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<東京怪談ノベル(シングル)>


不如歸ノ聲。藤ノ色。



『色深く にほへる藤の 花ゆゑに 殘り少なき 春をこそ思へ』


『行やらで 山路暮らしつ ほとゝぎす 今一聲の 聞かま慾しさに』


(−源公忠−)





 微温風、春はいそぎて
 ゆらゆら、玉搖、花葬り
 しづの懷裡を杜切れて落つる

 疾く逝きし あはい紫の槎 獨り憶ふ
 名も無き花の 散るを憶ふ

 不如歸(ほとゝぎす)啼くや、精舍の庭
 血を吐くやうな鳥待月
 遠近(をちこち)の憂ひ響らぎうち噎ぶ

 咎はたゞ鱶の扶持になつて
 百年(もゝとせ)の紅の夢祈らん

 不如歸啼くや、沈默(しゞま)の薄暮
 淫らかに慄(わなゝ)けり鳥來月
 蒼海(わだつみ)の濁りし渦に靈狂はむ

 疾く逝きし あはい紫の槎 獨り憶ふ
 名も無き花の 散るを憶ふ


 ――鈴持て如(ゆ)け 花のさだめに

 ――鈴持て如け 月は照らすや


 啼くや不如歸 咽喉錆びるまで
 啼くや不如歸 こゝろ顫はせ


 ――鈴持て如け しるべ無きまに
 
 ――鈴持て如け 黄泉の路すぢ


 啼けや不如歸 如きて歸(かへ)らぬ
 啼けや不如歸 吾は歸らぬ

 ――吾は歸らぬ――……


*  


 はかなきものを たれ愛でん
 消えゆくものを たれ問はん
 蹟あるものは 筆の花
 かをりを殘せ 後の世に
(明治17年/小學校唱歌『千草の花』)


 一面の薄色に包まれて嘉神・しえる(かがみ・―)は遐く懐かしい歌を口遊んだ。
 薄色の藤は風に揺れて甘い香りを天より降り注いでいる。

「二十四番花信風ももう終わりね……」

 花の香りで季節を告げる春の風も穀雨の三候を残すのみの卯月下旬。
 牡丹、荼靡、栴檀が風に香れば日の本の国は夏を迎える。

「おねえちゃん、さっきのおうたなあに?」
 つん、としえるのティアードスカートを引いたツインテールの少女は大きな瞳で今は徒人である熾天使を見上げている。
 まだ園に上がる前だろうか、母親らしき人影が少し距離を置いて三輪車を引いている。
「忘れられてしまったずっと昔の歌よ」
 足元に転がったピンクの柔らかいゴムボールを拾い上げて少女に手渡し、しえるは薄縹の空を仰ぐ。
 ふうわりと風に揺れた薄色の花弁が彼女の視界をしづしづと舞う。


 ――鈴持て如け 花のさだめに

 ――鈴持て如け 月は照らすや


「ずっとむかしって、きのうよりも、きのうのまえよりも? おねえちゃんは、ずっとわすれないの?」
「ええ、昨日よりも昨日の前よりもずっとずっと昔よ……忘れたりしないわ」


 ――鈴持て如け しるべ無きまに
 
 ――鈴持て如け 黄泉の路すぢ


「悲しい事も嬉しい事も決して忘れないのよ」


 幾つもの過ぎた季節も、貴方の言葉も、私の想いも。
 遐く遐く彼方まで如こうとも――





 1869(明治2)年・己巳――蝦夷

 北の大地はどこまでも白く、遅い春は進軍の足音と共に西よりのぼってきていた。
 旗が翻る。
 錦の御旗が日本の夜明けに。

「蝦夷の桜は遅いらしい」
 ぽつりと漏らした男の横で、紺木綿に五つ釦の詰襟服、紫色のビロードベストを着用した醇朴そうな巨漢は眉宇を上げた。
「京にいらした頃から花の事などお忘れかと思っていましたが……お疲れですか鬼副長?」
 今は陸軍奉行並函館市中取締役兼海陸軍裁判局頭取――などと仰々しい肩書きのある上司をからかうように昔馴染みの呼称をとる。
「副長じゃねぇ」
 現代風に言うならば『陸軍司令官兼函館警察署長兼軍事裁判所長』と言った所であろうか――堅苦しい事この上ない役職を担う色白の……一見して優男は、照れ隠しか頭を掻いて舌を打つ。
 この男がこのような姿を他人の前に晒すのは珍しいが、それ以上に珍しいのは大きな体躯に似合わず従順で控え目な男の軽口の方である。
 彼は現在、新選組隊本部の幹部で、隊長に次ぐ重役の“頭取”の一人だ。
 函館での新選組は陸軍、第一列士満(レジマン)仏人・ホルタンの下、小天狗と称され“百人斬り”の異名を持つ隻腕の剣士率いる第二大隊に編成されている。
 
 彼等が蝦夷(鷲ノ木)に到着したのは昨年、1868(慶応四・明治元)年、戊辰の十月二十日だった。
 翌日から進撃を開始して函館五稜郭を無血占拠したのが六日後の二十六日である。
 その後も松前福山城攻略や館新城、江差と休む間もなく難戦は続き、慌しく月日だけが過ぎていた。
「花と言えば、蝦夷の藤は雪のように白いそうですよ」
「お前ぇの茶飲み仲間の情報か?」
「私の汁粉を喜んで召し上がってくださるのは、あの方くらいですからね」
 肩を竦めた陸軍奉行に、頭取はへらりと笑みで返す。
 時折、大鍋で作られ『糸を引くほど甘い』と評される汁粉を過去に一度だけ口にした事のある優男は苦笑を落とした。
 だから虫歯なんか出来やがるんだ、とでも言いたげな表情だった。
「あいつが口を開けば、やれ鰻がどうだ餅がどうだと食いモンの話ばかりだ。百人斬りが聞いて呆れるってもんだろ」
「似てるじゃないですか」
 誰に――とは言わない。今は遠く離れた儔(ともがら)の縋るようなやつれた貌ばかり思い出された。
 病を治してすぐに追うと彼は言った。労咳に侵され刀すら握れぬ身でそれが無理な事は他ならぬ本人が一番分かっていた筈である。
 何もかもを置き去りに、否、或いは捨て去り、海を越えた最果ての地に何を求めたのか――その答えは未だ出ていない。
「……冗談じゃねぇ」
「蝦夷に花は咲きますかね」
 ふいに真摯な瞳で問われ、優男は細く息を吐く。右の三つの指を巨漢の眼前に突き立てた。
「三年」
「は?」
「総裁の言うには三年ありゃ万事上手くいくそうだ」
「他人事のような物言いですね。貴方らしくもない」
 陸軍奉行は椅子に深く腰を沈めて、ふんと鼻を鳴らす。

 十二月十五日、蝦夷共和国を樹立して一月が経っていた。
「万国公法だの何だの煩わしい事は知ったこっちゃねぇ。俺はもう戦以外を考える気はねぇ」
「総裁は敵軍が三年もの間、何の手出しをせぬと思っておいでですか」
「さて、な。貿易と外交で何とかなるって腹らしいが……」
 官軍は、戦は、そんなに甘くはない。
 蛤御門、鳥羽伏見、甲州流山、宇都宮、会津……実際に経験した者でなければ分かる筈もない。
 総裁の楽天な笑顔を思い起こし、頭取は僅かに巨躯を揺らした。相変わらず瞳は穏やかなままである。
「それでも貴方は、その為に死力を尽くすのでしょうね」

 ――理想を語る総裁は世の穢れなどとは程遠く、在りし日の局長にどこか似ている。

 私もいつからかそう思ってしまったから。

 ――だから。

「貴方は火のような夢想家ですが、夢を実現させる……勝ち取る術を持っている」
「……三年持ち堪えろと言ってやがんのか?」
「いいえ。私も貴方と共にこの地に骨を埋める覚悟です」

 ――だって貴方は死に場所を探しているのでしょう。無二の儔と袂を別ったあの日から、ずっと。

「こんな北の果てまで来て物好きな奴だな」
 物好きはお互い様と言うのもです――巨漢はその体躯に似合わぬ醇朴な笑みを浮かべた。
「他にもゾロゾロやって来やがるぞ。蝦夷くんだりまで来るような物好きが」
「雪が融けたら……血が降りますね。花が咲くのとどちらが早いか」

「だから“蝦夷の桜は遅いらしい”って言ったじゃねぇか。……血が降る、か。その血は碧だろうな」
「碧血ですか……あれも三年でしたね。三年経てば全てが変わるでしょうか」
「三年経って俺達が何か変わったか?」
「……はは、変わりませんね」

『義に殉じて流した武人の血は、三年経つと碧色になる』

 大陸の故事にそんな一節があると言う。
 ならば今まで倒れた多くの盟友(とも)の血は碧くその色を変え、大地の底で今も流れ続けているのだろうか。
 その血は故里へ還っただろうか。
 
 三年――この地を守るために貴方は戦い続けるのだろう。
 そして貴方は貴方のまま変わる事無くこの地で朽ちるおつもりなのだろう。
 露と消えた多くの盟友の為に。花を待たずに。

「故里か、遠いな……」
「お前ぇの里は大垣だったか?」
 ギヤマンの向こう、陽は周囲を黄金に染めて昏い海に姿を沈め始めていた。
「水の都と言われていますが何も無い田舎です。再び帰る事はありますまい」
「多摩も同じさ」


“たとひ身は 蝦夷の島根に朽つるとも 魂は東の君や守らん”


 遐く北の最果て、蝦夷の春は音も無く、すぐそこまで迫っていた。





「隊長、あまり夜風に当たると身体に障りますよ。一体何を……」
「あぁ、伍長か。月だよ」
「え?」
 船首で空を見上げる断髪の男の肩にフロックコートをかけてやり、伍長と呼ばれた男が空を仰ぐ。
 真っ暗闇の海上では星や月が出ていなければ、どこからが海でどこからが空か判らなくなってしまう。
 まるで己の懐裡のようだ、と総髪の男が暫時、眼を閉じる。
 新政府軍の軍艦・春日丸が宮古湾に入ったのが明治二年の二月二十日。あと十日もすれば夢見月だ。
 海の上では波を攫った風が身を斬るように凍みる。
「月は変わらず天辺にあるんだな。京でも江戸でもそうだった」
「先代の隊長や熊も同じ月を見ているのでしょうか……」
 蛤御門、その他の戦に散った同志を偲び、船尾を振り返れば黝い闇がただ広がっている。
 無言の暗穴はぱっくりと顎門を開いた魔物のようだった。
 
 あんな闇の向こうに人々は眠っているのか――

 暫しの沈黙が流れ、波の音だけが耳朶に響く。遠く離れた故里の、長州の波の音と同じだ。
 長州を囲む三つの海は真っ青に澄んで(暖流が流れている)透かし織りのように綺麗だ。
 もう何年帰っていないだろうか、湧き上がる里心に二の言を失くす。
「目に見えるものが全てじゃない。先代はいつもそう言ってたな」

 月もそうなのだろう。
 きっと、目で見るのではないのだ。

「どういう事でしょうか」
 伍長は月を眺めたまま男の傍らに膝を付く。
「酒の味はいつも同じだ。美味く感じるのも不味く感じるのも己次第、という事だろう」
「ならば、私の見ている月と隊長の見ている月は違いますか?」
「さぁ、な。俺には分からん。お前自身がよく知っているだろう」
 
 ざわざわと波の音が胸に響く。
 その音は次第に大きくなって鼓膜に押し寄せてきた。

「隊長……我々は何の為に戦っているのでしょうか」
「それもお前自身がよく知っているだろう」

 志士仁人――生を求めて以て仁を害するなし。
『生命惜しまず。身を殺して仁の道に背かず』

 それが志士なのだと、藩校・明倫館で学んだ。
 為すべき事の為に生命を惜しむ気は元より微塵もない。
 が、夥しい血を贄にこの国は何処へ向かっているのだろう。
 国を憂い、立ち上がったのは我等だけではない。
 農民が、商人が、僧侶が、武器を手にその骸を野辺に晒して折り重なってゆく。
 その先に何が待っているのだろう。
 
 剣を持つ者は揺らいではならぬ。
 剣を持つ者は迷ってはならぬ。

 剣は須らく命を奪うもの故に――

「正直、私は分からなくなりました。御国の為に何を為すべきか」

 人は己の事しか判らぬ。
 然し、己の事が一番判らぬのだ。

「志など捨ててしまえ」
 隊長の予想もしない言葉に伍長は身動ぎも出来ず瞳をしばたたいた。
「志とは“武士の心”そんなものは捨ててしまうがいい。誇り高きは武士のみに非ず」

 波の音がただ胸を伝う。

「俺はただ、人として生き、人として死ぬ。そう決めたんだ」

 嗚呼、貴方は何と真っ直ぐで揺ぎ無い人なのであろうか。
 人として生きると言った貴方の傍で私も人として生き、人として果てよう。
 見上げた月は凛と輝いて、皓々と海路を照らしていた。
 船尾に続く闇はいつしか星明りに照らされて沈黙の帳に蟲喰いの穴を開けた。
 綻びたのは空だったろうか、心だったろうか。
 
「俺達が掲げるのは“武士の心”じゃない“土の心”だ。こっちの方が据わりがいいだろう?」
 土より生まれ、土に還る。ただ人として。
 その為に戦うのだと断髪の男は矢張り月を頂いて言う。

 現の夢に鎮めの歌を――その為に身を尽くさば花は咲くでしょう。

「蝦夷にも花は咲きますでしょうか」
「当たり前だ、大地には花は咲くもんだ」





 四月九日、新政府軍の艦隊が乙部村へ到着。すぐに上陸を開始した。
 十一日には木古内口、十三日には二股口、十七日には折戸浜での激戦が始まる。

「旧幕軍の守りは強固ですね。二本松のような悲劇は避けたいのですが……」
「大壇口の少年兵達か、黒田参謀も心を痛めていたな」
 二本松藩の少年兵は十七歳以下の六十三名。そのうち大壇口に出陣したのは木村銃太郎門下生中心の二十六名である。
 この隊は十三歳から十七歳までの少年が参加しており、隊長、副隊長を欠いた退散で戦死した少年は十四名にものぼる。
 戊辰の悲劇と呼ばれる会津戦争、取り分け白虎隊の影に隠れてはいるが、現代で考えるなら小中学生の壮絶な集団死である。

『何故このような幼き子供にまで戦をさせるのか』

 薩摩の黒田了介は憤っていたと言う。
「それが戦だと言うのなら一刻も早く終わらせなくてななりません」
 血は新たな血を呼ぶのだ。
「蝦夷にも花は咲くと隊長は言いました。私はその花は藤だと思います」
 季節は卯月。
 断髪の男は瞠目して振り返った。
「桜が先だろう?」

 ――花は桜木、人は武士。

「いいえ。私は貴方のようにしなやかで美しい藤が御国に春を告げるのだと思います」

 清けく強く、風のように、陽のように。降り注いで包み込む。

「藤と言えば不如帰だな。確かに、そっちの方が似合いかもしれない」
 如きて帰らぬ、血を吐く鳥よ。

 花鳥風月、花札の四月は藤に不如帰。
 出会いと別れの季節よ。





「隊長――っ!」
 対峙する男は静かに切っ先を振り下ろした。
 弧を描いて三日月のように軸をかたどり地に沈む。
 血飛沫が大地に広がった。

 遐く波の音が耳朶に残る。

「その血は碧くこの地に滲みるだろう」
 黒いビロードのコートを纏った色白の男は血刀を翳して静かに言った。

 ――隊長の瞳とよく似ている。

 何故かそう思った。
 走り去る背に視線を投げたまま“あの人も如きて帰らぬ覚悟だ”と悟った。
 北の大地に血が降る。花の咲く春の先触れ。
 事切れる寸前の隊長の背に白き翼が見えた。
 これは幻だろうか。
「隊長っ……」
「この世界で人として巡り会えて……嬉しかったよ」

 風に乗って紫の花弁が甘く天より薫る。

“人として生き、人として死ぬ”

 私はただ理由も知らず、それでも尚、貴方を求めて。
「私だって……っ」
 追いかけて、追いかけて、掴んだ途端に失って――
 それでも忘れない。

 幾つもの過ぎた季節も、貴方の言葉も、私の想いも。
 遐く遐く彼方まで如こうとも――
 何度でも何度でも追いかけるから。

 不如帰はあの世とこの世を往復するのでしょう。
 魂魄を呼ぶ鳥なのでしょう。

 ならば私も如きて帰らぬ。
 最果ての地に果敢なく消ゆるも。





「かなしいって、いたいこと? おねえちゃん、わすれないのいたい?」
 じっと見据える少女の瞳に笑みを向けて、屈んで目線を合わせたしえるは肩から滑り落ちた髪を手で払い唇形を上げる。
「大好きなものにまた出逢えたら嬉しいでしょう? お花だってまた咲くのよ。また会えると思ったら嬉しいでしょう?」
「うん」
「だからお姉ちゃんは痛くないわ」

 疾く逝きし あはい紫の槎 獨り憶ふ
 名も無き花の 散るを憶ふ

「さて、兄貴の顔でも拝みに行くかな。何か美味しいものでも作って貰お♪」

 それくらい全然罰は当たらないと思う訳よ――うん。




=了=





■■□□
 ライターより

 嘉神・しえる様、はじめまして。幸護です。

 この度はご指名頂きまして有難う御座います。
 納品が遅くなりまして申し訳御座いません。

 幕末の志士という事で本文中には出てきませんが【郷勇隊】辺りをイメージして
 書かせて頂きました。
 隊長を斬った人は言わずと知れた鬼副長こと“あのお方”です(笑)
 当初は雰囲気を出すために、隊長、伍長の会話は全て長州弁で書いていたのですが
(更に言うと甘党の頭取も大垣弁で書いてました<笑)
 逆に雰囲気を損なっている気が無きにしも非ず――だったので
 元に戻してしまいました。
 どちらが良かったのだろうと未だに悩んでおりますが、如何でしょうか。
 やはり
「〜けぇのぉ」「〜つかーさい」「〜じゃろ」「〜っちょる」は
 止めて正解だったでしょうか。幸護は楽しいのですが隊長のイメージが崩れそうで(笑)
  
 少しでもお気に召して頂ければ嬉しく思います。
 またお逢いできる事を祈りまして……この度は有難う御座いました。
 
 

 幸護。