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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


主と従者と不本意な休息


 セレスティ・カーニンガムは、体が沈むほど柔らかなベッドに横たわり、ボンヤリと天井を眺めていた。
 大きく切り取られた窓から差し込む星と月の光が、青い光と影を投げ掛ける。
「……さて、困りましたねぇ」
 普段ならば、体力のないこの体はあっという間に眠りの淵へ落ちている時間だ。
 気だるく、妙な不快感も胸の辺りに残っている。
 なのに、今夜はいやに眼が冴えてしまっていた。
 目蓋を閉ざし、何度睡魔を呼び寄せようと努めても、どうにも上手く行かないままに時間だけが過ぎていく。
 だが、寝付けないからと真夜中の散歩に出かけるほどには、体力が残っていない。
 もちろん、車椅子を軋ませることも、杖をコツコツと鳴らすことも、この静寂の中では酷くはばかられる。
 もしも傍に誰か居てくれさえすれば、もしかするとこんなにも夜という時間を持て余すことはなかったかもしれない。
 相手の吐息を数え、安らかな寝顔を眺め、愛しい頬に手を伸ばす。そんな過ごし方も出来たかもしれない。
 人恋しいと感じている自分に、セレスティは小さく苦笑をこぼした。
 そして、せめて眠りが向こうから会いに来てくれるようにと、サイドテーブルに置いたままの本を一冊手に取った。
 先日オークションでようやく手に入れた、ビロードの表紙に金糸の刺繍が美しい、長い長いどこまでも続く果てのない物語。
 本を胸の上に伏せて、幾度かうつらうつらと夢と現の狭間を彷徨ったけれど、けして充分な睡眠とは言えない。
 いつのまにか眠りの世界でまで本の物語は続いて。
 かなり集中してしまったらしい。
 神経が昂っているのが分かる。
 そうして気付くと、窓の向こうで小鳥のさえずりが聞こえ、夜の冷たい光は朝の温かな光に変わっていた。
「……動けなく、なっているような……」
 体が昨夜以上にだるい。
 頭重感もある。
 無理に起きようとすると、くらりと眩暈まで覚える。
 ベッドから離れようとしない身体を何とかしようと動く、その幾度めかの試みの時、
「セレスティ様?」
 怪訝な声と共に、モーリス・ラジアルが扉を開く。
「そろそろ朝食の時間なので呼びに来たのですが……」
「……ああ……もう、時間ですか?」
「ええ。ですが……」
 彼の指先が、主の細い手を取り、同時に内部を含めた全身の異常を観察する。
「顔色が優れませんね……」
 金の髪から覗く緑の深い瞳が気遣いの色を滲ませる。
「最近は随分とスケジュールが立て込んでいましたし……可愛い研究員殿からは事件と仕事でほとんど眠らずに飛び回ってもいらっしゃったと聞いていますよ」
 庭師であると同時にあらゆる事象における調律師たるモーリスの手が、大人しく横たわるセレスティの身体に触れては、そこから読み取れること全てを自身が仕入れた情報と照らし合わせながら本人へ確認していく。
「……どれも、興味深いものばかりだったのですよ……」
「ええ、貴方が興味を持った物事に対して非常に行動的になるということも、その行動と好奇心ゆえに『世界』が救われたことも、重々承知しております」
「では」
「しかし。だからといって不眠不休に耐えられるお体ではないのだと自覚してください、セレスティ様?」
 まるで聞き分けのない子供に向ける調子で、彼は続ける。
「昨夜眠れなかったのも疲労の蓄積によるものでしょう。眠りを誘発する為と本を読むことは止めませんが、それが睡眠不足を助長するのでは本末転倒です」
 何もかもお見通しだと言わんばかりである。
「今日はもうお休みください。いいですね?貴方の代わりは誰にも出来ないのですから、けして無理はなさいませんよう」
 主治医のような厳しい表情で、そして、主人への敬愛を込めて、彼は告げる。
 そこにある想いが充分に汲み取れるからこそ、セレスティは素直に従者の言葉に従い、頷きを返した。
「では、私はひとまず失礼しますので」
 一礼して去っていく彼の背を見送る。
 バタンと扉が閉ざされた。
 不意に静寂が戻ってくる。
 自分だけがぽつんと取り残された部屋。
 これ以上モーリスに心配をかけるわけにはいかない。
 もちろん、体調が優れないのも自覚している。
 寝なくてはいけない。
 昨夜の、あのふわふわと移ろうような眠りではなく、ゆったりと闇に身を委ねるような眠りが必要なのだ。
 目を閉じて、耳を澄ませ、睡魔の訪れを待ってみる。
 時計の音もしない。
 誰の気配もない。
 ただ、ひどく遠い所からオルゴールのようなコトリの鳴き声が届く。
 寝返りを打つ。
 もう一度。
 深呼吸をする。
 もう一度。
 だが、ソレはやがて溜息に変わる。
 やはり寝付けないのだ。
「………寝なければならないのですけど……」
 分かってはいても上手くいかないものですね、とつい言葉がこぼれて。
 そういえば。
 そう、今日ははるばる遠方から客が来るのだ。
 オペラ座でオークションがあるらしく、どうしても欲しいものがあるからとわざわざこちらまで足を運ぶのだと聞いた。
 その際、折角だからと、忙しい身でありながら彼は少ない時間を自分との食事に当ててくれたのである。
 ビジネスの話をしようとも言ってくれていた。
 もし叶うなら、彼とは久しぶりの邂逅となる。
 仕事とはいえ自分も会えるのは嬉しい。
「…………会いたい、ですねぇ……」
 当日になって急にキャンセルしてしまうのはあまりにも申し訳ない。
 それに疲れているとは言っても、短時間なら動いたところで何の問題もないだろう。
 食事をするだけだ。
 そして話をするだけ。
 別に大掛かりな冒険が待っているわけではない。
 そういえば、テディベアを集めると決めた時には随分と世話になった。その礼はまだ直接にはしてない。
「……無理をしなければ、いいわけですよね」
 ふと、休むようにと重々言いつけていったモーリスの顔が一瞬脳裏を過ぎる。
 叱られる、だろうか。
 おそらく、叱る、だろう。
「でも……」
 でも、少しくらいなら。久しぶりなのだから。重要なのだから。仕事なのだから。
 言い訳じみたことを重ねて身体を起こす。
 だが。
 くらりと眼が回る。
 うまく、手足が動かない。
 四肢というのはこんなにも言うことを聞かないものだったろうか。
 それでもセレスティはベッドサイド、テーブル、アンティークチェアと伝って、ベッドから身体を引き離す。
 途端ぐらりと視界が傾くが、それでも辛うじて衣類をクローゼットから引っ張り出す。
 普段ならば手を貸してくれる使用人達も呼ばずに、長い時間を掛けて、ゆっくりゆっくり着替えていく。
 億劫というのはこういう状態を指すのかもしれない。
 けれど、自分からひどく遠い世界の音を聞いて過ごすだけの時間がどうしても勿体無いと思えてしまう。
 無理をしなければいいのだ。
 大丈夫。自分のことは自分が一番よく分かっている。
 大丈夫。大丈夫。大丈夫。
 随分と掛かったが、薔薇のレリーフが施された姿見にはリンスター財閥総帥としてのセレスティが映っていた。
 ほんの少し着崩れているのはご愛嬌といったところだろうか。
 呼吸がわずかに辛い。
 やけに鼓動が早くなっているのが分かる。
 眩暈も頭重感も倦怠感も、じんわりと纏わりついている。
 しかし、あえて不調を訴えかける内部からの声に耳を塞ぎ、目を瞑り、愛用のステッキに頼りつつドアノブへ手を掛けた瞬間、
「セレスティ様!」
 絶妙のタイミングで、様子を見に来たのだろうモーリスが扉を開けてしまった。
 眼と鼻の先で無言のまま向かい合う主人と従者。
 数秒間の沈黙。
 そして、
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
 にっこりと穏やかに微笑みながらも、彼の声には怒りがこもっていた。
「あの……仕事を、思い出しまして」
「仕事……ですか?私は休んでいただくよう申し上げたはずですが」
「でも、やはり、約束を反故にするというのは気が引けるものですし」
「何を仰っているんですか」
「モーリス……私は、大丈夫ですよ?ほら、自分の足で立つことも」
 言った傍からぐらりと後ろに倒れかけた身体を、彼の腕がとっさに支える。
「……出来ていないじゃないですか」
「充分に休息も取りましたし」
「疲れは依然残っております」
「着替えも自力で済ませられましたし」
「随分とよれよれで、とても外にはお出しできない状態ですが」
「……あの、モーリス」
「ダメです」
「……どうしても、ですか?」
「どうしても、何があっても、今日は1日ベッドでお休みになっていただきます!」
 それはもう絶対的効力を持った叱責だった。
 セレスティの身体がふわりと宙に浮く。
「え?あの……」
「もうわずかな体力も使わせるわけにはいきませんから」
 モーリスに軽々と抱きかかえられ、一瞬にしてありとあらゆる自由が奪われる。
「さあ、セレスティ様、戻りましょう」
 そのまま有無を言わせぬ迫力で、彼は自分をベッドまで運ぶ。
 あれほど苦心して外出用に身なりを整えたというのに、それすらも見事な手際でしっかりと元のローブに替えられてしまった。
 どうあっても主人に休息をとらせようと働く彼に、自分は完全に敗北してしまったらしい。
 抵抗する力などとおの昔に使いきっていたセレスティは、口を挟む隙も与えられず、ただただ大人しくされるがままである。
 そうして、寝所用のティーセットを部屋の電話で使用人に言いつけると、彼はベッドへ寄り添うようにアンティークチェアに腰掛けた。
 監視のつもりだろうか。
「横になっているだけでは退屈でしかたがないと言うのでしたら、私が本を読んで差し上げましょう」
 モーリスの手には、昨夜読みかけのまま置いていた本が抱かれている。
 これは、今日一日屋敷どころかこの部屋からも出してもらえないかもしれない。
 だが、
「ね、セレスティ様?」
「……はい」
 友人との邂逅が果たせなかったことを残念に思いながら、けれど彼の気遣いが嬉しくて、ようやくセレスティはモーリスからの『休息』を受け入れる。
 目を閉じると、また、遠くで響くオルゴールの音色が聞こえてきた。
 誰かがこの屋敷のどこかで働いている音がする。
 風のざわめき。
 葉擦れの波。
 そうして。
 ゆっくりとページを繰りながら本当に読み聞かせを始めたモーリスの声が重なって。
 いつのまにかセレスティはやわらかな眠りに包まれていた。



END