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◇◆ 硝子の小鳥、透明な籠。 ◆◇
真っ白なオーガンジーのかかった天蓋つきの猫足ベッドを用意したのは、これでようやく、残酷なこの世界から、貴女を救い出すことができると思ったから。ほら、見上げて御覧なさい。天蓋の裏側はまるで真鍮の天球儀、この世界のすべてを見渡せるプラネタリウムになっている。この透明な鳥籠の中、貴女は硝子の羽根を広げ、球形に切り取られた作り物の空の下を飛び回れば、それでいい。
世界は凄惨で、人々は欺瞞に満ちた笑顔を浮かべながら、タイトロープの上をすべるように歩き続けている。優しげに微笑み合いながら、隙あらば相手の足を払い、ロープからまっさかさまに落とすタイミングを伺うことにだけ、心を砕いている。他者を蹴落とし、運良く生き延びることにのみ、達成感を覚える愚かな人々。彼らの集うこの街は、ベラドンナと芥子の花が咲き乱れ、蛍光色に塗られたギラギラと光る車たちが吐き出す毒々しい煙で、薄暗い空が紫色に濁っている。
私と貴女は、この街で、たくさんの小鳥を見た。柔らかな羽根を持つ彼らがやがて、弱々しく堕落してゆくのを見た。カナリヤのように美しい歌声を持つあの子は、ミュージカルスターを目指し、ダイエットの末の拒食で命を落とした。パティシエを目指して生クリームを泡立てていたあの子は、孤独を慰めようとお酒に溺れ、もうずっと病院にいる。映画館でポップコーンを売っていたあの子は、恋人の浮気相手への嫉妬に駆られ、家に火をつけ捕まった。
そんな小鳥たちを見つめては、胸が痛いと貴女は泣く。透き通る貴女の涙を見たとき、私は誓ったの。この街に、貴女を捕らえさせはしない。貴女を、ミュージカルスターを目指したあの子や、パティシエを目指したあの子、ポップコーンを売っていたあの子のようには、させはしない。この街の空気はあまりに重く、振り払うには、貴女の腕はあまりにか細い。だから――私が、守ってあげなくちゃ。貴女を泣かせるもの、苦しめるもの、傷つけるものは、みんな消えてなくなればいい。私が消してあげる。そして、遂に、私は作り上げたの。硝子のような貴女を守る為の、透明な鳥籠を。
この天蓋つきのベッドの中には、貴女を脅かすものなど、なにもない。さあ、真っ白なシフォンのドレスを着せてあげる。チュールレースのあしらわれた袖口が大きく広がっていて、まるで小鳥の羽根みたいでしょう。ひらひらと舞う袖口を汚すといけないから、貴女は腕を動かさないで。ほっそりと伸びる指の先に、白く塗った長いつけ爪をつけてあげる。爪の先には薔薇のモチーフのピアスが下がっていて、手を動かすときに邪魔になるでしょう。だから、貴女は手を動かさないで。貴女は何もしなくていい。私が貴女の手となって、何もかもをやってあげる。足の爪も綺麗に塗り上げて、足首をたくさんのアンクレットで飾ってあげる。歩きづらいでしょう。だから、貴女は歩かないで。貴女は永久に、このベッドの中にいればいい。靴は、昨日、燃やしたわ。だって、必要ないでしょう?
ねえ貴女、泣かないで。このベッドの中では、真実が見える。ここで見る夢は、嘘にまみれたこの世界の、本来の姿なの。私はね、昨日、夢を見たの。貴女も見たでしょう? 透明な雨が降り続けると、世界は押し流され、砕け散ってしまった。崩壊した街は水に沈む。貴女も見たでしょう? 水面に突き刺さる、傾いだ塔の先端に舞い降りた、硝子の身体を持つ、一対の天使の姿を。
こうして世界は終焉を迎え、滅びの街の瓦礫の上に、ふたりの天使が降臨する。透きとおる身体をフリルとレースで包み込んだ、完全なる生命体――貴女と、私。そして、世界は再び動き出す。天球儀が回るように、ゆっくりと。貴女と私、ふたりだけを乗せて。
だから、ねぇ、貴女。もう泣かないで。髪を梳いてあげる。薔薇とヴァニラの香水をふりかけて、貴女の肌にかぐわしい花びらがひらくのを待っていてあげる。やがては崩壊する、愚かでグロテスクなこの世界など、貴女は見なくていい。だから、漆黒の布で両目を塞いであげる。ここでは永遠に、私と貴女のふたりきり。ねぇ、どうして泣くの。何故、寂しいなんていうの。それなら、私がずっと、そばで歌っていてあげる。貴女は私の歌声にだけ耳を傾け、世界が終わる日を待ちわびていれば、それでいい。
冷たい硝子のような貴女の唇に触れるたび、この胸に埋め込まれたレプリカの心臓が、微熱を帯びて動き出す。絡み合う指を解くための鍵穴なんて知らない。貴女は私、私は貴女。この閉ざされた鳥籠の中で、濡れた羽根を重ね合い、ふたり混ざり合って、溶け合うまで眠ればいい。
◇◆ FIN ◆◇
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