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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


幻の和菓子屋を探せ!

【プロローグ】
 ある日の午後のこと。
 瀬名雫は、いつものネットカフェで、珍しい人物に会った。セラピストで友人の妹尾静流である。しかも、どうやら彼は雫を探していたようだ。
「雫さんは、幻花堂(げんかどう)という和菓子屋のことを、ご存知ないですか」
 開口一番、そう訊いて来る。
「幻花堂?」
 聞き覚えのない名前に、思わず首をひねる彼女に、静流は少しだけがっかりした顔をして、その店について話した。
 それによれば、その店は昨年の秋に静流が奈良に行った際、春日大社の近くで見つけたのだという。たいそう雰囲気もよく、菓子は美味で友人たちにも好評だった。
 最近、友人たちの一人が奈良に出かけることになり、乞われて場所を教えた。ところが帰京して言うには、そんな店はどこにもなかったそうなのだ。静流自身も怪訝に思い、電話帳やネットなどで調べたが、どこにもその店の存在を示す手掛かりはなかったという。
 だが、静流はやはり、どうしても気になった。そこで、雫なら何か知っているかもしれないと、ここへ彼女を探してやって来た、というわけだ。
「う〜ん。残念ながら、聞き覚えないなあ。でも、それ、面白そう」
 雫は、もう一度首を捻った後、パッと顔を輝かせる。
「え?」
「そこまでしてもみつからないなら、後は、現地へ行って探すしかないよね。……ということで、あたしも静流ちゃんに協力してあげる。きっと、うちのサイトの掲示板で呼びかけたら、他にも一緒に行きたいって人、一杯いるよ。店探しなら、人数も多い方がいいし。ね?」
「そ、そうですね……」
 雫の強引な論法に、静流は少しだけ引きつった笑いでうなずいた。が、雫はまったく気にしていない。
「よおし、じゃあ、善は急げよね」
 雫はさっそく、目の前のパソコンに自分のサイトの掲示板を表示させ、キーボードを叩き始めた。

【1】
 綾和泉汐耶は、水辺に吹き寄せて来る涼しい風に、思わず目を閉じた。
 五月になったばかりだというのに、日射しはずいぶんと強く、戸外を移動するだけで額に汗が浮かぶ。
「風が、気持ちいいですね」
 目を開けて、隣にいるセレスティ・カーニンガムに声をかけた。
「ええ。……それに、景観も悪くないようですね」
 うなずいて返すセレスティは、女性と見まごうほどの美貌の持ち主だ。長く伸ばした銀の髪と青い瞳、透けるように白い肌。ラフなかっこうではあるものの、それらは全て上等の品であり、こうして車椅子に座っているさまは、一幅の絵を見るようでもあった。
 二人がいるのは、春日大社の一の鳥居と二の鳥居の間にある、浅茅ヶ原と呼ばれる一帯だった。その南西に位置する鷺池のほとりである。
 池には六角形の浮見堂が浮かべられ、錦鯉がゆったりと泳いでいる。すでに花は散ってしまっているものの、二人がいるあたりは、ずっと桜の木が並んでいる。それが日影を作り、池の方から渡って来る風に、涼やかな葉擦れの音を鳴らすのが、耳にも心地よかった。対岸には、緑の木々のつらなりがあって、目にも優しい眺めである。
 汐耶は、その眺めに目をやりながら、小さく笑った。
「ええ。幻花堂のお菓子をいただいてみたい気もしますけど、こうしてただ、美しい景色を見たりしてのんびりあたりを巡るだけでも、充分な気がします」
「そうですね。店がみつからないのには、それなりの訳があるのかもしれませんしね」
 セレスティも、笑顔でうなずく。
 もちろん汐耶も、雫の書き込みに興味を持って、探索行の同行者として名乗りを上げたのだ。他人が美味だと称賛する和菓子を、食べてみたいという思いはある。ただ、そういう店とは、縁のようなものがあって、焦ってみてもしかたがないのじゃないか、とも思うのだ。
(そんなに美味しいのなら、話題になっててもおかしくないわね。狐に化かされた……って感じでもないし)
 仕事場で休憩中にゴーストネットの掲示板をチェックしていて、雫のそれを発見した彼女は、そんなことを思いながら、参加表明の書き込みをした。おそらく、奈良の方へ行くことになるだろうが、休みは有給を使えば連休も取れるし、宿も行きつけのものがある。他に泊まる人間がいれば、その手配も自分がしてもいいと、彼女は考えていた。
 夜になって、自宅のパソコンから掲示板を覗くと、いくつか彼女と同じく参加表明の書き込みがあった。シュライン・エマと三雲冴波は、静流に幻花堂で買い求めた菓子や、店の様子などを質問している。
 対する静流からのレスは、こんなものだった。
 彼がその店を訪れたのは、昨年の秋のことで、春日大社の傍、若草山に近い側の小道の入り口に、なぜか一枝だけ萩の花が咲いているのを見たのだという。それを不思議に思って小道に足を踏み入れたところが、件(くだん)の和菓子屋を見つけたのだった。店内は、純和風の内装が施されており、応対してくれたのは、二十代半ばぐらいの、和服の女性だったという。そこで彼は、紅葉と萩の花をそれぞれモチーフにした練り切りに、菊の花を象った最中を購入した。
 彼女たちと同じく、参加を表明したセレスティの提案で、その後ゴーストネットの掲示板で、幻花堂に関する情報提供を呼びかけてみたところ、数日でかなりのレスが返った。その全てが、静流と同じ体験をしたというものだった。
 それを総合すると、三つのことが浮かび上がって来た。一つは、幻花堂を訪れた人間には、いくつかの共通項があることだ。店を訪れた時、ほとんどの者が一人旅だった。その中の何人かは、日ごろから霊感が強いと自他共に認める人間で、また何人かは、茶や花のたしなみのある者たちだった。
 二つ目は、幻花堂を見つける前に、かならず季節の花を目にしていることだ。それも、周辺に咲いているものとは種類の違うものが、ポツンと一つだけあるのを見ている。
 三つ目は、二度目に奈良を訪れたのは、彼ら自身ではないということだ。静流の場合と同じく、その時に土産としてそこの和菓子をふるまわれた人間の誰かが行って探して、見つからなかったということらしい。
 どうやら、幻花堂は普通の店ではないようだ。ただ、静流が現地へ行って探せば、見つかる可能性があるかもしれない。
 そんなわけで、彼ら――汐耶、セレスティ、シュライン、冴波、そして海原みあお、静流、雫の七人は、こうして奈良へとやって来たのだった。
 奈良までの移動には、セレスティが大型のバンを提供してくれた。彼の本性は人魚で、そのせいもあって視力と足が弱い。目の方は日常生活にはそれほど支障はないが、足に関しては電車や飛行機、バスなどを利用するのは不便だと考えたのだろう。そして、リンスター財閥総帥である彼には、車を一台提供することなど、なんでもない行為でもあった。
 運転は、静流がした。彼も、車で奈良に行くのは初めてだったようだが、最新のナビゲーションシステムのおかげで、早朝に東京を出発した一同は、昼すぎには無事に、奈良市内へと到着することができた。
 とりあえず昼食を済ませた後、まずは静流の記憶に従って、彼が以前に幻花堂を見つけた場所へ、全員で足を運ぶことになった。ちなみに、セレスティの移動は今と同じく、車椅子だった。バンを提供したのは、これを積み込むことができるからでもあったのだろう。
 しかし、たどり着いた先には和菓子屋らしきものはなく、その近所で聞いて回ってみても、そんな店などないと言う。シュラインなどは、和菓子の材料や、他所で菓子を作っているなら、完成品を運び込んだりするための、車や人の出入りを見かけた者がいるかもしれないと考えていたようだ。が、それもない。
 ただ、この春日大社の周辺の住人の間に伝わっている話を、教えてくれた者がいた。
「大阪に太閤様がいたころのことだそうですが、春日大社の界隈に、幻花堂という和菓子屋があったと言われているんです。その店は、若い夫婦が切り盛りしていて、味も良く、春日大社の参拝客を相手に、それは繁盛していたとか。ところがある夜、盗賊が入って主夫婦は惨殺され、店には火がかけられました。後に残されたのは、幼い娘が一人だけ。身寄りのなかった娘は、住むところもなく、そのままでは飢え死にするしかない状態だったと言います。ところがそれを、春日大社の神々が憐れに思い、招かれた者だけしか訪れることのできない不思議な和菓子の店を作り、娘に両親の作っていた菓子の製法を教えたのだとか。店は四季折々の花のいずれかで客を招くそうですが、その招待を受けない者は、いくら店を探しても無駄だと言われています。……まあ、伝説というかお伽話ですけれどもね」
 その者は、そんなふうに語って、小さく笑ったものだ。
 だが、なんにせよ手掛かりはそれぐらいだった。
 そこで彼らは、手分けして幻花堂への入り口を探すことにした。
「セレスティ、よかったら、ご一緒しませんか?」
 汐耶は、セレスティに声をかけた。誰と一緒でもよかったのだが、みあおは年の近い雫とずっと一緒だったし、冴波は初対面で、シュラインと静流はすでに姿を消してしまっていたので、とりあえず彼に水を向けてみたのだ。
「それはうれしいですが、汐耶さんはどうやって、店探しをするつもりなんですか?」
 問い返されて、汐耶は小さく笑いながら答える。
「はっきりと計画を立てているわけでは……。馴染みの古書店へ行きたいので、そのついでにでも、探してみようかと。他の人たちも、半分は観光気分だと思いますし……のんびり行くのもいいのじゃないかと思って」
「それならば、ぜひご一緒に」
 セレスティも、うなずいた。そして、続ける。
「でも、せっかくこうして奈良に来たのですし……古書店巡りをする前に、春日大社の神苑の方に行ってみませんか? なんでも、この時季だけオープンしている藤の園があるそうなんです」
「あら、それは素敵ですね。じゃあ、まずそこへ行って、それから近くを散策して、時間があったら、私の馴染みの古書店の方へ行くようにしましょうか」
 汐耶はうなずいた。幻花堂には、花がからんでいる、とは彼女も思っていたことだ。店の名前もそうだし、静流や掲示板で情報を寄せてくれた人たちの話にしてもそうだ。花――それも季節の花が関わっているのならば、この時季最もポピュラーな花である藤を見に行くのも、悪くはないかもしれないと、彼女は考えたのだった。
 そこでまず、二人は春日大社の神苑へ行った。
 神苑は万葉植物園とも言われ、春日大社の北西に位置し、万葉集に登場する植物が約三百種類も植えられているという。藤の園は、その南側にあって、セレスティの言ったとおり、花の盛りである五月初旬のみオープンしている場所だった。
 二人はその中を、ゆっくりと見て回った。汐耶がセレスティの車椅子を押し、時おり立ち止まっては花を眺め、掲示されている説明を読んだり、互いの感想を教え合ったりしては、また散策を続ける。
 一言に藤といっても、その種類は豊富で色も姿もそれぞれに違い、なんとも目に美しく楽しい眺めだった。
 それらをじっくりと堪能して外に出た二人は、そこから参道を一の鳥居の方へと散策がてら向かい、最終的に今いる鷺池のほとりにたどり着いた、というわけだった。
 池のほとりに来たのは、汐耶なりの気遣いだ。本性が人魚であるセレスティは、強い光や高温に弱い。日射しの強い戸外を、ずっと散策するのは辛いだろうと考えた。対してここは日影でもあるし、心地よい風も吹く。それに水辺なので、彼にとっては、気持ちのいい場所となるはずだ。
(でも、セレスティだけじゃなく、私もなごんでしまうわね。ここは)
 小さく苦笑してそんなことを思い、彼女は改めて小さく吐息をついた。

【2】
 しばらくそうやって、鷺池の景観と心地よい風を楽しんでいた汐耶だったが、ふいに眉をひそめた。
「あれは、何かしら」
「どうかしましたか?」
 思わず上げた声に、セレスティが問うて来る。
「あ……。ええ。池の水面に、ここにある桜の木が映っているんですけれど、その中に何か、紫色の……あれは、藤の花だわ」
 汐耶は、とまどいながら言った。
「桜の木の中に、藤の花が?」
 セレスティも、驚いたように問い返す。
 彼女たちがいるのは、池に枝を張り出すように大きく伸びた、桜の木の下だ。むろん、すでに時季を過ぎているので、桜は花を散らして、今は緑の葉が茂るだけになっている。水面には、それが映っているのだが、その中に紫色の藤の花としか見えないものがあるのだ。
 二人は、思わず桜の木を見上げる。だが、いくら目をこらして探してみても、その木にはどこにも藤の花など咲いていないし、それと見間違うような紫色のものもない。もしも寄生木だとしても、はたして桜に藤が寄生して咲くなどということが、あるのだろうか。
 怪訝に思いながら、二人は再び水面に目をやった。そちらには、しっかりと紫色の塊が映っている。それを見詰めているうちに、どういうわけか汐耶は、その藤の花のところに行かなければならないような、奇妙な心地になった。呼ばれている、というのでもない。だが、その藤の花のところには、何かの扉があって、それが自分が開くのを待っている――そんな気がして、矢も楯もたまらなくなった。
 彼女は、その思いに突き動かされるかのように、静かに歩き出していた。
「汐耶さん?」
 気づいたセレスティが声をかけるが、それも彼女の耳には入っていない。おぼつかない足取りで進み続け、もうこれ以上足を踏み出せば、池に落ちてしまうという縁までたどり着いた。それでも、足は止まらない。
「汐耶さん!」
 セレスティの鋭い叫び声が上がり、彼女はまるで何者かの強い力で引っ張られたかのように、後ろに引き戻された。水ならなんでも支配下に置くことのできるセレスティが、自分が動くより早いと判断して、彼女の血液を操ったのだ。
 地面に軽く尻餅をついて彼女は、ふいに我に返った。だが、自分がいったい何をしていたのか、今何があったのかもわからない。ただ、目をしばたたかせて、あたりを見回すばかりだ。
「汐耶さん、大丈夫ですか?」
 セレスティに声をかけられても、彼女はただきょとんとするばかりだ。
「私……どうしたんでしょう?」
 セレスティの方を見上げて、尋ねる。
「覚えてないんですか? 池の方へ歩いて行って、落ちそうになっていたんですよ」
 セレスティの答えに、彼女は心底驚いた。それから、小さくかぶりをふって呟くように、さっきの奇妙な感覚のことを告げる。
「何かの、扉?」
 水面に映る藤の花の下に、扉があるような気がすると言う彼女に、セレスティが軽く眉をひそめる。そのまま彼は、何事か考え込んでしまった。
 それを見やって、汐耶はようやく立ち上がる。いったいどうして、危険も顧みず池の方へ歩き出したりしたのかは、さっぱりわからないままだ。ただ、水面に映る藤の花には、なんだか引っかかるものを感じる。それは今もそのままそこにあり、やはり彼女を奇妙な吸引力で呼び寄せようとしているようだ。
(あるはずもない場所にある花……。まさか、これが幻花堂からの、私たちへの招待状?)
 ふと、そんなことに思い当たる。
 その時だ。何事か考え込んでいたセレスティが、顔を上げた。水面の藤の花に、改めて目を向ける。彼の青い瞳が更に色を増し、どこかにじんだように見えた。それと共に、水面が小さく波立って、やがて藤の花を真ん中に四角く水が切り取られて浮かび上がる。それは、ゆるやかに彼女たちの数メートル手前へと着地した。
 先程、汐耶を助けた時のように、セレスティが水を操ったのだ。
 とはいえそれは、なんとも不思議な光景だった。四角く切り取られた水は、まるで花の影を中に閉じ込めた氷のように、その場に直立している。
 池の方は、四角い跡の中にすぐに四方から新たな水が流れ込み、まるで何事もなかったように、凪いでいる。ただ、水面に映る葉桜の影の中に、藤の花の姿はもうない。
 セレスティが、それを見やって満足げな笑みを漏らした。汐耶はただ、驚きに目を見張っているばかりだ。それへ彼が、声をかけて来る。
「汐耶さん、まだ扉を感じますか?」
「ええ」
 うなずく汐耶に、彼は続けた。
「では、その扉を開けて下さい。鍵はかかっていないように思いますが……それでも、私よりはキミが開ける方がいいでしょう」
「え、ええ……」
 汐耶は、幾分とまどうようにうなずいて、その不思議な水の塊に手を伸ばした。彼女には、さまざまなものを封印する能力がある。その応用で、逆に封印や鍵を開けることもできるのだ。セレスティも、そんな彼女の能力を知っている。だからこそ、彼女にその見えない扉を開けるよう言ったのだ。
 彼女は、一房だけ水の中でおぼろな影として咲いている藤の花に、触れる。
「あ……!」
 途端に彼女は低い声を上げ、目を見張った。小さな波紋と共に藤の花の影は揺らいで消え、その向こうに紫の暖簾のかかった、格子戸が見えたのだ。
「どうやら私たちは、幻花堂の入り口を見つけたようですよ。行きましょう、汐耶さん」
 言うと、セレスティは静かに車椅子を動かす。
「え、ええ」
 汐耶もうなずき、慌ててその後を追った。

【3】
 気づいた時には、汐耶とセレスティは、和菓子屋の店内と思しい場所に立っていた。
 目の前のカウンターの中には、静流や掲示板に情報を寄せてくれた者たちの言葉どおり、二十代半ばと見える和服の女性が立っていた。着物は藤の花の柄で、純和風の内装が施された店内には、藤の花の意匠や飾りが見える。
「いらっしゃいませ、ようこそ。ここに二度来られる方は珍しいですが、その方に連れられて、こちらにいらっしゃるとは、ますます珍しゅうございます。私が示させていただいた標(しるべ)にも気づいていただけたようで、よろしゅうございました」
 女性は二人に頭を下げ、笑顔でそう告げた。
「それでは、やはりあれは、この店からの招待状だったわけですね?」
 穏やかに尋ねたセレスティに、女性はうなずいた。
「はい。普通はこうしたことはいたしませんが、みなさんがあまりに熱心でしたので。とはいえ、標に気づかなかったり、当店との相性が合わねば、結局ここを見つけることはかなわないのでございますが。……あ、申し遅れましたが、私は当店の主、藤野と申します」
 女性は最後に名乗って、深々と頭を下げた。それから、奥を示す。
「さ、こちらへどうぞ。お連れの方たちが、お待ちでございますよ」
「連れのって……じゃあ、他の人たちは、もうここへ?」
 小さく目をしばたたかせて、汐耶は尋ねた。
「はい。お二方で最後でございます」
 うなずく藤野に、汐耶とセレスティは思わず顔を見合わせた。
「さ、どうぞ」
 再度促されて、二人は彼女に案内され、奥へと移動した。
 藤野が案内したのは、茶室だった。喫茶室が併設されている菓子屋はよく見かけるが、茶室は珍しい。汐耶もセレスティも、小さく目を見張った。
 汐耶は、車椅子を降り、歩いて茶室に入るセレスティに肩を貸した。
 茶室は、まるで彼らが来ることがわかっていたかのように、七人分の座布団が敷かれ、床の間には春の野を描いた掛け軸が飾られていた。そして、藤の花と馬酔木が生けられている。藤野の言葉どおり、すでに他の五人は座布団に座して二人が来るのを待っていた。
 床の間の前に切られた炉の傍には、シュライン・エマが腰を下ろしている。二十六歳になる彼女は、長い黒髪を後ろで束ね、すらりとした体には、涼しげな青のパンツルックをまとっていた。胸元には、いつもどおりメガネが吊るされている。
 彼女の隣は、海原みあおだ。直ぐな銀髪に大きな銀色の目の、小柄で愛らしい少女だった。実際は十三歳だというが、小学生にしか見えない。というか、事情があって、現在は本当に小学校の一年生なのだという。
 その隣には、三雲冴波が座していた。シュラインより一つ上だという彼女は、セミロングにした茶色の髪ときつい黒い目をして、やや近寄りがたい雰囲気がある。とある建築系の会社の事務員をしているらしい。
 シュラインの向かいには静流が、その隣には雫が座っている。
 雫の隣が二つ空いており、汐耶はセレスティに手を貸して、彼をそこに座らせてやってから、自分もその隣に腰を下ろした。
 そこへ、全員がそろうのを見計らったように、藤野がお茶の支度をして、入って来た。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました。本日は、お茶と当店の菓子をお楽しみ下さいませ」
 正面に座すと深々と一礼し、丁寧にしかし慣れた手つきで、お茶を立て始める。
 やがて、それぞれにお茶が行き渡り、小さな漆塗りの器に盛られた和菓子が配られた。菓子は、藤をモチーフにした練り切りで、器と揃いの楊枝が添えられている。
「どうぞ」
 藤野に軽く促され、一礼して一同は茶器を手にした。汐耶も作法どおりの手順を踏んで、お茶に口をつける。それから、さっそく菓子を一切れ、口にする。ほのかな甘みと、かすかな酸味が口の中に広がった。
 彼女が思わず目を見張った時だ。
「美味しい……!」
 シュラインの感嘆の呟きが聞こえた。
「ほんとに美味しい。……どうしたら、こんな味が出せるのかしら……」
 汐耶もそれへうなずくように、半ば陶然と声を上げる。
「甘すぎないし、さわやかで、お茶にとっても合うね」
 同じように、みあおが言った。
「お口に合ったようで、うれしゅうございます」
 微笑んで言う藤野に、セレスティは尋ねた。
「他には、どんなものがあるのですか?」
「今でしたら、季節ですから、柏餅や粽(ちまき)、水餅がございます。練り切りは他に、馬酔木をモチーフにしたものと、あやめをモチーフにしたものが」
 答えて、藤野は問い返した。
「よろしかったら、そちらもお持ちしましょうか?」
「ええ、ぜひ」
 セレスティは大きくうなずく。
「あたしも他のを味見してみたいな」
「みあおも!」
 雫が言うのへ、みあおも元気よく声を上げた。
「わかりました。少々お待ち下さい」
 小さく微笑み、藤野は立って茶室を出て行く。
 ややあって、彼女は先程紹介したものを、それぞれ小皿に盛り付け、運んで来た。
「わあっ!」
 みあおと雫が、小さな歓声を上げて、目を輝かせる。
 柏餅と粽は、どこの店でも見かけるような外観だったが、水餅は中がうぐいす餡で、しかも葛で作られた餅の部分には、鮮やかな紅色のつつじの花びらが浮いていた。みあおと雫は、ためらいもなくその目にも美しい水餅を取る。
 静流と冴波は粽を、セレスティは馬酔木をモチーフにした練り切りを取った。シュラインは少しだけ迷う様子を見せた後、柏餅を取る。汐耶は、みあおたちと同じく、水餅を取った。
 汐耶が取った水餅は、ひんやりと冷たくて口当たりがよく、うぐいす餡のほのかな香りと優しい甘さ、そしてつつじの花のわずかな酸味が混ざり合い、絶妙の味を作り出していた。
(これも美味しい。……花をそのまま食するっていうのは、聞いたことはあったけれど、こんなふうに使うことができるなんて。それに、こんなに香りのあるうぐいす餡を食べるのも、初めてだわ……)
 じっくりとその味を堪能しながら、彼女は胸に呟く。その味や香りもだが、つるりとした喉ごしもなめらかで、癖になりそうだ。一口大なので、食べやすいのも魅力だった。
 お茶を口に含んで、汐耶は名残惜しげに溜息をつく。
 茶室には、しばしの間、沈黙が満ちた。美味しいものを食べる時には、誰もが無口になる、というのは本当らしい。
「いかがでござましょう?」
「どれも、素晴らしいですね」
 藤野に問われて、粽の後に水餅に手を伸ばした静流が、溜息と共に彼らを代表するように答えた。
「こうやって、探してまで訪れた甲斐がありました」
「ありがとうございます」
 藤野が、微笑みながら礼を言う。それを見やって汐耶は、そのとおりだと胸の中で大きくうなずいたのだった。

【4】
 やがて汐耶たちは、それぞれに賞味した菓子のいくつかを購入し、幾分名残惜しいながらも、幻花堂を後にした。
 店を出た彼女たちが立っていたのは、どういうわけか春日大社の二の鳥居の傍だった。そこから、バンを置いた春日大社の駐車場までは、さほど遠くない。
(こんな所につながっていたのね。それとも……私たちに気を配ってくれたのかしら)
 汐耶は、ふとそんなことを思う。仲間たちはすでに駐車場へと歩き出しており、彼女もセレスティの車椅子を押して、それに従った。あたりはすでに夕暮れが近くなり、それもあってか、誰もが無口だった。
(なんだか、不思議な店だったわね)
 汐耶もただ黙って歩き続けながら、ふと胸に呟く。
 藤野が語ったところでは、彼らが最初に付近の住民から聞いた話も、ただの伝説やお伽話ではなかったらしい。幻花堂は、神々がただ一人残された和菓子屋夫婦の娘を生かすために作り、守るために特別な呪(しゅ)をかけた場所だったのだ。そして、その呪というのが、招かれた人間だけを呼ぶ力、だったのだろう。
(考えようによっては、本当にご縁のある人間だけが、幻花堂を見つけられた、ということよね。妹尾さんも、掲示板に書き込んでくれた人たちも、二度目に行ったのは別人だったわけですもの……。私たちがあの店を見つけられたのは、『特別』だったのかもしれないけれど、でも……私たち、妹尾さんの連れの者、として店に入れたわけだから、一度店に招かれた人なら、望めば二度目もあったのかも。面白いわね。結局、幻花堂が二度と見つからないのは、客たち自身がそれを望まないから……もあったのかもね)
 胸に呟き、汐耶は小さく苦笑した。それから、改めて藤野のことに思いを馳せる。
 話を聞けば、藤野こそがその和菓子屋夫婦の娘だと、誰もが思うに違いない。汐耶もそう思ったし、他の仲間たちも同じように考えたようだ。
 だが、違っていた。
「その娘は、あなたではないんですか?」
 話を聞き終えた後、尋ねた静流に、藤野は小さくかぶりをふったのだ。
「いいえ。私は、春日大社の神々にここを任された者の一人です。神々は、娘の時を止めたかったようですが、これ以上自然の理にそむくことは、さすがにできなかったとみえます。ただ、娘のいた証として、この店を残したかったのでしょう。それゆえ、時にここを訪れた者が、私のように主を任されます」
 言って彼女は、小さく笑った。
「私も、いずれは後継者を選ばねばなりません」
 その言葉と笑いを思い出し、汐耶は小さく苦笑する。
(あれが和菓子屋じゃなく、古書店だと置き換えてみたら、ちょっと羨ましい気もするわ。自分の好きなものを、自分が厳選したお客にだけ勧めることができるんですもの。そういうお客は、出されたのがどれほど貴重で素晴らしいものかも、ちゃんと理解しているから、きっと話もはずむでしょうし)
 図書館の司書である前に、本好き・読書家でもある彼女にとっては、勤務先に訪れる利用者たちの一部に怒りや悲しみを覚えることは、時おりあることだ。図書館を利用するからといって、本好きの人間ばかりではない。公共の書籍を平気で汚す者もいれば、乱暴に扱う者もいる。また、図書館そのものを無料の喫茶室か何かと勘違いしているような人間もいて、時に説教の一つ二つもしてやりたくなるのだ。そして、その思いをこらえるのは、彼女自身の精神衛生にもあまりよろしくない。けれど。
(それでも、あんな隔離された空間で、死ぬまで一人というのは、辛いわ……。本なんて、なんの価値もない下らないものだっていう人間もいて、そういう人に怒りや悲しみを覚えるからこそ、同好の士に出会えた時のよろこびは、大きいんですもの。……そうね。きっと、私だったら、あんなふうに生きるのは、耐えられないかもしれないわ)
 胸に呟き、彼女は低い吐息を漏らす。
 やがて駐車場に到着した彼らは、バンに乗り込むと、今夜の宿へと向かった。宿を手配したのは、汐耶だ。参加を表明した時に考えていたとおり、奈良行きが決まった時点で行きつけの宿に予約を入れた。その宿は、春日大社などのある観光スポットからは、南に少しはずれた場所にあり、周囲は黒い塀に囲まれた古い家並の続く、静かな住宅街である。
 彼女たちが着いた時には、日が落ち始めており、チェックイン後ほどなく夕食となった。部屋は、女五人に男二人なので、女性陣は二部屋に分かれることになった。部屋割りは、ロビーで雫の作ったくじで決めることになり、ひとしきり賑わった後、汐耶は冴波と雫の二人と同室になった。といっても、食後は彼女たちの部屋に全員が集まり、昼間の互いの出来事を話したり、明日の予定を決めたりして、遅くまで賑わったのだけれども。

【エピローグ】
 翌日は、宿で朝食をもらい、チェックアウトすると再び春日大社付近まで車で戻った。午前中一杯を、そのあたりの散策と、周辺に並ぶ神社仏閣の参拝などで費やす。奈良公園や、東大寺、春日大社の付近には、どこにも鹿がのんびりと歩いていて、汐耶たちの微笑みを誘った。
 みあおは、せっせとデジカメでそんな鹿たちや、同行者たちを撮影し、セレスティと雫は売店で鹿せんべいを買っては、おっかなびっくり鹿たちに差し出す。どの鹿も、人慣れているせいか、差し出されたせんべいをゆったりと食んでいた。中には、途中まで食べて、ぷいと頭をそむけてしまう鹿もいる。その仕草がおかしかったのか、シュラインが声を立てて笑った。汐耶と冴波、静流もそれぞれに売店を覗いたり、あたりの景観を眺めたりしている。
 昼食は、近鉄奈良駅の周辺に広がる商店街の方で、静流と冴波が買って来てくれた弁当を、奈良公園で広げた。天気がいいこともあって、あちこちで同じように弁当を広げているグループがいくつかある。
 午後になると汐耶は、静流と一緒に古書店巡りをした。一緒に古書を見て回ろうというのは、以前からの約束だったので、思いがけずそれが実現した形だ。
 汐耶は、珍しい古書を買うために、時おり関西の方へも足を伸ばす。だから、奈良市内にも馴染みの古書店がいくつかあった。一方、静流は関西は、仕事がらみで訪れたことしかないらしい。だが、勘がいいのか、入り組んだ露地の奥にある、汐耶も知らない小さな古書店を見つけてみたり、何度も行ったことのある店でも意外な掘り出しものを見つけたりして、彼女を喜ばせた。移動は車なので、量を気にせず買えるのも、彼女としてはありがたかった。
 そして、午後遅く。彼女と静流は仲間たちと合流し、来た時と同じくバンで東京への帰途に着いた。
(幻花堂を見つけて、美味しいお菓子をいただくこともできたし、古書店巡りも充実していたし……なかなか、悪くない旅行だったわね)
 座席に腰をおちつけて、彼女はそんなふうに思う。次に奈良に来る機会があれば、また幻花堂に寄りたいものだとも考えた。
(でも、こればっかりは、ご縁があったら……よね)
 胸の内に、小さな笑いを一つ落として、彼女は隣に座すセレスティに声をかけた。
「午後からは、どうしてました?」
「土産を買って、またあの鷺池に行ってみました。……気持ちのいい場所で、すっかり気に入ってしまいました。汐耶さんの方は、どうでしたか? 何か、めぼしいものでも?」
 答えたセレスティに水を向けられると、彼女の頬はわずかに紅潮した。
「ええ。やはり、たまには関西の方へも足を向けてみるものだわ。探していたものや、掘り出しものがたくさんみつかりました。……車だったのも、ありがたかったわ。電車だと、荷物になるし」
「そうですよね。荷物を増やしたくなければ、買うのを減らすか、宅配で自宅に先に送ってしまうかしか、ありませんからね」
 運転中の静流が、口を挟む。
「そうなの。でも、宅配といってもたくさんあると、代金もバカにならないし……」
 汐耶は、大きくうなずいてから、セレスティを見やった。
「だから今回は、本当に助かりました」
「いえいえ。車は、自分のために出したようなものですからね。少しでもお役に立てれば、幸いですよ」
 礼を言う彼女に、セレスティが苦笑と共に返して来る。それへ彼女も微笑み返して、満足の吐息を一つ漏らし、シートに身を預けた。
 後ろの座席では、みあおと雫が相変わらず賑やかだ。冴波は疲れたのか、助手席で目を閉じて眠っているようだった。ふと見ると、セレスティの隣でシュラインもうとうとしているようだ。その姿に、汐耶は思わず苦笑し、それからふと窓の外へと視線を巡らせる。
 午後の日は、そろそろ陰り始めていたものの、空は青く澄んで、どこまでも晴れ渡っていた――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1449/ 綾和泉汐耶/ 女性/ 23歳/ 都立図書館司書】
【0086/ シュライン・エマ/ 女性/ 26歳/ 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/ セレスティ・カーニンガム/ 男性/ 725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4424/ 三雲冴波/ 女性/ 27歳/ 事務員】
【1415/ 海原みあお/ 女性/ 13歳/ 小学生】

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■         ライター通信          ■
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●綾和泉汐耶さま
4回目の参加、ありがとうございます。ライターの織人文です。
今回は、のんびり春日大社周辺を散策という感じにさせていただきましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会があれば、よろしくお願いいたします。