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<東京怪談ノベル(シングル)>


 この世に『神様』というものが存在することを‥‥感じる。
 信じれば救われる、というような現世利益の神ではない。
 それよりも、もっと大きな‥‥神の見えざる手。
 人は誰しも、その手の中で蠢く存在に、過ぎないのかも‥‥しれない。

「id、ですか?」
 女子高生の問いに、その人物は首を前に動かした。
 それは、ある者にとっては当たり前の、でもそうでないものには不思議な、薄暗闇のお茶会。
 女子高生と、天使と、小鳥と、ハーピーがテーブルを囲み話をする。
 いつもは他愛も無いおしゃべりだったり、自分自身の体験の話だったりするのだが、今日は何のはずみだか人の心についての話になったらしい。
「私達は、心の中でそれぞれ生きておりますけど、それは実は決して特別なことではない、という説をご存知ですか?」
 博識と呼べる知性を持つ、もっとも大人びたその翼を持つ娘は、そう言って周囲の人物達に話しかけた。
「有名な心理学者の方の分析した用語の一つです。ラテン語で‥‥日本語に訳すなら『それ』」
「『それ』? それってどういう意味?」
 小鳥が小さな羽を羽ばたかせている。彼女を腕に止めて、天使は優しく説明した。
「得体の知れないものを指す意味ですが、まあ、簡単に言えば、人の無意識が具現化したもの。ということですわ?」
「無意識の具現化? ますます解んない〜」
「要するに、そのような言葉ができるくらい、人の心は複雑で、大きな力を持っていると思われている、ということですわ。私達のように無意識、ではありませんが心の一部が形をとり、表に表れる。これも一種のid、イドですから」
 そう言った天使の顔が微かに憂いに翳ったのを、他の三人は見逃さなかった。
「イドって、何か悪い意味でもあるの? そんな顔するほど」
 鋭いハーピーの問いかけに、隠すつもりだったことを天使は告げた。元々隠し事をする、というのもナンセンスな話だ。
 自分達‥‥四人は、同一人物であるのだから‥。
「イド、という言葉そのものではありませんの。ただ、イドという言葉は主としてこう使われます。イドの怪物、と」
「「「怪物?」」」
 重なった言葉達の表情も、また、薄く曇る。だが、もう隠し事はせずに天使は続けた。
「古い映画の影響でしょうか? 人の心の中に住まう深き深層心理とその具現化は、イドの怪物と恐れられているのです。時として主である自分自身であっても抑えることの出来ない衝動を持つが故に‥‥」
「なるほど‥‥確かに似ているかもね」
 お茶を啜ったハーピーがワザと主語を抜かしたことを、皆知っている。
「人の心は、深く暗いもの。ですが‥‥人は、皆自らの運命を生きなくてはならないのですわ」
「運命? そんなの関係ないよ。神様が決める訳じゃなくて、自分自身が決めるんだから」
「‥‥そうですわね。あら? どうなさいました?」
 口を噤んだ女子高生を気遣うように、天使は声をかけた。
 戦いという、前向きな性を持つハーピーも、小鳥も顔を覗き込むが、女子高生である彼女は大丈夫、と首を横に振る。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしてました。‥‥難しい話はそろそろ終わりにしませんか?」
 明るく作った言葉の意味を察して、彼女達は頷いた。
 今度の話題は、服や食べ物の話だろうか?
 それらに相打ちを打ちながらも女子高生は、自分が変換した話を聞いてはいなかった。
 あることを、ずっと‥‥考えていた。 


 煙のような大地を、彼女は歩いていた。
「‥‥イドの‥‥怪物ですか‥‥」
 さっき、聞いた話を思い出しながら、彼女は歩いていた。
 ここは、現実ではない。夢の中。
 足元を見る。そこには一人の子供。女の子が眠っている。
 顔を上げると、向こうには桜の花吹雪の中。花びらを拾っている女の子がいる。
 姉妹や、母親、そして父親と一緒に楽しくピクニック。
 それが、夢である事を彼女は知っていた。
 ほんの少し風を吹かせて花吹雪を増やしてやる。歓声が上がり、花びらの浮かんだ飲み物で乾杯する家族。
 幸せな光景に彼女は微笑み、そして振り向いた。
 ゆっくりと、その場を離れ、靄を潜る。
 自分は、夢守り。
 幸せな夢を、邪魔してはいけないと。

 夢、というものは心の中を顕著に表している、と言った心理学者がいる事を彼女は知らない。
 だが、そんな心理学者以上に、彼女はそれを知っていた。
「‥‥あ、また‥‥」
 考え事をしているうちに、夢を渡っていたことに彼女は気付いた。
 ここは、みあおの家から三件先の友達の家だ。
 学校は違うが時々、一緒に遊ぶことがある。真っ白な壁、真紅の屋根。真新しい一戸建てを購入して幸せそうな親子の顔をみあおは知っているだろう。
 だが‥‥
「‥‥‥‥!」
 夢の世界から、その家と家族を見る彼女には、その家は全く違って見えた。
 どす黒く染まった壁、夜色の屋根。家の中の人々の顔はゆがみ、ヒステリックな叫びが聞こえる。
『俺の‥‥この先の人生は、この家と家族に吸い取られるのか‥‥』
『あの子にも、いい学校に行かせなくっちゃ。編入させるために、お金を貯めて‥‥塾に通わせて‥‥』
 この夫婦は、そんなことを口に出したりはしない。家の外は勿論、中でさえ。だ。
 だが、ベッドの右と、左で眠る夢の中で二人は大喧嘩をする。そして、夢に見るのだ。

 夫は、自分の自由にお金を使い、酒を飲み、美味しい物を食べて、女を抱く。
 妻は、豪華な家に住み、最高級の服を着て、ブランドものに飾られて過ごす。
 足元には、名門小学校の制服を着た我が子。
『素晴らしいですわ。奥様、お羨ましい!」
 虚栄が満たされ、満足を抱いて微笑む。

 一人一人が持つ、見えない本音が夢の中では隠すことなく表される。
 歩くうち、幸せな夢よりも遥かに多い『現実』に、彼女はいつも辛い思いをしていた。
「あっ! いけない!」
 彼女は駆け寄って、夫婦の部屋から少し離れた部屋へ、正確にはその部屋の人物の夢の中へ、飛び込んだ。
 そこには、机に向かったまま突っ伏し、眠る女の子がいる。
 モニターがついたままのパソコンには、日記が書き込まれていた。
『私は‥‥塾なんか行きたくない。今の友達とも離れたくない。でも‥‥。誰か、助けて! お父さんなんて、お母さんなんて‥‥』
 パソコンとそこに繋がる世界からは、訴えにレスは返らない。
 だが、思わぬところから返事が返ってきていることに彼女は気が付いたのだ。
 女の子の背中から、溢れ出てくる薄黒い‥‥影。
 鋭い牙と、爪を持ちだんだんと姿を現し始める。
「駄目よ! お帰りなさい‥‥貴方の居場所へと‥‥」
 声が一言掛かった直後、影は消えた。あるべき場所へと戻っていったのだ。
 女の子の心の中へ。
「ふう」
 深い息を飲み込んで、彼女は夢の空へと戻った。
 こんな事は夢歩きの中、珍しいことではない。
 心の中の滓、暗い考え、澱んだ思いが胸の中に溜まって時折、怪物になるのだ。
 そして怪物は、‥‥暴れる。蟠りや欲望を抱く主の為に、思いを叶えようと‥‥。
「あれが、正しくイドの‥‥怪物なのでしょうね‥‥」
 彼女は思う。こんなものを見るのが自分ひとりで良かった、と。
 もし友達の、こんな暗い思いをみあおが見たら‥‥。そう、思ってしまう。
 だが、この親子が特別ではない。誰もが心の中に持っているのだ。
 イドの怪物を。
 例えば、この女の子は追い詰められていた。
 日々の強制された勉強に、詰め込まれるだけ詰め込まれたスケジュールに。
 そして‥‥目に見えない諍いを続ける両親に。
 もし、彼女が止めなかったら、現れた怪物は両親を傷つけていたかもしれない。
 もしかしたら‥‥その先も‥‥。
 世の中には人の心を読むという能力があると言われているが、そんな人がいたとしたら‥‥きっと、自分は少しその気持ちが解るだろう。
 誰にも言えない思い、苦しみを彼女は、遠い誰かに向けて送り、自分の身体をそっと抱きしめた。


 もう直ぐ夜明け。
 いくつもの、見たくない思いを見つめ、何人もの心の中、イドの化け物の存在を、今日も見てきた。

 みあおが、目を覚ますだろう。
 静かに戻ってきた彼女はふと、手を合わせて目を閉じた。
 それは、祈り、と呼ばれるものだった。
 夢歩きの後、彼女は時折、祈る。
 祈る存在というのは、普通神や精霊だったりする。
 願いをかけるのだろう。自らを助けて欲しいと。
 祈れば必ず神様が助けてくれる。
 そんな存在など彼女は信じていない

 だが、少なくとも感じる。信じられることがある。
 大いなる者がこの世界にいて、その見えざる手で世界を動かしている、と。
 
 だからこそ、彼女は祈る。
「せめて、夢の中でだけでも、人々に安らぎがありますように。イドの怪物などが、いつの世も現れることがありませんように‥‥」
 
 みあおが目を覚ます。
 彼女は、スッと静かな暗闇に消えた。
 みあおが眠り、みあおが目覚める。

「おっはよ〜!!」 
 少女は元気に現実に、飛び出して行った。