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都
都。
自分が、何処かでそう呼ばれていたのは記憶している。
恐らくはそれが親に与えられた名だと、聞いていたのだと思う。
知っている。
自分の名だと。
私が居たのは優しい空気の中。
自分と同じ目をした子供たちが居た。
誰も、造作が似てはいない。
血縁は無いのだからそれも当然で。
ただ、寂しさはあったが素朴な暖かさもあった。
…そんな風に、記憶している。
それは少なくとも、今自分が居るこの環境とは、随分と違う場所である事は確かで。
今思えば朧げな記憶にあるその場所は、何処ぞの孤児院だと言う事は何となく察しが付いていた。
が。
自分が今居るのは、そこではなく。
その孤児院から自分を連れ出した手の持ち主の、元で。
…とある名門術師の一族を主家と定め仕える御庭番衆の頭領。
それが、私を孤児院から連れ出した、当の相手になる。
物心付いた頃には厳しい修行を課せられていた。
…頭領は幼い私にいったい何を見出したのか、その修行は恐らく、頭領本人の、後継ぎにさせる為の修行で。
初めから、自分が頭領の実子ではない事は何となく理解していた。
朦げな記憶があったからか、都と言う自分の名を記憶していたからか、よくはわからない。
それでも、特に気にもならなかった。
自分が頭領の子供ではない、それについては、何か思う事も特に無かった。
自分に戦いの術を仕込む頭領が、本当の親であろうと無かろうと、別にどうでも構わなかった。
別に、この環境に対して思うところもない。
ただ、言われるままに身体を鍛え続けた。
気配を消し、闇の中で微かな音も立てずに動く事を覚えた。
声も出させず殺害する方法を。隠し持てる武器の扱いを。相手の作戦を見抜く術を。的確な呪符の扱いを。有効な作戦を立てる思考を。…主家に仇為す者を始末する術を、骨身に散々叩き込まれた。
そしてそれらを、実行に移す。
ただ機械的に、こなしていく『仕事』の数々。
それが当然の事だと思って、ずっとこなし続けていた。
思い悩む思考などは初めから必要とされていない。
思考するべきは敵を屠る手段のみ。敵の情報を得る手段のみ。
…他者の命を奪う感触がいつまでも手に残る。
今自分が居るこの環境は――普通とは程遠い世界だと気付いたのは、かなり時間が経ってからの事。
それを知っても自分は結局変わらず、別に何も構いはしなかった。
ここに至るまで確かに厳しい修行だったが、不思議と嫌だと思う事はなかった。
…たったひとつの事を除いて、だが。
ひとつだけ。
それは――時折、本当に時折だが。
たったひとつの『その事実』を思い知らされる度、胸の奥がズキリと痛んだ。
それは。
――自分の名である筈の、『都』、と言うその名が使えない。
自分は、『恭一郎』、とだけ、呼ばれる。
――『都』、と言うその名は、決して呼ばれる事はない。
それだけが。
ひどく、悲しく思えた。
もう二度と、きっと誰にも呼ばれない。
これからずっと、自分が『都』ではなく『恭一郎』と言う名になる事が――それだけが、ただ、悲しかった。
■
…それから。
御庭番衆として生きて、二十年以上の歳月が経ち。
お家騒動で主家である一族が没落し、御庭番衆も自然、解散となった。
再び表の世界に戻ってくる事にはなったが――それも形ばかりで、この手が血に染まっている事には何の変わりもない。どうしたって消せるものではない。
どうしても戻れない一線がある。
掌を見る度、鏡で自分の目を見る度、すぐに思い知らされる。
これは――闇に棲む獣だけが持ち得るもの。
真っ当な人間が持つものではない、と。
――この身体に染み付いた闇が晴れる日が、いつか、来る事があるのだろうか。
…考えてみるだけ不毛かもしれない。
それは儚い、儚過ぎる願いだと知っている。
けれど。
もし、もし万が一――それが叶う時が来たのなら。
その時こそ、私は再びあの名前で生き直せるのかもしれない。
一度喪ったあの名前。
そう。
都――みやこ、の名で。
【了】
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