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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幻の和菓子屋を探せ!

【プロローグ】
 ある日の午後のこと。
 瀬名雫は、いつものネットカフェで、珍しい人物に会った。セラピストで友人の妹尾静流である。しかも、どうやら彼は雫を探していたようだ。
「雫さんは、幻花堂(げんかどう)という和菓子屋のことを、ご存知ないですか」
 開口一番、そう訊いて来る。
「幻花堂?」
 聞き覚えのない名前に、思わず首をひねる彼女に、静流は少しだけがっかりした顔をして、その店について話した。
 それによれば、その店は昨年の秋に静流が奈良に行った際、春日大社の近くで見つけたのだという。たいそう雰囲気もよく、菓子は美味で友人たちにも好評だった。
 最近、友人たちの一人が奈良に出かけることになり、乞われて場所を教えた。ところが帰京して言うには、そんな店はどこにもなかったそうなのだ。静流自身も怪訝に思い、電話帳やネットなどで調べたが、どこにもその店の存在を示す手掛かりはなかったという。
 だが、静流はやはり、どうしても気になった。そこで、雫なら何か知っているかもしれないと、ここへ彼女を探してやって来た、というわけだ。
「う〜ん。残念ながら、聞き覚えないなあ。でも、それ、面白そう」
 雫は、もう一度首を捻った後、パッと顔を輝かせる。
「え?」
「そこまでしてもみつからないなら、後は、現地へ行って探すしかないよね。……ということで、あたしも静流ちゃんに協力してあげる。きっと、うちのサイトの掲示板で呼びかけたら、他にも一緒に行きたいって人、一杯いるよ。店探しなら、人数も多い方がいいし。ね?」
「そ、そうですね……」
 雫の強引な論法に、静流は少しだけ引きつった笑いでうなずいた。が、雫はまったく気にしていない。
「よおし、じゃあ、善は急げよね」
 雫はさっそく、目の前のパソコンに自分のサイトの掲示板を表示させ、キーボードを叩き始めた。

【1】
 セレスティ・カーニンガムは、水辺に吹き寄せて来る涼しい風に、思わず小さな吐息をついた。
 五月になったばかりだというのに、日射しはずいぶんと強く、強い光や高温が苦手な彼にとっては、戸外を移動するのはいささか辛い状況だ。それでも、こうして水の近くにいると、それも癒される心地がする。やはり、どれほど長く生きようとも、人魚は人魚だということだろうか。
「風が、気持ちいいですね」
 隣から、綾和泉汐耶が声をかけて来た。女性にしては背が高く、パンツルックを自然に着こなした彼女は、一見すると青年のようだ。短くした黒髪と青い目がそれを助長し、銀縁のメガネが知的な印象を与える。
「ええ。……それに、景観も悪くないようですね」
 セレスティは、うなずいて返した。
 二人がいるのは、春日大社の一の鳥居と二の鳥居の間にある、浅茅ヶ原と呼ばれる一帯だった。その南西に位置する鷺池のほとりである。
 視力の弱いセレスティには、はっきり見ることはできないが、池には六角形の浮見堂が浮かべられ、錦鯉がゆったりと泳いでいた。すでに花は散ってしまっているものの、二人がいるあたりは、ずっと桜の木が並んでいる。それが日影を作り、池の方から渡って来る風に、涼やかな葉擦れの音を鳴らすのが、耳にも心地よかった。対岸には、緑の木々のつらなりがあって、目にも優しい眺めである。
 汐耶も、それらを堪能しているのか、彼の言葉に小さく笑った。
「ええ。幻花堂のお菓子をいただいてみたい気もしますけど、こうしてただ、美しい景色を見たりしてのんびりあたりを巡るだけでも、充分な気がします」
「そうですね。店がみつからないのには、それなりの訳があるのかもしれませんしね」
 セレスティも、笑顔でうなずく。
 もちろん彼も、雫の書き込みに興味を持って、探索行の同行者として名乗りをあげたのだ。他人が美味だと称賛する和菓子を、食べてみたいという思いはある。
 ちなみに彼は、書籍や情報を保有する無機物――たとえばパソコンなどに、触れることで、そこに書かれた内容を読み取ることができる能力を持っていた。なので、視力は弱いが、ものを読むのに不自由することはない。
 彼が雫の書き込みを読んで、最初に考えたことは、最近出来た店ではないだろう、というようなことだった。東京や大阪の繁華街ならともかく、古都・奈良で、しかも春日大社の近くとあっては、昔からある店と考える方が現実的だ。
(昔からあるのなら、観光客や周辺の人に、クチコミなどで知られていると思いますし……。静流さんに、もっと正確なお店の場所などを教えていただいて、ゴーストネットの掲示板で情報を集めるのがいいでしょうね)
 そんなふうに思いながら、掲示板を覗いていると、すでにシュライン・エマと三雲冴波が、静流に幻花堂で買い求めた菓子や、店の様子などを尋ねる書き込みをしているのを見つけた。静流からのレスもついていて、それによれば、彼がその店を訪れたのは、昨年の秋のことで、春日大社の傍、若草山に近い側の小道の入り口に、なぜか一枝だけ萩の花が咲いているのを見たのだという。それを不思議に思って小道に足を踏み入れたところが、件(くだん)の和菓子屋を見つけたのだった。店内は、純和風の内装が施されており、応対してくれたのは、二十代半ばぐらいの、和服の女性だったという。そこで彼は、紅葉と萩の花をそれぞれモチーフにした練り切りに、菊の花を象った最中を購入した。
 それを読み下し、再度の問いは不要だと察してセレスティは、参加表明と共に、情報収集の提案のみを掲示板に書き込んだ。
 雫は彼の提案を受け入れて、さっそく幻花堂に関する情報を求めるスレッドを、新しく立てた。すると、ほんの数日でかなりのレスが返って来た。その全てが、静流と同じ体験をしたというものだ。
 それを総合すると、三つのことが浮かび上がって来た。一つは、幻花堂を訪れた人間には、いくつかの共通項があることだ。店を訪れた時、ほとんどの者が一人旅だった。その中の何人かは、日ごろから霊感が強いと自他共に認める人間で、また何人かは、茶や花のたしなみのある者たちだった。
 二つ目は、幻花堂を見つける前に、かならず季節の花を目にしていることだ。それも、周辺に咲いているものとは種類の違うものが、ポツンと一つだけあるのを見ている。
 三つ目は、二度目に奈良を訪れたのは、彼ら自身ではないということだ。静流の場合と同じく、その時に土産としてそこの和菓子をふるまわれた人間の誰かが行って探して、見つからなかったということらしい。
 どうやら、幻花堂は普通の店ではないようだ。ただ、静流が現地へ行って探せば、見つかる可能性があるかもしれない。
 そんなわけで、彼ら――セレスティ、シュライン、冴波、そして汐耶と海原みあお、静流、雫の七人は、こうして奈良へとやって来たのだった。
 奈良までの移動には、セレスティが大型のバンを提供した。本性が人魚である彼は、視力だけではなく、足も弱い。目は日常生活にはさほど支障はないが、電車や飛行機、バスなどを利用しての移動は足に負担がかかって、かえって不便だった。それに、リンスター財閥総帥である彼にとっては、車を一台提供することなど、たいしたことではない。
 運転は、静流がした。彼も、車で奈良に行くのは初めてだったようだが、最新のナビゲーションシステムのおかげで、早朝に東京を出発した一同は、昼すぎには無事に、奈良市内へと到着することができた。
 とりあえず昼食を済ませた後、まずは静流の記憶に従って、彼が以前に幻花堂を見つけた場所へ、全員で足を運ぶことになった。ちなみに、セレスティの移動は今と同じく、車椅子だった。バンを提供したのは、これを積み込むことができるからでもある。
 しかし、たどり着いた先には和菓子屋らしきものはなく、その近所で聞いて回ってみても、そんな店などないと言う。シュラインなどは、和菓子の材料や、他所で菓子を作っているなら、完成品を運び込んだりするための、車や人の出入りを見かけた者がいるかもしれないと考えていたようだ。が、それもない。
 ただ、この春日大社の周辺の住人の間に伝わっている話を、教えてくれた者がいた。
「大阪に太閤様がいたころのことだそうですが、春日大社の界隈に、幻花堂という和菓子屋があったと言われているんです。その店は、若い夫婦が切り盛りしていて、味も良く、春日大社の参拝客を相手に、それは繁盛していたとか。ところがある夜、盗賊が入って主夫婦は惨殺され、店には火がかけられました。後に残されたのは、幼い娘が一人だけ。身寄りのなかった娘は、住むところもなく、そのままでは飢え死にするしかない状態だったと言います。ところがそれを、春日大社の神々が憐れに思い、招かれた者だけしか訪れることのできない不思議な和菓子の店を作り、娘に両親の作っていた菓子の製法を教えたのだとか。店は四季折々の花のいずれかで客を招くそうですが、その招待を受けない者は、いくら店を探しても無駄だと言われています。……まあ、伝説というかお伽話ですけれどもね」
 その者は、そんなふうに語って、小さく笑ったものだ。
 だが、なんにせよ手掛かりはそれぐらいだった。
 そこで彼らは、手分けして幻花堂への入り口を探すことにした。
 セレスティ自身は最初から、店探しの人海戦術には、自分はあまり役に立てないだろうと考えていたので、マイペースで手掛かりになりそうなものを、調べてみようと決めていた。
 そんな彼に声をかけて来たのが、汐耶だった。
「セレスティ、よかったら、ご一緒しませんか?」
「それはうれしいですが、汐耶さんはどうやって、店探しをするつもりなんですか?」
「はっきりと計画を立てているわけでは……。馴染みの古書店へ行きたいので、そのついでにでも、探してみようかと。他の人たちも、半分は観光気分だと思いますし……のんびり行くのもいいのじゃないかと思って」
 セレスティの問いに、汐耶は小さく笑いながら答える。
「それならば、ぜひご一緒に」
 セレスティも、うなずいた。そして、続ける。
「でも、せっかくこうして奈良に来たのですし……古書店巡りをする前に、春日大社の神苑の方に行ってみませんか? なんでも、この時季だけオープンしている藤の園があるそうなんです」
 それは彼が、ネット上で拾った情報だった。それに、ゴーストネットの掲示板での情報収集の結果を見れば、幻花堂を見つけるためのキーは、「季節の花」にあるようにも思う。それならば、この季節に最もポピュラーな藤が二十数種類もあるという場所へ、行ってみるのもあながち間違ってはいないだろう。
「あら、それは素敵ですね。じゃあ、まずそこへ行って、それから近くを散策して、時間があったら、私の馴染みの古書店の方へ行くようにしましょうか」
 汐耶がうなずいて言った。
 そこでまず、二人は春日大社の神苑へ行った。
 神苑は万葉植物園とも言われ、春日大社の北西に位置し、万葉集に登場する植物が約三百種類も植えられているという。藤の園は、その南側にあって、セレスティの言ったとおり、花の盛りである五月初旬のみオープンしている場所だった。
 二人はその中を、ゆっくりと見て回った。汐耶がセレスティの車椅子を押してくれ、時おり立ち止まっては花を眺め、掲示されている説明を読んだり、互いの感想を教え合ったりしては、また散策を続ける。
 一言に藤といっても、その種類は豊富で色も姿もそれぞれに違い、なんとも目に美しく楽しい眺めだった。
 それらをじっくりと堪能して外に出た二人は、そこから参道を一の鳥居の方へと散策がてら向かい、最終的に今いる鷺池のほとりにたどり着いた、というわけだった。
 池のほとりに来たのは、汐耶の気遣いだったのだろうとセレスティは思っている。というのも、汐耶は彼の本性が人魚であることも、その弱点が強い光や高温であることも知っているからだ。一方、ここは日影でもあるし、心地よい風も吹く。だけでなく、水辺なので水の「気」が、彼の疲れた体と心を癒してもくれるのだ。
 そんなわけで、彼は汐耶の気遣いに感謝しつつ、すっかりくつろいであたりの雰囲気を堪能していたのだった。

【2】
 しばらくそうやって、鷺池の景観と雰囲気を楽しんでいたセレスティだったが、ふいに水辺からもたらされる水の「気」に、かすかな異変が生じたのを感じて、軽く眉をひそめた。それがなんなのかをたしかめるため、彼がもう少し水辺に近づいてみようとした時だ。
「あれは、何かしら」
 汐耶が、小さな声を上げるのが聞こえた。
「どうかしましたか?」
「あ……。ええ。池の水面に、ここにある桜の木が映っているんですけれど、その中に何か、紫色の……あれは、藤の花だわ」
 尋ねるセレスティに、汐耶がとまどいながら言う。
「桜の木の中に、藤の花が?」
 セレスティも、思わず問い返した。
 彼らがいるのは、池に枝を張り出すように大きく伸びた、桜の木の下だ。むろん、すでに時季を過ぎているので、桜は花を散らして、今は緑の葉が茂るだけになっている。セレスティの目には、水面に映るそれは、濃い緑色の塊としか見えない。が、たしかに彼女の言うとおり、今見るとその中に紫色の小さな塊があるのがわかった。
 二人は、思わず桜の木を見上げる。だが、いくら目をこらして探してみても、その木にはどこにも藤の花など咲いていないし、それと見間違うような紫色のものもない。もしも寄生木だとしても、はたして桜に藤が寄生して咲くなどということが、あるのだろうか。
 怪訝に思いながら、二人は再び水面に目をやった。そちらには、しっかりと紫色の塊が映っている。それを見やるセレスティの脳裏に、ふと静流や幻花堂を訪れることができた者たちからのレスの文章がよみがえった。季節は違えど、彼らがそこを見つける前には、かならずその時季の花が、ポツンと一つだけ咲いているのを見たという、あれだ。
(そういえば、地元の伝説を教えてくれた人も、幻花堂が客を招く時は、季節の花で……と言っていましたね)
 セレスティは胸に呟き、改めて水面の紫色の塊を見やる。と、汐耶が妙におぼつかない足取りで、水辺へ歩いて行くらしいのが見えた。
「汐耶さん?」
 声をかけるが、返事はない。それどころか、もう一歩足を踏み出せば、池に落ちてしまう所まで来ても、彼女の足は止まる気配を見せない。
「汐耶さん!」
 叫びながらセレスティは、とっさの判断で彼女の体内に流れる血液を操って、こちらに引き戻した。車椅子では、自分が動いても間に合わないと判断したためだ。
 地面に軽く尻餅をついて汐耶は、ふいに我に返ったのか、驚いたように目をしばたたかせながら、あたりを見回している。
「汐耶さん、大丈夫ですか?」
 セレスティが傍に寄って声をかけると、彼女はきょとんとした顔で、こちらを見上げた。
「私……どうしたんでしょう?」
「覚えてないんですか? 池の方へ歩いて行って、落ちそうになっていたんですよ」
 問われてセレスティが答えると、彼女は心底驚いた顔になる。それから、小さくかぶりをふって呟いた。
「私……なんだか、あの藤の花のところに、行かなければならないような気がして……。あそこに、何かの扉があるような、そんな気がしたんです」
「何かの、扉?」
 セレスティは、聞くなり軽く眉をひそめる。そして、思い出した。彼女には封印能力があり、その応用で封印や鍵を開ける能力もあることを。むろん、封印されたものを感知することもできるようだ。
(やはりあれは、幻花堂への招待状……もしくは、その入り口への扉と考えて、いいようですね)
 彼は胸に呟いた。だが、だからといって、自分はともかく彼女をこの池の中に入らせるわけにはいかない。深さがどれぐらいあるのかもわからないし、他にも観光客がいないわけではないだろうから、人に見咎められて、ここの管理者だの警察だのを呼ばれても面倒だ。
(それならば、いっそ……)
 彼は、ふと思いついたことを、実行に移してみることにする。
 汐耶が立ち上がったのを見届けて、彼は池の水面に映った紫色の塊に、改めて目を向けた。青い瞳が更に色を増し、どこかにじんだように見える。それと共に、水面が小さく波立って、やがて紫の塊を真ん中に四角く水が切り取られて浮かび上がった。それは、ゆるやかに彼らの数メートル手前へ着地した。
 先程、汐耶を助けた時と同じように、水を操ったのだ。
 とはいえそれは、なんとも不思議な光景だった。四角く切り取られた水は、まるで花の影を中に閉じ込めた氷のように、その場に直立しているのだ。
 池の方は、四角い跡の中にすぐに四方から新たな水が流れ込み、まるで何事もなかったように、凪いでいる。ただ、水面に映る葉桜の影の中に、藤の花の姿はもうない。
 セレスティは、自分の仕事の仕上がりと、思ったとおり藤の花の影が超常現象だったことに、満足の笑みを漏らした。傍では汐耶が、驚きに目を見張っている。彼は、それへ声をかけた。
「汐耶さん、まだ扉を感じますか?」
「ええ」
 うなずく汐耶に、彼は続ける。
「では、その扉を開けて下さい。鍵はかかっていないように思いますが……それでも、私よりはキミが開ける方がいいでしょう」
「え、ええ……」
 汐耶は、幾分とまどうようにうなずいて、その不思議な水の塊に手を伸ばした。一房だけ、水の中でおぼろな影として咲いている藤の花に、触れる。
「あ……!」
 途端に彼女は低い声を上げ、目を見張った。小さな波紋と共に藤の花の影は揺らいで消え、その向こうに紫の暖簾のかかった、格子戸が見えたのだ。
「どうやら私たちは、幻花堂の入り口を見つけたようですよ。行きましょう、汐耶さん」
 セレスティは言うと、静かに車椅子を動かす。
「え、ええ」
 汐耶もうなずき、慌ててその後を追った。

【3】
 気づいた時には、セレスティと汐耶は、和菓子屋の店内と思しい場所に立っていた。
 目の前のカウンターの中には、静流や掲示板に情報を寄せてくれた者たちの言葉どおり、二十代半ばと見える和服の女性が立っていた。着物は藤の花の柄で、純和風の内装が施された店内には、藤の花の意匠や飾りが見える。
「いらっしゃいませ、ようこそ。ここに二度来られる方は珍しいですが、その方に連れられて、こちらにいらっしゃるとは、ますます珍しゅうございます。私が示させていただいた標(しるべ)にも気づいていただけたようで、よろしゅうございました」
 女性は二人に頭を下げ、笑顔でそう告げた。
「それでは、やはりあれは、この店からの招待状だったわけですね?」
 セレスティが穏やかに尋ねると、女性はうなずいた。
「はい。普通はこうしたことはいたしませんが、みなさんがあまりに熱心でしたので。とはいえ、標に気づかなかったり、当店との相性が合わねば、結局ここを見つけることはかなわないのでございますが。……あ、申し遅れましたが、私は当店の主、藤野と申します」
 女性は最後に名乗って、深々と頭を下げた。それから、奥を示す。
「さ、こちらへどうぞ。お連れの方たちが、お待ちでございますよ」
「連れのって……じゃあ、他の人たちは、もうここへ?」
 小さく目をしばたたかせて、汐耶が尋ねた。
「はい。お二方で最後でございます」
 うなずく藤野に、セレスティと汐耶は思わず顔を見合わせた。
「さ、どうぞ」
 再度促されて、二人は彼女に案内され、奥へと移動した。
 藤野が案内したのは、茶室だった。喫茶室が併設されている菓子屋はよく見かけるが、茶室は珍しい。セレスティも汐耶も、小さく目を見張った。
 セレスティは車椅子を降り、汐耶に肩を借りて、歩いて茶室に入る。
 茶室は、まるで彼らが来ることがわかっていたかのように、七人分の座布団が敷かれ、床の間には春の野を描いた掛け軸が飾られていた。そして、藤の花と馬酔木が生けられている。藤野の言葉どおり、すでに他の五人は座布団に座して二人が来るのを待っていた。
 床の間の前に切られた炉の傍には、シュライン・エマが腰を下ろしている。二十六歳になる彼女は、長い黒髪を後ろで束ね、すらりとした体には、涼しげな青のパンツルックをまとっていた。胸元には、いつもどおりメガネが吊るされている。
 彼女の隣は、海原みあおだ。直ぐな銀髪に大きな銀色の目の、小柄で愛らしい少女だった。実際は十三歳だというが、小学生にしか見えない。というか、事情があって、現在は本当に小学校の一年生なのだという。
 その隣には、三雲冴波が座していた。シュラインより一つ上だという彼女は、セミロングにした茶色の髪ときつい黒い目をして、やや近寄りがたい雰囲気がある。とある建築系の会社の事務員をしているというが、セレスティとは初対面だった。
 シュラインの向かいには静流が、その隣には雫が座っている。
 雫の隣が二つ空いているので、セレスティはそちらへ座ることにした。汐耶に手を貸してもらって、そこにおちつく。その後、汐耶も彼の隣に腰を下ろした。
 そこへ、全員がそろうのを見計らったように、藤野がお茶の支度をして、入って来た。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。本日は、お茶と当店の菓子をお楽しみ下さいませ」
 正面に座すと深々と一礼し、丁寧にしかし慣れた手つきで、お茶を立て始める。
 やがて、それぞれにお茶が行き渡り、小さな漆塗りの器に盛られた和菓子が配られた。菓子は、藤をモチーフにした練り切りで、器と揃いの楊枝が添えられている。
「どうぞ」
 藤野に軽く促され、一礼して一同は茶器を手にした。セレスティも作法どおりの手順を踏んで、お茶に口をつける。それから、さっそく菓子を一切れ、口にする。ほのかな甘みと、かすかな酸味が口の中に広がった。
(これはこれは。たしかに、苦労してこの店を探した甲斐もある一品ですね)
 彼は胸に感嘆の呟きを漏らし、じっくりとその味を堪能する。
「美味しい……!」
 一方ではシュラインが、そんな呟きを漏らす。だが、それは彼女だけではなかった。
「ほんとに美味しい。……どうしたら、こんな味が出せるのかしら……」
「甘すぎないし、さわやかで、お茶にとっても合うね」
 汐耶とみあおが、半ば陶然と声を上げるのが聞こえる。
「お口に合ったようで、うれしゅうございます」
 微笑んで言う藤野に、セレスティは尋ねた。
「他には、どんなものがあるのですか?」
「今でしたら、季節ですから、柏餅や粽(ちまき)、水餅がございます。練り切りは他に、馬酔木をモチーフにしたものと、あやめをモチーフにしたものが」
 答えて、藤野は問い返した。
「よろしかったら、そちらもお持ちしましょうか?」
「ええ、ぜひ」
 セレスティは大きくうなずく。
「あたしも他のを味見してみたいな」
「みあおも!」
 雫が言うのへ、みあおも元気よく声を上げた。
「わかりました。少々お待ち下さい」
 小さく微笑み、藤野は立って茶室を出て行く。
 ややあって、彼女は先程紹介したものを、それぞれ小皿に盛り付け、運んで来た。
「わあっ!」
 みあおと雫が、小さな歓声を上げて、目を輝かせる。
 柏餅と粽は、どこの店でも見かけるような外観だったが、水餅は中がうぐいす餡で、しかも葛で作られた餅の部分には、鮮やかな紅色のつつじの花びらが浮いていた。みあおと雫は、ためらいもなくその目にも美しい水餅を取る。
 静流と冴波は粽を、汐耶はみあおたちと同じく水餅を取った。シュラインは、少しだけ迷う様子を見せた後、柏餅を取る。セレスティは、馬酔木をモチーフにした練り切りを取った。同じ練り切りでも、モチーフにしているものが違えば、味も違うはずだと考えたのだ。
 それは正解で、こちらはまろやかな苦みと甘みが見事にマッチして、なんとも言えない味わいを生み出している。
(これは……! まさに、絶品ですね)
 軽く目を見張って、胸に再度感嘆の言葉を呟き、それから思いついて彼は、お茶を口に含んでみた。すると、お茶の渋みと苦みが加わって、更に口の中の味わいは変化する。むろん、悪い方にではない。じっくりとそれを堪能し、もう一口、茶を含んだ。それで菓子の味は消されたものの、まだ余韻のようなものが、口の中には残っていた。それがまるで、花の残り香のようで、セレスティは思わず口元をほころばせる。
 茶室には、しばしの間、沈黙が満ちた。美味しいものを食べる時には、誰もが無口になる、というのは本当らしい。
「いかがでござましょう?」
「どれも、素晴らしいですね」
 藤野に問われて、粽の後に水餅に手を伸ばした静流が、溜息と共に彼らを代表するように答えた。
「こうやって、探してまで訪れた甲斐がありました」
「ありがとうございます」
 藤野が、微笑みながら礼を言う。それを見やりながらセレスティは、まさにそのとおりだと、胸の中で静流に賛同の意を唱えていた。

【4】
 やがてセレスティたちは、それぞれに賞味した菓子のいくつかを購入し、幾分名残惜しいながらも、幻花堂を後にした。
 店を出た彼らが立っていたのは、どういうわけか春日大社の二の鳥居の傍だった。そこから、バンを置いた春日大社の駐車場までは、さほど遠くない。
(出口にまで、配慮していただいたということでしょうか)
 セレスティは、ふとそんなことを思う。仲間たちはすでに駐車場へと歩き出しており、彼の車椅子はまた汐耶が押してくれていた。あたりはすでに夕暮れが近くなり、それもあってか、誰もが無口だった。
(それにしても、不思議な店でしたね)
 セレスティも、ただ黙って周囲に目をやりながら、ふと胸に呟く。
 藤野が語ったところでは、彼らが最初に付近の住民から聞いた話も、ただの伝説やお伽話ではなかったらしい。幻花堂は、神々がただ一人残された和菓子屋夫婦の娘を生かすために作り、守るために特別な呪(しゅ)をかけた場所だったのだ。そして、その呪というのが、招かれた人間だけを呼ぶ力、だったのだろう。
(季節の花を招待状がわりに、それに気づくことのできる人間だけを、客として相手していたということでしょうね……。そういう意味では、私たちはやはり特別待遇だったのかもしれませんね。花の招待状ではなく、あからさまに扉を示してくれていましたし、かといってあれは……私と汐耶さんでなくては、気づいてもたどり着くことのできない扉でした。それとも……私たちだったからこそ、あんな招待のしかたをしたんでしょうか)
 胸に呟き、彼は小さく苦笑した。それから、改めて藤野のことに思いを馳せる。
 話を聞けば、藤野こそがその和菓子屋夫婦の娘だと、誰もが思うに違いない。セレスティもそう思ったし、他の仲間たちも同じように考えたようだ。
 だが、違っていた。
「その娘は、あなたではないんですか?」
 話を聞き終えた後、尋ねた静流に、藤野は小さくかぶりをふったのだ。
「いいえ。私は、春日大社の神々にここを任された者の一人です。神々は、娘の時を止めたかったようですが、これ以上自然の理にそむくことは、さすがにできなかったとみえます。ただ、娘のいた証として、この店を残したかったのでしょう。それゆえ、時にここを訪れた者が、私のように主を任されます」
 言って彼女は、小さく笑った。
「私も、いずれは後継者を選ばねばなりません」
 その言葉と笑いを思い出し、セレスティは少しだけ苦い笑いを浮かべる。
(あんな場所で生きていても、その身の上に時間だけは降るのですね。そして、いずれは死を迎え、その前に誰かにあそこの主の座を明け渡す……。おかしな話です。現世に生きる私は、これからも長い時を生き、リンスター財閥総帥であり続けて行くというのに)
 己がそのように、長い時を生きる存在であることを、疎むわけではなかった。それでも、自分と彼女を引き比べれば、奇妙に皮肉なものを感じる。百年に満たない時間の中、隔離された空間で、一つのことのみに集中して生きる生を、羨む気持ちもかすかにあった。
(……愚かな、感傷にすぎませんけれどもね)
 そんな自分を自ら嘲笑するように、彼は薄い笑みを口元に掃く。
 やがて駐車場に到着した彼らは、バンに乗り込むと、今夜の宿へと向かった。宿の手配は汐耶がしてくれていた。彼女の行きつけの宿だとかで、春日大社などのある観光スポットからは、南に少しはずれた場所にあり、周囲は黒い塀に囲まれた古い家並の続く、静かな住宅街である。
 彼らが着いた時には、日が落ち始めており、チェックイン後ほどなく夕食となった。部屋は、女五人に男二人なので、セレスティは自動的に静流と同室ということになる。が、女性たちは二部屋に分かれる必要があり、ロビーで雫の作ったくじで決めることになった。ひとしきり賑やかにくじが引かれ、シュラインとみあお、汐耶と冴波と雫の二組に分かれる結果になった。といっても、食後は汐耶たちの部屋に全員が集まり、昼間の互いの出来事を話したり、明日の予定を決めたりして、遅くまで賑わったのだけれども。

【エピローグ】
 翌日は、宿で朝食をもらい、チェックアウトすると再び春日大社付近まで車で戻った。午前中一杯を、そのあたりの散策と、周辺に並ぶ神社仏閣の参拝などで費やす。奈良公園や、東大寺、春日大社の付近には、どこにも鹿がのんびりと歩いていて、セレスティたちの微笑みを誘った。
 みあおは、せっせとデジカメでそんな鹿たちや、同行者たちを撮影し、セレスティと雫は売店で鹿せんべいを買っては、おっかなびっくり鹿たちに差し出す。どの鹿も、人慣れているせいか、差し出されたせんべいをゆったりと食んでいた。中には、途中まで食べて、ぷいと頭をそむけてしまう鹿もいる。その仕草がおかしかったのか、シュラインが声を立てて笑った。汐耶と冴波、静流もそれぞれに売店を覗いたり、あたりの景観を眺めたりしている。
 昼食は、近鉄奈良駅の周辺に広がる商店街の方で、静流と冴波が買って来てくれた弁当を、奈良公園で広げた。天気がいいこともあって、あちこちで同じように弁当を広げているグループがいくつかある。
 午後は、汐耶と静流は古書店巡りをするのだと言って出かけて行き、残された面々はそれぞれに土産物店などを巡った。セレスティも少しだけ土産物屋を覗いて、鹿の角の細工物を、恋人のために買った。その後は再び鷺池に出向いて、池の周りを一人散策したり、錦鯉を眺めたりしてのんびり過ごした。
 そして、午後遅く。再び合流した一同は、来た時と同じく静流の運転するバンで東京への帰途に着いた。
(日射しが強いのには閉口しましたが……楽しくはありましたね。旅行気分も味わえましたし、鹿も案外可愛いものでした。でも、なにより幻花堂の菓子は、素晴らしかったですね。本当に、あれを食することができただけでも、来た甲斐があったというものです)
 セレスティは、シートに身を預けてそんなふうに思う。次に奈良に来る機会があれば、またあの店に寄りたいものだと思うが、そうもいかないだろう。
(きっとそう……今回は、『特別』だったんでしょうからね)
 胸に、小さな苦笑を落として、彼はそう呟いた。
 それへ、隣に座した汐耶が、声をかけて来る。
「午後からは、どうしてました?」
「土産を買って、またあの鷺池に行ってみました。……気持ちのいい場所で、すっかり気に入ってしまいました。汐耶さんの方は、どうでしたか? 何か、めぼしいものでも?」
 答えてセレスティが水を向けると、彼女の頬がわずかに紅潮した。
「ええ。やはり、たまには関西の方へも足を向けてみるものだわ。探していたものや、掘り出しものがたくさんみつかりました。……車だったのも、ありがたかったわ。電車だと、荷物になるし」
「そうですよね。荷物を増やしたくなければ、買うのを減らすか、宅配で自宅に先に送ってしまうかしか、ありませんからね」
 運転中の静流が、口を挟む。
「そうなの。でも、宅配といってもたくさんあると、代金もバカにならないし……」
 汐耶が、大きくうなずいてから、セレスティを見やった。
「だから今回は、本当に助かりました」
「いえいえ。車は、自分のために出したようなものですからね。少しでもお役に立てれば、幸いですよ」
 礼を言われて、セレスティは苦笑しつつ、返す。
 後ろの座席では、みあおと雫が相変わらず賑やかだ。冴波は疲れたのか、助手席で目を閉じて眠っているようだった。ふと隣を見ると、シュラインもうとうとしている。セレスティは、それを見やって小さく笑った。
 そんな面々を乗せて、車は一路、東京目指して走り続けるのだった――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1883/ セレスティ・カーニンガム/ 男性/ 725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4424/ 三雲冴波/ 女性/ 27歳/ 事務員】
【1415/ 海原みあお/ 女性/ 13歳/ 小学生】
【1449/ 綾和泉汐耶/ 女性/ 23歳/ 都立図書館司書】
【0086/ シュライン・エマ/ 女性/ 26歳/ 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●セレスティ・カーニンガムさま
2回目の参加、ありがとうございます。ライターの織人文です。
今回はゆったり春日大社近辺を散策という感じにしてみましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。