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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


巻き戻し

 もしも過去へ戻れる階段があるなら、どこまで降りていくだろう。
 私立神聖都学園にはその「もしも」があった。中学校校舎の裏側にある二階建ての用具倉庫、外壁に取りつけられている金属製の回り階段を下りていくと、戻りたいと願った時間へさかのぼれるらしい。

 機内を流れるアナウンスに、陸誠司ははっと瞬きした。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。当然だろう、時間をさかのぼる螺旋階段を下りて、どこへ出るのかなんて誰にもわからないのだから。
 誠司は飛行機の中、人と人に挟まれた席に座っていた。離陸直前らしく、しっかりシートベルトまでつけている。辺りを見回してみると、席はほとんど埋まっていた。大きな飛行機らしく二人掛け、三人掛け、二人掛けがずらりと並んでいる。紺色の制服を着たスチュワーデスは、荷物棚の点検をしている。
 ただ、その全てが普段見る自分の目線よりも随分と高いところにあって、誠司は不思議な気がした。昔の飛行機は全てが大きく作られていたのだろうか、などと考えつつ何気なく自分の手を見て、さらに誠司は目を疑った。
「もみじのような手」
そう呼ぶにふさわしい、幼い手だった。黄色いパーカーを着た自分が、二歳の姿をしていることに気づいて誠司は思わずその手を振り回してしまった。すると、
「あら、どうしたの?」
右隣から伸びた手が、優しく誠司の頭を撫でた。触れられるだけで泣きたくなるような、柔らかい手だった。この手の感触を、誠司はこの十数年忘れたことがなかった。
「おかあさん」
誠司は右を見た。母は、自分のハンドバッグの中からチョコレートを取り出そうとしている。恐らく、自分に食べさせようとしてくれているのだろう。さらに反対を向くと、父が真面目な顔をして救命胴衣の説明を聞いていた。
 これだけでもう、誠司は泣きたくなってしまった。二度と会えないはずだった両親が、自分を挟んですぐそばにいる。懐かしくて嬉しくて、このまま時間が止まってしまえばいいのにと願った。このまま、世界も終わってしまえばいいのに。
 世界が・・・・・・。

「いけない」
「誠司?」
突然叫び声を上げた誠司だったが、回りからはよくある子供の疳の虫と思われ、大して気にもかけられなかった。それでも、誠司は真剣なのだった。
「おかあさん、駄目」
「え?」
「おとうさん、飛行機降りよう」
「どうしたんだ、一体」
高所恐怖症ではないはずだが、と両親は誠司の頭上で目と目を合わせる。昨日まではあんなに旅行を、飛行機に乗るのを楽しみにしていたのにという顔だ。
 そのとおりである。うっすらとした記憶の中に、誠司はこの旅行をとても喜んでいた自分がいたことを覚えている。普段は忙しい父が、一週間の休みを取って旅行の計画を立ててくれた。母が、旅行のための新しいカバンを買ってくれた。
「嬉しい、嬉しいけど」
この飛行機が事故に遭うことを知っているのは、この中で誠司一人だけ。しかし二歳の自分が言う言葉を、両親でさえ信じてくれるかどうか。いや、十八歳で説明したとしても、縁起でもないと言われるだけだろう。
「だって」
言いたいことが、言葉にならずもどかしい。説明できないことが、どうしようもない。
 飛行機を降りてもらうより他に道はない、としか考えられなかった。今の自分の体では、両親のことを守れるかどうか自信がないのだ。せめて、十八歳のままの体で来られたなら、事故が起きた瞬間二人を抱え、無理矢理にでも飛行機から脱出するなど手段はあったはずなのである。それは他の乗客を見捨てる、真面目な誠司を苦しくさせる選択だったが、それ以外に選ぶ道がなかった。
 なのに二歳の体ではどうしようもない。
「間もなく当機は離陸いたします。シートベルトを今一度、ご確認ください・・・・・・」
泣き出しそうな顔をしている誠司の耳に、離陸のアナウンスが聞こえてきた。

 飛行機が、飛行場を離れてからずっと誠司の母は奇妙な心地を味わっていた。息子が、さっきからずっと自分の顔を見ているのだ。いや、自分だけでなく夫の顔もしきりに見上げている。目が合うと、嬉しそうに笑うので不安がっているわけではないようだが。
「誠司」
「なに?」
まっすぐに見上げてくる黒い目は父親似と人から言われる、髪の毛の色や輪郭は、自分に似ている。
「これ、お父さんにもあげてちょうだい」
ハンドバッグから取り出したアメを二つ、小さな手の中に落とす。一つは誠司自身の分なのだが、この真面目な息子は恐らく二つとも父に渡すのだろうと思いながら。
 新聞を読んでいた誠司の父は、スーツの袖を引っ張られて目を上げた。息子が握りしめた右手を振っているので、手を出してみるとアメを二つ落とされた。
「お父さん、あげる」
妻の顔を見ると、人さし指を一本立てられた。一つ、息子に返せということなのだろう。
「ありがとう。でも、一つはお前の分だよ」
赤いほうのアメをつまんで、誠司の手に戻した。自分のその手を、誠司がじっと見つめていた。なにかと思ったら、親指の爪を見ていた。実は、自分の親指の爪は昔金槌で思いきり叩いたことがあって、変形しているのだ。その部分から目を離さない。
「面白いのか?」
と聞いたら嬉しそうに頷かれた。不思議な子だ。
 誠司は父からもらったアメを口の中に放りこむ。この味も、覚えておこうと思った。母の顔、父の顔、匂い、しぐさ、交わした言葉、その声。これで最後なのだから、全てを心に焼きつけておきたかった。
「おとうさん、おかあさん。命に代えても、守るから」
こうなったら自分が犠牲になってでも、と誠司は胸の中で祈る。自分はどうなってもいいから、二人だけはなんとしてでも助けてください、と。
 食べたアメの紙をポケットに入れた直後、機体が縦にがくんと揺れた。ほとんど同時に、機内が乗客の悲鳴に包まれる。乱気流に突入した、というアナウンスがまるで聞こえない。冷静なのは誠司一人だけだった。
 すでにシートベルトを外していた誠司は席から立ち上がり、父と母を安全な場所へ連れて行こうとした。このまま飛行機は海の中へ墜落するはずだから、救急ボートのある貨物倉庫がいい。毛布を敷き詰めた上に、ボートを膨らませた状態で待機していれば、助かる可能性が少しは増えるはずだ。
 だが、立ち上がることはできなかった。声を出すこともできなかった。
「誠司!」
父と母が、誠司を守ろうと両脇から身を乗り出してきた。誠司は母に強く抱きしめられ、その上から父が覆い被さる。
「痛い」
誠司は痛いほどに守られていた。どんなに大きな声で離して欲しい、と叫んでも駄目だった。このままでは父と母を守れない。このままでは。
 飛行機が落下していく、そのくせ体が浮遊していく不思議な感覚の中で、誠司は気を失った。

「・・・・・・ちゃん、お兄ちゃん?」
気がついてみると、神聖都学園の螺旋階段のそばに寝ていた。妹が、誠司の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの?こんなところで昼寝なんて」
「・・・・・・」
誠司は妹の顔を見たとたんに、なんだか泣きたくなってきて妹を抱きしめた。
「どうしたの?」
もちろん妹には、なにがなんだかわからない。痛いよ、離してよ、と背中を叩かれたがそれがまた心に刺さる。あのとき離してもらえたら、父と母を助けられたのだろうか。
 いや、離してもらっても運命は変わらなかったのだろう。何度あの場に戻ってみても、両親は事故に遭い自分一人が生き残る。それが現実なのだ。辛い記憶を繰り返した誠司の心に残った唯一の救いは、父と母に会えたことだけだった。
「・・・・・・俺の両親、本当の両親な。お父さんは真面目な人なんだ。飛行機の離陸前の説明をちゃんと聞いて、新聞も毎日隅から隅まで読むような。お母さんは優しい人で、いつもハンドバッグの中にお菓子を入れてた。俺にくれるためのお菓子、アメとか、チョコレートとか」
突然、脈絡もなくかつての両親の話を始めた誠司に、妹は面食らっていただろう。だが、兄の声がただならぬ様子だったので、なにも言わずじっと聞いていた。
「それからお父さんは左の親指の爪が曲がっていてさ、お母さんの香水は、いい匂いがして・・・・・・」
とめどなく誠司は喋りつづけた。喋るのをやめると、涙が出てきそうだった。ポケットの中から、赤い色をしたアメの包み紙がこぼれ落ちかけているのにも気づかず、ただただひたすらに喋りつづけていた。
「お父さん、お母さん」
誠司は、彼らに愛されていたことを忘れない。これから誰を愛し、誰に愛されるようになったとしても決して、忘れることは、ない。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

5096/ 陸誠司/男性/18歳/学生兼道士

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
恐らく誠司さまの予想された話の展開とはまるで違う
形になってしまったかと思うのですが、この「巻き戻し」は
「自分が二人存在することは有り得ない」
「過去に戻るときは、戻ったときの年齢で」
という原則を作っているので、二歳の体での行動となりました。
また、今回結末が暗い形になり申し訳ない気持ちで一杯です。
ただ親と別れるという設定は、個人的にも思い入れがありまして
幸せな思い出にしたいなあという気持ちが強く働きます。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。