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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


「縄宮邸奇譚」

------<オープニング>--------------------------------------

 どす黒く変色した門がそびえ立っていた。
 角材を積んで作ったような冠門だ。朽ちた木の臭気すら漂ってきそうな程変色している。屋根瓦が半分ほど欠け落ち、その向こうに陰気な屋敷が見えている。恐らくは二階建て。遠目から見ても漆喰の外壁に亀裂が入っているのが見て取れる。陰鬱な屋敷の暗さをさらに助長するように、庭には背の高い竹が植えてあった。
 封筒入りで持ち込まれた数枚の写真とA4用紙で5枚の企画書に目を通し、碇麗香は唇の端を持ち上げた。
「いいわ」
 人差し指を眼鏡で直し、向かいの椅子に腰掛けている男に視線を移した。
 北城透(きたしろ・とおる)。フリーライターである。年の頃なら三十代半ば。岩をも砕きそうながっちりとした顎に、無頼を気取ってざんばらに髪を伸ばしている。山のように立派な肉体に、丸太のような腕。春物のジャケットの下の胸板もぱんぱんに張っている。
 暑苦しいほどの偉丈夫だった。
 アトラス編集部と契約を結んでいる数名のライターの一人である。見た目の割にまめな男で、企画を小脇に抱えては編集部のドアを乱暴に叩いて碇に持ち込んでくる。アトラスの読者層をよく理解しており、企画の目の付け所も確かなら記事も骨太、おまけに自分で古風な一眼レフカメラを抱えて撮影までこなすという万能プレイヤーだ。
 しかも、そのカメラが必ず心霊写真を撮ることが出来るという特殊なものなのだ。北城の腕と相まって、科学万能主義者でも息を呑むホンモノの心霊写真の迫力は相当のものである。
 夏の企画数本を立ち上げる時期を狙いすまし、今日も企画を一本持ち込んできたというわけだ。
「縄宮家ってェ旧家のお屋敷だ。打ち捨てられて大分経つ。森の奥に取り壊されもせずにでーんと構えてる。色々いわくのある屋敷なんだが、五年前に伝奇ホラー作家とお取り巻きの合計四名が行方不明になるって事件が起きてる」
 自ら撮影してきた縄宮邸の写真を見せながら、北城が言った。
「四人は何を見たのか? 何が起きたのか? 未だ謎の残る人気作家行方不明事件にオカルト的見地からアトラスのメスが入る。縄宮邸の内部の写真をメインに、謎解きをするって方向で。落としどころはまあ、これだけ調べても解けぬ謎は残った──ってとこで」
「相変わらず頼りになるじゃない」
 碇は満足して大きく頷く。指を鳴らして三下を呼びつけた。
「これ、月曜日の編集会議に掛けるから10部コピー。写真はスライドにするから用意しなさい」
 三下の手に薄い企画書と写真を載せ、追い払う。
「絶対通すわ。一度しっかり扱って見たかったのよね、縄宮邸の行方不明事件。何度か小さい記事にはしたけど、北城君ならきっとセンセーショナルな記事になるわね」
 碇は頬に手を当てて熱っぽい溜息を吐いた。
「それじゃ、念のための護衛と取材クルーは用意するわ。思いっきりやってきて頂戴。何なら、解いてきてくれてもいいのよ? 行方不明事件」
「こういうのは判明しないところが面白いんじゃないのかね」
 北城は他人事のように言う。がりがりと頭を掻いた。
「ま、なるようになるだろ。それじゃいつも通り、護衛になりそうな霊能力者さんとお手伝い数人の手配、よろしくな。会議で煙草吸ってる間に乗り込んでくる」

-------------------Mission Start------------------------

 ガラスの向こうに、超高層ビルの連なりが見えていた。
 快適に上昇していくエレベータの中から、六本木の町並みを見下ろす。青空の下に無数のビルが立ち並び、それらの頭を越えて更に上へと進んでいく。
 シュライン・エマとシオン・レ・ハイ、そして北城透の三人は、六本木ヒルズのアカデミーヒルズのライブラリーを目指していた。
 大型連休も終了し、ヒルズ内はそれほど混雑していない。地上49階の六本木ライブラリーも閑散としており、背広姿の男性が数名とビジネススーツの女性が少し、自由業風の男性が何人かいる程度だった。
 北城はシュラインたちの先に立って、49階のカフェをずんずんと進んでいく。モダンな雰囲気の落ち着いたカフェからは、六本木周辺から東京タワーまでが見渡せる。
 見晴らしのいい窓辺の席を陣取って、北城はシュラインを隣に座るようにと手招いた。
 アトラス編集部の碇麗香から電話を貰い、「縄宮邸」という曰く付きの建物の調査手伝いを依頼されたのは一週間ほど前のことになる。夏の特集の一本として使おうと思っている、と前置きして、碇は北城透の名前を出した。
 以前にも一緒に仕事をしたことがあるカメラマンだった。フリーライターとしては小狡いところや計算高いところがないが、頭はいい。人柄としては気さくで、話しやすい。仕事もできる。
 見た目は、そう──青森のなまはげに似ていた。
 口の中に拳骨が入ってしまいそうな立派な顎に、頬骨の高い彫りの深い顔立ちをしている。目は小さいが眼光鋭く、眉毛は太い。だらしなく伸びた髪は絡まり合って肩に触れている。背が高く、格闘家のように逞しい体つきをしていた。
 碇がもう一人の手伝いとして引き合わせたのがシオン・レ・ハイだ。北城が来る数日前からアトラス編集部でアルバイトをしていたのだが、北城の「必ず心霊写真が撮れるカメラ」に感激して同行を申し出たのだという。
 大柄でがっしりしているというところは北城と共通しているが、服のセンスが対照的だった。やや時代がかった高級な服を身につけ、伸ばした髪もきちんと櫛を入れてある。
 二人のがっしりとした男性を横にして、シュラインは自分たちのつながりを勘ぐるのは難しいだろうと考えた。
 北城の隣に座って五分もしないうちに、ライブラリーのスタッフ章を付けた青年が現れた。痩せていて背が高く、眼鏡を掛けているあたりが神経質っぽい。
「お待たせしました。これが岩田島尾(いわたしまお)の資料です」
 青年は早口でそう言い、抱えてきた本数冊とファイルをテーブルに積んだ。
 ライブラリーでの展示企画を立案する仕事をしている、万代という男だった。昨年の夏、ライブラリーで行方不明作家・岩田島尾の展示会をやった時の資料だという。
「本当はこれ、大分前の企画なんです。僕がまだ、鎌川書店にいたころでしてね。メッセージなんかは岩田先生から頂戴したものばかりですよ」
 万代は丁寧にファイリングされた写真や、インタビューをテキストに落としたものを見せてくれる。大手出版社の鎌川書店に居た時の自慢話を交えながら、行方不明前の岩田について説明した。
 岩田島尾──落ち着いた文体ながら、その描写の巧みさで若い層にも人気のある作家だった。ホラー小説の大家と呼ばれ、数年前の鎌川書店のホラー映画ラッシュを作った一人だ。五年前、取材と称して取り巻きと弟子を連れて縄宮邸というところに行ったきり、行方不明になっている。
 シュラインとシオンが調査を手伝うのが、この縄宮邸──そして、ホラー作家岩田島尾行方不明事件だ。
 万代は岩田が取材当時から縄宮邸に興味を示していたと言い、彼から貰った資料やコメントをコピーして渡してくれた。
 事前に調べて来た縄宮邸の情報と揃えれば、岩田が何を見に行ったかが判りそうだった。
 テーブルの上に資料と地図を広げ、シュラインは腕組みした。
「どういう記事にするか、アウトラインは決めてあるのかしら?」
「縄宮邸の紹介と、あちこち探し回って岩田島尾の痕跡探しだな。で、それに線を引いて仮説を一本立てて、物語風にする」
「なるほどね」
 シュラインは岩田が縄宮邸について語っているインタビュー記事を見下ろした。
 不意に、テーブルの上に影が差す。シュラインが顔を上げると、テーブルの横に車椅子の男性が佇んでいた。
 セレスティ・カーニンガム。シュラインが事務員を務める草間興信所の協力者の一人で、アイルランドに本拠地を置くリンスター財閥の総帥でもある。窓から差し込む光で、長い髪が美しく輝いていた。
 その後ろには、彼の側近であるモーリス・ラジアルが控えている。きっちりと高級なスーツを着こなし、セレスティの車椅子に片手を添えていた。
「こんにちは。奇遇ですね」
 シュラインは二人ににっこりと笑いかける。セレスティが穏やかに微笑みながら
「お仕事中でしょうか。先ほど、面白そうな話が聞こえましたので」
「アトラス編集部のお手伝いで」
「岩田島尾の行方不明事件ですね。私もあれにはいささか興味がありまして」
 セレスティはにこやかに返す。シュラインは彼が非常に好奇心と探求心旺盛だったことを思いだし、テーブルの下で北城の脚を小突いた。
 おまけに、歩く図書館かと思われるぐらい博識である。探しても探しても、縄宮邸の詳細な地図は出てこない。地図も無しに老朽化した建物の中を歩き回るのはリスクが大きい。
 セレスティのネットワークならば、あるいは。
「座りませんか?」
 シュラインはにっこりして正面の席を示した。
 
 × × ×
 
 碇麗香からの電話を切り、リィン・セルフィスはガッツポーズを取った。
 時刻は夕方にさしかかる頃である。のんびりと惰眠を貪って、ふらりと起きていたら龍ヶ崎家の電話が鳴っていた。居候の身分としては取るしかないだろう。主人である常澄は、今日は恐らく日が落ちるまで起きてこない。
 アトラス編集部の編集長、碇麗香からの仕事の依頼だった。
 古い日本家屋。打ち捨てられたお屋敷。因習。屏風。手毬。日本人形。井戸。庭園。着物。三味線。琴。羽織袴にスシ。
 常澄に持ちかける予定だったがリィンでも構わないと言い、碇麗香は魅惑的な単語をたっぷりと交えて仕事の概要を説明した。要約すると、縄宮邸という山奥の朽ちた屋敷の中を探索するから何かあった場合の護衛をしてほしいという話である。
 麗香は「是非お願いしたいの。好きでしょう? こういうの」と言ってリィンの耳に魅惑的な日本文化を囁いた。
 リィンは当然快諾した。お気に入りの時代劇の舞台のような空間を探索出来るというのだ。こんなに楽しい仕事はないではないか。
「よし」
 集合時間を確認し、リィンはくるりと踵を返した。常澄を起こして、連れて行こう。
 
 × × ×
 
 車に揺られて、最寄り駅から二時間半。
 尻の痛みをじっと堪えながら、一同は段取りの確認をしていた。
 最寄りの駅とはいえ、縄宮邸は大昔に過疎化して廃村になった場所にある。市街地を離れて遠く山の中まで潜り込まなければならない。
 おまけに悪路続きで、車がすれ違えないような絶壁の細い道やら、車酔い必須の砂利道など過酷を極める。一番最初に疲れてしまったのはセレスティで、今はモーリスに寄り掛かるようにして目を閉じてじっとしている。
 縄宮邸へ向かうメンバーは、総勢で8人にもなった。
 碇麗香から依頼を受けたシュライン・エマ。リィン・セルフィス。龍ヶ崎常澄。編集部から派遣されたお手伝い、シオン・レ・ハイ。
 シュラインが事情を話したところ乗り気になって同行を申し出たのがセレスティ・カーニンガムとモーリス・ラジアル。それから常澄が呼び寄せた少年が一人。
 少年の名はソラ。半年ほど前から巷を騒がせ続けている連続宝石盗難事件の実行犯グループの一人で、年の頃なら十代後半。身体にぴったりした変わったデザインの黒い服を着ており、髪をドレッドにしている。
 モーリスとシオン、北城の三人を除く4人はソラを知っている。先日、ロシアの大富豪クズネツォフ氏の豪華客船で一悶着あった間柄だ。
 セレスティが入手してきた地図は、何と江戸時代のものだという。戦中に廃村になるまでには増改築もあっただろうが、その地図はない。精々シュラインが集めた外観図や小さな俯瞰図程度だ。
 要するに、真っ当な地図はないということである。
「下見に来た時は、中には入ったんですか?」
 運転席に向かってシュラインが声を掛ける。ハンドルを握っていた北城がこちらを振り返った。
「前!」
 すかさず常澄が前方を指差す。
「入るには入ったが、そんなに奥までは行ってない。写真は横のファイルに入ってる」
 シオンが資料を詰め込んだバッグを開き、黒い写真入れを取り出す。薄暗い土間と広々とした上がり框が写っている。梁が崩れ落ちて部屋を横切っており、床板も数カ所派手に砕けていた。
 どうやら北城が上がり込んだのはここまでらしい。奥に続く廊下があることを示す写真が一枚入っていた。
「そろそろ着くぜ」
 北城がハンドルを軽く叩いて言う。
 外が突然暗くなった気がして、モーリスは窓から空を見上げた。
 どろどろした気配が近づいてくる。周囲に渦巻く怨みの気配が、日光を遮るように広がっていた。
「今日も曇ってるんだな」
 北城は車を停めて呟く。
「下見に来た時も曇ってたんだよな」
「晴れるワケないよ。こんなところで」
 常澄は驚いたように言う。一同はぞろぞろと車から降りた。
 当たりはどんよりと薄暗い。灰色の雲が空を覆っており、縄宮邸周辺一帯の空気が澱んで感じられる。
 鬱蒼と茂る木々に覆われ、縄宮邸の朽ちた門が見えた。観音開きの扉の片方が外れ、倒れている。
車の反対側には盆地が広がっており、崩れ落ちた家の痕跡が点々と残っていた。
「やっと着きましたか。長旅でしたね」
 モーリスに支えられて車から降りてきたセレスティが、息を吸い込もうとしてちょっと首を傾げ、それから深呼吸を取りやめた。
「ヘリでくれば良かったですね」
 モーリスはセレスティに手を貸したまま言う。
「陸路も楽しいかと思いましたが、大変でしたね」
 セレスティは力無く笑う。
「折角ですから、記念写真を撮りましょう!」
 アトラス編集部から借りてきたインスタントカメラを手に、シオンが言った。
「撮れますかね、心霊写真」
 インスタントカメラを見下ろし、北城に問いかける。北城はファインダーを覗き、
「運が良ければ撮れるんじゃねえか」
 と答えた。
「幽霊様の集合写真も」
 北城とシオンが一同を縄宮邸の門前に並ばせる。
「いきますよー。1+1はー?」
 シオンのかけ声に合わせて一同が「に」と答える。シオンと北城が同時にシャッターを切った。

 × × ×
 
「ところでさ」
 縄宮邸の門までの細い道に進もうとしたシュラインの袖を、常澄が掴んだ。
「今回の仕事の内容って、何なの? さっき心霊写真とかって」
「あら、リィンさんから聞いてないの? このお屋敷──縄宮家っていう昔の地主のお屋敷なんだけど、この中を調査するの。アトラスの心霊特集でね。あちらの大男の北城さんがライター兼カメラマン。必ず心霊写真が撮れるっていう面白いカメラを持ってるの」
 シュラインは縄宮邸の概要と仕事内容を掻い摘んで説明する。黙って聞いていた常澄が、突然踵を返した。
 つかつかとリィンのところまで歩いていく。
 出し抜けにリィンの向こうずねを蹴り飛ばした。
「何で事前に教えないんだよ! ただの廃墟探索だって言ったじゃないか!」
「細かく教えたら来ないだろ。相棒」
 痛そうな素振りもせずにリィンが言う。
「そういうのを騙すって言うんだ」
 常澄は半眼になって腕組みする。
「仕事は任せた。僕は中には入らない!」
「えー! 何でだよー!」
 常澄の宣言に、ソラが飛び上がる。大股で走ってきて、常澄の腕を掴んだ。
「一緒に宝石探しするんだろ!?」
「いや、僕、埃っぽいところ、ダメでさ」
「廃墟や廃屋は埃っぽいもんなの! 埃を嫌がってちゃトレジャーハントはでーきーねーえ!」
 じたばたと地団駄を踏んで言う。
「オレ、何のために呼ばれたんだよ」
「だ、だって何かヤバそうだし……それに日本はうずらの卵大の宝石なんか使った宝飾品は殆どないと思う。翡翠や瑪瑙や珊瑚、基本的には金銀が主流で」
「翡翠と瑪瑙でもいいんだぜ。要は大きさと含有物だから」
 ソラは常澄の手を握り、瞳を潤ませた。
「オレ、オバケとか結構苦手なんだけどトレハンのためなら頑張るぜ」
 常澄の顔から血の気が引く。リィンが常澄の肩を乱暴に叩いた。
「話は決まったみたいだな。いざ行かん、カタナとキモノのオバケ退治!」
「退治はやめてくれ」
 腕組みして三人を眺めていた北城が言う。
「そのオバケを撮影しに来たんだ。被写体に逃げられちゃあな」
「そういうこと。今回は出来るだけ紳士にお願い、リィンさん」
 北城の言葉に重ねてシュラインが釘を刺す。リィンはホルスターから拳銃を二丁引き抜いた。
「オレはいつでも紳士だぜ?」
「先に進みませんか」
 モーリスがぴしゃりと言う。
「この調子じゃ先に進めない」
「明るいうちに終わらせたいからな」
 北城が頷く。一同はぞろぞろと縄宮邸の入り口へ向かった。
 崩れた門は、観音開きの戸が片方外れている。屋敷の塀の外側をなぞるように伸びる堀の中に半分程まで浸かり、濁った水の中で真っ黒に朽ちていた。
 門を潜ると、二階建ての縄宮邸正面が見えてくる。敷地の中には澱んだ気配が満ちており、それが気温を下げて肌を粟立てさせる。
 すうっと首筋を冷たい何かに撫でられたように感じて、常澄は隣のソラの腕にしがみついた。
「雰囲気出てますね」
 シオンがごくりと生唾を飲み込んで言う。
「だろう。アトラスの特集にぴったりのロケーションだぜ」
 北城はカメラを縄宮邸へと向ける。
 ファインダーを覗き込んで首を傾げた。
「何かあるか? 入り口のあたりから先」
「結界がありますね」
 モーリスが答える。常澄も頷いた。
「このあたりに漂ってる霊気は、その結界からあふれ出した一部っぽいよ」
「なるほどな。画面が真っ黒になっちまって、屋敷が写らねえ」
 角度を変えてファインダーを覗き、北城が唸る。
 モーリスはセレスティに一言断ってから彼の側を離れる。大股で玄関に近づいた。
 大きな玄関は分厚い引き戸で出来ている。モーリスが手を伸ばすと、戸の前で空間が大きく歪んでいるのが感じられた。
 外側と内側に何かの齟齬が生じている。その齟齬が現世と異界というものなのか、時間軸のズレなのか磁場の問題なのかは判らない。密度の違う二つのものが隣り合っているために、邸内と庭の間に空間の亀裂が出来ているのだ。それが、事実上結界の役割を果たしていると言える。
 地図を見た時から判っていたが、この縄宮邸は人為的に作られた「歪みの場」だ。霊的な、磁場的なセオリーを全てひっくり返し、互い違いにはめ込むことで簡単な異界を作り出すという建築方法だ。日本の古い霊場などには時折見られる手段である。
 結界を何とかしなければ侵入は不可能だろう。恐らくは──この結界が、百年近く縄宮邸が放置された理由の一つだろう。
 どうしようかと思案しながら振り返ると、モーリスの目の前にリィンが立っていた。
「ぶった斬る」
 背負っていた大剣に手を伸ばし、言った。
「それが一番手っ取り早いな」
 モーリスは頷いてリィンに場所を開ける。セレスティがにこにこと「豪快ですね」と言った。
「何だかちょっと、嫌な予感もするけど」
 頬に片手を当て、シュラインが目を伏せる。
「暗くなるとあのガケップチの道、戻れなくなるぜ」
 北城がカメラのストラップを肩に引っ掛けて言う。
「こんなところで一晩!? 嫌だよ! やれリィン!」
「任せろ!」
 常澄の声援に後押しされ、リィンが大剣を振り上げる。
 気合いの声と共に、振り下ろした。
 
 リィンの刃筋が、縄宮邸を黒く切り裂く。
 切り裂かれた隙間から、真っ黒い何かが吹き出してくる。
 誰かが何かを言う間もなく、一行は闇の中に引きずり込まれた。
 
 × × ×
 
 青白い、巨大な月が見える──。
 縁を青くぼやけさせた白く巨大な月が、空の真ん中にあった。
 さやさやと草を鳴らして風が吹いてくる。遠く焚き火の爆ぜる音が聞こえてきた。
 シュラインは片目を押さえて身体を起こす。視界がぼやけてくらくらする。
 周囲に、仲間達が倒れているのが見えた。
「夜──?」
 シュラインは首を振り、慌てて起き上がった。
 目の前に、威圧感を与える縄宮邸が聳えている。家根から玄関まで、どこも朽ちている様子がない。木目の抜けた節穴から、邸内の灯りが漏れている。
 シュラインが呆然として辺りを見回していると、まず始めにリィンが起き上がった。足下に大剣が落ちている。軽く頭を振り、跳ねるように飛び起きた。
 続いて北城とソラが起き上がる。モーリスは目を開けてすぐにセレスティを助け起こした。
「シオンさん、シオンさん」
 シュラインはすぐ脇で倒れ込んでいたシオンを揺り起こす。
 シオンは起き上がるとすぐに、「眠ってたんですかね?」と呟いた。
 
 シャラン、と鐘の音が響いてきた。
 
 戸の辺りがガタガタと音を立てる。リィンが玄関に手を掛け、押し引いた。
 戸には腕の太さほどもある注連縄が渡されていた。手を僅かに差し込める程の隙間しか開かない。
「中に人がいるぜ」
 隙間から室内を覗き込んだリィンが言う。
「どうなっているのでしょうか」
 縄宮邸を興味深そうに見上げていたセレスティが言う。北城がカメラを構えた。
「……こいつァ幻か? 真っ昼間の崩壊した屋敷が見えるぜ」
 そう呟き、シャッターを切る。
 ドアの辺りが一瞬揺らぎ、崩れ落ちた縄宮邸の玄関が覗く。
 すぐに元に戻ってしまった。
「幻というよりは」
 モーリスが目を閉じて辺りを探るような素振りをしながら言う。
「結界の中にあった時間の中に引っ張り込まれたというところか。この夜に、何か大きな歪みを生じさせるような出来事があったと考えるのが妥当だな」
「作家探しではなく、縄宮邸の最期の夜の取材にするというのは如何です?」
 冗談めかしてセレスティが北城に言う。北城はざんばらの髪の中に手を入れ、がざがさと掻いた。
「中、入るか? ぶち破るぜ」
「いいのかしら。中に人、いるんでしょう?」
「過去の亡霊と考えるのが妥当でしょうね」
 首を傾げたシュラインに、モーリスが説明する。リィンが扉をハイキックで蹴り破った。
 分厚い戸板が砕け散り、木片が土間に飛び散る。中には三名ほどの白装束を来た女性が居た。
 いずれも老女である。額に白い鉢巻をして、白い袴を履いている。戸に注連縄を掛けたのは彼女たちのようだ。
 何かを話しながら動き回っているが、その言葉は全く聞こえてこない。リィンが扉を蹴破ったことにも全く動じていないようだった。
 玄関を抜けると、長い廊下が延びていた。遠くから、大小の鈴の音が聞こえてくる。地図と見比べると、どうやら中庭の方で何かやっているらしい。
 廊下の天井に棒が渡され、そこに無数の縄がくくりつけられている。廊下を覆うように垂れ下がる縄が、ゆらゆらと揺れていた。
「変わった廊下ね」
 シュラインが首を伸ばして廊下を眺める。風も入らないのに縄が揺れており、それはまるで人が通った後のようにも見える。
 一歩廊下に踏み込むと、視界がぶれた。
「うっ」
 突然耳鳴りに襲われ、シュラインとセレスティが耳を押さえる。リィンがシュラインの肩を抱いて支えた。
 縄が朽ちる。黒く変色した縄の間に、四人の人影が立っていた。
 四人のうちの一人は女性である。垂れ下がる縄が、何故か彼女の首に巻き付いていた。それを男性三人が囲み、解こうと躍起になっている。
 男性のうちの一人に、シュラインは見覚えがあった。先日、写真で見せて貰ったばかりだ。
 岩田島尾。
「──五年前?」
 シュラインはリィンにもたれ掛かったまま呟く。北城がフラッシュを焚くと、一瞬だけ苦悶する女性と岩田島尾の横顔がくっきりと浮かび上がった。
「ここ、時間軸が三つ重なってるんだ」
 常澄がソラにしっかりとしがみついたまま言う。背中に隠れるようにして、極力周囲を見ないようにしていた。
「岩田島尾の心霊写真、一丁上がりだな」
 北城がカメラを下ろして言う。大股で廊下を進んだ。
 半透明の岩田や女性をすり抜ける。床板がミシミシと悲鳴を上げた。
 やがて岩田たちが女性の首から縄を解くことに成功する。途中で切り裂かれた縄は廊下に叩き付けられた。一瞬蠢いた縄は、蛇のようにも見える。
 女性の首に、くっきりと黒い縄目の後が残っていた。
 ぐらりと岩田たちの姿が揺らぐ。再び耳鳴りを感じてシュラインが目を閉じると、鼻先にかび臭さと湿気を感じた。
 目を開くと、視界が真っ暗になっていた。足の裏に、湿気た木の感触がある。
 すぐ目の前に、崩れかけた縄がぶら下がっていた。
「現代に戻って来れたようですね」
 セレスティが息を吐く。背後で常澄の悲鳴が上がった。
 青白い女性が、明滅しながら廊下をふらふらと歩いていく。その首には真っ黒い縄目がついていた。目から下と胸から上しか見えていないため、女性であろうということしか判らない。
「もう嫌だー! 帰る!!!」
 シオンが懐中電灯をつける。常澄が床にしゃがみ込んでそう叫んだ。
「帰れるうちに帰る!」
「仕事が終わらないウチは帰れねえんだな、これが」
 北城が懐中電灯で辺りを照らしながら言う。廊下に亀裂などがないか確認しながら前に進んだ。
「お足元にご注意下さい」
 モーリスがセレスティの手を引いて誘導する。セレスティが手を伸ばし、朽ちた縄に触れた。
「一本一本に、大分良くない感情がまとわりついていますね。注連縄や物を結ぶなどのいい利用法をされてきたわけではなさそうです」
「ジャパニーズ・ノレンじゃないのか?」
 リィンが縄を掴んで引っ張りながら言う。朽ちた縄はすぐに切れ、どさりと床に落ちてきた。
「暖簾を廊下にぶら下げるっていうのは聞いたこと無いわね。乱暴はよして」
 シュラインがリィンの肩を叩く。リィンは肩を竦め、大股で廊下を進んだ。
「来ないと置いてくぞー」
 廊下を進みながら北城が言う。ソラとシオンと常澄は、三人で顔を見合わせた。
「置いて行かれると困りますね」
「でも行きたくない!」
「お化け屋敷だってゴールに着かなきゃ外には出られないんだぜ」
 引きつった笑みを浮かべてソラが言う。シオンも余り良くない顔色で頷いた。
「引き返せばいいんだよっ!」
 常澄がそう言って立ち上がる。
 玄関の方へ戻ろうとした常澄の手を、シオンが掴んだ。
「さっきは玄関からこっちへ入った時に、時間が移動したみたいです。もしかしたら戻るとまた……」
「う」
 敷居を跨ごうとしていた常澄が、慌てて脚を引っ込める。
「帰れないじゃないか!」
「だからー」
 ソラが常澄の肩に顎を乗せる。
「前進あるのみ、ってコトじゃねえの? ブラザー」
 涙目になった常澄の頭をぐりぐりと撫でる。
「オレもなーんにもナシで帰ったらカゼに嫌味漬けされそうだしさぁ。一応努力ぐらいしとかねえと」
 深く溜息を吐く。
「はぐれないうちに行きましょう」
 シオンが二人の肩をぽんぽんと叩いた。
 
 × × ×
 
 朽ちた襖を開けると、無数の瞳がこちらを見ていた。
 モーリスはぎくりと身体を強張らせる。再び視界がぶれる感覚が襲う。眉間に指を当て、少しの間目眩のような感覚に耐える。
 再び顔を上げると、やはり無数の瞳がこちらを見ていた。
 行燈の赤茶けた光が満ちた部屋だった。襖の方を向くように、日本人形がぎっしりと置かれている。緋色の壇が部屋の一角に置かれ、そこに無数の人形が並べられているのだ。
 遠くから、大きさの異なる鈴を振る音が聞こえてくる。再び「何かの夜」へ連れ戻されたのだろう。
 部屋にはぐるりと注連縄が渡されている。よく見ると、壇上には小さな注連縄を渡して四角い結界を作った場所があった。
「何かの……そう、ジオラマのようなものでしょうか」
 セレスティがゆっくりと室内へ入る。興味深そうに日本人形達を見下ろした。
 結界の中には正座をした人形が置いてある。それを囲むのは、男装をした人形達だ。中央の人形の首と手には細い紐が巻かれ、目元にも白い目隠しがしてある。
「何かの儀式を模したもの、なのでしょうね」
 セレスティは正座をした人形に触れる。
 一瞬、悲鳴が部屋に響き渡った。
「これは……!」
 モーリスが声を漏らす。座敷の上に、先ほど首に縄目がついた女性が倒れていた。
 人形達の鮮やかさはそのままに、畳だけが急激に色褪せる。黒く変色した畳の上に突き倒された女性の首には、黒い縄目の痕。
 女性に馬乗りになって、岩田島尾が縄を握っていた。それを女性の手足に、首に、結びつけようとしている。
 暴れ回る女性を、虚ろな目をした二人の男が押さえ込んでいる。岩田島尾は口の端から涎を垂らし、何かに憑かれたような血走った目で縄を結びつけていく。
 先ほどの悲鳴は、この女性のものだ。
 悪鬼のような顔をした島尾が、モーリスとセレスティの方を向いた。
 背後からフラッシュが焚かれる。眩しさに目を細めると、たちまち岩田たちが消滅した。
 次いで、バタバタと日本人形が倒れ始める。見る間に壇が崩れ、朽ちた畳の上に日本人形が転がり落ちる。
 行燈の光が消え、懐中電灯の鋭い灯りが部屋を照らし出す。鈴の音が遠ざかり、畳の上に倒れた人形達はあちこち割れ砕け、朽ちていく。
 現実の時間に引き戻されたらしい。
「何だか、楽しくないコトが起こったみたいね」
 口許を押さえてシュラインが呟く。セレスティが自分の指先を見下ろしながら、溜息を吐いた。
「沢山の思念が残っています。それもかなりネガティブな。不用意に触ると取り込まれてもおかしくありません。どうやらこれが」
「ホラー作家行方不明事件の真相っぽいな」
 北城が後を引き取って言う。セレスティは頷いた。
「まさしく、障らぬ神に祟りなしね」
 シュラインが腕組みして言う。
「可哀相に」
 そっと手を合わせた。
 
 × × ×
 
 人形の並ぶ部屋を抜けると、中庭に面した廊下に出た。満天の青白い月が正面に見えている。巨大な月の姿を、庭に作られた池が写していた。
 水面はしんと静まりかえっている。中庭に出ると、鈴の音に読経のような声が混じって聞こえてきた。
 青白い月が照らし出す庭を、ぐったりした女性が運ばれていく。二人の男性が女性を抱え上げ、岩田を先頭にふらふらと歩いていくのだ。
 女性の首や手首から垂れ下がった朽ちた縄が、庭の玉砂利の上を引きずられていく。
 彼らの行く手に、真っ黒い堂が見えていた。
 岩田たちが過去の世界に取り込まれてしまっているのか、二つの時間は徐々に融合しているようだった。彼らにも青い月を写す、澄んだ池が見えているかも知れない。
 生きているのか死んでいるのか、担ぎ上げられた女性はぐったりとして微動だにしない。岩田らはそのまま、中庭を横切って漆黒の堂の中へと入っていった。
「魔物の一匹も出ないんじゃ退屈だぜ」
 中庭に敷かれた玉砂利を蹴り飛ばし、リィンがぶつくさ言う。
「今日の仕事は悪魔退治じゃなくて、護衛なんだろ……」
 蒼白になってソラに寄り掛かりながら、常澄が釘を刺す。
「魔物が出てくれた方が気が紛れるかもな」
 リィンがけらけら笑う。常澄は無言で屈み込み、拾った玉砂利をリィンに投げつけた。
「さっきから寒気が酷いんだけど……」
「おう。背中に小さい女の子が乗ってるぜ」
 常澄の呟きに、カメラを構えた北城が言う。ソラとシオンが素早く常澄から離れた。
「だ、誰か助けてぇ……」
 硬直した常澄がか細い声で言う。ソラとシオンが顔を見合わせた。
「お塩はあるんだけど」
 シュラインがバッグの中から小瓶を取り出す。さらさらと中身を掌に出した。
 ぴしゃっと常澄の背中を叩く。二人の姿をカメラが撮影した。
「記念撮影。ついでにこれ、弱い霊なら除霊も出来る。いなくなったぜ」
「はぁ……」
 常澄がへろへろと砂利の上に座り込む。ヒョコヒョコと近づいてきたソラが、常澄を見下ろして首を傾げた。
「おんぶしてやろっか?」
「うーん……お願いしていい?」
 常澄はぐったりと疲れた様子でそう言う。ソラはこくんと頷いて常澄に背中を向けた。
 岩田たちの後を追って堂に近づく。モーリスは堂の入り口に、今度は意図的に他人を排除するために張られた結界を発見した。
「この中で儀式が行われていると考えるのが妥当ですね」
 セレスティが堂を見上げて言う。真っ黒い堂の天井は、角を切り取られたように平らになっている。
「調整して解体します」
 モーリスは観音開きの入り口に付いた輪を掴んだ。黒い堂の表面に、ぱりぱりと光る亀裂が走る。
 モーリスが輪を離し、パンと手を打ち鳴らす。
 光の亀裂がぱっと砕け散った。
 輪を掴んで引くと、扉があっさりと開く。
 内部には、人形の部屋にあったミニチュアと同様に四角く注連縄が張られていた。
 真っ黒い着物を着た男性が、十人ばかり部屋の中にいた。
 一様に顔の前に黒い布を垂らしている。目の部分に穴があり、そこから注連縄の内側を凝視していた。
 注連縄の中央に、岩田たちが持ってきた女性が横たえられている。その女性と重なるように、赤い着物を着た少女が正座していた。
 少女の首や手足にも、女性同様に縄が巻き付けられている。五方向に伸ばされた縄の先を、男達が握っている。
 女性が目を覚ました。
 どうやら生きていたらしい。飛び起きようとして、首に結ばれた縄の先が岩田に握られていることに気づき、身を捩った。
 少女が目を開く。男達が少女の紐を掴む。
 モーリス達の背後に、何かの気配が立った。
 振り返ると、一人の男性が松明を片手に堂の入り口に立っている。松明のすぐ側に立っていても、熱さは感じない。
 男性は何か叫び、堂の中へと駆け込んだ。
 片手に抜き身の日本刀を持っている。リィンが口笛を吹いた。
 日本刀が振りかざされる。動揺した男達の間に殺到した男性は、少女を結びつけている縄を断ち切る。男達を突き倒しながら、部屋の四隅に立てられた行燈を倒した。
 少女の身体を抱き上げ、松明を一人の男性に投げつける。
 部屋の中を、炎が走った。
「きゃああっ」
 顔を覆ってシュラインが悲鳴を上げる。薄い着物に燃え移った火は、たちまち黒装束の男達の間に燃え広がる。
 熱さは感じなかった。
 男性が少女を抱えて堂から飛び出すのが見える。
 堂の扉が外側から閉じられる。
 突然、足下が真っ暗になった。
 
 ──落ちる──!
 
 何かに掴まる暇もなく、一同は闇の中へと落下した。
 
 × × ×
 
 何か乾いた硬い物の上に落下する。
 それをぼきぼきと折りながら、一同の落下は止まった。
「痛ててて」
 リィンが身体を起こす。天井から、日差しが差し込んできていた。
 見れば辺りは骨の山である。真っ白い骨が何層も重なり合い、砕けていた。
 どの骨も縄が絡みついている。全て小柄で、骨格も華奢な子供のものだろうと判った。
 骨を掻き分け、常澄を引っ張り出す。常澄の身体に押し潰されるようにして、ソラが倒れていた。
「きゃーっ!」
 片隅から悲鳴が上がる。見れば、シュラインが骨を押しのけて起き上がったところだった。
「何なのここ……井戸?」
 天井を仰いで呟く。
「太陽が見える……元の時間に戻ったってことかしら」
 リィンは骨を掻き分けて頷いた。
「床が無かったみたいだな。そのまま踏み込んだから落っこちたんだろうぜ。ほら」
 リィンは床板の残骸らしき物を示す。火災でボロボロになっていた床の上に、岩田ら四人が乗ったことで底が抜けたのだろう。
「あの縄は、首を吊らせるためのものだったんですかね」
 シオンが服から埃を払い落として言う。
「同行させた女性の首を絞めようとして一緒に落っこちて行方不明になったていうわけ? 因果応報ね」
 骨を掻き分けて一同は集まった。北城が骨の中から服を引っ張り出す。
「これが岩田島尾だ」
 白骨化した死体が、服を着たまま埋まっていた。
「で、どうやって出るんだよ」
 常澄がぐったり疲れた様子で言う。
「どうしましょうか」
 セレスティが余り困ってもいなそうな様子で呟く。
「よじ登るか?」
 北城が天井を指差した。堂の床までの高さはおよそ八メートルほどだ。
「ただし、掴まった床がもう一回落ちる可能性は高いだろうな」
「あ」
 壁をぺたぺたと触っていたシオンが声を挙げた。
「ここに亀裂が……風が流れてきているんですが。外に繋がっているかも知れませんよ」
 ごつごつと拳で壁を叩いて言う。リィンが骨を掻き分けてシオンの方へ近づいた。
「はあっ!」
 気合いの声を挙げ、大剣を亀裂に突き立てる。漆喰で埋められた穴が露わになった。
 縦穴の壁よりも大分古い洞窟が、ぽかりと口を開ける。澱んだ風が吹き込んできた。
 獣の唸り声のような音が奥から聞こえてくる。
「何かしら」
 シュラインがひょいと洞窟内を覗き込む。
 真っ黒い縄が、奥から伸びてきた。
 縄はたちまちシュラインの首に絡みつく。シュラインがバランスを崩して横穴に倒れ込んだ。
「シュライン!」
 リィンが手を伸ばす。奥から伸びてきた縄がシュラインの手足に絡みつき、彼女を奥へと引きずり込んでしまう。
「何かいるんですね」
「追うぞ」
 リィンが瞳をきらきらさせて言う。横穴に飛び込んだ。
 真っ暗な横穴を数メートル走ると、不意に視界が開けた。内側で、ちろちろと青白い火が燃えている。
 青白い鬼火を燃やした蝋燭が乱立していた。
 横穴を抜けると広々とした洞穴になっていた。溶けきった蝋燭の頭に鬼火が灯り、洞窟内を照らしている。鬼火が寄り集まって篝火となり、洞窟内は大分明るい。
 二階建ての建物がすっぽりと入るほど広大な空間だった。中央に、四本の牙を生やしたような岩が鎮座している。巨大な鬼の頭のように見えた。
 その岩の牙の中に、シュラインが倒れている。
 岩の奥から、黒い縄が伸びてシュラインの身体に巻き付いていた。
「人魂ッ!!」
 追いかけてきた常澄が鬼火を見て叫ぶ。リィンは常澄を振り返った。
「ついてこなくてもいいぜ。これはオレの見せ場だ」
「骨の中にいるのも嫌だね」
 常澄はそう言いながら鬼火を避けて壁際を歩く。全ての鬼火の中に、童女の顔が浮かんでいた。
「骨の持ち主たちのようですね」
 ゆっくりと追いかけてきたセレスティが言う。
「あの岩が邪魔をしてここから出さないようです。シュラインさんを新しい生け贄だとでも思ったんでしょうかね」
 困ったように言う。
「じゃああの岩をぶっ壊せば、ここから出れるし、このヒトダマたちも解放できるってコトだな」
「大枠では、そんな雰囲気ですね」
 セレスティがそう答える。リィンがぱちんと指を鳴らした。
「あんな岩ぐらいワケないぜ」
 抜き身の大剣をぶら下げて岩に近づく。リィンに向かって黒い縄が伸びてきた。
 軽く剣を一閃し、縄を悉く切り落とす。剣の腹で、トントンと肩を叩いた。
「大昔の地主はビビらせられても、オレはヒモなんかじゃ怖がらないぜ」
 大股で岩に近づき、牙の一本に足を乗せた。
 口の中のシュラインに手を伸ばす。伸びてきた縄を簡単に引きちぎり、シュラインを引っ張り出した。
 シオンがシュラインに駆け寄り、彼女の身体から黒い縄をはぎ取る。うっすらと肌の上に縄目が付いている他は、大した外傷はなさそうだった。
 リィンが大剣を一閃する。四本の牙がへし折れ、鬼の頭の形をした岩が、斜めにずれて崩れ落ちた。
 鬼の頭の後ろに、半ばまで崩れた坑道らしい道がある。坑道を支えていた木製の支柱が所々歪んで崩れかけていた。
 坑道の奥から風が吹き込んでくる。これが外に通じているのだろう。
 リィンが剣を鞘に収めると、低い地鳴りが響いた。
 洞窟が揺れ、天井から土埃と石くれがぱらぱら落ちてくる。シュラインが目を覚ました。
「地震──?」
 首を撫でながら起きあがり、呟く。
「地震を防ぐための人柱──だったのでしょうか」
 セレスティが首を傾げる。蝋燭の先に灯っていた鬼火が、一つ、また一つと坑道に吸い込まれていく。外を目指しているのだ。
「急いで外に出た方がいいんじゃないの? 崩れる気がするんだけど。ここ」
 ソラが天井を指差して言う。シオンがシュラインを背中に負ぶった。
「失礼します」
 モーリスがセレスティの膝に手を入れ、ひょいと抱き上げる。
「しっかり掴まっていて下さい、セレスティ様」
 ソラは常澄の手を引き、一同は徐々に酷くなっていく土埃の中を坑道に潜り込んだ。こちらはこちらで、一度大崩壊が起こった後に掘り返した物らしい。すぐ脇に大きな土塊が落ちてきた。
 ずずず、と地滑りの重い音が響いてくる。斜め上方に向かう坑道を這い上がると、光が見えてきた。
「ごほっごほっ」
 埃を吸い込んだシオンが噎せる。手で擦ると顔が黒くなっているのが判った。
 出口を覆うように映えた雑草を掻き分けると、外へ出た。新鮮な空気が肌に触れる。
 坑道から転げ出ると、背後で支柱が折れる音がした。土埃が内側から吹き出してくる。
 ぐるりと中庭から地下を回って、縄宮邸の裏手にある高台に出たようだ。朽ちかけた縄宮邸から、青白い光が空に登っていくのが見える。
 地鳴りが収まると、北城がすっくと立ち上がった。
「よし。それじゃ急いでもう一回中入るぞ」
「えー!?」
 身体中の埃を払っていた常澄が声を上げる。
「地震収まったじゃねえか。行くなら今だ」
「おやまあ、タフですね」
 モーリスに下ろされたセレスティが、胸ポケットから櫛を取り出して髪の先端を梳いた。
「ふふ、埃だらけになってしまいましたね」
「帰りはヘリを呼びましょう」
 モーリスも髪を手櫛で撫でつける。
「何言ってるんだ。岩田島尾行方不明事件の結果は見届けたが、証拠は潰れちまったんだぞ。不明のままにして記事を書くなら写真は必須! 中身半分も見てないんだぞ。心霊写真を撮るには幽霊がいなくっちゃな」
「物凄い勢いで成仏してるわよね」
「成仏しきるまでが勝負だな。あ、待っててもいいぜ。ご苦労さん。ぐるっと回ったら戻って来るから、車の前でな」
 北城はひらひらと手を振り、猛然と縄宮邸に向けて駆け下りていく。
「お手伝いしますよ〜」
 慌ててシオンが北城の後を追う。片手にしっかりとインスタントカメラを握りしめて。
 無数の鬼火が、閉じこめられていた時間を超えてゆらゆらと空に登っていく。
「……あの人、一人で十分だったんじゃないのかしら。この取材……」
 シュラインは頬に手を当て、深く溜息を吐いた。

-------------------Ending------------------------

 埃を払いながら、早足で車のところへ戻る。とにかく一刻も早く埃を拭って、化粧を直したかった。
 真っ先に車のところまで戻り、中に置いてあったハンドバッグを掴み出す。持参したウェットティッシュで手を拭い、軽く顔も払って鏡を取り出す。
 上着を脱いで化粧を直そうとしたところで、ハンドバッグの中の携帯電話が光っているのを見つけた。
 鏡を覗き込みながら、シュラインは片手で携帯電話を開く。着信が五件。メールが一件。
 全て草間興信所からであり、最後のメールは草間武彦の携帯からだった。
 数年前に扱った依頼に関わる仕事の連絡が入っているらしい。前回の詳細を思い出そうとしたが思い出せなかったらしく、ファイリングしてあるキャビネットをひっくり返してみたが昔の物は分類が判らないと書いてある。
 シュラインは微笑みを浮かべながら、ふうと溜息を吐いた。
「私が何でも覚えてると思って、平気で忘れるんだから。天罰よ、まったくもう」
 シュラインは携帯をハンドバッグの中に放り込み、化粧を直す。連絡しようか考えているウチに、セレスティとモーリスが戻ってきた。
 迷える霊たちが作っていた暗雲が消え、あたりが次第に明るくなっていく。車の中から縄宮邸を眺めると、そこはただの古い廃墟に見えた。
 日が落ちる前に出るというリミットがあるためか、中を散策していたリィン、常澄とソラ、シオンと北城もばらばらと戻ってくる。時計を見ると、縄宮邸の中で振り回されていたのは僅かに二時間ほどだと判った。
「お待たせお待たせ」
 北城が髪をがさがさと掻き回しながら車に乗り込んで来る。助手席に陣取ったシュラインは、彼の顔が埃だらけで真っ黒なのを見かねてウエットティッシュを差し出してやった。
「これはお土産だぜ」
 北城はシュラインに古い形のICレコーダーを差し出す。シュラインが首を傾げると、ウェットティッシュで顔を乱暴に拭いながら言った。
「ノイズが多くて聞き取りずらいが、恐らく岩田島尾たちの誰かが撮ったモンだろうよ。あんたの耳が特別製なのを見込んでだな、テープ起こしを頼みたい」
「お安いご用よ」
 シュラインはICレコーダーの再生ボタンを押す。スピーカーを耳に近づけた。
 確かに酷いノイズだった。女性の喘ぐような不安そうな声が聞こえてくる。他の者には無理かも知れないが、自分なら何とかテキストに直せそうだ。
 シュラインはICレコーダーをハンドバッグの中に押し込む。代わりに携帯を引っ張り出した。
 これから帰る旨と、事務所への到着予定時間、問い合わせのキャビネットの場所と分類方法をメールに打ち込む。送信を確認してから、携帯電話もハンドバッグに押し込んだ。
「彼氏からか?」
 車を発進させた北城が問いかける。シュラインは微笑みを浮かべた。
「ご想像にお任せします」


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3356 / シオン・レ・ハイ / 男性 / 42歳 / びんぼーにん(食住)+α】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
【4017 / 龍ヶ崎・常澄 / 男性 / 21歳 / 悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【4221 / リィン・セルフィス / 男性 / 27歳 / ハンター】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】

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■         ライター通信          ■
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御参加ありがとうございました! 担当ライターの和泉更紗です。
こちら側のミスで納期が遅れてしまいましたことを深くお詫び致します。
大変申し訳ありませんでした。
この納品を最後に、当分の間ライター活動を休止致します。
今までありがとうございました。
楽しんで頂けましたら幸いでございます。