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<東京怪談ノベル(シングル)>


選択の余地ナシ

 その日は麗らかな小春日和だった。既に桜の季節は終わりを告げようとしていたが、こんな森の中を歩くのなら、寧ろ、今頃のような、新緑に溢れる季節の方がいいかもしれない。そんな事を考えつつ、慎一郎は森の奥へ奥へと、何の考えもなしで歩いていった。

 都会のど真ん中に、何故こんな緑豊かな深い森があるのか。その辺は謎だらけだが、あやかし荘の近くと言うだけで、そんな不可思議も納得できてしまうのだから不思議なものだ。
 …と言うか、元より、そんな事、考えようとも思っていなかったが。
 森の中は濃く茂った背の高い木々のお陰で、下生えの殆どが木々の陰になっている。その所為だろうか、慎一郎が踏み締めている足元にはまともな草は生えていない。あるのは苔ばかりで、緑色のじゅうたんでも敷き詰めてあるように、びっしりと生え揃っていた。そのお陰で足元は柔らかく、さほど疲れを感じる事無く歩みを進める事が出来た。
 後になって考えてみれば、それが全ての元凶だったような気もするが。

 こつ。慎一郎の靴先に、何かが当たった。蹴飛ばされたそれは、そのまま一メートル程先まで飛んでいく。僅かに差し込む陽光にキラリと光るそれに視線を定めながら近付き、慎一郎は腰を屈めてそれを拾い上げる。それは、手の平に収まる程の大きさの、鉄製の栓抜きだった。
 「…何故こんなところに栓抜きが。誰かがここで宴会でもしたのでしょうかねぇ」
 首を傾げ、拾った栓抜きをまじまじと見詰める。栓を抜くところは丸い形、その上にやや縦長の四角い巣箱の図案があり、そのまた上には羽根を広げた鳥の図案。これは、絵柄が見えない裏から見れば、ただの三角に見えた。
 丸。四角。三角。
 「…………」
 その三つの図形を見て連想されるもの。慎一郎にとっては、それはただひとつ、であった。

 …おなか空いた。

 ふと慎一郎の視線が遠くなる。その時、足元に、これまたイイ具合?に、拳大の石が地面から半分ほど、顔を覗かせていた。そしてお約束。物思いに耽っていた慎一郎は、ものの見事に、石に蹴躓いた。
 「うわっ!」
 不意を突かれて慎一郎は、体勢を立て直す為に思わず両腕を大きく振り回した。その拍子に、手にしていた栓抜きがすっぽ抜け、緩い弧を描いて前方に飛んでいく。そこには、十数メートル程の幅の泉がいつの間にやら出現していた。

 ぽちゃん。

 泉の表面を揺らす風も吹いていない所為か、栓抜きが落ちた事で、滑るようだった銀盤に初めて波紋が広がる。泉の水が極めて澄んでいるお陰で、ゆっくりと水の抵抗に揺らめきながら、栓抜きが落ちていくのが見えた。慌てて泉の縁まで走り寄り、慎一郎は栓抜きを、それが見えなくなるまでずっと視線で追っていた。
 「……あーあ、…」
 溜息混じりに慎一郎が呟いた次の瞬間。泉の真ん中、その真下の底から、眩いばかりの光が溢れ出す。思わず片腕で目元を覆い、光が収まった頃にその腕を退けると、なんと泉の真ん中に、ひとりの神々しいまでに美しい女性が立っていた。
 勿論、水面に。
 「…あのー、それ、どう言う仕組みですか?忍者の道具みたいなものですか?」
 「……。私の足元にそんなものが見えますか?」
 静かな女性の声は、多少の事、怒っているようにも聞こえる。慎一郎が目を凝らしてみると、女性の足元は完全に水面から浮いている。その真下の水面は、女性の爪先を中心にして僅かに漣だっているようだった。
 「私は泉の精。この泉を統べ、護るのが役目です」
 気を取り直し、泉の精がそう告げる。黒く波打つ髪が艶やかで色っぽく、肩と胸元を大きく露出した、セクシーな黒いドレスは、到底『泉の精』と言う清らかな存在には見えなかったが。
 それはともかく、どこかの某研究所の主に酷似した泉の精は、両腕を左右にさっと開く。その手と手の間に、三つの物が浮いていた。
 「金の栓抜きと銀の栓抜き、そして鉄の栓抜き。貴方が落としたのはどの栓抜きですか?」
 その問いに対し、慎一郎は即答する。
 「フツーのおでんです」
 「おでんは落としてませんけど」
 泉の精は、極めて冷静にツッコんだ。
 「私は、金と銀と鉄、どの栓抜きを落としたのですか、と尋ねているのです」
 「でも僕は、栓抜きなんか欲しくありません。今欲しいのは、おでん、ほっかほかで出汁の良く滲みたおでん、只一つです」
 きっぱりと言い切る慎一郎に、泉の精は思わず深い溜息を付いて額をたおやかな指先で押さえた。
 「ああ、何と言う事でしょう…自分が栓抜きを落とした事も認めず、それどころか、己が欲望のままにモノを要求するとは…人間とは何と嘆かわしい生き物なのでしょう…」
 「あなたが嘆くのは勝手ですが、第一、池の中に何を落とそうが僕の勝手ではないのですか?」
 「池ではありません。泉です」
 結構、この泉の精は拘る性分らしい。
 「池でも泉でも同じです。ようは大きな水溜りでしょう?そんな事は僕になんら関係ありません。第一、僕が落とした栓抜きはたったひとつなのに、何故三つも候補を出してくるのですか?」
 「ようやく認めましたね。貴方が栓抜きを落とした事を」
 泉の精が、嫣然と微笑む。慎一郎の問いには答えようともせず、『栓抜きを落とした』と言うその部分だけに反応を示したようだ。そんな泉の精の様子に、さすがの慎一郎も憮然とした。
 「ああ、落としましたよ。確かに落としましたよ、栓抜き。落としましたとも。これで満足ですか?」
 「自棄になってはいけません。心は広く大きく持ちましょう」
 誰の所為だ。
 「で、どの栓抜きですか?金のですか?銀のですか?それとも、鉄の?」
 「その、おでん型の栓抜きです」
 慎一郎の指は、真っ直ぐに鉄の栓抜きを指差していた。
 「おでん型ではありません。鉄の、です」
 「素材はどうでもいいんです。僕にとって重要なのはその形ですから。もしも、その金の栓抜きが、完全なるおでん型であったならば、僕は躊躇う事無く、落としたのは金の栓抜きだと告げるでしょう」
 そう言って慎一郎の指先が、鉄の栓抜きから金の栓抜きへと横移動する。慌てて泉の精は、金と銀の栓抜きを自分の背後に隠した。
 「全く、貴方と言う人間は…欲深いと言うか、己の欲求に忠実と言うか…」
 「ちなみに、例え、僕が正直に鉄の栓抜きを示し、その正直さへの褒美として金の栓抜きも銀の栓抜きも貰えたとしても、ハラペコの僕にとってはどれも無用の長物ですから、全部をまたこの池に投げ込むだろう事は明白ですが」
 「池ではないと言っているではありませんか」
 溜息をついて池の精…もとい、泉の精が訂正するが、最早、慎一郎を説得しようとは思っていないようだった。鉄の栓抜きが泉の精の手元から離れ、空間を滑るように移動してくる。差し出した慎一郎の手の上辺りでそれは動きを止め、ぽとりと手の平に落ちてきた。
 「ともかく、用事は済みました。正直に告げた貴方には本来ならば金の栓抜きも銀の栓抜きも与えるべきだとは思いますが、貰ってすぐに投げ込み返す事が分かり切っている人にあげるのもどうかと思いますのであげません。これからは足元に気をつけてお行きなさい」
 では、と頭を一つ下げ、泉の精は背を向け、泉の中へと戻っていこうとする。それを、慎一郎が呼び止めた。
 「ちょっと待ってください」
 「何ですか?今更、三つとも欲しいと言っても遅いですよ」
 振り返り、眉を顰めた泉の精が目を細める。いえいえ、とにっこり笑って慎一郎が片手を振った。
 「そんな事は申しません。僕が聞きたいのは唯一つ…あやかし荘に戻るには、どこをどう行ったらいいでしょうか?」

 道に迷ったのかよ!

 とは、さすがの泉の精もツッコまなかったが。


おわり。


☆ライターより
 なんで栓抜きなのかと言うと、つい先日、南部鉄で出来たウサギの形の栓抜きを衝動買いしたばかりだったからです(え)
 と言う訳で、いつもご依頼、ありがとうございます!碧川でございます。
 某研究所の…と言う一文がなければ、泉の精=高峰沙耶とは分かりゃしませんが(汗)、如何だったでしょうか?
 ではでは、次はシチュノベか調査依頼か、どちらが先になるか不明ですが(汗)、またお会い致しましょう。