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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


光風に揺れ

 1 瞳子

 子供の順応力の早さに、瞳子は感心を覚えた。
 児童館の門を開いた時は、皆、ブランコや滑り台と言った遊具に夢中で、見知らぬ瞳子に目を向けるものなどいなかったのだが、大学からボランティアとして手伝いにきたのだと紹介されるや否や、態度が一変したのである。
 館内を案内してあげるからと言って、瞳子の世話を焼こうとする子供や、好奇心一杯の目で遠巻きに眺めている子など、さまざまな反応が返ってきた。
「綺麗で優しいお姉さんが、子供達は大好き」
 老年へさしかかった女館長は、穏やかに笑って言った。
 瞳子の笑顔は曖昧であった。どう返して良いか迷う言葉だったからだ。だが、同じ声音で独白のように漏らした言葉には、少なからず胸がちくりと痛んだ。
 構って欲しい。甘えさせて欲しいのだと、館長は言った。
 学童に預けられた子供達は、小学校一年生から三年生までの低学年児童である。まだまだ、大人の手が必要な年齢であった。
 子供達の発するサインが、児童館と言う公共の場で、直接的な言葉になることはない。
 だが、腕に絡みつき、つっかえながらも、今日あったことを話す姿には、時折、愛情にどん欲な眼差しが貝間みえた。
 本当は誰に話したいのだろうか。
 その気遣いが、瞳子をいっそう柔和にさせるようだ。僅か三日で、瞳子は館内の人気者になってしまった。
 行く先々に取り巻きの子供達が輪を作り、誰かの話を聞きながらも、手は別の子と戯れていると言った具合である。
「疲れたでしょう。これでも連休中だから、いつもより子供の数は少ないのよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。子供達の親御さんが、頑張ってお休みを取ってくれるんでしょうね」
 館長はカレンダーの今日の日付に、マジックで×印をつけながら言った。イベントと書かれた五日の赤い丸まで、あと四日に迫っている。
 臨時ボランティアである瞳子に、決められたデスクはない。教員室の端に用意された折り畳みイスに腰掛け、瞳子は大きく張り出された五月の予定表を見上げた。
 明日は二日。ゴールデンウィークも中間に差し掛かるが、瞳子にとっても、活動の折り返し地点になる。子供達の勢いに流され、毎日が怒濤のように過ぎたせいか、やけに時間の流れが速く感じた。
「『コンサート』、楽しみですね」
 同じボランティア要員である女子大生が、瞳子より少し離れた場所にイスを開いて腰を下ろす。彼女はまとまった休みになると、こうして学童にやってくるらしい。今年で三年目だと言っていた。
「千手さんの指導のおかげで、初めての子の上達が早いですよ。鼓笛隊も合唱隊も、練習が楽しそうだし」
 笑いかけてくる笑顔に照れながら、瞳子は手を振ってそれを否定する。
「い、いえ。皆の飲み込みが早いんです。私は特になにもしていませんから」
「ううん、館長もそう言ってましたよ。やっぱり、音楽を教えるには、音楽が好きなひとの方が、子供達も身に付きやすいんでしょうね」
 彼女がチラリと、館長のデスクへ目をやった。館長はペンを走らせながら、若い二人の話に耳を傾け、口元を綻ばせている。
「そうかな……。そう言って貰えると嬉しいです」
 好きだと言うこともあるのだが、瞳子には幼い時分、合唱団に所属していた経験があった。その時に学んだことや感じたことが、教える中に活かされているのだろう。
 子供達の苦戦に、大人ではなく子供の視点でアドバイスができたのだ。
「コンサート、上手く行くと良いですね」
「本当に。大勢のひとが見に来てくれると良いなぁ」
「うん」
 瞳子は、子供達の頑張っている姿を思い浮かべた。練習では上手くできる子も、観客を前にするとあがってしまって、声が出なくなったり、音を外してしまうことがある。
 終演は悔し涙を流すより、笑顔で迎えたいものだ。
 そんなことを考えながら、瞳子の顔は自然と溢れてくる笑みで染まった。ついつい、同じ年頃の自分を思いだしてしまう。
「噂では、ケーブルテレビの取材も来るらしいですよ」
 彼女がほんのちょっと身を乗り出して囁いた。館長には聞かれたくないらしい。
「え、本当ですか?」
「まだ、子供達には内緒のようなので、ここだけの話だけど」
 瞳子は何度も小さく頷き、彼女に了承の意を返した。
 五日を囲む赤丸が、重要度を増したような気がした。一年に一度、児童によって行われるコンサートは、学童の中で大きな意味があった。
 日頃、忙しくて学校行事に参加できない親たちに、休日を利用して、子供達の勇姿や成長ぶりを見て貰いたいと言う試みがあったのだ。
「その上、開催されるのは『こどもの日』。親もないがしろにはできないんでしょうね。集まりはかなり良いのよ?」
「それで、皆、あんなに張り切ってるんですね……」 
 瞳子はそれぞれの家庭を思って、複雑な気分になった。親が働いていることに、あからさまな不満を漏らす子はいない。だが、見た目以上に、我慢を強いられている部分もあるのだろう。
 自分のすることを、それだけを見に来てくれる。
 子供達の頑張りが、健気で愛しかった。
「楽しく、皆が笑って過ごせるように頑張りましょうね」
「ええ」
 力の籠もった瞳子の言葉に、彼女はグッと親指を突き立てた。

 2 綾

 楽しそうだな。
 そう思うだけで、つい唇が緩んでしまう。
 目の前でくるくると変わる表情は、見ていて飽きなかった。
 時には身振り手振りを加え、瞳子は学童でのことを嬉々として語った。そうして、聞かずとも近況を話してくれる無邪気さは、綾にとって居心地の良い場所だった。
 視界にいれておくだけで心が和んだ。
 声を聞くと、笑みが込み上げてくる。
 そんな思いを口にしたら、いったいどんな顔をするだろう。
 カラン。
 崩れた氷が、グラスの中に小さな漣をたてた。
 気がつけば、汗をかくだけかいた瞳子のグラスは、無色透明な水と紅茶との綺麗なグラデーションができあがっている。瞳子はそれに気づかず、話すことに熱心であった。
「綾さんにも見て貰いたくて、持ってきました」
 そう言って、瞳子の差し出したコピー用紙を、綾は受け取った。眼鏡をかけ、レンズ越しに視線を落とす。ピンクの紙に印刷された黒い文字は、児童館で行われる催し物の案内を謳っていた。
『鼓笛隊&合唱隊「アリの子楽団」コンサート開催のお知らせ』
 場所は児童館のホールとなっている。日時の他に予定している楽曲や、隊の簡単な自己紹介が書いてあった。
「『瞳子先生』と呼ばれているんですか?」
 話を振り返って、綾は言った。瞳子は照れながら頷く。
「はい。『先生』って呼ばれると、くすぐったいけど嬉しいですね。合唱も演奏も久しぶりだったから、すごくドキドキして、でも、とても楽しくて……」
 ふと、話に聞いた光景の中で、瞳子が溌剌と動き回るのが見えた。
 楽しそうな映像に、綾は笑み零れる。
 カラン。
 また一つ、氷が崩れた。
 今度は綾のグラスだった。
 何かに熱心なのは、自分も同じなのだ。グラスの中身に気づかぬほど、彼女のことばかりを考えている。
 見れば壁の時計は二時を周り、ランチを終えてからすでに一時間半が経過していた。
「もう、こんな時間なんですね」
「え?」
 瞳子は時計を見上げて、ハッとしたようだ。慌てて綾に頭を下げた。
「あの……いつも、ごめんなさい。綾さんと話していると、時間がわからなくなっちゃうみたいで……」
 謝ることはないのだと、どうしたら上手く伝えられるのだろう。だが生憎と、気の利いた台詞は出てこない。
 ただ、申し訳なさそうな表情を、早く遠ざけてあげたかった。
 瞳子と同じ状態のグラスを指し示しながら、綾は微笑を添えて返す。
「僕も同じですから、気にしないでください。目の前にある飲み物のことを忘れてしまって」
「あ……」
 じっと二つのグラスを見比べていた瞳子が、ホッとしたように双眸を崩す。
 あぁ、良かった。笑ってくれた。
 それが嬉しくて、綾も微笑んだ。
「薄くなってしまいましたね」
 クルリとかき回したグラスの中身に口をつけ、瞳子は眉を下げた。
「夏の味がします」
 綾は言った。
「夏の味?」
「ええ。仕事に没頭すると、夏のお茶は直ぐにこんな風になりますから。そうなると、一気に飲み干してしまったりするんですが……。不思議ですね。今は、そうしてしまうのが惜しい気がします」
 大きくなった瞳子の瞳が、その理由を問いかけている。
 いつまでも、こうして話していたいから――
 あまりにもストレート過ぎる言葉に、綾はオブラートをかける。
 無くなってしまったら、お店をでなければならないから――
 できるだけ特定な意味を濁しておきたいと思う臆病さは、想いの深さの現れなのかも知れない。
 グラスを下げられたくないと、思いませんか?
 これなら大丈夫だろうか。
 言ってしまって良い物かどうか躊躇ったが、言葉はツルリと唇から逃げてしまった。
 数秒後。
 ポ、と。
 瞳子の顔に朱がさした。
 悟られてしまったにしても悪い反応ではない様子に、綾は安堵する。
「は、はい。そ、そうですよね。確か、打ち合わせの時間は――」
「五時です。移動の時間を抜いても、あと、二時間は……」
「では、それまでゆっくり、飲みましょうか」
 一人しかいない喫茶店の従業員を、同時に振り返る。
 お店のひとには申し訳ないけれど――
 言い添えた言葉が重なり、二人はクスリと吹き出した。
 窓から射す光が、グラスの中の水にあたって屈折し、テーブルの上に淡いプリズムを描く。
 やはり、二人で居る時間は楽しい。

 3 瞳子

『あー、あー、テステス、マイクテスト、マイクテスト』
 ガーピー、とマイクがハウリングするのはご愛敬だ。
 狭いホールに並べたイスの数は百三十ほど。足りないよりは良いと、大盤振る舞いした結果、人が一人通れるほどの通路をのぞいて、足の踏み場もなくなった。
 二十六人の子供のうち、二十家族の親がやってきた。両親が揃っているところもあれば、母や父だけと言う家庭もある。
 子供達は親の顔を探したり、噂通りにやってきた大きなカメラが気になるらしく、舞台の袖からホールの入口を覗いてはそわそわとしていた。
 館長は手を叩いて子供達の注目を自分に向けると、精一杯の声を張り上げた。
「今日は、上手くできると思うひと、手を挙げてー!」
 半分の子供が挙手をしたが、残りの半分は緊張一杯の瞳で、固まっている。
「それじゃあ、今日は失敗しちゃいそうだなって思うひと、手を挙げてみて?」
 おずおずと上がる幼い手。
 瞳子は苦笑して、傍らにいる女子大生と顔を見合わせた。
「はい、じゃあね。失敗しちゃいそうだなって言うひとは、隣のひとをくすぐってください。はい、先生のこともくすぐっちゃいましょうー」
「え」
 悪のりが好きな子供が、真っ先に瞳子に駆け寄ってきた。一人二人なら互いの脇腹を突きあってふざけていられるが、それが団体で押し寄せてくるのだからたまらない。
「わわっ」
 瞳子が逃げ出すと、子供達は歓声をあげながら後を追った。他のボランティアも、その場にいる職員も、全員が巻き込まれての鬼ごっこと化す。
「先生、待てー!」
「待てませーん!」
 ドタバタと走り回る子供達の顔に、笑みが広がった。
 だが、そうではない子もいる。
 逃げながら振り返った瞳子は、ふと、その中に俯く少女を見つけて目が離せなくなった。少女は輪に加わろうとせず、じっと佇んでいる。
「どうしたの?」
 子供達を手で制して立ち止まると、瞳子は少女の前に片膝をついた。
「……お母さん、来ないんだもん」
 我慢していた涙が、ポツリと落ちる。
 瞳子はハンカチを取り出し、少女の目元を拭ってやった。
「そっか。見せたかったんだね」
「うん」
 そっと髪を撫でると、少女は大きくしゃくりあげた。
 昨日まではあんなに楽しそうだったのに。
 恐らく、今朝になって来られないことを告げられたのだろう。
 少女の気持ちを思うと、瞳子は胸が痛かった。
 少しでも気持ちを軽くしてあげられる方法はないだろうか。
 考えあぐねた末、ふと、テレビ局が来ていることを思い出した。
「今日、テレビのひと来てるの知ってる?」
「うん」
「録画したビデオを貰えるように、頼んでみようか。おうちに持って帰れば、お母さんと一緒に見ることができるでしょう?」
 かなり間接的ではあるが、他に良い方法も思いつかない。
 瞳子は少女を窺い見た。
 大きく開いた瞳から、また一つ涙が落ちる。
「貰えるの?」
「私とお願いしに行こう? そうしたら、歌も頑張れるよね?」
「うん!」
 瞳子はガヤガヤと賑わう細い通路を、少女の手を引いて歩いた。
 テレビクルーは入口近くにカメラを固定し、その周りで雑談している。人数は四人。レポーターとカメラ、それに音声と言ったメンバーに、見覚えのある背中が混じっていた。
 何故、ここにいるのだろう。
 疑問は驚きの声となって、瞳子の口をついた。
「綾さん!」
 振り返った笑顔は、紛れもなく綾のものだ。
 瞳子は思いがけぬ出逢いに、呆然と立ちつくした。
「やぁ、瞳子さん。こんにちは」
「ど、どうしたんですか? こんなところに」
「それが……。あのあとの打ち合わせで、今日のイベントの話が出たんですよ。地元のテレビ局が、このイベントを取り上げるらしいって。親子が触れあうきっかけ作りをするそうですね」
「ええ、そうなんです。普段、こういう姿を見る機会もない親御さんに、来て貰おうと……」
 こうして、会話していることがまだ信じられない。
 ボーっとしている瞳子の腰になにかが触れた。
「?」
 視線を落とすと、少女を心配した児童があとをついてきたようだ。後ろにズラリと並んでいる。
「瞳子先生、僕もビデオ……」
 歩み出た少年が、瞳子の顔を涙目で見上げた。
 綾も、悲壮な顔つきが気になったのだろう。小腰を屈め、少年の顔を覗き込んだ。
「欲しいんだね?」
「うん。お父さんとお母さんに見せたい……」
 そうか、と綾は頷く。
 いつも見ている優しさだが、幼い子供に向けられる真摯な横顔は、特に優しかった。瞳子は魅入ったまま動けなくなり、少女に手を引かれてハッと我に返った。
「瞳子先生」
「あ、ご、ごめんなさい」
 慌てて切り出した交渉は、ことの前後がバラバラになってしまった。綾が傍にいるとあって、尚更、頭が回らない。
 だが、このイベントの主旨が気に入って取材に来たクルーは、瞳子や子供達の頼みを、快く引き受けてくれた。
「ええと、何本必要かしら」
「六本ほど、なんですが」
「六本? それで良いの? だって――」
 レポーターの女性が、子供達の頭を数えてゆく。
「それでは、全然足らないようだけれど……」
 言葉の意味を図りかねている瞳子に、綾が微笑した。
「瞳子さん、皆の分を回してくれるみたいですよ」
「え?」
「槻島さんのお知り合いのようだし、私個人としても、ささやかながらこのイベントのお手伝いをさせて貰いたいわ。同じ子を持つ親として、我が身をつまされる思いなの。こういった機会は増やすべきよね」
「あ……、ありがとうございます!」
 レポーターは良いのよ、と手を振り、子供達に笑顔を落とした。
 コンサートは、とても賑やかなものとなった。
 親の目に見守られた子も、そうではない子も、皆、笑顔が尽きなかった。瞳子は終始、子供達の傍らに付き添い、楽器を取り、歌を歌った。
 最初は、綾に見られていることが気恥ずかしかった。目があう度に照れ笑いを浮かべた。
 だが、一つ終わるごとに、大きな拍手が湧く。その中に、綾の笑顔があった。照れも気恥ずかしさも、いつしか心地よさに変わって行った。
 皆が一体になれるのだから、音楽は楽しい。
 瞳子は、しみじみとそれを実感した。

 玄関前に飢えられた桜が、僅かな風に葉を揺らす。
 子供達のはしゃぐ声が遠く聞こえた。
 遊具まで距離があるせいで、突き抜けるような甲高さも、吠えるような勢いの良さも、布にくるまれたように柔らかく耳に届くのだ。
 いつもなら瞳子を呼びに来る児童が、嬉しそうにブランコを漕いでいるのが見えた。
 職員でも、ボランティアでもない。大人の姿がそばにある。子供達は皆、親がいることに安心して遊んでいるようだ。
「え? お仕事じゃなかったんですか?」
 顔をくすぐる髪を指先で押さえながら、瞳子は綾を見上げた。両腕で抱えた花束から、添えられている手紙が今にも落ちそうだ。手の塞がっている瞳子のかわりに、綾の手がそれをそっと押さえた。
「ええ。偶然にも、以前、顔を合わせたことのある方が、レポーターをしていらしたので、ちょっと話し込んでしまって」
「そうだったんですか。てっきり取材だと思ってました」
 ゆるりと首を振り、綾は微笑った。
 ここでイベントがあると語ったのは、数日前のことである。
 仕事ではないとしたら、いったい何故、児童館などに足を運ぶ気になったのだろう。
 もしかしたら――
 その理由の一端に、自分が絡んではいないだろうか。
 自惚れだと思いながらも、一抹の期待に胸はドキドキとし、瞳子は顔が火照るのを感じた。
 理由を聞いてみたい。
 腕と腕が触れる距離に佇んでいながらも、知りたいと思えば思うほど、わからなくなる胸の内がもどかしかった。
「瞳子せんせーい!」
 瞳子の背中に、子供達の声がぶつかった。
「先生、ありがとう!」
 やってきたのは、親が来ないと涙ぐんだ面々であった。
 ビデオはダビングが済み次第、ここへ送られてくることになっている。我慢強い子供達の顔に、先ほどの涙は見当たらない。明るい目をしていることに、瞳子は安堵を覚えた。
「すっごく楽しかった! 花束のメッセージね、皆で書いたんだよ?」
「先生、また来てくれる?」
 瞳子と綾を取り囲む、はにかんだ笑顔。
 コンサートの最後にあったもう一つのイベントを、瞳子は忘れないだろう。僅か数日間で築き上げた絆は、思う以上に大きかった。花束と共に渡された、感謝の言葉と皆の笑顔が、瞳子の胸に焼き付いている。
「皆、ありがとう……」
 思わず声が震えた。視界がぼんやりと霞むのを、手の甲で拭う。
 優しいぬくもりが、そっと瞳子の背に触れた。
「一生懸命、頑張った甲斐がありましたね」
 綾の声に、瞳子は頷く。
 優しい沈黙が流れ、瞳子は背中の手を意識した。
 とくんとくん、とどちらの鼓動かわからぬような、小さな震動を感じるのだ。
 その光景は、低学年の子供にとって、ニヤニヤと好奇心いっぱいの笑顔を呼んだ。
「先生、このひと誰?」
「先生の恋人だよ!」
「違うよ、『コンヤクシャ』だよ」
「瞳子先生、結婚するの?」
「えっ、えっ」
「照れてるー!」
 キャーッと歓声をあげて駆け出す子供達を、瞳子は赤い顔で見送った。
 大きく深呼吸し、気を落ち着かせる。
 子供達の落とした爆弾を、綾はどう受け止めたのだろう。
 気になった瞳子は、ゆっくりと綾の顔を見上げた。
 赤い。
 落雷にでも打たれたような顔を朱に染めて、綾は突っ立っている。
「あ、あの……」
 言葉に詰まる瞳子に、綾もしどろもどろだ。
「あ、いや……、参りましたね」
 それだけをやっと言って、ホゥッと小さく息を吐く。
 普段、あれだけ落ち着き払っている綾が、動揺しているのを見ると、くすぐったいような嬉しさが込み上げてきた。
 否定されなかった。
 やはり、逢いにきてくれたのかもしれない。
 淡い期待が、瞳子の胸を高鳴らせる。
「参り、ましたよね」
 台詞を繰り返す瞳子に、綾は目を細めた。
「ええ。子供は思ったことに素直ですから」 
 掴めるようで、掴めない。
 だが、全く掴めなくもない。
 綾の返事は、まるで揺れる木漏れ日のようだった。
 見下ろした瞳子の足下に、とめどない光が泳いでいる。
 あの喫茶店のテーブルに見た、淡いプリズムにも似た光。
 それが自分の心にも見え、瞳子はそっと微苦笑を浮かべた。
 




                          終