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幻の和菓子屋を探せ!
【プロローグ】
ある日の午後のこと。
瀬名雫は、いつものネットカフェで、珍しい人物に会った。セラピストで友人の妹尾静流である。しかも、どうやら彼は雫を探していたようだ。
「雫さんは、幻花堂(げんかどう)という和菓子屋のことを、ご存知ないですか」
開口一番、そう訊いて来る。
「幻花堂?」
聞き覚えのない名前に、思わず首をひねる彼女に、静流は少しだけがっかりした顔をして、その店について話した。
それによれば、その店は昨年の秋に静流が奈良に行った際、春日大社の近くで見つけたのだという。たいそう雰囲気もよく、菓子は美味で友人たちにも好評だった。
最近、友人たちの一人が奈良に出かけることになり、乞われて場所を教えた。ところが帰京して言うには、そんな店はどこにもなかったそうなのだ。静流自身も怪訝に思い、電話帳やネットなどで調べたが、どこにもその店の存在を示す手掛かりはなかったという。
だが、静流はやはり、どうしても気になった。そこで、雫なら何か知っているかもしれないと、ここへ彼女を探してやって来た、というわけだ。
「う〜ん。残念ながら、聞き覚えないなあ。でも、それ、面白そう」
雫は、もう一度首を捻った後、パッと顔を輝かせる。
「え?」
「そこまでしてもみつからないなら、後は、現地へ行って探すしかないよね。……ということで、あたしも静流ちゃんに協力してあげる。きっと、うちのサイトの掲示板で呼びかけたら、他にも一緒に行きたいって人、一杯いるよ。店探しなら、人数も多い方がいいし。ね?」
「そ、そうですね……」
雫の強引な論法に、静流は少しだけ引きつった笑いでうなずいた。が、雫はまったく気にしていない。
「よおし、じゃあ、善は急げよね」
雫はさっそく、目の前のパソコンに自分のサイトの掲示板を表示させ、キーボードを叩き始めた。
【1】
微妙に色合いの違う藤の花の洪水の中、海原みあおは、あたりをせわしなく見回していた。
「冴波ったら、どこ行っちゃったんだろ」
思わず呟き、小首をかしげる。直ぐな銀髪がさらりと音を立てて、片方に流れた。
「みあおちゃん、いた?」
そこへ、瀬名雫が駆け寄って来る。
「ううん。雫の方は?」
かぶりをふって問い返すみあおに、雫も首を横にふった。それを見て、彼女は思わず溜息をつく。
「冴波、道に迷っちゃったのかなあ……」
「どうかな。ここって、そんな複雑じゃないと思うけど……」
雫も考え込むように呟いた。
二人が今いるのは、春日大社の北西に位置する、神苑――万葉植物園の中にこの時期だけオープンする、藤の園だった。二十数種類の藤の花が一同に集められているというそこは、まさに春日大社が藤原氏の氏神であることを具現化するかのような、見事なものだった。
雫の書き込みを読んで興味を持ったみあおは、探索行の同行者として名乗りを上げた。理由はむろん、幻花堂の菓子を食べてみたいからだ。
(単純に考えれば、選ばれた人だけが行けるお店か、時季があるのか……。和菓子って、季節ものとかあるものね。……あとは、噂くらいにはなっているだろうから、ネットで調べてみるかな。あ、春日大社のこともよく知らないから、そっちも調べてみる必要、あるかなあ……)
そんなことを考えつつ、ゴーストネットの掲示板に参加表明のレスをした彼女だった。
ちなみに、掲示板にはシュライン・エマと三雲冴波からの、幻花堂に関する静流への質問も寄せられていた。静流が幻花堂で買った菓子のことと、店内や店員の様子を尋ねる内容だ。
それに対して静流は、こんなレスを返していた。
彼がその店を訪れたのは、昨年の秋のことで、春日大社の傍、若草山に近い側の小道の入り口に、なぜか一枝だけ萩の花が咲いているのを見たのだという。それを不思議に思って小道に足を踏み入れたところが、件(くだん)の和菓子屋を見つけたのだった。店内は、純和風の内装が施されており、応対してくれたのは、二十代半ばぐらいの、和服の女性だったという。そこで彼は、紅葉と萩の花をそれぞれモチーフにした練り切りに、菊の花を象った最中を購入した。
彼女たちと同じく、参加を表明したセレスティ・カーニンガムの提案で、その後ゴーストネットの掲示板で、幻花堂に関する情報提供を呼びかけてみたところ、数日間でかなりのレスが返った。その全てが、静流と同じ体験をしたというものだった。
それを総合すると、三つのことが浮かび上がって来た。一つは、幻花堂を訪れた人間には、いくつかの共通項があることだ。店を訪れた時、ほとんどの者が一人旅だった。その中の何人かは、日ごろから霊感が強いと自他共に認める人間で、また何人かは、茶や花のたしなみのある者たちだった。
二つ目は、幻花堂を見つける前に、かならず季節の花を目にしていることだ。それも、周辺に咲いているものとは種類の違うものが、ポツンと一つだけあるのを見ている。
三つ目は、二度目に奈良を訪れたのは、彼ら自身ではないということだ。静流の場合と同じく、その時に土産としてそこの和菓子をふるまわれた人間の誰かが行って探して、見つからなかったということらしい。
つまり、幻花堂に行ける時季が限定されているわけでは、ないようだ。そして、静流が現地へ行って探せば、見つかる可能性もあるかもしれない。
そんなわけで、彼女たち――みあお、シュライン、セレスティ、冴波、そして綾和泉汐耶、静流、雫の七人は、こうして奈良へとやって来たのだった。
奈良までの移動には、セレスティが大型のバンを提供してくれた。彼の本性は人魚だとかで、そのせいもあって視力と足が弱い。目の方は日常生活にはそれほど支障はないが、足に関しては電車や飛行機、バスなどを利用するのは不便だと考えたのだろう。そして、リンスター財閥総帥である彼には、車を一台提供することなど、なんでもない行為でもあった。
運転は、静流がした。彼も、車で奈良に行くのは初めてだったようだが、最新のナビゲーションシステムのおかげで、早朝に東京を出発した一同は、昼すぎには無事に、奈良市内へと到着することができた。
とりあえず昼食を済ませた後、まずは静流の記憶に従って、彼が以前に幻花堂を見つけた場所へ、全員で足を運ぶことになった。
しかし、そこには和菓子屋らしきものはなく、その近所で聞いて回ってみても、そんな店などないと言う。シュラインなどは、和菓子の材料や、他所で菓子を作っているなら、完成品を運び込んだりするための、車や人の出入りを見かけた者がいるかもしれないと考えていたようだ。が、それもない。
ただ、この春日大社の周辺の住人の間に伝わっている話を、教えてくれた者がいた。
「大阪に太閤様がいたころのことだそうですが、春日大社の界隈に、幻花堂という和菓子屋があったと言われているんです。その店は、若い夫婦が切り盛りしていて、味も良く、春日大社の参拝客を相手に、それは繁盛していたとか。ところがある夜、盗賊が入って主夫婦は惨殺され、店には火がかけられました。後に残されたのは、幼い娘が一人だけ。身寄りのなかった娘は、住むところもなく、そのままでは飢え死にするしかない状態だったと言います。ところがそれを、春日大社の神々が憐れに思い、招かれた者だけしか訪れることのできない不思議な和菓子の店を作り、娘に両親の作っていた菓子の製法を教えたのだとか。店は四季折々の花のいずれかで客を招くそうですが、その招待を受けない者は、いくら店を探しても無駄だと言われています。……まあ、伝説というかお伽話ですけれどもね」
その者は、そんなふうに語って、小さく笑ったものだ。
だが、なんにせよ手掛かりはそれぐらいだった。
そこで彼らは、手分けして幻花堂への入り口を探すことにした。
みあおは、とりあえず雫と一緒に回るつもりだった。セレスティや汐耶とも友人だったが、遠足気分で菓子やジュース、バナナまで持参して来ている彼女は、とりあえず年の近い雫と回るのが、一番楽しそうだと判断したのだ。
もちろん、幻花堂を探すのも真剣にやるつもりだが、天気はいいし、あたりには緑に包まれた広い公園や芝生、池などがいくつもある。来る前にネットで調べたところでは、春日大社も境内は広いし、建物はきれいだし、しかも今がちょうど盛りの藤がたくさん咲いているという。ちゃっかり、観光用のマップまでダウンロードして印刷し、仲間たちに配ったりもしていたから、当然ただ探すだけではなく、そうしたところを回りたくもあったのだ。
そんな彼女に雫は、冴波も誘おうと提案した。
三雲冴波は、みあおからすれば、十以上も年上のお姉さんだった。とある建築系の会社で事務員をしているという。セミロングにした茶色の髪と、きつい黒い目をした、ちょっと近寄りがたい雰囲気の女性だ。今回、同行した者たちの中では完全に初対面の人間で、それだけに、みあおもどんな人なのか、興味はあった。
なので、雫の提案にあっさり乗る。
もっとも、誘われた冴波当人は、二人の強引さと元気さに引いている部分もあったのだが、みあおはそんなことになど、まったく頓着してはいなかった。
そんなわけで彼女と雫は、冴波を引きずるようにして、まずは春日大社へと向かった。
ところが、どうしたことか、本殿まで来たところで、冴波がそこから先に進めなくなってしまったのだ。目に見える形では、何もない。普通に道が続いており、他の参拝客はもとより、みあおと雫も先に進むのになんの支障もなかった。だのに、冴波だけが、まるでそこに壁があって、行く手を阻まれているかのように、先へ進めないのだ。
みあおと雫は、最初はどうにかして彼女を連れて行こうとしたのだが、結局あきらめざるを得なかった。そこで二人は、冴波を残して、本殿へと向かった。
春日大社は、奈良時代の初期に藤原氏によってタケミカヅチノミコトが勧請され、その後もいくつかの神々が勧請されて、平安時代に現在の形になったのだという。一般的に「春日大社」と呼ばれるのは、本殿を中心としたその周辺の建物群だが、実際の境内は広く、奈良公園から若草山の麓近くまでが含まれているようだ。
みあおは、雫と共にとりあえず本殿に参拝した後、巫女さんやら宮司やらをつかまえて、幻花堂について噂だけでも知らないかと、聞き込みを敢行した。けっこうな人数に聞いたのだが、結局得られたのは、秀吉の時代に実在したという和菓子屋の悲劇と、その娘に関するあの伝説だけだった。
「あんまり、めぼしい情報はなかったね」
少しがっかりしたように言う雫に、みあおは笑う。
「そうだね。でもさ、あの伝説がけっこう有名だってことは、わかったじゃない? 有名だってことは、本当にあったことかもしれないし、それに共通点は花だと思うな」
「花?」
「うん。伝説も、静流も、掲示板に情報くれた人たちも、みんな花を見た後に、幻花堂を見つけてるよね。だからきっと、選ばれた人だけがいけるお店なんじゃないかな。その時に見た花は、招待状がわり……かな」
問い返す雫にうなずいて、みあおは言った。
「ああ、なるほど。……じゃあ、花を探せばいいのかな?」
雫が小首をかしげて、尋ねる。
「そうかも」
話しながら、二人は本殿の外、冴波が待っているはずの場所へと向かった。
再会した冴波は、何事か難しい顔で考え込んでいるようだった。が、みあおの興味は、それよりも、彼女と一緒に写真を撮っていないということの方にある。本殿の中では、通りすがりの人に頼んで、雫と一緒のところも撮ってもらったし、もちろんあたりの風景も撮った。そのために持参して来たデジカメだ。
「ねぇねぇ、雫。写真撮って。みあお、冴波と一緒の写真撮ってないもん。だから」
雫に頼んでみあおは、冴波と二人一緒のところを撮ってもらった。それから、思いついて、雫と冴波を一緒に撮り、更にここでも通りがかりの人に頼んで、三人一緒のところも撮ってもらう。
(記念撮影は、これでOK、と)
心にうなずき、みあおは次の目的地を口にする。それが今いる神苑の中の藤の園だった。
「うん、そうだね。季節の花が、幻花堂を見つける鍵になってるなら、今って藤の盛りだし、それが一杯あるとこなんて、いいかも」
雫もそう言って賛成してくれたので、みあおは、冴波と三人で藤の園へ入ったのだが……いつの間にか、冴波だけがいなくなってしまったのだ。さっきから、雫と二人でさんざん探し回ったのに、どこにもいない。
(やっぱり、迷っちゃったのかなあ……)
みあおは、少しだけ途方にくれて、胸に小さく呟いた。
【2】
ややあって、気を取り直したみあおは、改めてあたりを見回した。周囲は至る所、藤の花だらけである。といっても、ちゃんと観覧のための道は設けられており、順路らしいものもある。子供でもここで迷うようなことは、ないはずだ。ましてや、大の大人が迷うなど、考えられない。
(つまり、冴波がいなくなったのには、理由があるってことかな)
みあおは、再び小首をかしげて胸に呟いた。自分たちの方が迷った、とは考えない。彼女たち自身は、順路をちゃんとたどって来たのだし、雫と二人して迷うとは考えにくいではないか。
(もしかして、冴波ってここの神様に嫌われてるのかなあ……。それで、本殿に入れなかったり、こんなところで迷ったりするのかも。小鳥になって探してもいいけど……)
みあおは、う〜むと考え込んだ。
実は冴波は、当人さえ知らないことだが、体内に蟲を飼っている。そのおかげで風を操る能力を得ているのだが、その蟲とこの神社の神々の相性が悪いのだった。もっとも、冴波は自分の力のことは、誰にも隠していたので、みあおがそれを知るはずもない。
「何考えてるの?」
雫に問われて、みあおは小鳥になって探してみようかと思っていることを、告げる。彼女の体は改造されていて、鳥をベースにしたいくつかの姿に変身できるのだが、小鳥はその中で、最も偵察向きの形態だった。
雫は、それへ少しだけ考えて言う。
「そこまでしなくても、いいんじゃないかな。この中にいるのはたしかなんだし、もしここの神様に嫌われて、迷っちゃってるとしても、外に出ればきっと会えるよ。そんな気がする」
「そうかな」
「うん。……それより、幻花堂へ行くための、花を探そう。ここにあるとは限らないし、招待されなきゃ行けないんなら、無駄かもしれないけど……でも、探してみる価値はあると思うんだよね」
雫に言われて、みあおもそれもそうだと思い直し、うなずく。そして二人は、再び順路をたどり始めた。
藤の花と一口に言っても、種類も色も本当にさまざまで、その美しさにみあおは次第にここを巡っている目的も、姿を消した冴波のことも、忘れてしまった。ただ見事な花々に大きな目を更に大きく見張り、歓声を上げながら、デジカメのシャッターを押す。いや、時にはカメラに収めることさえ忘れて、見惚れてしまうこともあった。
そんなこんなで、はしゃぎすぎたせいか、彼女は喉の乾きを覚えた。幸い、背中のリュックの中には、三百円分のスナック菓子と一緒に、ジュースも入っている。小さい缶なので、いくつか入れて来たから、雫にも分けてやることができたし、どこかで休むことを提案しようと思いつく。
その彼女の脳裏に、ふいに。囁くような声が落ちて来た。
『扉……』
「え?」
驚いて、みあおはきょろきょろとあたりを見回す。
「みあおちゃん、どうかした?」
雫が訊いて来るが、彼女は答えずに更に視線をさまよわせた。そろそろ二人が歩いている道は途切れ、広場のようになった場所に出ようとしているようだ。
彼女は、なんとなく足を早めた。雫も、慌ててそれについて来る。
やがて、ふいに道が開けた。小さな広場状の場所に、一際見事な藤が雪崩を打つように花開いている。ほのかに淡い紫を花弁の端ににじませた、なんとも上品な花の群れは、どこか泡立つ滝のようにも見えた。しかし、その中に。たった一つだけ濃い、燃え盛る炎のような色を宿したものがある。小さく風が立って、その炎の房を揺らした。
みあおも雫も、その藤の見事さと、そして一房だけある炎のような色の花に、しばし目を奪われ、ただ立ち尽くしていた。が、やがてそのすぐ傍に、冴波がいることに気づく。
「冴波ってば、こんな所にいたのね!」
みあおは、思わず叫んで、雫と共にそちらに駆け寄った。冴波は、二人になんとなくぼんやりした、夢から覚めた人のような目を向ける。雫が、少しだけ咎めるような声を上げた。
「急にいなくなるから、心配したよ?」
「あ……。ごめん」
謝る冴波に、雫は笑う。
「いいって。見つかったんだから、気にしてないって。……それより、ねぇ。これって、幻花堂への扉じゃないかな」
雫は言って、一つだけ色の違う藤の花を見上げた。
「え?」
驚いて目を見張る冴波に、みあおも賛同の声を上げる。
「そうかもしれないね。だって、静流の話と似てるじゃない? 全部藤だけど、でも一つだけ色が違うもの」
「うん。ここの藤は、色や種類によって、同じ所に植えられてるよね。さっきから見て来た中でも、こんなふうに一つだけ色の違うのってなかったし。たぶんあれ、種類も違うよ。花の形とかが、微妙に違うじゃない?」
雫がうなずいて、続けた。
「あ……。そう言われてみれば……」
冴波もようやく気づいたのか、うなずく。
「じゃあ、こっからどこかへ行ってみようよ。そしたらきっと、運良く幻花堂へたどり着くよ!」
みあおが、目を輝かせて提案した。しかし冴波は、顔をしかめる。
「ここから、どこへ行くって言うの。あんたたちは、そっちの道から来たんじゃないの? 私は、こっちから来たのよ。どっちへ行ったって、この園の中を巡るだけだわ」
幾分つっけんどんな口調で、彼女は言った。
「あ、そっかぁ……」
言われて初めて気づいて、みあおは声を上げ、考え込むように天井を睨む。だが、すぐに顔を輝かせた。
「それなら、真っ直ぐ進めばいいんだよ!」
「真っ直ぐって……」
冴波は、まじまじと彼女の顔を見やった後、正面に立つ藤の木に視線を巡らせる。これへ突っ込む気かと言いたげだったが、みあおは頓着しない。
「大丈夫。幻花堂はあの一つだけ違う藤の花の向こうに、きっとあるの」
自信たっぷりに言って、みあおはそちらへ向かい始めた。
「待ってよ、みあおちゃん!」
慌てて雫が後を追って来る。
「ち、ちょっと……!」
止めようとするような、冴波の声も聞こえた。だが、みあおは足を止めることさえしない。自分にも、どうしてだかわからなかった。それでも、まるでここへたどり着く前に聞こえたあの囁きが、彼女の中に波紋を広げて行くかのように、この炎のような藤をくぐれば、目指す店にたどり着くのだとの確信があった。
その確信に導かれるままに、彼女は濃い紫の花を、暖簾のようにかき分け、くぐった。
【3】
次の瞬間、みあおは和菓子屋の店内と思しい場所に立っていた。隣には雫と、自分たちを止めようとしていたはずの冴波が立っている。そして、目の前のカウンターの中には、二十代半ばと見える和服の女性が立っていた。着物は藤の花の柄で、純和風の内装が施された店内には、藤の花の意匠や飾りが見える。
「いらっしゃいませ、ようこそ。ここに二度来られるお客様は珍しいですが、その方に連れられて来られるとは、更に珍しゅうございます。標(しるべ)を示させていただきましたが……来られてよろしゅうございました」
女性は、三人に向かって頭を下げた。それから、奥を示す。
「さ、あちらへどうぞ。お連れの方のうちのお二人は、すでに来ておいでになりますよ。他の方々も、いずれはお見えになりましょうから、奥でお待ちいただけばよろしいかと」
「他のって……」
何か問い返そうとしている冴波にかまわず、みあおは横から声を上げた。
「すごい! みあおたち、ちゃんと来れたのね! ここは、幻花堂ね?」
「はい、そうでございますよ」
女性は、微笑んでうなずく。
「普通は、こうしたことはいたしませんが、みなさんがあまりに熱心でしたので。でも、標に気づくことができなかったり、当店との相性が合わねば、結局はここを見つけることは、かないませんが。……おそらく、残りの方々も心配はございませんでしょう。……あ、申し遅れましたが、私は当店の主、藤野と申します」
言って女性は、最後に名乗って、深々と頭を下げた。
みあおたち三人は、思わず顔を見合わせる。藤野の言う標とは、あの色の違う藤の花のことだろう。
(やっぱり、あの藤の花が招待状だったんだね)
胸に呟いたみあおが、雫を見ると、彼女も笑っている。
「やったね」
「イェイ!」
二人して、思わず手と手を打ち合わせた。
その様子を、微笑みながら眺めていた藤野が、再度彼らを奥に行くよう促し、先に立った。三人は再び顔を見合わせたものの、その後に続く。
店の奥は、茶室になっていた。喫茶店ならば、併設されている菓子屋を見かけるが、茶室というのは、珍しかった。
中には、まるで彼女たちが来ることがわかっていたかのように、七人分の座布団が並べられ、床の間には春の野を描いた掛け軸が飾られていた。そして、藤の花と馬酔木が生けられている。
茶室には、藤野の言ったとおり、すでにシュライン・エマと静流の二人が来ていた。
シュラインは、長い黒髪を後ろで一つに束ね、すらりとした長身の体に、涼しげな青いパンツルックをまとっている。胸元には、鎖で吊るされたメガネが下がっていた。
「シュライン、静流! 来てたんだ?」
その姿に、みあおは真っ先に声を上げる。
「ええ、なんとかね。歩き回って、疲れたんじゃない?」
シュラインが、青い瞳をそちらに向けて、尋ねる。
「ううん、ちっとも」
みあおはかぶりをふって、彼女の隣に腰を下ろした。喉が乾いていたことも、すっかり忘れてしまっている。
「楽しかったよね」
雫も言って、こちらはみあおの向かい、静流の隣に座る。
一人だけ座らずに、ぼんやりと立ち尽くしている冴波に、シュラインが水を向けた。
「三雲さんも、座ったら? この二人のお供じゃ、疲れたでしょ?」
「いえ、そうでもないわ。……けっこう楽しかったし」
答えて、冴波はみあおの隣に腰を下ろした。だが、その様子はあまり楽しそうでもない。
「みあおちゃん、何かあったの?」
それを見やって、シュラインがみあおに、そっと小声で尋ねた。
「よくわかんないんだけど、春日大社の本殿に入れなかったの。藤の園では、みあおたちとはぐれちゃうし……なんか、あの神社と相性よくないみたい」
みあおも、小声で返す。
そこへ、藤野が姿を現した。セレスティ・カーニンガムと綾和泉汐耶の二人も一緒だ。
セレスティは、長く伸ばした銀髪と青い目の、女性かと見まごうほどの美貌の持ち主である。二十代半ばとも見えるが、人魚である彼は、実際には七百年以上を生きていた。今回の旅では、車で来たこともあって、ずっと車椅子を利用していた。が、今は汐耶の腕に支えられている。
一方の汐耶は、女性にしては背が高く、しかもスレンダーな体型にパンツルックをまとっているため、青年のように見えた。短くした黒い髪と青い目、銀縁の伊達メガネが、更にそれを助長すると共に、知的な印象を与えている。ちなみに、彼女は都立図書館の司書だ。
彼女は、セレスティが雫の隣に座るのに手を貸すと、自分もその隣に正座した。
そこへ、全員がそろうのを見計らったように、藤野がお茶の支度をして、入って来た。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。本日は、お茶と当店の菓子をお楽しみ下さいませ」
正面に座すと深々と一礼し、丁寧にしかし慣れた手つきで、お茶を立て始める。
やがて、それぞれにお茶が行き渡り、小さな漆塗りの器に盛られた和菓子が配られた。菓子は、藤をモチーフにした練り切りで、器と揃いの楊枝が添えられている。
「どうぞ」
藤野に軽く促され、一礼して一同は茶器を手にした。みあおもおぼつかないながら、作法どおりの手順を踏んで、お茶に口をつける。それから、さっそく菓子を一切れ、口にする。ほのかな甘みと、かすかな酸味が口の中に広がった。
(うわ……! 美味しい……)
そう思った途端に、隣でシュラインが呟くのが聞こえる。
「美味しい……!」
「ほんとに美味しい。……どうしたら、こんな味が出せるのかしら……」
汐耶が吐息と共に声を上げ、みあおもうなずきながら言った。
「甘すぎないし、さわやかで、お茶にとっても合うね」
「お口に合ったようで、うれしゅうございます」
微笑んで言う藤野に、セレスティが尋ねた。
「他には、どんなものがあるのですか?」
「今でしたら、季節ですから、柏餅や粽(ちまき)、水餅がございます。練り切りは他に、馬酔木をモチーフにしたものと、あやめをモチーフにしたものが」
答えて、藤野は問い返した。
「よろしかったら、そちらもお持ちしましょうか?」
「ええ、ぜひ」
セレスティが大きくうなずく。
「あたしも他のを味見してみたいな」
「みあおも!」
雫が言うのへ、みあおも元気よく声を上げた。
「わかりました。少々お待ち下さい」
小さく微笑み、藤野は立って茶室を出て行く。
ややあって、彼女は先程紹介したものを、それぞれ小皿に盛り付け、運んで来た。
「わあっ!」
みあおは雫と一緒に、小さな歓声を上げて、目を輝かせる。
柏餅と粽は、どこの店でも見かけるような外観だったが、水餅は中がうぐいす餡で、しかも葛で作られた餅の部分には、鮮やかな紅色のつつじの花びらが浮いていた。みあおと雫は、ためらいもなくその目にも美しい水餅を取る。
セレスティは、馬酔木をモチーフにした練り切りを、静流と冴波は粽を、汐耶はみあおたちと同じく水餅を取った。シュラインは、少し迷って柏餅を取る。
みあおが取った水餅は、ひんやりと冷たくて口当たりがよく、うぐいす餡のほのかな香りと優しい甘さ、そしてつつじの花のわずかな酸味が混ざり合い、絶妙の味を作り出していた。
(美味しい……!)
他に出て来る言葉もなく、みあおは半ば恍惚としてそれを味わう。口に広がる香りもだが、つるりとした喉ごしもうれしい。一口大なので、食べやすいのも魅力だ。
(なんだかこれ、癖になりそう……)
お茶を口に含みながらも、彼女は思わず満足の溜息をついた。
茶室には、しばしの間、沈黙が満ちた。美味しいものを食べる時には、誰もが無口になる、というのは本当らしい。
「いかがでござましょう?」
「どれも、素晴らしいですね」
藤野に問われて、粽の後に水餅に手を伸ばした静流が、溜息と共に彼らを代表するように答えた。
「こうやって、探してまで訪れた甲斐がありました」
「ありがとうございます」
藤野が、微笑みながら礼を言う。それを見やって、みあおは胸の中で大きくうなずき、静流に賛同の意を示したのだった。
【4】
やがてみあおたちは、それぞれに賞味した菓子のいくつかを購入し、幾分名残惜しいながらも、幻花堂を後にした。
店を出た彼女たちが立っていたのは、どういうわけか春日大社の二の鳥居の傍だった。そこから、バンを置いた春日大社の駐車場までは、さほど遠くない。
(わあ! こんな所につながってたんだ。……それとも、入り口とおんなじで、出口もどこにでも自由につなげられるのかな?)
みあおは、胸の中で小さく声を上げ、小首をかしげつつ、仲間たちと共に駐車場へと歩き始める。あたりはすでに夕暮れが近くなり、それもあってか、誰もが無口だった。
(なんだか、不思議な店だったなあ……)
みあおも、ただ黙って足を運びながら、ふと胸に呟く。
藤野が語ったところでは、彼女たちが最初に付近の住民から聞いた話も、ただの伝説やお伽話ではなかったらしい。幻花堂は、神々がただ一人残された和菓子屋夫婦の娘を生かすために作り、守るために特別な呪(しゅ)をかけた場所だったのだ。そして、その呪というのが、招かれた人間だけを呼ぶ力、だったのだろう。
(結局、『選ばれた人だけが行けるお店』が正解だったんだね。だからきっと、ほんとはみあおたちは、あの店に入れなかったんだろうけど……でも、今回は『特別』に入れてくれたのね。みあおたちに示された標は、やっぱりあの色の違う藤の花だったんだよね。だって、幻花堂にたどり着けたし)
みあおは、胸の中で呟いてから、また小首をかしげた。
(でも、あの時の声はなんだったのかなあ。たしか、『扉』って聞こえたけど。みあお、羽根の力も使ってないし……。もしかして、あれも藤野の示してくれた標だったのかなあ)
一生懸命考えを巡らせるが、今一つよくわからない。実際には、彼女はちゃんと正解に行き当たっていた。あの囁きは、藤野の示したものだったのだ。風を操り、風の精霊と交信できる冴波のために、囁きを風に乗せたものだったが、同時に藤野はそれをみあおにも届けたのだった。
みあおは、わからないなりにしばらく考えていたが、やがてそれを放棄して、改めて藤野のことに思いを馳せる。
話を聞けば、藤野こそがその和菓子屋夫婦の娘だと、誰もが思うに違いない。みあおもそう思ったし、他の仲間たちも同じように考えたようだ。
だが、違っていた。
「その娘は、あなたではないんですか?」
話を聞き終えた後、尋ねた静流に、藤野は小さくかぶりをふったのだ。
「いいえ。私は、春日大社の神々にここを任された者の一人です。神々は、娘の時を止めたかったようですが、これ以上自然の理にそむくことは、さすがにできなかったとみえます。ただ、娘のいた証として、この店を残したかったのでしょう。それゆえ、時にここを訪れた者が、私のように主を任されます」
言って彼女は、小さく笑った。
「私も、いずれは後継者を選ばねばなりません」
その言葉と笑いを思い出し、みあおは少しだけ悲しい気持ちになる。
(あんな美味しいお菓子を、たくさん作れるのはすごいけど……ずっと一人ぼっちは、寂しくないのかな。みあおなら、嫌だな。でも、あの人は死ぬまであそこに、ずっといつづけるんだね……)
胸に呟き、彼女は思わず吐息をついた。
やがて駐車場に到着した彼女たちは、バンに乗り込むと、今夜の宿へと向かった。宿の手配は汐耶がしてくれていた。彼女の行きつけの宿だとかで、春日大社などのある観光スポットからは、南に少しはずれた場所にあり、周囲は黒い塀に囲まれた古い家並の続く、静かな住宅街である。
彼女たちが着いた時には、日が落ち始めており、チェックイン後ほどなく夕食となった。部屋は、女五人に男二人なので、みあおたち女性陣は部屋割りをする必要がある。ロビーで、雫の作ったくじで決めることになり、ひとしきり賑わった後、みあおはシュラインと同室になった。といっても、夕食後は全員が残る三人の部屋に集まって来て、昼間のことを話したり、明日の予定を決めたりして、それなりに遅くまで起きていたのだけれども。
【エピローグ】
翌日は、宿で朝食をもらい、チェックアウトすると再び春日大社付近まで車で戻った。午前中一杯を、そのあたりの散策と、周辺に並ぶ神社仏閣の参拝などで費やす。奈良公園や、東大寺、春日大社の付近には、どこにも鹿がのんびりと歩いていて、みあおたちの微笑みを誘った。
みあおは、せっせとデジカメでそんな鹿たちや、同行者たちを撮影し、セレスティと雫は売店で鹿せんべいを買っては、おっかなびっくり鹿たちに差し出す。どの鹿も、人慣れているせいか、差し出されたせんべいをゆったりと食んでいた。中には、途中まで食べて、ぷいと頭をそむけてしまう鹿もいる。その仕草がおかしいのか、シュラインが声を立てて笑っている。汐耶と冴波、静流もそれぞれに売店を覗いたり、あたりの景観を眺めたりしている。
昼食は、近鉄奈良駅の周辺に広がる商店街の方で、静流と冴波が買って来てくれた弁当を、奈良公園で広げた。天気がいいこともあって、あちこちで同じように弁当を広げているグループがいくつかある。
午後は、汐耶と静流は古書店巡りをするのだと言って出かけて行き、残された面々はそれぞれに土産物店などを巡った。みあおもいくつかの店を巡り、姉たちへの土産に吉野葛を買った。菓子の土産は、幻花堂で買ったものがあるので、奈良土産は菓子作りの材料になるものを選んだのだ。
そして、午後遅く。再び合流した一同は、来た時と同じく静流の運転するバンで東京への帰途に着いた。
(幻花堂のお菓子も食べて、お土産に買うこともできたし、写真も一杯撮れたし……楽しかったな)
一番後ろの座席に腰をおちつけて、みあおは素直にそう思う。
藤野のことを思い出すと、少しだけ悲しくなるけれども、自分にはどうしてやることもできないのだとは、彼女にもわかっている。今朝になって思いつき、少しだけ「幸せの青い鳥」の能力を使い、藤野に幸運を与えようとしたけれど、少しも疲れないところをみれば、それは作用しなかったのかもしれない。藤野が生きているのは、みあおたちとは、完全に切り離された世界なのだろう。
そんな彼女に、隣に座った雫が話しかけて来たので、みあおも笑顔で答える。それから、まだ少し残っていたスナック菓子の袋を開けて、二人でおしゃべりをしながら、それをつまんだ。持って来た菓子もバナナもジュースも、一泊二日の間にほとんどたいらげてしまった。幻花堂の菓子のような、美味しいものもいいけれど、みんなでわいわい言いながら気軽に食べられるスナック菓子や果物も、みあおは大好きなのだった。
冴波は疲れたのか、助手席で目を閉じて眠っているようだった。前の席では汐耶とセレスティが、古書を話題に楽しげに話している。運転中の静流も、それに時おり加わっているようだ。そしてシュラインは、セレスティの隣で小さく船を漕いでいる。
そんな車内の雰囲気に、みあおはなんだか幸せなものを感じながら、雫とのおしゃべりに興じていた――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1415/ 海原みあお/ 女性/ 13歳/ 小学生】
【1449/ 綾和泉汐耶/ 女性/ 23歳/ 都立図書館司書】
【0086/ シュライン・エマ/ 女性/ 26歳/ 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/ セレスティ・カーニンガム/ 男性/ 725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4424/ 三雲冴波/ 女性/ 27歳/ 事務員】
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■ ライター通信 ■
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●海原みあおさま
2回目の参加、ありがとうございます。ライターの織人文です。
今回は、三雲冴波さま、瀬名雫と行動を共にしていただきましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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