中にはその名を聞いて血相を変える者も居るだろう。惧れを為す者ならまだしも、それで激昂する者もいた筈。そんな相手に遭遇する事無く、無事に遣って来られたと言う事は、物凄く運のいい娘なのかもしれない。
 そんな事を思いながら、勾音は手の中にあるグラス、その中の赤い液体を悠然と揺らした。


 …が。実はそうではなかった。ひふみは、誰かに朱束の事を聞いてここまでやって来た訳ではないのだ。生来、非常に大人しく激しく人見知りで、初対面の人間に自分から話し掛けるなどと言う大偉業は、それこそ、空から恐怖の大王が降ってきたとしても、実現できそうにもないのに。
 では、どうやってひふみはここまで遣って来れたのか。それは、ひふみの性格にも起因する特技とも言える性質、その場の雰囲気に馴染んで姿を晦まし隠れる事を利用して、いろいろな場所で人の話を聞いてやって来たのだ。盗み聞きと言えば聞こえは悪いが、ひふみにとっては大事な情報収集の手段だ。そうしていろいろな話を総合してこの店を探り出し、店の前でうろうろしていたところを勾音の側近に発見され、勾音本人の前に引き出され…と言う訳である。
 店内は夜の賑わいを見せ、客なのか従業員なのか勾音の側近なのか見分けがつかない人々が右往左往しているのを、ひふみは色のない視線で流し見ている。勾音がこいつの世話になれと指示した、威吹と言う名の男は、黒ベストに黒ネクタイで、如何にもバーテンっぽい格好をしているから、ここの従業員らしい事は分かるが。
 …でも…皆さん、怖いです………
 ひふみは、肩を竦めて、きゅっと目を閉じた。
 父親の職業柄か、ひふみは今まで、目立つとか注目を浴びるとか、そう言った事には縁が無かった。どちらかと言えば、影となり人に紛れ、風と言うより空気になってその場をやり過ごす事に専念していた。それはひふみの本質となり、今は無闇矢鱈と大人しい少女になってしまった。その事について、ひふみは後悔したり悲しんだりした覚えは無い。殺し屋だった父と行動を共にする事が彼女にとっては当たり前で、ごく普通の少女としての生活は経験できなかったが、それはそれでいいと思っていたのだ。
 父は、間際、朱束と言う人を頼れ、とひふみの背中を押し出した。行け、と叫ぶ父親の声は、何か喉に泡立っているような感じがしたが、振り返る事ができなかった。何故、父が命を落とさなければならなかったのか、それはひふみには分からない。だが、いずれはこうなる事は覚悟していた。だから、涙も見せずにただひたすら走る事が出来たのだ。もしも、ひふみが父親と連れ立っていた事について後悔する事があるとするならば、それは、父を看取ってあげられなかった、その事ぐらいであった。
 「おい」
 ひふみが、はっとして顔を上げる。目の前に、威吹――勾音には玲璽、と呼ばれていた――がいた。何でしょう、と意味合いを込め、玲璽の顔を見つめる。その視線に困ったよう、眉尻を下げて玲璽が口元だけで笑った。
 「…てっきり、怖がるかと思ったんだがなぁ」
 誰を?何を?ひふみは首を傾げる。確かに、ここにいる人達は全員怖い。この場所自体も怖い。だが、何故か玲璽だけは、怖いと思わなかった。鋭い目付きや乱暴な口調、何より、父が絶対逆らってはならないと言っていた、勾音にあからさまに逆らっている所とか、それらは全て『怖い』と思わせる要素であるのにも関わらず、だ。
 何も言わないひふみを、暫く玲璽は口をへの字にして見詰めていたが、やがて自分の後ろ髪をぼりぼり掻き、こっち、と指差してひふみを誘導した。
 「まぁいいや。取り敢えずねぐらに案内するぞ。…と言っても、場所を教えるだけだからな。着替えとかその他もろもろは、自分で何とかしてくれ」
 そう、ぶっきらぼうに玲璽は言う。一瞬ひふみは、怯えを感じて身体を竦ませたが、そう言って視線を逸らした玲璽の眦に、照れと言うか困惑と言うか、そんな感じの感情が見え隠れしていたのだ。
 どうやら、十五歳の少女を相手にすると言う、玲璽としては異例の事態に戸惑っている。そう言う事なのだろう。仕草も口調も何もかも、ついでに言うなら玲璽自身の意識としても、普段と全く変わりないのだが、やはりどこか扱い難いと感じているらしい。
 それを感じてひふみは、否、感じずとも、既に玲璽には懐き始めていた。こくんと頷き、スツールから飛び降りると、足音も立てずに、すすす…と横滑りするように玲璽の傍らに寄り添った。
 「………」
 頭ひとつ低い、ひふみの顔を玲璽が見つめる。それを透明な眼差しで見詰め返すひふみに、玲璽が根負けしたか、小さく吹き出した。
 「あんた、まじで猫みたいだなぁ」
 但し、『借りてきた猫』はどっかに行っちまったみたいだが。


おわり。


☆ライターより
いつも本当に有り難うございます!碧川でございます(礼)
今回は、本文を書く前にタイトルを思いつきまして…ある意味、それに辻褄を合わせるのが難しかったりしました(本末転倒)
ですが、普段、タイトルを考えるのが一苦労の私にとっては有り難い事で…(笑)…いつもの事ながら、朱束女史関係のPCさんを書くのはとても楽しく、ライター冥利に付きます。ありがとうございました。
ではでは、またお会いできる事をお祈りし、これにて失礼致します。