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<東京怪談・PCゲームノベル>


非科学事件 ♯4



 ちゃりぃ、ん……。

「え、100円?」
 財布から落ちた自分の全財産を確認して、CASLL・TOは絶望する。
 今のご時世、たった100円で何が買えるというのだろう。100円ショップでも消費税を取られる。CASLLは100円玉を拾おうともせず、無言で頭を抱えた。人のいい(よすぎる)彼は、先日玩具店の前でだだをこねている子供に思わず望みのものを買い与えてしまっていたし、流行りの振り込め詐欺の被害者にもなった。彼はただ見た目がひどく恐ろしいだけで、中身は漫画にも描かれそうなほどの善人だったが、それを知る者は多くない。
 きゅうん、と彼の相棒の子犬が囁いた。100円玉をくわえて、CASLLを見上げている。ぱたぱたと尻尾を振りながら――ねえ、しごとしたらいいんだよ。
「おお、その通りです! 2日食べてないけどその分鬼気迫る演技が出来るかもしれない。例のスタジオに行けばロケ弁ももしかしたらもらえるかも! まずはこの100円で190mlの缶ジュースを――」
 がっ! と子犬を抱き上げるCASLL。
 きゅ! と喘ぐ子犬。
 ごくん! と犬に飲み込まれる100円玉!
「アァーッ?! ウゥオオオォーッッ!!」
 青褪めた顔で大絶叫するCASLLに、公園で遊んでいた子供たちは悲鳴を上げて逃げ出した。子供の保護者たちも、思わず彼から距離を取る。
 打ちのめされ、絶望の縁に立たされたCASLLは、その場にがくりとくずおれる。だから今の彼は、子供に逃げられたことには気づかなかったし――ただひとり、自分のそばから逃げ出さなかった男がいたことにも、しばらく気づかなかった。
「CASLL・TО君だね。俳優兼怪奇事件調査員の」
「……?」
 見上げたCASLLの視界の中には、手を差し伸べてきている白髪の男の姿があった。
 神か、とCASLLは思った。

「私は物見鷲悟という。きみを探していたよ」
「し、仕事ですか! ロケ弁もらえますか!」
「……金にこまっていたのかね?」
「……ええ、そうなんです」
「ふむ。……私からは報酬を出せないのだが……彼からならば或いは……うむ。わかった、交渉してみよう。ひょっとすると、向こう2ヶ月は食べるのにこまらない額を出してもらえるかもしれない」
「マジデスカ! ――あ、でも、悪い関係の仕事はちょっと……」
「いや、悪事ではない。ただ、いささか危険で不謹慎だがね。私はただの仲介人であり、見届け人だ。きみを探して先方に引き合わせ、きみの仕事ぶりを見てみたいというだけの話でね」
 物見鷲悟という紳士は、帝都非科学研究所という不可思議な機関で、怪奇事件の調査を行っている人物らしい。なぜそんな奇妙な生業の男を通じて、自分に演技(らしきもの)の仕事が舞いこんできたのだろうか。
 物見は『ザ・タワー』というハンドルで、ゴーストネットOFFに入り浸っており、そこの管理人――瀬名雫だ――や、高峰研究所の所長から、「面白い俳優がいる」という話を小耳に挟んでいたのだという。
 依頼主は最近波に乗っている和製ホラー映画界の監督のひとりで、スタイリッシュ・パンク・ゴア・ダークをコンセプトにしたアクション映画を手がけているらしい。
「しかし、すでにキャスティングは確定しているのだよ」
「え?」
 物見の言葉に、CASLLは目を点にした。
「ただ問題は、撮影が遅々として進んでいないということだ。作品にリアリティを出すためと、現場は心霊スポットの中に定めた。相次ぐ霊障にスタッフからも怪我人が出ている。そこで、私のところや高峰君のところに話が流れてきた」
「幽霊退治ですか。それなら――」
「ゴーストネットOFFや草間君のところを通せば、確かに、アンデッド退治を得意としている助っ人を確保できるだろう。しかし……」
 物見は無表情な男だったが、そのとき確かにCASLLの目を見て、微笑んだのだ。
 ――そういえば、彼は、CASLLのご面相については何も触れなかったし、何も感じていないようだった――ただ、当たり前のもののように、『見ていた』。
「なるべく、情熱的に演技が出来る助っ人を、と依頼主は言っていてね」


 現場は東京を離れたさびしい山中で、周囲には民家も、電線すらも見当たらず、痩せた木々が枯れかけた枝を伸ばしているところだった。いまはもうだいぶ春めいてきた頃合だというのに、この森には緑が一切無い。まるでこの土地だけ、冬を切り抜いて張りつけたかのような具合だ。CASLLは子犬と物見と連れ立って、冷ややかな風が吹きすさぶ中、肩をすくめた。撮影スタッフたちは覇気のない顔で黙々と作業をしていた。現場に到着したCASLLたちを出迎える者はない。
「こんなところで撮影を?」
 彼は左目を、恐々と物見に向けた。彼は明らかに自分では怖がっているつもりだったが、その表情は有無を言わさずスタッフたちをいたずらにおびえさせた。
「<右目>を使わなくても、色々見えそうですよ」
「そうだな。私にも先ほどからちらちらと見える」
 物見は遠くを見渡すときの目で、事も無げにそう言った。そしてその上、こう付け加えたのである。
「『連中』は日中現れない。夜まで待機しよう」
「ええっ?!」
 CASLLは凄まじい形相で(本人は驚いただけのつもりだった)物見に聞き返した。
「こ、こんなところに夜までいるんですか?」
「問題は、あくまで実害だ。いま漂っている者たちは無害なのだよ」
「う、うう……でも……仕事なら仕方ありませんね……」
 会話の間――いや、この森にやってきてからずっと、CASLLのお供の子犬は、あらぬ方向に吠えつづけていた。


 この日は昼間から関東一帯が分厚い雲に覆われており、いつ日が沈んだかもわからないほど暗かった。午後5時にして、街灯もない撮影現場の森は夜のような闇に包まれている。
 せっかくの待望のロケ弁(撮影という仕事はハードなものであるからか、ロケ弁というものは、往々にして内容が豪華だ、カロリーが高いおかずが多い)も、ろくにCASLLの喉を通らない。物見はちゃっかり一人前を平らげていたが。
 CASLLの傍らでは、『仕事』の準備が着々と進んでいた。彼の隣に、ホッケーマスクやラバーマスクや肉屋のエプロン、そしてチェーンソウとナタが積み上げられていっている。
「相手が相手だから、無慈悲な殺戮者という役どころに入り込んだほうがいいだろう」
「はあ」
「好きな得物を取りたまえ。あとから設定を合わせるようだから」
「はい?」
「――来た。私のことは気にしなくていいから、暴れてやってくれ、CASLL君。食い扶持のためだ」
 黙々としていたスタッフの間で悲鳴が起こった。
 森の中から、闇から、現れている。
 瀕死の土をかきわけ、ずぶずぶと地面から沸いてくるもの――
 彼らはぼろをひっかけた、白骨死体たちだった。
 CASLLが驚く前に、物見が口元に手を当てて、一声、寂びた声で叫ぶ。

「“アクション”!!」


「アウオオオオアハヒャァハーーーッッ!! ハァーーーッ!! キィヤッホーーーーィ!! アーアアアアー!! シャアアアーッ!!」
 ロケ弁を放り投げたCASLLは、多重人格者やAIのバグもかくやと思わせるほどの変貌を見せた。彼は<右目>を覆う二重の眼帯を剥ぎ取り、得物の山の中から、クローケーの木槌を取り上げた。
「レッツシャイニィィーング!! なビートでオレサマキサマラ37564!! ポゥ!! ヒィィウィィゴォォォーーゥウ!!」
 ブラジリアン級の高いテンションが生み出すCASLLの奇声は、死せるものどもを呼び覚まし、呼び寄せる。わらわらと群がってくる亡者たちに、いまのCASLLが臆することはなかった。むしろ殲滅衝動をかき立てられ、嬉々とした表情と立ち振る舞いで、彼は『連中』の中に飛び込んでいく。杵ほどもある(杵としても使えるだろう)大きさの木槌を振り回すその姿は、まさにイッてる人皮面のブッチャーだ。ホテルにとりつかれたパパよりも600倍恐ろしいし、食人族も裸足で逃げ出す迫力と勢いだった。
「キシャーーーー!! ウシャーーーー!! ゴミのようだあああああ!!」
 木槌は骨ばかりの亡者の頭蓋を叩き割り、かれらの弱点である骨盤を吹っ飛ばして、枯れかけた樹木の幹をえぐり、地面を穿つ。CASLLはそれでもけして狂気に振り回されているわけではない。ただテンションが高いだけだ。彼がこれまで役作りのためにつちかった武術一般の、それは呼吸であり、足の運び方だった。洗練された武道の型は、舞にも見えるという。CASLLの一見でたらめなダンスは、実はどこにカメラがあろうが、どこでカットされてどこでつなげられようが、そつなく美しく映るはずの、完璧な『カタ』だった。
 だつん、どおん、ぱっかーん、どおんどおんどおん、かっぽーん、めきっ、がつん、ぼっかーん!
「いひっ、いひひひひひっ、ひいっひっひっひ、ひぎゃああああははははは!! は!」
 しごん、ぶくしっ、がしん、ごっしゃーーーん!!
 亡者はまったく無尽蔵に現れていたし、おまけに、死や傷やCASLLを恐れることもない。カタカタと顎や関節を鳴らしながら、がくがくとした動きでCASLLに襲いかかる。ついにはCASLLの木槌が壊れた。ちいっ、と舌打ちするCASLLの、あやしく光り輝く<右目>が、望むものを見出した。相棒の子犬が、チェーンソウをくわえて尻尾を振っていたのである。
「おまえはいつだってサイコーにクールだぜ、相棒!」
 大型チェーンソウを受け取ったCASLLは、新たな得物のエンジンをかけた。低く大きな絶望の唸りは、無言の集団めがけて振り下ろされた。
「フゴー! フゴー! フゴー!」
 辺りが闇に包まれていようと、CASLLの<右目>は敵を逃さない。たまたまここを通りがかった怨霊すら切り裂き、樹木を薙ぎ倒して、CASLLとチェーンソウは舞い続けた。
 肉を失った屍たちは、それでも、次から次へと地から沸き、暴れまわるCASLLにすがりつこうとしていた。CASLLは骨を切り裂きながら、ふと振り返る。立ち位置とカメラ位置を無意識のうちに確認したのだ。
 手招きしている物見が見えた。すわNGか、とCASLLは束の間素に戻る。
「CASLL君! こっちだ、もう充分だそうだ」
 物見はまたしても寂びた大声を上げた。

「“カット”!!」


 亡者の群れの真っ只中で我に返ったCASLLは、子犬の助けを借り、悲鳴を上げてチェーンソウを振り回しながら、物見のもとに逃げ帰った。
「撤収! 撤収ーーーう!!」
 ひときわ大きな号令がかかり、スタッフ陣は神業とも呼ぶべき速さで機材を片付け、ロケバスの中に突っ込んでいく。わけがわからないのはCASLLだった。
「ど、どういうことですか! まだ全然、骸骨さんたちは片付いていないですよ?!」
「いや、充分だ! 本当にありがとう、最高の画が撮れたよ! 取っておいてくれ!」
 恐らくCASLLよりも若い監督が、CASLLにばさりと分厚い封筒を押し付けて、1台のロケバスに飛び乗った。
「さ、我々も退散しよう」
「あ、あの、物見さ……」
「説明は帰り道にする。今は逃げるしかない」
 言われるまま、手を引かれるままに、CASLLはもう1台のロケバスに押し込められた。あたふたと数台のロケバスは発車し、危険な森からの脱出をはかる。
 動く白骨たちは森を抜けてまで、一行を追おうとはしなかった。眼帯をつけるのも忘れていたCASLLには、森の闇の中に浮かび上がっている髑髏たちの目がまだ見えている。
 亡者たちは、やがてゆっくりと森の中へ――土の中へと、戻っていった。

「きみの活躍ぶりはちゃんとフィルムに収められたはずだよ」
「え、か、カメラ回ってたんですか? メイクもしてなかったのに! 私服なのに!」
「どうやら顔をCASLL君とはべつの俳優に挿げ替える魂胆らしいな。リアルな映像を撮りたかったらしい。かといって普通、俳優にはアンデッド退治の能力などないから、実際に彼らを戦わせるわけにもいかない。そういうわけで、CASLL君に白羽の矢を立ててみた」
「ああ……なるほど。まあ……怪我もしませんでしたし……こんなにもらえましたし、良しとします」
 CASLLは微笑みながら肩を落とした。押し付けられた封筒には、物見が先に言ったとおり、2ヶ月は食うに困らない枚数の万札が入っていたのである。
「ところで、あの場所って、何なんでしょうね」
「地獄と繋がっているという噂だ。しかし、噂にすぎない。本格的な調査が必要だな」
 さらりと、やはり事も無げに、物見は言ってのけた。
 言葉を失うCASLLの腕の中で、子犬がなぜか、嬉しそうに吠えたのだった。




<了>


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                非科学事件調査協力者
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【3453/CASLL・TО/男/36/悪役俳優】

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                物見鷲悟より
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 やあ、CASLL君。先日はご苦労だった。本当に怪我はなかったのかね?
 例の映画だが、編集に少々てこずっているようだが、撮影は順調のようだ。もしかしたらまた声がかかるかもしれないな。台本に手を加えながら撮影しているようだからね……それを聞くと、少し先行き不安な予感がしないでもないが……。
 きみの名前はちゃんとクレジットで、『出演者』として流すと言っていたよ。私はホラーがわりと好きなのだ――あのときの戦いぶり、色々な映画や殺人鬼を髣髴とさせたものだったよ――公開の暁には劇場に足を運ぼう。

 だますつもりはなかったのだが、監督から口止めされていてね。
 気を悪くしたのでなければ、また何か手伝ってくれると嬉しい。
 それでは、また。