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<東京怪談・PCゲームノベル>


『千紫万紅 縁 ― 紫の薔薇の花の物語 ―』


 作られし花の色は紫。
 出来損ないの花。
 あなたはその紫の薔薇を笑うだろうか?
 おまえは青の薔薇を作ろうとする中で生まれた出来損ないの花だと。
 それは悲しい。
 カナシイ。
 とても悲しい。
 あなたは知らない、作られたモノの悲しみを。


 紫の薔薇は、ツメタイ人たちの視線の先で何を想うのか?



 紫の薔薇、それは青の薔薇を作る過程で生まれた出来損ないの花。
 誰にも望まれる事無く生まれた悲しい薔薇の花。



 +++


 深夜の間宮家の一室に苦鳴があがった。
 それをあげた人物は胸を押さえながら机の引き出しを開けるが、己が引き出したそれを見て大きく目を見開いて、そして彼は絶命した。
 とあるトリックを用いて完全なる密室殺人を成し遂げた犯人は静かにその場から歩み去っていった。



 ――――――――――――――――――
【シーンT 薔薇の品評会】


 セレスティ・カーニンガムは瞼を閉じて過去に想いを馳せた。
 あれは何年前であっただろうか?
 この女性にとてもよく似た女性と出逢った記憶が確かにあった。
 しかしそれは随分と遠いはずの記憶だ。
 少なくとも数十年は経っている。
 自分は人間では無いからその数十年という時も瞬きをする間の時間とそうは大差は無いが、しかし人間にとっては充分に老いて姿が変わってしまう長さの時間だ。
 人間は誰しも弱く儚い生き物であるのだから。
 だけど彼女はあの時と変わらない姿でそこに居る。白のウェディングドレスを身にまとって、幻と呼ばれた青い薔薇で胸元を飾って。
「セレスティさん、あの薔薇の花嫁さんと知り合いなんでしか?」
 右肩に座るスノードロップの花の妖精が不思議そうな声を出したのは、セレスティがじぃっと彼女を見つめていたからだろう。
 しかし今視線の先に居る彼女が彼が知る女性と同一人物ではない事は彼自身がよく知っている。
 だからセレスティはスノードロップに穏やかに微笑みながら顔を横に振った。
「いいえ、違いますよ」
「あっ、じゃぁ、綺麗な花嫁さんに見惚れていたんでしね♪」
 悪戯っぽく笑うスノードロップにセレスティは苦笑した。
「こら、スノー」
 白はやんわりとスノードロップを嗜めて、それから花嫁に視線をやった。
「それにしても綺麗な人ですね」
 ホテルの大広間で行われている薔薇の品評会。多く並べられた薔薇たちはそれぞれ美しい鉢や花瓶、ブーケなどで飾られていたが、そのブルー・ウィッシュと名づけられた青い薔薇は少女の着る白のウェディングドレスの胸で咲いていた。
「最高の演出なのでしょうね。ブルー・ウィッシュ。幻と呼ばれた青い薔薇を展示するには。新たな可能性を見出した人の希望溢れる未来と花嫁の希望とを結び合わせて」
 セレスティは肩を竦め、白は苦笑を浮かべた。
 二人の前でひらひらと飛んでいるスノードロップはそこにある色んな意味には気付けずにふにゃぁ、とした表情が浮かんだ顔を傾げさせる。
 周りに飾られた薔薇の花たち。
 今では薔薇の愛好家たちによって数千までにその種類は増やされている。人工的に、自分たちが好む色、大きさ、形の花を作るために。
 白はその薔薇の花たちを見回しながらどこか哀しげに青い瞳を細めた。
 ………薔薇の花に何を見たのだろうか?
 そんな白を横目で一瞥したセレスティは静かに語る。
「確かに人は満足を知らぬ貪欲な種です。ここにある薔薇の花たちも彼らのその底を知らぬ欲が作り出した花だ。それでもね、私はこの薔薇の花たちを美しいと想うのです。愛おしきさえある。それはこの薔薇の花たちがただの人の欲の結晶だからではない。花、という命の輝きがそこにあるからでしょう。そう、生きようとしている命の姿が美しくないわけがないし、そしてどのような想いによって作り出されたにしろ、この花たちは生きて、咲いている。それが眩しいのです、私には」
 紡がれた言葉に、セレスティの想いに白は青い瞳をわずかに見開いて、そして静かに微笑んだ。
「そうですね。この子たちは今生きて、咲いている。それがすべてで、それが美しいのでしょうね」
「ええ」
 こくりと頷くセレスティはそっと傍らにあった薔薇の花に手を伸ばした。彼の指が触れた薔薇は棘を持たぬ赤い薔薇。
 スノードロップも不思議そうに棘の無い茎を見つめている。
 薔薇と妖精を愛おしむようにセレスティは両目を細めて微笑んだ。
 リンスター財閥の観光部門が経営しているこのホテルで開かれた薔薇の品評会に白とスノードロップを誘ったのはセレスティだった。
 花の事には詳しい樹木の医者の白に、その助手のスノードロップ。しかし次々に新しい品種が生み出されていく薔薇の品評会であるなら、その彼らですら知らない薔薇の品種があるに違いないと想い彼らをここへ連れて来たのだ。案の定、彼らも未だ知らぬ薔薇に目を丸くしていて、それはどこかかわいく面白くさえあって、セレスティもまたそんな彼らと共に新しい命、薔薇の姿に心から楽しんでいるのであった。
「すみません。よろしいですか?」
 三人でこの品評会で発表された薔薇を眺めていると、そう背後から声がかけられた。
 後ろを振り返るとそこに居たのは品の良い中年女性だった。亜麻色の髪を後ろで結い上げた着物を着た女性で、彼女はその美貌に人好きのする笑みを浮かべながら三人に話しかけてくるのだ。
 しかしセレスティはその彼女を見て、違う感想を持った。
 ―――やれやれ、どうも本当に今日はおかしな日ですね。
 この女性もまたあの彼女に似ているのだ。本当に、ありえない事に。
 よもや薔薇の妖精が悪戯でもしているのであろうか?
 そんな事を想いながらセレスティは軽くスノードロップが乗っていない方の肩を竦めた。
「薔薇の説明、よろしかったらさせてくださいませんか? 私はこの品評会の関係者で、ここに出されている薔薇の事でしたら大抵のモノは説明できますので」
「ええ、こちらからもよろしくお願いいたします。しかし、本当によろしいのですか? お忙しいのでは」
「いえ、あなたのね、先ほどの言葉が嬉しかったですから」
 女性のその言葉にセレスティは瞳を瞬かせた。
「あなたはここにある薔薇の花を美しいと、愛おしいと言ってくださった。やはりここにある薔薇の花を心をこめて咲かせた者には本当に嬉しい言葉なのですよ、それは」
 そう言って笑う女性の目の前に飛んでいったスノードロップがうんうんと頷く。
「そうでしね。わかるでし、わかるでし。わたしも花の妖精でしから、やっぱり他のお花でも褒められるのは嬉しいでしよ♪」
「まあ、かわいい」
 照れる妖精を眺めながら笑う女性を見つめるセレスティに白は小声で囁いた。おや、と想ったのだ。笑いながらちらりと横に立つセレスティを見たら、彼はどこか様子のおかしい感じで彼女を見ていたから。
「どうしましたか、セレスティさん?」
 しかしセレスティは白がそう問うと、微苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
「いえ、何でもありませんよ。何でも…。ただちょっと、そういえば前にもこんな事があったと。デジャブという奴ですね」
 白はそれでも何か感じた事を言葉にしようと、口を開こうとしたが、しかしその前にどこか神妙だった空気ががらりと変わってしまったのはやはりボケボケ妖精のせいだった。
「はわぁ。大変でし、セレスティさん。デジャブを見ると、死んじゃうんでしよ」
 顔をぐしゃっと歪める妖精が口にしたのはやっぱり間違った知識だ。
 そしてセレスティもやっぱりわかっているのに、そういう事をする。わざとわずかに目を見開いて、どうしようもなくおどけた響きが隠せない声で言うのだ。
「おや、それは大変だ。どうしましょう、スノー?」
「うぅぅぅ、そうでしね〜、どうしましょう? はぅ」
 白はセレスティの隣でわずかに口を開いて、その後にくすくすと小さく笑った。
 そして同じように微笑みながら女性が皆に言う。
「では、まずはこの薔薇の説明から」
 セレスティは彼女のする薔薇の説明に耳を傾ける。しかし意識は彼女の説明には向いてはいなかった。
 彼女が紡ぎ出す声も記憶の淵にあるそれとどこか似ているような気がした。
 だけどそれは本当に気だけだろうか?
 この女性の容姿はきっとあの白のウェディングドレスを着た彼女が歳を取ればこうなるに違いないと連想できるようなモノであった。
 つまり彼女もまた、過去にセレスティが会っている女性と似ているのだ。
 いや、ひょっとしたら彼女こそ、あの彼女なのだろうか?



『お兄さん、もしもよかったら薔薇を買ってくださらない?』
 ―――赤い薔薇の花束を持った少女は、ほんのりとその白い頬を赤く染めて、話しかけてきた。
 雪が降り積もったロシアの街で出会った一輪の薔薇のような花売りの日本人少女。
 あれは確か45年ぐらい前だったろうか?



「いいや。彼女のはずが無い。何故なら彼女は私の腕の中で…」
 降る冷たい雪に体温を奪われていく彼女。
 そう、あの雪が降る街でセレスティはその花売りの少女から一輪の薔薇を買おうとした。しかしその少女はロシアマフィアがセレスティに放った刺客であったのだ。
 少女は泣きながらセレスティの腹部に花束に隠していたナイフを突き刺した。
 純白の雪に咲いたのはセレスティの赤い血が描いた花だ。
 赤い赤い血の花と、舞い落ちた薔薇の花びらが、雪の白にアクセントをつける。
『ごめんなさい。許して』
 ―――そういう彼女をセレスティは両腕で抱きしめた。
『大丈夫。わかっています』
 告げた言葉に震える温もり。
『ちぃ。セレスティ・カーニンガム。死にやがれぇー』
 監視役のマフィアの人間が銃を抜き払って、銃口をセレスティに向けて、トリガーを引いた。
 けたましい拳銃の咆哮と共に発射された弾丸はセレスティにとどめを刺すために発射されたものだ。しかし、その銃弾から彼を庇ったのは花売りの少女だった。
 彼女は自分の身を呈してセレスティを守った。
 赤い血で濡らした唇でセレスティに最後まで謝り続けながら………。



「そして最後は幻と呼ばれていた青い薔薇の説明を」
 彼女は静かに微笑んで、白のウェディングドレスを着た彼女を見た。
 純白の花嫁の左胸で咲いている青い薔薇。
「しかしよく青い薔薇を作る事ができましたね」
 セレスティは感心したような顔をした。
「そんなにも難しいんでしか、青い薔薇を作るのは?」
「ええ。薔薇には青い色を作る色素が無いんです。ですから青い薔薇を作るのは不可能という事だったのですが、ね」
 セレスティたちの視線を感じたからであろうか? 青い薔薇の花嫁は自分からセレスティたちの所までやってきた。
「今日は薔薇の品評会にお越しくださってありがとうございます。私、この薔薇の品評会の主催者である間宮遊馬の娘である間宮怜と申します」
 にこりと笑った間宮怜はセレスティを見た。その表情も、そして視線や青いルージュが塗られた唇もどこか妖艶で妖しい雰囲気をかもし出していた。
「私はセレスティ・カーニンガムと申します。そしてこちらは白氏。この妖精はスノードロップ嬢です」
 セレスティに紹介された白とスノードロップは頭を下げた。
「薔薇、お好きですのね。先ほどから見ていましたがとても楽しそうに説明を聞かれていて。セレスティさんも薔薇を育てていらっしゃるのかしら?」
「ええ。薔薇は好きですね。うちの庭も庭師が何種類かの花をバランス良く配置して楽しませてくれているのです」
「庭、ですか? 庭師さんが作っていらっしゃる」
「そうなんでしよ。セレスティさんのお屋敷のお庭はすごいんでし」
 両拳を握って我が事のように言うスノードロップにセレスティは苦笑した。
「なら、あたしの作ったこの青薔薇をお庭に植えるのはどうですか? リンスター財閥総帥様の庭には相応しい薔薇だと想うのですけど」
 そして彼女は自分の胸の薔薇をそっと手に取ると、それをセレスティのスーツの胸に飾った。
「なんならあたしがあなたのお庭を演出してさしあげましょうか?」
 彼女の身を包むのは純白だが、しかしどうやらその腹の中の色は白でも無いらしい。
 白く形の良い彼女の手がセレスティの杖を持っていない方の手に伸びて、指を絡め合わせようとするが………
「残念ながら私はその庭師…彼の作る庭が好きでしてね。彼は私の好みを完全に理解して最高級の庭を造ってくれますから」
 やんわりと微笑みながら彼女の手の指を解いた。
 青い薔薇はとても気品に満ち溢れて、孤高の輝きを放っていて、それを先ほどまでその胸に飾っていた彼女もやはりそれに相応しいプライドの持ち主であったようだ。
 自分から絡め合わせようとした指を解かれたその屈辱に顔を歪めながら彼女はおさまらぬ怒りを音声化させた。
「それはでも時間の問題ではないのかしら? あなたの隣にいられる時間があたしにあなたの事を理解させてくれる。そしたらあたしはあなたが何も言わなくとも、あなた好みの薔薇を作って、その薔薇であたしとあなたの庭を作ってみせるわ。見たくないの、そういう薔薇園」
 彼女はエキセントリックな性格の持ち主のようだ。
 しかしセレスティは駄々っ子に対して気分を害す事も無く、さらりと言う。
「例えどれだけあなたが私の横にいようが、しかし私があなたに心を開くことが無ければ、それは一緒に居ないのとも同じでしょう? だからやはりあなたには無理だ」
 ―――そう、私が心を完全に開き、自分を見せ、私の心に触れさせる女性は彼女、ただひとりだ。
 間宮怜は顔をかぁーっと赤くして、そこから立ち去った。
 スノードロップはあわわわわわと慌てた様子でセレスティと怜とを見比べ、それからセレスティの顔の前に飛んできて、両手をぶんぶんと壊れた玩具のように振った。
「いいんでしか、セレスティさん?」
「良いのですよ。子どもの心情を考えてあげるほどの義理もありませんしね」
 容赦なく切り捨てるセレスティにずっとそこに居た彼女は立ち去っていく怜の後ろ姿を見つめながら大きく溜息を吐いて、それからセレスティに頭を下げた。
「すみません、本当に。あの子は遊馬さまが随分と甘やかして育てましたもので性格がちょっと、我が侭でして。私も実は怜様の扱いにはほとほと困っていまして」
 ざわつく人々の視線も、頭を下げる彼女もまるで意に介さずにセレスティは軽く手を振って、微笑んだ。
「いえ、かまいませんよ。いかに青の色素を持たぬはずの薔薇に青い花を咲かせるほどの天才でも、彼女はまだ子どもです。子どものした事に目くじらを立てる程私は器の小さな男ではない」
「あ、はい。それでもあの、少しお待ちください。セレスティ様」
 彼女はそう言うと、ざわつく人込みの中へと消えていってしまった。
「よろしかったのですか、セレスティさん?」
 お忍びでここへ来たのはゆっくりと薔薇が楽しみたかったからだ。
 しかしどうにももはやこの会場に居るすべての人間にはセレスティの事は知れ渡ってしまったらしい。
「煩わしい人間関係は今日ばかりはごめんこうむりたかったのですがね。しかしもうこうなってしまったらしょうがない」
 かすかな吐息を吐きながら肩を竦めるセレスティに白の手の平の上に座っているスノードロップが気楽そうな表情をした。
「もてる男は辛いでしね、セレスティさん♪」



 ――――――――――――――――――
【シーンU 間宮邸 食堂】


「どうもありがとう。とても美味しい料理でしたよ」
 自分の前のテーブルに切り分けたイチゴのタルトを並べてくれた間宮家のコックにセレスティは労いのための最高級の笑みを浮かべてやった。
 コックはセレスティに恭しくお辞儀をして、それから客の次に主である間宮遊馬、そして間宮怜の前に同じようにイチゴのタルトを並べると、食堂から出て行った。
 セレスティは切り分けたイチゴのタルトの欠片をフォークで刺すと、それをスノードロップの前に持っていた。彼女は顔を前に出して、美味しそうな香りを放つタルトにかぶりついて、ほっぺたを嬉しそうに両手で触った。
「ええ。そうしていないとほっぺたが落ちてしまいますから、ちゃんと両手で押さえててくださいね」
 それから自身もイチゴのタルトを口に入れて、広がったその美味に満足そうに頷いた。
「お気に召していただけましたかな、我が家のコックの自慢の一品は?」
「ええ、とても美味しいイチゴのタルトですね。確かこの味はパリで食べたレストランの………」
 セレスティが口にしたパリの最高級レストランの名前を聞いた間宮はどこか玩具を自慢する時の子どもそっくりの笑みを浮かべた。薬を水で飲んだ後に唇を舌で舐めて意気揚揚と語り出す。
「そうです。彼はそのレストランに勤めていました。店の人間はとても彼の事を気にいってくれて、色々な料理の技術を教えてくれたとの事です」
「なるほど。しかし言葉は悪いですが、そうであるなら少々もったいない話ですね」
「ん、何がですか?」
 要領を得ずに小首を傾げる遊馬にセレスティは穏やかに微笑みながらさらりとわかり易いように言ってやる。
「ですからこれほどの才能が一個人の家のコックである事がですよ」
 わずかに遊馬は眉根を寄せた。
「ああ。しかしそれは美術品と同じなのでは? 有名な絵画を所有する事がステータスとなるように、有能な才能を所有する事もステータスとなるのですよ。あなただってそれは同じなのでは? リンスター財閥も有能な才能を集めてこその今でしょう?」
「そう、ですかね? それでも私はその才能にとって最高の場所を用意していますよ? 彼らの才能が最高の形で発揮される場所を用意してやることが上に立つ私の責務だと想いますので。私でしたら彼に店を任せて、多くの人に彼の味を知ってもらいたいと想うのですがね?」
 鼻を鳴らす遊馬。
「なるほど。そういえばセレスティ様は率先して歴史的価値のある美術品などは美術館に寄贈していらっしゃいますな」
「ええ。画家のすべてが人に見せるために絵を描くのです。金持ちが自己の欲求を満たすために所有して、あまつさえそれを人目に触れぬ場所に隠すなど本当にナンセンスですよ」
「ですがその絵の価値もわからぬ人間何百人に見られるよりも、その絵の価値がわかる人間ひとりに見られる方が画家も喜ぶと想うのですが? 料理も同じだ」
 つまりは彼は自分は味がわかるから、彼を所有するのに相応しいと言っている。
 ふと、セレスティに悪戯心が芽生えた。
 本来ならば相手は取るに足らない小物だ。いつもは完全に相手にはしない。こういう身の程知らずの小物はいつしか自業自得で勝手に自滅していくから。それでもそれと一緒に沈没させるにはあのコックの才能はもったいなかったし、それに今夜のセレスティは少々機嫌が良かった。こんな日本の片田舎であのような美味しい料理を食べられたのだし、幻の青い薔薇も見れたのだから。
「それではあのコックをあなたが雇うに相応しいか私と賭けをしましょう? もしも私の料理の知識があなたよりも勝っていれば私の勝ち。あのコックは私が明日連れて帰ります。ですがもしもあなたが勝てばその時は」セレスティは真剣の切っ先を連想させるような感じで鋭く両目を細めた。「その時は今後、あなたの研究にかかる費用はすべて我がリンスター財閥が支援しましょう。もちろん、あなたの研究によって生み出された成果のすべての権限もあなたのモノとしてね」



 ――――――――――――――――――
【シーンV 間宮邸 ゲストルーム】


「さあ、どうぞ。今夜はここへお泊りください」
 間宮遊馬の秘書である彼女が案内してくれた部屋に足を踏み入れたセレスティはわずかに身を振り返らせて彼女を見た。
「もしもよろしかったら少しお喋りの相手になってくださいませんか? いつもは五月蝿いほどに元気な同行者がこの通りですので」
 杖を持たぬ方の手の平の上で眠っている妖精は寝返りを打つとけたけたと笑った。寝言からすると先ほどのセレスティと遊馬の勝負の夢を見ているらしい。もちろんあの勝負はセレスティの圧勝だった。たかが小物がセレスティに敵うはずがない。
「それにしても本当に思いきった賭けをなさったものですね」
「ふっ。しかしあの賭け自体が既に心理的な作戦だったのですよ? もちろんそれが無くとも私が彼に負ける訳がありませんがね」
 ひょいっと肩を竦めるセレスティに彼女は苦笑したようだった。
 灯りはつけなかった。窓から差し込んでくる月の灯りだけでも充分に明るいし、それにそんな幻想的な灯りの中の方が彼女と飲むワインの味もまろやかな物になると想われたから。
「心理的な作戦ですか?」
 静かにぶつかりあったワイングラスの奏でた音色に声を重ねて彼女は小首を傾げた。
「ええ。あのリンスター財閥がスポンサーになる、そういうプレッシャーは考える以上に冷静な思考を鈍らせるものです。既に彼があの賭けを受けた時点で彼の負けは決まっていたんですよ」
「なるほど」
 彼女はワイングラスを傾けた。
 その月明かりを背にして座る彼女をセレスティは静かに見つめる。
「こんなおばあちゃんを見てても仕方ありませんでしょう、セレスティ様」
 彼女はくすくすと笑った。その仕草だけを見ればまるで少女のように見えた。
 彼女はなぜか名前を教えてくれない。
 セレスティも敢えてそれを訊こうとはしなかった。それを口にしないのには何か理由があるのだろうから。
「私、本当はセレスティ様に声をかけたのは前にあなたをどこかで見たような気がして、それで話し掛けたんですの。もちろん、気のせいだったのでしょうけど。あなた様のような方に会ったのなら、それを忘れる訳がないですもの」
「光栄ですね」セレスティはくすっと笑い、そして月の灯りを浴びて琥珀色に輝く液体を揺らしながら続ける。
「実は私も前にあなたと似た人と会った事があります」
「まあ、本当ですの?」
「ええ。遠いロシアの地で」
 セレスティは目を細める。ほとんど見えぬ目で、しかしそこにある何かを見逃さないようにするように。
「私、ロシア人に顔が似ていますか? それは初めて言われましたわ。それともそのロシアの方が日本人的な顔をしていらっしゃったのかしら」
「いえ、日本人ですよ、その女性も。戸倉奈津という名前でした、彼女は」
「知らない、名前ですね。でもこの世には似ている顔をした人が三人居ると言いますし、そのひとりなのかしら? それでその方は?」
「亡くなりました」
「………そう、ですか」
 彼女はワイングラスの中の液体を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「それではセレスティ様、今夜はこの辺りで失礼させていただきますね。また明日の朝、朝食の準備ができましたら、呼びにきますので」
「ええ」
 ワイングラスを傾けるセレスティをひとり残して、彼女は部屋を出て行った。
 背後でぱたんと閉じられた部屋の扉の音に重ねるようにセレスティは呟く。
「やはり、戸倉奈津の関係者ですか。しかし彼女は一体…」
 確かに彼女は動揺を態度には出さなかった。しかし水を支配するセレスティは同様に人間の体内を流れる血液もその支配下に置き、故に彼はその人間の血液の流れるスピード=心臓の脈打つスピードから相手が嘘を言っているかどうか判別する事ができるのだ。
 そして彼女は明らかに戸倉奈津の事を聞いて動揺していた。
「本人、という事は無い。彼女は私が埋葬したのだから」
 テーブルに空のグラスを置いて、セレスティは小さく吐息を吐いた。
 自分は長生種。ならばひょっとしたら前に出逢ったまったくの別人(人間の生まれ変わり)にも出会うかもしれない。現にこれまで幾人かのそういう人間とも出会ってきた。しかし今回はいささか違う感じがする。戸倉奈津と秘書、そして間宮怜。そこにある真実は一体………
「ふぅぇ。もう食べられないでしぃよ。飛べなくなるでし………」
 闇夜に響いた妖精の寝言。
 その無邪気でお気楽な寝言にセレスティはつい微笑ましいモノを感じてくすくすと笑ってしまった。
 それから彼はまた小さく溜息を吐くと、部屋の扉の方に視線をやる。
「どうぞ」
 扉の向こうに気配を感じたからセレスティはそう告げた。
 その気配はほんの一瞬躊躇ったようだが、扉を開けて入ってきた。間宮怜であった。
「こんばんは」
 彼女はどこか妖艶に微笑んでセレスティにそう言う。
「ええ、こんばんは。しかしいいのですか? こんな真夜中にあなたのような若い女性が男の部屋を訪れて」
 怜はおどけたように肩を竦めた。
「あら、寧ろあたしがあなたと何かあるのを望んでいるのではないかしら? そうなればあなたはあたしに責任を取らなければならない。最高の政略結婚の相手だと想うのですけど、リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムは」
 怜は一緒に部屋に入れたカートの上のポットの中身をティーカップに注いだ。
 心地良い芳香が部屋の中に満ちた。
「どうぞ。あたしが作ったオリジナルの紅茶ですのよ」
「いい匂いだ」
 香りを充分に楽しんでからセレスティは紅茶を飲んだ。喉から胸へと落ちた温かみにセレスティは満足げに頷く。
「これは本当に美味しい」
「あたしの事を引き抜きたくなるぐらいに?」
 悪戯っぽく両目を細める彼女にセレスティは苦笑する。
「そうですね。そうかもしれません」
「嘘つき」
 それから彼女もくすくすと笑う。
「本当に男って誰も彼も嘘つきだわ」
「嘘をついてでもあなたに近寄りたいのでしょう? あなたは魅力的な女性だから」
「あら、それでもあなたはあたしに心を開いてくれないのでしょう?」
「ええ、残念ながらね。私にはもう心に決めた女性が居るので」
「だったらその順番が逆だったら?」
「ん?」
「順番が逆だったらあなたはあたしを選んでくれたのかしら?」
「そうかもしれませんね」
「ほら、また嘘をついた。あ〜ぁ、本当に男という奴は」
 彼女は椅子の背もたれにもたれかかって万歳をした。それからベッドの上で眠っているスノードロップを眺めて、人差し指で彼女のほっぺたを突っつく。
「この娘もいつかは男の妖精の事で悩むのかしら?」
「さあ、私には少し想像ができませんね」
「あら、それはやきもちと言う奴かしら? 父親的な心情の」
「さあ」ひょいっと肩を竦めるセレスティ。
 怜は長い髪をくしゃっと掻きあげて、どこか破滅的な笑みを浮かべた。
「でも本当にいいわね」
「何が?」
「他の花たちは皆、見てもらえている」
「ですがあなたもちゃんと人に見られているでしょう? あの幻と言われた青い薔薇を咲かせる事に成功したあなたはこれから世界中の誰からも注目されていくのだから」
「いいえ、それは無いわ。だってあたしが咲かせた薔薇は青だったけど、でもあたし自身は………」
「紫の薔薇ですか?」
 セレスティがそう言ったのは白が彼女の後ろに紫の薔薇の妖精を見たからだ。とても哀しげな表情をその紫の薔薇はしていたという。
「そう。あたし自身は紫の薔薇なのだから。青い薔薇を作る過程で生まれた出来損ないの花。青い薔薇を咲かせたのはせめてもの意地だったのよ」
 月明かりに照らされる彼女の顔はどこか泣きそうに想えた。
 しかしそれでもセレスティが口を開こうとした瞬間に彼女は自らその表情を変える。とても意地っ張りな我が侭そうな表情に。
「だからこそあたしはあなたが欲しかった。リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムを自分の物に出来たのなら、それは最高のステータスですもの」
 セレスティは苦笑しながら小さく顔を左右に振った。
「でもね、あなたに声をかけた最初の理由はそうではないのよ。あなたを初めてあの会場で見た時、初めてだったけど、でも初めて見たような気がしなかった。あたしはどこかであなたと出逢っている、そんな感じがしたのよ。才能の無いナンパ男の文句のようだけど、それは本当なのよ。あたしじゃないあたしが前にあなたと出逢って、そしてあたしはあなたに恋をしていた」
 そう言いながら彼女は身を前に乗り出させて、セレスティの唇に自分の唇を重ねた。そのまま彼女は舌を入れて、セレスティの手を取って、そのセレスティの手をブラウスのボタンを外して露になった自分の大きく形の良い胸に触れさせる。彼女の夜気にさらされた肌は月の明かりを受けて妖艶に輝いていた。
 深夜00時の鐘が静かに鳴り響く。
 しかしセレスティは自分の唇を彼女から離すと、そっとその濡れた唇を動かして囁いた。
「深夜十二時の鐘は鳴りました。もう子どもは寝る時間だ。シンデレラの夢は眠ってから見なさい」
「据え膳食わぬは男の恥とか、女のあたしにここまでさせて恥をかかせるとかそういうのって考えないの?」
 セレスティは鼻を鳴らした。
「残念ながら私は他人の事など一切気にしませんよ」
「だったらあたしを抱けばいいのに。他人の事など気にしないのなら、自分の欲望を満たすためだけにあたしを抱けばいい。なのに中途半端にあたしに優しくして、本当に意地悪な人だわ」
 彼女は泣いていた。
 その涙の意味はわからない。
 いくつもその理由は確かに想像はできるが、でもそのどれもが違う気がした。
 両手でボタンを外したブラウスの前を合わせて押さえる彼女から目をそらしながらセレスティは言う。
「遠い昔に私は出会っているのです。あなたに…あなた方にそっくりの少女に遠いロシアの地で。だから私はあなたを傷つける事はしない。私はその彼女に大きな借りがあるから」
 ロシア、その国名を聞いた怜は先ほどの彼女が見せたような反応を見せた。心臓の脈打つスピードが速い。明らかに何かに動揺していた。しかし彼女もそれ以上の反応は見せなかった。
 代わりに彼女は投げやりのような表情を浮かべて、言う。
「あたしはもう誰かの代わりは真っ平だわ」
 セレスティに背を向けて、そのまま部屋の扉まで歩いていく。扉のドアノブに触れて、そしてそこで彼女はセレスティを顔だけで振り返った。
「だけどね、セレスティ様。あのコックはこの家を離れられないわよ」
 わずかに訝しむように両目を細めるセレスティにしかしそれ以上の事は彼女の口から与えられない。
 怜は部屋を出て行った。
 再びスノードロップの寝息だけが響く部屋にひとりになったセレスティは静かに溜息を吐いて、月が輝く窓の向こうの夜空に目をやった。



 ――――――――――――――――――
【シーンW 間宮家 食堂】


 昨夜の晴れ渡った夜空とは打って変わってその日は朝から雨が激しく降っていた。
 雷が轟き、窓は乱暴に雨に叩かれている。
「ひゃぁー、すごい雨でしねぇ。雷もひどいでしぃ」
 セレスティの肩に座る妖精は何やら怯えきった声を出すも、視線はテーブルの上の料理に向けられていた。
「もう少しお待ちくださいね。もう直に遊馬様も来るはずですから」
 そう言った瞬間に雷が落ちて、そして凄まじい落雷の音と共に部屋の明かりが消える。
 空気清浄機がぶん、と唸るような音をひとつ上げて、途端に途切れる。
「お部屋が真っ暗になってしまったでし」
「どうやら近くに雷が落ちたようですね」
 セレスティは窓の向こうに視線をやった。
 また窓の向こうで雷が光った。
「道は大丈夫でしょうかね? もう直に白氏が来る事になっているのですが」
 セレスティの記憶ではこの屋敷は研究所も兼ねているので随分と山奥にあるはずなのだ。先ほどからの落雷によってこの山奥にある屋敷への一本道が何らかの被害を受けていないとも考えられない。
「どうでしょうか? 大丈夫だとは想うのですが。ああ、でももう直に研究所のスタッフも来ますから、それでわかるんじゃないかと」
 彼女はにこりと微笑みながら言った。それと同時に部屋の明かりも点く。おそらくは屋敷のどこかにある自家発電に切り替わったのだろう。
「それにしても遅いわね、あの人は」
 怜が部屋の柱時計を見ながら溜息を吐いた。
「私が見てきましょう」
 そう言って秘書の彼女は部屋を出て行った。
 食堂にはセレスティと怜、スノードロップ、コックだけとなるが、しかし会話は無かった。と、言っても別に気まずい空気が流れている訳でも無い。ただ会話の必要性は無い、それ故の沈黙だろうか。
 一体どれほどの時間が流れただろうか?
 確かに気まずい空気は無いが、それでも何も喋らないのは退屈だ。
「静かですね、スノー。そんなにもお腹が空きましたか?」
「はいでし」
 お腹を両手で押さえて頷く妖精にセレスティは柔らかに両目を細め、コックも笑った。
「空腹は最高のスパイスです。この料理がより美味しくなりますよ。なんせこれはあの料理の味には五月蝿いご主人様でも大満足の料理だったのですから」
「うぅ。でもこのままじゃお腹と背中がくっつきそうでし〜」
「いいわ。だったらこれをあげる」
 彼女は優しく微笑みながら何かを握り締めた両手を差し出してきた。
「ただし当てられたらね。さあ、飴玉はどっちに入っている?」
「え〜っと、こっちでし」
「残念。答えは両方とも入っていない、でした」
「あっ、ひどいでし」
 彼女はくすくすと笑って、セレスティは肩を竦める。
「冗談よ。はい、飴玉をあげるわ。イチゴの飴玉よ」
「わぁ、ありがとうでし♪」
 数秒前にはあっかんべぇーをしていた怜の肩でスノードロップは美味しそうに飴玉を舐めてご満悦の顔をしていた。
「やれやれ」
 小さな溜息を吐きながらセレスティは部屋の扉の方へと視線を向けた。転瞬、狼狽の表情を浮かべた彼女が入ってくる。
「どうしましたか? 彼は?」
「それが…寝室にはいらっしゃらなくって」
「だったら書斎は?」
 新たな飴玉を使って餌付け中の怜が小首を傾げる。
「あの人よく、書斎で仕事をして、そのままソファーで寝るでしょう?」
「だからそう想って書斎に行ったのだけど、返事が無いのよ」
「じゃあ、書斎に居たという事?」
「………多分」
「多分? はっきりとしないわね。どうして?」
「呼んでも返事が無いのよ。扉には鍵がかかっていて中には入れないし」
 顔を横に振る彼女にセレスティは小首を傾げた。
「扉の鍵は?」
「それが遊馬様の書斎は中から鍵をかけられると、どうやっても外からは開けられないようになっているんです。それに第一、あの書斎の鍵は遊馬様が持つ物だけですし」
「それはまた厄介ですね」
 セレスティは溜息を吐いた。
 そしてそれから両目を鋭く細める。
「しかし心配ですね。昨夜彼は薬を飲んでいましたが、あれは?」
「心臓病の薬です。ですから私もひょっとして中で倒れているのではないかと心配で」
「いけませんね。まさかと想いますが。いいでしょう。でしたら、私がその鍵を開けましょう」
「あの、でもセレスティ様?」
「大丈夫。まあ、お任せください」
 セレスティは穏やかに微笑みながら立ち上がった。その時にはグラスの中にあった水は水の蛇となってセレスティの右腕に巻きついている。
 もちろん、その水の蛇は液体となって間宮遊馬の書斎の扉の下の隙間から中に入り込むと同時に再び水の蛇となって扉を昇り、鍵を開ける。
「開きました」
 信じられないという顔をする彼女と怜、コックにスノードロップは我が事のように誇らしげな表情を浮かべて、えへんと胸を張った。
 セレスティは軽く肩を竦めて、そして扉を開いた。
「あの、セレスティ様?」
 しかし扉を開けたまま動かないセレスティに不安を覚えた彼女がそう声を出し、そしてセレスティの横から部屋の中を見た彼女は悲鳴を上げた。
「遊馬様、そんな」
 中に入ろうとする彼女の肩を掴んでセレスティは止める。
「待ちなさい。中に入ってはいけません。現状を保持しなければ」
「現状を保持って、それでは…」
「ええ。彼はもう亡くなっています」
 セレスティは溜息混じりに言った。



 +++


 書斎は完全な密室だった。
 書斎の扉の鍵がちゃんとかかっていたのは確認済みだ。
 部屋の鍵も書斎の壁にかけてあった。
 間宮遊馬の状況はこうだ。
 彼の死因は完全に心臓発作であろう。
 胸を両手で掻き毟るような感じで死んでいた。
 書斎の引き出しが開いた机の後ろで。
 ちなみに引き出しの中にはピルケースらしき物は入ってはいなかった。



 セレスティは素早く死体の状況、部屋の光景を頭の中にインプットした。そしてとある答えを導き出した。
 犯人が扱ったトリックも、犯人の正体も彼の知性は簡単にはじき出したのだ。
 ただ今の状況では圧倒的に証拠は無い。それは推測でしかない。
 



「それで警察は?」
「それがこの雨で道が土砂崩れで埋まったとかで、復旧に半日はかかると」
「そうですか。では、できる限りの事はしておくべきかもしれませんね。殺人現場の状況写真の撮影とそして犯人探し。ここで犯人が自供してくれれば楽なのですが」
 そうセレスティがさらりと静かに言った言葉にそこに居た秘書の彼女、怜、コックはわずかに目を開いた。
「殺人? しかし遊馬様は…」
 狼狽しきった声をあげる秘書の彼女にセレスティは頷いた。
「ええ、そうですね。死因は心臓発作でしょう。ですがそれは意図されたモノだ」
「何を根拠に?」
「腕時計ですよ」
「腕時計?」
 小首を傾げた彼女にセレスティは頷いた。
「間宮遊馬氏の腕時計は止まっていた。それが答えです」
「ですが腕時計なんて簡単に壊れるモノでは?」
「ええ、そうですね。乱暴に扱ったりして強い衝撃を与えれば壊れるモノもある。しかし間宮氏はおそらくは発作によって崩れこむように倒れたはずだ。それで時計が壊れるとは考えられない。しかも彼が手首にはめているのはクォーツですからね。並大抵の衝撃には耐えられる構造になっているはずです。そう、クォーツだからこそ、この完全密室犯罪のトリックが綻んだのですよ」
「それはどういう事なんですか、セレスティ様?」
 怜が問う。表情は無い。
「クォーツの構造はこうです。薄い水晶片の入った水晶振動子に電気を通すと一定の周波数で振動する。これを電子回路で1Hzのパルス信号に変換。このパルスによって時計の歯車となるローターを回して、それを長針、短針の動きに変換するのですよ。故にクォーツの腕時計には誤差はほとんど無いのです。しかしそのクォーツの腕時計が壊れて止まっていた。それは規格外の電流が内部に走ったからだと推測できます。そう、つまり犯人は彼に電流を流したのですよ。例えそれが微量の電流でも心臓病の持病を持つ彼にはそれは致命傷だ」
「で、でも待ってくださいでし、セレスティさん。部屋は密室だったんでしよ? 犯人はどうやったんでしか?」
 目をぐるぐると回す妖精にセレスティは頷いた。
「では、書斎に行きましょうか? そこで説明をした方が早いでしょうしね」



 ――――――――――――――――――
【シーンX 間宮家書斎】


 書斎の写真を撮った後にセレスティは間宮遊馬の手首から腕時計を外した。
 その時計の文字盤を部屋の扉の前に立つ秘書の彼女、怜、コックに見せる。
「つまり犯行が行われたのは昨日のAM00時です。そして犯人はこの中にいる誰かです。その誰かが遊馬氏をノックで呼び、書斎のドアを開けさせて、そして出てきた彼にスンタンガンを押し付けた。それによって発作を起こした彼は部屋の中に逃げて鍵をかけて、そのまま亡くなられた。この密室殺人のトリックはそういう風です」
 杖をつきながら歩くセレスティは静かに書斎のソファーに腰を下ろした。
「この時計の指し示す時間は私は怜嬢と一緒に居ました」
「そ、そうね。その時間はあたしはセレスティ様と一緒に居たわ。もしも本当にこれが殺人なら、あたしは、アリバイがあるのよね」
 怜は投げやりのような表情を浮かべて言った。そして他の二人を見る。
「じゃあ、犯人はあなた方のどちらかなのかしら? あるの、その時間に自分たちはこの殺人を行っていないというアリバイが」
 なじるように彼女は言う。
 コックは不快げな表情を浮かべたまま不貞腐れたように言った。
「ありますよ、アリバイは。その時間は今朝の朝食の下準備をしていました。証人はいつも野菜を仕入れている八百屋です。そこに電話してもらえばわかるはずだ」
「おや、どうしてそのような時間に電話を?」
 セレスティが目を細める。
 コックは眉を寄せた。
「あなたのおかげで私もあの男から開放されるから、だからというわけではないが今日の最後のディナーは私の作る最高級の味を旦那様に楽しんでもらうべく、それで予定の無い料理を作る気になったから、その食材を頼んだまでですよ」
「なるほど」
 頷いたセレスティは秘書に視線をやる。
 そして彼女は冷たい嘲弄を浮かべながら言った。
「私がやったのよ」



 +++


 それは昨夜の事だった。
 怜が出て行ってすぐにセレスティの携帯電話が着信を告げた。
 液晶画面に表示されたのは白の名前だった。
『もしもし、セレスティさん。白です』
「はい。それでわかりましたか?」
『はい』
 薔薇の品評会の後に間宮遊馬はセレスティたちをディナーに招待した。
 表向きは白はこの後に仕事があるから、とそれを断ったのだが、しかし本当はセレスティに頼まれたからであった。
 セレスティが秘書の彼女と怜に見たあのロシアの少女の影。
 そして白が見た哀しげな紫の薔薇の妖精。
 それらの意味を知るべく白は離れて、セレスティの部下たちの協力を得て、秘書の彼女と怜の事を調べていたのだ。
『しかしまた随分とおかしな事になっているようですね』
「おかしな事?」
『ええ。間宮怜、あの薔薇の品評会で会った彼女は間宮氏の娘ではなく、妻です。ですが二人が結婚したのは35年前です』
「35年前ですか」
 セレスティは苦笑した。
 間宮怜はどう見ても10代後半の少女だ。しかし………
「そこら辺は間宮遊馬氏が遺伝子学の高名な博士である事と関係があるのかもしれませんね」
『ええ、おそらくは。間宮怜の経歴も調べました。彼女は第二次世界大戦の末期1945年1月にロシアで生まれました。彼女は一卵性双生児だったそうです。しかし終戦の混乱によって彼女の一家は離散したそうです。彼女は父親と日本に戻りましたが、母親と姉は行方不明です。その後彼女は20代で結婚して男の子どもをもうけますが、離婚しています。その後直ぐに3ヶ月置いて間宮遊馬氏と結婚。人目を忍ぶように今あなたが居る屋敷で暮し始めたのです。それ以降、彼女は表立った行動はしていませんが、今回の薔薇の品評会で数十年ぶりに人前に姿を現したという訳です』
「紫の薔薇、か」
『は?』
「いえ、何でもありません。だいたい事の事情がわかりました。ありがとうございます」
『あの、セレスティさん』
「はい?」
『あの紫の薔薇の妖精が気になります。どうかお気をつけ下さいね』
「ええ。ありがとう」



 +++


 セレスティは肩を竦めた。そして前髪を弄いながら彼は薄く笑う。
「犯行時間はAM00時で間違いないですね?」
「はい。間違いありません」
「わかりました。あなたが犯人ではない事が。本当の間宮怜さん」
 にこりとセレスティは微笑む。
 スノードロップは目をぐるぐると回しながらセレスティに訊いた。
「でもセレスティさん、この人は自供してるんでしよ。他の皆さんにはアリバイが? あれれでし」
「ええ、そう。この時計が本当の時間を表しているのならそうなりますね」
 セレスティはくすっと笑いながら肩を竦めると、再び皆に遊馬の腕時計を見せた。
「この腕時計の凄い所は誤差がほとんど無いという事と、自動パワーセーブ機能、強制パワーセーブ機能、自動時刻復帰機能がある事です。つまりこの時計は壊れてしまったけど、それでもこの時計の中には本当の犯行が起こった時刻が入っているはずです。調べればわかる事ですがね。そう、間宮遊馬氏は必死の想いでこのダイイングメッセージを残したのでしょう。私は犯人の電流で壊れたと言いましたが、違います。本当は外からの大きなショックで壊れたのです。彼は犯行があった時間に時計を壊し、そして時間をAM00時にあわせた。つまりはこのAM00時に明らかなアリバイがある者が自分を殺したのだと訴えたのです。なぜならきっと犯人がこの時計が何故にこの時間に止まっているのかわからないながらも犯人だからこそ、これ幸いにその時間のアリバイを訴えるでしょうから。つまりその時間のアリバイを訴えた者が犯人だと、遊馬氏はこのダイイングメッセージを解いた者に訴えた」
 秘書の彼女…間宮怜を見て、セレスティは目を細める。
「あなたは犯人ではない。では残り二人、あなたの名前を名乗る彼女とコック。犯人はどちらなのですかね?」
「そ、それはだからあなたの推測でしょう、セレスティ様。本当に私があの男をAM00時に殺したんです。それでいいでしょう」
 必死になって訴える彼女にセレスティは冷ややかな視線を向けながら溜息を吐いた。
「まさかあなた、それが親の愛だと想っているのではないのでしょうね?」
 エキセントリックに口を開いていた彼女の口がぴたりと止まる。
「昨夜、あなたの娘である怜嬢が言いました。コックの彼はここを辞めないと。そうですね。辞めるわけが無い。何故なら彼はあなたの別れた息子なのですから。彼は自分からこの屋敷に来たそうですね。母親であるあなたと一緒に居たくって」
 彼女はセレスティの目から目を反らし、そしてセレスティが彼に視線をやると、彼の方は鋭くセレスティを睨みつけてきた。
「だからって何だ? どうして俺が犯人にならないといけない」
「母親を自由にするために。母親を自分たちから奪った憎い男を殺すために。きっかけは母親が捕らえられていた亡霊から開放されたから。そういう事だ。私が怜嬢に言ったロシアの少女、それが生き別れになってしまった双子の姉だった。その彼女の死を知った怜嬢の落胆ぶりはいかばりのものだったか。でもキミは嬉しかったでしょう? これでキミの母親はここに居る理由はなくなったのだから。でも怜嬢はここを離れないと言った。そして怜嬢のクローンは自分の事を紫の薔薇だと言う。それらから推察すれば、怜嬢は確かに自分のクローンに愛を持っていた。しかしそのクローンの彼女には何らかの重大な欠陥があった。それで間宮遊馬から離れられない。だからキミは殺したんだ、間宮遊馬氏を。現にキミは言っていた、『空腹は最高のスパイスです。この料理がより美味しくなりますよ。なんせこれはあの料理の味には五月蝿いご主人様でも大満足の料理だったのですから』と。この時点では間宮氏の死は明らかになっていなかった。なら何故、過去形だったのですか? だった、と」
 彼は顔を俯かせ、次にうぅ、っとうめき声をあげると、
「うるぅわぁぁぁぁ―――――」
 懐から拳銃を抜き払って、その銃口をセレスティに向けた。
「あんたはぁー」
 そして彼は躊躇いも無くトリガーを引いて、セレスティに銃弾を放った。
 しかしその弾丸は当然の事ながらセレスティが放った水弾によって撃ち落されるのだ。
 それを目の当たりにした彼は完全に恐慌しきると、弾丸の無くなった拳銃をセレスティに投げつけて、書斎を逃げ出していった。
「雅也」
 怜は大声で悲鳴のように息子の名前を叫び、そして書斎から出ようとしたところで、セレスティを振り返った。
「セレスティ様、あなたの言う通りです。雅也が間宮を殺しました。私はそれに気付いて、それで先ほど息子を庇ったんです。ごめんなさい。私は寂しかった。生まれてすぐに半身(双子の姉)と離れ離れになって。それで、だから私は知り合った遺伝子学の権威であった間宮と一緒になって、彼に私のクローンを作ってもらった。それで心の欠片を補えると想って。だけどすぐには出来なくって、それでようやく18年前にそこに居る私のクローンを作れた。でもその子は違っていた。姉ではなかった。私はできたその子に興味が無くなって、それで間宮がその子に邪な愛情を抱いて、自分の人形とし、私の戸籍を与えた事もどうでも良かった。私はただ生き別れになった姉を求めていた。だけど昨夜セレスティ様に姉が亡くなってしまっていた事を聞かされた時に初めて自分がやってきた事の罪に気付いた。だから私は怜を…娘を愛そうと、そのために雅也にこの家を離れないと告げて、そしたら雅也は間宮を殺した。間宮無くして怜は生きられないから。雅也は間宮と怜を殺そうとしていた。ごめんね、怜」
 ぼろぼろと泣きながら彼女はそれだけ言い、そして息子の雅也を追いかけた。



 ――――――――――――――――――
【シーン六 間宮家 厨房】


 セレスティが怜とスノードロップと共に雅也らが立てこもった厨房へと行くと、そこはもう火の海であった。
「そんな…セレスティさん!」
 スノードロップが哀しげな顔でセレスティを見る。
 激しい熱風にさらされながら立つセレスティは真っ直ぐに火の海を見つめながら口を開いた。
「そうですね。ここで死なせてあげるのも確かにある種の慈悲なのかもしれません。死を選んだ彼らに対しての。でも私はそれを許さない。かつて怜の姉は私を守って死んだ。私の腕の中で。私には彼女に借りがあるのです。その借りを返さなければならない」
「セレスティ様…」
 セレスティの服の袖を震える手で掴むクローンの怜にセレスティは微笑む。
「大丈夫。あなたの母親も、そして兄も私が守ります。あなた方母子が本当に罪を悔いたいのなら、その最善の方は生きる事だ」
 そしてセレスティは能力を開放した。
 燃え盛る炎はしかし最高級の水霊使いの前では何の力も無く、そして手を握り合って死のうとしていた二人もそのまま病院へと運ばれたのだった。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 屋敷の庭。
 そこに植えられた薔薇を見つめながら戸倉怜子(セレスティの力によって戸籍を作り上げて、クローンの怜はそういう名前となった。)は溜息を吐いて、おどけたように肩を竦めた。
「確かに最高級のお庭ね。とても綺麗。これはお手上げだわ。あたしはまだあなたをここまで理解できていないもの」
 彼女はおどけたように肩を竦めて、そして長かった髪を短く切った彼女は、その短い髪を髪が長かった頃の癖が抜けないのだろう、掻きあげながら、両目を細めて微笑んだ。
「それでもやっぱり想う。チャンスをもらえるのならあたしは誰よりもあなたを理解して、とても美しいあなたのための薔薇を作るのに、って」
「嬉しいお申し出ですが、やはり私はあなたの想いは受け入れられませんね。そのお気持ちだけで」
「残念」
 彼女は肩を竦める。
 そしてその彼女にセレスティは手を差し出した。
 怜子は苦笑しながらその手を握る。
「紫の薔薇の花言葉は気まぐれな美しさ。その美しさにやはり見る者は心を奪われるのですよ。だから」
「はい、力強く生きていきます。家族で」
 そして怜子はセレスティに頭を下げて、セレスティの庭から帰っていった。
「まだ彼女の背後に居る紫の薔薇の花の妖精は憂いの表情を浮かべていますか?」
 セレスティは白に微笑みながら問い、そして白も優しく穏やかに微笑みながら首を横に振った。
「いえ、とても綺麗に微笑んでいますよ。あなたのおかげで」


 ― fin ―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】



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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、セレスティ・カーニンガム様。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。^^
 そして前回のお話の感想もありがとうございます。^^
 セレスティさんとスノーとのやり取りは本当に書いてて楽しいのです。^^

 今回は薔薇のお話で、甘くって、ミステリ的な物をとの事でしたので、このようなお話を書かせていただきました。^^
 薔薇、という言葉からやっぱりセレスティさんには幻の青い薔薇しか考えられなくって、それでミステリ的な物だったらこういう感じかなー、と青い薔薇からクローンの方へと連想を飛躍して、それに関わる人間関係のドロドロを事件に繋げてみました。^^
 それにともなって今回は少し大人なシーンもあったりで、でも怜をさらりと冷たくあしらう感じや、やはりとても優しく寛大なセレスティさんとか、クールで知的な面、これぞもう、本当にセレスティ・カーニンガムだ、という僕の中にあるセレスティさんのイメージを多く書けた事が本当に楽しくって。^^
 お気に召していただけますと幸いです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼ありがとうございました。
 失礼します。