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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Cooking Nightmare


[ ACT:1 神の閃き、悪魔の囁き ]

 春の穏やかさは身を潜め、代わりに初夏の気配を孕んだ風が肌を撫でる頃、街の並木達も花の時期を終え、新緑の葉を強くなり始めた日差しの下に伸ばしている。
 (株)黒澤人材派遣のオフィス内に飾られた観葉植物達も、外の新緑に負けず劣らず、それはもう元気良く――――枯れていた。
「ついこの間までは元気だったのに……」
 床に向かって頭を垂れて、息も絶え絶えな植物達に手を翳しながら、村雨・花梨はそっと溜息を吐いた。
 ふと視線を上げれば、室内の鉢だけでなく、敷地内の花壇の草花も萎れている。
 原因は分かっている。花梨の上司であり、この会社の社長でもある黒澤・早百合だ。
 (株)黒澤人材派遣の女社長であり、女性だけの殺人組織・黒百合会の首領である早百合は、仕事に関しては一流だが日常生活のスキルはほぼゼロと言っても良い。家事全般は勿論の事、植物を育てるのも苦手らしく、多少の事では枯れないような観葉植物や花壇の花たちを悉く枯らしていた。自分ではダメだといち早く悟った早百合は、自分の部下の中でも『みどりの手』と呼ばれる癒しの力を持った花梨を園芸部長に任命し、その世話を任せるようになった。おかげで植物達は生命の危機から脱出する事が叶ったのである。
 そう、もう枯れる事はないはずだったのだが、つい最近、状況は一変してしまった。
 早百合が自分の個室、つまり社長室に本格的なキッチンを増設してしまったのだ。何でも、家に帰る時間が取れないので、いっそ会社で料理をしようと言う事らしい。
 しかし、早百合の料理は、スキルゼロの家事の中でも、苦手レベルを遥かに超えて危険レベルに達する。
 彼女の作る料理は味を楽しみ栄養を取り入れるものではなく、悪霊を追い払ったり口にした者の意識を地獄の底、はたまた宇宙の果てに飛ばしてしまう、恐ろしいバイオ兵器なのだ。
 しかも性質の悪い事に、早百合自身は自分の料理が取り扱い注意の危険物だという意識はなく、それどころか達人級に極めたと思い込んでいるのである。確かに、新種の殺人兵器としては極まっているような気がするが、そんな事は口が裂けても言えない。
 花梨が世話して元気になった観葉植物達は、社長室から流れ出る恐ろしい料理の瘴気に当てられ、瀕死になってしまっているのだ。ちなみに、先日も新しい料理に挑戦し(早百合曰くこれも極めたらしいが)、早百合の顔見知りが一人、別次元の世界に旅立ったと聞く。
「これ以上被害が出る前に、ボス専属の犠牲者――じゃないわ、いい人を見つけて結婚してもらわないと」
 その手で見事に観葉植物達を生き返らせながら、花梨は考える。
 そもそも早百合が料理に執心しているのは、手作り料理で理想の男性をゲットし、夢のバージンロードを歩く為である。誰かいい人が見つかり、結婚してしまえば、料理はその人の為だけに作るようになるだろう。そうなれば、周りは一安心である。それに、愛があればどんな料理でもきっと克服できるに違いない。いや、して貰わなければ困る。早百合の幸せの為にも、周りの平穏な生活の為にも。
 男性と知り合い、心を掴む方法は色々あると思うのだが、早百合が『これだけ出来ればどんな彼でもイ・チ・コ・ロ☆』ランキング常にトップの肉じゃがやひじきの煮付けを極めたと言い張っている以上、料理以外の手段を薦めても聞かないだろう。
 ならば基本に立ち返り、もっときちんと『安心して食べられる』家庭料理を新たに覚えてもらう方がいいのかもしれない。
「ボスはいつも本とかテレビのレシピだけを見て、自分アレンジを加えるからきっとダメなんだわ。ちゃんと作れる人に教わればもしかして上手くいくかも!」
 はたと思い至った結論がかなりの上策に思え、花梨はパッと表情を明るくした。しかし、天啓と思えたその案に少し不安が残る事に気付き、再び俯く。
 簡単な家庭料理ならば花梨自身が早百合に教えてやる事も出来るだろう。しかし、相手は上司である。尊敬するボスである。自分の流儀でやろうとする早百合を強く止める事が出来るだろうか。
「む、無理だわ……私にボスのやり方を批判するなんて出来ないわ……」
 花梨はがくりと床に膝をつき、肩を落とした。自分一人では荷が重過ぎる。誰か、もっと頼りになりそうな人物に助けを求められれば……。
 その時、花梨の脳裏にとある人物の顔が浮かんだ。本日二度目の天啓である。
「あの人ならきっと――!」
 花梨はすっくと立ち上がると、その人物の元へと急ぐ為にオフィスを後にした。

* * *
 
「……と言うわけで、うちの社長の為にお力を貸して頂けないでしょうか?」
 アンティーク調のソファから身を乗り出し、花梨が期待の視線を向けると、問い掛けられた相手――高峰・沙耶は口元に静かな笑みを浮かべた。
「世界に起こる怪奇事件の記録を収集する為にいるこの私に、怪奇そのものを創り出す手助けを請うなんて、面白い話ね」
「いえ、あの、怪奇を作り出して欲しいんじゃなくて、料理を教えてくださればいいんですけど」
 早百合の料理について怪奇そのものと断言する高峰に、花梨は一応否定の言葉を伝えておく。怪奇と言う表現はかなり当たっているとは思うのだが、やはりそこは否定するのが部下の勤めであろう。
「ふふ、私には同じ事だけれどね。……花梨さん、とおっしゃったわね。いいわ、その話お受けするわ」
「ホントですか! 有難うございます!」
 高峰の了承を聞いて花梨は勢い良く頭を下げた。その様子に微笑を崩さぬまま、胸の中の黒猫を撫でながら、高峰が言葉を告ぐ。
「それで私は何を教えればいいのかしら」
「何でもいいんです。家庭料理ならなんでも。サバの味噌煮とかきんぴらゴボウとか、基本の基本で」
「……そう、じゃあ私が行かなければならに日が決まったら連絡を頂けるかしら。メニューは任せて頂いてもいいわね?」 
「はい、よろしくお願いします!」
 どこのどんな神の導きか、高峰心霊学研究所へと赴いた花梨は『早百合の料理向上計画(もしくは犠牲者ゼロ運動)』への協力を無事に取り付けられた事にほっと胸を撫で下ろした。高峰が料理上手だなどという情報は一切聞いた事はないのだが、花梨は確信していた「この人なら出来る」と。
 果たしてこの確信が正しい選択だったのか、はたまた悪魔の悪戯だったのか、それを知るのはもう少し後になる。

* * *

 高峰による料理指導の話をするべくオフィスへ戻った花梨は、真っ直ぐに社長室に向かった。ノックした後、中から入室の許可の声を聞き扉を開けた途端、社長室内から溢れ出た、色にすればドドメ色という表現がぴったりくるような危険な空気に思わず身体が硬直する。
「ボ、ボス〜……?」
「あら、おはよう。いいところに来たわ。新作が出来たのよ、ひじきの煮付けミラクルワンダホーエディション」
 花梨が気合いで身体を室内に滑り込ませると、薄いピンク色のフリル付きエプロンを身に纏いにこやかに振り向いた黒澤・早百合は、異様な瘴気を放つ小皿を花梨に向けて差し出した。開いた扉から流れ出したそれの瘴気に、折角蘇らせた観葉植物達がまた萎れていきそうになるのを見て、花梨は慌てて扉を閉める。勿論、不自然にならないように「風邪かしら」などと呟きコホンコホンと咳き込む振りをしながら、自分の口元と鼻を何気なくハンカチで押さえる事も忘れない。
「すみません、ご飯食べてきちゃったんで今お腹いっぱいなんです」
「そうなの? じゃあこれは夕飯のおかずにでも」
 残念そうに肩を落とし、早百合が冷蔵庫に自称ひじきの煮付けを仕舞うと、やっと空気が澄み始めた。
「ボス、頑張ってますよね」
「待ってるだけじゃ幸せは歩いてこないもの。自らの手で掴み取らないと! その為の努力なら惜しまないつもりよ。次は何をマスターしようかと悩んでるところなんだけど」
「それについて提案があるんです」
 冷蔵庫の前から移動し、机の上に置いてあった『おかず百選』という料理雑誌を手に取ってページをパラパラと捲る早百合に、待ってましたとばかりに花梨が言葉を続ける。
「ご自分で研究なさるのもいいんですけど、ちゃんとした先生に教わってはどうかなって思うんですけど」
「料理の先生に? うーん、でも料理教室とかに通うのはちょっと面倒なのよねぇ」
「ここに来てもらえばいいんですよ。私、頼める人知ってますから」
「そう? それならお願いしようかしら」
「任せてください!」
 そう言うと、花梨は日程調整の為に早百合のスケジュールを聞き、それを高峰に伝える為に社長室を後にした。


[ ACT:2 悪夢は終わらない ]

 数日後。(株)黒澤人材派遣の社長室でキッチンの用意をして待つ早百合の元へ、いつもと変わらぬロングドレスの胸元に黒猫のゼーエンを抱いた高峰が、花梨ともにやってきた。花梨は肩にクーラーボックスを担いでいる。
「高峰さん? あなたが料理を教えてくれるの?」
「ええ、今日は貴女に私の秘技を授けようと思ってね」
「秘技?」
「本来ならば他人に教える事はないのだけれど、花梨さんの貴女に対する想いに負けたのよ。良い部下をお持ちのようね」
「まあ……! その気持ち、無駄にしないわよ。見ていなさい、花梨。私の本気を見せてあげるわ!」
「は、はい、あの……頑張ってくださいね!」
 感動の面持ちでこちらを見る早百合に、ニッコリ笑って激励の言葉をかけた後、花梨は足元に置いたクーラーボックスをちらりと見やった。
 料理指導の日が決まり、それを高峰に連絡した際、研究所に寄るように言われた花梨は、その言葉通りにオフィスに向かう前に高峰心霊学研究所へ立ち寄った。そこで渡されたのがクーラーボックスである。
『これは何ですか?』
『今日の料理用にあつらえた特別な食材よ。持っていってくれるかしら』
『ええと、確か今日教えてくださるのはサバの味噌煮でしたよね。じゃあこの中にはサバが……?』
『ふふふ……それは向こうへついてからのお楽しみね』
『…………』
 何故か中身がサバだと言う事を肯定しない高峰に釈然としないまま、花梨はクーラーボックスを運んできたのだ。ここにきてやっと、数日前の天啓が実は間違っていたのではないかとの不安が過ぎる。しかし今更料理指導を断るわけにはいかない。ここは信じてこれからの作業が無事に終わるのを待つしかない。
「では始めましょう。準備はよろしいかしら、早百合さん」
「ええ、いつでもオッケーよ。今日は先生とお呼びするわね、高峰先生」
 今日は真っ白なエプロンに身を包んだ早百合は、腕まくりをしやる気を漲らせて高峰を見た。高峰の閉じた瞳にその様子が映るはずはないのだが、あたかも早百合の表情が見えているかのように満足そうな笑みを浮かべ、花梨にクーラーボックスの中身を出すように促した。
「作って貰うのはサバの味噌煮よ。花梨さん、クーラーボックスから食材を出してくれるかしら」
「はい。……あれ?」
 研究所での会話を思い出し、恐る恐るクーラーボックスの蓋を開けた花梨の口から拍子抜けした声が上がる。高峰の口振りから、もしかしたらサバとは違う得体の知れない魚が入っているのではないかと思ったのだが、クーラーボックス内に置かれた水槽の中で窮屈そうに身を泳がせているのは紛れもなくサバであった。
「どうしたのかしら。そのサバに何かあったのかしら?」
「あ、いえ……」
 見上げる花梨の目に含みのある微笑を浮かべた高峰の表情が映る。明らかに何かを隠しているような顔だと思う。しかしサバは普通だった。
「じゃあ早百合さん。まずはサバを捌いてくださる?」
「お安い御用よ」
(私の取り越し苦労だといいんだけど……)
 高峰の不穏な空気を感じつつ、花梨はまな板の前で包丁を握る早百合の前にサバを置いた。いきなり空気に晒されて生命の危機を感じた魚がビチビチと暴れるのを押さえ、早百合がその身に刃を入れる。料理をする早百合の姿を見るのは初めてだったのだが、想像を越えた見事な包丁捌きに、数秒前の不安も忘れ、花梨は目を丸くした。
「ボス、上手いんですね!」
「魚をおろすなんて基本よ、基本」
 うふふ、と得意げに笑い、早百合はサバを綺麗に二枚に下ろし、煮付けるために一口大に切り分けた。続いてしょうがを薄切りにする。全く危なげない手つきである。なるほど、技術的には何の問題もない。今までの悲惨な料理を思い返すに、早百合の料理の問題点は味付けと食材選びにあったようだ。
 しかし、心配していた食材も普通だった。後は味付けさえ基本通りにしていれば、今度こそ口にしても害のない安全な料理として出来上がるだろう。
 先程見た高峰の含みのある笑顔も、疑う自分をからかっていただけなのかもしれない。
 そう考え直し、少しだけ安心して早百合の作業を見守っていた花梨は、サバを煮る為のだしの準備をしようと調味料を揃え始めた。
「だしに入れるお酒とお砂糖とお味噌です」
「ありがとう」
「ちょっと待って。味噌はこれを使って頂戴」
 揃えられた調味料を鍋に張っただしに入れようとしたところへ、高峰がす、と小さな壷を差し出した。
「特製の手作り味噌よ。この味噌を使えば、どんなサバも高級魚に負けないとろけるような味わいを醸し出す事が出来るわ。ずっと蔵に仕舞ってあったのだけど、早百合さんの為に譲ろうと思うの」
「まあ、そんな貴重な味噌を私に?」
 ハッと振り返る花梨。その目は高峰の手から早百合に手渡された小振りの味噌壷に釘付けである。
 やはり、最初の直感は間違ってはいなかった。サバはフェイクに過ぎなかったのだ。高峰の狙いはサバではなく、味噌にあった。
(罠は味噌だったのね!!)
「あ、あの、その味噌は……っ!」
「折角ですもの、他の誰も味わった事のない『サバの味噌煮』をマスターして頂きたいの。それに、早百合さんならこの味噌の真の味を引き出せるはずだから」
「高峰さん、私の為にそこまで……!」
 慌てて止めようとしたが、時既に遅し。高峰の微笑と熱の篭った演技に早百合は瞳を潤ませている。高峰を信じきっている純粋な輝きだ。今この状態で味噌を奪ったら、自分が悪者である。
 普段の早百合であれば、その笑顔の裏にどれだけ巧妙な罠が隠されていようとも容易に気が付くはずだが、今は料理の事しか頭にない。滅多に表に出てこない高峰が自分の為にと用意してくれた物に疑いを持つ事はなかった。
(ああ、迂闊だったわ。すっかりサバに目を奪われていたわ! でもサバと同じようにただの味噌かもしれないし……)
 僅かな希望を胸に、早百合の横から壷の中身を覗いた花梨は、最後の希望を打ち砕かれ、その場に崩れ落ちそうになるのをかろうじて耐えた。
(終わったわ……!)
 壷の中身は形状だけなら確かに味噌ではあったが、黒やら赤やら茶色やらがマーブル状に混ざり合い、とにかく見るからに毒々しい色を放っていた。赤味噌の赤や、白味噌の白や、田舎味噌の黒っぽい色とは程遠い。味見をしなくてもヤバイ味がする事は明白である。
 その証拠に、蓋を開けたおかげで流れ出た味噌らしき物体の匂いに、キッチンの窓に置かれた鉢植えが、まるでビデオの早送りのように萎びていくのが見えた。
 しかし、そんな危険物を扱っている自覚など早百合にはなく、高峰から譲られた幻の手作り味噌をだしに加え、サバを煮始めた。
 くつくつと煮詰まり始めると同時に、室内の空気が瘴気に変わり始める。
 鉢植えの草花は茶色く変色し、すっかり枯れた。
 部屋から流れ出る毒のせいでオフィス内の観葉植物達も危険に晒されている。
 しかし、花梨にそれを助けに行く力はもうなかった。
 ぐらり、と視界が揺れ、目の前が暗くなる。
(ごめんね、みんな……先生もうみんなと遊べないかも……)
 すっかり意識を手放す前に浮かんだのは、勤める幼稚園の子供たちの無邪気な笑顔だった。

* * *

「……ん……」
 瞼の裏に眩しさを感じ、ゆっくりと目を開けると見慣れた天井の蛍光灯が目に入る。数度瞬きを繰り返し、やっと自分の身体が横になっている事に気付く。
 花梨は身体を起こすと、軽く頭を振り改めて周りを見回した。どうやらオフィスのソファに寝ていたらしい。
「目が覚めた? 大丈夫?」
「あ、ボス」
 ぼーっとソファに座っていた花梨に、早百合が近付きながら声をかける。
「私、どうしたんでしょう?」
「貧血よ。急に倒れて驚いたわよ。疲れが溜まってるんじゃないの?」
「……私、寝てたんですか? じゃああれは夢……?」
 早百合の言葉を受けて口の中で呟いた言葉に、身体の力が抜けた。
 そうだ、ボスの料理と行く末を案じるあまり、あんな悪夢を見てしまったのだ。そうに違いない。
 花梨はほっと息を吐くと、心配をかけまいと笑顔を作り早百合を見上げた。
「心配かけてすみません」
「いいのよ。それよりお腹空いてない?」
「え?」
「丁度新しい料理を覚えて、完成させたところなの。食べていかない?」
 その言葉に、どきりとする。
 慌てて目をやった先には、萎れた観葉植物。
「……あ、あの、何を作ったんですか?」
「サバの味噌煮よ。高峰さんから秘伝の手作り味噌を頂いたのよ。しかも、味噌の作り方まで伝授して貰っちゃって。もうどうしましょう、味噌まで手作り出来るなんて家庭的過ぎて困っちゃわない?」
 全然困っていない素振りで嬉しそうに話す早百合を見ながら、花梨は再び目の前が暗くなるのを感じていた。

 そして今日もひっそりと、高峰心霊学研究所に怪奇事件の記録が増えるのであった――――。
 
 
[ Cooking Nightmare/終 ]