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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計
 それは一見して、この店にはそぐうようにはとても思えない品物だった。
 古びた大きな壁掛け時計。アンティーク、といえないこともないのだろうが、周囲に置かれた他の品々と比べるとそれは、明らかに平凡すぎる外見で、おまけにずいぶんと和風な雰囲気を持ち合わせていた。
「気に入ったのかい?」
 いつの間に回りこんでいたのか、人の気配などなかったはずの背後から女の声が聞こえた。
「欲しいなら譲ってやってもかまわないよ。ただし条件がひとつあるけどね…」
「条件……?」
 女は壁から時計をはずすと文字盤のガラスを音も立てず開けた。
「簡単なことさ。あんたが一番よくいる部屋に、この子を置いてやってくれればいい。寂しがりやな時計だからね、主人と長く離れていると悲しくて壊れてしまうのさ」
「……………」
 女の言っていることは半ば以上理解不能だった。寂しがり屋の時計だなんて今まで見たこともきいたこともない。
「使い方は………言うまでもないね。一日一回この真ん中の螺子を回すだけ。大切にしてさえやればそのうちきっと、時計があんたの大切な記憶を取り戻してきてくれるはずさ」
「大切な記憶…?」
「そう、今はもうなくしてしまった大切な記憶」
 そういって女はガラスの蓋を元通りに閉めた。今度はかすかにカチンという金具の音が聞こえた。



 緑濃い樹々の間、今にも消えそうな細い小路を抜けたその先に城ヶ崎・由代の自宅はある。郊外のさらにはずれにあるためか、近くに駅と呼べるものはなく、バス停さえも自宅から歩いて十数分歩いたところにあり、おまけに日に七、八本しかバスが来ないため利用頻度はほとんどゼロとなってしまっている。
 それでもいつもは、散歩もかねて駅から家まで、一時間近くかけてゆっくりと買ってきた本を片手に歩いて帰ったりしていたのだが、今日はさすがに、多少待ってでもバス使おうと駅を出る前から彼は決めていた。

「箱?そんなものないよ」
 予想通りといえなくもないが、由代の問いかけに対する蓮の返事はひどくそっけなかった。
「大切にしてやってくれるんだろう?だったらそのまま抱いてお帰りよ」
 確かに。大切な物の運び方として、それは最も適切な方法だ。しかし……。
 どこか腑に落ちない気がしながらも、結局由代は蓮の言葉に従った。というか、従うしかなかったのだ。時計が本来入っていた箱も、代わりになるような適当な箱も店には存在しなかったのだから。
 だが店から駅にたどり着く頃には、由代はそのことを後悔していた。抱きかかえるという行為は意外と、腕に負担のかかることだったのだ。
 幸いにも車内は空いていたため、更なる腕の酷使は避けられたものの、この後一時間近くもこの荷物を抱えて歩くのは困難と悟り、由代は地元の駅を出てすぐバス停のほうへと歩いていった。
 
「ふぅ、やっと帰宅…か。ずいぶん遅くなってしまったな」
 駅でバスを待つこと実に一時間半、ようやくやって来たバスに乗り込み最寄のバス停までが二十分。更にそこから十数分間歩かなくては家には着かない。つまりは普段の倍以上かけて、由代は帰宅してきたことになる。
「まあ、こんなことも時にはいいだろう」
 めったに乗らないバスに乗ったこと自体、貴重な体験といえなくもない。由代は軽く一度伸びをすると、時計と共に書斎へと向かった。
「これからはここが、キミの家だよ」
 そう言って由代は時計を書斎の壁に固定した。古式ゆかしい西洋の館に、和風な作りの壁掛け時計では浮いてしまうかと懸念もしたが、壁際に並んだ木製の書棚と色合いが近いせいもあり、時計は意外なくらいしっくりと部屋になじみこんでいた。
「ああ、いい感じだ…」
 満足そうにうなずき由代は文字盤のガラスをそっと開いた。時間を合わせ、螺子を最後の一巻きまで回す。

――――カチッ、カチッ、カチッ、カチッ……

 時計が規則正しいリズムで、新たなる時を刻み始める。

――――カチッ、カチッ、カチッ、カチッ……

 しばらくその動きを確かめた後、由代は書棚からいくつかの本を抜き机へと向かった。そしていつも通り、飽くなき思考と探求の世界へ、深く、深く、埋もれていった。


 十日もたつと、時計はすっかり部屋の一部となっていた。『いつ』、『どこで』買ったのかさえ、あいまいになってしまう程にそれは由代の生活に溶け込んでいた。

――――ボーン……ボーン……

 耳に心地よい低音の鐘が、由代に昼食の時間を知らせる。
「もう、昼か……」
 時計を見上げて小さく息をつく。解読しかけの魔術書はもうあと、残り一章と少しだけしか残されてなかった。
「これだけ……先に片付けてしまうか」
 きりが悪いところで無理にやめるより、全部終わらせてしまってからの方が食事もおいしく食べられそうだ。
 そう思い机に向かい直すと、どこからともなく厳しい叱咤の声が聞こえた。
『あなたってばいつだってそう。少しは自分をいたわりなさいよ!!』
「………!?」
 その声は、確かに一度も聞いたことのない若い女性の声、だった。
「誰………ですか?」
 警戒して意識を研ぎ澄ませる。だがどこにも、人の気配は感じられない。
「空耳……?」
 それにしてはずいぶんとはっきりとした聞こえ方だったが。首をひねる由代の耳に再び、声が聞こえた。
『あなたってホント、人の話を聞かないのね。そういうの、とても失礼よ』
 怒ったようなその声はなぜか、ひどく懐かしく、そして愛しいものに思えた。
「誰だい……キミは?」
 だが、答えが返ることはなく、カチカチと響く時計の音だけが由代の耳に届けられていた。
「今のは、一体……?」
 幽霊、ではない。もちろん魔物でも。いかなる霊的現象も力も、感じられることはなかった。
 奇妙なことだと思いはしたが、それきり声は聞こえなくなり、由代には声の正体が誰だったのかを知ることができなくなってしまった。
 そして、数日後。『気配のない誰か』は再び由代の元を訪れた。
 
――――ボーン……ボーン……
 
 部屋に鳴り響く時計の音に由代がはっと目を開けた時、すでにあたりは漆黒の闇がすべてを包み込み支配していた。
「眠って………いたのか」
 うたた寝など、今までしたことなどないというのに。らしからぬ失態に小さなため息をついた。
(もしかしたら、少し疲れているのかもしれないな…)
 崩れかけた髪を指で直し、手探りで机に明かりを灯す。
 その時、だった。
 由代の鼻孔を甘い、花の香りがくすぐった。
(この……香り………)
 左手に、ほのかな温もりがよみがえってくる。細い指が指に絡められていく確かな感触が再現されてゆく。
「……………!!」
 その瞬間、確かに由代は『誰か』の名を呼んだ。胸の奥、自分では決して触れられぬ場所に封印されている『その人』の名を。
 だが、心の声は言葉にはならず一瞬のうちに霧散してしまった。
「……………」
 ゆっくりと、由代は背後の壁を振り返った。視線の先、時計はまるでなにもなかったようにただ静かに時を刻んでいる。
「キミの、仕業だね?」
 もう二度と、思い出すことはないと思っていた『その人』の記憶。いや、そう思う事もない程完璧に、『彼女』は由代の中から消えていた。
「そう……だね。確かに…」
 『彼女』は由代の恋人だった。由代がその記憶を失う以前、そうそのほんの数日前までは。
「僕にとって、これ以上大切な記憶だなんて、どこにも存在するわけないな…」
 かすかな記憶の断片だけで由代がそこまで言い切れるほど、『彼女』は彼の特別な人だった。
「……………」
 もう一度、由代は『彼女』の名を心の中で呼んだ。不確かな形のままのそれはやはり、確かな言葉となることはなかったが。
 由代は再び時計を見上げ、幸せそうに微笑んで言った。
「ありがとう…」
 
 
 それ以来『彼女』は度々由代の元を訪れるようになっていった。
 風に揺れる長い灰金の髪。視線を上げると、ちょうど『彼女』も本から顔を上げ、緑の瞳をほころばせて微笑う。
 背中に感じる温もりと重み。それはケンカの後、自分から「ごめんね」と言えない彼女の謝罪代わりの小さなアクション。
 時計が鳴るたびによみがえってくる『彼女』の記憶は、いつか、いくつかの同じ想い出だけを繰り返し再現するようになっていった。
 繰り返し、繰り返し。まるでそうすることで他の記憶を、なんとか引き出そうとするかのように何度も、何度も……。
「いいんだよ、無理はしなくても…」
 毎時間、鐘を鳴らす度に必死に『彼女』を呼び出す時計に、由代は優しい口調で語った。
「キミの仕事はそんなことじゃあないだろう?」
 由代はゆっくり髪をかき上げ時計に向かって微笑みかける。
「たとえ過去を振り返ったとしても、あの頃に戻ることはもうできない。だから…」
 彼女はもう、この世のどこにも存在しない。そのことを思い出してしまったから。
「キミは僕のためにそこで時を教えてくれるだけで…」
 無理に記憶を取り戻すことはないと由代は時計に思いを告げた。
「それだけで………いいんだよ」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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★2839/城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ)/男/42歳/魔術師


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■         ライター通信          ■
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このたびはご参加ありがとうございます。はじめまして、の香取まゆです。
勢いだけで話を書き上げる典型的な新人ライターなのでキャラのイメージを破壊してないかとても心配です。
特に話し方は、「クール」というより、「キザ」っぽくなってしまったような気もしなくもないです。
プレイングに沿ったように見せかけておいて、実は自分の好み丸出しの話になっていますが、お気に召していただくことができれば幸いです。