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▲刀真と瑠宇の引っ越し大騒動記▼
夜崎・刀真の朝は早い。日が昇りきらないうちにアパートを出る。もちろん守護龍の龍神・瑠宇も早朝だというのにテンション高くついてくる。働くのは刀真なのにやる気満々でついてくる。いつものことで気にしない。
午前8時50分、バイト先の喫茶店でタイムカードを押す。朝担当は自分を含めて5人もいない。開店時間へ間に合うように準備をする。午前中は客の数も少ない。勝負は昼だ。ウエイターとキッチンの両方をできるベテランバイトの刀真は行ったり来たりと忙しい。悪い冗談のように雪崩れこむ来客者を捌いていき、昼過ぎ担当のウエイターが遅刻すると知らされて1時間延長で午後3時に退勤。
不老不死の尸解仙といえども無限大といってもいい種々様々な客を相手にするのは疲れる。全身に気怠さを湛えてアパートを目指した。一緒になってあっちへチョロチョロこっちへチョロチョロしていた瑠宇は自分の周りを尚も飛んだり跳ねたり回ったりしている。若さの違いか、と思いかけて彼女が自分の2倍近く生きていると思い出した。時々その容姿や行動の幼さで分からなくなるのだ。
「夜崎さーん、ちょいと待っとくれ」
アパートのドアに鍵を挿しこんでいるところで呼び止められた。地味な服装の横幅あるオバサンだ。彼女はそんじょそこらのオバサンではない。2階建て築45年のこのアパートの主、大家だ。なんですか、と問う表情で振り返る。
サンダルを鳴らした大家は鼻息荒く傍まで来た。
「先月の家賃だけどね、集金袋に入ってたのじゃ足りないのよ」
「そうでした? しっかり確認したつもりだったんですが」
つい先日のことだ、封筒にお金を数えて入れたのを覚えている。お金はバイトで得た微々たる生活費をやりくりするために細かく管理していた。1円の狂いも間違いもないはずだ。つまり、大家の手元へ届くまでに何者かが抜き取ったのかもしれない。もしくは家賃を余分に調達しようという大家の策略か。
しかし刀真の頭によぎった考えはどれも外れていた。
「先々月ならあれでいいんだけども、先月から家賃値上げしたのよ。大分前に回覧版で知らせたでしょ?」
「値上げ……」
記憶のヒモを辿る。数ヶ月前に回覧版が回ってきたのをおぼろげに思い出した。内容は知らない、というより見ていない。見ても「ガーデニングをしましょう」や「アパート住人モチつき大会」などのくだらない知らせばかりなのだ。初めはチェックしていたが、最近はやりたがっていた瑠宇にハンコを押させて隣へ回すようにしている。
まさか生死を分かつ重大な知らせが織り交ぜられていようとは思わなく油断していた。まんまと策にハメられてしまった気分だ。
「いくら足りないんですか?」
「4万よ。そろそろあちこちでガタがきてるからね、それの補修なんかも兼ねて。綺麗にしたらしたで部屋の価値も上がるでしょ、これ以上はまけられないわ。それに――」
既に刀真には彼女の声が聞こえていなかった。ひたすらに「4万」という言葉が脳内で反芻される。いままでの家賃でも必要費用を抑えてギリギリに生活してきたのだ、4万円もの値上げはそれを何百キロも通り越して破産しろと言われているようなもの。
大家の語りに茫然と相づちを打ち、考えさせてもらうということで話を終えて刀真は唯一の1間に寝転がっていた。シミだらけの天井を無心で眺めている。近くで瑠宇が駆け回っている音も耳に入らない。
深刻な問題だった。バイトのシフトは目一杯に入れている。店長との交渉次第で少しは増やしてもらえるだろうが、値上げ分をカバーするには足りない。バイト先は人手に困っているわけではなかった。バイトを増やす、という手も考え、無理だと判断する。いまのバイトでも大変な労力を要している。じゃあ割のいいバイトを探す、と思いつき、これも否定する。現在のバイトは割りと時給も良く、普通の半分以下の値段で昼飯も食える。いま以上を望むのは難しいだろう。残る可能性は限られてきた。
「よし、決めた」
半身を起こす。いつの間にか自分のマネをして仰向けになっていた瑠宇も隣で起き上がって目をパチクリとさせた。
「なにを決めたの〜?」
「いいことだ、準備しろ」
彼女にニヤリと笑いかけ、部屋を見回す。幸い荷物は少ない。
思い立ったが吉日、刀真は大家のもとへ急いだのだった。
不動産屋を見上げ、祈る気持ちで入店する。慣れた応対で店員の男にイスへ促された。分厚いファイルを持ってきた彼も対面に座る。
「本日はどのような物件をお探しですか?」
「近場で安くて、とにかく安くて最低限住めるところを希望する」
密かに貯めていたお金で大家に不足分を払った刀真は契約を解除した。その足でここに来ている。
「それなら、この物件などは――」
「いや、もっと安いのを頼む」
「では、こちらの――」
「もっと安く」
めくられていく物件情報ファイルに対して首を横に振っていった。我ながら無理な条件だ。既に何軒も他の不動産屋へ行ったあとだったが、どこでも冷やかしだと思われて追い返されてしまった。
店員が手を止める。今回もダメだったか、と内心で息をついた。もはや周辺地域に不動産屋はない。最後の希望は失われようとしていた。しばらくは野宿になりそうだ。
追い返しの言葉を投げつけられる前に、邪魔をしたな、とイスを立ちかける。
店員が顔を上げた。
「1軒だけお客様のご希望に該当する物件がございます」
一瞬、言葉を理解できなくなった。意外なあまり我が耳を疑わずにはいられない。本当か、という訊き返しに彼は静かに肯く。店員が一旦店の奥へ入っていき、戻ってくると別のファイルを持ってきた。
物件は素人目に見ても破格だった。古さを補うタダも同然の価格。迷う余地はない、即決だ。しかし、ここがいい見せてくれ、と言う刀真に比べ、男の表情は浮かなかった。どんな物件であっても、嘘をついてでも契約させようとするのが仕事なのではないのだろうか。
気が乗らないらしい彼は伏し目がちに言う。
「ただ、1つだけ問題がありまして――」
紹介された物件の外壁にはツタがところどころで密集していた。片側が腐食して倒れた鉄格子門の前で刀真は納得する。意識するまでもなく「歪み」が感じられたのだ。顔をしかめ、思い直して足を踏み入れる。まだ昼も半ば過ぎだというのに雷鳴が轟いた。庭は雑草や名称不明な植物により荒れ放題で先行きを不安にさせる。
不動産屋の言っていた問題はこれだ。入居者がみんな謎の失踪を遂げ、取り壊そうとすれば必ず工事中に事故が起きるため放置され続けてきた。人外の匂いがそこら中から感じられる。もっとも刀真達にしてみれば好都合だった。
「今日からここが瑠宇のおうちなの〜? すご〜い♪」
瑠宇が瞳をキラキラとさせて早速駆け回っている。
なによりも敷地面積が広かった。住んでいたアパートの倍以上はありそうな2階建ての洋館だ。
渡された鍵でドアを開けていく。ホコリとその刺激臭が舞い上がって襲いかかってきた。手で扇ぎ、あらかじめ聞いていた電気スイッチを探って壁に触れる。指先に手応えを感じ、明かりを点けて見回す。
「掃除は必須だな、色んな意味で」
玄関というよりもホールに近い。正面にある幅の広い階段が上へ通じていて天井は吹き抜けになっていた。敷き詰められた赤いカーペットは砂ボコリで暗くくすんでいる。名も知らぬ人型の石膏像が両端に1つずつあった。
よし、と気合いを入れる。今回は寝床がかかっている、しくじるわけにはいかなかった。
「瑠宇、お前も手伝うんだぞ」
「うん、がんばる〜♪」
ホコリを巻き上げて走る彼女は満面の笑みをする。
本当に分かっているのかどうかは怪しいものだった。
邪悪とも言える空間を作り上げている元凶があるはずだ。核となるものを消滅させれば浄化できる。問題はどこにあるかだった。家が広いというのはいいことばかりではない。歪みが洋館内に濃く充満していて正確な場所を察知できなかった。
1階からシラミ潰しに探すことにする。順番に意味はない。玄関を入ってすぐにドアが目についたのだ。思うがままに西側へ歩を進めた。
ノブを回す。
いきなり奇声を上げて影が覆い被さってきた。人間のようで人間ではない背の低い頭のハゲた下等な魔物だ。腰巻のみの彼の腕の中に刀真はいない。代わりに石膏像がある。空蝉だ、飛びかかられる前には反射的に体が動いて背後に立っていた。
首を傾げている背中へ刃を振り下ろす。魔物が苦しむ余地もなく首を切断して絶命させる。灰の如く白くなって霧散した。この程度の者が相手ならば朝飯前だ。
改めて部屋を見回す。応接間のようだ、大きなソファーが2つ向かい合わせて置いてある。ホコリを払えば使えるかもしれない。家と同時に家具も揃うのは幸運だった。思っているよりもずっと儲けものだ。
「トーマ、こっち来て〜♪」
瑠宇が手招きして急かす。応接間を出ると彼女は隣の部屋へ入ろうとしていた。あとに続いた刀真が見たものはガラクタの山。物置に使っていたのだろう、統一性のない色々な物が所狭しに積み重ねられている。瑠宇は宝探しの気分で楽しんでいるようだ。なににしても魔の根源がこんな狭い場所にあるとは思えなかった。
行くぞ、と声をかけて名残惜しそうな彼女をつれていく。
西側には他に1間として使えそうなトイレと瑠宇が、泳げそうだね〜、とはしゃいだバスルーム、そして使用人用の共同部屋があった。ベッドが10台は並んでいる。たまのトレーニングで十分に使えるスペースだな、と襲ってきた3匹の魔物を難なく斬りながら考えていた。
東側。
ドアを開けたそこには大手料亭並のキッチンがあった。バイト先の数倍はある。アパートの狭い台所と違って伸び伸びと料理ができるだろう。満足どころか胸の躍る設備だった。
奥にも一風変わった扉がある。見るからに重そうな感じだ。見覚えがあった。バイト先にも似たような作りのものがある、冷凍室だ。ノブは強く閉めるとロックがかかるようになっている。
それが開いていた。扉が徐々に押し退けられていく。人間の倍の足音がした。巨大な姿が現れる。牛、それも首を切られた状態の体がこちらを窺うように停止した。
突進。調理台の上へ跳んで刀真は躱す。放置されたままで怨霊めいたものが憑いたのだろう。青龍刀を背に突き立てつつ食べられるかどうかを一考して決めた。毎秒に5度の斬撃を繰り出してバラ肉にしていく。牛だった切れ端を次々に置いてあったポリバケツへ放りこんだ。
「賞味期限を大幅に過ぎたら処分しないとな」
「お肉、もったいないね〜」
「腹壊すのは嫌だろ、しょうがない」
綺麗に骨のみになった牛をあとにキッチンを出た。
不動産屋にもらった間取り図へ目を通す。1階に残っているのはあと1部屋だ。食堂として使われていたらしい。ちょっとしたレストラン並の広さだ。ここを使って2人だけでメシを食ってたら落ち着かないだろうな、と思った。
白く清潔であったろうテーブルクロスをかけられたテーブルが縦に長く並べられている。飛んできた5つの燭台を剣で弾いた。諸悪のもとはここにもなさそうだ。
上へ行くか、と部屋を出ようとすると瑠宇が壁に掛けられた大きな絵を見上げていた。ドレスを来た女が描かれている。違和感があった。絵は平面だ。多くは立体的に描かれているものではあるが、彼女が見ている絵は額を抜けて浮き上がっている。
「おい瑠宇、その絵――」
あまり近づかない方がいいぞ、と言いかける。彼女はなにを思ったのか絵を持ち上げた。予想以上に重かったらしく、バランスを崩している。2・3歩よろめいて後ろへ下がった少女がついに尻餅をついた。絵がテーブルへ大いに叩きつけられて半ばで折れる。木製の額縁は軋むのではなく雄叫びを上げた。
転んじゃった、と舌を小さく出して微笑む瑠宇は気づいていない。
「傾いてたの直そーと思ったんだけど壊れちゃった〜」
「どうせ趣味じゃない、気にすんな」
無邪気とは時に恐ろしい。まぁ手間が省けて良かったが、と絵に憑いた者に少々同情しながら食堂を出た。
絨毯の敷かれた長い階段を上がっていく。正面に食堂にあったものの4倍はある絵が飾られていた。白髪でヒゲを口に蓄えた初老の男だ。以前住んでいた者の自画像だろうか。入居者は引っ越してきて時間が経たぬ間に失踪していると聞いている。絵を描いて飾る余裕はなかったに相違ない。可能性としては初代のオーナーだ。
物音に振り返る。向こう側の通路に例の背が低い魔物が顔を出した。1匹ではない。2匹、3匹、4匹――面倒だ。無数の魔物がこちらへキシキシと笑いながら歩んでくる。統制はとれていなくても通路は割りと狭い。おのずと1列に並んでいる。
迎え撃つように彼らの正面へ立って青龍刀へ気功を込めた。ぼんやりと淡い光が得物を覆う。
敵が止まった。刀真は笑う。
「こっちも生活がかかってるんでな、悪く思うな」
斬。
我先にと引き返そうとする魔物へ光の刃が走り抜ける。あっさりと追い抜いて壁に消えた。背中を向けて停止する小さな影達がズズゥとズレて灰と化す。
静かだった。ふと気がつくといつも周りをチョコマカと騒ぐ瑠宇がいない。どこへ行ったのだろうか。まぁアイツなら大事に至ることもないだろう、と判断して先へ進む。
灰を踏み締めてドアの前に立った。ここは寝室になっているはずだ。
ベッドが置いてある。キングサイズの立派な物だ。大分痛んでいるのが残念、さすがに使えない。初代オーナーの物は案外多く残っているらしい。手をつける前に住人が消えるのだから当たり前だ。このベッドも随分と前からある年代物だろう。
寝室には机もあった。木造の大層な物だ。手元を照らす小型のライトや机の表面はホコリのデコレーションケーキになっている。その一部に1冊の本があった。ページを開いてみる。
どうやら日記のようだ。ざっと読むと初代のオーナーは独り身だったようで、怪しげな魔術を趣味にしていたらしい。洋館に潜む魔物はそのせいかもしれない。しかし気にかかるのはなぜこれだけの歪みが発生しているかだ。
踵を返して通路に出る。階段を挟んだ対面側にドアが見える。
書斎になっていた。中は壁を埋めるぐらいの本棚が列を成している。それだけ目立つ物が刀真の目には映っていなかった。
部屋の中央に魔物が1匹。先客はもう1人いた。彼がグッタリと脱力した少女を抱えている。瑠宇だった。魔物が彼女の首筋へ歯を立てる。柔肌は抵抗なく受け入れて血液を溢れさせた。
鼓動に呼応して視界が一瞬縮んだ。考えるより早く移動している。縮地。次元の点と点を縮め、再び戻せば瞬時に魔物の横へ行ける。振り向かせるのを許さなかった。頭上から縦に全身を斬り裂く。
瑠宇が床に転がった。見下ろして膝をつく。頭を支えて上半身を起こさせた。
目が開く。裂けんばかりに口を開いて牙を露わに噛みつこうとしてきた。
その額へ小刀を突き刺す。瑠宇――の姿をしていた魔物は我が身になにが起こったのか分からないまま朽ち果てた。初めから分かっていた。彼女が容易に下等な魔物などに捕らえられるわけがない。それにいやらしい獣臭さが胃にもたれそうなぐらいしていた。
開けていたドアの前に小さな影が立つ。
「トーマ、面白いの見っけたよ〜♪」
「お前は本物の瑠宇だよな?」
すると彼女は不安と寂しさの入り混ざった表情をした。
「瑠宇のこと忘れちゃったの〜?」
見間違いようがない。
フッと笑って腰を上げる。
「いや、なんでもない。それで、面白いものってのはなんだ?」
瑠宇のもとへ歩んで頭に手を乗せてやる。
パッと顔を明るくさせた少女は、うん、と元気に肯いて案内を始めた。
ガラクタの山が雪崩を起こしていた。初めの方でチェックした物置だ。いなくなったと思ったら、ガラクタを引っくり返して遊んでいたようだ。瑠宇が障害物をものともせずに越えていく。
「ガラクタの中に玩具でも見つけたのか?」
「いいから、早くこっちこっち〜♪」
登りを終え、下山開始。少しは足の踏み場ができていた。むしろ強引に作った感がある。彼女は手足が汚れるのも気にしない動作で四つん這いになり、床を探った。ガコン、となにかが外れて穴が空く。
地下に通じる梯子があった。
「こりゃ間取り図にも載ってないぞ。初代オーナーの趣味で作られたのか」
「探検♪ 探検♪」
嬉しそうにピョンピョンと瑠宇が跳ねる。
面白いかどうかはともかくとして大発見かもしれなかった。残る部屋はここだけだ。
先に下りた刀真は強い歪みを感じていた。元凶があるのは確実といえる。通路は照明がきちんと設置されていて明るかった。整頓された石造りで、ひたすらに長く1本道が続いている。ホコリの次はカビの臭気だ。
人外の気配が蠢いていた。そろそろラストスパートだ。青龍刀を腰に構え、姿勢を低く疾駆する。魔物の群れが見えてもスピードを殺さない。
彼らの大きな1つ眼が怪しく光った。光線がこちらを照準して放たれる。
「不動産屋と契約しなかった自分を恨めよ」
刀真は左右へ躱し、足は床を逸れて壁へ、そして天井へ貼りついて走る。斬撃、クナイ投げ、蹴り、なんでもありだ。後方で次々に下卑た叫びが響き渡る。四方の壁を回転して駆けるこちらに狙いが定まらず、光線で相撃ちをする者もいた。
突き当たりの横にドアがあった。躊躇わずに開ける。
異界の空気が鼻腔を突いた。石畳に描かれた魔方陣の上に闇が渦巻いている。魔に住む者の腕が幾重も伸ばされていた。絶えず不気味な呻き声が室内に反響する。
立ち塞がるのは初老の男だ。馬鹿みたいなサイズの絵画に描かれていた人間だった。現在は状況が違ってきている。
「お主ら、ここまで来るとは大したもんだ」
「立ち退きを願おう、この家は俺の物になった。化け物にはもったいないしな」
男が目を細め、口元を歪める。もはや彼に常人の匂いはなかった。
床を後方へ蹴る。すれ違い様に彼の体を斬りつけた。上半身が皮一枚で繋がっている。
手応えがない。振り返る。
喉で笑う男の肉体が粘着質な音を立てて再生していった。そしてそれは再生に留まらないで変態を遂げる。全身の筋肉が盛り上がり、足はタコの如く分かれてうねり、顔も元の原形を残さず軟体動物のように崩れていく。入居者や魔物を取り込んで得た産物だろう。簡単には受け渡してくれそうになかった。
伸びた触手が薙ぐ。咄嗟に刀で受けた。しかし図体に比例して膂力は大したもので、抵抗も虚しく弾き飛ばされる。壁にしこたま背を打ちつけて顔を苦痛にしかめた。
死力を尽くせば倒せないこともないが、バイトにしばらく出られなくなるのは痛手だ。家賃の心配がなくなっても生活費は従来通りにかかる。
「瑠宇!」
呼ぶと、意を察した彼女が体に巻きつくようにした。やがて自らの肉体に重なる。
全身に彼女の存在を感じられた。燃え盛らんばかりに体の芯が熱くたぎり、パワーが満ちていく。吐く息が細かに途切れた。抑えていないと爆発してしまいそうな感覚がある。
指を3本立てて魔物へ笑いかけた。
「3秒だ、3秒で倒す」
挑発でもハッタリでもない。
跳び、頭上で相手を見据える。
1秒。
両の袖から剣を出して真下に向ける。敵が横目でこちらを確認する。
2秒。
脳天に突き刺す。断末魔の叫びが発せられる。
3秒。
着地。頭に剣を生やした魔物はピクリとも動かない。すぐにドシャッと崩れ、大量の灰により小さな山ができあがった。
魔方陣上で渦を作る闇へ目を向ける。新たに刀を出し、絶儀を駆使して裂いた。異界との通路は見る見るうちに縮んでいき、魔物の指1本通らない大きさになる。完全なる消滅に数秒もかからなかった。
「悪者退治、終わり〜?」
合一を解除し、再度実体化した瑠宇が問いかけてくる。ふぅ、と息をついて、ああ終わりだ、と肯いた。久々の合一もあって体が怠い。物理的な大掃除も残っているが、あとは後日にしよう。
爽やかで心地良い気分だった。
「喜べ瑠宇、晴れてここが我が家だぞ」
「うん、やったね♪ 瑠宇、2階の部屋がいーな〜♪」
「好きにしろ、部屋は沢山あるからな。キッチンも万全だから美味い物も作れるぞ」
やった〜、と彼女がジャンプした。
地響きが起こる。瑠宇が跳んだからではないだろう。地震にしても大袈裟すぎる。
2人は顔を見合わせた。揺れはどんどん酷くなっている。直感で、ヤバイ、と感じた。
「崩れるぞ!」
瑠宇の手を引いて走る。砂ボコリと瓦礫が降ってきた。それを避けていき、梯子を上っていく。後ろで地下の埋まる音がした。
危機はいまだに去っていない。地上にまで揺れは継続されていた。ガラクタを越えて通路に出る。ホコリが霧となって視界を悪くしていた。軽くむせながら玄関まで疾走する。音と響きは絶頂に達しようとしていた。
刀真は瑠宇を抱えて跳び、玄関を出た。圧縮された爆風が体を浮き上がらせる。数メートル束の間の飛行をしたのち地面を転がった。粉々になった木材やガラス片が雨のように降りかかる。トドメにこの世の終わりを想わせる破砕音が重く鳴り響いた。地面も微かに揺れる。
「…………」
全てがおさまり、顔を上げる。上から下までホコリまみれだ。払いつつ、背後を振り返る。洋館は跡形もなくぺしゃんこになっていた。柱すら残っていない完璧さだ。建物の老朽化が思いのほか進んでいたようだ。ちょっとやそっと暴れたぐらいで家は崩れるものではない。つまりとっくに限界は来ていて魔物の力により支えられていたということになる。
刀真は努めて自分を落ち着かせた。家自体はなくなっても小屋でも建てれば住めないこともない。物は考えようだ。ネガティブに考えてもいいことはない、ポジティブ思考が大事なのだ。
「おやおや、完全に倒壊しましたねぇ、良かった良かった」
不動産屋の店員がいた。書類らしき物を小脇に持って歩いてくる。正式な契約書を持ってきたのだろう。
「では残念ながら今回のご契約はなかったということで」
聞き捨てならない発言だった。
どういうことだ、と顔を向ける。男は苦笑いをして後退った。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、壊れてしまったんですから仕方ありません」
「それは分かる。しかし土地を利用すればどうとでもなるだろ」
困ったように店員は頬を掻いた。
「それなんですが、土地の権利は含まれていないんですよ。契約書にも明記してあります。申し訳ありませんが、お引き取りください。――それでは、私は仕事がありますので、これで失礼させていただきます」
一礼をして去っていく。
二の句も継げなかった。魔物ではないのだ、無理矢理に暴れて奪うわけにもいかない。茫然と小さくなる男の背を眺める。契約がなくなった、それならばあれだけ張り切って奮闘した自分はなんだったのだろうか。魔物を前に動き回って薙ぎ倒していく自身の映像が切り取られてフラッシュバックする。それが全部無駄、水の泡。
「無駄……1日やってきたこと全て、無駄……」
歓喜の心がベコッと盛大にへこんだ。肩が落ちて立っているのも辛くなる。虚無の感情に制された。
励ますように瑠宇が肩を叩いてくる。
「瑠宇、野宿でもヘーキだよ? キャンプみたいで楽しーもん♪」
彼女がニコッと笑う。
それが逆に、胸に染みた。
「そうか、ありがとな」
「うん、がんばろー♪ えいえい、おー! トーマも一緒に〜、えいえい」
「お〜」
「もっと元気に♪ せーの、えいえい」
「おー!」
刀真は夕日に向かって自棄気味に叫んだのだった。
2人の寝床探しはまだまだ続く。
<了>
■ライターより■
毎度、ありがとうございます〜!
初のシチュノベ発注ということで頑張らせていただきました^^
設定も細かかったので伸び伸びと書けた感じがします。
いつもと一味違う張り切る刀真、いかがでしたでしょうか〜。
それにしても案外、不幸人なのかもしれませんね^^;
ついつい応援したくなります(w
はてさて、今後の2人の運命はいかに!?
ということで、ここら辺で締めくくらせていただきます☆
少しでも楽しんでいただけたら幸いです^^
またの機会がありましたら、ぜひぜひよろしくお願い致します♪
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