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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『Devil of Hymn ― 第一楽章 天使覚醒 ―』


【序楽章】


 かつてあったとある天使の凄絶な死。
 その死の傷は深く深く深く魂に刻まれて、
 そしてその傷から溢れ出す赤い血に、
 この平成の世を生きる少年少女が呑みこまれん。



 そこは様々な花が咲き乱れる天界。
 空はどこまでも蒼く、人間界のそれよりも広く澄みきった明瞭なるモノだった。
 空気も清浄で、澱み無く。
 吹く風が花々の香りをどこまでも運び渡らせる。
 しかしその天界のどこを見回してもあるのは気だるげで憂鬱げな表情だけだった。
 人などとは比べようも無く長い永久の生。それがそこに生きるモノたちから喜びを奪っているのかもしれない。
 花が美しいのは散るから。
 しかしこの天界に咲く花は、散る、という事を知らない。



 それでも風に花々の香りと共に天界に響き渡った声は、憂鬱げで気だるい表情をしたそこの住人、天使たちの声とは考えられぬほどに元気だった。
「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ♪」
 黒い翼は準天使の証。
「おい、こら、待て。待ちなさい」
 追いかけてくるのは女の天使。銀色の髪に、赤い瞳。
 この準天使はよく、この天使をからかっては遊んでいた。
 天使の誰もが本当に退屈そうなこの天界で、だけどこの天使はどこか違っているように思えた。
 そこにまだ永遠の命の意味を知らない準天使は自分と同じモノを感じて、それでちょっかいをかけるのだ。
「へへーんだ。待てと言われて誰が待つもんかよぉーだ」
 背中の黒き翼を羽ばたかせて飛びながら準天使は天使にお尻ぺんぺんをした。
 その態度に天使は片眉の端を跳ね上げると、次いでにやりと笑った。
「OK。だったら、待たなくともよい」
「だから誰が…待つ、って。居ない?」
 ぶわりと花びらが大量に上空から叩きつけられた風によって舞い上がって、虚空に出来上がった花霞み。
 その色取り取りの花びらの帳の向こうにしかしあの天使は居ない。
 準天使は驚きに目を見開いた。
「あいつ、どこに? ………って!!!」
 後方から感じた明確な殺意。
 背筋を駆け上った戦慄。
 準天使はバネ仕掛けの玩具のように後ろを振り返った。
 その空間を舞っていたのは純白の羽根だった。
「あぁー!!! おまえ、いつの間にぃ???」
 そうだ。その純白の羽根はあの天使の物だった。
 高速移動。準天使の翼などでは生み出せないスピードで、天使は悠々と準天使の前に降り立ったのだ。
「くぅー、卑怯だ!」
 ぴぃっと右手の人差し指で天使をさして、責める。
 天使は苦笑した。
「何がだ? この悪戯小僧め」
 天使は準天使の頭をげんこつで殴って、そして天力で具現化した鎖で準天使を拘束した。
 芋虫のような感じで花の上で暴れるその準天使は、「芋虫のようだな、悪戯小僧」、とけたけたと意地悪に笑う天使を睨みつけた。
「こら、やめろ。ほどけ。ほどけって言ってんだろう、くそぉババァ。ぐぎゃぁ」
 もちろん、ぐぎゃぁ、という悲鳴はババァ発言に対する報復によるものだ。
 準天使を足蹴りした天使は腰に両手を置いて溜息を吐く。
「あんたは本当にいつまで経っても成長しないねー。その鎖は天力でできているんだ。だったらそれ以上の天力を込めてやれば、簡単にぶち切れるはずだよ。私の天力のたった10%ぐらいで創造してやった奴なんだからね」
 嫌みったらしくねちねちと言われる。
「くそぉ。言いやがったな。見てろよ。今、この鎖をぶち切ってやる」
 準天使は顔を真っ赤にしてなんとか鎖をぶち切らんとする。だけど上手くいかない。
 まるで体力測定でやる伏臥上体反らしのように体を反らせて、力を込めていた彼はしかし力尽きて、花の上にへばった。ごろごろと転がったのは普段使わない筋力などを使った反動の痛みに悶えたからだ。それでもその泣き言だけは言わないのは男の子の意地。
「だから、て・ん・りょ・く。天力だって。はぁー、もうダメだね」
「るっせーよ。早く黙って、この鎖を解きやがれ」
「あぁ?」
「えっと、解いて下さい。えへ(ハートマーク♪)」
「はぁー」
 天使は溜息を吐くと、そのまま準天使を放っておいて、飛んでいった。
 その光景に準天使は唖然とした表情を浮かべて、次にそちらを睨みながら散々罵声を浴びせてやったが、すぐにその虚しさに気付いて、花々に顔を埋めた。
 そしてまた大きく溜息を吐いた。
「はぁーぁ。退屈」
 退屈は神をも殺すだろうか?
 悠久の命を誇り、その意味に気付いている天使たちとはまた違う退屈を感じる彼はそう呟きながら、またまた大きく溜息を吐いた。
「ったく、何をやってるのよ? 成長しないなー、君は。だからまだまだ準天使なんだよ」
 くすくすと笑う声。
 上空から吹く風に舞う花びら。
 頬をくすぐる風に鬱陶しそうに準天使は花々に埋めていた顔をあげた。
「準天使、準天使、っておまえだって準天使だろう?」
 半眼で睨めつけてやる。
 ………だけどとても意地悪にふふん、と笑う彼女の背中の翼を見て、彼は半眼だった目を大きく見開いて、その後に頬を膨らませた。
「誰が準天使だって? 準天使君?」
 純白の翼をわざとらしく広げてみせて、彼女はほくそ笑んだ。
「意地悪な奴。いつ、おまえは天使になったんだよ。くぅそぉー。あのジジイども、差別しやがって」
「あら、だって私はちゃんと真面目に天使になるための修行をしてたもの。あなたとは違うわ」
「俺だってしてるよ」
 芋虫状態でぴこぴこと飛びながら言う彼に彼女は大きく肩を竦めた。
「それぐらいの天力の鎖も切れないで?」
「五月蝿いな。おまえにはできるのかよ???」
 ぱちん、と指を鳴らす。
 するとあれだけ強力だった鎖がふわりと消えた。
「できるから、天使なのよ」
「ちぃ」
 舌打ちして顔を反らす彼に彼女は口許に手をやってくすくすと笑う。
 彼は漆黒の翼でふわふわと浮きながら上空であぐらをかいて、彼女を睨み吸えた。
 彼女はん? と小首を傾げる。
「おめでとう」
「ありがとう。私もあなたが天使になったらおめでとうって言ってあげるからね。永遠に来るかどうかわからないけど」
「むきぃ」
 花々が咲き乱れる天界。
 天界の花は散らない。
 故に咲く花も気だる気で、憂鬱そう。
 でも準天使の彼と、天使の彼女が居るそこに咲き乱れる花々はとても綺麗に思えた。それはきっと想いを受けて。
 自分は相手を好きだという。
「ねぇ、今度、私、仕事で人間界に降りるのだけど、あなたも連れていってあげようか?」
「マジでぇ??? あ、いや、待て。だけどジジイどもが許してくれるかな?」
「まあ、だからしばらくは大人しく修行してるのね」
「ちぇ。じゃぁ、しばらくは人間界で遊ぶためにがんばるか」
「やっぱり、言えそうにもないな。おめでとう、って」
「はいはい」
 想いを受けて、美しく咲き綻ぶ花たちの中で笑いあう彼と彼女。
 二人は知らない。
 この後にあるとある人間との出逢いによって引き起こされる天使の凄絶な死と、
 そしてその遥か後の人間界で起こされる運命の出逢い、
 憎しみの運命、
 自分たちの大切なモノの破滅する姿を。



 ただ無垢なる二つの魂は未だ己が運命を知らずに笑いあう。



【第一楽章 天使覚醒】


【T】


 罪は永遠に。
 されど我は汝のために祈らん。
 エィメン。


 ヴァチカン、異端審問官の神父は純銀の剣によって見事に頚椎を貫いたヴァンパイアのために祈りを捧げた。
 彼はかつてヴァチカンの剣となり、ヴァチカンのために戦っていたとあるシスターの部下であった。
 彼女の事を心の奥底から尊敬していたし、また密かに愛してもいた。
 だがその想いを告げる事ができぬまま今日に至っている。
 それは彼女がヴァチカンから離反してしまったからだ。
 宙ぶらりんとなった彼女への想いはやがて茫洋な痛みとなって、
 そしてそれは彼の心に根を張って、とある花を咲かせた。
 その花の香りは彼の心を知らず知らずの内に惑わしていた。
 だけどそれは無意識故のモノであるから、彼は本当にその花を知らない。
 彼の心に咲き誇る花の花言葉は、裏切らないで、触れないで、見捨てないで、そして復讐。
 剣をヴァンパイアの頚椎から抜いて、刀身を濡らす禍々しき血を刀身を降る事で払って、鞘に収める。
 彼は自分の胸にあるロザリオを掌に置いた。それはかつて上司であり、想い人であった彼女にもらった物であった。
 そんなロザリオをしていると知られれば彼の方が異端審問に問われる事はまず間違い無い危険な物なのであるのだが、しかし彼はそれをしていた。
 彼はそれを自分への戒め、としていたが、もちろんそれは自分で思い込もうとしているだけの嘘だ。
 好きな人からもらったモノはずっと持っていたい。
 好きだから。
「おや、おや。未練ですねー」
 ざわりと鳥肌が立った。
 振り返る神父。
 そこには喪服かのような闇色のスーツを着た男が立っていた。
「誰だ、おまえは?」
 空気が紅い雫を垂らすような、そんな血臭が飽和しきれぬほどに孕まれた空気を震わせて、神父は声を発した。
 問われたスーツの男はただただ暗鬱に笑っている。それはまるで周りにある闇の結晶のようで。
 剣を抜く。純銀の刀身の切っ先はスーツの男を睨み吸える。
 ―――異端審問官の神父の剣の切っ先を向けられて、動ける者はいない。
 しかし彼はスーツの内ポケットから悠然と煙草を取り出して、それを一本口にくわえると、火を点けた。
 闇に紫煙が広がる。
「舐めているのか?」
「いいえ、別に。そんな趣味はありませんよ。未練がましい男の傷をぐちぐちと弄る趣味はありましてもね」
「貴様」
 神父は鋭い突きを放った。己が剣の切っ先に喉を貫かれて絶命する男を夢想して、口の片端を吊り上げる。
 しかし実際に彼の剣の切っ先が穿ったのは壁であった。
「馬鹿な」
「当然です。たかが人間如きが私に勝てる訳が無い。そして君もそのままでは彼女を殺せない」
 後ろから首に手を絡められる。
 首に触れたツメタイ温度に彼の心臓が一度止まった。
「殺す。俺が彼女を、殺すだと?」
 何を馬鹿な。どうして俺が好いている彼女を殺さねばならない。
 ――――本当に?
 どくん、どくん、どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん………
 一度止まった心臓が、明確に殺す、という言葉を口にした瞬間から凄まじいスピードで脈打ち出した。
「私は知っている。君の心に咲く花を。その花の持つ花言葉を。そしてその花を咲かせたのは君自身だ。君は殺したい、彼女を」
 にやりと笑う。闇がどろりと粘性を持って、心に絡みつくように。
 そんな笑みを浮かべながら彼は神父の首から右手を離して、その右手を神父の頬にあて、
 左手はそのまま前に持っていって、後ろから神父を片手で抱きとめて、
 神父の頬にあてた手で神父の顔をそのまま強く押していって………


 ぐぃきぃ。
 ――――闇に響いたグロテスクな、だけど同時にどうしようもなく空虚な音。


 じゅぷぅ。
 じゅるぅぅぅ。
 ずるずるずるずる。
 バリボリ。ボリボリボリ。
 何かが何かを食らう音。



 それを見つめながらスーツの男は紫煙をくゆらしながら、目だけで笑った。とてもとてもとても昏く、暗鬱に。純粋な闇の色で。
「ああ、いいね。やはり私は天使や悪魔などが咲かせる花よりも人間が咲かせる花の方が好きだ。醜くって、最悪で、できそこないの品種のようで、そのくせその花の色だけは美しい。きっとこの花なら私の子どもも目覚めるだろうさ」
 闇色のスーツの男は笑い、そして周りにある闇に溶け込んで消えて、神父は立ち上がり、その工場の廃虚から出て行った。



【U】


 きょうちん。
 きょうちん、どこ?
 きょうちん。
 きょうちん。
 きょうちん。


 私は何度もきょうちんの名前を心の中で叫びながらきょうちんを捜した。
 身体中にできた痣や、切れた口の中が痛い。
 だけどそれよりも心が痛い。
 きょうちんを傷つけてしまった。
 きょうちんを無くしてしまうかもしれない。
 そういう心の痛みの方が、痛い。



 誰も居ない教室。
 私を取り囲む人たち。
 女の子たちは私を言葉で責めて、
 頬を殴り、
 私の心を汚そうとした。
 私は何も言えなかった。
 弱かったから。
 怖い。
 ――――自分が傷つく事も、
 自分が誰かを傷つける事も。
 私は私を守る術を知らない。
 私と他の人、その間に壁を作って、自分の殻の中に閉じこもって、心を閉ざす以外は。



 だけどそういう心がいけなかったのかもしれない。
 そういう弱さが、一番傷つけたくなかった人を、傷つけてしまった。



「やめてぇー、きょうちん。やめてよ、きょうちん。それ以上やったら、死んじゃう」



 私を苛めていた人たちを………


 男子も、女子も関係無く、私を守るために殴り続けたきょうちんを、


 私はだけど心のどこかで、


 怖いと想い、


 拒絶してしまった。


 私はその時に初めて私の中に相反する二つの想いがある事を知ったのだ。


 そしてそれをきょうちんに知られないようにするために、
 私を見たきょうちんから、
 顔を反らしてしまった。



 傷つけた。
 そう想った次の瞬間にきょうちんは教室を飛び出して、そして私はそれ以降、彼を見ていない。


 私は抱く、
 二つの想いを。
 きょうちんを愛おしく想う気持ちと、
 そしてきょうちんという存在を嫌悪する気持ち。


 愛おしくって、憎らしい。
 ―――それは何故?



 +++


 北館の屋上。
 夕暮れ時のそこで御手洗・京也はくさっていた。
 素行の悪さ、それが原因でなかなか決まらない就職。
「くそ、何で俺が」
 それは自業自得だろうか?
 いいや、違う。
「俺のせいじゃない」
 社会のせいだ。
 俺にそうさせたのは社会だ!
 社会が悪いんだ。
 京也は心の奥底からそう想っていた。
 そう想わずにはいられなかった。
 だってそうじゃないか。
 昔からそうだった。
 孤児院に居るから、
 親の居ない子だから、
 だからちゃんとした躾がされていない。
 悪い事がわからない。
 そういう理由で大人たちからは哀れみや侮蔑の目で見られ、
 周りの子どもたちからは「やーい。やーい、親無しぃー」、苛められた。
 俺たちは悪くは無いのに。
 そうだ、俺たちは悪くは無い。
 京也は心の奥底から、そう想っていた。
 想わずにはいられない。
 だってそうじゃないか?
 誰が好き好んで孤児院で暮している?
 親の都合で、身勝手で、親になる資格の無い…大人とは名ばかりの馬鹿な図体のでかい子どものせいで、俺たちは苦しんでいるんだ。
 ―――現にテレビや新聞でも未だにセックスの快楽だけに耽って子どもを作った馬鹿な奴らが、子どもなんか欲しくなかったって、子どもを苛めて、死なせている。



 誰も馬鹿で愚かでクズの親の身勝手さに泣いている俺たちの気持ちなんか知らない!!!



 就職試験に落ちた悲しみや不安は怒りと憎しみへと変わった。
 シスターの微笑みは忘れたフリをした。心から追い出した。
 孤児になって救われた事は今はいらない。
 今は世間を恨む気持ちがあれば、それでいい。シスターへの想いは、シスターがくれるモノは、それには邪魔だ。
 壊したくなる。
 復讐したくなる。
 世間を。
 何もかも。
 どうせ、俺なんて………。
 そう想う気持ちで、自分を立て直そうとしていた。屈折した、感情。自己愛。プライド。



 体に流れる悪魔の血。
 それを押さえ込む人としての、御手洗・京也としての理性。
 だけどその理性が今は悲しみによって、弱くなっていた。



 紅い紅い、血の色に染められた空間。
 その空間にある氷づけにされた悪魔の京也。
 さらにその氷解を縛る理性と言う名の鎖。



 しかしその鎖が緩んでいく。
 封印された氷解の中で、悪魔の京也が薄っすらと瞼を開く。



 果たしてそれは矢島・悠香だった。


「ゆう?」


 まるで何かに突き動かされるようにして見た場所、南館の一階隅にある教室にゆうと、それから数人の男子学生と女子学生が居た。
 男子学生が取り囲み、
 その円の中で女子学生がゆうを苛めている。
 それを見た京也は自分の全身の毛穴がざわりと広がるのを感じた。まるで静電気をたっぷりと帯びた巨大な下敷きを持って来られた時かのように京也の全身の毛が立った。
 ざわざわとざわめく気配は自分の中に感じた。
 どくん、何かが目覚めるようなそんな予感。
 自分の中に居る、まだ知らないもうひとりの自分。
 意識が呑み込まれる。
 熱くって、激しい、何かに。


 殺っちまえ、あんな奴ら。
 ―――誰だ?


 簡単だろう? 人間なんか、殺すのはよ。
 ―――俺も人間だ。



『ねぇ、シスター?』
『ん、なんだい、京也』
『どうして、人は人を殺したらいけないの? 悪い人間なら、生きてる価値の無い人間なら、殺しちゃってもいいじゃん』
『京也。そういう事を口してはいけないよ。人はね、人を殺さないから人であるのだから』



 人はね、人を殺さないから人であるのだから。
 そうさ、俺たちは人じゃない。
 悪魔だ。
 ―――違う。


 違わない。
 ―――違う。


 だったらおまえはゆうがこのままあいつらに弄られるのを黙って見ているのか?
 ―――嫌だ。


「どうしてゆうが、あんな奴らにぃ?」
 ぎりっと歯軋りする。
 口の中に広がった血の味。
 握り締めた手は、指が掌を裂いて、血が溢れ出す。


 そうだ。
 どうしてゆうがあいつらにいじめられなければならない。
『この親無し』
『ふん。どうせ、あんたなんかアバズレの母親が生んだ行きずりの男の子どもなんでしょう?』
『だったら俺らにもやらせろよ。んな母親の血を流してるんなら、おまえだってアバズレ女なんだろう。気持ち良くしてやるからよ』
『いいねー。こいつに稼がせようか、あたしらのお小遣い』
『だったら俺らがまず稼ぎ方を教えてやるよ』



 頭の中に広がったクズどもの声。
 ぶつん、と京也の心の中で何か決定的なモノが切れた。
 高校の上空を取り巻く雲がすべて吹っ飛んだ。
 大気が震える。
 世界の気配がすべてその発せられる怒りに共振するように、ざわめき、そして息を押し殺す。そっと静かに。黙ってそれが行き過ぎるのを待つように。
 弱い動物が、肉食獣にそうするように。



 京也は京也ではなかった。
 屋上から飛び降りた。
 京也の体を縛る引力。
 だがそれを無視するように、京也の体はふわりと舞う。まるで背中に翼があるように。
 そして京也は花びらが舞い落ちるように静かに大地に降り立って、走り、教室の窓硝子を破り、
 心から溢れ出す殺意のままに、そこに居るゆう以外の人間を殺そうとし、
 それを意識の片隅から見ながら、
 だけどそれにただ快楽しか感じずに、
 それがどういう事かわからずに、
 でも………


「やめてぇー、きょうちん。やめてよ、きょうちん。それ以上やったら、死んじゃう」


 そのゆうの叫び声を聞いて初めて、自分の拳を湿らせる赤の液体に、その行為に、行為の果ての結末に、恐怖を感じた。
 ―――何よりもそれに快楽を感じていた、自分自身に。


 人間って、脆い。
 簡単に脆い人間は殺せる。
 どれぐらいで死ぬんだろうか?
 試験官の中の化学反応を見る学者のような感覚で、それを見て、笑っていた。



 京也はどこに行けばいいのかわからずに、ただ闇の中を走り回っていた。
 迷子の子どもは余計にそうやって闇雲に走り回って、道を見失う。



【V】


 悠香が辿り着いたのは家であった。
 シスターの教会。
 礼拝堂に入る。
 そこに誰かが居た。
 誰かが十字架に磔にされた神に祈りを捧げている。
 京也ではない。
 彼は神を信じてはいないから。
「あの、どちら様ですか?」
 その誰かは悠香の言葉に立ち上がって、こちらを振り返った。
 僧服を着ている。神父だ。
 それではシスターの知り合いだろうか?
「あの、シスターだったらここには…」
 彼は首を横に振った。
 悠香は知らず知らずのうちに後ずさる。
「え、っと」
 ばたん、と、自然に礼拝堂の扉が閉まった。
 悠香は慌てて、後ろを振り返って、扉を開けようとするが、しかし開かない。
「あの女は俺を、主を、ヴァチカンを裏切った。だから裁かないといけない。そうだ。俺は本当はあの女を殺したかったんだ。ずっとずっとずっと」
 神父はどこかに隠し持っていた剣を抜いて、その切っ先を悠香に向けた。
 凄まじい殺意が悠香を捕らえた。


 ―――――死。
 私は、死ぬの?


 そう想った瞬間に、悠香の中で、何かが弾けた。
 気を失う寸前まで恐怖に囚われた心は、しかし秋空のようにひどく澄み切って、鮮明だった。どこまでも透明で、澱み無く。
 明鏡止水、そういう言葉で今の悠香の心は説明できるのであろうか?
 ただただ静かで、すべてがクリアーなのだ。
 冴え渡る。頭も、心も、感覚も。すべてが鋭く、何もかも手に取るようにわかる。自分の体の状態も、相手の正体も、わずかな空気の揺れも、人の皮を被る悪魔の体の筋肉と骨の軋む音でそれがやろうとする動きも。
 神父が、今度は後ずさった。
 明確な死、というモノを突きつけるように悠香に向けられていた剣の切っ先も震えている。
「どうしましたか、哀れな神父よ。私を、殺すのではなかったのですか?」
 冷たくそう問う声は悠香が発したモノだ。
 彼女の薄く形のいい唇が嘲笑を形作った瞬間に、彼女の背に白き純白の翼が現れる。
 空間を舞う白き羽根。
 その優雅な舞いを見つめながら悠香は静かに洗練された動きで前髪を右手の人差し指で掻きあげながら双眸を細めた。冷たく、無慈悲に。
「花、ですか。その心に咲かせた酷く邪な花に心を喰らわれて、魔道に落ちたか?」
「俺は、俺は、俺はぁぁぁぁぁぁあああああああッーーーーー」
 神父は剣を構えて悠香に襲い掛かって来た。
 繰り出される剣撃はしかし単調だ。悠香は鼻を鳴らす。
 そのすべてを紙一重で避けながら。
「哀れな。確かにその剣筋、凄まじきモノなれど、しかし所詮は下等な魔族レベル。私の、敵ではない」
 右斜め上から打ち下ろされた剣を避ける。
 空間に舞った数本の黒い毛。
 細められる青の瞳。
 剣をかわしたと同時に出された手は神父の体に触れて、転瞬、神父の体は、体中のあちこちがぶくぶくと膨らんでは弾けて、次いで蒸発した。
 後にはただ鼻が曲がるような悪臭が礼拝堂に充満したが、しかし舞った白き羽根が光りとなって消えた時には、その臭いも消えて、礼拝堂は厳粛で静謐な空気を取り戻していた。
 そこに立つ悠香は青い瞳を見開いたまま動けない。
 その顔には戸惑いが浮かんでいた。
 礼拝堂の床の上に落ちているアザミの花。
 悠香は禍々しいまでに咲くその花に後ずさった。
「嘘、やだ。どうなってるの? あの神父様は? 私、どうしたのよ? ねえ、誰か教えて。私は、私は、私は…」
 震える彼女は、戸惑いの表情が浮かぶ顔を両手で押さえて、爪が顔の皮膚を破って裂いて、その傷から血が溢れ出すのもかまわずにそう呟き続けて、そしてそのまま過呼吸症候群の患者のようにその場に倒れて、苦しみもがき始めた。
「ゆう。どうしたの、ゆう? ゆう」
 そして礼拝堂にとてもつもなく強力な何かの気配を感じて、銃剣を携えてやって来たシスターはその悠香に驚き叫んで、駆け寄って、顔の傷から溢れる血と目から零れる涙の溶け合った…血の涙を流す悠香を抱き抱えて、礼拝堂から飛び出した。



【ラスト】


 悠香のお気に入りのブランコがあった公園跡地の前で佇む京也の携帯電話が着信を報せた。
 京也はほんの数秒、迷い、そしてその携帯電話に躊躇いながらも出た。
「もしもしシスター」
 ―――あの学校での事がバレたのだろうか?
 もうどうすればいいのかわからない、泣き叫びたい想いを感じながら電話に出た京也が聞いたのは、しかしそんな事ではなく、悠香が病院に運ばれたという事であった。
 そしてそのまま京也は走り出した。
 走りながら、携帯電話でシスターから病院の場所を訊こうとして、だけど京也はその携帯電話の通話を切って、立ち止まる。
 彼の前方に佇む、あの例の悠香のクラスメイトたち。
 その誰もがまるでドラッグでもやってるかのようににたにたと笑いながら京也の前に立っていて、そしてその彼らと一緒に居る喪服のような闇色のスーツを着たその男が、京也を見て、にたりと笑いながら口を開いた。


「よう、息子」



 ― To be continued ―



 ++ライターより++


 こんにちは、御手洗・京也さま。
 こんにちは、矢島・悠香さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回もご依頼ありがとうございました。

 そしてお言葉に甘えさせていただいて、連載形式で、お任せでやらせていただきました。(><
 いかがでしたか?
 大丈夫そうですか? このノリはちょっと……という時は言ってくださいね。方向転換可能ですから。
 形としまして、序楽章は昔にあったとある天使の凄絶な死についての話を展開します。この事件のせいで、京也さんと悠香さんの今があるという感じで。
 今回出てきた三人の天使さん。ひとりは正解ですが、多分あと二人の予想は・・・どうでしょうか?<おい


 そして現代編が楽章というタイトルがつくお話の方です。

 天使サイド:矢島悠香

 悪魔サイド:御手洗京也、闇色のスーツを着た男

 傍観者:シスターと、???


 となります。^^

 ただいま、Devil of Hymn の神が降りてきているので、どうぞ窓開けに遭遇したらどんどん突撃してやってくださいませね。^^
 PLさまのプレイングにこちらのネタを織り交ぜて、Devil of HymnをPLさまと一緒に紡いでいきたいと思います。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。