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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計
 それは一見して、この店にはそぐうようにはとても思えない品物だった。
 古びた大きな壁掛け時計。アンティーク、といえないこともないのだろうが、周囲に置かれた他の品々と比べるとそれは、明らかに平凡すぎる外見で、おまけにずいぶんと和風な雰囲気を持ち合わせていた。
「気に入ったのかい?」
 いつの間に回りこんでいたのか、人の気配などなかったはずの背後から女の声が聞こえた。
「欲しいなら譲ってやってもかまわないよ。ただし条件がひとつあるけどね…」
「条件……?」
 女は壁から時計をはずすと文字盤のガラスを音も立てず開けた。
「簡単なことさ。あんたが一番よくいる部屋に、この子を置いてやってくれればいい。寂しがりやな時計だからね、主人と長く離れていると悲しくて壊れてしまうのさ」
「……………」
 女の言っていることは半ば以上理解不能だった。寂しがり屋の時計だなんて今まで見たこともきいたこともない。
「使い方は………言うまでもないね。一日一回この真ん中の螺子を回すだけ。大切にしてさえやればそのうちきっと、時計があんたの大切な記憶を取り戻してきてくれるはずさ」
「大切な記憶…?」
「そう、今はもうなくしてしまった大切な記憶」
 そういって女はガラスの蓋を元通りに閉めた。今度はかすかにカチンという金具の音が聞こえた。
「どうだい、買っていくかい?」



「セ・レ・さ・ま!」
 唐突に開いた扉の向こうからぴょこんと顔を出した少女の言葉に、部屋の主である銀髪の青年セレスティ・カーニンガムはとろけるような笑顔で声のした部屋の入り口を振り返り、書きかけの書類を軽くまとめると、ペンとともに引き出しへしまいこんだ。
「いらっしゃい。外は暑くなかったですか?」
 予定外の来訪だったにもかかわらず、セレスティは優しく少女に語り掛けた。
 初夏の午後の陽は、暑さに極端に弱いセレスティでなくとも軽いめまいくらい起こしそうな程強かった。実際少女も額や首筋に微かに汗をかいていたのだが、少女はそのことを微塵にも感じさせぬ幸福そうな笑顔で答えた。
「いいえ、全然。セレ様に会いにいくと思ったら、暑いってことなんてちっとも気になりませんでしたわ」
 なんともすばらしき乙女の意地だった。それほど自分に会いたかったのだと、誰より愛しい少女に言われてセレスティはさらに相好を崩した。
「キミにそんな風に想ってもらっている私は世界一の幸せ者ですね」
「やだぁ、セレ様ったらぁ………あらっ?」
 嬉しそうに身をよじる少女の目が、壁のある一点で不意に止まった。
「セレ様、時計変えられましたの?」
 数日前に来た時は確かに、華やかな仕掛け人形も美しい豪奢な掛け時計が置かれていた場所に、いつの間にかひどく地味で和風な、螺子巻き式の大きな時計がかけられていた。
「ずいぶんと、古い時計ですのね。螺子巻き式の時計だなんて、あたし初めて見ちゃいましたわ」
 物珍しそうに時計を見る少女にセレスティも「そうですね…」とあいづちを打つ。
「私も見るのはしばらくぶりです。時を刻む音がなんとも独特で、とても風情があるものでしょう?」
 そう問いかけられても少女の耳には、普通の時計の音との違いなどまったくわからなかったのだけれど、(セレ様がそう言っているのだから)と「はい、ホントに」と言葉を返した。
「この時計の音を耳にしていると、なぜか昔のことが思い出されるんです。海を離れ陸に上がった日のこと。今は亡き最も親しかった友人。それに初めて経験した恋…」
 ピクリ、と少女の肩が動いた。
「セレ様の、初恋?」
 微妙にとがった声のトーンに気が付いているのかそれともいないのか、セレスティは「ええ」とうなずきを返すと、肩にかかる髪を指で梳き払った。
「もう忘れたつもりだったのですがね…」


 上流階級社会において『パーティ』とは、己の交流範囲の広さや財力の高さを周囲にひけらかすための、いわば一種の自己顕示の場としての役割を強く持っていた。
 自分がどれだけのパーティに招かれているか、あるいは自分が開くパーティにどれほどの客を集められるか。それが彼らにとってのステイタスであり、またプライドでもあった。もっとも現在のセレスティはすでに客もパーティも『選ぶ側』なので、そういうことへの興味はすっかり失せきってしまっているようだが。
 だがそんな彼にもかつては『選ばれる側』として、望まぬいくつものパーティに参加しなくてはならない時期があった。彼が『人間』として、陸で暮らし始めて間もない頃のことであった。

「カーニンガム様、楽しんでいらっしゃる?」
「ええ、とても。楽しいですよ。ただ、皆さんがあまりにもお美しいので、少し照れてしまうような気もしますが」
「まあ、カーニンガム様ったら…」
「カーニンガム様、ワインはお召しになりますかしら?先日うちのぶどう園でとても質のいい葡萄が取れましたのよ」
「ああ、それは素晴らしいですね。ぜひ今度お伺いさせていただきます」
「あら、でしたらぜひうちにもいらっしゃって。ワインと、それによく合うチーズもありますの」
「ええ、ぜひ」
「カーニンガム様…」
「カーニンガム様…」
「…失礼、少し酔ってしまったようです」
 その美貌とそつのない態度から、セレスティはどこのパーティに出かけても美しい貴婦人や紳士達の輪の中心にいることが多かった。だが彼自身は、無意味な上辺だけの軽い会話や、くだらない狩りの自慢話にはそろそろ辟易し始めていた。
「………ふぅ……」
 緑濃い庭のベンチに腰かけ、セレスティは深いため息をついた。両膝が少し熱を帯び痛み始めていた。
「少し無理を、し過ぎましたか…」
 セレスティの足はあまり丈夫でない。それは人に在らざる彼の変化が完璧なものでない証だったが、それでも杖を使えば多少の距離は歩けるだけましであるともいえた。
 ベンチのすぐ横の小さな灯の他に何一つ光源のないその場所は、先日のパーティで彼が見つけたひとりきりになれる秘密の場所である。
 目をつぶり、ゆっくりと深く息を吸い込むと濃密な酸素と新緑の香りが胸いっぱいに満ちてくる。微かな光しか感じ取れぬ瞳に木々の生い茂った庭の姿が映し出されるような気がした。
―――ざわっ…ざわざわ………
 不自然に揺れる木々の葉の音にセレスティは背後の植木を振り返る。
「…あらっ、ごめんなさい。まさか先客がいらっしゃるなんて…」
 驚いたような女性の声を聞き、セレスティは微かに顔をほころばせた。
「いえ、こちらこそ。…なにかお探しですか?」
 レディが庭木をかき分けるなど、そうめったにあることとは思えない。尋ねるセレスティに彼女は笑って「いいえ、ちょっと逃げ出してきただけですわ」と言った。
「あまり人混みは好きではありませんの。あなたは…?」
「そうですね、私も似たような理由からでしょうか。それにあまり足も丈夫ではありませんし…」
 そうして二人は小一時間ほど、取り留めのないおしゃべりを続けた。不思議なことに彼女との会話は、セレスティにとって少しも退屈な事ではなかった。
 さりげない言葉には優れた教養ともって生まれた品の良さが感じられ、その知識の広さは時にセレスティのそれを凌駕するほどであった。
「あら、もうこんな時間ですのね」
 鐘の音に、彼女は慌てて立ち上がって言った。
「大変、もう戻りませんと…」
「そう、ですね…」
 あまりに楽しい会話だったから時がたつのも忘れてしまっていた。セレスティは彼女を先に送り出すと、置いていた杖を手にとった。
「…そういえば、名前を聞きそびれてしまいましたね」

 数日後、今度は別の屋敷のパーティでセレスティは彼女の姿を見つけた。というかまたもや息抜きの為の場所で彼女と鉢合わせすることになったのだ。
 今度は自分よりも先にその場所で一息ついていた彼女に声をかけ、真っ先に互いの名を交換した。
「セレスティ様、ですか。とても素敵な名前ですのね」
「あなたの名前もとても綺麗な響きですよ。その美しい声に良く似合っている」
 目が見えない、ということはすでに以前会った時に話していた。周囲には隠していたその事を、どうして彼女には簡単に話したのか。セレスティ自身、その理由はわからなかった。
「そのうちまた、お会いすることになるのでしょうね…」
「ええ、たぶん」
その日最後に交わした言葉通り、二人は度々再会した。それは主にパーティの人の波から逃げ出した先の庭園の中でのことだった。
「セレスティ様は、パーティがお嫌いのようですわね…」
「まあ、あまり得意なほうではないですが…。そういうあなたのほうこそいつお会いしても、庭の木々の中へ逃げ込んでらっしゃる」
「わたくしは、嫌いですもの」
 ダンスがあまり得意ではないのだとつぶやいて彼女は天を仰ぎ見た。
「もともと動くのは好きじゃありませんの。自分の家で本を読んでるほうがよっぽど楽しく過ごせますもの」
 そう言って微笑う彼女にセレスティは「同感ですね」と頷きを返した。
「私もダンスは苦手です。きちんと躍れるのはワルツぐらいですかね」
「わたくしも、ワルツくらいならなんとか踊れますわ」
 『じゃあ次に会った時は一緒に躍りましょう』と、小指をからめて約束を交わす。だが、その約束は叶えられる事なく消えてしまった。

「婚約………ですか?」
「ええ、父の勧めで先の金曜日に。子爵様、ですのよ」
 初めて庭以外の場所で見かけた彼女は、少し青ざめた微笑を浮かべて壮年の男性と寄り添っていた。
「カーニンガム様には大変良くしていただいておりましたから、少しでも早くご紹介したいと思っていましたの。今日お会いできて良かったですわ」
「そう……ですね。私も嬉しく思います」
 「おめでとうございます」という一言は、まるで自分の声ではないように聞こえた。指先が、氷のように冷たくなっていく。
「お式にはぜひ、私もお招きいただけますか」
 それだけ言うと、セレスティは二人から離れていった。彼の周りにはすぐに人垣ができて、二人の姿はその向こうへと見えなくなっていく。
「カーニンガム様、どうかなさいましたの?」
「お顔の色がよろしくありませんわ」
「カーニンガム様、医師をお呼びいたしましょうか?」
「カーニンガム様…」
「カーニンガム様…」


「………ま…セレ様ってば!」
「えっ…?ああ、キミの声だったのか…」
「もうっ、なんですの!?急に黙り込んでしまうだなんて…」
「いや、ちょっとね。それより何の話だったかな?」
 苦笑して尋ねると頬を膨らませて少女は「だからぁ…」と言葉を紡いだ。
「セレ様の初恋の人ってゆうのは、どんな人かしらってお聞きしましたの!」
「ああ、そうでしたね」
 ぷっくり膨れた頬に手を当て、「怒らないでください」と指で撫ぜるとセレスティはやさしく微笑んでこう言った。
「素敵な方、でしたよ。もちろんキミほどではありませんけど…」
 三時を告げる時計の鐘の音が、やさしく二人の身体を包んだ。その音は、初めて彼女と会った晩に聞いた、あの屋敷の鐘の音に似ていた。
「セレ様、あたしケーキを焼いてきましたの」
 機嫌を直したらしい少女が、セレスティの手に指をからめて言う。
「下へ降りて、一緒にお茶の時間にしましょう」
「ええ、そうしましょうか」
 少女と手をつなぎ部屋の扉へ向かう途中で一度だけ彼は振り向いた。部屋の壁で時を刻み続ける時計に目をやる。
(ありがとう………でも今の私には彼女がいるから、あの人の記憶は必要ないんだよ…)
「………?セレ様、なにかおっしゃいました?」
「いや、なんでもないよ…」
 パタン、と静かに扉が閉められ二人の足音が遠ざかっていく。
 時計はただ規則正しい音で、主のいない部屋の時間をゆっくりと刻み続けていった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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★ 1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い


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■         ライター通信          ■
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このたびはご参加ありがとうございます。そして、はじめまして。
新人ライターの香取まゆです。
これでもか、っていうくらいに納期ギリギリになってしまった上に、あんまり時計が活躍してないお話なんですが……(-_-;
お気に召していただくことができたら幸いです。


注:文中セレスティが二人称で「あなた」を使っておりますが、誤字ではありません。時代背景にあわせてこちらで呼び方を変えさせていただきました。ご了承ください。