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<東京怪談ノベル(シングル)>


 『流雨小路』


 夕暮れが迫る。
 京都のとある河原沿いにある『琳琅亭』。
 ここは、世界の至る所にある、この世とあの世の境のひとつである。
 この世では、老舗の有名な料亭として。
 あの世では、御霊御用達の茶屋として。
 そして、見せる貌はもうひとつ。

 フェンドは相変わらず、スキンヘッドにサングラス、全身黒服という出で立ちで、店内をすり抜けた。店に来ていた客の幾人かが、何事かとこちらを振り向く。老舗の料亭には、彼の姿は似つかわしくない。そして、彼がここの店主だと知っている者も、殆どいない。
 店の外に出ると、少し暖かくなった風が、優しく頬を撫でた。
 ゆらり、ふわり。
 幽玄な光を燈しながら、『螢』が、飛ぶ。
 その数は徐々に姿を増して行く。
 あるものは、天へと昇るように。
 あるものは、緩やかな曲線を描きながら。
 道行く人々は、誰もその幻想的な光の饗宴に目を留めない。

 凛。

 どこからか、小さな鈴の音が聴こえた。
 その瞬間、一陣の風が吹く。
 風は、琳琅亭の中へと入り、店内を駆け巡る。
 喧騒は掻き消え、茜色の風の中へと飲み込まれて行く。
 老舗の料亭が醸し出す厳かな雰囲気は姿を消し、古ぼけた板張りの壁が、剥き出しになる。
 そして現れたのは、吊り下がる数多の風鈴。
 多種多様な色合いと文様を持つそれらは、風に吹かれ、ささやかな自己主張をするかのように鳴り響く。
 音は洪水となり、やがてハーモニーへ。
「さてと、店開き。一年ぶりだな」
 フェンドは、風鈴たちを眺めながら、穏やかに呟く。
 『螢の風鈴屋』が、開店した。

「――本当にあったのね。『螢の風鈴屋』」
 背後から、驚きを含んだような声が掛かる。
 フェンドは後ろを振り向くと、ニヤリ、と不敵に笑った。
「おぅ、お客さんか。ようこそ、琳琅亭へ」
 店の前に立っていたのは、ひとりの女。二十代半ばくらいだろうか、肩までの黒髪を風になびかせ、黒い瞳でこちらを訝しげに見ている。ベージュのパンツスーツ姿に、飾り気のないバッグが、いかにもキャリアウーマンという感じだった。顔にも、どことなく知性的な雰囲気が漂っている。
「『琳琅亭』?確かそれって、有名な料亭の名前じゃなかったかしら」
「まぁ、似たような名前はどこにでもあるさ。それより姉さん、中に入ったらどうだ?」
「え?……ええ」
 フェンドの声に導かれるように、彼女はゆっくりと、店の中へ入る。
 店内に置いてあった、畳張りの長椅子へと女が腰掛けるのを確認してから、フェンドは茶を淹れ、彼女に差し出した。
「ありがとう」
 女は、ゆっくりと味わうようにして、茶を一口飲み、大きく溜息をつく。
「京都に、『螢の風鈴屋』って呼ばれる店があるって噂で聞いて、東京から来たの。河原を暫く歩いて……本当に見つかるとは思わなかった」
「見つけられる奴にゃ、見つけられるんだ、この店は……風鈴が、『呼ぶ』からな」
 フェンドの言葉に、女は目を伏せる。
「私の風鈴も……あるのね」
「ああ、お前さんがここに辿り着いた限りはな」
 暫しの沈黙が、流れる。
 風鈴の音だけが、辺りに響く。
 やがて、女はゆっくりと口を開いた。
「『流雨小路』って知ってる?――ああ、でも店長さん、京都の人だから、知らないか。そもそも、東京にいても、どれだけの人が知っているか分からない」
 フェンドは、立って腕を組んだまま、静かに答えた。
「知ってるぜ。俺は東京にもよく行くからな。都市伝説のひとつだろ?」
 その言葉を聞き、女はくすくすと笑い声を漏らす。
「そうよ。私って、都市伝説によっぽど縁があるのね。『流雨小路』といい、『螢の風鈴屋』といい……私は」
 女はそこで、一旦言葉を切った。視線が、不安げに彷徨う。
 フェンドは、次の言葉を、ただ待った。
 女は、湯飲みを両手で持ち、茶を啜ると、大きく息をつく。
 目の端から、涙が静かに零れ落ち、彼女の頬に筋を作る。
「私は……大きな過ちを犯したの。取り返しのつかない……過ち」
「人間、生きてりゃ過ちのひとつやふたつ、犯すもんだ」
「――そんなので片付けられるものじゃないわ!」
 激昂した女の手から、湯飲みが地面に落ちた。乾いた音を立て、破片が辺りに飛び散る。
「……ごめんなさい」
 彼女は、片手で涙を拭いながら、もう片方の手で、湯飲みの欠片を拾おうとする。
「ああ、そのままでいい。後で片付けておく。どうせ安モンだ。お前さんの手に傷がつく方が困る」
「ありがとう。優しいのね」
「お前さんからは、いい『音』がする。俺は、いい『音』がする奴には優しいんだ」
「……変な人」
「マトモな奴なら、こんな妙な店はやってないさ」
「それもそうね」
 肩を小さく竦めたフェンドを見て、女は少しだけ笑う。
「『流雨小路』にはね、忘れ去られた祠があると言われている――いえ、実際にあるの」
 女は、吊り下がった沢山の風鈴を見ながら、呟くように語る。
「そこは、降り注ぐ雨に晒すように、いろいろなものを『流す』ことの出来る祠」
 彼女の表情が、翳を帯びた。
「私の家はね、旧家だった……っていっても、名とプライドばかり残った、落ちぶれた旧家。私はそこで生まれ育ったの。『箱入り娘』としてね」
 女は、自虐的に言う。
「三年前、私はとある男と恋に落ちた。その結果、子供を宿したの……嬉しかった。愛する人との子供が出来て、このまま結婚して、幸せな家庭を築くんだと信じて疑わなかった……でも」
「でも?」
「男にとっては、私は所詮遊びだったの。『子供を堕ろせ』と言われて、お金だけ渡されて、その男は行方をくらました。暫く茫然自失としてたわ……だけど、子供だけは生みたかった。私の子供。新しい命を、見捨てることなんて出来なかったから。だけど、両親や親戚から、物凄い反対をされて……本当は、あの時点で家を出ていれば良かったのね。だけど、当時の私には、思いつかないことだった……生みたいけど、それは許されない。かといって、堕ろすことはしたくなかった。周囲からのプレッシャーや、葛藤で、私は心のバランスを崩してしまった……そしてあの日、『流雨小路』へと向かった」
 フェンドが、新たな茶を入れ、湯飲みを女に渡す。彼女は礼を言ってから、茶を飲み、話を続けた。
「……とにかく、何かに縋りたかったのね。気がつけば、小さな祠の前にいた。そこで私は、祈ってしまったの……『この苦しみから逃れられますように』って」
 女の肩が、小刻みに震える。
「それで何となく、気が楽になったような気がした。所詮は神頼みだし、何かが起こるとは思わなかったの……私が、浅はかだった……お参りを終えた後、急に雨が降り出して、私は慌てて家に帰ろうとした。でも……」
「帰れなかったのか?」
 フェンドの問いに、女は首を小さく振る。
「『流雨小路』から出られなくなったの……どの道を通っても、元の祠の場所に戻ってきてしまう。雨宿りする場所も全くなくて、身体がどんどん濡れて、冷えきって行ったわ。『助けて!』って泣き叫びながら走ったけど、誰にも会わなかった。そして、意識が遠のいていって……気がついたら、病院のベッドの上だった。それから、お医者さまに言われたの……『残念ですが』って」
 女は、堪えきれなくなったかのように咽び泣いた。フェンドは、ゆっくりと近寄ると、彼女の肩にそっと手を置く。
「あの子を殺したのは私だわ!祠に祈って、あの子を殺したのよ!」
「――違う」
「何が違うの?私が祠に祈りさえしなければ……」
「それは事故だ。いや、事故とも呼べないかもしれねぇ。そういう運命だったんだ」
「だって……」
 それからフェンドは、彼女が泣くままに任せた。下手に止めるよりは、感情を動かしてやったほうがいい。
 暫くの間、女の泣き声と、風鈴の音だけが周囲に響く。
「私……それからまた、『流雨小路』に行った……」
 落ち着きを取り戻し始めた女は、どこか息苦しそうに、そう言葉を発した。
「何でまた?」
 フェンドの問いかけに、女は天井を仰ぎ見ながら、静かに言う。
「行かなきゃ……いけない気がしたの。そうしたら、祠の前に、赤ちゃんが捨てられていた」
 彼女は、視線をこちらへと向け、微笑みを形作る。
「僥倖を見た気がした。それまでずっと、生ける屍みたいな生活を送っていたから……この子は、私の子の生まれ変わりだと思った。この子だけは私の手で育てようって……それを機に、家を出ることを決心した。仕事も見つけた……それが、去年のことよ……でも」
 フェンドは、次の言葉を待つ。
 結果は、分かっていたけれど。
「……あっけなく死んじゃった。今年の初めに」

 ちりん。
 ちりん。

 風鈴が、鳴る。
 フェンドの手に提げられた、小さな二つの風鈴が。
 ガーネットの色合いに、流れる雨のような模様。
 同じく、ガーネットのような紅い下地に、道が折り重なったような模様。
 次の瞬間。

 『おぎゃあ』

 乳飲み子の映像が、二人の前に現れる。
 女が、息を呑んだ。
 ふたつの赤子の笑顔。
「いいか、姉さん」
 フェンドが、目を見開いている女に向かって真っ直ぐに視線を向ける。
「この風鈴は、寿命の最後の一欠片からでないと創れない。つまり、お前さんのガキたちは、きちんと人生をやり遂げたってコトだ」
「本当……に?」
「ああ。本当だ」
 何かが切れたように。
「……ごめんね……ごめん……」
 女は、泣きながら、名を呼んだ。育てた生命と、生まれなかった生命。
 ――同じ名を。

 そして、二つの風鈴は、砕け散った。


「ありがとう」
 女はどこか晴れやかな表情で、こちらに向かい、頭を下げる。
「ああ、元気でな」
 背中を向けて歩き出した女は、立ち止まって振り返ると、躊躇いがちに声を上げた。
「ねぇ」
「ん?」
「私の子供たち、笑ってたよね?幸せだったって、信じてもいいのかな?」
「ああ、それは保証する」
 フェンドが口の片端を上げて見せると、女は、にっこりと微笑んだ。
「……ありがとう。また来るね」
 そう言って彼女は、もう振り向かずに去っていく。
 フェンドは、最後の言葉に対して、何も答えなかった。
 遺族に出会った風鈴は、砕け散る。すると、遺族はもう二度とここを訪れることは出来ない。
 女の姿が消えるのを見送ってから、フェンドは先ほど砕け散った風鈴の欠片を手に取る。
「なぁ、お前ら。幸せ……だったよな?」
 それに応えるかのごとく、欠片は、本物のガーネットのように、紅くきらきらと輝いた。
 『真実』を、その内に宿して。


 ■ ■ ■


 セイ・フェンドさま

 いつもありがとうございます!鴇家楽士です。
 シチュエーションノベルの場合は、雰囲気を壊してしまいそうなので後書きは……と、以前にも書きましたが、今回も書いてしまっています……

 今回は、本当に悩み、最後まで迷いました。
 設定や、原則に抵触しないように、その中で自由に書いたつもりなのですが、抵触してしまっている気がしないでもないです……もしそうでしたら、本当に申し訳ありません。僕の力不足です。風鈴、勝手に二つにしちゃいましたし(汗)。流産の件は、事故死かどうかで迷ったのですが、世の中に生まれ出る前にも、胎内で生を受けていますし、そこで天寿を全うする、ということもありえると思ったので、あのようにしました。

 それでは、読んで下さってありがとうございました!
 これからもボチボチやっていきますので、またご縁があれば嬉しいです。