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扉の向こうは〜信じる者は報われる〜
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『こんにちは。気になることがあるので調べて欲しいと思い書き込みしました。
四丁目の通りの、いろんなお店が並んでいるいちばん端に
不思議な扉を見つけました。
看板も何も無く、何のお店か分からなかったのです。
入ってみようかと思いましたが、ちょっと怖かったのでやめておきました。
ところが次の日にそこを通ったら、そんな扉は陰も形も無かったのです。
見間違いかと思い、何人かの友人に聞いてみました。
すると、見たと言う人が他にもいました。
その子たちと一緒に何度か確認に行くと、
どうやらその扉は見えるときと見えないときがあるのです。
どんな条件で見えたり見えなかったりするのかは分かりません。
気味が悪いので近寄ることもできず、中がどうなっているのかも不明です。
そもそも入れるのかどうかも分かりませんが…。
でもとても気になるので、調べていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします』
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胡散臭い、と一蹴してしまうのは簡単だった。
でも何故かみなもは、その話を普通に信じることができた。
妹から「調べて来てぇ〜」と言われたときは正直戸惑いも感じたが、
なかなか面白そうな話だし、調べてみるのも悪くなさそうだ。
「そうね、なにか変わったものが手に入るかもしれないし」
どことなく軽やかな足取りで、問題の場所へ向かうことにする。
歩く道すがら、その扉の正体についてあれこれ思いを馳せてみた。
妹がこの話をしたとき、彼女はみなもに尋ねた。
店が存在するとして、なんの店だと思うか、と。
みなもがまず思ったのは、やはり何か珍しいものを売る店ではないかということだ。
扉が見えたり見えなかったりするのは、店のほうが客を選んでいるということだろうか。
どんな基準で扉が見えるのかは分からないが、とにかくいろいろ試してみよう。
具体的な店の内容は――ブティックか何かだと良いな、と思う。
やはりみなもも女の子だし、可愛い服やちょっと変わった衣装など、見てみたい。
(ううん、見るだけじゃなくやっぱり試着して、気に入ったら――欲しいわよね)
特殊な風体の店に並ぶなら、やはり特殊な服だったりするのだろうか。
既にみなもはそこに店が存在することも、そしてそれがブティックであることも
当たり前のように考えていた。
そうであったらいいな、ではなく、きっとそうだろう、と。
根拠など何もないけれど――そんな気がする。
「このあたりよね」
四丁目の商店の並びの、いちばん端。
掲示板に書き込みされていた場所だ。
近づいていくにつれ、知らず歩みが速くなる。
そして――とうとうその扉の前にみなもは立った。
「べつに普通の扉に見えるけど……確かにお店っぽくはないわね」
首を傾げて周りの様子もあわせて伺うと、隣りの店とは明らかに雰囲気が違う。
看板も何もないというのも書き込みの情報どおりだ。
みなもは右を見て左を見てもう一度右を見てから、吸い込んだ息と共に拳を振り上げた。
それを扉へ控えめに打ち付ける。
トントン、と乾いた音が小さく響いた。
――応える声も音も、聴こえてはこない。
更に数回ノックを繰り返したが、扉の中からは静寂しか伝わってこなかった。
「うーん……」
定休日だろうか。
でも、見えたり見えなかったりする扉だと聞いた。
ならば、見えている今は営業中だと考えるべきではないだろうか。
みなもはしばし逡巡してから、意を決してドアノブに手をかけた。
すると、意外なほどの軽さでそれは回った。
思い切って引いてみると、その動きに合わせて戸板も動く。
みなもの手によって開いた扉の向こうから、微かな明かりが零れてきた。
「ごめんくださ〜い……」
一応そんなふうに挨拶してみる。
おずおずと隙間から顔を覗かせたみなもは、そのまま大きく目を見開いた。
扉の中はそこそこの広さのあるフロアだった。
適度な明るさと小奇麗な雰囲気の中に、所狭しと並べられているのは――。
「すごい……いろんなお洋服がたくさん」
目を奪われるとは正にこのことだろう。
色とりどりの布や装飾品がまるで海のように溢れている。
「いらっしゃいませ〜」
立ち尽くすみなもの耳に、いきなり飛び込んできた可愛らしい声。
びくりと身を震わせてそちらを見遣り――再びみなもは瞠目した。
声からして大人の感じではなかったが、そこにいたのは見るからに小さな女の子だった。
なにしろ、みなもより小さい。
十歳そこそこだろうか。
背中まで届く栗色の長い髪。
同じ色の大きな興味深そうにみなもを見ている。
淡いピンク色のエプロンドレスを可愛らしく着こなしている姿は
人形かと見まがうほど可愛らしい。
「どうぞ、遠慮なさらずお入りくださいませ」
見た目に違わずやや舌足らずな口調だが、言葉の内容はやけに大人びている。
いろいろな意味ですっかり面食らってしまったみなもは、しばし瞬きしかできなかった。
すぐに足を踏み入れなかったのは決して遠慮したわけではなく、ただ圧倒されただけなのだが
少女はそんなことも意に介さない様子でとことこと近づいてきた。
「ささ、お客様一名ごあんな〜い」
小さな両手でみなもの腕を引っ張り、店内へと引き入れる少女。
みなもの身体が中へ入ったのが合図になったかのように、後ろで扉がひとりでに閉まった。
だがそれさえも気にならないくらい、みなもの意識は既に店内へと移っていた。
窓も見当たらない室内なのに、屋外と変わらないほど明るい。
改めてゆっくりと見回すと、置いてある服は少し特殊に見えた。
普通に着るような服ではなく、民族衣装のようなものが目に付く。
みなももそんなに詳しいわけではないが、インドのサリーだとかチャイナドレスだとか
とにかく一風変わったものばかりのようだ。
「どのようなお品をご所望ですか?」
天使のような微笑みで少女がみなもに問い掛ける。
しかし明確な目的があったわけではないので、そう言われても即答できない。
「え、えーと……少し見せてもらえますか?」
「ええ、もちろんです。ごゆっくりご覧下さいませ〜」
少女はそう言って、一歩後ろに下がった。
ゆっくり物色させてくれるための配慮だろうか。
(小さいのにしっかりしてるのね)
内心でこっそり思ってから、もしかしたら見た目どおりの年齢ではないのかもしれないと気付く。
とはいえ、一介の客に過ぎないみなもにはどちらでもいいことだ。
礼儀正しい少女に小さく頭を下げ、みなもはいくつかの服を手に取った。
レディース専門店なのか、女性物ばかりのようだ。
物色はしやすいけれど目移りして困る。
「あらっ、可愛い」
並んだ中から思わずハンガーごと取り出したのは、白いふわふわの毛皮に三角の耳がついた物体。
――ネコの着ぐるみだ。
「宜しければご試着できますよ〜」
絶妙のタイミングで奥のフィッティングルームを指すエプロンドレスの少女。
買うかどうかは別として、せっかくなのでみなもはそれを手にフィッティングルームへ入った。
鏡の前でいささか気恥ずかしくなりながらも、ふわふわネコに袖を通す。
そしてその毛皮に埋もれそうになっているファスナーを閉めた――途端。
「にゃっ!」
みなもの身体はいきなり四つん這いになった。
本人の意思とはまったく関係なく、両手が引きずられるように床へ吸い付けられたのだ。
しかも驚いた拍子にあげた今の声は……。
「にゃ? にゃにゃにゃー!」
どう聞いても人間の言語ではない。
みなもは四つん這いのまま、しなやかな身のこなしでフィッティングルームを飛び出した。
「まあ、とってもよくお似合いです」
邪気の欠片も感じられない笑顔で少女が誉める。
しかし似合っていると言われて喜べるときとそうでないときがあることを、
このときみなもは身をもって知った。
「にゃにゃっ!」
「動物になれる気ぐるみです。いかがですか?」
「にゃー、にゃにゃー!」
どうやら少女は意地悪や嫌がらせをしているわけでも、何かを企んでいるわけでもないらしい。
純粋に自分の店の商品を薦める営業スマイルにしか見えない。
それはそれでこの状況に於いてどうかと思うが、深く考えていられる余裕はなかった。
幸いにもネコになったのは見た目だけで、身も心もネコ化してはいないようだ。
それならば、自分の意思を伝えるにはこれしかない。
みなもは全力でもって首を激しく横に振った。
言葉が通じないときの頼みの綱、ボディーランゲージだ。
「あら、こちらはお気に召しませんでしたか?」
みなもの意思を正しく読み取ってくれた少女は、さほど残念がる様子もなくそう言った。
一転して今度は縦方向に首を振るみなも。
すると少女は、四つん這いのままのみなもの身体の下に手を入れ、ファスナーを外してくれた。
着ぐるみが脱げた途端、みなもはバランスを崩して座り込んでしまった。
「び、びっくりした……!」
普通に喋れるようになっていることに心底から安堵する。
どきどきと脈打つ心臓が今にも破裂しそうだ。
「着ぐるみは他にも各種取り揃えております。いかがでしょう?」
「いえっ、遠慮しておきます!」
能天気なセールストークに、きっぱりとみなもは首を振る。
横目で恐る恐る見遣ると、ネコのあった場所には確かに他にもいろんな種類の着ぐるみがあった。
全部は分からないが、ライオンやゾウやカバやワニなどが見える。
(せ、せめてネコでよかった…!)
一瞬とはいえ、カバやワニになどなりたくない。
すっかり懲りたみなもは動物シリーズを綺麗にスルーし、次の列へ移った。
こちらはガラリと雰囲気が変わり、色鮮やかなドレスがたくさん並んでいる。
中でも目を惹いたのは、炎のような真紅のドレスだ。
取り出してみると、さらさらと手触りの良い布地が指先で滑る。
ウエストがかなりシェイプされていて、そこから裾へ向かってたっぷりの布地が広がっていた。
やや大胆に開いた胸元には、大きな赤い薔薇のコサージュがついている。
「これ、着てみてもいいですか?」
ネコのショックは早くも過ぎ去り、みなもはこの豪華なドレスにすっかり心が躍っていた。
うきうきと尋ねたみなもに少女は当然とばかりに頷く。
「もちろんです。宜しければあわせてこちらもどうぞ」
どこから出したのか、少女の手にはドレスの色とそっくり同じ真っ赤なハイヒールが載っていた。
礼を言ってそれを受け取り、再びフィッティングルームへ向かうみなも。
こんな大人びた装いをするのは初めてなので、やはり胸が高鳴る。
着ぐるみを着たときとはまた違う恥ずかしさが押し寄せてくるが、思い切ってそれを身に付けた。
だが器用に背中のファスナーを閉めて、ハイヒールを履いた――のが間違いだったのか。
カッ、と高らかにヒールが鳴ったかと思う間もなく、
みなもの身体は実に優雅な仕草で翻っていた。
「――っ!?」
ありえない動きでステップを踏みながらフィッティングルームを飛び出していくみなも。
何故か店内には情熱的な音楽が賑やかに響き渡り始めている。
それにあわせてみなもは激しく踊り出した。
――無論、自身の意思とは無関係に。
手拍子を打ち、ドレスの裾を翻して華麗にみなもは舞う。
赤いハイヒールは情熱のリズムを刻みながら、軽やかな羽根のように身体を宙へ舞い上げる。
「っ……!」
先ほどのネコのように人間の言語を奪われたわけではないらしいが、違う意味で何も話せない。
そうこうしているうちに曲は終わり、同時にみなもは首をのけぞらせてポーズを取っていた。
(い、痛い……)
無理に反らせた首も他人の身体のように勝手に踊っていた足も、鈍い痛みを訴えてくる。
肩で息をしながら見遣ると、少女は相変わらずにこやかな笑みを絶やさず言った。
「カルメンが踊れるスペインの衣装です」
今さらそんな説明をされなくても身体で知った。
嫌と言うほど。
さっきのネコといい、この店の衣装はみんなこういう具合なのだろうか。
(つ、疲れる……なんなのこのお店)
息を整えつつ、しかしふと思う。
(でも、脱いだら元に戻るみたいだし、害はなさそう……よね?)
不可思議なことに変わりはないが、一時的なものならば、
選び方さえ間違わなければ問題なさそうだ。
今のカルメンも慣れない動きで疲れはしたが、ドレスの美麗さは本物だし、
鏡に映る自分の姿は我ながら悪くない。
せっかくなのでみなもは、他にもいろいろ試着してみることにした。
――結局、いろいろな国の民族衣装を着られる誘惑に打ち勝てなかっただけなのだが。
*
それからみなもは二胡を弾いたり、アラーの神に祈ったり、コサックダンスを踊ったりした。
リアルな着せ替え遊びは確かに楽しかったが、だんだん本気で疲れてきたのも事実だ。
腕の時計を見ると、かなり時間が経っていることが分かった。
「ごめんなさい、すっかり長居してしまって……」
「いえ、お気になさらず。何かお目に止まるものはございましたか?」
次々に衣装をとっかえひっかえするみなもにも、少女は嫌な顔ひとつしない。
しかし申し訳ないことに、今ひとつ決め手になるものがなかった。
服が可愛くても、家でいきなり踊りだすことになっても困る。
「そうですね……もう少しおとなしい感じのものってありませんか?」
おとなしいという言葉のニュアンスが上手く伝わったかどうかは分からないが、
ふともうひとつ思い出したことも付け加えてみる。
「それから、家族にもお土産になるようなものだと嬉しいんですけど」
少女はそれを聞いてしばし小首を傾げ、考える様子を見せた。
ややあって、お待ちくださいねと言い置き、奥へ消えていく。
戻ってきたとき、彼女の手には豪華な細工の施された大きな箱が抱えられていた。
「こちらなどいかがでしょう」
そう言って少女が蓋を開けると、中にはレースやフリルのたくさんついたドレスが入っていた。
見たところ数着あるらしい。
「イギリス王室ファミリーセットです。いつでもお手軽にロイヤル気分が味わえますよ」
中の一着を広げて見せながら少女が説明する。
なるほど、王侯貴族ならば少なくとも激しく踊りだすことはないだろう。
(やったとしてもせいぜいワルツよね。……って、それはそれで怖いけど)
埒もないことに思いを馳せるみなもに、少女はもうひとつ箱を出してきて見せた。
ドレスの箱よりは幾分小さい。
「今ならこちらの『午後のお茶会用ティーセット』もお付けします」
至れり尽せりの対応に内心で舌を巻くみなも。
これだけの充実セットならさぞかし値段も張るのだろうが、それでも一応尋ねてみた。
「おいくらですか?」
すると少女はエプロンのポケットから小さな電卓を取り出し、数字を打ち出してみなもに見せた。
「ええっ!」
思わずみなもは驚愕を隠せず叫んだ。
ケタがふたつほど違うのではないかと思うほど破格の値段だったのだ。
みなもの小遣いでも十分足りる。
「ほんとにいいんですか?」
「はい。お気に召して頂けたのでしたら何よりです。少々お待ちくださいね〜」
ドレスとティーセットの箱を重ねて持つと、少女は再び奥へ入っていった。
次に現れた彼女の手には、綺麗にラッピングされた物体が携えられていた。
「お買い上げありがとうございま〜す」
にこやかに品物を手渡され、みなもは面食らって瞬きを繰り返す。
「あの……本当にいいんですか? このお店、いつもこんなふうなんですか?」
ついそんな疑問が口を突いて出ていた。
知る人ぞ知るような店とはいえ、とても採算が合うとは思えない。
少女は質問の意味を測るように首を傾げ、それから小さくかぶりを振った。
「いつも、というわけではありませんね。このお店に入れる方は限られていますし」
「? どういう人が入れるんですか?」
自分自身が入れたのだから、それほど特殊な条件ではないように思う。
少女は人差し指を口元に当て、悪戯っぽく笑った。
「このお店を信じてくれる方――商品を欲しいと思ってくれる方、ですね」
無邪気に見えながら、心の底まで見透かすような笑み。
「でも礼儀を欠いた方は願い下げですね。
きちんとノックしてから入って頂くのは最低限の礼儀ですよね」
言われたみなもは改めて自分の行動を思い返してみた。
確かにいきなり扉を開けるなどマナー違反だと思ったし、ノックはきちんとしたはずだ。
「あの……じゃあいたずら目的とか、
強引に扉をこじ開けようとかしてたら……どうなってたんですか?」
なんとなく気になって、おずおずと尋ねてみる。
すると、そこで初めて少女の笑みが黒い色を帯びたように見えた。
「ふふふ……知りたいですか?」
声の調子はそのままなのに、今までとは明らかに空気が違う。
背筋に冷たいものが走ったのは決して気のせいではなかったろう。
「い、いえっ、いいですっ!」
ちぎれんばかりに首を振り、思わずみなもは後ずさった。
終始にこやかに丁寧な対応をしてくれた少女だが、
一歩間違えば恐ろしいことになっていた――のかもしれない。
「あの、それじゃあたしこのへんで失礼しますね」
引きつる顔でなんとか笑みを浮かべると、再び少女は輝く笑顔になった。
「ありがとうございました〜。またのご来店をお待ち致しておりま〜す」
手にはしっかりと大きな箱を抱え、みなもは店を後にした。
再び訪れたいような気持ちと、もう二度と来るまいと思う心とが、
その胸の中では激しくせめぎあっていた。
〜END〜
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1252/海原 みなも/女性/13歳/中学生】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして。このたびはご発注頂きましてありがとうございました!
プレイングを拝見して、これはシリアスではないよな…と思いつつ
ずいぶんとお馬鹿な話を書いてしまいまして申し訳ありません。
コメディはあまり得意ではないので寒いことになっているかもしれません(^^;
そして納期ギリギリになってしまい、申し訳ありませんでした。
なんとかお届けできてホッとしております…!
僅かでもお楽しみいただけましたら幸いです。
またのご縁がございますことを祈りつつ、失礼させて頂きます。
2005年5月 緋緒さいか・拝
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