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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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朽ちた人形舞を舞う
乾いた音が頭上から降り、視線を上げると音の正体は半ば想像していた通り、扉につけられたベルだった。
別段気にするでもなく、ある意味異世界というか特殊な雰囲気を醸し出す店内に足を踏み入れた。
品物に統一性がないからか、一見すれば適当に置かれているようにも見える陳列棚だが、置いた本人には法則性があるのかもしれない。
自らが奏でる靴音と衣擦れを意識の隅で聞きながら、ふと目に止まったのは宝石や小物類に埋もれるようにして置かれている一体の人形だった。
赤銅色の着物と童のようなおかっぱの髪、かろうじて子供の日本人形だという事はわかった。ただ、恐らく赤銅色に見えた着物の色は、元は真紅だったのではないかと思う。
捨てられ暫くどこかで放置されたように、着物は所々破れ朽ちていた。整えられていたであろう髪も振り乱れ、見るも無残な姿でうな垂れ、座っている。
「なんだかな」
つい口をついて出た台詞に自分自身が驚いていた。独り言になってしまった。
どうにも視線を剥がせずに思わず手を伸ばし指先が人形の頭部に触れるかという時、動くはずのない人形が赤銅色の朽ちた着物から白い腕をぎしぎしと動かす様子が視界に捕えられた。
「なっ――っ!」
突然の出来事に言葉にはならなかった。
壊れたロボットと言ったらいいだろうか、錆びた腕を無理やり動かすように、人形は不可解な動きを見せる。
「驚いただろう?」
新しい声に振り返ると、カウンターにはうろんげな視線をこちらに向けた女性がいた。店主碧摩蓮、いつの間に現われたのだろうと思案していると、喉の奥で、しかしどこか妖艶に笑った蓮は、手にしていたファイルを閉じ身体ごとカウンターに乗り出した。
「そいつは踊りたいんだよ。人様の前で舞を舞うのが好きだったみいだね。どうだい? その子、持って帰るかい?」
悪さはしないよ、そう付け加えた蓮は一度こちらを伺うように視線を向けると、そのまま再び椅子に座りなおし、ファイルを広げ、パイプを気だるそうにふかし始めた。
「そうね、じゃぁ1つお願いがあるのよ。この人形について、知ってる事なんでもいいから教えてほしいの」
蓮の視線がこちらを向き、面白そうに笑みを浮かべ、適当に千切った紙切れにサラサラと何か書き連ね差し出しながらこう言った。
『持ち主は死んでる。とは言っても、持ち主の霊が憑依してるわけじゃないさ。後はここへ行ってみればわかる』
* * *
乾いた音を立て小さな紙切れを開く。そこには流れるような文字で地名らしきものが連ねられていた。
軽く小さなため息をつき、とりあえず紙袋に丁重に入れたボロボロの人形を上から覗き見た。
切れ長の青い双眸を更に細め、シュラインは辺りを見回す。
シュラインの足元は舗装されたアスファルトとは程遠い、数年手入れのされていない土の道だった。湿った風が肌に当たり気持ちが悪く、もう数ヶ月すれば道が見えなくなってしまうのではないだろうかという程伸びた雑草が嫌な感覚を生み出した。
眉根を寄せながらも、人形の入った紙袋を抱え直し、蓮から伝えられた事情を思い返す。
「こんな所に何があるっていうの……よ」
目の前に広がる光景に、語尾が濁ってしまった。
相当古い物ではないが、決して最近の出来事ではないと見て取れる大火事の痕。それは大豪邸の無残な姿だった。
東京の外れ、街中から離れた静けさを纏う空間にひっそりと建っていたのであろう豪邸は、人形と共鳴するように黒い塊となり朽ちていた。
シュラインが一歩足を進めようとしたと同時に、抱えた袋が音を立てた。
視線を下ろすと、狭い袋の中でもがくように人形の腕がぎしぎしと動いていたのだ。
「あんた、ここの子なの?」
肯定しているのか、人形の白い右腕が挙手をするように僅かに上がったところで静止した。
そう、と小さくつぶやくと、シュラインは人形をそっと袋から取り出し、近くにあった庭石の上に座らせた。喜ぶように人形は暫く決して舞とは言えない動作を一生懸命に見せてくれていた。ただそれは、シュラインにではなく、ここの住人だった人にだろう。家だった場所に向かって腕を動かす姿がどこか痛々しく感じた。
「親戚辺りは生きてるわよね……あんたの事知ってる人いるかしら」
しゃがみこんで頬杖を付き、人形に向かってつぶやくと、突然糸が切れたようにぷつりと舞を止めてしまう。
暫く見つめていたシュラインだったが、ぴくりとも動かなくなってしまったため人形を袋に入れなおし、焼け跡を調べる事にした。
分厚い雲に覆われた空が一層雰囲気を煽っていたような気もする。
ふと足元に視線が止まった。ぬいぐるみだったのであろう、ほとんど綿は燃え尽き目玉と思われる黒いボタンと焼け残った布らしきものが落ちていた。
「ねぇ、このぬいぐるみはあんたの?」
人形は先ほどのように右手を上げて答えてはくれなかった。
シュラインは雲に覆われた灰色の空と焼け跡、最後に人形を見つめ
「そう」
短く答えた。勢いをつけて立ち上がり、紙袋をしっかりと抱え直すと足早にもと来た道を引き返し始めた。
「あんたの事調べて綺麗にしてあげるから、また来ましょうか」
紙袋が乾いた音を立てて動いた。
* * *
「で? 何かわかったのかい?」
再び舞い戻った骨董品店で、さも面白そうに笑みを浮かべる店主蓮の前に紙袋から出した人形を置く。
「この子ってもしかして憑依霊じゃないの? 何も伝えてこないわ。ただ踊るだけ」
肯定するでもなく、否定するでもなく、暫くパイプを揺らしながら遠くを見つめる蓮は何も言わない。カウンターに置かれた人形の朽ちた赤銅色の着物に触れながら、シュラインは話を進めた。
「これから興信所にも行って、この子を綺麗にしてくれるいい店を探すつもり。蓮さんも何か知ってたら教えてもらおうと思って寄ったんだけど」
けだるげな視線と共に返ってきたのは、今問おうとしたものではなく、何故か一個前の答えだった。
「持ち主の子供は生きてるよ」
「生きてる? だって持ち主はいないって言ったじゃない」
「持ち主は、死んでる。子供の居場所もわからない。まぁ、あんたが探そうと思うのなら止めやしないけどね」
『持ち主は』という部分をやたら強調した蓮。シュラインは意見を求めるように人形を見つめると、まるで拒絶するようにじっと動きを見せてはくれなかった。
不思議と言葉はなくても何を言わんとしているのかわかるような気がする。ただそれが正解なのかは定かではないけれど。
「やめておくわ。この子嫌そうだもの」
「まぁ、好きにしな」
* * *
「とは言ったものの、気になるっちゃなるのよね」
長くこういった物に触れてきたせいか、勘は働く。焼け跡でのやり取りでは、この人形は子供の憑依霊でもなく、死んだ持ち主の憑依霊でもなさそうだった。かと言って他の誰かとも検討は付かず、先に綺麗に直してもらおうと情報を求め興信所へ向かい人形を見せると突然見知らぬ場所へ行ったせいか、人形は戸惑ったように固まってしまった。けれど暫くすると突如舞を舞おうと右腕を動かし始めた。
草間からは当初怪奇事件を勝手に持ち込んだのだと勘違いされ少々ひと悶着あったが、何とか事情を説明すると納得して、渋々だが情報を調べてくれた。
「市松人形か、なんだか厄介なもんを……」
「別に厄介なわけじゃないわよ。私が好きでやってるんだから」
「ま、ここ行ってみな、人形についてはここがいい」
「ありがとう、助かるわ」
怪奇専門ではないにしろ、どういうわけかその類の仕事をするはめになっているあの探偵事務所には感謝しなくてはならない。本人は不本意ではあるようだが。
二度目の紙切れに書かれた目的地散策。大して遠くはないが東京の中心地から少々離れたビル街の裏路地にその店はあった。
CLOSEと書かれた札を無視し、寂れたコンクリート作りの廃墟のような扉を押し開けると、中は蓮の店と同じように雑然としていた。
ただ、陳列棚に並ぶ品物はどれも人形の部品のようで、頭はもちろん、腕や足が単体で置かれており、かなり気味が悪い。
「お客さん、表の札見えなかったかい?」
「あっいえ、悪いけど急ぎなのよ」
カウンターの奥から現われたのはモノクルを付けた初老の男性だった。足が悪いのか、杖を付きながらゆっくりと歩き出る。
無遠慮に紙袋から人形を取り出したシュラインは、相手が拒絶する暇を作らずに説明し始めた。
「この子直したいんだけど、元々私が手に入れたものじゃないから何もわからないのよ。もし貴重なものならそれなりの詳しい人にちゃんと直してもらいたいし、ほらここ、手が何か持ってたみたいに作られてるでしょう? だから小物もちゃんと持たせてあげたいし。だからわかる事なんでもいいのよ、教えてくれない?」
息をつく暇すらない程、シュラインは一気に台詞を吐いた。断られたら非常に困る、というわけではないが、早めにこの子を元に戻し、あの場所へ連れて行ってあげたかったのだ。
老人は頷くでもなく断るでもなく、淡いグレーのエプロンのポケットから取り出した白い手袋をはめると、そっと朽ちかけた人形を調べ始めた。着物から覗く腕や足、汚れて美しさが薄れてしまった顔や鈍い光を放つ漆黒の双眸、乱れたぐちゃぐちゃの髪。まるで壊れ物を扱うように調べていた老人は、ふとほぅとため息をつくと人形をカウンターに置いた。
「こいつはそんなに古い人形じゃない。昔に作られた人形は今じゃ貴重になって骨董業者かマニアくらいしかお目にかかれないもんになっちまってるんだ。わかるかい? 木目込み人形って言って最近じゃ一般的になった市松人形でな、こいつは大量生産されるようになってから作られた誰でも手に入る人形だよ」
「じゃぁ、この子を完璧に直すにはどうしたらいいの?」
「これも何かの縁だろう。うちで直そう。これでも私は人形師だ」
「直せるの?」
「普通に量産されてるもんだから、パーツはちょいと調べればすぐに手に入るさ。後は着物だがね、こいつはもう駄目だ。新しいものを新調しよう」
「あ、じゃぁその着物は私が引き取るわ。一応直してみたいの」
暫くモノクルの奥で光る瞳がシュラインに向けられていたが、老人は優しく表情を和らげるとそっと人形の着ていた着物を脱がせ、綺麗に折りたたみ紙で包んでくれた。
「ありがとう、よろしくお願いするわ」
* * *
それから暫くして人形師から完成の連絡があった。とにかく早く来るようにと急かされ、何事かと怪訝に思いながらも店の扉を開けると、突然思いも寄らぬ声が降りかかった。
『シュライン!』
無邪気な少女の声につい辺りを見回してしまったが、そこは相変わらず気味の悪い陳列棚が並ぶだけで誰か子供がいるわけでもない。最後に視線を向けたカウンターで老人が意味あり気に笑っていた。
「何よ、まさかあんたが言ったんじゃないでしょうね」
『シュライン!』
老人の口は動いていなかった。そして聞こえてきた方向を見やれば、輝く真紅の布に金色の刺繍が施された煌びやかな着物を纏い、小さな手にすっぽりはまった扇子を持った童の人形がこちらを向いて座っていたのだ。
「こ、これって」
「完成した途端に喋りだした。シュラインに会いたいって何度も何度もね」
「私に?」
「この子の名前は『みやび』というらしい」
「みやび」
そっと手を伸ばし、つやつやと光る黒髪を撫でた。嬉しそうに、今度はスムーズにすっと立ち上がったみやびは、手にした扇子を綺麗に降りながら舞を舞い始めた。
暫くの間、シュラインと老人はその舞に見入っていた。
程なくして老人は久々にいいものを見せてもらったと、奥から何かの箱を取り出してシュラインに差し出した。
「こいつは手入れの道具だよ。人形ってのはデリケートなもんなんだ。埃は毛ばたきで払って、汚れが付いたら柔らかい布でそっと拭くんだ。時間の経った汚れはクリーナーで拭くように。湿気も天敵だ。保管はしなさそうだが、その時には――」
「乾燥剤ね。それくらいは知ってるわ。ありがとう、おいくら?」
「サービスだ、持っていきな」
まさかのサービスに一瞬戸惑ったが、老人の嬉しそうにみやびを見つめている瞳を見て、二つ返事で答える事にした。
その帰り道、みやびはシュラインの腕の中で少しだけ寂しそうに透き通る声でつぶやき始めた。
『私はねお母さんと一緒に舞うのが大好きだったの。だって、私はお母さんの子供だから。一緒に舞を舞うのが幸せだったの。でもお母さん、居なくなりたいって言ったの。お母さんいつも泣いてたの。どうしてって聞いても、首を振って私を抱きしめてくれるだけ。だから私言ったの、お母さん、何があってもずっと一緒だよって。ありがとうって笑ってくれたの。あの日は何だか凄く熱かった。熱くて熱くて、でも一緒に舞おうねってお母さんと一緒にずっとずっと……』
腕の中でつぶやく声が、酷く悲しくて、酷く切なくて、思わず抱きしめる力を強めてしまった。
通りを走る車の騒音を聞きながら空を覆う雲を見上げ、シュラインはただ自分にだけ聞こえる通るが決して煩くはない声に耳を傾けていた。
* * *
何度聴いた事だろう、降り注いだベルの音を意識の端で聞き流し、雑然とした骨董品店に足を踏み入れた。
待ち構えていたかのようにカウンターにもたれていた蓮が視線をこちらに向けると、一度だけ手にした人形を見つめ、シュラインに視線を戻した。
「随分綺麗になったもんだ」
「この子すべて話してくれたわ。ただ、声は私と人形師のお爺さんにしか聞こえないみたいだけど」
「へぇ、それで?」
「この子は持ち主の子供代わりだったそうよ」
持ち主は離婚を経験していた。たった1人であの豪邸に住み、元夫に取られた子供の変わりにとインターネットで市松人形を購入した。
日本舞踊が好きだった持ち主は、自らも習い、よくみやびに見せていたらしい。
いつの間にか、みやびもまた舞に魅入られ自らも踊るようになっていったのだそうだ。
蓮は説明をしていたシュラインではなく、只管みやびを横目で見つめていた。まるでみやびからの言葉を空気で読み取っているかのように。すると蓮は顔を上げ、誰に言うでもなくぽつりと言葉を漏らした。
「長年人間に大切にされたもんには心が宿っちまうってのもよくある話だ」
「……蓮さん、もしかして知ってたわけじゃないでしょうね」
「いや、推測のうちだっただけだよ」
パイプをふかしながら意識だけをこちらに向け、口元に笑みを浮かべる蓮にシュラインは少々脱力した。
しかし人形師ではない自分に声が聞こえるようになったのは恐らく一緒にあの場所へ行ったからだろうしと腕の中の人形に微笑みかけた。
「もう一度行ってくるわ。きっと持ち主もまた綺麗なこの子の舞を見たいだろうから」
踵を返し扉に触れようとした時、背後からかけられた台詞はどこか独り言のようにも聞こえた。
「子供は探さないのかい?」
振り返らないままシュラインは答えた。
「この子が持ち主の子供よ。他に子供なんていない、この子はそう思ってるわ」
『ありがとう』
扉を開けた瞬間に小さく吹き込んだ春の風とともに、みやびのかわいらしい声が店の中に流れた。
聞こえていたのかいないのか、蓮はただ何も言わずカウンターでファイルを開いて黙り込んでいた。
「さ、行くわよ、お母さんのところに」
『はい』
**END**
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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■ ライター通信 ■
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シュライン様初めまして、遥海夕希と申します。
このたびはご依頼本当にありがとうございます!
新人ライターとして初めてのお仕事で、自分なりに精一杯書かせていただいたつもりではおりますが、ご期待にそえているかどうか、内心非常にびくついております……。
内容的にはのんびりとしたお話になってしまいましたが、気に入っていただけたなら幸いです。
今後も日々修行という事で頑張っていくつもりなので、もしもご縁がありましたらば、是非ともまたよろしくお願いいたします。
それでは、読んでくださりありがとうございました。
遥海 夕希
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