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▲囚われのロザリオ▼
------<オープニング>--------------------------------------
すすり泣く声が聞こえたのは京野・ツグミがベッドでウトウトし始めた時間帯だった。半分眠りの海へ浸かっていて初めは夢かと思った。半信半疑で重いまぶたを持ち上げて部屋を見回す。
シャツとズボンという簡素な格好で高校生ぐらいの少女が泣いていた。
「君、誰? なんで泣いてるの?」
問いかけに彼女は応じてはくれなかった。しかし悲哀に満ちた心が自然と伝わってくる。胸を締めつけられる想いがしてツグミは自分を抱き締めるようにした。
気がつくと彼女はいなくなっている。そんなことが毎夜続いた。どうやら少女はエターナルタワーの中になんらかの理由で閉じこめられているらしい。悲しみの強い意思が助けを求めて来たのだ。
ツグミの独自の調査の結果、彼女が1階にいるのは分かった。しかし1階とはいえ罠や低級霊、魔獣が数多く存在していて迂闊には入れない。そこで外部の者へ協力を募ることにした。
ツグミはパソコンの前へ座る。
「えぇと、はじめましてこんにちは、僕は京野ツグミだよ。あれ? 今日のツグミ、てなっちゃった!? どうして、なんで? あーうー、分かんないよぉ〜」
何度挫折をしようかと思いつつ大変な苦労をしてようやく書きこみが完了した。送信ボタンをクリックする。エターナルBOX、ツグミ専用の掲示板に誤字脱字余字の沢山ある調査依頼が掲載されたのだった。
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★シュライン・エマSide
小型の船舶が海原を滑走する。緩やかな波を押し退けて弾き飛ばした。目的地はそう遠くないので特に急ぎではなかったのだが、スピードを出すのは操縦する船長の趣味かもしれない。初め戸惑ったシュライン・エマは揺れにも慣れて空を見上げる余裕もあった。
昼過ぎの空は快晴で雲1つない。ウミネコの大群が船と並行しているのを目にして微笑んだ。顔にかかった長い髪を手で押さえて潮風を感じる。やや暑い日差しと涼やかな風が心地良かった。調査に来たのにそんな感じがしない。
船長が前方を指差してなにかを言っている。風音に邪魔されてあまり聞き取れなかった。断片を繋ぎ合わせて予測はつく。島が近いようだ。
目を凝らすとぼんやりとした輪郭が浮かんでくる。蜃気楼よりも不確かなあやふやさだ。注意深くしなくてはただ単に海が続いているようにしか思えない。
「結ちゃん、見える?」
「はい、なんとなくですけど」
調査員は自分だけではない。シャツとGパン、スニーカーという動きやすそうな格好の四方神・結は双眸の上に手をかざして島を見つめている。腰まであるだろう黒髪をポニーテールにしていて、それが風に乗って宙をなびいていた。
シュラインも改めて島のある方を見る。不思議な島だ。数年前まで発見されなかったのも肯ける。文明が発達し、ほとんどの世界が知り尽くされていても意外にこういった場所はまだまだ存在しているのだろう。
「海流や気流が強いから自然に進んでるといつまで経っても着かねぇんだ。――おっと、そろそろだ。ちょいと揺れるぜ。振り落とされねぇように掴まっててくんな、お客さん方」
筋骨隆々の日焼けした若い男が操縦室から顔を出して低い声で叫ぶ。彼には見えているのだろうか。彼が戻った直後、船が大きく跳ね上がった。ジェットコースターの落下に近い浮遊感を感じる。着地の衝撃。転覆をしてもおかしくないぐらい傾いた。手すりに掴む手へ力を込めて踏ん張る。
体に柔らかくも硬い感触がぶつかった。思わずまぶたを閉じてしまう。
「…………」
静かな波の音が漂っていた。霊力のバリアーを越えたらしい、先程の荒々しい光景が嘘のようだ。緩やかな速度で船は進んでいく。島が、見えた。
木製の船着場へ到着する。船を降りて海を振り返った。中からは外の景色が問題なく見える。入ってしまえば上等な南の島だ。白い砂浜に透き通る海も揃っていてますますバカンス気分になってきてしまう。
結が砂の上を駆けて足跡を作り、全体を見渡すように体を回転させた。
「わぁ〜、綺麗な島ですねぇ。水着持ってくれば良かったかな――なんちゃって」
「そうね、本当に綺麗。無人島にしておくにはちょっともったいないけど、人の手が加えられていないからいまがあるんでしょうね」
砂浜が途切れると次は生い茂った木々が密集している。盛り沢山の緑だ。部分的に間があって道となっていた。景色へ首を巡らせつつ歩いていく。小柄な少女が駆けて来るところだった。
「ごめ〜ん、ごめんよぉ〜。船着き場で出迎えようとしてたんだけど、雑草刈ってたらちょっと遅れちゃったよ〜」
全体的に蛍光色の派手な装いで髪もピンク色、白や赤で化粧された顔はピエロのそれだ。こちらを見てスマイルをする。彼女が唯一の島の住人でもあり、依頼主の京野・ツグミであった。
挨拶もそこそこに改めて事情を聞く。エターナルBOXに書きこまれていた通りのことを彼女は繰り返した。1つ違うのは誤字脱字余字がさすがにないということ。確かにパソコンが得意そうな感じはしない。
「そのコ、人間なのかしら? 唇は動かしていなかった?」
「うーん、どうだろう。顔を伏せて泣いてたから分かんないや。でもどうして?」
オーバーなぐらい首を傾げてツグミは口元へ手を当てている。過去にサーカスをやっていたための職業病だろう。大袈裟でもメリハリある動作の1つ1つが板についていた。
「人なら例え相手に声が聞こえなくても口を動かしたりすると思って。もしそうでないなら、なんらかの落とし物が持ち主の元へ戻りたくて現れたとかの可能性もあるけど。なんにせよ人でも物でも助けてあげたいわよね」
「私も、出たいと望んでいるなら、哀しんでいるのなら助けてあげたいです」
結も同意をしてくれる。シュラインは、頑張りましょう、と微笑した。
居住区だったらしい場所を抜けると道は広場へと繋がる。芝生も生えていないその中央にエターナルタワーはあった。石造りの建物は永遠に上へ伸びている。天辺は雲や霧に霞んで窺えない。霊力の集合する場となっているのか、力の流れを肌にヒシヒシと感じられた。
扉もないタワーの入り口にツグミがピョンと跳ねて立つ。
「とうちゃ〜く。1階だから上位階層よりはずっと安全だと思うけど気ぃ抜いたら死んじゃうから気をつけてね。なにかあったら僕をすぐに呼んで」
罠があり、様々な悪しき者がいると聞いて無防備に進もうとは誰も思わないだろう。分かったわ、と肯いてタワーへ入りかけ、ツグミを振り向く。1つ言い忘れていたことがあった。
「ツグミちゃん、私達が中に入ってる間、少女が現れだした頃タワーに出入りした人などがいて、もし連絡先が分かるなら控えて連絡そのもの可能なら彼女の心当たりの有無聞きこみお願いできるかしら。彼女が意識持てたの最近なだけかもだけど一応、ね」
了承だよ〜、と満面の笑みで返事をする彼女を確認して改めてタワー内へ足を踏み入れた。
★四方神・結Side
暗いのかと思えば中は意外にも照明がしっかりしていた。たいまつもなにもないのに視界良好なのはタワー内部そのものが発光しているからだろう。
若干の据えた匂いのする通路の途中で結は少女との交信を試みた。近くにいるのなら感じられるはずだ。目を閉じて精神を統一する。
哀しんでいる者の気配を僅かに察知できた。ギュッと胸を締めつけられる想いだ。しかし濃い霊気がそこら中に充満していて正確な位置は分からない。ツグミの言っていた情報、1階にいるのは間違いなさそうだった。もう少し進んでからまた交信してみよう、と思って歩む。
左右の壁をなにげなく見つつ進んでいるとシュラインの腕に引っ掛かった。彼女が腕を伸ばして前の方を注意深く見ている。一見、なにもないようだ。
「ギミックの音がする。見て、壁に小さな穴がいくつも空いてるでしょう? 床に一定の体重をかけると作動する仕組みみたいね」
結もならって床へ視線を向けると石畳に切れ目ができているのが見えた。なにも知らずに歩いていたら射出された矢などに全身を貫かれていただろう。罠に関してほぼ知識のない自分1人で来たら死んでいた。側頭部や脇腹に矢が突き刺さって絶命する姿を想像する。そうしたら瞬く間にタワーの住人だ。生唾を飲みこんで、どうしますか、と訊いた。
「他に仕掛けはないみたいだから跳び越えれば大丈夫よ、跨げば楽に行ける距離だわ。いい? ここを境界にジャンプして。見本を見せるわ」
トン、と軽い身のこなしでシュラインが跳ぶ。着地も軽やかだ。罠は一切作動の兆しを見せない。
互いに手を伸ばせば届く距離、大したことはなかった。それなのに、妙に緊張してしまう。学校の体力測定でも幅跳びはやった。3メートル以上は跳べた、だから悠々に行けるはずだ。助走をつけるために少々後退する。3、2、1と心の中で数えた。
いまだ、と覚悟を決めて走りだす。念のため罠の作動する切れ目より大分手前で地を蹴った。越えたこれで安心だ、とホッとしながら床に足をついた。
「へ?」
微かに散乱する砂利で滑り、バランスが崩れる。勢いをつけたのが逆に災いしたようだ。あろうことか後ろへ倒れかかった。わわわっ、と腕を回して抵抗をする。
駄目だ転ぶ。諦めかけたその手をシュラインが上手く掴んでくれた。グイッと引っ張られて体勢を整える。
「し、死ぬかと思いました。ありがとうございます!」
「いいのよ。その代わり、私が危なくなったら手を貸してね」
もちろんです、と言って頭を下げる。
ちょっとした運動なのに心臓がバクバクと鼓動を早めていた。改めて彼女がいてくれたことに感謝する。気を引き締めなくてはならない、このままでは足手まといになってしまう。
突き当たりを曲がるとすぐにまた右へ折れる道があった。そして真っ直ぐにも通路はある。分かれ道だ、少女の居場所が分からない限りは端から順に見ていくしかない。
右へ行くことにした。その際にシュラインがメモ帳になにかを書いている。円状の枠内に迷路が描かれていた。来た道をマッピングしているのだ、これほど心強いことはない。
少し行くと左の壁にドアが見える。調べる必要があるだろう。罠がないのをシュラインが確かめてドアを開ける。
割りと広い部屋になっていた。物がなにもないので広さが際立っている。いや、なにもないわけではなかった。部屋の奥に黒い布の塊がある。
勢いよくドアが閉まった。すぐに駆け寄った結はノブを回したが一向に開く様子はない。仕掛けはなかったのだから何者かの仕業だろう。シュラインへ首を振って開かないのを伝える。
布の方を見た。
「人間だ、人間の匂いがする、おれ、俺オレおれOREのもんDaぁあぁっ!」
布の塊などではなかった。ローブのように黒衣をまとった彼の顔はドクロだった。アゴをカタカタと動かし、人間の発声とは違う響きを生む。低級霊だ、理性の欠片もないのが一目で分かった。彼にあるのは貪欲な食への執着。人間の魂を食らうことしか頭にない。
自分達を閉じこめたのが彼ならば、やむを得なかった。死霊の餌食になるつもりはない。
「ちょっと下がっててください、エマさん」
合わせた手の平をそれぞれ前後へ移動させる。左手に弓を、右手に矢をつがえた。青い光で形成された弓矢を滑るように迫り来る低級霊へ構える。彼らに避けるという概念はない、ひたすらに食らいつこうとするのみだ。何人の者が犠牲になったのだろうか。
魂裂きの矢を離す。一直線に飛ぶ光の切っ先が容易く黒衣を突き破った。操り人形の糸が切れたように死霊は転倒する。やがて彼を包んでいた布が膨らみを失って潰れた。
ドアが開いてくれる。少しはいいところを見せられただろう。ホッと胸を撫で下ろして通路に出た。
「このタワー、いったいなんのために作られたんでしょうね。あんな悪霊がいるなんて――」
話しかける結の足裏に小さな感触があった。踏み潰すというよりへこんだ感じがする。嫌な予感が背筋に走り抜けた。体を強張らせて固まり、ぎこちなくシュラインを顧みる。
「エマさん、私、いま、足に」
「まさか、トラップ踏んじゃったの?」
問いかけにコクコクとアゴを引く。
背後で巨大な音が響いたのはその時だ。通路を埋め尽くさんばかりの鉄球が転がってくる。下敷きになったら一巻の終わりだ。否応なしに走らざるを得ない。
「わわわっ、ごめんなさ〜い!」
半分泣きそうになった。せっかくマイナスを埋めてゼロになったのに、これでは再びマイナスだ。プラスになるようなことをしなくてはならない。その前に生きて鉄球を逃れよう。
壁が見える。床が黒い、大きな穴が空いているようだった。行き止まりではないのを幸運に思う。穴を斜めに跳んで角を突破した。シュラインも無事だ。背後で壁に鉄球がぶつかり、穴を落ちていく。
全力疾走は激しく息を切らせた。油断大敵、とはよく言ったものだ。これからはシュラインの後ろをついていこうと思った。背伸びして横に並ぶのは命がいくつあっても足りない。
「大丈夫?」
彼女が苦笑をしている。
結はハハハと空笑いし、ごめんなさい、と素直に謝ったのだった。
★シュライン・エマSide
首を巡らせて肩越しに後ろを見ると結がしょんぼりしていた。ミスは誰にでもある、そんなに気にしなくてもいいのに、と思った。どちらもケガをしたわけではない。無事でいるのだから落ちこむ必要はないのだ。一応聖水は用意してきてはいるが、彼女がいなくては先程の低級霊も苦戦したかもしれない。
ポンと肩を叩き、一緒に頑張りましょ、と言ってあげた。表情に明るさをやや取り戻した彼女は大きく肯く。この方が彼女らしい。シュラインも微笑んで先を進んだ。
鉄球の穴を過ぎると道はU字型に折れていた。メモ帳のマップへ急カーブを描いていく。思ったよりもずっと構造は単純なようだ。幅や長さを考え、両端まで来たことになる。そろそろこの件の手掛かりぐらいは見つかるだろうか。
通路が一直線に続いている。一見こういう単調なところは要注意だ。暇さゆえに脳が無意識のうちに休んでしまって油断をしてしまう。危機に陥ってからでは遅い、シュラインは目と耳の神経を罠の気配に集中させた。
道は途中で切れている。仕掛けはなかったようだ。代わりに人間がいた。例の少女ではなさそうだ。男、それも過去に人間だったもの、と言った方がいい。上下の服は所々で破れていたりする。辺りに腐敗臭が立ちこめていた。常に呻きを漏らし、焦点の合わない視線を泳がせている。それがこちらを見て止まる。
「結ちゃん、走る準備はいい?」
「え、あ、はい。て、やっぱりそれってそういうことですか」
「体力は有限だしね」
腐食した肉体の持ち主が腕を前に伸ばして足を動かす。スタートの合図。2人は来た道を全力で戻っていく。
どうせ行き止まりなのだ、いちいち付き合ってやる必要はなかった。罠はチェック済みなので石畳の上をひた走るのに遠慮はいらない。それにしても今日はよく走る日だ。運動にはちょうど良かった。
間もなくU字路に辿り着く。速度を少し落とした。ゾンビの足は意外に速いようで止まって3秒もあれば追いつかれるだろう。短い呼気のリズムで滑らぬようにカーブする。対する敵は屍であるせいか転ぶのを恐れず、体をギリギリまで倒して曲がってくる。1秒の距離に迫った。
走りながら結とアイコンタクトで瞬時に次の行動を決する。前方を見据えた。歩幅を合わせ、脚の筋肉へ命令を伝達する。バネを極限に働かせて鉄球の大穴を跳んだ。岸に着いた直後には勢いを緩める方へ力を入れる。壁際まで走りの余韻が残り、停止した。
ゾンビが跳ぶ。ただしジャンプではない。疾走のまま穴に飛びこんだのだ。手足をばたつかせて底なしの闇へ落下していった。呻きが尾を引き、フェードアウトする。
シュラインは呼吸を落ち着けるように深く息をした。
「ちょっとダイエットには向かないかな」
「3日分は走りましたね」
2人して笑い合う。
初めのT字の分かれ道へ引き返してきた。もちろん右へ行く。ゾンビと追いかけっこした通路よりも長い。焦らないでゆっくりと歩いていった。
曲がり角が見えてくる。手前で床に違和感を察した。結も横まで来て歩くのをやめる。
「またなにかあるんですか?」
「たぶん、ね。これ以上は進んじゃ駄目よ、ちょっと待ってて」
左右の壁を見回し、少し崩れた箇所を探した。手の平よりも大きめの石を持ってくる。結構な重量のそれを疑惑の地面へ向けて投げた。石同士の接触する音を立てて問題なく転がらせるかに見えた床はしかし次にはガコッと抜けて地下へ落ちていく。周辺の石畳も巻き添えにしていき、人間3人分は並んで落とせる穴ができた。歩くたびに起こる微弱な振動が不安定な石を擦らせ、軋みを発していたから気づけたのだ。
「落ちたら串刺しね」
「危うく蛇のご馳走ですよ」
穴は道一杯に広がっているわけではなかったので壁に面して通過する。
落とし穴の底には刀剣類が切っ先を向けてそこら中に設置されていた。貫かれた白骨死体がいくつかあり、無数の蛇が一杯に蠢いていた。鉄球の仕掛けもそうだが、作動した罠はいったい誰が直すのか疑問だ。タワーの力で自動に修復されるのだろうか。なににしても今回の件にはほとんど関連性がなさそうだった。
角を曲がり、更に2度の短い通路を行って道なりに折れる。
初め、壁に見えた。それほど巨大だった。罠、低級霊、ゾンビと来て、次は魔物だ。スキンヘッドに角を生やし、1つ目で鼻がブタのような形状で非常に発達していて大きい。クンカクンカと匂いを嗅いでいる。人は2つの目で遠近感を掴むのに、この一応は人型の化け物は目と鼻で位置を確認しているようだ。原始人を彷彿とさせる獣の毛皮からは緑がかった筋骨隆々な四肢が伸びていた。
「通して! 通してくれたら、なにもしないから!」
結が叫ぶ。
どうやら無駄なようだった。魔物には耳がない。言葉を解する以前の問題だろう。音波での撃退もできそうになかった。彼は背負っていた岩同然の石斧を振り上げる。
地獄の底を這い上がるかのような雄叫び。
容赦なく地面へ得物を打ちつけて粉砕させた。破片が散弾銃の如く飛んでくるのをシュラインは腕で庇って致命傷を避ける。攻撃をまともに食らえばひとたまりもなく一瞬でミンチだ。
仕方ないですね、と呟いた結が光の矢を構えた。撃つ。狙いはドンピシャだ、逞しい胸へ突き刺さる。
魔物は止まらなかった。苦痛の声を叫んでデタラメに斧を振るいだす。周辺の壁が崩れて飛来した。堪らず躱しながら敵を観察する。
人間でいう心臓を貫通しても絶命するどころか暴れられる余力があるのは急所が別にあることを意味していた。魔物の肉体構造など様々だろう。一番有力なのはあと1つだ。
「結ちゃん、頭を狙って! 目を潰すのよ!」
アドバイスに彼女が肯いて相手を見上げる。矢の切っ先が頭部へ向けられた。例え脳も別の箇所へ位置していても倒すための布石にはなるはずだ。
青い軌跡が伸びていった。先端が魔物の大きな瞳に吸いこまれていく。矢に押されるように彼は背中から倒れた。目を引っ掻く動きで抜こうとしている。普通の矢ならともかく結の霊力を形にした物を簡単に抜くことはできないだろう。様子を窺っていると数分で沈黙した。生命力は大したものだ。
先を急ぐ。なんだかんだで大分時間が経っていた。外はもう暗くなってきているに違いない。曲がりくねった道を足早に進んだ。
箱があった。見るからに胡散臭い宝箱だ。
「開けちゃダメよ、罠の要素が多過ぎるから」
「やだなぁエマさん、いくら私でも開けませんよ」
その割りに視線をチラチラと箱へ向けてウズウズしているように見えた。貴重なアイテムもあると聞いているが、開けない方が身のためだ。そもそも今回の目的とは違う。
問題があった。通路がなかったのだ。途中で他に曲がるような道もなかったはずだ。メモ帳のマップを見つめて考える。3分の2が埋まっていて、タワーの入り口を下に置くと右上の方が空欄になっていた。
正面の壁を軽く握った拳で叩いてみる。予想していた硬い感触が伝わってきた。続けて左側、空欄になっている方角の壁を叩く。
「?」
違う感じがし、再び叩く。シュラインにしか分からないぐらいの微妙に軽い音がした。向こう側が空洞になっている可能性がある。
「近いですよ、哀しみがどんどん強くなってます」
霊との交信をしたのだろう、結が壁を指差す。彼女との情報も一致していた。
両手を当てて押していく。動かない、推測が外れたのだろうか。
横に結が来た。2人でかけ声をして同時に押す。
ズ、と動く感覚があった。1度動けば容易なもので、回転扉の要領で壁が新たな通路へいざなう。
「エマさん、すごい!」
「私ができるのはこのぐらいだからね」
微笑し、広い空間に出た。奥に重々しい鉄扉がある。いままでとは一変した雰囲気があった。
行きましょう、と言って扉を開け放つ。
★四方神・結Side
そこは大広間になっていた。1階フロアの3分の1は陣取っていそうな部屋だ。赤い絨毯を敷かれた上に低い祭壇がある。その真ん中にロザリオが置かれていた。人間の姿はどこにもない。
「少女の魂はあれに入ってるんでしょうかね」
「おそらくはね。だけど、タダでは渡してくれそうにないわ」
ロザリオを守護するように黒い犬が3匹で囲んでいた。警戒の唸り声を出して攻撃態勢に入っている。見るに、もはや彼らは通常の犬ではない。完全に魔獣化しているようだった。
「来ますよ!」
1匹が結に跳びかかってきた。牙が掠める寸前で躱す。
シュラインは口に指を当てて息を吹いた。無音。否、人間には聞こえない周波数らしい。彼女に向かって駆けていた魔犬が足を踏み外してのたうつ。しかし中央にいた犬にはほとんど効果が見られなかった。横に跳んでシュラインが回避する。僅かに表情をしかめ、肩口を押さえた。指の隙間から赤い模様が広がっていく。
再び彼女へ襲いかかろうとする敵へ向けて魂裂きの矢を撃つ。軽やかなフットワークで躱されてしまった。引き離すための牽制にはなったようだ。
「エマさん、大丈夫ですか!?」
「平気よ、ちょっと掠っただけだから。それより気をつけて」
駆け寄ってシュラインの体を起こす。彼女が前方へ視線を向けていた。2匹の魔犬も復活をして起き上がろうとしている。牙を剥き出しにし、隙間を粘着質な唾液が垂れていた。
にじり寄る3匹に目を固定しつつシュラインの傷口へ手を添え、癒しの霊力を送りこむ。完全に治せなくとも止血はできた。
魂裂きの矢を構える。
同時に襲撃されては2発目を放つのに間に合わない。彼らの瞬発力では命中させるのも難しいだろう。賭けだった。リーダーの役割をしているらしい真ん中の魔犬を先に仕留め、残りはシュラインの指笛で弱らせるまで致命傷を避けるしかない。
4本足の鋭利な爪が歩くごとに床を軽く引っ掻けて音が鳴る。一定の距離に迫って止まった。
狙いをリーダー犬へ定めた。来る。
引っ掻きのリズムが変わった。3匹が一斉に駆けてくる。まだだ、まだ撃つのは早い。結はギリギリまで引き寄せた。目と鼻の先につきつけるぐらいの気持ちだ。
ここだ、と思った。矢を摘む指の力を抜いていく。
「もうやめてっ!」
結でもシュラインでもない、少女の一喝。考えもせずにブレーキをかけ、矢の照準をやめて天井に放った。反射的に撃ってはいけない気がしたのだ。
魔犬らが急停止をする。彼らは振り返り、祭壇へ集まっていった。打って変わって切ない声を発している。
ツグミの言っていた簡素な格好の少女が立っていた。ショートカットの髪が可愛らしいコだ。足元で甘えてくる犬の頭を優しく撫でてやっている。どこか寂しげな表情をしていた。
シュラインと共に近づくと犬が唸ったが、やめなさい、という彼女の命令におとなしく従う。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
「アナタはいったい誰なんですか?」
結の問いに少女はロザリオを手にし、それを見つめた。
「私、サーカス団で犬に芸を教えるトレーナーだったんです」
「サーカス団って、ツグミちゃんのいたところ?」
シュラインに彼女は肯く。
少し意外な真相だ。
「ここでは夜になるとこうして姿を現すことができるみたいなんです。ツグミちゃんは私のこと覚えてないかもしれませんけど、彼女が小さい頃によく遊んであげてて」
「それで彼女のところに現れたんですね」
「正確には、私の想いだけですけどね。このコ達が私を守るために外には出してくれなかったから」
愛しそうな瞳をしてしゃがみ、犬を抱き締める。彼女の頬をペロペロと舐めた。こそばゆい表情をして少女は笑う。
「私、昔から体が強くなくて、生まれた時にはすぐに死んでしまうだろうって言われてたらしいんです。だからこの歳まで生きられたのは奇跡に近くて。でもこのコ達は私が死んだことも自分がこの世の者でないことも気づいてないんです。ロザリオは母にもらった物で、いつも肌身離さず着けていたんですけど、そこに魂が入ってるって分かったんでしょうね。サーカス団の引っ越しでどさくさに紛れて脱走して、野生じゃないから森で息絶えて、そして最近になってタワーに迷いこんでしまいました。タワーの霊力が強いのか、凶暴化してしまって人を襲うようになって」
哀しみの原因がそこにあった。少女の頬を一滴の雫が伝っていく。愛する者が望まないことをしているのは、自らが不幸になるよりも辛いことだろう。
「本当はすごく、すごくいいコなんですよ。この真ん中のコ、マークって言うんですけどね、とても勇敢でいつも2匹の先頭に立って活躍してたんです。それでこっちのコはハヤセ。おとなしくて素直で、玉乗りが得意なんです。あとこっちがハム。ちょっと臆病だけど優しいコ。私がミスをすると励ましてくれました。みんな、いいコなんです、とっても」
脳裏に思い出を回想したのか、彼女の涙は止まらなくなっていた。無理矢理に笑い顔を作っているのが痛々しい。心配をしているらしい3匹が少女に寄り添って弱々しく鳴いた。
涙を無雑作に拭き、彼女は言う。
「もう、眠らせてあげてください。十分に働いてくれましたから」
「でも、いいんですか? このまま外に出れば全員でまた暮らせますよ?」
少女は首を振る。いいんです、と言い、安らかな目をしていた。
「みんなでお休みします。生まれ変わって目覚めたら、きっと巡り合えます、きっと」
「ね?」と3匹に問いかける。
肯いた結は彼らに触れて心地良い光で覆っていった。魂裂きの矢のような触れるもの全てを切り裂くようなのではなく、柔らかく包みこむ光。魂鎮めの術だ。
「ツグミちゃんに、元気でね、て伝えてください」
その言葉を最後に1人と3匹は天へ光の柱を作り上げた。
未来で駆け回り、仲良くたわむれる姿が目に浮かぶようだった。
★京野・ツグミSide
2人の帰りを待っていた。彼女達が入ってしばらくが経つ。空は紺に染まり始めていた。待ち切れずに何度タワーへ入ろうと思ったことか。しかしそれでは2人を信用していないかのようで嫌になる。だがもし中で大変なケガをしていたら、手遅れになったらどうしようとも思う。葛藤が体をその場にジッとさせてくれない。入り口の前で行ったり来たりしている。
足音がした。耳がピクリと反応する。2つの影が入り口の壁に映った。
「おかえりなさい!」
バッといきなり跳び出てやるとシュラインと結がビクリと震えて驚いた顔をする。そして破顔した。無事なようで安心する。
「これ、ツグミちゃんが供養してあげて」
シュラインが差し出したのはロザリオだった。どこか懐かしい感覚がする。手に取り、十字架へ指を這わせてみた。
2人は少女について話してくれた。おぼろげに幼少の頃、よく遊んでくれていたお姉さんを思い出す。長い年月を1人で島に暮らしていたと思っていたのに顔馴染みが傍にいたとは考えてもみなかった。
「元気でね、て言ってましたよ」
結の言葉が胸に響く。
ロザリオをギュッと抱き、危険な目に遭いながらも届けてくれた彼女達に感謝した。
――2人を船着き場まで見送る。船はどんどん離れていった。
「今度は遊びに来てね〜!」
手を振るとシュラインと結の返事があった。
すぐに影すらも見えなくなって静かになる。
手の中のロザリオへ視線を落とし、首へ着けてみた。いつもなら孤独で寂しくなるのに、今日は大丈夫そうだ。遊んでくれた少女を傍に感じ、ツグミはスキップで帰っていった。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3941/四方神・結(しもがみ・ゆい)/女性/17歳/学生兼退魔師】
<※発注順>
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■ ライター通信 ■
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「囚われのロザリオ」へのご参加、ありがとうございます!
異界での初の調査依頼となります^^
主に罠の察知と回避を担当していただきました〜。
それとマッピングですね。
隠し扉があると気づくためのきっかけになりました。
エターナルタワーとしてはまだまだ謎の残る場所のままですが、
いかがでしたでしょうか〜。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです☆
今後も様々な場所で出していこうと思っているので、
機会があればぜひよろしくお願い致します♪
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