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<東京怪談ノベル(シングル)>


「あちこちどーちゅーき」

電車から降りると、むせかえるような濃い緑の匂いがした。

一時間に一本しか電車が来ない、田舎の無人駅は緑に囲まれていた。見渡す限りどこまでも続いているような緑の田。風が通るたびに、小波のようにゆれる緑の稲は汗ばんだ肌にも涼しい。緑の波に揉まれて草の匂いに染まった風が、桐苑敦己を歓迎するように騒いだ。
「綺麗ですねぇ」
どこまでも続く田んぼというものは、最近失われつつある。田舎と称されるところにもコンビニが出来、どんどん時代遅れになることを許されなくなってきている。それが悪いことだとは言わないが、敦己はこの濃密な緑を楽しみたかった。今は水を元気良く吸い上げている緑が、秋になれば太陽をその細い葉に吸い込んで金色に光る。春は、張られた水に小さな生き物達が泳ぎ、植えられた苗が気持ちよさそうにそよぎ、冬は冷たく黒い土の上を、足場が悪いにもかかわらず子供が走り回る。そこは作物を育てる場所でもあるが、さまざまな生き物の家でもあるのだと、敦己はそう感じていた。
「しかし、どこか泊まれるところはあるのでしょうか」
見たところ旅館などがあるようには見えない。見回すと、遠くに住宅街のようなものが見えた。少なくともある程度の数の民家が存在しているだろう、赤や青の屋根の色。野宿というテもあるが、夏の田んぼは水がある。水があれば当然そこにはヤブ蚊が住む。外で星空を眺め、夜の空気に包まれて眠るのも悪くはないが、蚊に刺されるのは遠慮したいところだった。旅館はなくとも、誰か軒先を貸してくれる家ぐらいはあるかもしれない。敦己は田んぼの隙間を縫うようにして細い道を歩いていった。

30分ほど歩くと、ようやく民家が見えてきた。どうやら団地らしく、一区画ごとに小さな札が電柱に掲げてあった。
団地の外側をのんびり歩く。学校は夏休みなのだろうか、子どもたちが小さな自転車を乗り回し、つむじ風のように駆けていく。どこかで蝉の声が聞こえる。

近くに公園でもあるのかと、ジリジリと夏の光線のような声を頼りに足を進めた。そこには大きな木がある公園と、市場が開いていた。ちょうど昼を食べていなかったので、塩でしっかり握ったおにぎりとお惣菜を買うと、店番をしていた老人が不思議そうに敦己の顔を見ながらもお新香をおまけにつけてくれた。
隣の公園へ行き、薄浅黄に色あせたベンチに腰を下ろす。木々の作り出す影の下、買ったばかりのおにぎりを食べる。人の手が握ったおにぎりを食べることも、最近は減っている。敦己が懐かしい気分でおにぎりを味わっていると、上からしゃがれた声が降ってきた。
「あんた、どこのモンだ」
顔を上げると、白いランニングに麦わら帽子の老人が立っていた。小柄ながらもしゃんと背筋を伸ばし、杖も持たずに立っている。帽子の下からは鋭い眼光が放たれていた。
「いえ、怪しい者ではありません」
そう言ってから、逆効果だと気づき苦笑する。
「ちょっと、旅をしていまして…あんまり田んぼが綺麗だったんで立ち寄ったんです」
老人はしばらく胡散臭そうに敦己を見ていたが、邪気の無い笑顔を向けられ仕方なさそうに鼻を鳴らした。
「ここにはホテルも民宿もねえぞ」
「ええ、そうみたいですね。どこかで野宿してもいいのですが…」
案の定老人は意地悪く笑い、ヤブ蚊に刺されるぞと言った。
「ここらは山の蚊よりもちいせえが、水があるもんだでブヨもヤブ蚊も多いだわ。そんなところで野宿なんぞしてみぃ、お天道様が上るころにゃ風船みたいになっとるて」
「ええ、さすがにそれは遠慮したいところですので」
「でもここは田舎だもんで、ヨソモンを泊めるような家はあんまりあらせん」
田舎というのはのんびりとして、都会にはない平穏な生活が望める。しかしその代わりに人の移動がなく、余所者に対する警戒心も高かった。
「空き家かなにか、一晩過ごせそうなところはご存知ありませんか?」
「そうさなあ…米屋ん所だな。主はもうのうなってまっとるが、まんだきれいな家だ」
昼食を平らげ、老人に教えられた通りに団地を抜ける。アスファルトで舗装されてはいるものの、その両端は草木に侵食されていた。遮るものが何も無い一本道を歩いていると、ふと前方から強い風が吹いた。突風と言ってもいい力強い風が敦己にぶつかり、通り過ぎようとした。しかしその瞬間敦己の感覚が何かを捕らえた。ほとんど無意識に手が風、いやその風をまとっているモノに伸びた。
「離せ!ニンゲンめ!」
キィキィと虫のようなか細い声で、ソレは鳴いた。大きな頭に細い体躯。大きさは赤ん坊ほどのソレは、青白く透けていた。子鬼のような容貌のそれを捕まえた敦己は首をかしげた。まだ日は高く、鬼たちが好む時間でもない。どうしたものかと考えていると、手の中のソレはさらに喚いた。
「やい!風神様の使いになんてことしやがる!バチをあてるぞ!」
風神と聞いてようやく得心がいったが、敦己は手を離さない。
「バチがあたるのは困りますが、財布は返してもらえないでしょうか」
「!」
風神の使いと名乗ったソレは突然暴れるのをやめ、一応気まずい表情を作って敦己を見た。
「一応遊んで暮らすぐらいには財はあるのですが、しばらくの食事はそこから賄わなければいけないので」
首根っこをつかんではいるが相手は人外の力を持つ者。穏便に自分の財布を返してもらえれば、それに越したことは無い。
「お前、ワシらが見えるのか」
「まあ、それなりに」
風神の使いはしばらく考えるようにしていたが、どこからか敦己の財布を取り出した。
「財布を返して欲しければ、ワシらに力を貸せ」青い目がきらりと金色に光った。

連れて行かれたのは崩れかけた廃屋だった。元は畳屋だったらしく、いたるところに畳が積んである。比較的まともな畳に腰をおろすと、さっきよりも鋭利な風が鼻先を通り過ぎた。
「兄ちゃん!姉ちゃん!」
風がくるりと渦を巻いたかと思うと、そこからイタチのような生き物が二匹現れた。しかし長い尾は硬質の鋭さをもっていて、触れれば切れてしまいそうなほど尖っていた。
「カマイタチでしたか」
敦己の手の中にいたソレも、いつの間にか変化をといてイタチの姿に戻っていた。
「弟に何の用じゃ、ニンゲンめ」
「違うよ、こいつはオイラが連れてきたんだ」
するとカマイタチの長兄らしいイタチが警戒を解いた。
「そうか…あの鬼婆への…」
「うん、ちょっと違うけど、鬼婆も耄碌してるからわかりゃしないよ」
なにやら不吉な予感がする。口を挟むにもきっかけをつかめず、ただ流されるがままに敦己は『鬼婆』と対決する羽目になっていた。
カマイタチ兄弟の話だと、隣家の米屋に鬼婆が住んでいるらしい。最近山を追われてこの平野に来た兄弟は、ここらを住処にしようとしたが、その鬼婆に勝てずに困っていたらしい。そこで敦己を使おうというのだ。どうにかして逃げる手段を考えたが、それを見越してかカマイタチは常に敦己の傍に居た。仕方なく敦己は夜を待ち、軒先を借りる予定だった米屋へ向かった。
「ここが鬼婆の住処だ」
玄関は大きなガラスをはめ込んだ引き戸になっていた。いまどき珍しい引き戸は鍵がかかっておらず、ガラリと音をたてて開いた。瞬間
「またバケモノどもか!」
闇の中、敦己の顔面に矢のようなものが空を切って飛んできた。両手で白羽取りのようにして、かろうじてそれを食い止める。しかしそれは意外なものだった。
「…孫の手?」
老人が背中をかくときによく使う、孫の手である。
「何しに来た!イタチっ子どもめ」
とそこで敦己に気づいたのか、孫の手の持ち主が闇から出てきた。着ているものはやや古い時代のものだが、まだ六十あたりの元気なお婆ちゃんであった。

「幽霊に茶淹れられるってえのは、初めてだろうがね。まあ飲みなさい」
鬼婆と言われた幽霊は、敦己を客間へと案内した。熱い緑茶をすすりながら、部屋を見回す。たしかに人が住んでいる気配はないが、ホコリがたまっているわけでもない。
「アタシが掃除してたからね。幽霊でも掃除ぐらいできないかん」
老人は笑って自分も茶をすする。
「アタシにはね、孫がいたんだよ。孫の成人式姿が見たかったんだが、早くにお迎えが来ちゃってねえ。あっちの世界も楽しかったから満足してたんだけどね」
しかし彼女の伴侶が最近他界し、こちらの世界に来たことが問題だったという。彼女の夫が先に旅立っていた妻に見せたものは、羽織袴を来た孫と仲良く写る写真だったという。
「それ見たとき、本当に悔しくてねぇ…いままで未練がなかったのに、あの写真を見るとアタシも写りたかった、一目孫の成人姿を見たかった。気がつくとアタシは、こっちに幽霊として戻っていたんだよ。アタシもさっさと成仏してやりたいけどね…」
「お孫さんは、今はどこに?」
「外国に留学しちまったそうだ。幽霊になったとはいえ、この年で外国行く元気もないからねぇ」
元気もなにも幽霊にはないだろうが。カマイタチ兄弟のことも、彼女は知っているらしい。孫の代わりにもならないが、可愛い奴らだからと。だからつい孫を叱るときのように、孫の手を投げてしまうと彼女は笑った。孫に孫の手とは洒落にもならないが。
「あんた、ちょっと着てみないかい」
「俺が、ですか?」
成人式からすでに七年以上たっている。今更だとは思ったが、それで彼女が満足するなら、と頷いた。畳紙から取り出された着物は、真新しいものだった。彼女に着付けてもらい、羽織袴を身にまとう。懐かしい、くすぐったい気分がした。
「よぉ似合っとる」
彼女は嬉しそうに目を細め、敦己を見る。その姿に孫の面影を重ねているようだった。目のふちに涙を光らせ、彼女は満足そうに頷く。
「孫に会えんかったけど、これもええかもわからんな」
「写真を…撮りませんか」
当然生きている人間と同じようには撮れないだろう。しかし、彼女がこちらに未練を作るきっかけになったものを、彼女に送りたかった。カマイタチの長女がいつの間にか人間の姿になっていた。手には古びたカメラがある。
ポラロイドでもないから写真はすぐには見ることはできない。しかしそれでも十分満足したらしく、彼女の体が淡く質感を失っていく。敦己は感覚を研ぎ澄まし、あちらの世界への道を手繰り寄せた。
「イタチっ子ども。ちゃんと悪させんようにしぃよ」
悪さをしたらすぐに孫の手を飛ばしてやる、と最後まで元気に笑い彼女は旅立っていった。

数日後、風に乗って一枚の写真が敦己の元に届けられた。
三匹のカマイタチと、気恥ずかしそうに袴を着た自分、そしてその隣には孫の手を持った彼女が笑っていた。