コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


『千紫万紅 縁 ミモザの花の物語』


 家の庭にはシンボルツリーとしてミモザの樹が植わっていた。
 父親が好きだったのだ、その花が。
 とても黄色くって、かわいらしくって。ふわふわとした花。
 その黄色い花があたしも大好きだった。
 父親の影響。もしくは父親の遺伝子?
 春になる頃に咲く黄色い花にあたしも父も喜んで、それから父はいつも毎年3月8日にその中でも一番に綺麗に咲いたミモザの花を母にプレゼントしていた。
 それはどうして? と聞いたら、父はその理由を話して聞かせてくれた。
「京子、イタリアではね、3月8日、女性の日にお世話になった女性にミモザの花をプレゼントするんだよ」
 って。
 そんな優しい父がとても大好きで、
 そして幸せそうに笑う母も大好きだった。
 母が作るミモザの花の砂糖漬けは、我が家の幸せの象徴だったのだと想う。



【T】


 涼原水鈴は今日も迷子。
 街中を運命の人を求めて歩いている。
 だけど彼女に悲壮感なんてまるで無い。
 だって信じているもの。いつか必ず自分たちは絶対に出逢えるんだって。
 だから水鈴の毎日は輝くのだ。
 いつか出逢う運命の人。その日はいつかわからない。十日後、一週間後、明後日か、明日、ひょっとしたら今日かもしれない。だから水鈴はいつ運命の人と出逢ってもいいようにしている。胸を張って出逢えるように。ちゃーんといつもおめかしして♪
 ―――それはきっとまだ見ぬ赤い糸で結ばれた運命の王子様を夢見て、お洒落をする少女と同じ感覚。
 私はここだよ。ここに居るよ♪
 その想いが歌となって紡がれる。
 聴衆は空を飛ぶ鳥に、
 民家の塀の上で眠っている猫、
 それと草木。
 皆、水鈴の歌声に耳を傾けて、心地良さそうに聞いている。
 水鈴はセイレーン。その歌声は魔力を持っていて、聴く者の心を魅了して、船乗りを惑わせる、それがギリシャ神話で語られるセイレーンの姿だけど、でも水鈴の歌声は人を幸せにする。それはきっと水鈴が心の奥底から歌を歌うのが大好きだから。
 そして水鈴の人柄か。
 とても清らかで透明な歌声で歌われる歌に。
 だから水鈴の歌はとても深く心に染み渡る。
 心を癒す。
「2番」
 そう言って即興の歌の二番目を歌い始める。
 道は水鈴の舞台。観客は世界。
 歩きながら気持ち良さそうに歌う水鈴に拍手が贈られる。
 ぱちぱちぱち。
「お上手ね、お嬢さん」
「ありがとう。お礼に一曲いかが?」
 上品にスカートをわずかに持ち上げながらお辞儀。
 そして自分に拍手を贈ってくれたお姉さんにそう問う。
 彼女はにこりと微笑んだ。胸の前で両手を合わせて。
「それじゃあ、お願いしましょうか、かわいい歌姫さん。歌を聞かせてくれる?」
「うん♪」
 水鈴は大奮発。二曲も歌を歌った。
 それを聞いていた彼女はぱちぱちと手を叩いてくれた。
「ありがとう。とても綺麗なお歌だったわ」
「うん。ありがとう。作詞も作曲も私なんだよ♪」
「まあ、そうなの」
 腰の後ろに両手を回して嬉しそうに笑う水鈴に彼女も大きく頷く。
「あたしは北村京子。歌姫さんは?」
「私? 私は涼原水鈴だよ♪」
「水鈴ちゃんか。とても澄んだ音色が聞こえてきそうな名前ね。すごく似合っているわ」
「本当に?」
「ええ」
「うわぁー、すごくすごく嬉しい♪ ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして。ああ、でもお姉さん、ではなく京子ちゃん、がいいかしら」
 くすりと彼女は笑う。
「うん、わかったよ、京子ちゃん♪」
 それから水鈴は京子の背後の方を見た。彼女の背後に広がる庭にはとても綺麗な黄色い花が咲いていた。
「うわぁー、ミモザの花、すごく綺麗♪」
 水鈴はミモザの花から京子の顔に視線を変える。京子はこくりと頷いた。
 それで水鈴はスキップを踏んでミモザの花の前まで移動する。
 ミモザの花の前でくるりと回転。背伸びしてミモザの花に手を伸ばす。
 触れたミモザの花はくすぐったがるように風に揺れて、水鈴を喜ばせた。
「ミモザの花、好きなの?」
「うん。青い空に映える黄色くってぽわぽわ小さいお花が大好きなの。綺麗で可愛くって………それから、それから」
「それから?」
 小首を傾げた京子に水鈴は照れくさそうに舌を出して頭を掻いた。
「美味しそうなお菓子みたい。クッキー? 金平糖? ううん、そうだっ。メレンゲのお菓子。口に含んだらほわわわ〜って甘く溶けていく様な。幸せのお菓子みたいなお花」
 にこりと笑う水鈴に京子はにこりと微笑んだ。
「幸せのお菓子みたいなお花か。そうだね。そうだったわね」
 水鈴が小首を傾げたのはそう言った京子の顔がなんだかとても寂しそうだったからだ。だけどどうしてここで彼女がそういう表情を浮かべるのかが水鈴にはわからない。
 そしてその水鈴の疑問を彼女も感じ取ったのだろう、京子はふわりと水鈴に笑いかけると、そっと水鈴の手を握った。
「私の家の中においで。水鈴ちゃんに歌のお礼にとてもいい物をあげる」
「いい物?」
「うん。そう。いい物」
 そう言って悪戯っぽく微笑む京子に先ほどまでの哀しげな雰囲気は無い。だけどそれでもミモザの花はどこか哀しげに風に揺れていた。


 ミモザの花の花言葉は友情、神秘、堅実、そして秘密の愛、秘密な恋。



【U】


「えへへへ」
 綺麗なピンクのリボンが結ばれた硝子の瓶を覗き込んでにんまりと笑う。
「美味しそう〜」
 顔をくしゃっとさせる水鈴は瓶の口にされたコルクの蓋に手を伸ばそうとするが、でも顔を左右に振る。
「ダメダメ。スノーちゃんと一緒に食べるんだから」
 スノードロップの花の妖精なのに花よりも団子ちゃんのスノーちゃん。
 きっと喜んでくれる。
 水鈴は鼻歌混じりにスキップを踏みながら街の中を進んだ。そうしてればきっと出逢えると想った。別にそう想った事に理由とか確信があったとかそういう訳ではなかったのだけど、だけど本当にそう想っていたら、
「あっ、スノーちゃん♪」
「あっ、水鈴さんでし♪」
 ほら、会えた。
 それをものすごく嬉しく想って、
 そしてその嬉しい色に染まった心の片隅でちょっぴりと想う。こんな風に運命の人とも出逢えたらいいのに、って。
「どうしたんでしか?」
 小首を傾げるスノードロップに水鈴は首を横に振る。
「ううん、何でも無いよ。あ、それでね、スノーちゃん、探してたの」
「わたしをでしか?」
「うん。ほら、見て、スノーちゃん。ミモザの花の砂糖漬け。ミモザのお花って、食べられるんだって♪」
 えへん、と水鈴が出して見せた硝子瓶の中のミモザの花の砂糖漬けにスノードロップはどんぐり眼を大きく見開いた。
「おわぁ、すごく美味しそうでしね♪」
「そうでしょう♪ そうでしょう♪ すごく美味しそうだよね。一緒に食べよう、スノーちゃん。それと、えっと?」
 水鈴は小首を傾げる。
 スノーちゃんと一緒に居るお兄さん、初めて見る人だけどえっと、ひょっとしたらこの人が噂の白さん?
「えっと、お兄さんが白さん?」
 小首を傾げる水鈴に白はにこりと微笑みながら頷いた。
「そうですよ。あなたは涼原水鈴さんですね。いつもスノーから聞いていますよ。とてもかわいらしい元気なお嬢さんだと」
「えへへへへ♪」
 水鈴は照れてしまう。
 それから瓶のコルクの蓋を取って、その瓶を白に出す。
「はい、白さんもどうぞ」
 白はにこりと微笑んで、それから瓶の中からミモザの花の砂糖漬けを手に取って、口に入れた。とても美味しい。
 それを嬉しそうに見ながら水鈴はスノーにもミモザの花の砂糖漬けをあげて、自分もそれを口にする。
「あまぁ〜〜いぃ♪」
 とても美味しくってほっぺたが落ちそうだ。
「これは水鈴さんが作ったんでしか?」
「ううん。京子ちゃんにもらったの。歌を歌って聞かせてあげたらそのお礼にって」
「そうなんでしか」
 水鈴とスノー、二人でミモザの花の砂糖漬けを口にする。
 それからやっぱりとても幸せそうな顔を二人でする。
 そんな水鈴がふと、白を見たのは白がとても楽しそうに水鈴の方をにこにこと見ていたからだ。水鈴は小首を傾げた。
「どうしたの、白さん?」
 白の視線を追って、水鈴は自分の後ろを見た。だけどそこには誰も居ない。えっと……
 そしたら白がくすくすと笑う。
「ああ、ごめんなさい。いえ、ミモザの花の妖精が水鈴さんの後ろに居たから」
「ミモザの花の妖精さん?」
 そう驚いた声を出して、それから水鈴はもう一度白の顔から自分の背後へと視線をやった。すると確かには先ほどまでは誰も居なかったはずなのにいつの間にかミモザの花の妖精が居た。
 水鈴はとても嬉しくって、それでミモザの花の砂糖漬けの入った瓶をその妖精に差し出す。
 ミモザの花の妖精はにこりと笑って、ミモザの花の砂糖漬けを手に取って、口に入れた。
「美味しいでしょう?」
 嬉しそうに水鈴がそう言うと、ミモザの花の妖精はにこりと笑って、それからすぅーっと消える。なるほど、居なかったのではなく、見えなかったのだ。
 だけどそれではこのミモザの花の妖精はいつから水鈴の後ろに居て、そしてどうして水鈴の後ろに居るのだろうか?
「そのミモザの花の砂糖漬けをいただいた方に縁があるのかもしれませんね、このミモザの花の妖精は」
 小首を傾げる水鈴に白はそう優しく教えてくれた。



【V】


「ここだよ♪」
 水鈴は白とスノードロップを案内して、先ほどのお姉さんの家にやって来た。
「そうですね。水鈴さんの背後に居るミモザの花の妖精と同じ波動をあの庭のミモザの木に感じます」
 白はにこりと微笑んでそう言う。
 そして口許に軽く握った拳をあてながら考え込んだ。
「あのミモザの樹、別に病気とかそういう訳でも無いようですね。良かった」
 小首を傾げる水鈴にスノードロップが教えてくれる。
「白さんは樹木のお医者さまなんでしよ」
「そうなんだ。凄いんだね、白さん♪」
 憧憬の眼差しで見てくる水鈴に白は穏やかに微笑んで、それからミモザの樹から、家へと視線を向けた。
「ミモザの樹に何も無いとしたら、やっぱりこの家に何かがあるのかもしれませんね。ミモザの花言葉にまつわる何かが。花の妖精が姿を見せるとは、そういう事だから」
「花言葉?」
「そう。知っていますか?」
 ふるふると顔を横に振る水鈴に白が教えてくれる。
「ミモザの花が持つ花言葉は、友情、神秘、堅実、秘密の愛、秘密な恋」
 水鈴は目をわずかに見開き、その水鈴の肩でスノードロップが小さな吐息を吐く。
「これは少々厄介な事になるかもしれないでしね」
 手の中にある硝子瓶に目を落とし、水鈴はわずかに考え込むが、それでも考えてたのはほんの数秒。
 彼女はしごく簡単に玄関の所にあるチャイムを鳴らした。
『はーい、どなたですか?』
「あっ、京子ちゃん、私。水鈴だよ♪」
『水鈴ちゃん? ちょっと待っててね』
 それから水鈴は白とスノードロップを見て、にこりと微笑んだ。
「難しい事はわかんない。だから京子ちゃんとお話するのが一番♪」
 その水鈴の言葉に白はわずかに目を見開いて、その後にその目を柔らかに細めてくすくすと笑った。
「そうですね。それが一番ですね」
「うん♪」
 水鈴は大きく頷いた。



【W】


「水鈴ちゃん、どうしたの?」
 不思議そうに小首を傾げる京子に水鈴はにこりと微笑んで、空の硝子の瓶を出した。
「とぉーっても美味しかったよ、ミモザの花の砂糖漬け♪ 京子ちゃん、ありがとう♪」
 水鈴がそう告げると京子はとても嬉しそうに微笑んだ。
「僕らも頂いたのですが、本当にすごく美味しかったですよ」
「はいでし。はいでし。すごくすごく美味しかったでし♪」
 京子に水鈴から紹介された白とスノードロップは京子に感想を述べた。
 その言葉にさらに京子は顔を緩めた。そしてとてもはしゃいだ声で言う。
「あたしのお母さんが作ったミモザの花の砂糖漬けはもっと美味しかったのよ」
「そうなの?」
「ええ。あたしが作ったのよりも何倍も」
 いつも元気でかわいらしい笑みを浮かべている水鈴の顔にだけど陰りのような表情が浮かんだのはそう言った京子の表情がとても悲しげだったからだろうか?
 そんな水鈴の表情に気付いた京子は慌てて笑みを浮かべると、玄関の扉を開けた。
「とにかく中にどうぞ。まだ台所にたくさんミモザの花の砂糖漬けがあるから、良かったら」
 それに顔を綻ばせるスノードロップ。ぶーんとドアの開いたスペースから遠慮なく家の中に入っていって、中からとてもいい笑顔で水鈴においでおいでをする。
「さあ、水鈴ちゃんも」
「うん」
 頷く水鈴。だけど自分の言葉が京子を傷つけたような感じがして、それが苦しくって、しょんぼり。
 そんな優しい水鈴の姿に白は優しく微笑んで、それから腰を曲げると、彼女の耳にそっと白が囁いた。
「大丈夫。彼女は微笑んだでしょう。たとえそれが空元気でもまだ笑う事ができるのなら、自分の足で立っていられる。なら水鈴さんの役目はそんな彼女の背中をそっと押してあげる事なのかもしれません。だから水鈴さんが仰っていたようにまずはお話を聞いてさしあげましょう。ね、水鈴さん。まずはそこからですよ。そうする事できっとあなたは彼女の力になってあげる事ができるから」
 言葉、という力で背を押してもらえて、とんと軽やかに前に一歩踏み出せたような、そんな感覚が胸の中に広がった。


 できるかな? できるといいな。
 そういう自分でいたいな。


 ふわりと風が吹いた。
 その風が揺らす、ミモザの樹を。
 枝は擦れて音色を奏で、
 その音色がどこか水鈴にはミモザの樹が自分を応援してくれているように想えた。
 だから水鈴はうん、と頷く。
「ありがとう、ミモザの樹さん。私、がんばるね」
 そして白の優しく穏やかに微笑む顔を見上げて、にぱりと水鈴は微笑んで、白の手を両手で握った。
「白さん、ありがとう」
「はい。さあ、では、入りましょうか」
「うん」
 ずっと家の中に入った場所で待っていてくれた京子に「お邪魔しまぁーす♪」と言って、水鈴は玄関から家の中に入った。
 京子と並んで廊下を歩いて、リビングに通される。
 そのリビングに置かれたソファーに座って、水鈴は部屋を見回した。典型的な中流階級の部屋で、とても落ち着いた雰囲気でまとめられた部屋だった。
 網戸にされた窓から吹いてくる風にカーテンが揺れている。
「ごめんね、寒くない? さっきまで掃除をしていたから、部屋の換気に窓を開けていたの」
 京子はそう言いながら窓を閉めて、それから台所に行って、彼女は水鈴たちにオレンジジュースを出してくれた。
 美味しそうにオレンジジュースを飲む水鈴に京子は悪戯っぽく微笑む。
「ねぇ、知ってる水鈴ちゃん。オレンジジュースっていう言葉は、実はミモザのお花とも縁があるのよ」
 ちょっとその回りくどい京子の物言いに水鈴は小首を傾げた。
「オレンジジュースがじゃなくって、オレンジジュースっていう言葉がミモザのお花と縁があるの?」
「うん。そう。ああ、でも少し水鈴ちゃんには早い話題なんだけどね」
 白は小首を傾げる水鈴の隣でくすりと笑った。
「カクテルのお話ですからね」
「あっ、白さんは知っていらっしゃいますか?」
「はい」
「ねえねえ、白さん。どんなお話なの?」
「シャンパンベースのカクテルで、フランスではシャンパン・ア・ロンジュとも呼ばれて、19世紀頃から上流階級の貴婦人たちに飲まれるようになったんです。作り方は冷蔵庫で冷やしたオレンジを搾ってその果汁をグラスに注いで、さらにそこに冷やしたシャンパンを注いでやる。その時にね、グラスの中に黄色いミモザの花のような泡があがって、それがとても綺麗で、風に揺れるミモザそっくりの本当に美味しいカクテルなんですよ」
「「へぇ〜♪」」
 白の説明に水鈴とスノードロップは目を輝かせた。
 だけど二人にはやっぱり気の早い話。残念。
 そんな二人にくすりと笑って、京子は付け足した。
「スパークリングワインでもいけるんですよ、白さん。うちの母も生きてた頃はよくそうやって飲んでいました。うちは本当に家族揃ってミモザの花が好きだったから」
 そう言う京子の顔は本当に寂しそうだった。
 それから京子はやっぱりと水鈴に微笑むのだ。大丈夫だよ、ごめんね、と。
 水鈴はきゅんと痛む胸を手で押さえながらふるふると顔を横に振った。
 そして水鈴は京子が用意してくれたミモザの花の砂糖漬けを口にするのだ。それはやっぱり美味しい。
「美味しい?」
 優しくそう問う京子にうん、と水鈴は頷く。
「そっか。だけど本当にあたしのお母さんが作ったミモザの花の砂糖漬けはすごくすごく美味しかったんだから。だから水鈴ちゃんに食べさせてあげたかったな」
「京子ちゃんの自慢のお母さんの味?」
 そう訊く水鈴に京子は幼い子どものように頷いた。
「うん。本当に家はミモザのお花が大好きだったの。咲いているミモザの花をいつも家族で眺めて、そしてお母さんが作ったミモザの花の砂糖漬けを飾りに使って、あたしもお父さんの誕生日ケーキを作って。だけどもう、それも無理なのかな」
 寂しそうに言う京子。
 きゅっと水鈴はスカートを両手で握り締めた。
「お母さんがもう居ないから?」
 普段の水鈴からは考えられないような寂しげな声。スノードロップは驚いたように両目を見開いて、その後に水鈴の肩に舞い降りて、水鈴の頬にキスをする。
「ううん、違う。あたしが悪いの。あたしがね、お父さんには言えない恋をして、それで明日、彼は外国に行くの。あたしは彼についてはいけない。皮肉だね。あたしもお父さんも大好きなミモザの花の持つ花言葉にあたしは当てはまるような恋をしちゃうなんて」
 ふるふると水鈴は顔を横に振った。
「ありがとう、水鈴ちゃん」
 京子は微笑んだ。
 京子が好きになったのはジャズピアニストだった。
 出逢いは街中の喫茶店。そこに置かれたピアノを戯れに弾いていた彼の音色を聴いて、もうその時にはきっと京子は彼に恋をしていた。
 だけどそれは父親には秘密な恋。秘密の愛。
 京子の父親はとても家族を、京子を大事にしてくれていた。それが故に父親は京子の結婚相手は自分が決めようとしていた。そうする事が一番の娘の幸せになれる方法だと想いこんでいた。そしてその想いは、11年前、京子が小学校六年生の時に彼女の母親が…自分の妻が死んだ時からより強くなった。
 そしてそういう父親の愛情をちゃんと理解しているからこそ、京子も彼の事を父親には言えなかった。だから秘密な恋。秘密の愛。
 彼はとても優しい人で、ちゃんとそういう京子の気持ちを理解してくれていて、そしてその上で彼女に3月8日、ミモザの花を手渡して、プロポーズしてくれた。自分の想いのままに選んで、と最後に言って。
 手渡された飛行機のチケット。彼は4月からずっとニューヨークに行ってしまう。
 京子は選ばなければいけなかった。父親か、彼か。
「あたしには選べない。お父さんも彼も。どっちも大事」
 だけどそれでも恨んでしまう。
 きっと心にはどちらを選んでもしこりが残る。
 京子が言ったもうケーキを作れないかもしれないというのは、そういう事。
「難しい選択ですね」
 白はぽつりと言う。
「それでもやはり人は生きるのなら、進む道を選ばざるを得ない。何かを得ようとするのなら、他の物を捨てなければいけない時もある。現実は無慈悲だから。京子さんは優しいのですね。優しいから苦しんでいる。だけどその優しさが時にはあなたが大切に想い、守りたいと願う人を傷つける事もちゃんと理解していないといけませんよ」
 穏やかにそう言う白に京子はわずかに両目を見開いた。
 ずっと黙っている水鈴。
 水鈴は考えていた。運命の人の事を。
 今まではただ出逢える事を信じていた。
 ある日普通に道端で出逢って、私はあなたをずっと探していたんだよ♪ と告げて、そうやって一緒に笑いあって、そのままずっと一緒に居られるって。
 だけどその出逢いはひょっとしたら水鈴にとってそれまでの世界を一変させてしまうような出逢いかもしれない。
 例えばその出逢いが今までの一番大切な人と、運命の人とを選ばなければならない状況になったら、そしたら自分は………
 胸が痛い。押し潰されそうなぐらいに胸が痛かった。
 それでもきっと自分は、運命の人を選ぶ。だってその人はずっと自分が待ち続けていた人だから。
 それが自分にとっての一番の幸せだと想うから。


 そう。だってずっと待ち続けていたんだもん。


 水鈴はきっとそちらを選ぶ。
 だけどそれでもそれを水鈴が口に出すことはしなかった。
 だってそれを口にしたら京子ちゃんを余計に苦しめる事になるから。
 そう。選べないから苦しんでいる。京子ちゃんは。それは優しさ。ひょっとしたら弱さ、と言い切ってしまう人がいるのかもしれないけど、でも水鈴は優しさだと想う。お父さんへの。
 優しすぎるから、自分を傷つけて、京子は飛べない。
 それでも水鈴は何かを京子のためにやってあげたいと想った。
 だけど自分に何ができるだろう? 京子のために。
 必死に考える水鈴。だけれどもどれだけ考えても、結局答えは出なかった。ただ水鈴に出来た事は京子の隣に座って、不安そうな彼女の手を握り締める事だけだった。
 水鈴の小さな手から伝わる温もりに京子は柔らかに目を細めながら口を動かした。
「ありがとう、水鈴ちゃん」
 それからふいに京子は泣き出して、そしてそのまま幼い子どものように泣き疲れて眠ってしまった。
「今までずっと自分だけで迷いや不安を抱き続けて、それで疲れてしまっていたんでしょうね」
 それなら少しは自分は京子ちゃんの役に立てたのだろうか? 水鈴はそう想った。眠っている京子の頬を濡らす涙をそっと水鈴は指でなぞってあげる。
 助けてあげたい。心の奥底からそう想った。なんとか京子の道を照らしてあげたい、って。
 そう想うのは京子が水鈴の歌を褒めてくれたからで、
 ミモザの花の砂糖漬けをくれたからで、
 優しくしてくれたからで、
 そしてきっと京子が逢いたい人に逢えなくなるから。


 水鈴は知っている。逢いたい人に逢えない悲しみを。
 ―――ココロがすごくすごく苦しいんだよ、逢いたい人に逢えないのは。
 そんな苦しさを優しい京子に味合わせたくなかった。
 京子が大好きだからこそ。


『ありがとう』
 ―――えっ???
 水鈴の脳裏にふいに響いた言葉。
「誰?」
 部屋を見回す。
 白やスノードロップが不思議そうに水鈴を見るけど、
 でも水鈴は構わずに問い掛けた。
「誰なの?」
『こっちよ』
 脳裏に響く、声。
 そして水鈴の目の前にふわりと飛んできたのはミモザの花の妖精。
 妖精は水鈴の目の前でくるりと一回転して、それから飛んでいく。ミモザの樹の方へ。
 それからそちらに視線をやった水鈴は大きく瞳を見開いた。
 綺麗に黄色い花が咲き乱れるミモザの樹の枝の下に、ひとりの優しそうな中年の女性が居た。きっと京子があと何年かしたらあんな風な感じになるに違いないと思える、美人で優しそうな女性。
「京子ちゃんのお母さん?」
「ええ、多分そうでしょうね」
 白はとても優しい声で言った。
 それから水鈴は京子を起こしてしまわないようにソファーから立ち上がって、急いでミモザの樹へと行った。
「京子ちゃんのお母さん、京子ちゃんを助けて!」
 京子は自分の幸せよりも父親への想いを優先しすぎている。互いが互いを大切に想うが故に陥ってしまったループ。
 それを解決できるのだとしたら、それはきっと彼女しかいない。
 京子の母親はまるで我が事のように京子の事を心配する水鈴の頬に右手を触れさせて、もう一度、ありがとう、と唇を動かした。
 そして彼女は水鈴に言う。
『手伝ってくれるかしら? 私にはもう体が無いから。ほんの少しだけ水鈴ちゃんの体を貸して』
「うん」
 頷く水鈴の体が次の瞬間にふわりとした感触に包まれて、そしてその後には水鈴の体は水鈴の意志とは関係無く動き出した。
「何をするの、おばさん?」
 口だけは水鈴の物。
 脳裏に答えが流れる。
『ミモザの花の砂糖漬け』
 彼女はそう言うと、水鈴の体を使ってミモザの花を摘もうとして、だけど背が足りなくって、そしたら後ろから白が、水鈴の体を持ち上げてくれた。
「ありがとう、白さん」
「どういたしまして」
 ふわりと穏やかに微笑む白。
 スノードロップも一緒に花を摘んで、それを水鈴に届ける。
「ありがとう、スノーちゃん♪」
「どういたしましてでし♪」
 水鈴の中に広がった喜び。京子の母親も心から感謝している。
 そして彼女は水鈴、白、スノードロップの協力を得て、ミモザの花の砂糖漬けを完成させた。



【X】


 京子の意識は起きてるのと眠っているのとの境をさ迷っていた。
 だけど多分きっとまだ眠っているのだと想う。
 だって鼻歌が聴こえるもの。母親の鼻歌が。
 いつも母親はミモザの花の砂糖漬けを作る時にはこの鼻歌を歌っていた。
 心地良い母親の鼻歌。
 何もかもが心地良い。
 懐かしい。
 母親の鼻唄も。
 そしてこのミモザの花の砂糖漬けの香りも。



 京子。
 大丈夫だよ。大丈夫。
 あなたは自分の幸せを選びなさい。
 お父さんもお母さんも、あなたが幸せになる事、それが一番の願いで、喜びで、嬉しい事なんだから。
 お父さんには私がいつもついているから。だから大丈夫。
 幸せにおなり。



 意識にそっと流れ込んでくる母親の声、温もり、優しさ。
 これは本当に夢?
 違う。夢じゃない。
「お母さん」
 京子は跳ね起きた。
 そして目の前でミモザの花の砂糖漬けが入った硝子瓶を持った水鈴を見て、ぼろぼろと涙を流した。
 その光景を見て、すぐに理解できたから。
 さっきまで母親が居た事。
 水鈴が持つミモザの花の砂糖漬けは母親が作った物である事。
 もう母親はここにはいない事。
 そしてだけどいつも母親がちゃんと見ていてくれる事。
 だから京子は涙を流しながらも微笑んだ。心の奥底から。
 そして水鈴や白、スノードロップを見ながらお礼を言う。
「ありがとう、水鈴ちゃん、白さん。スノードロップちゃん。お母さんのお手伝いをしてくれて」
「ううん、いいの。大丈夫だよ♪」
 にこりと笑う水鈴。
 そして京子は涙を拭うと、水鈴から硝子瓶を受け取って、言った。
「ねえ、水鈴ちゃん。これからお父さんの誕生日ケーキを作るから、手伝ってくれるかな? お父さんに私、水鈴ちゃんに白さん、スノードロップちゃん、それに私の彼氏の分のケーキを作って、それからこのお母さんのミモザの花の砂糖漬けで飾り付けをするの」
 その言葉に水鈴は顔を輝かせて、そして大きく頷いた。
「うん。やる。やるよ、京子ちゃん♪ 私がうーんとがんばるから♪ だから大船に乗った気でいてね♪」
「はい、水鈴ちゃん」
 水鈴と京子、二人で額を合わせてくすくすと笑いあった。




【ラスト】


 去年の秋、銀杏の実を見知らぬ人へプレゼントして、その後に今度はクリスマスのゴスペルのコンサートチケットをプレゼントしてもらえた樹の根元に水鈴は小さな紙袋を置いた。
 水鈴が作ったミモザの花の砂糖漬けがたくさん詰った硝子瓶が入った紙袋を。
 樹の根元に置いて、そして水鈴はふふふと嬉しそうに笑う。
 胸の前で両手を合わせて、祈りを口にする。
「ちゃんとまたあの人に届きますように」
 顔は知らないけど、私とその人はもうお友達。ミモザの花言葉には友情があるんだよ♪
 そして水鈴はスキップを踏みながら鼻歌を歌って、家路へとついた。
 もちろん、見えぬ力は未だ二人を擦れ違わせるけど、でもちゃんと水鈴の想いは彼女の運命の人へと手渡せる。
 飼い犬の散歩に来たその人が、水鈴のプレゼントを見つけるのは、水鈴の姿がそこから見えなくなったその瞬間だった。
「わんわん」
「あら、これは? ひょっとしてまた銀杏の人からのプレゼントかしら?」
 嬉しそうな彼女の声、いつかそれがちゃんと水鈴に届く事になるのを祈るように夕暮れ時の世界はとても綺麗で優しかった。


 ― fin ―




□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3203 / 涼原・水鈴 / 女性 / 11歳 / 迷子さん】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□



こんにちは、涼原水鈴さま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


ご依頼、ありがとうございました。^^
今回はミモザの花、という事でこのようなお話に。
黄色くってふわふわとしたミモザの花の雰囲気はどこかしらいつも元気の良い水鈴さんに似ていますよね。^^

今回の水鈴さんは恋のキューピットで良いのだと思います。^^
きっとこういう事はあると思います。優しいから自分の感情を殺して、守りたい人を傷つけてしまう。
感情のループ。それを誰よりも気付いているのは京子だったと思います。
その京子の想いと、運命の人をずっと探し求めて、出逢える日を待ち続けている水鈴さんの想いとが重なった時に、
この奇跡が起きたのだと想います。
おそらくは父親がもしも京子の恋心に気付いていて、自分よりも彼氏の事の方を優先するように京子が父親から言われても彼女は無理だったんじゃないかな。
だけどあのようなラストを迎えられたのは、きっと母親がちゃんと自分と父親の傍に今も居てくれるとわかったから。
水鈴さんが居てこそ、なんです。本当に。^^


そうそう、イタリアで3月8日にお世話になった女性にミモザの花を贈るように、
フランスでもミモザ祭りというものがあって、ミモザの花束を投げあい、春の訪れを祝うそうです。^^
でも僕はシャンパン・ア・フロンジェの方が良いかな?(笑い


ラスト、とても良い展開に持っていかれて良かったです。
ちゃんと水鈴さんが作ったミモザの花の砂糖漬けが運命の人に届いて。
いつか、本当にいつかちゃんと手渡しで贈れる日が来るといいですね。^^
なんとなくあのラストの文章を書き終えた時に自然と、水鈴さんと彼女で一緒にミモザの花の砂糖漬けを作って、
それを使って運命の人の手作りケーキの飾り付けを楽しそうにしているシーンが想像できました。^^


それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。