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【風鳴り −霧隠れ−】
怪奇現象。それはいつの世でも必ず起こりうる現象。
怪奇現象。それは有世界の歪み。
怪奇現象。それは裏住人のほんの気まぐれ―――。
決して晴れない霧がそこに存在するのだと言う。
天には青々とした空が広がっていても。一日の終わりを示す橙色の空が広がっていても。
何も変わることなく霧が存在するのだと。
もしこの霧晴れたとき、そこには一体何があるのだろうか。
【壱】
風音の社と呼ばれた小さなお堂は見晴らしの良い高台の上にあった。常に曇っている空もここだけ空間が違うのだろうか、世の中から切り取ったように青空が広がっている。木々は生い茂り、新緑らしい柔らかい緑の色が午後の空に映えとても心地よいとセレスティ・カーニンガムは思った。お堂の縁側に目を向けると、着物を着た青年が一人木彫をしている。隣を歩いていた藍が「楸さん」と鈴のような声で青年の名を呼んだ。藍とは以前、アンティークショップ・レンにて依頼を共に遂行した和服少女の事だ。楸と呼ばれた青年が顔を上げ、にっこり微笑む。
「こんにちは。貴方が今回謎解きに参加してくれる人ですね」
セレスティが縁側に腰掛けると互いに自己紹介をした。既に用意してあったのだろう、藍がすっと奥に消えるとお盆に載った冷たい緑茶とお菓子を持って来た。初夏らしからぬ暑さに少々体力を消耗していた為、冷たい飲み物は大変ありがたい。
「昨日、霧について少し詳しい事が分かったんですよ。どうやら、二月ほど前から霧が辺りをまいているそうなんです。しかも、範囲が徐々に広くなってきている」
「それは・・・霧が、世界を浸食してきているという事ですか?」
「ええ。俺が以前見に行った時から昨日までの数日間でかなり範囲が変わっていました。最近になって急にです。このままだと近いうちに周りの家を飲み込んでしまう」
―――そうなってしまう前に。三人は霧がまいているという場所に向かった。
*********
灰色の霧が目の前に広がっている。その姿はまるで空に浮かぶ雲が巨大な壁となり、天を二つに分けてそのまま降りて来たようなおかしな現象であった。普通、霧というものは何処が始まりかは良く分からないものだ。いつの間にか囲まれているものであって、固体のように間近で認識出来るようなものではない。その上、彼らの頭上では太陽が燦々と光を降り注いでいるのだ。楸曰く、この一晩だけでかなり色が濃くなっているらしい。
藍の髪にささっている小さな錫杖がぽつぽつと青く輝き始めた。
「以前から微かに感じてはいましたが、この霧の中から多くの人の悲しみが感じられます」
「悲しみ・・・ですか。という事は、出れなくなってしまった人がいるのでしょうか」
セレスティはふっと手を伸ばし、霧に触れた。
「この霧は、ただの霧ではありませんね。飲み込んだ物を吸収するというやっかいな悪霊がいます」
楸が霧の中に入って何も無かったのは、彼が人間ではなく思念体だからだ。有というより無の存在に近い。
「悪霊ならば、霧の中心にこの仏像をおけばこれが封じ込んでしまいます。ただ、中心を見つけるのが苦労するでしょう。その間、セレスティさんと藍二人で乗り切って下さい。もしどちらかが動けなくなってしまった時はこれを」
"結界符"と書かれた御札である。楸には少し御札を作れる力もあるのだ。
意を決して三人は霧の中へと進んだ。
【弐】
予想通り、中は濃厚な灰色の世界が広がっていた。四方全部を灰色の霧で遮断され何も存在しない。異世界に紛れ込んでしまったような感覚に陥るが、唯一同じであるアスファルトの道路がここが先ほどまでいた道の続きだと教えてくれる。
「前に進んでみますか」
三人は霧の中をまっすぐ歩いてみた。やはり、以前楸が入った時よりかなり広くなっている。当然、どこを向いても景色は何も変わらない。
その時だった。突然、左から鋭く尖った氷の塊が三人目掛けて飛んで来た。楸は手にしていた日本刀を素早く抜刀し、叩き落す。藍も錫杖を抜き取り元の大きさに戻して構えた。
三人は背中合わせになり慎重に四方の様子を伺う。目に映るのは灰色の霧のみだ。一つの変化も見逃さないよう神経を集中させた。
きらりと光る物が目に映ったと思ったら、再び氷の塊が無数、四方から飛んで来る。楸と藍はセレスティを互いに庇いながら叩き落としていく。セレスティも鋭い感覚で自分で避けられるものは避ける。
氷の塊と言っても切れ味は刃物のようだ。少し掠った楸の頬から血が滴り落ちた。
何も見えないこのままでは二人の体力が消耗するだけで埒が明かないと判断したセレスティは、水蒸気を凝結したものである霧をさらに凝結し、下に落ちた楸の血も混ぜ大きな薄い赤色の水を作った。そしてそれを辺りに撒き散らす。醜い悲鳴と共に霧から赤い水を吸い込んだ人の形をした水人形が無数現れ始めた。耳が張り裂けんばかりに雄叫び、濁声で叫ぶ。
『ここから、出せ』
『死ねー!』
『何故おれ達はここにいる』
『おまえらも道連れだ』
『喰い殺してやる』
藍の持つ錫杖が青く輝く。彼らの悲しみが藍に響いた。彼らはこの不可解な霧に閉じ込められ、そのまま死んでしまった哀れな人間達の成り果てであった。
「彼らは心の底でとても悲しんでいるわ」
襲い掛かってくる水人形を楸は斬り倒していくが、所詮そこは水。斬っても斬っても大した手ごたえはなく、逆に増えていくだけであった。棒術の心得があるのだろう藍の力も、水人形相手ではあまり役に立たない。こうなってしまえば水霊使いであるセレスティの力に頼るしかない。
「聖水に変えて浄化します」
彼らはもう、元の人間に戻る事はない。既に肉体は無くなり水人形という妖怪に変化してしまっている。あとは浄化してやる以外救う手はなかった。
「霧の中心を探してきます。どうか、頑張って」
セレスティは頷くと襲い掛かってくる水人形を聖水に変えてゆく。藍は嘆き悲しむ水人形たちから悲しみを吸い取り、可能な限り戦闘不能にしていた。
一方、楸は"風神符"と書かれた御札を取り出し、風を起こして霧を退かせていた。何も存在しない場所に怪奇現象が起こるという事は滅多にない。今回のこの霧もそうで、実はどこかに首を折られた地蔵があると話を聞いていた。神聖なものほど汚した時、負に堕ちる力は強い。地蔵を壊したのは近くの高校に通う男子高生だという。事故にしろ、故意にしろ、壊したその地蔵を直さなかった為に、この霧は生まれたのだ。
早く、見つけなければ―――。
次々に現れる水人形たちに対し、二人の体力がいつまで持つか分からない。一刻の猶予も無いのだ。再び"風神符"の御札を取り出し霧を退かせた。
セレスティはどれだけの水人形を浄化させ、藍はどれだけ悲しみを吸い上げただろうか。
一体どこから湧いてくるというのか水人形たちは一向に減らない。そしてついに、体力の限界が近づきセレスティがバランスを崩した。待ってましたといわんばかりに一斉に水人形達が襲い掛かる。藍が素早く駆け寄り間一髪の所で避けた。しかし、再び鋭く尖った爪が二人を襲う。 今度こそ駄目だと、楸から渡された"結界符"も間に合わない・・・と覚悟した瞬間、全ての水人形、霧が吸い込まれ始めた。
二人の居る位置から北に向かって、物凄い速さで水人形達は消えてゆく。霧も消えてゆく。
世界が灰色から白に変わってゆく。眩しさに目を閉じ、再び開けたそこには水人形も霧も全て無くなっていた。
【参】
霧の中の時間の流れと外とは違ったのだろうか、それほど大した時間が経った訳ではないのに、空はいつのまにか暗くなり夜になっていた。
体中傷だらけの楸が小さな木彫りの仏像を手にやってくる。仏像の頭には"封縛"と書かれた御札が貼り付けられていた。楸は彫刻師の他、己の彫った仏像に悪霊などを封じ込める事のできる封縛師でもあった。霧の地蔵を見つけ出し、地蔵の代わりに仏像を置き全てを封じ込める事に成功したのだ。
「ふう、なんとか間一髪間に合いました。大きな怪我をされなくてよかった…。――あ、二人とも後ろ見てください、後ろ!」
楸が突然子供のようにはしゃいだ声をあげ、指差す方へ二人が向くとそこには樹齢1000年と言っても過言ではないだろう、老齢の枝垂桜が満開に花を咲かせていた。
夜の空に月に照らされた薄い桃色の桜が浮かびあがる。夜桜。それは美しさ、儚さを兼ね備えた春の風物詩である。
藍の手を支えに立ち上がったセレスティは桜を見上げて言った。
「まさか、この五月に桜を見れるなんて・・・。霧に囲まれた所為で、成長が止まってしまったのでしょう」
しばらく心も体も休めるように桜を眺めた後、藍は一際青く輝く錫杖を掲げた。ゆっくりと円を描くように振りまく。蒼い光が辺りを埋め尽くした。
「桜は喜びの桃色、青は悲しみの蒼―――」
季節外れの枝垂桜と蒼い花々が静かに夜空に咲き乱れた―――。
【完】
■■■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
【PC:1883/セレスティ・カーニンガム/725歳/男性/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【NPC:楸/?/男性/封縛師】
【NPC:藍/17/女性/花咲かせ師】
□□□ライター通信
セレスティ・カーニンガム様、こんにちは。渡瀬和章です。
今回、PCゲームノベルへの参加ありがとうございます。
またまた期日いっぱいのギリギリ納品で申し訳ありません。
さて、今回のノベルは如何だったでしょうか。
戦闘有りという事でセレスティ様には大変働いて頂きましたお礼に、季節外れの花見などをご用意させて頂きました。
少し、希望に添えられなかった点がございますが、楽しんで頂けましたら幸いです。
それでは、心からご依頼の感謝を。
本当にありがとうございました。
渡瀬和章 拝
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