コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


春色の日


「最近何かありましたか?」
 文字通り長い付き合いになる炭屋の現在の主が好々爺然とした顔でそう尋ねられ江戸崎満(えどさき・みつる)は思わず少し目を泳がせてしまった。
「……いや、相変わらずだ」
 何とか平静を装ったが、実際それが通用しているのかどうか深い皺の刻まれた笑顔からは読み取れない。
 以前は半年に1〜2度訪れる程度だったのが最近は大体月に1度という頻度になればそういわれても仕方がないだろう。
 満の養女も最近頻繁に薪屋に行くといって出かけていくことに疑惑を持っているらしい。
 養女に関してはやはり女の勘っていうのは侮れないと思ったが、炭屋の老主人にまで言われるということは傍から見れば明らかなのだろうか。
 そんなことを考えながらここ最近お決まりのように薪屋から白樺療養所へと足を向けていた。
「ん?」
 考え込むあまり、どうやら道を1本間違えたらしく、満は見たことのない場所に出た。
「これは……」
 その光景を見て満は道を引き返し、療養所へ向かう。
―――この時間ならまだ大丈夫かもしれない。
と、足は自然急ぎがちになった。
 そして、目的の病室に着くなり、満は彼女――弓槻冬子(ゆづき・ふゆこ)を散歩に誘い出した。


■■■■■


 冬子の歩調に合わせるように満は意識してゆっくりと歩いていた。
 辺りの八重桜はつい最近まで淡い若葉の色を纏っていたというのに、気が付けばその色を濃い深緑へと変化させていた。
 肌に当たる日差しの強さは一層春の深まりを感じさせる。
 立ち並ぶ木々の間から見上げる空は青く、葉を揺らす風が心地よい。ふと脇に視線を巡らせれば野鳥が2羽寄り添うように枝に宿っている。
 満の少し前を歩く冬子の足取りはいつになく軽やかで、うっすらと笑みを浮かべた口元からは今にも小さな歌声が聴こえてきそうだった。
 ただ散歩しているだけだと言うのに冬子はとても楽しそうで、そんな姿を満はじっと見つめながら歩いていた。
 突然振り向いた冬子に、満の心臓が軽く跳ねる。
 ずっと彼女の姿を見つめていた事に気付かれたのだろうかと、悪い事をしたわけでもないのに何故鼓動が早くなった。
「江戸崎さん、案内したい所ってどこですか?」
 そう言って微笑む冬子に満は少し先を指差す。
「あ、あぁ。この先ですよ」
 丁度細い路地に逸れる分かれ道の入り口が満が指し示す先に見えた。
「ここから少し足場が悪くなるかもしれませんから気を付けて」
と言うと、満は先導するように数歩冬子の前に出る。
 それから5分も歩いただろうか、突然開けた場所に出た。
「すごい……」
 それを見るなり冬子は一言だけそう呟いた。
 あたり一面に広がるスミレの群生している光景に圧倒されて言葉が続かないようだ。
 確かに先ほど偶然この場所を見つけた満も一瞬目の前に広がった紫色の花の絨毯にしばらく目を奪われていたのだから。
「江戸崎さん、すごいわ。すごく、綺麗。こんなの初めて見ました」
 抜けるような白磁の肌に赤みが差し、心なし紅潮した頬といつになく少し興奮したような声が、冬子がこの光景に深い感銘を受けたことを表していた。
 冬子はまるで蜃気楼に近付こうとしているかのようにゆっくりとスミレ畑に歩み寄り、スミレを踏まないように気をつけながらその中にしゃがみ込み足首くらいの高さにあるスミレの花にそっと触れる。
 冬子の指先で小さな紫色の花が跳ねていた。
 スミレ畑で戯れながら見せる笑顔はまるで少女のようで、遮るもののない明るい陽の下で見る冬子は療養所で見る彼女と同じはずであるのに生気に満ち溢れている。
 今、この目に映っているこの光景に、満は時を止めて欲しいと切実に願う。
 カメラも紙と筆も持っていたが、そんな手段でこの光景を記録として残すのはとても無粋な事のように思えた。
 だからせめて時を止める事が叶わないならば、この目に、胸に、脳裏に、深く焼き付けようと。
「江戸崎さん」
 満の名を呼んで駆け寄ろうとする彼女に、満も駆け寄る。
「冬子さん、足元に気を付けないと」
と制したその時だった、あまり足場の良くない地面に足を撮られ冬子が躓きかける。
「冬子さん!」
 幸いな事に、間に合った満が冬子の身体を抱きとめた。
 まるで、正面から冬子を抱きしめる形になってしまった満は、少しでも力を込めれば折れてしまいそうなその華奢な身体つきに驚く。
 ゆっくりと満は冬子から身体を離した。
「「あのっ」」
 次に口を開いたのは2人同時だった。
 揃った声に、
「冬子さんどうぞ」
「江戸崎さんが先に」
 互いに譲り合いまた2人の間に束の間、静寂が落ちた。そして、次の瞬間、
「ごめんなさい」
という冬子の台詞と、
「大丈夫でしたか?」
という満の問いが重なり、目を見合わせ2人は同時に笑い出す。
 しばらくそうやって笑い合いながら、冬子は先ほど抱きとめられた時の満の腕の力強さと温かい手の感触にどきりとした事を思い出した。
 不意に口を閉ざした冬子に、満は、はっと何かに気付いたような顔をした。
 しかし、その表情に気付いていなかった冬子の体に再び満の腕が回された。
「えっ? きゃっ」
 突然体がふわりと浮く。
 少し揺らいだ為に冬子はとっさに何かに腕を回し、気が付くと膝裏と背中を腕で支えられて満に抱き上げられている。
 冬子がとっさに腕を回したのは満の首で、お姫様のように抱えられていた。
「え、江戸崎さん!?」
「大丈夫ですよ、冬子さん」
 満はそういうが早いか冬子を抱えたまま迅速かつ丁寧に療養所へと足を走らせた。


■■■■■


 くすくすと笑う声がそこら中から聞こえる気がして、満は非常に居心地の悪い気分を味わっていた。
「江戸崎さんが弓槻さんを抱えて戻ってきたときには何事かと思いましたよ」
 すっかり顔見知りになってしまったここの看護士数人にそう言われて満は柄にもなく恥ずかしさに頬を赤らめていた。
 突然黙り込んでしまった冬子を見て、調子が悪くなったと勘違いした満はすわ一大事とばかりに冬子を抱き上げて療養所に戻ってきたのである。
 だが、いざ療養所についてみれば、冬子は少しぼーっとしてしまっただけで至って調子は良く単なる満の早合点だったと言うわけだ。
 俗に言うお姫様抱っこで駆け込んできた2人の姿は相当色々な意味で目立っていたらしく先ほどからこうして看護士たちのいい玩具にされてしまったのだ。
 こうなっては口を閉ざす以外に自衛の手段はなかった。江戸崎満一生の不覚とばかりにしかつめらしい顔をするが赤い耳でそんな顔をしてもあまり説得力はない。
「まるでお姫様を助けた王子様か騎士みたいでしたよ」
「随分と“過保護”ですね」
 いい様にからかわれている満の様子を、当事者のはずである冬子も一緒になって笑っている。

「また、一緒に外に出かけてくれますか? “過保護”な騎士様」

 笑顔の姫にそう言われて過保護な騎士が断れるはずがなかった。