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<東京怪談ノベル(シングル)>


クライヒ


 ヒトは見かけに寄らぬ。喰奴は見かけを選らぬ。

 武田・幻之丞(たけだ げんのじょう)は、おどろおどろしい世界を目の当たりにし、恐れるどころかにっこりと微笑んだ。
「……また、来ちゃったわ」
 幻之丞は呟き、てへりと笑った。まるで、約束をしていないのに彼氏の家に突然現れた、彼女のような口調である。その仕草や言い方は大変可愛らしく、また幻之丞の可愛らしい容姿によく似合ってもいる。
 尤も、ここはそんな可愛らしい場所ではないが。
「ええと……前は、針山地獄一丁目にお邪魔したのよね」
 幻之丞はポケットから地図を取り出し、広げながら呟く。地図の名は「分かりやすい!簡単便利地獄地図」である。地図の名前の所にハートマークがついていたり丸文字で書かれていたりと、地獄という一見恐ろしい場所であるという認識をされがちな場所を、利用者にいかに親しみやすくさせるかをしっかりと考えている地図である。
 尤も、しょせんは地獄の地図なのだが。
 幻之丞は、その地図にピンクのマーカーできゅっと星印をつけた。針山地獄一丁目に、である。
「それじゃあ、今日はこの焦熱地獄三丁目にしようかしら?」
 地図とにらめっこをし、ピンクのマーカーで幻之丞は焦熱地獄三丁目あたりをトントンと叩いた。「焦がされる熱に触れる事、間違いなしだネ!」と、思わず笑うしかなくするような説明文も、幻之丞にとってはどうでもいいことだ。
 大事なのは、そこに行くという事。
 大切なのは、そこで行うという事。
「じゃあ、行きましょうか」
 幻之丞は再び地図を確認し、行き方を確かめてからにっこりと笑い、ポケットに地図をしまいこんだ。


 幻之丞はグルメだ。
 牛肉ならば、霜降りがいい。とろりとした口溶けに、箸で切れるほどの柔らかさがいい。
 野菜ならば、無農薬がいい。少々虫に食われてしまった部分が在るとしても、それは虫が好んで食べたいと思わせるものだからだ。
 値段はさておき、美味しいものがいい。最初の一口から、食べ終わった後口まで、ずっと幸せな気分に浸れるのが、一番の幸せだ。
 でもそれは、人間界での話である。
「あらあら、中々にしてお揃いなのね」
 幻之丞は辺りを見回し、にっこりと笑う。
 こうこうと燃える空気の中、ゆらゆらと揺れる蜃気楼の中。幻之丞は見渡し、ごくりと喉を鳴らす。
「何だ、貴様!」
 蜃気楼の中、一匹の鬼が幻之丞に気付いて叫んだ。
「人間か?人間が、どうしてここにいる?」
「人間に見える?私が?」
 くすくすと幻之丞は笑う。妖艶な笑みに、鬼が一瞬見とれた。
「……肉ならば、ヒレがいいわ」
 一歩踏み出し、幻之丞が呟く。
「何を……」
「野菜ならば、無農薬」
 淡々と呟きながら近付く幻之丞に、鬼は構えた。
「美味しい料理なら、尚良いわね。私、意外とグルメなのよ」
「何を言っている、貴様」
「貴様?そんな言い方は無いわよねぇ」
 幻之丞がそう言った瞬間、鬼は一瞬にして幻之丞を見失った。そして気付く。自分の腹に、突き抜いた腕があることに。
「……おおお……おおおお!」
「ここでは、別に何でもいいわ。勿論、キミでもね」
 幻之丞はそう言うとにこりと笑い、鬼の腹から腕を横に引き裂いた。そして腕をひきちぎり、そのまま口に持っていく。口の周りを血で汚さぬよう、細心の注意を払いながら。
「……き、貴様……まさか……」
 引き裂かれながらも、鬼は生きていた。そして、引きちぎられていない手で幻之丞をわなわなと指差す。
「喰奴か……!」
「まさかもなにも、その通りよ」
 いやね、と呟きながら幻之丞は笑う。ほんの少し、口の端に血がついてしまっている。まるで紅をひいたように。
「知っているぞ!貴様……前に針の山地獄で……」
「あら、知ってるの?それにしては、警戒しなかったわね」
 何も気にすることは無く、幻之丞は言ってのけた。鬼はわなわなと体を震わせ、引き裂かれた腹を押さえ、その場から逃げようとゆっくりと後ろへ下がっていった。
「……どこに行くの?」
 幻之丞はそれに気付き、食べかけの腕を手にしたまま、這いつくばって逃げようとする鬼の体を踏みしめた。
「ひい……!」
「ねぇ、どこに行くの?」
 幻之丞はそう言い、にやりと笑う。「キミが行くのは、私の腹の中でしょう?」
「この、化け物が!」
 その言葉を聞き、幻之丞は思わず大声で笑った。赤く染まった牙を、表に晒しているのも構わずに。
「キミがそういうの?ねぇ、キミが?」
 幻之丞はひとしきり笑い、逃げようとした鬼の背中をじりじりと踏みつけた。すると、引き裂かれていた腹からじわじわと血が湧き出る。
「キミにだけは言われたくないな」
 にこ、と妖艶な笑みを浮かべ、幻之丞はそう言った。そして、今度は体に繋がっている方の腕に噛み付いた。ぐおおお、と鬼が叫ぶ。
「私が化け物だったら、キミは何?キミだって、化け物でしょう?」
 鬼は途切れていこうとする意識の中、幻之丞をただ見つめた。化け物だという認識はあるものの、同時に美しい、と思ったのだ。
 喰らう姿は恐ろしく、ただただ美しい、と。
 鋭い牙は、全てを喰らいつくさんが為に存在しているかのようだ。
 しばらくし、全てがその場から無くなった。文字通り、全てが。
「……でも、まだまだよ」
 幻之丞は呟き、ぐっと手で口元を拭う。そして小さく口元をほころばせると、次なる獲物を求めて駆け出した。
 魑魅魍魎から屍鬼まで、見た目は問わぬ。果ては鬼神をも喰らっていく。
 幻之丞の通った後には何も残る事は無く、ただ血の点々が飛び散っているだけ。存在したという証拠はどこにも無く、幻之丞の腹の中に全てが収まっていく。
 鬼が腹に収まる度に、少しずつ空腹感は薄れていく。だが、中々満腹には達しない。先日訪れた針の山地獄一丁目でも、そうだったように。
「き……貴様……ぐふっ!」
 そうして気付けば、焦熱地獄三丁目最後の鬼を幻之丞は喰らい終わっていた。そして、ようやく幻之丞は足と口を止めた。そっと腹を摩りながら。
「もう少し、食べられそうなんだけど」
 幻之丞の声が、辺りに響く。閑散とし、何の気配も感じなくなってしまった三丁目。底に存在するのは、幻之丞ただ一人だけだ。
「もう一箇所、巡ってもいいかしら?」
 幻之丞は呟き、ポケットから再び地図を取り出す。ピンクのマーカーで焦熱地獄三丁目に星印をし、次に行く場所を探した。
「……そこまでだ!」
 地図を見つめていると、突如声が響いてきた。それを見、幻之丞は「うーん」と呟いて苦笑する。
「もう来ちゃったの?」
「当然だ!我ら黄泉軍を甘く見られては困る!」
 幻之丞を執拗に追い掛け回してくる、黄泉軍。それらを相手にしてやってもいいのだが、何せ今は食事後なのだ。
「食後すぐの運動は良くないって言うし……」
 呟き、そっと腹を摩る。
「腹八分目がいいって、言うしね」
 幻之丞は悪戯っぽく笑うと、ポケットに地図をねじりこんで地を蹴った。
「今日はこれくらいにしておくわ。またね」
「待て!」
 駆け出した幻之丞を、慌てて黄泉軍は追いかける。が、追いつく事なく安易に幻之丞は黄泉軍をまく事が出来た。
「じゃあ、悪食ではなくなる世界に帰りましょうか」
 幻之丞は呟くと、そっと笑った。腹八分目とはいえ、しっかりと喰らう事はできた。焦熱地獄三丁目を、制覇することも出来た。
 幻之丞はポケットから地図を取り出し、増えた星印を見て微笑む。
「次は、血の池地獄の方にでも行ってみようかしら?」
 くすくすと笑いながら呟き、幻之丞は地獄を後にした。星印で埋め尽くされるその日まで、地獄に再び訪れる事になるだろうと、思いながら。


 喰奴は見かけを選らぬ。見かけを選らず、ただただ全てを喰らうのみ。

<喰らい日に星印を増やし・了>