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<東京怪談ノベル(シングル)>





 小さなころ、夢はきっととても素敵なものだと信じていた。
 遠い未来に思いを馳せ、きっとそうなれないと分かっていても、夢の中でだけはそうなれる。
 小さなころ、夢はきっととても素敵なものだと信じられた。

 そんな彼が見た、その小さなころの夢。
 夢見た夢とは違う、悪夢。





* * *



 夜というものは、ただ少年に眠りと夢というものをもたらす存在だった。
 夜が来て、眠りに落ちて、素敵な夢を見て…そして朝日を眺める。そんな、日常。

 少年の生れ落ちた家、長渡。そこには確かに深い業があった。
 しかし、まだ年端もいかぬ少年にはそんなことが分かるはずもないし、分かる必要もないように思えた。
 いや、きっと少年は分かっていただろう。口に出さずとも、己の体の中に流れる血を。
 それでも、それでも少年はまだ小さい。故に、そんなことには縛られず、ただ無邪気に時間を過ごしていた。



 ある夜。あまりの寝苦しさに、何時もならば決して目を覚まさない時刻に少年はその瞳をあけた。
 よく分からない熱気のようなものが、寝所を覆っていた。
 しかし、少年にはそれが何なのかは分からない。分からないままに起き上がり、ただ闇を見回した。
 春、虫の鳴き声はない。満月の夜は、闇を明るく照らし出していた。
 そして聞こえた、何か。
 確かに聞こえる、何か。
 遠く、しかしはっきりとその喧騒は、胡乱なままの少年の耳に届く。

 少年の周りには、誰もいない。
 その音と誰もいない部屋に、少年は少し寂しさを覚えて寝所を出た。





 外は、さらに蒸し暑かった。いや、蒸し暑いというよりは、何かの濃密な空気で咽びそうなくらいに息苦しい、と言うべきだろうか。
 それは少年の体験したことのない空気。濃い鉄の匂いが漂っていた。

 外に出てみれば、先ほど小さく聞こえたものがはっきりと聞こえた。
 鉄がぶつかり合う音が、銃声が闇に響く。
 まるで、そうまるで。何時か見たことのある、何かの映画のように。

 少年は歩き始めた。きっと誰かがいれば、少年を止めてくれただろう。しかし、今はその止める人間もいない。



 ぴちゃり。足元から、そんな音がした。
「……?」
 なんだろうと、少年が視線をおろせば、そこには何かの水溜り。しかし、その水は冷たくなく、寧ろ生暖かい。
 足元にべっとりと張り付くそれは、一体何なのか。

 少しだけ月を覆っていた雲が晴れる。そして、明るくなった瞬間一面を多い尽くす、禍々しいまでの赫。
 ドクンと、胸が鳴る。
 そこに転がっているのは、確か寝る前に自分がお休みと言ったあの少し強面の男ではないか?
 男に動く気配はない。男の下には、やはり紅い水溜り。
「ぁ…」
 少年は男を揺さぶった。しかし、返事は返ってこない。
 そして、その小さな掌を紅く染めるべっとりとしたそれ。
「…ぁぁ…」
 少年は、小さく唸った。

 喧騒は益々大きくなっていく。
 その方向に歩いていけば、あぁ、何の冗談なのか。そこには殺しあう影と影。

 何かが光る。あれはきっと銃か何かなのだろう。その凶弾が、今朝水撒きをしながら笑っていた女の頭を穿ち、その中身をぶちまける。
 少年が知っている人物は、皆刀や槍、その身を武器にして戦っていた。その体に潜む異形の血が、彼らに人間とは程遠い動きを与える。
 しかし、それでもあまりにも多勢に無勢。数が少なすぎる。
 ついこの間、一緒に遊んでくれた青年が、獣のような咆哮をあげながら一人の男の頭を掴む。男は、死を覚悟する間もなくその頭を潰された。しかし、その瞬間にその青年も数多の銃撃で肉片と化した。

 一方的だった。あんなに強かった彼らが、どうすることもなく死んでいく。
 少なかった数が、さらに減っていく。少年の頬に、暖かくぬるっとしたものがとび、張り付く。少し離れたところで、頭をなくした体が地面に倒れこむのが見えた。
「ぁ…ぁぁ…」
 ただ、小さく呻くことしか出来ず、少年はその一面の死を見続けた。



『――――――!!』
 空気が震えた。聞いたことのないような音が、びりびりと空気を震わせる。
 一斉に、その場にあった瞳がその音に向けられる。瞬間、そこにいた五人が吹き飛んだ。

 それは、確かに少年が何度も見た背中。その瞳は血走り、口からは人とは思えぬものを発しながら、それでも確かにその姿は少年の憧れたものだった。



『――――――!!』
 男が吼え、また空気が震えた。もはや咆哮とすら呼べぬ、大地をも震わせる音。それに、侵入者たちの体がすくむ。
 その体は、血に濡れていた。もうどれだけの返り血を浴びたのかは分からない。
 彼以外に、己の体を武器として戦うものはもういない。恐らく、全員侵入者の手にかかったのだろう。
 それでも彼は戦うのをやめなかった。彼には守るべきものがあるのだから。
 己が命がどうなろうと、彼は守らなくてはならなかった。父親として、一人の男として。
「おとーさん…?」
 そんな彼の耳に、小さく無邪気な声が届く。その声が、彼の動きを一瞬だけ止めた。
 無意識に瞳が声の方に向けられる。そこには、彼が守るべき子供の姿。
 その一瞬が、全てを運命付けた――。

 その一瞬を逃してくれるほど、侵入者は甘くはなかった。
 一瞬の後、屠る側だった男が倒れていた。

 憧れていた大きな背中から、血が噴出した。そして、力なく倒れていく背中。
 少年が駆け寄ると、父親はまだ息をしていた。しかし、あまりにも弱々しいそれは、すぐに消えてしまいそうなものだった。

 父は、少年にとって憧れの存在。己が一族の中で誰も敵うものはおらず、そして故に畏敬を一身に受けていた存在。
 まだ小さいながらに、その姿は何よりも雄々しく美しく。何時かはこうなりたいと、そう思わせるものを持っていた。
 その父が、少年の目の前で死んでいく。

「――! ――!!」
 少年は必死に父親をゆする。声が出なかった。
 信じられない、信じたくない。
 自分をただ愛し、強く育ててくれたその命が、消えていく…。



 その命を奪った者たちが、子供であろうと関係なしにその凶弾を放つ。
 彼らの目的はただ、滅ぼすことのみ――。



 その父親の身体が、不意に弾ける。最後の力か、親としての本能か、その大きな身体が少年に覆いかぶさった。
「…ぇ…?」
 一瞬、少年には何が起こったのか理解できなかった。
 小さな声、響く銃声。一瞬の後、父親の全身から噴出す血。その血が、少年の顔を、全身を紅く染めた。

 今度こそ、父親の体は動かなくなった。ただ、己が子を守るためにその身を投げ出し、そして死んだ。
 少年が顔をあげると、そこには不思議と満足そうな父親の顔が目に入った。

 それでもなお、銃声がやむことはなかった。もはや動かぬその体ごと少年をも消そうというのか。
 父親の体が、無常に穿たれていく。動かぬと分かっているのに、それでもなお。
「…ぁ…」
 銃声にかき消されそうな小さな呻き声。少年の口がガチガチと揺れる。

 最強と信じて疑わなかった父が死んだ。あんなにも仲のよかった青年が死んだ。何時か山に行ったときにどんぐりをくれた男が死んだ。
 周りにあるのは、全て親しかったあの人たちの体。もう、全て動くことはない。
 死んだ、全てが死んだ。大好きだったものが、全て消えた。奪われた、何もかもが奪われた。

 あぁ、なんて悪夢だ。少年が夢見たはずの日常が、全て壊れていく。
 夢は、きっと素敵なものだと信じて疑っていなかったのに。
 あぁ、なんて悪夢――。



 少年の目の前に、もう一人の自分がいた。醜く歪んだ、もう一人の自分が。
 そのもう一人の自分が、何かを呟いた。
 呟かれたその瞬間、視界が赤く紅く赫く染まっていく。

 少年の中で、何かが弾けた――――。





 やむことのない銃声。死んでいると分かっていながらなお撃っていたあの男の死体が、力なく沈む。
 そこから何かが飛び出した。
 その何かが、侵入者の一人をかすめていく。
「…へっ?」
 男が素っ頓狂な声をあげた次の瞬間、その体が真っ二つに引き裂かれていた。

 そこからは、少年の凶演が始まった。
 何時か誰かが言った、母親譲りの漆黒の瞳は紅く染まり、ただ獲物を睨みつける。
 その顔に浮かぶのは、憎悪、憤怒――歓喜。

 睨まれた獲物は、動くことも出来ずにただその身をすくませた。
 戦い、殺しなれたものであっても、今までに感じたことのない恐怖が動きを止めた。
 当然、動けなくなったものの運命は決まっている。

 禍々しい月夜に、悲鳴と肉が千切れ骨が折れる音が鳴り響いた。



「ひっ、ひぃぃ…」
 逃げる男の右足が吹き飛ぶ。
「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 ―うるさい―
 叫ぶことしか出来ないその顔を、その小さな拳が叩き割った。

 凶演は、程なくして終わりを迎えた。
 カーテンコールは悲鳴。それが止まったとき、少年の動きも止まった。
 もはや、誰一人として動くものはいない。
 紅く染まった水の中に、少年は倒れこんだ。その小さな体で発露させ続けるには、あまりに『それ』は大きすぎたのだ。
 疲労感が、何時ものように眠りをもたらす。

 遠くから、誰かが呼ぶ声が聞こえた。しかし、少年はその瞳を開けていることが出来なかった。

(おとーさん…)

 最後の瞬間、満足そうな顔をしていた父親を思い出しながら、少年の意識は深遠へと落ちていった。





* * *



 影の中で、ゆっくりと体を動かす影一つ。
 月が照らし出す仄暗い闇の中に浮かび上がる、赤い瞳。
「…ちっ」
 昔の悪夢に、男は一つ舌打ちをもらした。



 顔を洗う。入念に入念に、まるであの日顔にかかった血がまだ乾いていないかのように。
 タオルを手に取り、軽く顔を拭いて外に出る。まだ空気は少し冷たく、乾燥していて気持ちがいい。

 男は空を見上げた。大きな月が、あの日と同じように暗闇を照らし出す。
「…嫌な夜だ」
 丸い月が、まるで紅く染まったように見える。禍々しいまでの美しさ。
 こんな日は、決まって碌でもないことが起こる。男はまた一つ舌打ちをもらした。

 だから男は一人走り出した。まるで何かをしないといけないかのように。
 赤い瞳が、ただ闇の中を走り続けた。かつて母親に似て綺麗だと言われた漆黒の瞳は、もうその色を取り戻すことはない。
 あの日の少年――物部琉斗は、眠りを拒むようにただ走り続けた。長渡は既にない。

 琉斗は夢を見るのが嫌いだった。悪夢しか見れない夢を、何時の間にか憎むようになっていた。
 素敵だと信じていた夢は、もうない。
「夢は嫌いだ――」
 呟きが、闇へと消えた。



<END>

――――――――――



 初めまして、ライターのEEEと申します。今回は発注ありがとうございました。



 実は、お父さんいいなーいいなーと一人親父ブームが(何
 大切なもののためなら笑って死ねる…カッコよすぎます。
 そんな父親だったからこそ、亡くしたときのショックは強かったでしょうねぇ…。それからのエピソードも非常に気になります。

 では、今回はこの辺りで。ありがとうございました。