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<東京怪談ノベル(シングル)>


目の前に現れた光の如き

 …二年程、前の事。
 南フランス、プロヴァンス地方にある小さな村、アルル。
 ハーブの薫る小高い丘の上に、まるで城のような修道院が象徴的に見える、そこ。
 長閑な麦畑。
 プラタナスの並木道。

 ぱたぱたと走る少女の姿。
 修道院からの帰り道。
 …その日は母様に葡萄酒を買って来るように頼まれていた為、少女――ラレーヌ・マグダラレナは市場に立ち寄り馴染みのお店に顔を出している。快くいつもの葡萄酒を渡してくれる店の小母様。気を付けて帰りなよ、と優しい声で送り出してくれる。素直に受け明るく声を返すラレーヌ。そろそろ日が暮れて来ている。自然、足を運ぶのも早くなり、小走りになる。…アルル村は小さい村だが見るところも多い観光地。ラレーヌの家はそう言った観光客用の宿をしている。その宿へ――自宅へとラレーヌは急いでいた。
 そんな、家路を急ぐその途中。
 路地裏で。
 言い争う声が聞こえた。二、三人の声。…いったい、なんでしょう? ふと気になり、ラレーヌは声の源を探ろうと、声が聞こえてきたと思しき路地裏を物陰からそっと覗き込む。

 と。

 目の前に。
 傾ぐ身体。
 傾ぐそのまま、自分の目の前に倒れ込んでくる姿。

 ――刹那。
 夕陽に透けた、軽やかな麦穂の如き黄金の髪に目を奪われた。

 黄金の髪――その主は、英国の血を思わせる顔立ちの、黒い服を着た男性。
 …どうやら喧嘩をしていたらしい。
 何か硬い物で殴られたのか――額から血を流している。ラレーヌは叫びを飲み込み、咄嗟に物陰から出て助け起こそうとしたが――その時。
 目の前に倒れて来た彼は、即座に身体を起こしている。
 ただ前を見る、その顔立ちは厳しく。

 無言のまま額に伸びる白い指先。
 つい、と額から離され、指先から細く空に引かれる血の線の赤さが――鮮やかなコントラストになり。

 男性の指先に付いた朱の色。それをインク代わりに、するすると繊細なタッチで地面に描かれる文字と円の組み合わせ。もう何度も描いた事があるのだろう慣れた手順で描かれるそれ。ラレーヌには詳しくはわからなかった。けれど、それは――異端めいた図柄、魔法円と呼ばれるのだろうものに見えて。

 彼が魔法円を描き終えた、そう思ったところで何か――地面から、目を開けていられないような眩い閃光が走り。

 その光が消えた時、いったい何が起きたのか――彼と喧嘩をしていた相手であったと思しき、見るからにガラの悪そうな男たちは皆、為す術も無く倒れていて。
 が。
 それを見届けたタイミング、今、何かを為したのだろう黒衣の男性の方もまた――力無く、倒れ込んでしまい。

 今度こそラレーヌはその姿に慌てて駆け寄り、抱き起こした。
 が、その男性はまるっきり意識が無い。
 それどころか、酷い怪我をしていて。…思えば今地面に描いていた図柄は、彼自身の血を使って描かれていた。ラレーヌは魔法円を見直す。あの円を描くインク代わりの利用――それが叶う程の出血。意識を失うのも当然。
 力無く目を伏せたその顔は、血の気もなく、青白い。…確り食べてもいないのかも知れない。

 放っては…おけませんわよ…ね。
 こくりとひとり頷くと、ラレーヌは傷付いたその男性を連れて行こうと試みる。どうにかして極力怪我に障らないように背負おうとするが――どうやっても危なっかしい。…十五の少女が大の男ひとりを連れて行くのははっきり言って大仕事だ。それも、意識の無い相手となれば、余計に。
 結局どうしようもなく、半分、引き摺るような形になってしまっている。
 それでも、放り出せない。

 …この、一瞬でわたくしの目に焼きついてしまった、まるで光のようなひと。



 …自宅である小さな宿に続く広い通りまで、出て来れた。
 あと、少し。
 幾ら人目を引こうと気にもならない。
 …救けなければならないひとがいるから。
 ラレーヌはその一念で、傷付いた男性を連れて、歩く。

 自分の家の扉を開く。
 何とか連れて来れた男性と共に、その中へと倒れるよう転がり込む。ラレーヌは悲鳴にも似た必死な声で中へと呼ばわる。中から現れたのは心底びっくりした母親の顔。

 その顔を見て――その時になって初めて、ふ、と気付く。

 あっ。
 そう言えば…母様におつかいに頼まれた葡萄酒…何処かに忘れて来てしまいました…。

【了】