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葉桜とスキップ
「見事に、葉桜になってるわね……」
シュライン・エマは大きな風呂敷に包んだ重箱を提げながら、濃さを増し始めた桜の木を見上げて言った。
確か花見をするから、と言われて私は来たのじゃなかったかしら?
花見というのは桜の花を愛でる催しじゃないの?
そうシュラインは認識して生きてきた。これまでは。
なだらかな丘になった公園の一角。すっかり葉桜に成り果てた桜の木の下、ビニールシートを広げる結城恭一郎と和鳥鷹群が不思議そうに自分を見返す。
「桜なんか散ってる今だから、場所取りしないで済むんですよ」
当然だ、と言わんばかりに和鳥が胸をそらす。
「桜のお花見は綺麗だけど、周りが騒がしくてはゆっくり皆と話せないしね」
結城は腰を伸ばして辺りに目を向ける。
「この公園は水仙が有名なんだよ。週末には水仙祭りがあってね。
ちょっと早いけど、混み合う前にお花見にしたんだ」
午後の明るい陽射しの下、緑の芝の中を水仙が咲き乱れている。
水仙は黄色いものが多いが、よく見ると同じ黄色でも株ごとに色合いが異なり、花びらも一重咲き、八重咲きとバリエーションに富んでいる。
そして今まではあまり意識する事の無かった、水仙の芳香。
風が通り抜ける度に、胸の奥をくすぐるような爽やかな香りが感じられる。
「ま、絶対来て良かったと思いますから。ほら、食い物も来たし。
シュラインさんもいろいろ持って来てくれたから、今日は花見てる暇ないですね」
和鳥の視線の先には、公園の坂道を登って来る八重垣芳人と八重垣津々路。
芳人が大きく手を振る後ろを、津々路は重箱らしい風呂敷包みを抱えて付いて来る。
津々路にシュラインは見覚えがあった。
確かIO2の研究所であった事件の時、関わりあった青年だ。
その時はほとんど言葉を交わさずに終ったのだけれど。
「珍しいね、津々路君が来てくれるなんて」
陽射しに目を細めながら結城が言うと、和鳥がやや不機嫌そうに返した。
「芳人が無理やり連れ出したんでしょ」
あいつも芳人には甘いから、と和鳥は口を尖らせて付け加える。
その口調が子供っぽくて、クス、と思わず笑いがこぼれた。
遠目で見た芳人は素直そうな少年で、甘やかしたくなる気持ちもわかる。
「ほら、シュラインさんも座って、ね」
結城に促され、シュラインはシートの上に腰を下ろした。
結城の雪狼が行儀良く葉桜の下に座り、ぱたぱたと尾を振っている。
結城さんも楽しいのね。
雪狼は結城と感覚を共有した存在なのだ。
こうして結城探偵事務所の花見は始まった。
シートの上には早速シュラインと津々路の運んだ料理が広げられた。
「ちょっと作りすぎたかしら? 皆さんのお口に合うと良いのだけれど」
季節の山菜炊込みご飯に蓮根磯辺焼き風、油っぽさが抜けてさっぱりした豚の紅茶煮に筍と蕗の煮物、エビチリや蓮根肉詰め、定番の卵巻きが重箱に彩りよく詰められている。
そしてデザートには芋羊羹とみたらし団子添え。
「男ばっかりだから大丈夫じゃないですか?」
取り皿を配りながら和鳥が言う。
津々路の持っていた重箱には、小さめにまとめられた赤飯のおにぎりと、飾り切りの美しい野菜の旨煮、鳥ひき肉のつくねに甘味噌を塗った田楽、飴色の照りが艶やかな角煮。
結構手が込んでるけど、誰が作ったのかしら。
芳人以外のメンバーの前にはビールや水割り、酎ハイの缶が並んでいる。
アルコールは和鳥の担当らしく、クーラーボックスにはまだ冷えた飲み物が入っているようだ。
「津々路君とシュラインさんが知り合いだなんてね」
結城がのんびりと言うのに、礼儀正しく津々路が挨拶する。
「あらためまして、八重垣津々路です。
以前お世話になった時は、きちんとお礼もできず、すいませんでした」
薄い色の瞳や髪は異国の血を感じさせる程明るいが、その表情や態度に浮ついた軽薄さはない。
名前を名乗る時、一瞬ためらうような間があったのにシュラインは気が付いた。
続けて、津々路の隣に座った少年が人懐こい笑顔をシュラインに向けて話しかけてくる。
「僕は八重垣芳人です。得物処八重垣で、店番をしています」
まあ、姓が同じなのね。
「八重垣……津々路さんとは兄弟なの?」
「ち、違いますよっ! 津々路さんは八重垣の若旦那様ですっ!!」
津々路の隣で芳人が手を大きく振って全身で否定する。
「そう? 津々路さんもいずれは八重垣のお店を継ぐのかしら」
もう何度も答えてきた質問なのか、かすかに苦笑しながら津々路は言った。
「俺は当分父親の跡は継げませんよ。
まだ親父も現役ですし、今はIO2で研究職についてますから」
プシュ、と軽い開栓音が響いて、津々路の言葉の後を和鳥が引き取る。
「ま、挨拶はそれくらいでいいだろ。
シュラインさんも好きな酒飲んで下さいね。たくさんありますから」
それぞれに飲み物が手渡された所で、結城が水割りの缶を掲げる。
「それじゃ、乾杯!」
「乾杯!」
缶同士が打ち合わせられ、皆は早速真ん中に並べられた重箱の中味に手を伸ばす。
「僕、筍の煮物大好きなんですよ。これ、だしが染みてて美味しいです」
満面の笑みで筍を口に運ぶ芳人に、これだけ喜ばれると作り甲斐があるのに、と作り甲斐のない約一名をシュラインは思い浮かべた。
でも、たまには興信所の事を忘れてゆっくりするのもいいわよね。
「これ、芳人君が作ってきたの?」
「はい! 頑張って早起きして作りました。味、変じゃないですか?」
料理は見た目を裏切らない美味しさで、つい箸をのばしてしまう。
「美味しいわ。これだけ料理作れるなんてすごいわよ」
あまり褒められる事に慣れていないのか、芳人は顔を赤くする。
「え、そ、そうですか? でも僕より和鳥さんの方が上手いんですよ。
事務所でいつも結城さんの分も作ってるんですから」
がつがつと音のしそうな食欲で、山菜炊き込みご飯とエビチリを食べている和鳥が答えた。
「ん? 一人分も二人分も大して変わらないですから。
所長はその辺り不器用なんですよ」
「いや俺も紅茶くらい淹れられるよ!」
「結城さん、紅茶ってそれ、お湯注ぐだけです……」
酔いに早くもほんのりと頬に赤みの差した結城が反論するが、地味に津々路が指摘したとおりそれは料理と言えないだろう。
「所長、よく食事忘れて文書まとめてたりしますよね」
「集中すると時間の感覚がなくなるんだ……」
気恥ずかしさに思わず結城は水割りの缶をあおり、くらりとその上体が傾く。
「あ、ちょっと大丈夫ですか所長!」
「結城さん?」
「ふ、ふふ……」
結城は和鳥に抱きつきながら幸せそうにずっと笑い続けている。
穏やかとはいえ、普段は感情をあまり大きく出さない結城の表情は、一見だらしないようにも見えるがとても満ち足りていた。
結城さんにもこんな一面があるのね。
お酒は自分の抑えられた面が出てしまうとも聞く。
「結城さんてお酒、弱いんですか?」
クーラーボックスからお茶を出して結城に渡しながら、芳人が和鳥に聞く。
「まるっきり駄目なんだ」
大きく息を吐き出して、和鳥は太腿を枕に身体を伸ばしている結城の眼鏡を取った。
半分眠りに落ちているのか、結城は眼鏡を外されても抵抗せず横になっている。
「和鳥さんっ、結城さんのこれ、触っちゃだめですか?」
芳人が結城の雪狼に好奇心に満ちた瞳を向けている。
「お前、犬苦手じゃないのか」
「今なら大丈夫なんです! ね、ちょっとだけ」
今、雪狼は結城と同じく瞳を閉じて規則正しい寝息を立てている。
「私も実は、興味あるのよね」
「シュラインさんもですか!」
「俺も触ってみたい。咆哮鞭で実体化したものは珍しいからな」
「……津々路もかよ」
期待の込められた三人の視線を受けて、和鳥はがくりと肩を落した。
「所長、起こさないようにな」
嬉しさに思わず上げそうになった声を飲み込み、三人は雪狼の純白の毛並みに手を伸ばす。
「ひんやりして気持ちいいわね。夏場はずっと抱えていたくなっちゃうわ」
「わー、ふかふかしてますよ! 可愛いなあ」
「通常の生物とほとんど変わらないな。これは使役者の能力によるのかな」
撫でられた雪狼は時折身体を動かすが、真紅の瞳を閉じたまま眠っている。
「何だか結城さんも楽しそうですよね。
そんなに楽しくなるなら、僕もお酒飲んでみたいな」
視線をまだ開封していないアルコールに走らせながら芳人が言った。
「ダメだ。お前子供だろ」
「えー!? 本当は僕、若旦那様より長く生きてるのに〜!!」
ぴしゃりと拒絶した津々路に芳人が不平の声を上げる。
「かわりに後でボートに乗せてやるよ」
「約束ですからねっ若旦那様!」
津々路さんも芳人君には甘いのね。
あまり喋らない人だけど、芳人君の前じゃとても優しい顔見せてるし。
とりとめない話をしながら、シュラインたちはほろ酔い加減で暮れていく公園の風景を見ていた。
日の光が薄れていく中でも、水仙は月の色にも似て存在感をかもし出している。
「ごめん、芳人代わってくれ。煙草吸いに行きたい」
太腿がしびれてきたのか、芳人に和鳥が助けを求める。
「ここで吸えばいいんじゃないか? 結城さん今は寝てるし」
結城は煙草が苦手で、彼の前では和鳥は絶対に吸わないのだと聞いた事がある。
津々路の言葉に和鳥は苦笑する。
「所長、煙草も苦手だからな……せっかく気持ちよく寝てるの、起こすのも可哀想だし」
芳人に結城を預け、
「仕事以外の事はホントだめな人なんだよ」
と和鳥は笑って立ち上がった。
「じゃ、俺はその間に片付けてるか」
まとめた缶類を持った津々路をシュラインも追う。
「私も手伝わせて」
「シュラインさんは座ってていいですよ。料理ご馳走になったし。
炊き込みご飯と卵巻き美味しかったです」
ほとんど食べ残しないから片付けも楽ですよ、と缶類の入った袋を持ち上げて見せて津々路が言った。
何もしないのに芳人と結城の傍にいるのもためらわれ、シュラインは公園を一周する事にした。
と、水仙が咲き乱れる一角、ベンチに座って煙草を吸っている和鳥を見つけた。
向こうもシュラインに気が付き、軽く手を挙げる。
「和鳥さんて、結城さんの事になると一生懸命よね」
「えっ? そ、そう見えますかっ!?」
げほげほと咳き込みながら、和鳥は口元を拭う。
「うーん、所長は仕事以外になると、かなり危なっかしいし……それに」
いつもは明るい和鳥の表情が、ほんのわずか翳る。
「俺は負い目があるんです。昔、所長の足に怪我させたのは俺だから……。
やっぱりそう思うと、俺に出来る事なら何でもしたくなるんです」
泣き笑いのような表情を作ると、この青年の左目にある泣き黒子が強く意識される。
「和鳥さん……」
「今の話、所長には黙ってて下さいね」
そう言う和鳥の顔は普段どおりの明るさを取り戻している。
薄紫の夕闇が満ち始めた公園を戻ろうと、シュラインと和鳥はその場を後にした。
(終)
■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
■ライター通信
シュライン・エマ様
ご注文ありがとうございます!
納品が大変遅れてしまいまして、申し訳ありませんでした!!
和鳥クローズアップな話でしたが、いかがでしたでしょうか?
雪狼がモテモテとも言いますが……。
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
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