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幻の和菓子屋を探せ！
【プロローグ】
ある日の午後のこと。
瀬名雫は、いつものネットカフェで、珍しい人物に会った。セラピストで友人の妹尾静流である。しかも、どうやら彼は雫を探していたようだ。
「雫さんは、幻花堂（げんかどう）という和菓子屋のことを、ご存知ないですか」
開口一番、そう訊いて来る。
「幻花堂？」
聞き覚えのない名前に、思わず首をひねる彼女に、静流は少しだけがっかりした顔をして、その店について話した。
それによれば、その店は昨年の秋に静流が奈良に行った際、春日大社の近くで見つけたのだという。たいそう雰囲気もよく、菓子は美味で友人たちにも好評だった。
最近、友人たちの一人が奈良に出かけることになり、乞われて場所を教えた。ところが帰京して言うには、そんな店はどこにもなかったそうなのだ。静流自身も怪訝に思い、電話帳やネットなどで調べたが、どこにもその店の存在を示す手掛かりはなかったという。
だが、静流はやはり、どうしても気になった。そこで、雫なら何か知っているかもしれないと、ここへ彼女を探してやって来た、というわけだ。
「う〜ん。残念ながら、聞き覚えないなあ。でも、それ、面白そう」
雫は、もう一度首を捻った後、パッと顔を輝かせる。
「え？」
「そこまでしてもみつからないなら、後は、現地へ行って探すしかないよね。……ということで、あたしも静流ちゃんに協力してあげる。きっと、うちのサイトの掲示板で呼びかけたら、他にも一緒に行きたいって人、一杯いるよ。店探しなら、人数も多い方がいいし。ね？」
「そ、そうですね……」
雫の強引な論法に、静流は少しだけ引きつった笑いでうなずいた。が、雫はまったく気にしていない。
「よおし、じゃあ、善は急げよね」
雫はさっそく、目の前のパソコンに自分のサイトの掲示板を表示させ、キーボードを叩き始めた。
【１】
シュライン・エマは、小さく吐息をついて、足を止めた。
まだ五月になったばかりだというのに、日射しはずいぶんと強く、こうして歩いていると、額にうっすらと汗がにじむ。
「シュラインさん、どこかで少し、休みましょうか」
隣から、静流の気遣うような声がかかった。
「ええ、そうね」
うなずいたものの、あたりには休めるような所は見当たらない。
二人がいるのは、春日大社の南門の近くだった。一応、帽子をかぶっているとはいえ、春とは思えない日射しに、シュラインは少しでも日影を求めて、あたりを見回す。やがて、少し行くと、見事に花を咲かせた藤の木に行き当たった。そのあたりは、さすがにうっそうとして、涼しげだ。彼女は、小さく溜息をついて、そちらへ向かった。静流も、黙って従う。
藤の木の傍まで来ると彼女は、帽子を脱いで、額の汗を軽くハンカチで抑えた。時おり、藤の花の見事な房を揺らして、風が吹き過ぎて行く。それが心地よくて、彼女は思わず目を閉じた。
隣で、静流も小さく吐息をつく気配があった。
「これだけ広いと、さすがに大変ですね」
「そうね。でも、ますます興味は募るわね」
シュラインは、目を開けると笑って言った。
雫の書き込みを読んで興味を持ったシュラインは、探索行の同行者として名乗りを上げた。静流のような口の肥えた人間が、美味しいと断言する和菓子なのだ。本当に美味しいに違いない。それを食べてみたいという思いもあったし、草間の事務所へ買って帰りたくもある。幻花堂という名前も意味ありげで、調べてみる価値ありと判断したのだった。
そんな彼女が、参加表明と共に掲示板へのレスに書き込んだのは、静流が食べたのは、何をモチーフにしたお菓子だったのか、ということだった。
（店の名前からして、お花かしら？ 時季によって作る和菓子のモチーフになる花の近くに、入り口が移る不思議なお店だったりして。それとも、時空図書館のような別空間に迷い込んだとか、何かと同調したとか……）
書き込みながら、シュラインはそんなことを思ったりもしたものだ。
同じく参加を表明した三雲冴波も、幻花堂がどんな店だったのか、店員はどんなふうだったのかなどといった質問を書き込んでいた。
それに対して静流から返って来たレスは、こんなふうだった。
彼がその店を訪れたのは、昨年の秋のことで、春日大社の傍、若草山に近い側の小道の入り口に、なぜか一枝だけ萩の花が咲いているのを見たのだという。それを不思議に思って小道に足を踏み入れたところが、件（くだん）の和菓子屋を見つけたのだった。店内は、純和風の内装が施されており、応対してくれたのは、二十代半ばぐらいの、和服の女性だったという。そこで彼は、紅葉と萩の花をそれぞれモチーフにした練り切りに、菊の花を象った最中を購入した。
シュラインの考えが当たっているようにも見えるが、和菓子はもともと、季節に合わせて花や果物をモチーフにして作るのが一般的だ。
彼女たちと同じく、参加を表明したセレスティ・カーニンガムの提案で、その後ゴーストネットの掲示板で、幻花堂に関する情報提供を呼びかけてみたところ、数日でかなりのレスが返った。その全てが、静流と同じ体験をしたというものだった。
それを総合すると、三つのことが浮かび上がって来た。一つは、幻花堂を訪れた人間には、いくつかの共通項があることだ。店を訪れた時、ほとんどの者が一人旅だった。その中の何人かは、日ごろから霊感が強いと自他共に認める人間で、また何人かは、茶や花のたしなみのある者たちだった。
二つ目は、幻花堂を見つける前に、かならず季節の花を目にしていることだ。それも、周辺に咲いているものとは種類の違うものが、ポツンと一つだけあるのを見ている。
三つ目は、二度目に奈良を訪れたのは、彼ら自身ではないということだ。静流の場合と同じく、その時に土産としてそこの和菓子をふるまわれた人間の誰かが行って探して、見つからなかったということらしい。
やはり、シュラインが思ったように「季節の花」が、その和菓子屋を見つけるキーの一つのようだった。そして、静流が現地へ行って探せば、見つかる可能性もあるということでもある。
そんなわけで、彼女たち――シュライン、セレスティ、冴波、そして海原みあおと綾和泉汐耶、静流、雫の七人は、こうして奈良へとやって来たのだった。
奈良までの移動には、セレスティが大型のバンを提供してくれた。彼の本性は人魚で、そのせいもあって視力と足が弱い。目の方は日常生活にはそれほど支障はないが、足に関しては電車や飛行機、バスなどを利用するのは不便だと考えたのだろう。そして、リンスター財閥総帥である彼には、車を一台提供することなど、なんでもない行為でもあった。
運転は、静流がした。彼も、車で奈良に行くのは初めてだったようだが、最新のナビゲーションシステムのおかげで、早朝に東京を出発した一同は、昼すぎには無事に、奈良市内へと到着することができた。
とりあえず昼食を済ませた後、まずは静流の記憶に従って、彼が以前に幻花堂を見つけた場所へ、全員で足を運ぶことになった。
しかし、そこには和菓子屋らしきものはなく、その近所で聞いて回ってみても、そんな店などないと言う。シュラインは、和菓子の材料や、他所で菓子を作っているなら、完成品を運び込んだりするための、車や人の出入りを見かけた者がいるかもしれないと考えた。だが、それもない。
ただ、この春日大社の周辺の住人の間に伝わっている話を、教えてくれた者がいた。
「大阪に太閤様がいたころのことだそうですが、春日大社の界隈に、幻花堂という和菓子屋があったと言われているんです。その店は、若い夫婦が切り盛りしていて、味も良く、春日大社の参拝客を相手に、それは繁盛していたとか。ところがある夜、盗賊が入って主夫婦は惨殺され、店には火がかけられました。後に残されたのは、幼い娘が一人だけ。身寄りのなかった娘は、住むところもなく、そのままでは飢え死にするしかない状態だったと言います。ところがそれを、春日大社の神々が憐れに思い、招かれた者だけしか訪れることのできない不思議な和菓子の店を作り、娘に両親の作っていた菓子の製法を教えたのだとか。店は四季折々の花のいずれかで客を招くそうですが、その招待を受けない者は、いくら店を探しても無駄だと言われています。……まあ、伝説というかお伽話ですけれどもね」
その者は、そんなふうに語って、小さく笑ったものだ。
だが、なんにせよ手掛かりはそれぐらいだった。
そこで彼らは、手分けして幻花堂への入り口を探すことにした。
別に誰と行動してもよかったのだが、シュラインはなんとなく静流と一緒になった。そのまま、なんとなく春日大社の境内へと足を運ぶ。
（季節の花というなら、今なら何があるかしら。藤に、アヤメ、杜若……馬酔木……。春日大社は、藤で有名よね）
シュラインは歩きながら、考えを巡らせた。それから、ふと思い立って静流に尋ねる。
「妹尾さん、幻花堂のことで、何か印象に残っていることはないかしら。あったら、教えてほしいんだけど」
「そうですね……」
静流は、少し考えてから言った。
「そういえば、奥に茶室があるようでした」
「茶室？ 喫茶室じゃなくて？」
シュラインは、少しだけ驚いて問い返す。和菓子に限らず、菓子店の奥に喫茶室が併設されているというのは、よくあることだ。だが、茶室を併設しているというのは、あまり聞いたことがない。
「ええ。私も、少し驚いたので、よく覚えています」
静流もうなずいた。
だが、彼が覚えていたのは、それだけだ。シュラインは、改めて考え込む。
「他に何かない？ 店の中に、何かすごく印象に残るような木や花があったとか、燈篭の飾りがあったとか」
ややあって再度訊いたシュラインに、静流はかぶりをふった。
「いえ、他には……。覚えていることといえば、店内が……その応対してくれた女性の着物の柄まで全て、萩の花をモチーフにしてコーディネートされていたこと、ぐらいです。なんというか、いわゆるわびさびがよく現されていて、店の雰囲気そのものも良かったなと……」
「そうなの……。でも、ますます興味が湧いて来たわ」
シュラインはうなずき、苦笑を返す。だが、静流からはこれ以上情報を得られそうにない。
（もしかしたら、妹尾さんの印象に残っている花や燈篭に近いものを探せば、いけるんじゃないかと思ったんだけど……）
胸に呟き、それからふと気づいて彼女は眉をひそめた。
「妹尾さん、この付近には萩の花がたくさん咲くところがあるの？」
「さあ……。でも、昨年来た時には、あまり見かけませんでしたけど。そう……だから、それを見た時に、珍しいと感じてそちらへ足を向けたんです」
問われて静流は、軽く首をかしげた後、言う。それを聞いて、シュラインはますます眉をしかめた。何かが引っかかる。もう少しで手掛かりがつかめそうな、そんな感じがするのだが、それがなんだかわからず、もどかしい。
ともあれ、唯一の手掛かりは、「季節の花」だ。二人は改めて、春日大社の中を、花を求めて歩き始めた。
しかしながら、春日大社の中は広かった。
そもそも、その境内は奈良公園から若草山のふもと付近まで及ぶ。一般的に、「春日大社」として知られるのは、その中心を成す、本殿とその周囲を取り巻くいくつかの殿舎だ。
その中を、いったいどんな花を探せばいいのかもわからないままに、ただ歩き回っているのだから、疲れるのも当然といえば、当然だった。
そんなわけで、さすがのシュラインも、すっかりへたり込んでしまったのだ。
【２】
しばしの間、シュラインと静流は、藤の花の下に佇んでいた。吹き過ぎて行く涼しい風が、シュラインの額から汗をさらい、体から余分な熱気を吹き払ってくれるかのようだ。
ホッと吐息をついたものの、彼女は改めて喉の乾きを覚えた。せめて、茶店にでも入って、何か冷たいものを飲みたい気分になる。
シュラインは、静流に声をかけようとして、ふと眉をひそめた。
（なんだろう、これ……）
どこからか、歌のようなものが聞こえて来るのに気づいたのだ。彼女たちのいる場所は、比較的人通りも少なく、むろん音楽を流したり歌をうたったりしているような者も、いないはずだ。だのに。
「シュラインさん、どうかしましたか？」
静流が、怪訝な顔で声をかけて来る。
「え？ ああ……。何か、歌みたいなのが聞こえない？」
「歌、ですか？」
言われて静流は、しばし耳を澄ませる。だが、彼にはこの声が聞こえていないようだ。
「何も、聞こえません」
「そう……。でも……」
シュラインには、自分の空耳とは思えなかった。声は、かなりの高音で、ちょうど吹き渡る風のうなりにも似ている。強い風が空洞を通り抜ける時に、高く鋭い音を立てる、あんな感じなのだ。しかしその声は規則的で、ただのうなりではなく「歌」として彼女の耳に届く。もしかしたら、あまりに高域にある音なので、普通なら聞こえないものなのかもしれない。ただ、彼女は聴音に優れた耳を持っている。それが、この声を捕えた原因かもしれなかった。
彼女は、その声に耳を澄ませた。
「神々に愛された娘の菓子を食べたいならば、白い花のトンネルに、一つだけある藤色の暖簾を探しゃんせ。春日の杜の境内は、どこもかしこも藤色だらけ。はるかな時代の方々の、栄耀栄華を偲ばせよう。なれど、人がどう思えども、花は花。思いの名残の白い花、それに沿うよな藤色もひそやかに咲く、それが花……」
声は、高く低く、不思議な抑揚と共にそんなふうに続く。ただの戯れ歌とも聞こえるが、誰かが自分たちが幻花堂を探していることを知ってしかけた、謎かけのようにも、シュラインには感じられた。
「シュラインさん？」
じっと黙って耳を澄ませている彼女に、静流がまた怪訝そうな声をかけて来る。それへ彼女は手短に自分の聞いているものと、歌の内容を話して訊いた。
「この境内で、白い花の咲いているところなんて、あるかしら」
「そうですね……。神苑の方にいけば、藤以外にも花があると思います。それに、藤にも白い種類はありますし」
静流は、少し考えて言った。
「でも、トンネルのようになるってことは……桜や金木犀みたいに、高い木に育って、たくさん植わっている状態よね？」
「そうですね……」
今もまだ聞こえている歌に耳を澄ませながら、シュラインが言うと、静流もうなずく。そして、ふと顔を上げた。
「そういえば、《ささやきの小径》なら季節になれば、馬酔木の花のトンネルができますよ。馬酔木の花は、白いのが多いですし」
「そうね。……いいわ、行ってみましょ」
シュラインも大きくうなずく。そして彼女は、バッグの中から折りたたんだ観光用のマップを取り出した。ネットで春日大社周辺のことを調べたみあおが、ネット上からダウンロードして人数分を印刷してくれたものだ。
それで見ると、《ささやきの小径》は、二人のいる場所からだと、奈良公園側に戻らなければならない。シュラインは小さく吐息をついた。だが、せっかく手掛かりが見つかったのだ。もう少しがんばってみようと胸に呟く。
「じゃ、行きましょうか」
「ええ」
静流もうなずいた。二人は、藤の花の下を出ると、再び歩き出した。
《ささやきの小径》は、春日大社の二の鳥居から南に向けて馬酔木の森を抜けるように造られた道だった。花の盛りは三月下旬から四月ということもあって、馬酔木の白く可憐な花は、ほとんどが散ってしまっている。だが、きっと盛りのころは頭上をトンネルのようにおおう木々が、一斉にこの白い花に包まれて、見事な眺めなのだろうと想像できた。
「そういえば、この馬酔木には毒があるんだそうですよ」
歩きながら、静流がふと思い出したように言った。
「ああ、知ってるわ。馬が食べて、毒のせいで酔ったようになるので、『馬酔木』の字があてられたって」
「さすがに、詳しいですね」
うなずいて言うシュラインに、静流は感心したように返す。
「なんで、こんな字を当てるんだろうって、不思議に思って調べたことがあったのよ。あんたは？」
「私は、管理人……三月うさぎに学生時代に教えてもらったんです」
問われて、静流は小さく笑って答える。それを見やって、シュラインはふと思い当たって言った。
「もしかして、三月うさぎも幻花堂のお菓子を、食べたがってるの？」
「ええ、まあ……。でも、私ももう一度食べてみたいと思っているんです。記憶をたよりに、再現してみようとしたんですが、ちっともその味にならなくて。やはり、あそこのものを実際に購入するのが一番正しいやり方だ、と」
うなずいて言う彼に、シュラインはますますその菓子を実際に口にしてみたくなった。
歩き続けていると、道の端に鮮やかな紫の塊があるのが、ふいに目に飛び込んで来た。
「あれ……！」
思わずシュラインが指さす。
「ええ、藤ですね」
静流もうなずく。二人は、そちらへ駆け寄った。
それは、さほど大きなものではなく、細い木が、わずかに花を残している馬酔木にすがるように巻きつき、伸びている。どうやら、いわゆる寄生木のようだ。あたりを見回してみても、藤はそれ一本だけだった。一見すると、藤色の暖簾のようでもある。
「暖簾なら、くぐればいいのよね」
シュラインは、小さく呟くと藤の花の房を軽く持ち上げ、本物の暖簾のように身を屈め、くぐった。
【３】
次の瞬間、シュラインは和菓子屋の店内と思しい場所に立っていた。隣には、静流がいて、目の前のカウンターの中には、彼や掲示板に情報を寄せてくれた者たちの言葉どおりの、二十代半ばと見える和服の女性が立っていた。着物は藤の花の柄で、純和風の内装が施された店内には、藤の花の意匠や飾りが見える。
「いらっしゃいませ。……ここには、二度来られる方は珍しいですのに、よほどご縁があるようですね」
静流に向かって言うと、女性はシュラインに目をやった。
「いらっしゃいませ。以前に来たお客さんに連れられて来られるとは、ますます珍しゅうございます。よほど、当店の品に興味を持たれましたようで、ありがとうございます」
「ああ、いえ……」
シュラインが、曖昧にうなずくのへ笑いかけ、女性は奥の茶室を二人に示した。
「あちらでお待ちいただければ、いずれ、他のお連れの方々も、お着きになると思いますよ」
「他のって……じゃあ……」
シュラインは、思わず目をしばたたかせ、静流と顔を見合わせる。女性は穏やかに微笑んだ。
「はい。……普通はこうしたことはいたしませんが、みなさんがあまりに熱心でしたので……標（しるべ）を示させていただきました。それに気づくことができなかったり、当店との相性が合わねば、ここを見つけることはかないませんが……おそらく、お連れの方々には、その心配はございませんでしょう。……あ、申し遅れましたが、私は当店の主、藤野と申します」
女性は最後に名乗って、深々と頭を下げた。
シュラインと静流は、再び顔を見合わせる。だが、自分たちがこうして来られた以上、他の者たちも来られるはずだと考え、勧められるままに、茶室に上がる。
茶室には、まるで彼女たちが来ることがわかっていたかのように、七人分の座布団が敷かれていた。床の間には、春の野を描いた掛け軸が飾られ、藤の花と馬酔木が生けられている。
ややあって、藤野が出してくれたのは、抹茶ではなく煎茶だった。歩き回って喉が乾いていたシュラインは、ありがたくそれをいただく。
そうして二人がくつろいでいると、店の方に人が来た気配があった。賑やかな声は、雫とみあおのものだ。やがて、藤野に案内されて、雫とみあお、冴波の三人が現れる。
「シュライン、静流！ 来てたんだ？」
二人の姿に、開口一番叫んだのは、みあおだった。銀色の髪と大きな銀色の目をした小柄な少女は、実際は十三歳だというが、小学生にしか見えない。というか、事情があって、現在は本当に小学校の一年生なのだという。動きやすいようにだろう、Ｇパンと長袖のＴシャツというかっこうで、背中には小さなリュックを背負っていた。
「ええ、なんとかね。歩き回って、疲れたんじゃない？」
「ううん、ちっとも」
尋ねるシュラインに、かぶりをふって、みあおは隣に腰を下ろす。
「楽しかったよね」
雫も言って、彼女はみあおの向かい、静流の隣に座った。
冴波だけが、疲れた顔で、口を開こうとしない。
彼女は、シュラインより一つ年上らしい。長く伸ばした茶色の髪に、きつい黒い目をして、幾分近寄りがたい雰囲気があった。とある建築系会社の事務員だという。静流や雫は、草間の事務所で彼女がたまに、調査員のバイトもしているらしいと話していたが、シュラインは初対面だった。
「三雲さんも、座ったら？ この二人のお供じゃ、疲れたでしょ？」
突っ立ったままの彼女に、シュラインが水を向ける。
「いえ、そうでもないわ。……けっこう楽しかったし」
答えて、冴波はみあおの隣に腰を下ろした。だが、その様子はあまり楽しそうでもない。
「みあおちゃん、何かあったの？」
なんとなく問いかけにくく、シュラインは隣のみあおに、そっと小声で尋ねた。
「よくわかんないんだけど、春日大社の本殿に入れなかったの。藤の園では、みあおたちとはぐれちゃうし……なんか、あの神社と相性よくないみたい」
みあおも、小声で返す。
シュラインは、それを聞いて、思わず冴波を見やった。たしかに近寄りがたい雰囲気はあるが、ごく普通のＯＬに見える。
（もちろん、人は見かけによらないってことも、あるけれど。……だいたい、今回のメンバーで見かけどおりの人間なんて、誰もいないわけだし）
彼女は、胸の中で呟いて、小さく肩をすくめた。
そこへ、藤野が姿を現した。セレスティと汐耶の二人も一緒だ。
セレスティは、長く伸ばした銀髪と青い目の、女性かと見まごうほどの美貌の持ち主である。二十代半ばとも見えるが、人魚である彼は、実際には七百年以上を生きていた。今回の旅では、車で来たこともあって、ずっと車椅子を利用していた。が、今は汐耶の腕に支えられている。
一方の汐耶は、女性にしては背が高く、しかもスレンダーな体型にパンツルックをまとっているため、青年のように見えた。短くした黒い髪と青い目、銀縁の伊達メガネが、更にそれを助長すると共に、知的な印象を与えている。ちなみに、彼女は都立図書館の司書だ。
彼女は、セレスティが雫の隣に座るのに手を貸すと、自分もその隣に正座した。
そこへ、全員がそろうのを見計らったように、藤野がお茶の支度をして、入って来た。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。本日は、お茶と当店の菓子をお楽しみ下さいませ」
正面に座すと深々と一礼し、丁寧にしかし慣れた手つきで、お茶を立て始める。
やがて、それぞれにお茶が行き渡り、小さな漆塗りの器に盛られた和菓子が配られた。菓子は、藤をモチーフにした練り切りで、器と揃いの楊枝が添えられている。
「どうぞ」
藤野に軽く促され、一礼して一同は茶器を手にした。シュラインも作法どおりの手順を踏んで、お茶に口をつける。それから、さっそく菓子を一切れ、口にする。ほのかな甘みと、かすかな酸味が口の中に広がった。
「美味しい……！」
思わずそんな呟きが漏れる。だが、それは彼女だけではなかった。
「ほんとに美味しい。……どうしたら、こんな味が出せるのかしら……」
「甘すぎないし、さわやかで、お茶にとっても合うね」
汐耶とみあおが、半ば陶然と声を上げるのが聞こえる。
「お口に合ったようで、うれしゅうございます」
微笑んで言う藤野に、セレスティが尋ねた。
「他には、どんなものがあるのですか？」
「今でしたら、季節ですから、柏餅や粽（ちまき）、水餅がございます。練り切りは他に、馬酔木をモチーフにしたものと、あやめをモチーフにしたものが」
答えて、藤野は問い返した。
「よろしかったら、そちらもお持ちしましょうか？」
「ええ、ぜひ」
セレスティが大きくうなずく。
「あたしも他のを味見してみたいな」
「みあおも！」
雫が言うのへ、みあおも元気よく声を上げた。
「わかりました。少々お待ち下さい」
小さく微笑み、藤野は立って茶室を出て行く。
ややあって、彼女は先程紹介したものを、それぞれ小皿に盛り付け、運んで来た。
「わあっ！」
みあおと雫が、小さな歓声を上げて、目を輝かせる。
柏餅と粽は、どこの店でも見かけるような外観だったが、水餅は中がうぐいす餡で、しかも葛で作られた餅の部分には、鮮やかな紅色のつつじの花びらが浮いていた。みあおと雫は、ためらいもなくその目にも美しい水餅を取る。
セレスティは、馬酔木の練り切りを、静流と冴波は粽を、汐耶はみあおたちと同じく水餅を取った。シュラインは、少しだけ迷った末に、柏餅を取る。素朴な、どこの店でもこの時季ならば、かならず売っているものだからこそ、作り手の腕がわかると考えたのだ。
やや肉厚の柏の皮に包まれたそれは、やわらかくしっとりして、餡には砕いた胡桃が混ぜられており、なんとも芳ばしい味に仕上がっていた。
（美味しい……！ 本当に、どうしたらこんな味が出せるのかしら……）
思わず胸に呟きながら、彼女は味わうように餅を噛みしめる。大きさは、一般的なものより、やや小さめで、女性がお茶受けとして口にするには、ちょうどいい分量だと感じられた。小さく満足の吐息をつきながら、お茶を口にした彼女は、抹茶の苦味ともそれがほどよくマッチすることに気づく。
茶室には、しばしの間、沈黙が満ちた。美味しいものを食べる時には、誰もが無口になる、というのは本当らしい。
「いかがでござましょう？」
「どれも、素晴らしいですね」
藤野に問われて、粽の後に水餅に手を伸ばした静流が、溜息と共に彼らを代表するように答えた。
「こうやって、探してまで訪れた甲斐がありました」
「ありがとうございます」
藤野が、微笑みながら礼を言う。それを見やりながらシュラインは、本当に静流の言うとおりだと考えていた。
【４】
やがてシュラインたちは、それぞれに賞味した菓子のいくつかを購入し、幾分名残惜しいながらも、幻花堂を後にした。
店を出た彼女たちが立っていたのは、どういうわけか春日大社の二の鳥居の傍だった。そこから、バンを置いた春日大社の駐車場までは、さほど遠くない。
（出口を、配慮してくれたっていうことかしら）
シュラインはそんなことを思いながら、仲間たちと共に、駐車場へと歩き始める。あたりはすでに夕暮れが近くなり、それもあってか、誰もが無口だった。
（それにしても、不思議な店だったわね）
シュラインも、ただ黙って足を運びながら、ふと胸に呟く。
藤野が語ったところでは、彼女たちが最初に付近の住民から聞いた話も、ただの伝説やお伽話ではなかったらしい。幻花堂は、神々がただ一人残された和菓子屋夫婦の娘を生かすために作り、守るために特別な呪（しゅ）をかけた場所だったのだ。そして、その呪というのが、招かれた人間だけを呼ぶ力、だったのだろう。
（ああ、そうか……。季節の花ではあっても、そこに咲いているはずのない花、それを選んで、客への招待状にしていたのね。作る和菓子のモチーフになる花の近くに入り口が移るのではなく、招待状とした花に気づくことのできた人が、店へと続く門を開けることができる……そういうことなのね）
シュラインは、気づいて胸に呟いた。静流の話を聞いて、何かもどかしい感じがしたのは、おそらくこれだったのだろう。
（あの時の歌は……藤野さんは、標と言っていたけれど、ヒントをオマケしてくれたようなものね）
胸に呟き、彼女は小さく苦笑した。それから、改めて藤野のことに思いを馳せる。
話を聞けば、藤野こそがその和菓子屋夫婦の娘だと、誰もが思うに違いない。シュラインもそう思ったし、他の仲間たちも同じように考えたようだ。
だが、違っていた。
「その娘は、あなたではないんですか？」
話を聞き終えた後、尋ねた静流に、藤野は小さくかぶりをふったのだ。
「いいえ。私は、春日大社の神々にここを任された者の一人です。神々は、娘の時を止めたかったようですが、これ以上自然の理にそむくことは、さすがにできなかったとみえます。ただ、娘のいた証として、この店を残したかったのでしょう。それゆえ、時にここを訪れた者が、私のように主を任されます」
言って彼女は、小さく笑った。
「私も、いずれは後継者を選ばねばなりません」
その言葉と笑いを思い出し、シュラインの胸はかすかに痛む。
（あの人は、死ぬまで一人であの店を守り続けて行くのね……）
我知らず、吐息が漏れた。
やがて駐車場に到着した彼女たちは、バンに乗り込むと、今夜の宿へと向かった。宿の手配は汐耶がしてくれていた。彼女の行きつけの宿だとかで、春日大社などのある観光スポットからは、南に少しはずれた場所にあり、周囲は黒い塀に囲まれた古い家並の続く、静かな住宅街である。
彼女たちが着いた時には、日が落ち始めており、チェックイン後ほどなく夕食となった。部屋は、女五人に男二人なので、シュラインたち女性陣は部屋割りをする必要がある。ロビーで、雫の作ったくじで決めることになり、ひとしきり賑わった後、シュラインはみあおと同室になった。といっても、食後は全員で残る三人の部屋に集まって、昼間のことを話したり、明日の予定を決めたりして、それなりに遅くまで起きていたのだけれども。
【エピローグ】
翌日は、宿で朝食をもらい、チェックアウトすると再び春日大社付近まで車で戻った。午前中一杯を、そのあたりの散策と、周辺に並ぶ神社仏閣の参拝などで費やす。奈良公園や、東大寺、春日大社の付近には、どこにも鹿がのんびりと歩いていて、シュラインたちの微笑みを誘った。
みあおは、せっせとデジカメでそんな鹿たちや、同行者たちを撮影し、セレスティと雫は売店で鹿せんべいを買っては、おっかなびっくり鹿たちに差し出す。どの鹿も、人慣れているせいか、差し出されたせんべいをゆったりと食んでいた。中には、途中まで食べて、ぷいと頭をそむけてしまう鹿もいる。その仕草がおかしくて、シュラインは、声を立てて笑った。汐耶と冴波、静流もそれぞれに売店を覗いたり、あたりの景観を眺めたりしている。
昼食は、近鉄奈良駅の周辺に広がる商店街の方で、静流と冴波が買って来てくれた弁当を、奈良公園で広げた。天気がいいこともあって、あちこちで同じように弁当を広げているグループがいくつかある。
午後は、汐耶と静流は古書店巡りをするのだと言って出かけて行き、残された面々はそれぞれに土産物店などを巡った。シュラインもいくつかの店を巡り、草間と零への土産に、奈良うちわを買った。うちわといっても、木で作られており、本体には奈良の風物が透かし彫りされた凝ったものだ。
そして、午後遅く。再び合流した一同は、来た時と同じく静流の運転するバンで東京への帰途に着いた。
（日射しが強くて、大変だったけれど……でも、なかなか有意義な旅だったわね。幻花堂のお菓子は、思った以上においしかったし……事務所への土産もできたし）
シュラインは、シートに身を預けてそんなふうに思う。
藤野のことは、胸が痛むけれども、自分にはどうしてやることもできないことだと、改めて彼女は溜息をついた。それに、それは藤野自身が決めた、彼女の運命でもあるだろう。
後ろの座席では、みあおと雫が相変わらず賑やかだ。冴波は疲れたのか、助手席で目を閉じて眠っているようだった。隣でセレスティと汐耶は、午後からの古書店巡りのことについて、楽しげに話している。静流も運転しながら、それに加わっていた。
シュラインは、それらを聞くともなしに聞いているうちに、とろとろと眠気が兆して来るのを感じた。車の性能のせいなのか、静流の腕のせいなのか、バンはさほど揺れることもなく、かすかな振動が心地良い。
シュラインは、それらに誘われるままに目を閉じて、眠りの淵へと落ちて行った――。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【００８６／ シュライン・エマ／ 女性／ ２６歳／ 翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【１８８３／ セレスティ・カーニンガム／ 男性／ ７２５歳／ 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【４４２４／ 三雲冴波／ 女性／ ２７歳／ 事務員】
【１４１５／ 海原みあお／ 女性／ １３歳／ 小学生】
【１４４９／ 綾和泉汐耶／ 女性／ ２３歳／ 都立図書館司書】
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■ ライター通信 ■
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●シュライン・エマさま
毎度ありがとうございます。ライターの織人文です。
今回は季節柄、藤の花、和菓子、神社と和風のものでかためてみましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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