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あの鐘を鳴らすのは君だ!
オープニング
その日の午後、草間興信所にやって来たのは一羽の白い兎だった。
赤いチョッキにシルクハットの兎はぴょんぴょん跳ねてソファに座り、言った。
「あなたに12時の鐘を鳴らして貰いたい」
時折、懐中時計を出して時間を気にしつつ、兎はこんな話をした。
彼は物語の番人である。
こちらの世界の人間が、一度は目にしたことがあるであろう物語……赤頭巾やシンデレラ、おやゆび姫と言った類の物語が始まりから終わりまで滞りなく展開し、繰り返すのを管理するのが仕事だ。物語の登場人物たちは時折、延々と繰り返す同じ展開に飽きて身勝手な行動を始める。それを阻止し、秩序を守らせなければならない。
今、彼の頭を悩ませているのは、『シンデレラをもっと早く幸せにしよう』と言う動きだ。
本来、午前12時の鐘で城の階段を駆け下り、元のみじめな姿に戻らなければならないシンデレラ。最終的に幸福にはなるのだが、もし12時に鐘が鳴らなければ、シンデレラはもっと早く幸せになれるのではないか。そう考えた一部の物語の登場人物たちが、シンデレラの物語を妨害しようとしている。
しかし、12時の鐘が鳴らなければシンデレラが階段を駆け下りることはなく、ガラスの靴を落とすこともない。そうなれば、物語の魅力は半減するし、見せ場がなくなってしまう。兎は、何が何でも12時丁度に鐘を鳴らすべきだと考える。
そこで考えたのが、読者であるこちらの世界の人間に鐘を鳴らさせることだ。
「物語の登場人物たちに、読者が求めている展開を理解させれば良いわけだ。子供達には物語りの裏側を見せるわけにはいかんからな。既に何度も読んで展開を知っている大人に頼むしかない。以前にもオーロラ姫が30年ほどの眠りで目覚めようとしたり、人魚姫が王子を殺そうとしたり、大変だった……。物語の番人と言うのも大変なんだ、実際」
そう言って、兎は時計を見る。
「おっといけない。会合に遅れてしまう」
呆気に取られている草間の前で、跳ねて回れ右をした兎は途中で一旦振り返り、
「それでは、今夜10時に。君は適当に協力者を集めておいてくれたまえ」
と、白い手を握るように振った。
草間はまだ、応とも否とも答えていない。しかし兎はぴょんぴょん跳ねて開けっ放しの扉を出て去ってしまった。
「……痛い……」
草間は強く頬をつねり、夢でないことを確かめた。
**********
あの兎の訪問が夢でなかったことを証明する手段は、今のところない。けれど、よほど暇を持て余しているのか、草間の呼びかけに応じた数人が、現在興信所のソファで優雅にコーヒーを飲んでいる。
「ホントに10時になればその兎に会えるのね?楽しみ」
と、カップを口に運ぶ大和鮎。身長は標準、ほっそりとしているのだが、足を組んで座る姿は何だか妙に尊大な印象を与えた。笑顔を絶やさず、人当たりも愛想も良いのだが、その実、羊の皮を被った虎であることを草間は知っている。だから尊大に見えるのだろうか、それとも、見知った人の前では普段10枚被った羊が3〜4枚少なくなるのだろうかと、真剣に考えてしまう。
「物語の番人様と言う方がいらっしゃるのですね……。……童話はあの方も興味深そうに読んでおりました……」
ソファの隅にちょこんと腰を下ろした四宮灯火がほぅと小さな溜息を付く。『あの方』と言うのは灯火の最初の持ち主のことだろうか、感情を殆ど表すことのない灯火だが、ほんの僅かだけ、懐かしげな、寂しげな雰囲気が漂う。
「……物語の番人様はいつもどのようにして物語を修正していらっしゃるのでしょうか……。たいへんなお仕事なのですね……」
言いながら、灯火は膝の上の絵本を捲る。
兎からの依頼で、シンデレラの為に12時の鐘を鳴らすのだと聞いたシオン・レ・ハイが持参したものだ。子供向けの、文章が少なく可愛らしい絵の多い本で、少し前までシオンはそれを読んで感動に涙していた。
「兎さんが出席する会合にも行ってみたい気がします。一体どんな話をしているのでしょうねぇ」
と言うシオンは時計を気にしつつ、クレヨンを持って格闘している。見せ場のあるシンデレラと見せ場のないシンデレラ、両方を作成し、他の物語の登場人物たちに見せることでどちらがより感動的か、より読者の心に残るか考えて貰うつもりらしい。急いでいる所為なのか、手先は器用だが絵や文章は得意ではないのか、とても微妙な本が出来上がりつつある。
シオンの手元を時折覗きながら、マリオン・バーガンディはデジカメを操作して画像を確認している。移動手段の為の自転車や、途中の食料を撮影したもので、マリオンの力を使えばそれらを物語の世界で取り出す事が出来る。どんな状況か分からない世界では、身軽で便利なことこの上ない。
「一体どのような妨害があるのでしょうね……、兎さんはそう言ったことは全く触れなかったのですか?」
尋ねると、草間は肩を竦めた。ただ、鐘を鳴らして貰いたいと言われただけで、協力者を集めろと言われても、何人と言う指定も男女の指定もなかった。そもそも、依頼に来たくせに金銭的なところはすっ飛ばして帰ってしまったのだ。
「ところで一部の物語の登場人物って何者よ?」
鮎に問われて、草間はもう一度、肩を竦める。
「兎氏が迎えに来たら色々確認しておかなくちゃならないわね……、誰からどのような妨害があるのか……、お城の見取り図も必要だし、シンデレラの中の登場人物になって妨害を阻止するのかどうかも分からないし、衣装の問題もあるし……。ただ鐘を鳴らして欲しいだなんて、情報が少ないわよね」
兎が依頼に来たとき、外出中だったシュライン・エマは、自分が同席していればもう少し情報を聞いてから依頼を受けられたかも知れないと溜息を付く。どうもこの恋人は、長年こんな仕事をして不思議な体験をしておきながらも、未だ奇妙な依頼人に驚くらしい。
「まぁつまり、こちらは妨害の妨害をすれば良いわけだ。妨害する連中と、その方法さえわかればどうにかなる。替形法という姿形を変える方術を以て式神をシンデレラの姿に変え、不穏な連中の前に出現させるのはどうだ?守るべきシンデレラが目の前に現れてしまったら、妨害のしようがない」
真名神慶悟は草間の隣に腰掛け、窓に向かって煙草の煙を吐き出す。最近はどうも煙草が吸いにくくてならない。女性人は髪や衣服に臭いがつくことを嫌がるし、マリオンは煙を嫌う。いずれこの興信所にも喫煙コーナーが出来るに違いない。
「シンデレラストーリーって女の子の夢だものねぇ。まぁ、一言で言えば玉の輿の話しなんだけど」
鮎は自分の方に漂ってきた煙を手で払いながら灯火が捲る本に視線をやる。
「でもやっぱり、山場がないと面白くないわよね」
鮎は灯火がガラスの靴のシーンを飛ばしてページを捲るのを見た。
「12時の鐘がならなければ……シンデレラの魔法は解けないのでしょうか?魔法が解けなければずっとお城で王子様と踊っている……、でも、どうしてそれで幸せになると決められるのでしょう?」
例え鐘が鳴らなくても、時刻は確実に12時になる。だとしたら、踊っている最中に魔法が解け、みすぼらしい姿に戻ってしまうと言うこともありえるのではないか。それとも、物語の世界では鐘の音が絶対なのだろうか。灯火は首を傾げる。
「玉の輿ってのはね、一朝一夕で手に入っちゃ意味がないのよ。紆余曲折があってこそ勝ち取れるものなんだから、そんなあっさり手に入る物語に子供達が心酔して簡単に玉の輿が手に入ると思っちゃったら将来ロクな人間にならないわよ。努力して勝ち取った玉の輿こそ、価値があるのよ」
元は幸福だった一人の少女が、継母と姉達の出現によって不幸に落とされても健気に努力を怠らなかったからこそ、魔法使いが現れて手助けをしてくれた喜びが大きいのであり、限られた時間だからこそ夢のような舞踏会が楽しいのであり、別れなければならなかったからこそ王子との再会が幸福なのだと力説する鮎。
鮎の弁はもっともなので、誰もがうんうんと素直に頷いている。もしかしてお前も玉の輿を狙っているのか、と草間は一瞬思ったのだが、触らぬ神に祟り無しと言うことで、口にチャックをしておく。
その時、誰かがドアをポンポンとノックした。
「どうぞ」
と、シュラインが声を掛けると、何やらごとごと物音がしてから扉が開き、1羽の白い兎が顔を覗かせた。
「これで全員ですね?」
と、赤い目で部屋を見回し、兎は7人の姿を確認した。
「女性が2人……、おや、3人ですか。それに、男性が4人……。そちらの女性は随分小さいですねぇ、さて、サイズがあるものか……」
黒いシルクハットを脱いで、兎は中に手を突っ込んで暫くごそごそかき回していたが、やがて色とりどりの布を取り出した。
「シンデレラの世界に合う衣装に着替えて頂きますよ。その格好では、すぐに妨害者達にばれてしまうのでね」
言って、シュラインに薄い紫のドレス、鮎に水色のドレス、灯火には赤ん坊用か人形用と思われる赤いドレスを渡し、男性人にはフリルのついた白いシャツのようなものと、シオンに赤と金、慶悟に緑と金、マリオンに紫と金、草間に青と金の提灯パンツのようなものを渡した。
「…………」
女性陣は結婚式でしかお目にかかれないようなドレスを喜び、早速別室で着替えをと化粧直しを始めたが、男性陣は少々納得がいかない。
「どうしました?もう10時過ぎているんです、早くして頂きたい」
兎に急かされると、マリオンは渡された衣装を兎に返し、デジカメに取り込んでおいた画像を開き、そこに映った持参のパーティー用の衣装を取り出す。
「私はこれで結構です。大丈夫、ばれたりしませんよ」
言って、別室に入って行く。
何て用意の良いヤツなんだ、と羨まし気に慶悟と草間はその背を見送る。
「ま、良いじゃないですか。こんな衣装が着られるのも滅多にない経験ですし、面白そうですよ。着替えましょう」
割と平然とした顔で、シオンも別室に消えて行く。草間と慶悟は顔を見合わせ、溜息を付いてから着替えを始めた。
数分後、着替えを終えた7人が揃うと、兎は満足気に頷く。
「では、諸注意を」
言って、兎は白い手で鼻先を擦りながら次のようなことを言った。
1) 物語を変えないこと。
2) 登場人物達、主にシンデレラ、両親、姉達、魔法使い、王子、王子の家来達とは会話をしないこと。
3) 現実世界のものを物語の世界に残さない。
「これが地図です。ここが出発点。」
兎は1枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに飛び上がって全員に見えるように置いた。
地図と言ってもお絵かきのようなもので、森の間を通る道の向こうに白が描かれているだけだった。出発点と兎が指差したところには赤い○が書き込まれている。「これって、一本道でお城に通じてるってことかしら?」
シュラインが尋ねると、兎は頷いた。
「物語の世界は単純に出来ているんでね」
言って、兎は森の近くにある家を指差す。
「ここが、シンデレラの自宅。ここからかぼちゃの馬車に乗って、城まで約30分。こっちが鐘撞き役の家。毎日12時に交代だから、彼は11時10分に馬に乗って家を出る。11時40分には城について、50分には時計塔に登る。彼が城へ辿り着けないよう、途中に妨害が入るかも知れないし、城に着いてから邪魔が入るかもしれない。シンデレラの方にも何かするつもりでいるのかも知れない。例えば、彼女が慌てて階段へ向かう、その道を遮るかも知れない。どこでどんな風な妨害をする気でいるのかまでは、こちらも把握出来ていないんだ」
「つまり、物語シンデレラの登場人物たちと接触を持たないように鐘撞き役とシンデレラの両方を守れば良いわけですね?別の物語の登場人物たちとの接触は問題ないのでしょうか?」
マリオンが尋ねると、兎は髭を撫でてから頷く。続けて、鮎が尋ねた。
「こちらの世界の物を持っていって、使うのは構わないの?ちゃんと持ち帰りさえすれば?」
「それは構いませんよ。こちらの方が色々と便利な機械がありますからね。但し、武器の類にはくれぐれも注意して下さいよ。間違っても、登場人物たちを殺したりしないように」
「因みに、シンデレラの物語を妨害しようとしてるのはどんな物語の登場人物たちなの?」
もしや役に立つのではと物置から拡声器とハンマーを取り出しながらシュラインが尋ねると、兎は深い溜息をついて首を振った。
「私の把握しているところでは、マッチ売りの少女と白雪姫に出てくる王子だがね……、もしかしたら他にも協力者がいるかも知れない。おや、もう随分時間が過ぎてしまった。では、早速君たちを物語の世界へ招待しよう」
兎は慌てて立ち上がり、トイレの扉を開いた。
少し前にシオンが扉を開けたときは確かに掃除のいき届いたトイレだったその場所は、何故か便器でも手洗い場でもなく、暗い森だった。
「では諸君、私はこれ以上は関われないのでね、宜しく頼む。成功の暁には『正しい物語を守る会』の寄金からそれなりの報酬を支払おう」
草間が地図を持っていることを確認して、兎は手を振るように白い前足を軽く握った。
「ああっちょっと待って下さいっ!」
提灯パンツを穿いて、両手に絵本を持ったシオンが兎を呼び止める。
「折角なので、記念写真をお願いしたいんです。私のペットの兎さんたちも連れてきたので、一緒に、是非っ!」
言って、シオンは懐から2羽の兎と激安店で買った使い捨てカメラを取り出した。
兎は快諾して髭を整えると、チョッキの皺を伸ばし、シルクハットの埃を払ってポーズをとった。シオンはその横にペットの兎を座らせ、全員並ぶように言って何度かシャッターを切る。途中、デジカメを持参したマリオンと交代して更に何枚か取った。
「そろそろ出発するか」
兎が去るのを見送って、慶悟が深い溜息と共に口を開く。写真を撮ると、仮装行列でもしているような気分になってしまった。白いタイツを穿いた足はスースーするし、胸元のフリルが喉のあたりをくすぐって、どうにも落ち着かない。出来ればさっさと鐘を鳴らして、着慣れた自分の服に戻りたい。
「今、何時か……どなたか分かりますでしょうか……?」
こちらも着慣れない洋服の灯火。足にまとわりつくやわらかいスカートを小さな手で押さえつつ、自分より大きな面々を見上げる。
「10時30分ですね」
と答えて、シオンは草間から地図を受け取り、それをデジカメで撮影し、人数分取り出した。
「まずは鐘撞き役の家にでもいった方が良いか?12時の鐘を鳴らす、物語の大事な人物だからな。もしものことがあっては困る」
「そうね。でも、ここから鐘撞き役の家までって、どれくらい時間がかかるのかしら?こんな地図じゃ計算出来ないし……」
地図に描かれた森は一つ。となれば、自分達がいるこの森がそうなのだろう。森の細い道を抜けると城へ続く長い一本道があり、その左右にシンデレラと鐘撞き役の家がある。シンデレラの自宅から城まではかぼちゃの馬車で30分と言っていたが、この森からシンデレラの自宅、自宅から城まで、徒歩でどれくらいかかるのか分からない。
「それでは、これを使いましょう」
言って、マリオンは撮影しておいた画像を開き、6台の自転車を用意した。サイズ的に自転車を漕げない灯火はシュラインの自転車のかごに収まった。
「便利な能力ね」
豪華なドレスに不似合いなリュックを背負ったシュラインは、苦笑しつつ自転車に跨ったが、提灯パンツの男性人と違い、長いスカートの女性人は漕ぎ出すまでに暫し時間がかかった。
シンデレラの世界は簡素だった。絵に描いたような木々に絵に描いたような家々。通りを歩く人影はなく、しんと静まり返っている。
「何か声がしないか?」
鐘撞き役の家の近くで自転車を止めて、草間が耳を澄ます。
言われて見ると、静まり返った中に小さな子供の声がする。
「物語の世界だって、11時近くと言ったら子供は寝てる時間よね。何かしら……」
シュラインが声の元を探そうとか細い声に耳を傾けると、それは少しずつ近づいてくるようだった。
……は……ません……。マッチ……ませんか……。
「マッチ売りの少女!」
思わず声高に言って、シオンは慌てて口を塞ぐ。
「マッチ売りの少女ですよ!」
小さな声で言い直して、隠れるように目で合図を送る。
マッチ売りの少女は兎が把握している妨害メンバーの一人だ。周囲の家とは離れた場所にある鐘撞き役の家のあたりをうろついていると言うことは、何かしらするつもりでいるのだろう。
全員、木の陰に自転車を置いて、足音を忍ばせて家の近くに向かうと、少女の声が少し高くなった。
……マッチは要りませんか……よく点くマッチですよ……。
シュラインが声を頼りに姿を探す。と、窓の下をすり抜ける小さな影があった。慌てて追い駆けると、月明かりに照らされた、みすぼらしい少女の姿。
一体何をするつもりなのかと暫し見守っていると、少女は売り声を辞め、周囲に目を走らせてから勝手口へ向かい、扉の下に枯れ草を集め、なんとその枯れ草の上に火を点けたマッチを2本、3本と置いた。
「なるほど、火事を起こして妨害する気か……」
純粋な、悲劇の少女であるはずの少女の行いに呆然として慶悟は呟く。
「真名神様……、関心している場合では御座いません……」
灯火が言うと、我に返ったかのように草間は井戸へ走り、桶一杯に水を汲んで戻って来た。
足音にハッと振り返る少女をマリオンが捕らえ、木の扉に燃え移り始めた火に草間が水を掛ける。
「ああっもう!何てことするのよっ!」
火を消されて憤慨する少女の頬を、鮎は軽く抓った。
「それはこっちのセリフ。危ないじゃないの、放火なんかして」
「馬鹿ね!あの鐘撞き役がお城に行ったら、シンデレラが早く幸せになれないじゃないの」
少女は憤慨して自分を抑えるマリオンと鮎を睨んだ。
「鐘がならず、シンデレラの魔法が解けなかったからと言って早く幸せになれるなんてものじゃないでしょ?」
シュラインが言うと、少女はふんと鼻を鳴らす。
「そんなの、やってみないと分からないじゃない。それに、火をつけたら暖かい服をくれるって言ったのよ」
え、と灯火は首を傾げた。
「それは……、どう言うことでしょう……。暖かいお洋服……?」
「あなた達は暖かそうな洋服を着てるから分からないでしょうけど、私のこの服を見てよ!薄いし、破れてるし、汚いし!物語の中で雪に埋もれて御覧なさいよ。本当に寒いんだから!」
「えーっと……、つまり、暖かい服を貰う代わりに、シンデレラの物語の妨害を手伝っていると言うわけですか?それじゃ、お嬢さんに妨害を手伝うように言ったのは誰です?洋服なら、兎さんに相談して私が編んで差し上げますが……?」
シオンが毛糸で編んだ暖かい洋服をちらつかせると、少女は途端に大人しくなり、今回の首謀者の名を告白した。
「ええっ?」
思わず慶悟が声を上げる。
「いや、あの兎の話を聞けば有り得ないとも言い切れないか……。なら、急いだ方が良いんじゃないのか?ほら、もう鐘撞き役が出掛ける時間だ」
見ると、勝手口から一人の男が出てきたところだった。男は火の跡に驚き、家族に始末を言いつけてから馬に乗った。何時もの時間通りなのだろう、急ぐ様子はなく、ゆったりとした足取りで馬を進めた。
シオンがマッチ売りの少女を荷台に乗せて、6人は男の後を追った。
「次は誰が妨害してくるか、ご存知ありませんか?」
マリオンが声を掛けると、少女は橋のところに一人潜んでいると答えた。
「誰が潜んでるんだ?えぇと……白雪姫の王子か?」
草間が兎の言葉を思い出しながら言うと、少女はシオンの背につかまったまま首を振った。
「彼はお城にいるわ。白雪姫にはもう飽き飽きしてるの。シンデレラの美しさに一目ぼれして、一度だけ一緒に踊る代わりに手伝うことになったのよ。橋に潜んでいるのはオーロラ姫よ」
「オーロラ姫様はどのような……条件で、……お手伝いをすることになったのでしょう……?」
灯火は振動で外に飛び出さないよう、かごのふちに捕まりながら尋ねる。
「オーロラはね、100年も眠ることにうんざりしてるの。床擦れが出来そうだって嘆いてたわ。それで、シンデレラの知り合いの魔法使いに、100年の眠りが10年になる魔法を掛けて貰うの」
「そりゃご苦労なことで……。で、そのオーロラ姫はどんな妨害をする気でいるんだ?」
自転車をこぎながら頭を抱える慶悟。
「彼女が触った糸紡ぎの眠り薬を矢の先に付けてね、鐘撞き役を射るのよ。鐘撞き役が100年の眠りにつけば、12時の鐘は鳴らないわけだし、オーロラ姫の100年の退屈さも分かって貰えるでしょ」
「そんな安易な考えで良いんでしょうか……」
シオンは苦笑して前のかごにいれた絵本の無事を確認する。
「物語の世界は単純に出来ているそうだからな……」
もう何でもアリだろうとうんざりした様子の草間。
「ねぇ、橋のところで矢を構えて待ってるんでしょう?だったら、私たちが先に行かないと鐘撞き役が射られちゃうんじゃないの?何か目印があるの?」
シュラインが言うと、もっともだと鮎が頷く。
「鐘撞き役が通る時間はいつも決まっているから、その時間に馬に乗った男を射るの。どうせこの暗さじゃ顔なんて見えないもの」
「安易にもほどがあるわよ……。兎に角、急いだ方が良いわ。どうにかして彼を追い越せないかしら。ほんのちょっとだけ足止め出来れば良いんだけど」
と、鮎がマリオンを振り返る。
「流石にバイクや車は持ってきていませんよ」
「それなら、式神を飛ばせよう」
慶悟の声に、全員が一旦自転車を止めた。
慶悟はまず替形法を用いて式神に馬の姿をとらせ、続けてその背に男と似た背格好にした式神を乗せる。
「まずはこいつを走らせて鐘撞き役を追い越させよう。俺達は男を追ってほんの少し足止めすれば良い」
「足止めって、どうするのよ?」
物語の登場人物たちとは接触してはならない。呼び止めるわけにはいかない。
「それなら、私の兎さんたちに手伝って貰いましょう」
言って、シオンは慶悟に2羽の兎を渡す。
「この子達の姿の式神を作って貰えますか?それで、役を追い越す瞬間に、彼の手元に軽く放り投げさせて下さい。彼は驚いて一瞬馬を止めるでしょう。ほんの僅かではありますが、足止めになります。私たちは彼が足を止めている隙に追い越せば良い」
慶悟はすぐさま兎の姿の式神を呼び出し、馬の背に乗せた。
「さぁ、行け。お前達なら射られても大丈夫だからな」
声を掛けると馬はすぐに走り出した。
慶悟たちもすぐに後を追う。そして予定通り、突然飛んできた兎に驚いた男が馬を止めている間にすさまじい勢いで自転車をこぎ、姿を見られないように追い越した。
橋に着くと、そこには紙に戻った式神が横たわっている。背の部分には矢が刺さっていた。
8人が自転車を降りて辺りを伺うと、甲高い声が少女を呼んだ。
「マッチ売り、失敗したわね!しかも、何なのよそのお供たちは!」
お供呼ばわりされた7人は咳払いをして自転車を橋の影に隠し、オーロラ姫を木の陰に呼んだ。丁度そのとき、鐘撞き役が橋を通り過ぎた。手元に白い兎を抱いているのが見えた。
「ああっもう!またわたくしは100年の眠りにつかなくてはならないわけね!こうなったら、王子だけに良い思いはさせないわ。さぁ、皆の者、城へ急ぎますよ。大丈夫、招待状ならわたくしが持っていますっ!あら、さっきの馬はどこへ行ったの?」
オーロラ姫の迫力に負けたのか、慶悟が荷台にオーロラ姫を座らせることになった。
11時40分を2分ばかし過ぎて城に到着した鐘撞き役に続いて、9人も城へ到着した。オーロラ姫が用意した招待状で怪しまれることなく舞踏会の会場へ入ることが出来たが、マッチ売りだけは衣装がみすぼらしいので、女性陣のスカートの影に隠れなければならなかった。
「うわぁ……すっごいわぁ、これが本当のシンデレラ城なのね……」
これまで通って来た道とは違い、煌びやかで豪華で派手な会場に、色とりどりのドレスを纏った淑女達。鮎は感嘆の声を上げた。
12時の鐘が鳴るまであと17分。
「あれがシンデレラですね!」
シオンが指差した方向には、淑女達の中で一際美しく輝いている淑女がいた。今まさに頬を染め、一人の紳士からダンスの申し込みを受けようとしていたところだった。
「……まぁ……本当に美しいこと……」
ほぅと溜息をつく灯火。
「あれが白雪姫の王子よ!彼だけに良い思いはさせないわ!」
言うや否や、オーロラは駆け出し、今まさに手を取り合おうとする二人の間に割り込んで無理やり引き離した。呆然とする王子とシンデレラそこに、シンデレラめがけてやってくる一人の男がいた。
王子様よ、と周囲の淑女達がざわめくので、彼こそがシンデレラに相応しい王子なのだと分かった。
驚いた顔でオーロラと白雪姫の王子を見ながら王子と踊り始めるシンデレラ。こうしちゃいられないと白雪姫の王子が走り出した。
「鐘撞き堂へ行く気よ!誰か止めて!」
オーロラ姫の声に、シュラインとシオン、慶悟が王子の後を追う。
王子は3人に追われながらも大急ぎで階段を登り、途中にいた鐘撞き役を蹴り落とすと言う暴挙に出た。悲鳴を上げて階段を転げ落ちる男を無視して、シュラインとシオン、慶悟は更に王子の後を追う。
着慣れない、履き慣れない衣服での運動に息を切らしつつ、どうにか追いつくと、王子が交代前の鐘撞き役から木槌を取り上げようとしている。
「時間は!?」
尋ねるシュラインに、慶悟が答える。
「12時まであと5秒!」
悶着している王子と鐘撞き役を取り押さえながら慶悟が答えると、シュラインは背負ったリュックから持参したハンマーを取り出し、心の中でカウントする。
3……2……1……、
シュラインは大きくハンマーを振りかざし、鐘に向かって振り下ろした。
「ああっ!!」
悲鳴を上げる王子。驚いた鐘撞き役は一瞬の隙をつかれてシオンの当て身をくらい、気を失った。
2度、3度、4度と鐘がなる。11回目の鐘がなるころになって、階段をシンデレラが駆け下りてきた。途中、振り返って鐘撞き堂を見上げ、声にこそ出さなかったが、確かにこう言った。
「馬鹿っ!」
気を失った鐘撞き役はそのままに、階段を転げ落ちた鐘撞き役の安否だけを確認して王子を伴って舞踏会場に戻ると、草間とマリオン、鮎とマッチ売りの少女が暢気に料理に舌鼓を打っていた。灯火は椅子に腰掛けて見慣れぬ舞踏会の様子を楽しんでいるし、オーロラ姫に至っては他国の王子と踊っていた。
「ずるいですよ皆さん!私だってお腹が空いているのに!」
と、シオンは大急ぎで料理に手をつけ始める。
「そうじゃないでしょ。まだ仕上げが残ってるのよ」
と、シュラインは溜息を付いた。舞踏会なら、自分だって少しくらい草間と踊って楽しんでみたかった。折角の衣装でも、見せる人や褒める人がいないのでは意味がない。滅多に着る機会のないお姫様ドレスを、シュラインはそっと指で撫でた。
「どうにか12時の鐘は鳴らしたわけだが、やはり首謀者には会っておかないとな。あんた達はどうするんだ?一緒に来るか?自分の世界に帰るか?」
慶悟が尋ねると、3人の某会者たちは大人しく帰ると言った。但し、マッチ売りはしつこい程シオンに毛糸の服を約束させた。
「それじゃ、行きますか。お腹も一杯になったことですし」
と、マリオンは再び自転車を取り出した。来た時と同じようにシュラインのかごに灯火が入り、自転車を漕ぎ出した。
せっせと自転車をこいでいると、橋の手前を素足であるくシンデレラと遭遇した。言葉を交わしてはいけないと言われていたが、このシンデレラこそが今回の首謀者なのだから仕方がない。自転車を止めて、シンデレラを呼んだ。
「分かってるのよ。あの物語の番人の差し金なんでしょう?」
シンデレラは溜息をついてみすぼらしいエプロンのポケットから輝くガラスの靴を取り出した。
「これを履いている間はお姫様、脱げばこんなみすぼらしい女の子……。どんなに悲しいか、分からないでしょうね」
シンデレラが言うと、「いいえっ!よぉく分かりますっ!」と、シオンが力強く言って2冊の絵本をシンデレラの前に広げた。とは言え、暗くて絵も文字も読めないので、シュラインが持参した懐中電灯で照らす。
「でも、これを見て下さい。あなたが普段演じているシンデレラの物語と、見せ場のないシンデレラの物語です。どちらがぐっと来ますか?」
「シンデレラ物語のご本人には確かに、つらいことと思います……。けれどあなた様の……純粋で美しく健気な様子を見て感動する子供達が沢山おります……」
シオンと灯火の言葉に、シンデレラは僅かに俯き、
「だけど、誰だって早く幸せになりたいでしょう?」
と言った。
「幸せには紆余曲折、艱難辛苦が付き物だ。早く王子と結婚したからと言って必ずすぐに幸せになれるとは限らんだろう。辛きを越えたからこそ王子の目にもあんたが輝いて映る。試練あっての慶びだ。だろう?」
慶悟の言葉に、シンデレラは少々唇を尖らせたが、頷く。
「そうそう、簡単に手に入る幸せなんて案外つまらないものよ」
鮎の言い方は何だか投げやりだったが、他の面々が頷くのを見て、シンデレラも頷いた。
「あ〜あ、遅くなっちゃった。まだ洗い物が終わってないの。お母様たちが戻ったら、また苛められるわ……」
シンデレラはガラスの靴をポケットに仕舞い、家事労働が待っている自宅へ向かって歩き始める。その後姿は、さっき城で誰よりも輝いていたお姫様には似てもにつかなかったが、足取りは踊っていたときのように軽やかだった。
「これで一件落着ですね。私の手作り絵本も役に立ったようですし、お腹もいっぱいですし……、何だか幸せな気分ですねぇ」
言って、シオンは一つ大きな欠伸をした。
「ほんと、安心したら眠くなってきたわ……。早く帰って寝たいわね。もう2時近いじゃないの」
と、シュラインも欠伸をする。何だか無性に眠い。
興信所に戻るため森に入りながら、一同は後をついて来る草間を振り返った。
「ところで、草間さんて、今回何かしたの?」
鮎の言葉に、欠伸をしていた草間はふと顔を上げる。
「ただ一緒にここに来て、ご馳走を食べただけと言う感じですね。結局、鐘を鳴らしたのも草間さんではありませんから」
マリオンが言い、慶悟が笑いながら頷く。
「それじゃ、報酬は俺たちで山分けと言うことだな……」
「こらこらっ!」
草間は少々慌てたが、ふと、支払われる料金は現実世界の通貨なのだろうかと心配に思った。
End
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
3356/シオン・レ・ハイ/男/42/びんぼーにん(食住)+α
0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3580/大和・鮎 /女/21/OL
4164/マリオン・バーガンディ/男/275/元キュレーター・研究者・研究所所長
0389/真名神・慶悟/男/20/陰陽師
3041/四宮・灯火/女/1/人形
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■ ライター通信 ■
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この度はご利用有り難う御座います。
納品が遅くなった上に鬱陶しいほどの長さで申し訳ありません(涙)
また何かでご利用頂ければ幸いです(汗)
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