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<東京怪談ノベル(シングル)>


生首稼業もほどほどに

「明日の文科系共同イベント、役はこの通りよ。誰がどれをやるかはあなたたちで決めて頂戴。」
放課後の演劇部室。集まった一年生部員を前に、部長は早口でそう告げ、有無を言わせぬ視線で一度ぐるりと一同を見渡した。自然と、ぴりぴりとした張りつめた空気が部屋に満ちる。一年生部員の一人、海原みなもも、思わず背筋を伸ばした。
「じゃ、よろしくね」
 質問も異論も出ないのを見ると、部長は短くそう言い残して慌ただしく出て行った。途端に、残された部員たちはざわめきだす。
 部活動の盛んなこの中学校では、文科系の部活であろうとも活動実績が求められるため、各部が夏に校内向けのイベントを行うのが恒例となっている。そんな中、今年はさらなる集客のアップと盛り上がりを期待して、文科系の部活が共同でイベントを行うことになったのだ。
 こうなると例年はイベントを行っていなかった演劇部も、今年は参加せざるをえない。たとえ、本業の全国大会を間近に控えて多忙を極めていたとしても。
「演劇部って『文科系』だったんだ……」
 ぽつりとみなもは呟きを漏らす。スポーツではないと言われればそれまでだが、普段の練習は運動系部活に負けないくらいに体力的にもハードなのだ。
 けれど今更そんなことを言っても仕方ない。みなもは黒板に書かれた役名へと目を移した。
「雪女、落ち武者、猫又、お菊、生首、戸板返し……」
 そう、演劇部の出し物はオバケ屋敷。演劇部には大道具でも入賞経験をもつ上級生や、プロを目指して、専門学校で本格的にメイクや衣装の勉強をしている部員もいる。仕掛けで魅せるオバケ屋敷は、今の演劇部にぴったりの出し物だろう。
 大会を間近に控えて大規模な企画ができないとはいえ、そこには毛程の妥協もない。そもそも、イベント前日までオバケのラインナップが決まらなかったのは、大会の準備と並行でき、なおかつ最高のクオリティを実現できるセットの調整に時間がかかったからだ。
 そして、多忙な上級生に代わってオバケを演じる一年生部員にとっては、ある意味チャンスでもある。オバケとはいえ「役」がつくのだ。 黒板の前では既に、積極的な部員が名乗りをあげ、自分の名を希望の役名の横に書き始めていた。
「一年生、もう配役決まった? ドーランの色、調整するよ」
 突然部室のドアが開いたかと思うと、大きな化粧道具箱を抱えたメイク係の上級生が入って来た。本番準備中の緊迫した雰囲気そのままに、その頬は紅潮し、殺気にも似たオーラを漂わせている。
「生首役の子は誰?」
 メイク係は口走るようにそういうと、ぎらりとした視線を一年生たちの間に巡らせた。
 その言葉に、みなもは前の黒板へと目をやった。さすがに誰もやりたくはないらしく、希望者の名前はない。もちろん、生首をやるつもりがないのはみなもも同じことだが。
 が、黒板の前に集まっていた数人の部員が、ふとみなもの方に顔を向けた。まだ配役の希望を出していないみなもの意向を問うような視線だったが、メイクのことで頭がいっぱいになっているらしい上級生は、そうはとらなかったようだ。
「みなもがやるのね? じゃ、ちょっとこっち来て」
 一分一秒でも惜しいといわんばかりに、彼女はみなもを呼ぶと、道具箱を開け、ドーランを混ぜ始めた。
「みなもは色が白いから、とりあえず肌の赤みを抑えて……。髪もブルーだから鮮血が映えるわね。照明は落とし気味だから……」
 わずかに口を開けかけたみなもに気を留めることもなく、彼女はすこぶる真剣な顔でぶつぶつ呟きながら、何度か少量のドーランをみなもの肌に乗せた。その迫力に圧されて、ついみなもは言葉を飲み込んでしまう。
「……これでよし。生首は視線が命だから頑張ってね。ああ、あとそのドーランは自分で落としておいてちょうだい。じゃ、次、猫又の子は?」
 メイク係は相変わらず一方的に早口で告げると、そのまま別の部員の方へと行ってしまった。
「ええと、先輩……?」
 私、まだ生首やるって言ってないんですけど……。
 何度も口にしかけたその言葉を形にする機会は、最後までみなもには与えられなかった。結局、押しの弱さが災いして、みなもは生首を演じるハメになってしまったのだった。

 翌日、オバケ屋敷の会場となる空き教室には、大道具係の突貫作業によって本物顔負けのオバケ屋敷のセットが組まれていた。
 化け猫騒動の舞台となる鍋島藩の屋敷に始まり、お菊の古井戸、戸板返しのある廃屋から、落ち武者や生首の出る荒野へと続いていく。途中、血しぶきの飛ぶ障子は、どう細工をしてるのか、人が通るたびに新しい血が飛んでいるように見えるし、みなも演じる生首の側には、一見して本物に見えてしまうような身体が転がっている。オバケがいなくても十分に怖い迫力あるオバケ屋敷が、既にできあがっていた。
「生首の子、こっち来て」
「は、はい」
 思わず感歎の声を上げながらセットに見とれていたみなもは慌てて返事をした。
「これで髪を押さえて、このベース、自分で塗って」
 相変わらず慌ただしいメイク係は、みなもにヘアピンと白っぽいドーランを押し付け、また違う色を混ぜ始めた。気圧されるように、みなもは言われたとおり従った。
「できた?」
 確認する間も惜しいとばかり、メイク係はみなもの返事も待たずに、その肌にさらにドーランを乗せ始める。なされるがままのみなもが手持ち無沙汰に視線だけをそっと巡らせば、すでに変身を終えた猫又や落ち武者が目に入った。どちらも見事なまでの変身っぷりだ。
 障子越しに影絵でしか見せないはずの猫又も、きっちり模様の入った毛皮を着て、毛並みが本物のようにふさふさしているし、落ち武者に至っては身につけた鎧、背に刺さった矢、流れ落ちてこびりついた血の乾き具合、すべてが絶妙で、何より死人の顔色に生きた人間の目が宿っているように見えるそのメイクが、不気味さをさらに高めていた。その迫力ときたら、メイクをしてもらっている最中なのも忘れて、あやうく声をあげそうになったくらいだ。
 これだけ状況が整えば、根がまじめなみなもは、自然とやる気もわいてくる。最高の生首になってみせよう、という気さえ起きてくるから不思議なものだ。
 けれどその一方で、決して鏡は見るまい、と心の片隅でみなもは誓った。他のオバケたちがこうなのだ、自分も相当怖いに違いない。

 メイクが終われば、いざ持ち場へ。みなもは椅子に座った状態で、半月状に切り欠きのある2枚の板に頭と両手を挟んで固定された。これで客から見えるのは頭だけ。生首の一丁上がり、というわけだ。
 原理自体はシンプルなしかけだが、普段から「一流のセットは客に錯覚を起こさせてこそ」が口癖の大道具係の先輩が満足そうな顔をしているところからすると、客側からはしっかり生首に見えるらしい。
「準備OK?」
 受付係の確認の後、元の電灯が消され、セットの照明が点される。途端にそこは、放課後の空き教室ではなく、おどろおどろしいオバケ屋敷へと変貌した。いやがおうにも、みなもの緊張感も高まっていく。客もすぐに入ったらしく、目を閉じて耳を澄ませば、客の話し声や客をおどかすオバケの声、それに続く悲鳴も聞こえてくる。
 やがて、人の気配がみなもの持ち場に近づいてくる。みなもは、薄目を開けて客が真ん前に来たのを確かめてから、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、客を見上げた。
「……私の身体、知りませんか……?」
「……っ」
 完全に作り物だと思っていたのだろう、みなもと目の合った女生徒は、声にならない悲鳴をあげ、連れの男子生徒にしがみついて顔を伏せた。男子生徒は役得とばかりに口元を緩めたようだったが、驚きと恐怖で凍り付いた表情はそのまま残っていて、何ともおかしな顔になっていた。
「びっくりしたよ〜っ」
 やっと声が出た、と言わんばかりの女生徒と、彼女を一応かばうようにしてその肩に手をかけた男子生徒の後ろ姿を目線だけで見送りながら、みなもは一種胸の高鳴りを感じていた。
 (ちょっと楽しいかも……)
 みなもは決して人を驚かせたり怖がらせたりして楽しむような趣味は持ち合わせていない。だというのに、このこみあげてくる高揚感は何だろう。
 人が驚くのを見るのがこんなに面白いなんて、と若干の罪悪感を感じながらも、何せここはオバケ屋敷、客だって、驚き、恐がりに来てるんだから、と割り切ることにして、さらに生首業に精を出すみなもだった。

 どれほどの時間が経っただろう。
 客の反応は上々だった。中には「身体ならそこに転がってるよ」なんて平然と傍らを指差す剛の者もいたが――そしてみなもは素直にお礼を返してしまったのだが――、たいていはみなもの生首に驚いてくれた。オバケとしてのやりがいは十分に感じたみなもだったが、それとは別にやはり生身の人間、座っているとはいえ、長時間同じ姿勢を保っていると辛くなってくる。特に首の左側がやたらと重く、じんじんと痛み始めてきた。
(この板……。ちょっと傾いているんじゃ……)
 みなもはできるだけ首の痛みを意識しないようにしながらも、ぼんやりと考えた。。もっとも、大道具係の先輩が「この板にも絶妙の仕掛けがしてあるんだ」と胸を張っていたくらいだから、設計ミスではなく本物っぽく見せるための工夫なのだろう。
 最初のうちは気づかなかったが、こう長時間に及ぶと、わずかな歪みも苦痛に変わってくる。人間の身体は一カ所歪めば、それを正そうとしてあちこち歪むと言うが、まさに今のみなもがそうだった。肩は凝るし、胸は詰まるし、背中は張るし、腰は突っ張るし、足は軽くしびれてくるし、全身にじわりと冷たい汗が湧いてくる。
 みなもは苦しい息をできるだけ大きく吐いてみた。が、それは気休めにさえならなかった。
 一瞬だけでもこの椅子から立てれば、否、せめてほんの少し首をまっすぐにするだけで、この辛さから解放されるような気がするのに、今のみなもにはそれが全く叶わない。だんだん首から下の感覚がなくなっていくようで、ちょうど本当に生首になっていくような気にさえなってくる。
 夏の日は長い。当然、放課後も長い。運動部の生徒が活動の合間や後に来られるように、という配慮もあって、イベントの実施時間も長い。あとどれくらい耐えれば良いのか、みなもには見当もつかなくっていた。
(た、助けて……)
 本当に客に助けを求める気はないが、つい、見上げる視線が救いを求めるまなざしになってしまう。
 そんなみなもと目を合わせた客は、息を飲み、悲鳴を上げ、そしてそのまま、あるいはわずかに満足げな表情を浮かべて行ってしまう。
 ここはオバケ屋敷。そんな客の反応は至極真っ当なものだとわかっていても、やはりどこか悲しい気持ちが湧いてくる。
(オバケさんって、こんな気持ちなのかな……)
 もしも本物に会う時がきたらきっと優しくしてあげよう、密かにそう誓うみなもであった。

 夏の長い日が西に落ちる頃、ようやくイベントも終了し、みなもたちオバケも激務から解放された。上級生たちがセットを片付けてくれているわずかな空き時間、オバケ同士でねぎらい合う。
 みなもはすっかり全身の感覚が鈍ってしまって、まるで体中に泥でも貼付けているかのようだったが、戸板返しの死体役には、固定された手首足首にあざができてしまっていたし、鎧を着込んで模造刀を振り回していた落ち武者は、もう腕が上がらないとこぼし、身体の片側からずっと舞台用の熱い照明を浴び続けた猫又は、照明の当たったところだけがやせたに違いないと冗談半ばに言い張った。
 みなもは、苦労話で盛り上がるオバケの輪からそっと抜けると、トイレに立つ。まだ体中がきしむようで、歩いていても地に足がついた感じがしない。オバケも大変だ、などと苦笑しつつ、電灯のスイッチを入れた。何の気なく、ふと傍らに視線を向ける。
 その次の瞬間、薄暮の校舎内に、みなもの悲鳴が響き渡った。

 みなもが、自分の見たものが洗面所の鏡に映った自分の姿だと気づいた時には、既に悲鳴を聞きつけた部員たちが駆けつけた後だった。おかげで、この一件は後々まで演劇部の語りぐさとなってしまった。
 なお、オバケ自らが怖がる程の演劇部主催オバケ屋敷は、盛況のもとに終わり、全校生徒からは「来年も」「いや、その前に文化祭で」とアンコールの声が殺到したとかしないとか。

<了>