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語る者無く
[1.怪談]
住宅街の隅に忘れ去られた、小さな塚がある。
ぽつんと塀の狭間に立つそこには、見ようによっては地蔵と思えなくもない造作をした石が一つあるきり。
塚の前に供え物がある事もなく、萎れた花の一つすらもない。
よくよく目を凝らせば、石に何やら文字が刻まれた後がうかがえる。
判読し難いその文字を解読した者もおそらくいまい。
都会の心霊スポット、という扱いすらもされない、真実忘れられた塚。
それが、つい先日までの塚だった。
草間興信所。
電話を取るなり渋い顔をした草間武彦は、相手が用件を話し出すと途端に盛大なため息をついた。
「ウチはそういうおかしな事件は扱いたくないんだ。塚が騒ぐとか長い髪の女だとかは他を当たってくれ他を」
一息で言い切って受話器を置こうとしたが、それは懸命に食い下がる相手の努力の前に断念される。
「……塚の前に黒髪が落ちてる? そんなもん、誰かが落としたんだろう。人間生きてりゃ髪の何本かは一日で抜けるんだ」
第一日本で黒髪が落ちてたって異常でも何でもない。
あからさまに嫌そうに反論を試みる草間を他所に、相手はしつこく調査を依頼しているらしい。
「わーかったよ。こっちで適当に調べてみるから。現時点で分かってる情報を寄越せ」
ついに折れたのは草間の方だった。
「文献によると名前は『髪塚』。髪に縁がある名前だな。――で? 記録に出たのは名前だけか? いつ頃建てられたかも不明。調べてないだけ? おいおい」
それぐらい調べてから依頼してこい、と言外に匂わせ、草間は肩をすくめた。
「今起こってる現象は塚が震えて女の泣き声、髪の長い女が周辺を徘徊、と。典型的な怪談だな」
軽く茶化して電話を切った後、草間はメモを眺めて椅子に沈み込んだ。
「単なるウワサかどうか……。とりあえず、暇そうなヤツが来たら任せてみるか」
[2.塚]
その塚は、本当に住宅街の中にぽつんと存在していた。最低限の空間だけが残され、周囲には何の変哲もない家々が立ち並ぶ。塀と塀との隙間に、忘れ去られたとしか表現できない在り方で、その塚は残されていた。
供え物一つ、花一つありはしない。
果たして、この近辺の住人の何割が塚の存在を知っているだろうか。そう考えるに十分な現状が、そこにはあった。
「これはまた、見事に忘却されたものだね」
忘れられた塚の前に立ち、瀬崎耀司(せざき・ようじ)は嘆息した。風除けすらも作られていない、正に吹きっ晒しのままの塚は、表面の文字を読むのに苦労する程に風化が進んでいた。これではまともに謂れを読み取る事が困難だ。
ただその石の風化の度合いから、忘れられたのがここ最近のことでないとだけは判断できる。
「こんな住宅街の中にあるなら、誰かが世話してそうなもんだけどな」
「だが実際は、忘れ去られている。……哀しいものだ」
耀司の後ろから塚を覗き込み、東條薫(とうじょう・かおる)と作倉勝利(さくら・かつとし)はそれぞれに抱いた想いを呟いた。
草間の事務所で偶然顔を合わせた男ばかりの三人は、丁度買出しに行って留守だった調査員に先立って現地へやってきていた。薫と勝利は現場よりも先に情報を集めたかったのだが、後から合流するメンバーの事も考え、耀司に同行したのである。
資料を調査する前に、何かしらの手かがりが得られないとも限らない。それが特徴的なものであればあるほど、調査は捗るに違いないのだから。
「ふむ」
袂に組んだ腕を隠し、耀司は目を細めた。左右で色の違う瞳が、塚を探る様に辿っていく。
「瀬崎さん。……と東條くんに作倉くん」
背後からかけられた声にも慌てることなく、耀司は一通り塚を視てから肩越しに振り返った。最初にシュライン・エマの切れ長の目と視線が合う。次いで、その後ろに並んだスーツ姿の青年・上総辰巳(かずさ・たつみ)とセーラー服の少女・篠宮夜宵(しのみや・やよい)。
そこに黒ずくめの薫、年若い少年姿の勝利、更には和服の耀司が加わるとなると、外見だけを見れば非常に奇妙な取り合わせの集団であることは間違いない。
それを気にする者はいなかったが。
「やぁ。頼もしい援軍だね」
「何かわかったことは?」
「残念ながら。僕達も先程着いたばかりだ」
道具を取り出すシュラインに場所を譲りながら、耀司は顎を掌で撫でた。
「そうそう。調べるのに気遣いはいらない。――その塚は、空っぽだ」
言葉に重なる様にフラッシュが瞬く。丁寧に手を合わせて断りを入れていたシュラインは、ポラロイド・カメラから吐き出されたフィルムを摘み上げながら首を傾げた。
「空っぽ?」
「それはどういう事ですの?」
「文字通り。何もいない。少なくとも、今は」
耀司に促され、薫と勝利に場所を譲られた夜宵と辰巳が塚の前に立つ。二人が視てみたところで、塚に何も宿っていないという事実は変わらない。
「では、どなたかに憑いてしまった可能性もありますわね」
「そのままふらふらしている可能性もある。僕としては単なる噂だった、という結論でもいいんだがな」
だがその結論に飛びついてしまうには、塚に残るという気配が気にかかる。現在は塚から抜け出したとは言え、以前は確かにそこに眠っていた者があるのだ。
「幽霊沙汰となると、俺には大した事は出来なさそうだが」
「何にせよ、まずはこの塚について知る必要があるな」
「同感だ」
現在の所、わかったことと言えば塚が本当に忘れられているという事実と、塚自体に何者かが宿っていたが現在は空っぽである事、それぐらいだ。
草間が望んでいたような、単なる噂では過ぎなかった。だがそれは始まりでしかない。
「とりあえず今できることは、考古学的調査――かしらね」
「ここに刻まれている文字が読めるといいんだが」
何枚かのフィルムを費やした後、シュラインはバッグから薄い紙を取り出した。これで文字の形を写し取り、判読しようとの試みである。耀司もその傍らに屈み込み、作業を見守った。
「地道な聞き込みは性に合わないんだが、仕方ない。僕は近所を一回りしてくる」
「なら、写真も持って行って。見れば思い出すこともあるかもしれないわ」
「あぁ」
「私も同行いたします」
「後で事務所で結果披露会といきましょ」
歴史的遺物としての塚にあの手この手で挑むのは、辰巳や夜宵の仕事ではない。その道の専門家と、そうでなくとも精通している人物がいるのだから、そちらは二人に任せてしまうほうが効率がいいに決まっている。
作業を後ろから見ていても時間の無駄だ。ならば辰巳が今出来る事をするまでだ。
シュラインから写真を受け取り、辰巳は夜宵を促して一旦その場を立ち去った。
「それなら俺は、最初の予定通りに郷土資料館に行ってみる」
二人の背中を見送り、薫もまたその場から離れることにした。シュラインから塚の写真を一枚借り受け、現場からそう遠くない資料館を目指す。
「俺は図書館に行きます。あそこならインターネットも使えるだろうし」
勝利も現場調査はシュラインと耀司に任せる事にしたらしい。薫と同様、写真を借り受けて薫とは違う方向へ歩き出す。
「さて。私達も一仕事しちゃいましょうか」
[3.草間興信所]
「それじゃあまずは――誰から発表する?」
各自が持ち寄った調査結果と資料で、元々雑然としていた草間興信所内は更にその散らかり具合を深めていた。それでも他の資料と混ざらない様にと、シュラインと夜宵が先頭に立って応接用のテーブルとソファだけは片付けた。
草間は相変わらず己のデスクに雑多な物と共に埋もれ、この機会にと零は積み上げられた物の整理に取り掛かっている。
そんな中、にわか発表会の幕は上がった。
「じゃあ、成果のほとんどなかった俺からいくか」
軽く挙手をして、薫は手にしていたコピーをテーブルの上に置いた。
古い文献の写しや現場付近の地区の古地図、神社等の由緒書きなどの類が全員の目に映る様に配される。
「あの辺りの言い伝えや古い建物、縁起について調べてみたんだが。塚の建った年代が不明なせいで、正直かなり手こずった。写真と合致するような塚の記述、調査資料も一切ナシ。職員に聞いてみたものの、長年勤務してる職員ですら塚の存在も知らなかったよ」
掌を天井に向けてお手上げのポーズを作った後、薫はテーブルに広げた資料の一つを指で示した。現場付近の古地図の一枚だ。
「大体、戦国時代のものらしい地図だ。見てもらえば分かると思うが、当時あの辺りにはかなり大きな寺があったみたいだな。完全に今の町並みと異なっているから、塚が寺から見てどういう位置関係にあったかは定かじゃないが、そう離れていないことは確かだ」
「なるほど。確かにごく近くか、場合によっては境内の中という可能性もあるね」
耀司が現在の地図と引き比べて軽く頷く。資料館が現在の地形と比較できるようにと作成した地図は、それでも矢張りズレが生じていることが多い。
「問題は、塚がいつ頃建てられたか。そういう事になりそうね」
「それでも分かるのは塚の謂われだけだ。何の解決にもならない」
シュラインの言葉に辰巳がため息をつく。
「俺の方も大体同じ様な結果だった。ただ、戦国頃の文献に一度だけ『髪塚』の名称が出てきていた。詳細は何も記されていない。失われたのかそもそも記録されなかったのか……難しい所だと思う」
薫の資料に重ねるように、勝利が文献のコピーを置いた。図書館で利用したインターネットでも大した情報は得られなかった。地元でも忘れられている塚の話が、広大なネットで拾えるとも思えなかったから、これは仕方がないだろう。
「文献調査からは戦国が怪しい、と。僕らの方は、少しばかり成果があったかな」
「まぁ、少しはね」
耀司とシュラインが視線を交わし、シュラインが文字を写し取る試みに使った紙がテーブルに出されてくる。
「塚自体に、故意もしくは偶然に欠けたと思われる損傷は特に見られなかったわ。場所が場所だし何も保護されていないから、自然現象で風化した分はあるけれど。だから塚に居た幽霊か何かが出て行った直接の原因がわからないの」
「念の残滓のみではどうこう出来ないレベルだったしね。後は塚に刻まれていた文字だが」
写し取られた文字は一見しただけではひどく読みづらく、どうやらそれが漢字である事ぐらいしか門外漢にはわからない。
その一つ一つを指し示し、耀司はゆっくりと口を開いた。
「僕らが読み取れた文字は、『病』『快癒』『納むる』といった意味の事柄だけだった。後は風化していて読めない」
なるほど、説明されて見れば知識のない者にもそれらしい文字として認識できない事もない。耀司とシュライン以外の四人は交互に紙を覗き込んでは一頻り首を捻ったりあるいは頷いたりした。
「文字と塚の名称から想像する範囲では、何らかの病が癒える事を願って髪を納めた――というところかしら」
ややあって、夜宵が優雅に首を傾げた。
「髪は女の命、とも言いますものね。それほどまでに願う病とは何だったのでしょうか」
「さぁ、な。残るは僕達の聞き込み結果だが」
こちらも大した成果はない、と辰巳は言い捨てた。
「噂が流れ出したというか、塚の事が周囲の住民の意識に上ったのはせいぜいここ二週間のことらしいな。あの近辺で一番古い情報がそれだった、というだけだが」
二週間。いくら知られていなかったとは言え、一度現象が認知されれば噂が走るのに十分な時間だ。
「それまでの事をお聞きすると、皆さん一様に『あんな所に塚があるなんて知らなかった』と」
「全く、どうして皆して忘れられるんだろう。きちんと保存して調査すれば良い資料になったかも知れないのに」
耀司が心底勿体ないと言った面持ちで嘆息し、シュラインも同意するかのごとく頷いた。
「忘れられているなんて、どんな気持ちなのかしら……」
そこに確かに存在しているのに、誰にも見向きもされず、花の一つも手向けられることなく、何年も何十年も。そうやって変わり行く町をただ見ているだけというのは、一体どんな心境になるものなのだろう。
せめて、歴史的遺物としての扱いだけでもされていたら。
「で。結局単なる噂じゃなかったってことか?」
その場に落ちたしんみりした空気をものの見事に粉砕したのは、デスクから草間が投げた一言だった。
シュラインが半眼で草間を見、他の面々はそれぞれにため息を零す。
「そもそも、依頼主はなんだって塚にこだわるんだ? 俺はそっちの方も知りたいところなんだが」
忘れられていたはずの塚なのに、どうして調査依頼が舞い込んだのか。草間が依頼を受けた経緯を聞く限り、何らかの被害を受けている人物としか思えない。
「突っ込まれると思ってたから黙ってたんだ。頼まれると断りにくい相手なんだよ。何でも妹夫婦があの近所に住んでるらしくてな、姪に何かあったら大変だからだと」
再び場に沈黙が、しかし先刻のものとは違った種類の沈黙が流れる。
それを最初に破ったのは夜宵だった。
「私、もう一度調べ物をしてみようと思います。戦国時代に絞ってやってみれば、新しい事がわかるかも知れません」
「俺は塚を『トレース』してみようと思う。空っぽなら危険は少ないだろうし、文字を刻んだヤツか、髪を納めたヤツの想いが少しぐらいわかるかも知れない」
「でも、もし何かあったら危険だわ」
薫が幽霊に対して対抗する力を持たない以上、シュラインの心配は当然と言える。シュライン自身もそういったモノに直接対抗する術を持たないためか、危惧の方が先に立ってしまう。
「なら、俺が同行しよう。何かあっても俺ならば対抗手段がある」
勝利の背中で、『子狐』がチリリ、と刃を鳴らした気配がした。それならば安心だ、とシュラインも首肯する。
「――寺の近く、病、祈願、か。僕も少し調べたい事がある」
辰巳が思案顔でぽつりと呟き、軽く唇を人差し指で撫でた。何かしら思う事があるらしいが、ここでそれを公表する気はない様だ。調査して裏づけを取ってから、ということだろう。
薫・勝利のペアと夜宵・辰巳のペアがそれぞれ腰を上げ、残るシュラインと耀司が再びペアを組む形になった。
「聞き込みの範囲をもう少し広げてやってみたいわね」
「どこまで広がっているのか、離れた場所でも同じ様に忘れられているのか、か」
現象そのもの以外にも、腑に落ちない点が多い。
何故、忘れられているのか。住人が揃いも揃って塚の存在を無視するなどあり得るのだろうか。そこには何者かの意思が働いているようにも感じられる。
[4.長い髪の少女]
辰巳と夜宵が周った住宅から更に範囲を広げて、シュラインと耀司は聞き込みを行っていた。
塚からある距離に達してからは、どの住宅を訪ねても「知らない」という返答が繰り返されるのみ。地図で確認してみると、噂は思ったよりも狭い範囲に終始している様子だった。
現象がこのまま続くとすれば、広がる可能性はゼロではないが。
「意外に狭いのね。影響する範囲、というか塚の力みたいなものがあるのかしら」
「それぞれの生活圏もあるだろうし、一概に塚の影響力とは言えないんじゃないかな。ほら、近所でもほとんど行った事がない場所とか、あるでしょう?」
それもそうか、とシュラインは耀司の言に頷く。己の生活範囲から除外されている地区の事は、それが自宅から近い場所であっても意識に上る機会は滅多にない。
そういう目で見てみれば、塚の話が途切れる距離は方角によってまちまちだった。通勤・通学・買物など、塚の近くを通らずに済む区画ほど、噂を知らない住人が早く現れる。
「となると、尚更厄介になってくるわねー」
やれやれ、と肩を竦めつつシュラインが次の一軒のインターホンを押した。ややあって、玄関灯が光を投げかけてくる。
住人が全て帰宅している為か、付近の家と違って玄関先が真っ暗だったのだ。それにしてはカーテンの閉められたリビングと思しき部屋に明かりがあるようにも思えない。夕食も団欒も済み、それぞれが自室に引き取っているのだろうか。
「夜分恐れ入ります。少々お聞きしたい事がありまして――」
「シュラインさん!」
出てきた中年の女性にシュラインが話しかけようとした矢先、耀司が低く抑えた、だが鋭い声を放った。その理由を悟ったシュラインもまた、中年女性を放って素早く振り向いている。
ちょっとした庭のある一戸建て、その植え込みの脇から、誰かが飛び出して行ったのだ。
突然の事ではっきりとは見えなかったが、長い髪の少女だったとシュラインは直観的に断定した。耀司と視線を交わし、頷きあう。
「あ、あの。娘は最近ちょっと」
慌てて取り繕おうとする女性に会釈をし、シュラインは耀司と肩を並べて走り出した。
家族は少女が精神不安定に陥っているか何かだと思っている様だが、彼女はきっと塚に関係がある。
そう、きっと。
一瞬だけ交錯した少女の瞳が、シュラインにそう思わせた。
「あの娘、憑かれているよ」
異様に脚の速い少女を息一つ乱さず追いながら、耀司がシュラインに囁いた。
「塚の念と似ている?」
「あぁ、同じだ」
ならば少女が目指すのは、塚。
そこには薫と勝利がいる。
[5.語る者]
最初に異変に気づいたのは、勝利だった。
トレースを行っていた薫もまた、勝利が知らせる間でもなく近づいてくる足音に気づいたらしい。トレースを終え、機敏に立ち上がっている。
「何だ?」
「わからん。が、塚に関係ありそうだ」
「例の現象、か」
「どうやら生身の様だがな。憑いたか」
短い言葉を忙しなく交わし、勝利は子狐を抜こうとした。
その動きが半ばで止まる。
「誰かが先に遭遇したらしい。追っている足音がする」
「東條さん、作倉さん」
足音とは反対側から、夜宵と辰巳が姿を現した。二人とも異変を感じ取っているらしく、その表情には油断がない。
「てコトは、追っているのはシュラインと瀬崎か」
無言で辰巳がジャケットの内側に手を入れ、ホルスターから拳銃を抜く。そして足音の向かってくる闇へと銃口を向けた。
「相手は生身だぞ」
「わかっているさ。別に死なせるつもりはない」
己の氣を銃へと籠めながら、辰巳は至極あっさりと答えた。姿を現した途端に撃つつもりはないらしいが、相手の出方によっては容赦しないという意志も見える。
「攻撃しちゃ駄目よ!」
白い影が、角を曲がって現れる。
それに続けて、シュラインの声が響いた。二人の姿も程なく現れる。
「とは言え、どうするべきなんだろうな」
長い髪を振り乱して走る少女の姿は、近づいてくるにつれて妙な迫力を増している。裸足でアスファルトを蹴る痛みは全く感じていないらしく、ほぼ全力疾走と言ってもいい勢いだ。
薫が考えている間にも、少女はどんどん近づいてきている。
勝利が子狐を抜いた。
「足止めだろう、まずは」
威嚇だけでもして、少女を止めねばなるまい。
そう言った勝利を、辰巳の腕が遮る。
「威嚇なら僕の方が早い」
言うなり、少女の足元目掛けて引鉄を引いた。錬氣の弾が蒼白い尾を引いてアスファルトを撃ち、急停止した少女がつんのめる。
背後からシュラインと耀司が追いつき、挟み撃ちの格好になる。
「その娘は憑かれているだけだ。手荒な事は余りしない方がいい」
「かと言って、何もしない訳にもいかないだろう」
立ち止まった少女は、俯いたまま一言も発しない。自分を囲む者達へ攻撃を仕掛ける訳でもない。
満ちていた奇妙な緊張感を崩したのは、やはり夜宵だった。
「あなた、ご病気でしたの?」
ぴくりと少女の肩が揺れた。夜宵は一歩前に進み、少女へ柔らかく語りかける。
「治りたくて、治らなくて、心残りがありましたの? どうか、私たちに教えて下さいな」
すすり泣く声が少女から漏れ始める。
舌打ちする辰巳を押さえ、薫は塚をトレースした時の想いを振り返っていた。
「泣いてないで、理由を話して? 私達は話を聞きにきたのよ」
シュラインが反対側から一歩進む。
少女はようやく、顔を上げた。
「病で……家族と離されて……淋しかった……会いたかった……」
涙に濡れた頬に、長い髪が一筋張り付いている。
瞳はどこか遠くを見ている様に、夢見心地だった。
「髪を切り、奉納したけれど。何度も何度も、祈祷したけれど」
治らなかった。
気が付けば、己の屍を見下ろしていた。
「切った髪に宿って、家族が来てくれるのを待った。誰も、来なかった。薬売りの一人が、塚を作ってくれた」
自慢の髪だった。そう言って、少女は長い髪を愛しそうに撫でた。
「それから誰も、私に気づいてはくれなかった。そこに、何もないように。私は、家族にすら忘れられて。誰にも、忘れられて」
「忘れられたく、なかったんですのね」
深く、少女は頷いた。
薫はあぁそうか、と思わず呟いた。
「塚を作った薬売りは、あんたに安らかに眠ってもらいたかったんだ。その一心で、塚を作った。その気持ちが強すぎて、あんたを周りから隠してしまったんだな」
忘れられたくなかった髪の持ち主と、平穏をひたすらに願った薬売りと。
二つの思いが交錯して、矛盾が生まれてしまったのだろう。
「忘れられている事が辛いなら、あなたの事は俺が覚えておこう。そうすれば永遠に忘れ去られることはない」
子狐を納め、勝利は少女に真っ直ぐ向き合った。永きを生きる勝利が覚えているなら、それは未来永劫、忘却されない事を意味する。
「だから、その娘は解放してほしい」
誰かを、どこかの家族を苦しめていても、それは何の解決にもならないから。
「私も覚えておくわ。その髪に映えそうな櫛や髪飾りも持って来るし。これからはきっと寂しくないわよ」
辰巳は傍観を決め込む事にしたらしく、銃をしまい込んで腕を組んだ。これ以降は積極的に参加する意味を見出せないということか。
「本当に……?」
「あなたに新しい眠りを差し上げますわ。良き眠りを」
「少し騒がしくなるかも知れないけどな」
忘却という枷が外れたなら、以前の様に住民に無視されることはなくなるだろう。それは寧ろ騒音に近いものかも知れない。肩を竦めてみせた薫に、少女は初めて笑みらしきものを浮かべた。
「ありがとう――」
「眠りを導くもの、其は闇。癒しの闇よ」
夜宵が少女へそっと手を差し伸べた。少女がその手を取ろうと腕を上げる。
ぱさり。
ぱさ、ぱさり。
長い髪が少女から抜け落ちた。
ぐらりと力を失った少女の身体が傾ぐ。
「おっと」
さっと前に出た耀司が、危なげなくその身体を抱きとめた。涙の跡の残る頬を優しく拭ってやる。
まだ高校生ぐらいの少女だった。元はショートヘアの、活発な少女だったのだろう。何かの拍子に塚の事を知り、同調してしまったのか。
詳しい話は少女の覚醒を待つしかない。だが、現象を止めるという目的はこれで果たされたと言っていいだろう。
「これで一件落着、かな」
誰かが呟き、それに異を唱える者はいなかった。
[終]
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2180/作倉・勝利/男性/757歳/浮浪者
4487/瀬崎・耀司/男性/38歳/考古学者
4686/東條・薫/男性/21歳/劇団員
2681/上総・辰巳/男性/25歳/学習塾教師
1005/篠宮・夜宵/女性/17歳/高校生
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■ ライター通信 ■
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初めまして、あるいはこんにちは。
ライターの神月叶です。
この度は「語る者無く」に参加いただき、ありがとうございました。
今回は過去最高の人数にご参加いただいて、話の組み立てに四苦八苦いたしました…。
それぞれの方に見せ場を作れていればよいのですが。
話中では[4]のみ、ペアごとに作成しております。同時間、他のペアが何をしていたかも合わせてお読みいただくとよいかも知れません。
PC様それぞれの事をあれやこれやと想像しながら書くのはやはり楽しい作業でした。
少しでも楽しんでいただけましたなら幸いです。
今後のご活躍をお祈りしますと共に、機会があればまた参加下さると嬉しく思います。
それでは。
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