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<東京怪談ノベル(シングル)>


セレスティ流休日の過ごし方

 セレスティ・カーニンガムは、ベッドの中で目を閉じて、夢とうつつのはざまのぼんやりとして、どこか心地よい時間を味わっていた。
 外から聞こえて来る鳥の鳴き交わす声や、子供のはしゃぐ声、あるいは屋敷の中からかすかに聞こえる使用人たちの足音や食器のぶつかる音――そういうものを伴奏に、こうしているのは、まさに至福の時間だった。
 低血圧で、朝に弱いとはいえ、いつもはそこそこの時刻に起きて活動を開始する彼だ。しかし、今日は久しぶりの休日だった。
 外見がほっそりと華奢で、女性と見まごうばかりの美貌の持ち主の上に、人魚であるために、視力と足が弱い彼は、なんとなく病弱なイメージで見られやすい。傍近く仕える者はまだしも、遠くから眺める程度でしかない使用人たちや、財閥系列の会社の社員らには、完全にそんなふうな幻想を持って見られているだろう。おかげで、外に出ることが多いと、殊更無理をしているように取られがちだ。ここしばらくは、屋敷を開けていることも多く、使用人たちがひどく体調を心配してくれているらしいと聞いて、たまには……と屋敷でゆっくり過ごすことにした彼だ。
 使用人たちには、昨日のうちにその通達が行き渡っていると見えて、かなり日が高くなっているにも関わらず、誰も起こしに来ない。
 おかげで彼は、たっぷりと惰眠をむさぼり、更に目覚めた後もベッドの中でただ目を閉じてぼんやりしているという、ひどく贅沢な時間を味わっているのだった。それでも、さすがに。
(そろそろ起きないとまずいですかね……。このままこうしていたら、結局一日中、ベッドの中で過ごしてしまいそうですよ)
 小さく胸に苦笑を落とし、彼はゆっくりと目を開け、身を起こした。
「何か、軽く食べるものを用意してもらえますか。コーヒーは、モカブレンドを。うんと濃くして下さい。いつもどおり、砂糖とクリームは抜きでお願いします」
 使用人を呼んでブランチを頼むと、とりあえず顔を洗う。とはいえ、パジャマの上にガウンを引っ掛けたままで、髪もぼさぼさの上に、その目はぼんやりとしていまだに眠そうだ。いつものことだが、彼はベッドを出てもしばらくの間は、どこかぼーっとしている。
 やがて、香り高いコーヒーと、フレンチトースト、それに果物と野菜をヨーグルトで和えたサラダが部屋に運ばれて来た。それを全て食べ終えるころには、さすがの彼もすっきりと目覚めて、頭も動き始める。
 食事を終えて、衣服と髪を整えた彼は、たまっている本を読んでしまおうと、同じ階にある読書室へと向かった。ここは、広々として明るい雰囲気があり、庭に面したテラスがあった。テラスには屋根がついていて、左右には背の高い観葉植物が置かれている。そのため、日射しの強い日であっても、セレスティがまぶしさや高温に悩まされることなく、快適に読書を楽しむことができるようになっていた。
 彼は、そのテラスに出ると本を読み始める。「読む」といっても、彼の場合は目で読むのではなく、本のページに触れることで中身を読み取るのだ。今は、指先で丹念にページをたどっている。
 そうやって、すっかり読書に夢中になっていた彼は、それらの本の間に、押し花が挟まっていることに気づいた。
(これは……)
 思わず手に取り、しげしげと眺める。それはどうやら桔梗らしい。
(でも、どうしてこの本の間に、これが……?)
 胸に呟き、彼は改めてその本を見やった。表紙に触れて、タイトルを読み取る。それからやっと、その本がずいぶん前に友人の一人が持って来てくれたものだったことを、思い出した。以前から彼が探していた本を、その友人が見つけて持って来てくれたのだ。野草を集めるのが趣味の男だったから、もしかしたら彼を驚かそうと、本の間にそれを挟んだまま、くれたのかもしれない。
(思わぬ贈り物ですね。……そうだ。夜にでも一度、電話してみましょう。思えば、彼とももうずいぶん長く話していませんし……久しぶりに彼の声を聞くのも、悪くはありませんね)
 胸に呟いて小さく笑うと、セレスティはそっとその花をもとどおりに本の間に挟んだ。それから、最初のページに戻って、ゆっくりとそれを読み始める。再び彼は、本の世界へと没頭して行くのだった。

 やわらかな花の香りに、セレスティはふと目覚めた。
 あたりは、いつの間にか日が落ちて暗くなっている。
(私としたことが……いつの間にか、うとうとしてしまっていたようですね)
 小さく苦笑して、膝の上に開いたままになっていた本を、そっと撫でた。それから、ふと周囲に頭を巡らす。どこからか、馥郁たる香りが夜の闇の中に漂っていた。
(この香り……なんの花でしょうか……)
 膝の上の本を、傍のテーブルに積み上げた本の山に戻すと、彼は車椅子を操って庭の方に出た。広い庭には、数多くの花が植えられ、春もたけなわの今はそれらが競い合うように咲いている。だが、この読書室のテラスに面した庭には、そうした春の花はない。花をつけることのない常緑樹ばかりが植わっているのだ。
 セレスティは、怪訝な思いで香りをたどり、車椅子を操って進む。
 やがて。常緑樹ばかりの庭の隅に、ほのかに白い塊があるのを見つけた。
「これは……!」
 思わず声を上げ、傍に寄って、そっと花びらに触れる。
 それは、夜目にも白い富貴蘭の群生だった。子供の丈ほどもある茎に、白く小さな花がびっしりとついて、花を広げている。
 その蘭は、山奥にひっそりと咲く花で、当然ながらこんな所に自生するものではない。
(これは、もしかして、いつかの……?)
 胸に呟き、セレスティはそっと花弁に顔を寄せた。テラスで嗅いだのと同じ匂いが強く香る。脳裏に浮かぶのは、側近ともいうべき、部下の顔。
 もうずいぶんと昔に、セレスティは富貴蘭の苗を手に入れた。何年間か、丹念に世話をしていたのだが、結局それは蕾さえつけず、花を咲かせることをあきらめて、部下に他の貰い手を探させた。その後、富貴蘭は他人の手に渡り、彼の前から姿を消したはずだった。だのに。
(私を驚かせようとして、こんな所でひっそりと育てていたのでしょうか。それとも……本当に奇跡のような偶然で、この庭に自生の富貴蘭が育ったんでしょうか)
 胸に呟き、彼は楽しげにクスクスと笑う。
(どちらにしても、素敵なことです)
 そして、一輪だけをそっと摘み取ると、彼は服の胸ポケットに挿した。その具合をたしかめ、もう一度微笑むと、彼は静かに車椅子を回転させた。
(今日はのんびりできた上に、なかなか有意義な休日でしたね。……ところで、そろそろお腹がすいて来ましたが、今夜はどんなメニューでしょうか)
 胸に呟きながら、のんびりとテラスの方へと戻り始める。
 その彼の背を、夜目にも白い花の塊が、ただひっそりと見送っていた――。