コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幻の和菓子屋を探せ!

【プロローグ】
 ある日の午後のこと。
 瀬名雫は、いつものネットカフェで、珍しい人物に会った。セラピストで友人の妹尾静流である。しかも、どうやら彼は雫を探していたようだ。
「雫さんは、幻花堂(げんかどう)という和菓子屋のことを、ご存知ないですか」
 開口一番、そう訊いて来る。
「幻花堂?」
 聞き覚えのない名前に、思わず首をひねる彼女に、静流は少しだけがっかりした顔をして、その店について話した。
 それによれば、その店は昨年の秋に静流が奈良に行った際、春日大社の近くで見つけたのだという。たいそう雰囲気もよく、菓子は美味で友人たちにも好評だった。
 最近、友人たちの一人が奈良に出かけることになり、乞われて場所を教えた。ところが帰京して言うには、そんな店はどこにもなかったそうなのだ。静流自身も怪訝に思い、電話帳やネットなどで調べたが、どこにもその店の存在を示す手掛かりはなかったという。
 だが、静流はやはり、どうしても気になった。そこで、雫なら何か知っているかもしれないと、ここへ彼女を探してやって来た、というわけだ。
「う〜ん。残念ながら、聞き覚えないなあ。でも、それ、面白そう」
 雫は、もう一度首を捻った後、パッと顔を輝かせる。
「え?」
「そこまでしてもみつからないなら、後は、現地へ行って探すしかないよね。……ということで、あたしも静流ちゃんに協力してあげる。きっと、うちのサイトの掲示板で呼びかけたら、他にも一緒に行きたいって人、一杯いるよ。店探しなら、人数も多い方がいいし。ね?」
「そ、そうですね……」
 雫の強引な論法に、静流は少しだけ引きつった笑いでうなずいた。が、雫はまったく気にしていない。
「よおし、じゃあ、善は急げよね」
 雫はさっそく、目の前のパソコンに自分のサイトの掲示板を表示させ、キーボードを叩き始めた。

【1】
 微妙に色合いの違う紫の花の洪水の中、三雲冴波は道を見失って、呆然と立ち尽くしていた。
(ったく……。なんでこんなことになったのかしら……)
 うっとうしそうに前髪をかき上げて、彼女は胸にぼやく。そもそもは、子供二人と一緒に行動するハメになったのが、間違いのもとだ。
 彼女が今いるのは、春日大社の北西に位置する、神苑――万葉植物園の中にこの時期だけオープンする、藤の園だった。二十数種類の藤の花が一同に集められているというそこは、まさに春日大社が藤原氏の氏神であることを具現化するかのような、見事なものだった。
 だが、どうもここといい、春日大社といい、彼女とは相性が悪いらしい。
 雫の書き込みを読んで興味を持った冴波は、探索行の同行者として名乗りを上げた。理由はむろん、そこの和菓子を食べてみたいからだ。そんな彼女が、なんとなく気になったのは、その店の名前だった。
(幻の花……? 変わった名前だわ。幻のように現れて、消えていく……。特定の時季に現れる、期間限定のお店だったりしてね)
 そんなことを胸に呟きつつ、参加表明と共に彼女が掲示板に書き込んだのは、幻花堂がどんな店だったのか、店員はどんなふうだったのかというようなことだった。
 掲示板には、同じく参加を表明したシュライン・エマも、静流が食べたのは、何をモチーフにした菓子だったのかという質問を書き込んでいた。
 それに対して静流から返って来たレスは、こんなふうだった。
 彼がその店を訪れたのは、昨年の秋のことで、春日大社の傍、若草山に近い側の小道の入り口に、なぜか一枝だけ萩の花が咲いているのを見たのだという。それを不思議に思って小道に足を踏み入れたところが、件(くだん)の和菓子屋を見つけたのだった。店内は、純和風の内装が施されており、応対してくれたのは、二十代半ばぐらいの、和服の女性だったという。そこで彼は、紅葉と萩の花をそれぞれモチーフにした練り切りに、菊の花を象った最中を購入した。
 彼女たちと同じく、参加を表明したセレスティ・カーニンガムの提案で、その後ゴーストネットの掲示板で、幻花堂に関する情報提供を呼びかけてみたところ、数日間でかなりのレスが返った。その全てが、静流と同じ体験をしたというものだった。
 それを総合すると、三つのことが浮かび上がって来た。一つは、幻花堂を訪れた人間には、いくつかの共通項があることだ。店を訪れた時、ほとんどの者が一人旅だった。その中の何人かは、日ごろから霊感が強いと自他共に認める人間で、また何人かは、茶や花のたしなみのある者たちだった。
 二つ目は、幻花堂を見つける前に、かならず季節の花を目にしていることだ。それも、周辺に咲いているものとは種類の違うものが、ポツンと一つだけあるのを見ている。
 三つ目は、二度目に奈良を訪れたのは、彼ら自身ではないということだ。静流の場合と同じく、その時に土産としてそこの和菓子をふるまわれた人間の誰かが行って探して、見つからなかったということらしい。
 つまり、冴波が考えたように、特定の時季だけに現れるということは、ないようだ。ただ、静流が現地へ行って探せば、見つかる可能性もあるかもしれない。
 そんなわけで、彼女たち――冴波、シュライン、セレスティ、そして海原みあおと綾和泉汐耶、静流、雫の七人は、こうして奈良へとやって来たのだった。
 奈良までの移動には、セレスティが大型のバンを提供してくれた。彼の本性は人魚だとかで、そのせいもあって視力と足が弱い。目の方は日常生活にはそれほど支障はないが、足に関しては電車や飛行機、バスなどを利用するのは不便だと考えたのだろう。そして、リンスター財閥総帥である彼には、車を一台提供することなど、なんでもない行為でもあった。
 運転は、静流がした。彼も、車で奈良に行くのは初めてだったようだが、最新のナビゲーションシステムのおかげで、早朝に東京を出発した一同は、昼すぎには無事に、奈良市内へと到着することができた。
 とりあえず昼食を済ませた後、まずは静流の記憶に従って、彼が以前に幻花堂を見つけた場所へ、全員で足を運ぶことになった。
 しかし、そこには和菓子屋らしきものはなく、その近所で聞いて回ってみても、そんな店などないと言う。シュラインなどは、和菓子の材料や、他所で菓子を作っているなら、完成品を運び込んだりするための、車や人の出入りを見かけた者がいるかもしれないと考えていたようだ。が、それもない。
 ただ、この春日大社の周辺の住人の間に伝わっている話を、教えてくれた者がいた。
「大阪に太閤様がいたころのことだそうですが、春日大社の界隈に、幻花堂という和菓子屋があったと言われているんです。その店は、若い夫婦が切り盛りしていて、味も良く、春日大社の参拝客を相手に、それは繁盛していたとか。ところがある夜、盗賊が入って主夫婦は惨殺され、店には火がかけられました。後に残されたのは、幼い娘が一人だけ。身寄りのなかった娘は、住むところもなく、そのままでは飢え死にするしかない状態だったと言います。ところがそれを、春日大社の神々が憐れに思い、招かれた者だけしか訪れることのできない不思議な和菓子の店を作り、娘に両親の作っていた菓子の製法を教えたのだとか。店は四季折々の花のいずれかで客を招くそうですが、その招待を受けない者は、いくら店を探しても無駄だと言われています。……まあ、伝説というかお伽話ですけれどもね」
 その者は、そんなふうに語って、小さく笑ったものだ。
 だが、なんにせよ手掛かりはそれぐらいだった。
 そこで彼らは、手分けして幻花堂への入り口を探すことにした。
 冴波としては、雫以外は初対面の人間ばかりなので、探索するなら一人で……というつもりだった。風の精霊たちにも幻花堂のことを訊いてみるつもりだったし、必要ならば精霊たちに探すのを手伝ってもらってもいいとも、思っていた。
 ところが、雫が強引に一緒に行こうと誘いに来たのだ。しかも、雫だけならまだしも、みあおも一緒である。
 みあおは、直ぐな銀髪と大きな銀色の目の、小柄で愛らしい少女だった。だが、どう見ても小学生にしか見えないし――雫の話では、本当は十三歳だが、事情があって今は小学校一年生なのだという。その上、遠足か何かと勘違いしているのか、背負ったリュックの中は、スナック菓子の袋とバナナ、ジュースで一杯だ。しかも、デジカメまで持参している。
 ヘラヘラした男とねじくれたガキが嫌いな彼女は、みあおにもなんとなく苦手意識を感じていた。けして彼女がねじれた性格だとは思わないものの、逆に天真爛漫すぎて引いてしまうのだ。雫も、時に傍若無人なところがあって、こんな二人と一緒に行動するのかと思うと、どうにも溜息を禁じえなかった。
 それでも彼女は、二人に半ば引きずられるようにして、春日大社へ向かった。
 ところが、幸か不幸か、その本殿まで来たところが、どういうわけか、彼女はそこから先へ進むことができなくなってしまったのである。目に見える形では、何もない。普通に道が続いており、他の参拝客はもとより、みあおと雫も平気で進んで行く。それなのに、彼女だけがまるで、そこに壁があって行く手を阻まれているかのように、その先へ行くことができないのだ。
 みあおと雫も、最初はどうにかして彼女を連れて行こうとしていたものの、結局あきらめて、本殿へは二人だけで行くことにして、立ち去った。
 おかげでようやく一人きりになれて、冴波はホッと溜息をついたものだ。
 とりあえず、今のうちにと、風の精霊とコンタクトを取る。だが、彼らが教えてくれたのは、静流が前に幻花堂に行き逢ったという場所の近くの住人が言っていた、秀吉の時代に実在したという和菓子屋の悲劇と、その娘に関する伝説だけだった。
(でも、風の精霊たちが知っているということは、真実に近い話だということじゃないかしら)
 ふと胸に呟いて、冴波は考え込む。
 これらの話に共通なのは、季節の花が客を招くという部分だ。
(つまり、客として招きたい相手に、季節の花を見せているのかしら。それとも、逆にそれを見ることのできた者だけが、幻花堂の客になれるのかしら)
 静流や、掲示板で答えてくれた者たちの書き込みを思えば、前者が正しい気もする。伝説も、前者を支持しているようだ。
 だが、そこまで考えて、彼女は思考を中断させられた。みあおと雫が戻って来たのだ。
「ねぇねぇ、雫。写真撮って。みあお、冴波と一緒の写真撮ってないもん。だから」
 戻って来るなり、みあおがそう言い出して、彼女は半ば無理矢理、みあおと雫それぞれと一緒の写真を撮られた後、更に通りがかりの人に頼んで、三人一緒のところまで撮ってもらうという仕儀に及んだ。
 それだけで冴波は、すでにどっと疲れてしまったものだが、みあおが神苑の中の藤の園へ行こうと言い出し、更にうんざりとする。
「うん、そうだね。季節の花が、幻花堂を見つける鍵になってるなら、今って藤の盛りだし、それが一杯あるとこなんて、いいかも」
 雫が、そんなことを言ったので、それでもなんとか気を取り直し、こうして藤の園へ入ったのだが……冴波は二人とはぐれて、道に迷ってしまったのだ。
(だいたい、どうやったらこんな所で、道に迷うのよ)
 自分で自分に呆れながら、彼女は再び前髪をかき上げ、深い溜息をつくのだった。

【2】
 とにかく、途方にくれていてもしかたがないと自分に言い聞かせ、冴波はあたりを見回した。周囲は至る所、藤の花だらけである。といっても、ちゃんと観覧のための道は設けられており、順路らしいものもある。小学生どころか、幼稚園児でさえ、ここで迷うことはないだろう。
(つまり、迷ったのには、訳があるということね)
 頭の中で考えを巡らせながら、改めて先程の本殿へ入れなかった件にも思いを馳せた。
(幻花堂への道を、誰かが教えようとしているの? それとも逆に、私たちが幻花堂に近づくことを、阻んでいる……とか?)
 だが、どちらにしても結論を出すには、情報が少なすぎる気がする。
 実をいえば、彼女が本殿に入れなかったのは、彼女が体内に買っている蟲とここに祀られている神々との相性の問題にすぎなかった。だが、冴波当人は、自分の体内にそんなものがいることを、まったく知らないでいる。そのため、これもまた今回の件に関係があるのだと、思い込んでしまっていた。
(まあいいわ。ともかく、風を呼んで、正しい道を探してもらいましょう)
 結局、そう決めて彼女は風を呼ぶ。ゆるやかに、彼女の髪や衣服の裾を揺らして、風が彼女の周囲を取り巻き、包み込んだ。それらに運ばれるようにして、彼女は歩き出す。
 なんだか、迷路のような道だった。みあおたちはもとより、他の観光客の姿もまったく見えない。そのことに、かすかな不審を抱きつつも、彼女はただ風に促されるままに、歩いて行った。
 やがて、ふいに道が開けた。小さな広場のようになった場所に、一際見事な藤が雪崩を打つように花開いている。ほのかに淡い紫を花弁の端ににじませた、なんとも上品な花の群れは、どこか泡立つ滝のようにも見えた。しかし、その中に。たった一つだけ濃い、燃え盛る炎のような色を宿したものがある。風が、何かを教えようとするかのように、その炎の房を揺らして舞った。
『扉……』
 ふいに、冴波の頭の中に、そんな言葉が落ちて来る。
「何? 今の?」
 彼女は、思わず顔をしかめて呟いた。風の精霊の声のような、そうではないような。正体のわからない声は、彼女を訳もなく苛立たせ、おちつかなくさせる。それでも、その言葉について考えてみようとした時だ。
「冴波ってば、こんな所にいたのね!」
 明るいみあおの声が響いて、彼女の思考は破られた。バタバタと賑やかな足音を立てて、みあおと雫が駆け寄って来た。
「急にいなくなるから、心配したよ?」
「あ……。ごめん」
 雫に言われて、冴波は思わず謝る。
「いいって。見つかったんだから、気にしてないって。……それより、ねぇ。これって、幻花堂への扉じゃないかな」
 雫は言って、一つだけ色の違う藤の花を見上げた。
「え?」
 驚いて目を見張る冴波に、みあおも賛同の声を上げる。
「そうかもしれないね。だって、静流の話と似てるじゃない? 全部藤だけど、でも一つだけ色が違うもの」
「うん。ここの藤は、色や種類によって、同じ所に植えられてるよね。さっきから見て来た中でも、こんなふうに一つだけ色の違うのってなかったし。たぶんあれ、種類も違うよ。花の形とかが、微妙に違うじゃない?」
 雫がうなずいて、続けた。
「あ……。そう言われてみれば……」
 冴波もようやく気づいて、うなずく。
「じゃあ、こっからどこかへ行ってみようよ。そしたらきっと、運良く幻花堂へたどり着くよ!」
 みあおが、目を輝かせて提案した。しかし冴波は、思わず顔をしかめる。
「ここから、どこへ行くって言うの。あんたたちは、そっちの道から来たんじゃないの? 私は、こっちから来たのよ。どっちへ行ったって、この園の中を巡るだけだわ」
 幾分つっけんどんな口調で、彼女は言った。
「あ、そっかぁ……」
 言われて初めて気づいたのか、みあおは声を上げ、考え込むように天井を睨む。だが、すぐに顔を輝かせた。
「それなら、真っ直ぐ進めばいいんだよ!」
「真っ直ぐって……」
 冴波は、まじまじと彼女の顔を見やった後、正面に立つ藤の木を見詰める。
「大丈夫。幻花堂はあの一つだけ違う藤の花の向こうに、きっとあるの」
 いったい、どこにそんな根拠があるのか、自信たっぷりに言うと、みあおはそちらへ向かい始めた。
「待ってよ、みあおちゃん!」
 慌てて雫が後を追う。
「ち、ちょっと……!」
 あまりにばかばかしい言いように、呆然としていた冴波だが、雫までが動き始めては、放っておくわけにもいかない。止めようと手をさしのべて、さすがにあんぐりと口を開けてしまった。
 まるで暖簾でもくぐるようにして、みあおの体があの炎のような濃い紫の藤の花の下に、消えてしまったのだ。続いて雫の体も消える。
「まさか……! 嘘でしょう……?」
 思わず呟いたものの、一人でここに残るつもりはない。彼女もまた、そちらに歩み寄ると、炎のような藤の花をくぐった。

【3】
 次の瞬間、冴波は和菓子屋の店内と思しい場所に立っていた。隣には、先に消えたはずのみあおと雫が立っている。そして、目の前のカウンターの中には、二十代半ばと見える和服の女性が立っていた。着物は藤の花の柄で、純和風の内装が施された店内には、藤の花の意匠や飾りが見える。
「いらっしゃいませ、ようこそ。ここに二度来られるお客様は珍しいですが、その方に連れられて来られるとは、更に珍しゅうございます。標(しるべ)を示させていただきましたが……来られてよろしゅうございました」
 女性は、三人に向かって頭を下げた。それから、奥を示す。
「さ、あちらへどうぞ。お連れの方のうちのお二人は、すでに来ておいでになりますよ。他の方々も、いずれはお見えになりましょうから、奥でお待ちいただけばよろしいかと」
「他のって……」
 驚いて問い返そうとする冴波に、横からみあおが声を上げた。
「すごい! みあおたち、ちゃんと来れたのね! ここは、幻花堂ね?」
「はい、そうでございますよ」
 女性は、微笑んでうなずく。
「普通は、こうしたことはいたしませんが、みなさんがあまりに熱心でしたので。でも、標に気づくことができなかったり、当店との相性が合わねば、結局はここを見つけることは、かないませんが。……おそらく、残りの方々も心配はございませんでしょう。……あ、申し遅れましたが、私は当店の主、藤野と申します」
 言って女性は、最後に名乗って、深々と頭を下げた。
 冴波たち三人は、思わず顔を見合わせる。藤野の言う標とは、あの色の違う藤の花のことだろうか。
(つまり、あの子の無謀な行動が、正解だったってこと?)
 冴波は、胸に呟いて、なんとなく理不尽な気持ちに襲われる。まったく現実的でない行動なのに、それが正しいという事実を受け入れることに、少しだけ抵抗があったのだ。
 だが、そんな彼女の気も知らず、みあおと雫は、手と手を打ち合わせて喜んでいる。
 その様子を、微笑みながら眺めていた藤野が、再度彼らを奥に行くよう促し、先に立った。三人は再び顔を見合わせたものの、その後に続く。
 店の奥は、茶室になっていた。喫茶店ならば、併設されている菓子屋を見かけるが、茶室というのは、珍しかった。
 中には、まるで彼女たちが来ることがわかっていたかのように、七人分の座布団が並べられ、床の間には春の野を描いた掛け軸が飾られていた。そして、藤の花と馬酔木が生けられている。
 茶室には、藤野の言ったとおり、すでにシュライン・エマと静流の二人が来ていた。
 シュラインは、冴波より一つ下だという。長い黒髪を後ろで一つに束ね、すらりとした長身の体には、涼しげな青いパンツルックをまとっている。胸元には、鎖で吊るされたメガネが下がっていた。
「シュライン、静流! 来てたんだ?」
 彼女の姿を見るなり、声を上げたのは、みあおだった。
「ええ、なんとかね。歩き回って、疲れたんじゃない?」
 シュラインが、青い瞳をそちらに向けて、尋ねる。
「ううん、ちっとも」
 みあおはかぶりをふって、彼女の隣に腰を下ろした。
「楽しかったよね」
 雫も言って、こちらはみあおの向かい、静流の隣に座る。
 そんな彼女たちのやりとりに、冴波はなぜかどっと疲れが襲って来て、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。もしかしたら、これでやっと、みあおと雫から解放されると思ったからかもしれない。さほど長い時間ではなかったのに、彼女は自分が二人のパワーにすっかり圧倒されていたことに、今更ながらに気づいていた。
 その彼女に、シュラインが水を向けて来る。
「三雲さんも、座ったら? この二人のお供じゃ、疲れたでしょ?」
 ええ、そのとおりよと返してやりたかったが、それもあまりに大人げないと感じて、冴波は答えた。
「いえ、そうでもないわ。……けっこう楽しかったし」
 そして、みあおの隣に腰を下ろす。
 しかし、それは誰の目にもちっとも楽しそうには映らなかったらしく、シュラインは小声で何があったのかとみあおに訊いている。
「よくわかんないんだけど、春日大社の本殿に入れなかったの。藤の園では、みあおたちとはぐれちゃうし……なんか、あの神社と相性よくないみたい」
 みあおが、小声で返しているのが聞こえた。シュラインが、驚いたようにこちらを見ているのもわかったが、冴波は気づかないふりを決め込む。あまり、自分のことを詮索されたくなかった。
 そこへ、藤野が姿を現した。セレスティ・カーニンガムと綾和泉汐耶の二人も一緒だ。
 セレスティは、長く伸ばした銀髪と青い目の、女性かと見まごうほどの美貌の持ち主である。二十代半ばとも見えるが、人魚である彼は、実際には七百年以上を生きていた。今回の旅では、車で来たこともあって、ずっと車椅子を利用していた。が、今は汐耶の腕に支えられている。
 一方の汐耶は、女性にしては背が高く、しかもスレンダーな体型にパンツルックをまとっているため、青年のように見えた。短くした黒い髪と青い目、銀縁の伊達メガネが、更にそれを助長すると共に、知的な印象を与えている。ちなみに、彼女は都立図書館の司書だ。
 彼女は、セレスティが雫の隣に座るのに手を貸すと、自分もその隣に正座した。
 そこへ、全員がそろうのを見計らったように、藤野がお茶の支度をして、入って来た。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。本日は、お茶と当店の菓子をお楽しみ下さいませ」
 正面に座すと深々と一礼し、丁寧にしかし慣れた手つきで、お茶を立て始める。
 やがて、それぞれにお茶が行き渡り、小さな漆塗りの器に盛られた和菓子が配られた。菓子は、藤をモチーフにした練り切りで、器と揃いの楊枝が添えられている。
「どうぞ」
 藤野に軽く促され、一礼して一同は茶器を手にした。冴波も作法どおりの手順を踏んで、お茶に口をつける。それから、さっそく菓子を一切れ、口にする。ほのかな甘みと、かすかな酸味が口の中に広がった。
(……なんて味なのかしら。美味しい……)
 彼女が思わず胸に呟いた時、シュラインの口からも、同じような呟きが漏れた。
「美味しい……!」
 だが、それは彼女だけではない。
「ほんとに美味しい。……どうしたら、こんな味が出せるのかしら……」
「甘すぎないし、さわやかで、お茶にとっても合うね」
 汐耶とみあおが、半ば陶然と声を上げるのが聞こえる。
「お口に合ったようで、うれしゅうございます」
 微笑んで言う藤野に、セレスティが尋ねた。
「他には、どんなものがあるのですか?」
「今でしたら、季節ですから、柏餅や粽(ちまき)、水餅がございます。練り切りは他に、馬酔木をモチーフにしたものと、あやめをモチーフにしたものが」
 答えて、藤野は問い返した。
「よろしかったら、そちらもお持ちしましょうか?」
「ええ、ぜひ」
 セレスティが大きくうなずく。
「あたしも他のを味見してみたいな」
「みあおも!」
 雫が言うのへ、みあおも元気よく声を上げた。
「わかりました。少々お待ち下さい」
 小さく微笑み、藤野は立って茶室を出て行く。
 ややあって、彼女は先程紹介したものを、それぞれ小皿に盛り付け、運んで来た。
「わあっ!」
 みあおと雫が、小さな歓声を上げて、目を輝かせる。
 柏餅と粽は、どこの店でも見かけるような外観だったが、水餅は中がうぐいす餡で、しかも葛で作られた餅の部分には、鮮やかな紅色のつつじの花びらが浮いていた。みあおと雫は、ためらいもなくその目にも美しい水餅を取る。
 セレスティは、馬酔木をモチーフにした練り切りを、静流は粽を、汐耶はみあおたちと同じく水餅を取った。シュラインは、少し迷って柏餅を取る。冴波は、静流と同じく粽を手にした。考えてみれば、粽を食べるのはずいぶんと久しぶりだ。家族と一緒にくらしていたころは、三歳年下の弟がいるためか、子供の日には粽が並んだものだが、一人ぐらしになってからは、わざわざそんなものを買って食べる習慣もなくなっていた。
 久しぶりに口にしたそれは、どこか懐かしい味がした。そのくせ、今まで食べたことのあるどの粽よりも、芳ばしくやわらかく、ほどよい甘みがある。
(不思議ね。今まで食べたどの粽よりも美味しいのに、なんだか懐かしくて……癖になりそうだわ……)
 思わず胸に呟いて、彼女はじっくりと味わうようにそれを噛みしめた。
 茶室には、しばしの間、沈黙が満ちた。美味しいものを食べる時には、誰もが無口になる、というのは本当らしい。
「いかがでござましょう?」
「どれも、素晴らしいですね」
 藤野に問われて、粽の後に水餅に手を伸ばした静流が、溜息と共に彼らを代表するように答えた。
「こうやって、探してまで訪れた甲斐がありました」
「ありがとうございます」
 藤野が、微笑みながら礼を言う。それを見やりながら冴波は、心の中で大きくうなずき、静流に賛同の意を示していた。

【4】
 やがて冴波たちは、それぞれに賞味した菓子のいくつかを購入し、幾分名残惜しいながらも、幻花堂を後にした。
 店を出た彼女たちが立っていたのは、どういうわけか春日大社の二の鳥居の傍だった。そこから、バンを置いた春日大社の駐車場までは、さほど遠くない。
(私たちに便利なように、配慮してくれた……ということ?)
 冴波は胸の中で小さく首をかしげつつ、仲間たちと共に駐車場へと歩き始める。あたりはすでに夕暮れが近くなり、それもあってか、誰もが無口だった。
(なんだか不思議な店だったわね)
 冴波も、ただ黙って足を運びながら、ふと胸に呟く。
 藤野が語ったところでは、彼女たちが最初に付近の住民から聞いた話も、ただの伝説やお伽話ではなかったらしい。幻花堂は、神々がただ一人残された和菓子屋夫婦の娘を生かすために作り、守るために特別な呪(しゅ)をかけた場所だったのだ。そして、その呪というのが、招かれた人間だけを呼ぶ力、だったのだろう。
(つまり、幻花堂の方が客を選んで、道を教えるために、季節の花ではあっても、そこに咲いているはずのない花を見せていた……というわけね。つまり、私たちの見たあの炎のような色の藤の花は、藤野さんの言う標だったわけだわ。でも……)
 冴波は気づいて、胸の中でうなずいたものの、ふと眉をひそめた。
(春日大社の本殿に私だけが入れなかったり、藤の園で道に迷ったりしたのも、その標の一端だったのかしら? それに、あの声……。あれは、風の囁きのようにも思えたけれど……あれも、藤野さんが示してくれたもの?)
 考えを巡らせながら、冴波は無意識に前髪をかき上げる。風に囁きを乗せたのは、藤野のしたことだったが、その他のことは冴波の体内にいる蟲のせいだ。だが、それを知らない彼女は、なんとはない違和感を覚えながらも、ただ首を捻るしかない。
 そうしながら彼女は、改めて藤野のことに思いを馳せる。
 話を聞けば、藤野こそがその和菓子屋夫婦の娘だと、誰もが思うに違いない。冴波もそう思ったし、他の仲間たちも同じように考えたようだ。
 だが、違っていた。
「その娘は、あなたではないんですか?」
 話を聞き終えた後、尋ねた静流に、藤野は小さくかぶりをふったのだ。
「いいえ。私は、春日大社の神々にここを任された者の一人です。神々は、娘の時を止めたかったようですが、これ以上自然の理にそむくことは、さすがにできなかったとみえます。ただ、娘のいた証として、この店を残したかったのでしょう。それゆえ、時にここを訪れた者が、私のように主を任されます」
 言って彼女は、小さく笑った。
「私も、いずれは後継者を選ばねばなりません」
 その言葉と笑いを思い出し、冴波は薄く皮肉な笑みを口元に掃く。
(客の相手をする以外は、ずっとあの不思議な空間で、一人きりなのかしら……。もしそうだとしたら、特異な力を隠す必要もなく、他人とのわずらわしい関係も持つ必要はなくて、案外楽かもしれないわね)
 ふと胸に呟いてみるものの、あんな味の菓子を、教えられたからといって自分が作れるようになるとは思えず、なにより、結局はそのわずらわしいはずの人間関係が恋しくなりそうだと感じて、苦笑する。
 やがて駐車場に到着した彼女たちは、バンに乗り込むと、今夜の宿へと向かった。宿の手配は汐耶がしてくれていた。彼女の行きつけの宿だとかで、春日大社などのある観光スポットからは、南に少しはずれた場所にあり、周囲は黒い塀に囲まれた古い家並の続く、静かな住宅街である。
 彼女たちが着いた時には、日が落ち始めており、チェックイン後ほどなく夕食となった。部屋は、女五人に男二人なので、冴波たち女性陣は部屋割りをする必要がある。ロビーで、雫の作ったくじで決めることになり、ひとしきり賑わった後、冴波は汐耶、雫の二人と同室になった。といっても、夕食後は全員が彼女たちの部屋に集まって来て、昼間のことを話したり、明日の予定を決めたりして、それなりに遅くまで起きていたのだけれども。

【エピローグ】
 翌日は、宿で朝食をもらい、チェックアウトすると再び春日大社付近まで車で戻った。午前中一杯を、そのあたりの散策と、周辺に並ぶ神社仏閣の参拝などで費やす。奈良公園や、東大寺、春日大社の付近には、どこにも鹿がのんびりと歩いていて、冴波も思わず顔がほころぶのを感じた。
 みあおは、せっせとデジカメでそんな鹿たちや、同行者たちを撮影し、セレスティと雫は売店で鹿せんべいを買っては、おっかなびっくり鹿たちに差し出す。どの鹿も、人慣れているせいか、差し出されたせんべいをゆったりと食んでいた。中には、途中まで食べて、ぷいと頭をそむけてしまう鹿もいる。その仕草がおかしいのか、シュラインが声を立てて笑い出した。冴波と汐耶、静流もそれぞれに売店を覗いたり、あたりの景観を眺めたりして過ごす。
 昼食は、奈良公園で弁当を食べようということになり、冴波は静流と共に近鉄奈良駅の周辺に広がる商店街まで、買いに出かけた。天気がいいこともあって、奈良公園の中には、あちこちで同じように弁当を広げているグループがいくつかある。
 午後は、汐耶と静流は古書店巡りをするのだと言って出かけて行き、残された面々はそれぞれに土産物店などを巡った。冴波も少しだけそうした店を覗き、職場に配る分として、青丹よしをいくつか買った。その後は、ひんやりした空気が気持ちよくて、興福寺の国宝館に入り、いくつかの仏像らを前にぼんやりと過ごす。他の観光客はさほど多くなく、仲間たちの姿もなくて、彼女は少しだけホッと息をつける感じがしたものだ。
 そして、午後遅く。再び合流した一同は、来た時と同じく静流の運転するバンで東京への帰途に着いた。
(いろいろあったけど……幻花堂のお菓子は思っていた以上に美味しかったわ。また行きたいと思うけど……たぶんそれは無理なんでしょうね。きっと、今回のことは、特別だったんだわ)
 冴波は、シートに身を預けてそんなことを思う。心地よい満足感と同時に、疲れも襲って来ていた。当人は、みあおと雫に引っ張りまわされたためだと思っている。が、実際はどうやら、春日大社の神々と蟲の相性がよくなかったことが、思いのほか彼女の心身を疲弊させているようだ。
(ああ……眠い……)
 抗いがたい睡魔が襲って来て、彼女はまぶたを閉じる。幸い、助手席に座らせてもらったので、眠りを誰かに邪魔されることもない。
 後ろの座席では、みあおと雫が賑やかにおしゃべりを繰り広げ、セレスティと汐耶も何事か楽しげに話しているようだ。静流も運転しながら、それに加わっている。シュラインだけが考え事でもしているのか、静かだったが、冴波にはそうしたことを細々と考えている余裕はもうなかった。
 ただ、全ての音が意識の外を流れるざわめきへと変わり、そして彼女は深い眠りへと落ちて行った――。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4424/ 三雲冴波/ 女性/ 27歳/ 事務員】
【1415/ 海原みあお/ 女性/ 13歳/ 小学生】
【1449/ 綾和泉汐耶/ 女性/ 23歳/ 都立図書館司書】
【0086/ シュライン・エマ/ 女性/ 26歳/ 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/ セレスティ・カーニンガム/ 男性/ 725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

●三雲冴波さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
大人のメンバーと行動するより、かえって面白いかな? と思い、
今回は、海原みあおさま、瀬名雫の二人と行動を共にしていただきましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。